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〈ヨハネの手紙・一第4章:〈偽りの霊と真実の霊〉&〈神は愛〉with“あす”のための仕込みにいそしむ。〉 [ヨハネの手紙・一]

 ヨハネの手紙・一第4章です。

 一ヨハ4:1-6〈偽りの霊と真実の霊〉
 いたすらに“霊”であれば信じなさい、というのではありません。それが神から出た例なのか、確かめる必要があります。というのも、いまや世に多くの偽預言者が出てきているからです。
 イエス・キリストは肉を伴ってわれらの世に現れた、と公言するのは神の霊が内にある人であります。一方、イエスのことを公にいうことのない霊は神とは無縁なので、これは反キリストの霊になります。あなた方がかねてから噂として聞いていた反キリストの霊の登場は既に現実のものとなっています。
 が、子らよ。あなた方は神に属する者であり、偽預言者を退けました。あなた方の内にある神の霊は、世に属するすべてに於いて優って強いからです。
 「わたしたちは神に属する者です。神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。これによって、真理の霊と人を惑わす霊とを見分けることができます。」(一ヨハ4:6)
 嗚呼、偽預言者たちは世に属していて、世の人々はかれらが話す世俗のことへ熱心に耳を傾けます……。

 一ヨハ4:7-21〈神は愛〉
 さあ、諸君、互いに愛し合おうではありませんか。愛は神から出、愛する者は皆神から生まれ、神を知っています。神は愛です。神の愛は独り子をわれらの許に遣わし、独り子によってわれらが生きるようになることで示されました。われらが神を愛するから神もわれらの愛するのだ、とは半分正しいが半分は誤りです。神はわれらを愛するがゆえに、われらの罪を償ういけにえとして御子を遣わした──ここに神の愛があるのです。
 斯様にして神がわれらへの愛を表明し、実行してくれたのですから、われらも互いを愛し合いましょう。未だかつて神を見た者など勿論いないけれど、神は自分の霊をわれら1人1人に分け与えてくれました。われらが互いを愛して神の内に留まるならば、神の愛はわれらの内で全うされているのです。われらは、われらに対する神の愛を信じて疑いません──!
 「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。
 愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。」(一ヨハ4:16-19)
 ──わたしは神を愛しています、と言い表していながら兄弟を愛さぬ者がいたとすれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者がいったいどうして目に見ることのできない神を愛せましょうか。互いに愛し合え、これが神の掟ではありませんか。

 われらが(漠然と)知るキリスト教の教義、「理念」というた方がよいのか、それと本章が完全重複するように思うのです。わたくしの一知半解ゆえの誤認識なのか、それともわたくしが感じたのは実は正解なのか。判断しかねますが、なんだかこれって教会で聞いたり、物の本で読んだこととよう似とるなぁ、思い出せるなぁ、と読書中、執筆中に脳裏を過ぎってゆくのでありました。
 今日の第4章は本書簡の核を成す部分、というてよいでしょう。あなた方の内に住まう神の霊の由来と強さ、神の霊とは如何なる程のものか。そうしたことが毅然とした筆致で書かれている。きっとこの手紙を受け取った人々は励まされたことでありましょうね。
 正直なところ、過去に読んだ書簡群を思い出してみても本書簡の本章ぐらい「神の愛」というものについて明瞭に記した手紙は、あまりなかったのではないでしょうか。シンプル・イズ・ベストが必ずしも正しいわけではないけれど、殊「神の霊」と「霊の真偽」についてそれぞれ述べた点はシンプル・イズ・ベストに相応しい、ブラームスの作曲上のモットーを拝借すれば「簡潔に、豊かに」が実践された箇所である、と思います。……そういえばブラームスのファースト・ネームは本書簡著者に由来する「ヨハネス」でありましたな……。



