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第2578日目 〈綾辻行人『黒猫館の殺人』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 “黒猫館”といえばわたくしの世代には悶々とした感情を抱かれる方もおられよう。人里離れた場所に建つ妖しの洋館。そこで営まれる背徳と淫靡の生活。いまにして思えば、人生初のメイドさん萌え……。わたくしが書きたい物語の或る方向に於ける目標は、この、戦前の雪深い山中に建つ洋館を舞台とする物語にあったのだ。それはいまも変わることなくあり続けており──
 ──さて、マクラはここまでにして、綾辻行人『黒猫館の殺人』である。
 宿泊していたホテル火災によって記憶をなくした老人、鮎田冬馬から一冊の手記をあずかった江南孝明と鹿谷門美。それを読んで自分の正体と書かれた内容が事実なのか、回答を導き出して自分に教えてほしい──鮎田は2人にそう依頼した。手記には、鮎田老人が雪深く人里離れた地に建つ洋館<黒猫館>の管理人として独り住まわっていること、館のオーナーの息子とそのバンド仲間が滞在することになったいきさつとかれらの無軌道な言動、かれらが現地で若い独り旅の女性をナンパしたこと、その夜館の大広間でかれらがドラッグに耽り誰かが女性を殺害してしまったこと、その後館の地下で白骨死体が発見されかつ1人が後に命を落としたこと、が記されていた。
 『黒猫館の殺人』を読むにあたって自身も推理合戦に参加したい、という向きは、新装改訂版の帯に特筆された「全編に張り巡らされた伏線の妙」を常に念頭に置きながら、けっして読み急ぐことなく都度都度立ち止まりながらページを繰ってゆくことをお奨めする。
 作者が仕掛けたトリックはまさに空前絶後、なんとスケールのでかい大技であることか……と嗟嘆せざるを得ない類のものだ。『人形館の殺人』程ではないものの、読者の賛否がこれまたはっきり分かれる作品であろう。本作がオマージュをささげるのがエラリー・クイーンの中編「神の灯」だけれど、スケールでは『黒猫館の殺人』の方がはるかに凌駕する。凌駕したからなんなのだ、といわれても困るけれど、判明した途端に椅子からずり落ち、或いはのけ反って天を仰ぐこと必至。そうして、設計士・中村青司と依頼主・天羽辰也の常識外れな企てにツッコミの一つも入れたくなってしまうのだ。
 鮎田老人が鹿谷たちへ託した手記(奇数章で語られる)は犯人当てミステリの<問題編>で、偶数章での鹿谷門美&江南孝明の行動は真相解明の調査と推理である。読者よ、奇数章で語られる事柄に疑問を抱け。読者よ、偶数章で判明してゆく事実と手記の齟齬に気附いて真相を看破せよ。そうして読者よ、<回答編>に相当する「エピローグ」を充足の溜め息と共に読み終えたまへ。
 真相解明の手掛かりはなにか、ですと? それは言わぬが花だ。ミステリ小説の書評や感想を書くのは難しい。ストーリーとトリックについてどこまで語っても構わないか。ネタバレにつながることは一切書かない方がいいのか、それとも細心の注意を払いさえすればぎりぎりのところまで筆を進めてよいのか。これらの点に自分なりの折り合いをつけられない限り、真相解明の手掛かりは? と訊かれても返す言葉はなにもない。
 あるとすれば……そうね、中村青司が恩師神代教授に依頼主を評して曰うた「あれはどじすんですね」(P152)と、むかし依頼主が神代教授に己のことを述懐した際の台詞、「私は鏡の世界の住人だ」(P238)、かなぁ。嗚呼、わたくしはもう口を閉ざすべきだ。作者のこの言葉──「ある程度の読者が八十パーセントまでは見抜けるかもしれないが、問題は残りの二十パーセントにこそありますぞ」(P417)を紹介した上で。
 感想の筆を擱く前に、「ミステリ小説の読者あるある」に第8章で遭遇して、思わず、これって自分のことだ、と深く深く首肯させられた一節のあったことをお伝えしておきたい。黒猫館で発生した密室殺人の現場調査での江南による、あまりに正直過ぎる述懐。曰く、「時刻表を使ったアリバイトリックと同じで、まあどうにかしたんだろうな、という気分になってしまって、種明かしをされても『ふーん』としか思えないのである」(P321)と。身に覚えのある読者も多くおられることだろう。もしかするとこの一節、骨の髄からのミステリ小説作家、綾辻行人からの苦言なのかもしれないね。
 ──ところで、千街昌之の解説を読んで、いったいどれだけの人が前作『時計館の殺人』を読み返しただろう。たしかに『黒猫館の殺人』の真相そうしてトリックの背景と成立のための前提条件は既に『時計館の殺人』に埋めこまれていた。それは<回答編>「エピローグ」につながってゆく事柄でもあった……。
 もう一つ、ついでに。第4章;神代教授が「自分の影響か知らないが」と前置きした上で、若き中村青司はイタリアの建築家、ジュリアン・ニコロディに関心を持っていたと話す(P139)。むろん、『暗黒館の殺人』でかの館の建築に影響を与えた異郷の建築家として名が出る人物である。こちらの感想はまだお披露目していないから、これ以上は書くのを控えよう。まぁ、<館>シリーズを順番に読んでこそ得られる愉しみの一つを『黒猫館の殺人』も備えているのだ、と申しておきましょう。◆

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