 「ユダの手紙」を終わるまで書物間のエッセイは封印。昨年10月中旬から読んできた書簡群は来週の土日で終わらせたいのである。為にエッセイは封印するのだ。むろん、そのあとに続く、新約聖書最後の書物「ヨハネの黙示録」に入る前には読書/執筆の準備と気分転換を兼ねたエッセイ期間は置く予定でいる。
 休みの今日(昨日ですか)は「ヨハネの手紙 二」前夜のためのメモを取り、アウトラインを作り、その後はひたすら米澤穂信『王とサーカス』(東京創元社)を読んでいた。そうして読了した(感想はまたいずれ)。棚に待機する米澤作品はあと3作、明日からは同じ太刀洗万智を主人公とした短編集『真実の10メートル手前』(同)を読む。
 米澤穂信が終わったら加藤シゲアキの『ピンクとグレー』、『閃光スクランブル』(共に角川文庫)。そのあとは再読となるがいよいよ谷川流『涼宮ハルヒ』シリーズ(角川スニーカー文庫)だ。が、その後も読みたい小説、紀行はたくさんあって、その山はわたくしを内心たじろがせ、姫に喝采を叫ばせている。
 いやはやなんとも、と頭を振りたい気分……。いや、実は喜びに頬がゆるんでいることへの照れ隠しだ。えへ。◆

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〈ヨハネの手紙・一第2章2/2&第3章:〈神の子たち〉、〈互いを愛し合いなさい〉他with汚濁末法の世を生き抜いてゆくために〉 [ヨハネの手紙・一]

 ヨハネの手紙・一第2章2/2と第3章です。

 一ヨハ2:28-3:10a〈神の子たち〉
 御子の内にいつもいれば、再臨については確信が持て、それが実現したらば御前で恥じ入ることもないでしょう。御子は正しい、と知っているならば、あなた方は、義を行う者が皆神から生まれたことがわかるはずです。
 われらへ注ぐ御父の愛がどれ程のものか、考えたことがありますか? それはわれらが神の子と呼ばれる程の愛なのです。そうして事実、われらは神の子なのです。神の子としてこれからわれらがどのような役割を担うことになるのか、それはまだわかりません。が、御子が現れるにあたってわれらは御子に似た姿になることを知っています。
 御子へ望みをかける人は、御子がそうであったように自分を清めます。
 罪を犯す者は法にも背く。道理であります。罪を犯すこと、法に背くこと、これらは同義です。御子は罪を取り除くために来ました。
 御子に罪というものはありません。ゆえ、われらも御子の内にある限りは罪とは縁なき者でいられる。逆にいえば、罪を犯す者、法に背く者は誰も彼も御子を見たことも、知ることもない、というわけです。
 子らよ、惑わされるな。義を行う者は正しい。罪を犯す者は悪魔に属す。神の子が現れたのは、悪魔を滅ぼすため。神から生まれた人は罪を犯さない、神の種がその人の内にあるゆえに。神の子らと悪魔の子らの線引きは明確です。正しい生活をしなさい。

 一ヨハ3:10b-18〈互いを愛し合いなさい〉
 自分の兄弟を愛さない者もまた、神には属していません。これは、あなた方が初めから聞いている教えです──汝ら、カインの轍を踏む勿れ。
 「わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです。兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなたがたの知っているとおり、すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません。」(一ヨハ3:14-15)
 イエスはわれらのために命を捨てた。それはわれらへ愛を教えました。われらも兄弟のため命を捨てなくてはなりません。有り余る富を持ちながら貧窮、欠乏する兄弟を見て手を差し伸べない者の内に、どうして神の愛が留まることがありましょうか。
 「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」(一ヨハ3:18)

 一ヨハ3:19-24〈神への信頼〉
 「愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。」(一ヨハ3:21-22)
 というのも、われらが神の掟を守り、かつ御心にかなう行いに努めているからです。神の掟、それは互いに愛し合いなさい、ということでした。それを守る人はいつまでも、どんなときでも、神の内に留まっていられますし、また、神もその人の内に留まっていることでしょう。それは、神が与えてくれた“霊”によってわかるのです。

 なんだか好きな章ですね。わが身に即して思うことができるためかもしれません。
 罪を犯す者は悪魔に属す。神に属する者は罪を犯さない。神に属するとは義を行う人。義を行うとは神の掟を守る人、「互いに愛し合え」という掟を守る人のことである。──なんと明快ではありませんか。
 なお、第10節は小見出しのつく箇所の不自然さを思うて私意により「10a」と「10b」に分割しました。

 本日の旧約聖書は一ヨハ3:12と創4:3-8、一ヨハ3:23とレビ19:18。



 いつまでいまの会社にいるのか、いられるのか、そんなのわからないし、わがことながら知ったことじゃぁないぜ、と思うている。とにもかくにも会社員であり続けるのは時に心痛を伴うけれど、勤続年数に比例して対外的な信用度は増すよね。住宅ローンの融資も審査は通りやすくなるし、不動産投資のため金融機関に行っても前向きに億単位の融資を検討してもらえる。もう嫁さん欲しいなんて夢、棄却したっていいや、なんて考えたりして。これをわたくしは不適切発言とは考えない。
 もっとミクロなところでいえば、社会人になって学生時代との違いをいちばん実感したのは、娯楽に割けるお金が増えたことです。具体的なところでは、好きな作家の単行本を懐をさして気にせず購入できるようになったこと、観たい映画気になる映画をさしたる逡巡なく鑑賞できるようになったこと(映画館前提)、でしょうか。
 すくなくともわたくしにとってこれらは、生きる愉しみです。時間との折り合いがつかなくて諦めること間々あるけれど件の愉しみが控えているからどうにか生きてゆける。次の休みを心待ちにできる。これらなくしてこの汚濁末法の世を生き抜いてゆく自信はまったくないですね。ちなみに「汚濁末法の世」とは生田耕作先生の言である。
 あと何年、生きられるのだろう。どれだけの本を読み、どれだけの映画を観、どれだけの文章を書き散らせるのだろう。人生は有限である。だからこそ……。◆

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〈ヨハネの手紙・一第2章1/2:〈弁護者キリスト〉、〈反キリスト〉他with次のブログのテーマのための参考文献〉 [ヨハネの手紙・一]

 ヨハネの手紙・一第2章1/2です。

 一ヨハ2:1-6〈弁護者キリスト〉
 あなた方が罪を犯すことがないように、と願いながら、わたしはこの手紙を書いています。万が一にも罪を犯したとして、あなた方には弁護者キリストがついています。この、御父の許にいる正しい方キリストこそ、「わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」(一ヨハ2:2)
 われらは神の掟を守ることで、神を知っている、と表明できます。裏返していえば、神の掟を守らない者は偽り者で、其奴の内に真理はない。
 神の言葉を守る人の内には神の愛が実現しています。これが、自分が神の内にあることの証明です。神の内にある、と表明する人はイエスが歩んだ如くに歩まねばなりません。

 一ヨハ2:7-17〈新しい掟〉
 わたしが書き、伝えるのは新しい掟ではなく、古い掟。あなた方がキリスト者となったとき聞いたことのある掟。その古い掟をわたしはいま新しい掟として書き、伝えようとしています。
 イエスにとってもあなた方にとっても、その掟は真実です。既に闇は去り、まことの光が輝いているのですから。しかし、たとえば、光のなかにいると表明していながら、──
 「兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がこの人の目を見えなくしたからです。」(一ヨハ2:9-11)
 兄弟たちよ。世も、世にあるものも、ゆめ愛してはなりません。世を愛する人の内に御父への愛はない。世にはびこる欲はどれも御父からではなく、世から出ているからです。
 世も、世にある欲もいつかは過ぎ去ってゆきます。が、御心の実行者は永遠です。

 一ヨハ2:18-27〈反キリスト〉
 ご存知のようにいまや多くの反キリストが現れています。これは終末の時の到来を告げ知らせるものです。かれらはわれらの前から去ったけれども、元々仲間ではありませんでした。仲間だったらわれらの許に留まっていたはずでしょう。
 聖なる方から油を注がれたあなた方は、<真理>というものを知っています。真理から偽りが生まれることはけっしてない、ということも知っています。
 「偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。」(一ヨハ2:22)
 どうかあなた方よ、キリストの福音によって信徒となったその初めから聞いていたことを、心に留めておいてください。初めから聞いていたことがあなた方の内にある限り、あなた方は御子の内にも、御父の内にも、普段からいることになります。実はこれこそが、御子によって約束された永遠の命なのです。
 ──以上、あなた方を取り巻く反対勢力について書きました。が、あなた方の内には御子から注がれた油があるのですから、誰彼から教えを受けるなどという必要はないのですよ。この油があなた方にすべてを教えるのです。
 真実はそこにあります。偽りが入りこむ余地はありません。
 ゆえ、御子の内に留まれ。反キリストに染まるな。

 〈弁護者キリスト〉も〈新しい掟〉も大事な話題であるが、なんというても本章のキモは〈反キリスト〉であります。反キリストについては〈前夜〉でグノーシス主義を掲げる人々を専らいうように書いたが、勿論グノーシス主義を以てのみ反キリストというのではない。この手紙が書かれた当時、キリスト教を巡る周辺環境は大きな変化を迎えていました。ローマ皇帝ネロやドミティアヌスによる弾圧/迫害や、異端というべき宗教思想の誕生等々。
 本稿で俎上に上すのは当然後者ですが、キリスト教からすれば異端、件の宗教思想の側から見てもキリスト教はイレギュラーと映る。この二律背反から<反キリスト>が登場するのは自明の理であります。即ち反キリストとは特定の思想による態度ではなく、幾つものそれらが表明したキリスト教/キリスト者に対する行動原理、一個の風潮、ムーブメントとして捉える方がよいのでしょう。
 ──本章前半部のノートが(相も変わらず)だらだらと、ほぼ転写に等しくなってしまったことをお詫びいたします。
 引用した兄弟を憎むな云々、一ヨハ2:9-11、自戒とすべし。



 聖書読書が終わったらグノーシス主義について腰を据えて調べてみよう、という次の目標が定まりました。以前から考えていたことではあるけれど、いまや数ある選択肢の1つからただ1つのテーマになった。長編小説『ザ・ライジング』の連載(分載か?)が終わったら、どれだけの期間を費やすか、どのテキストを用いるか、決まってはいないが、グノーシス関連のブログを新規開幕予定である、とまずは予告しておきます。
 そこで備忘を兼ねて「これだけは読んでおかねばなるまいな」という本を、以下にリスト・アップしておく。順不同。
 ・大貫隆『グノーシスの神話』(講談社学術文庫)
 ・筒井賢治『グノーシス』(講談社選書メチエ)
 ・青木健『古代オリエントの宗教』(講談社現代新書)
以上である。すべて講談社の刊行物としてのは偶然に過ぎぬ。
 また、参考として図書館から都度借りてくるものとして、──
 ・荒井献・大貫隆他『ナグ・ハマディ文書』(全4冊 岩波書店)
がある。但し、これをブログ読書のテキストとするならば、購入しなくてはならない。おお!
 そうして架蔵の宗教事典やキリスト教史などである。むろん、PKD『ヴァリス』も。◆

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〈ヨハネの手紙・一第1章:〈命の言〉&〈神は光〉with専用ラックをプレゼント、って新潮文庫だったっけ?〉 [ヨハネの手紙・一]

 ヨハネの手紙・一第1章です。

 一ヨハ1:1-4〈命の言〉
 初めからあったもの、われらが聞き、見、しっかりと目で見て、触れたもの──即ち命の言について、お伝えします。
 この命、つまり御子、キリストは現れました。われらは、自分たちの前に現れたこの永遠の命(これは元々御父と共にあったわけですが)を見て、あなた方へ証し、伝えるのです。
 われらが見て聞いたものをあなた方にも伝える理由は、あなた方もわれらとの交わりを持つようになるからであります。「わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。」(一ヨハ1:3)
 このように書く理由は、われらの喜びが世界中へ満ちあふれるようになるためです。

 一ヨハ1:5-10〈神は光〉
 神は光であり、神には闇がまったくない。これが、われらが既にイエスから聞いて、あなた方へ伝えようとしていることです。
 神との交わりを持っている、といいながら闇のなかを歩く人は、嘘つきです。真理を行う人でもありません。
 が、神は光のなかにいる。われらが光のなかを歩むならば、互いに交わりを持っていることになります。そうして、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
 「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」(一ヨハ1:9)
 ──罪を犯したことがない、と誰がいうでしょう? そんな台詞は神を偽りというのと同じで、発言者の内に神の言葉はありません。自分は罪など犯していない、という者は自らを欺いており、その者の内に真理はありません。
 
 闇のなかを歩く人、罪を犯したことがない人。かれらは反キリストの立場にある人です。当然、かれらのなかに神の言葉は刻まれていないし、わずかの真理さえ持ってはいません。対してキリスト者(であるわれら)は……、と著者は語ります。この反キリストの行為を読むとき、その背後に著者の憤激に似た感情を認めてしまうのは一人、わたくしだけでありましょうか。
 キリスト者はイエスの血によってあらゆる罪から清められている。勿論これは、十字架上の死、パウロの思想にも通じる<十字架の神学>であります。これまでも何度となく新約聖書に現れ、われらも読んできたテーゼですが、〈前夜〉でも触れたように反キリストは肉なる状態にあったイエスを悪と見做し、十字架上の死も復活も否定する。──そんな背景あってこその本章後半であります。
 ……お読みいただいてわかるでしょうし、或いは5日目を読めばおわかりになりましょう、本書簡には手紙の定型である〈挨拶〉と〈結びの言葉〉が存在していないことに。元々あったのが新約聖書に収められるまでに欠落してしまったのかもしれないけれど、まさかそんな上手い偶然があろうとは思えません。最初からなかった、と考える方がむしろ自然です。それが為に本書簡は別の通信文に添えられた回状ではなかったか、とわたくしは想像するのであります。



 むかしむかしのことだと思ってほしい。自分が高校生の頃、否、或いはもうちょっとあとだったかも。夏恒例の「新潮文庫の100冊」は当時からあったけれど、帯の端っこに印刷された応募券ね、あれを30枚とか50枚とか送るとあくまでそれなりな賞品がもらえた、そう記憶します。賞品に目がくらんで一所懸命買って読んで集めたことはないけれど、いや、無料配布の目録にはその写真が出ていてなんとなく記憶の底に留まっている、という話ですよ、コホム。
 で、その100冊の賞品なんだけれど、応募券100枚集めて出版社に送ると豪華賞品なる名目で全点が収納可能な木製ラックがもらえます、っていうのは新潮文庫ではなかったかな。文庫にも厚さというものがあるから全冊を収めることは微妙に不可能な気が、当時からして仕方なかったんだけれどね。もし新潮文庫じゃなかったらごめんなさい。でも、たとい目録が貸し倉庫にあっていま開いて確かめることができなくとも、それは新潮文庫であったという確信が9割8分はあるのだ……残りの2分は照れ隠しであると誰が信じてくれるか。
 どうしてこんなことを書いているかといえば、何年も前に東急ハンズで購入した木製CDラックへ試しに新潮文庫を詰めてみたら約60冊が収められたからなんだよね。そこで湧き起こった疑問──本当にあの木製ラックに文庫100冊を収蔵することは可能だったのか?◆

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〈「ヨハネの手紙 一」前夜〉 [ヨハネの手紙・一]

 どこにその端緒を求めるか、となると諸説あるやもしれませんが、キリスト教が誕生して半世紀も経つ頃にはそれもローマ帝国内では無視し得ぬ大きな勢力となっておりました。そうして、時を同じうして種々の宗教思想が生まれて帝国領内緒地方に広まりつつありました。本書簡、「ヨハネの手紙 一」はそんな時代に書かれたのでした。
 種々の宗教思想、と申しましたが、キリスト教の側から見れば異端となるそれらのうち、最も考えて然るべきはグノーシス主義ではないでしょうか。キリスト教にとってグノーシス主義が異端とされるいちばんの理由は、キリスト(救い主)としてのイエスを否定するがためであります。
 グノーシス主義は「霊は善であり、肉(物質)は悪である」と考えました。ゴルゴタの丘で処刑されて絶命するまで、ナザレのイエスは肉の人でした。グノーシス主義にとってそれは認め難き悪なのです。これはいい換えると、イエスは霊それ自体でしかなく、十字架上の死とその後の復活も現実の出来事にあらず、となります
 神は、肉体という器に別れを告げたときにイエスを霊の世界へ移し、永遠の命を与えて祝福しました。グノーシス主義はこれを否定、生前のイエスは誰もが目撃できるよう具現化された幻でしかない、という。今回読む「ヨハネの手紙 一」でいえば、反キリストはキリストが救い主、贖い主であることを認めず(一ヨハ2:22-23)、かつ肉体を持って生活していたことさえも否定します(一ヨハ4:2-3)。反キリストとは、すくなくともグノーシス主義に感化された人々、と捉えてまずはよいでありましょう。
 普通に考えれば相容れないように映る両者──キリスト教とグノーシス主義が一部に於いて手を結ぶことを企て、受容と融合の方へ向かったのは、おそらくはキリスト教がローマ帝国の諸地方へ拡散、伝播してゆく過程で経験しなくてはならなかった踏み絵にも似たものだったのかもしれません。発展のためには清濁併せ呑むのも止むなし、というところでしょうか。
 わたくしはグノーシス主義というものを20歳の頃、フィリップ・K・ディックの《ヴァリス》3部作、就中『ヴァリス』巻末に添えられて本編にも引用される「釈義」を通して知りました。こうして新約聖書の読書を始めて以来、しばしば立ち現れるグノーシス主義については、いつかきちんと参考文献を読んで知識を定着させなくちゃぁな、エッセイの一編でも物せるようにならなくっちゃな、と思い思いしておりますが、意欲ばかりで肝心の勉強はさっぱりです。が、本書簡の読書を契機にそれを実現させられるよう努めたく存じます。
 さて、仕切り直し。
 本書簡が専ら説くのは、神に対する愛であります──まさしくキリスト教の教義としての<愛>。これは一ヨハ4:16-19に明らかであります。
 「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。」(一ヨハ4:16-19)
 一ヨハの内容を簡単にまとめれば、こんな風になるでしょう。曰く、反キリスト、神に属していない者のようになることなく、信仰を全うして、神の愛に浴し、神を信頼し、世に打ち勝つよう努めよう、と。「この世全体が悪い者の支配下にある」(一ヨハ5:19)ゆえに。
 これまでも言語にあたりさえすれば構文の妙は感じられたかもしれませんが、翻訳でそれを鑑賞するのは難しかった。しかし、本書簡ではそれを一端なりとも確認できそう。というのも、ここでは対比を駆使してキリスト者と反キリスト者の相違を鮮明にしているからであります。そうしてそれはこういうようになります。「キリスト者は〜〜だから〜〜である。反キリスト者は〜〜だから〜〜である。ゆえにキリスト者は是であり、反キリスト者は非である」と。
 上に併せて述べれば冒頭一ヨハ1:1「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。──」は本書簡の通奏低音であり、ライト・モティーフであり、主題であります。ここに本書簡が如何なる性格を持つか、簡潔に語り尽くされている。そのあとに続くすべての文言は常にここから出発し、常にここに帰ってくるのです。「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。」(一ヨハ2:24)
 ところでその一ヨハ1:1ですが、これまでに読んだ或る書物を思い出させないでしょうか、然り、「ヨハネによる福音書」であります。神学に於いても語法に於いても双方はとてもよく似る、とはフランシスコ会訳の解説(P665)。語法についてはわかりませんが、その内容、その思想に関しては共通するものを多く感じます。すくなくとも、けっして無関係ではない。
 こうした理由から本書簡(と続く2つの書簡)は、「ヨハネによる福音書」や「ヨハネの黙示録」と同じく12使徒の1人、イエスの母マリアの世話をした使徒ヨハネとされています。そうしてそれはほぼ間違いなさそうであります。かりに著者について他説あったとしても、この著者:使徒ヨハネ説を覆して論の首座に就く程のものではないでしょう。
 執筆時期については、90年代後半から2世紀初頭というのが有力。ヨハネ著とすれば自ずと浮上する年代と申せましょう。
 新約聖書に収まるヨハネ著の5書が執筆された順番は、「ヨハネによる福音書」→3書簡→「ヨハネの黙示録」とされる由。但し、3つの書簡と「ヨハネによる福音書」は比較的近い時期に書かれた、とわたくしは思います。たしかに「ヨハネの黙示録」は流刑地パトモス島で受けた啓示を基に書かれましたが、実際にその地で筆を執るだけの余裕があったのか、甚だ疑問であり、想像し難い。かれは流刑解除後にパトモス島を出て小アジアのエフェソへ移住、そこで庵を結び晩年を過ごしました。従って執筆場所は小アジアに於けるキリスト教の中心地エフェソと定めて構わないでしょう。
 「わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。子たちよ、偶像を避けなさい。」(一ヨハ5:20-21)
 それで明日から1日1章の原則で「ヨハネの手紙 一」を読んでゆきましょう。◆

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〈それがまったく記憶にないのです。──アルバム『Huey Lewis & The News』を例にして。〉 [日々の思い・独り言]

 ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースのデビュー盤にして1stアルバム『Huey Lewis & The News』を初めて聴いたのはいつだったかな。倩思い返してみると、中学3年のことと覚えている。曖昧な物言いをせざるを得ないのは、初めて聴いたときの体験が当時のどの出来事ともリンクしていないからだ。
 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観て、商店街のレコード屋で「パワー・オブ・ラブ」と「バック・イン・タイム」のシングル盤(ドーナツ盤!)を購い、その時点での最新アルバム『SPORTS』へ手を伸ばしたのだろう。……と思うのだが、実際はどうだったかしらん。
 洋楽に目覚めた中学3年の1年間はとっても濃厚で、享楽的かつ数々の新しい世界の扉を開けた年だったからねぇ、正直なところ、因果関係や前後関係などそれがまったく覚えていないのです。え、受験勉強? ああ、そういえばそんなイヴェントもありましたな。いわれてみれば、確かに。
 肝心の『Huey Lewis & The News』だが、初めて聴いたのがいつであったか思い出せないどころか、収録曲の「スーナー・オア・レイター」と「うちあけないで!」(ドント・エヴァー・テル・ミー・ザット・ユー・ラヴ・ミー)のMVを観たのがアルバムを聴く以前であったか以後であったか、それさえはっきりしないのだ。記憶が混濁している、というよりも、物事のあるべき順番がシャッフルされてしまっている、というのがより正解に近い。
 この2曲のMVはたぶんTVKの洋楽番組が初見だっただろう。それはレギュラー番組でなく、HLN特集であったはず。その2曲を手始めに2ndアルバム『ベイエリアの風(PICTURE THIS)』、3rdアルバム『SPORTS』、4thアルバム『FORE!』から数曲ずつ、そうしてトリに放送時点での最新作だった5thアルバム『Hard at Play』から「カップル・デイズ・オフ」と「ヒー・ドント・ノウ」が流れて〆となり、その直後の告知で来日公演がアナウンスされた──そんな構成であったと記憶している、はっきりと。リビングのサイド・ボードを探せばそれを録画したVHSテープが発掘できるだろう、捨ててしまったり消去したりしていなければ。
 HLN特集なんてそうそうプログラムされて流される番組ではない(失礼!)。それこそ来日公演がなければ、かれらのMVをまとめて地上波で観られるなんて、たといかれらの全盛期であった1980年代後半から1990年代初頭と雖もそうは経験できない事件だろう。ゆえにわたくしの上記の記憶に誤りは殆どないと信じる。さて皆さん、ゲームの時間です。オッズは如何程に?
 これから中3時代の友達に連絡をとってみよう。互いの近況報告も兼ねて、中学ン時の俺って『Huey Lewis & The News』聴いていたか覚えてる? って。◆

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〈さぁ、わたくしも「新潮文庫、夏の100冊」を選んでみよう!〉 [日々の思い・独り言]

 いよいよ夏到来(と思われる)。この世になぜこうも人間を醜くさせる季節が存在するのか、もはや理解する気も毛頭ないが、夏なくして四季の彩りと情趣に富んだわが祖国の有り様は崩れてしまうから、いまはこの点について個人の意見をここに開陳して沙汰するのはやめておこう。
 早々に逸脱しかけた話題を本道に戻す。新刊書店へ行くと各社が力を入れてセレクトした<文庫の100冊>が平台を占拠している。高校時代からその手のキャンペーンの益に与ること極めてわずかであったが、中綴じの目録にはずいぶんとお世話になり、かつ楽しませてもらった。向こう100年生きたとしても、まず手にすることはあるまい書目を知って「ほう」と溜め息し、知る書目を見出しては「むへっ」と喜んでみたりしてね。10数行のあらすじを読むのもじゅうぶん想像力を刺激されて面白いのだが、わたくしがこの中綴じ目録でいちばん喜びを感じたのは、作家たちのエッセイであったり編集子の著すコラムであったりランキングであったりなのだった(ふしぎとプレゼントには興味が湧かなかったぁ)。
 年を経るに従って<夏の100冊>のリストは大きく変貌した。殊、日本文学に於いて。それも当たり前のことだ。どの業界にも新陳代謝は必要である。永遠不変のリストなどあり得ない。100冊の書目すべてが時間の淘汰に抗っていつの時代でもエヴァーグリーンであり得るなど、不可能だ。それは狂気の沙汰、ともいう。なにが消えてなにが残ったか、詳しく検証する気はわたくしにない。わたくしが本稿で扱いたい話題は、そうしたことでなく、つまり、──
 自分流の<(夏の)100冊の文庫>リストを作ってみたいのだ。各社のそれに対抗しての作業であるから当然出版社別となる。取り敢えずはいちばんメジャーで、自分も高校時代からお世話になって親しんでいる新潮文庫から。ここなら100冊はともかく、8割程は半日あれば候補作を選べる自信がある。むろん、そのあとの作業は延々と続いて悩み抜き、苦しみ、悲しみ、嘆き、キレることもあるだろうが、それを想定範囲内といわずにどうするか。呵々。
 先の心配はともかく、その作業へ取り組むにあたってはなにをさておき、ルールを定めなくてはならない。さして大層なものではないが、ルールなくしてなんのゲームであろう。ルールは全部で3つ、──
 1:一作家一作品を旨とする。
 2:選定作品は2016年春現在で刊行目録に載る書目のみとする。
 3:シリーズ作品は一作品と数えて、かつ完結作のみとする。
──以上。
 「1」と「2」はともかくとして、「3」はどんな理由から? とあなたは訊くだろう。むろん、目論見あってのことである。わたくしはこの我流<新潮文庫の100冊>(もはや「夏」って単語が欠落しているというね)にスティーヴン・キング《ダークタワー》シリーズと塩野七生《ローマ人の物語》を選ぶつもりでいるのだ。ご存知のように双方共に関数が多い。前者は全7部16巻、後者は全15巻43冊──律儀にカウントしたら100冊の半分以上を占めてしまうことが判明している以上、ルール「3」を設定して処置するより他ないではないか。
 まぁ、それは冗談として、斯く定めたのは今年の「新潮文庫、夏の100冊」に宮部みゆき『ソロモンの偽証』があって、にもかかわらずそこに選ばれたのは発端となる第一部上下2巻のみであったからだ。あちらは販売ありき、数字ありきのリスト。こちらは販促とは無縁の自分勝手なリスト。比較すること自体、間違っているね。たしかに。
 とはいえ、なのだ。分冊であれシリーズであれ、1つの作品をその一部だけ挙げてオススメというのは気が引けるし、なによりも物語への最大級の冒瀆なのでないのかな。一部だけ切り売りされた作品の最初の巻を手にしてそのまま最後の巻、最後の一行まで読むような読者が果たしてどれだけいるだろう。新刊書店や古書店、新古書店で続きの巻を買う、もしくは図書館で続きを借りる人がどれだけいるか、という話だ。ならばいっそのこと、わたくしの作るリストでは全部まとめて「1作品」として紹介する方が、却って読者のためであり、作品のためでもあるんじゃぁないのかな。
 閑話休題。小休止だ。黒ビールをもう1杯。……5分経過、ぷふぁあっ! ん、げっぷ出た……では、気を取り直して再び筆を執り、本稿結びの一語へ向かおう。
 実はわたくしなりの<新潮文庫の100冊>、書目の選定作業はもう殆ど済んでおり、そのうちの半分ぐらいは概ね決定というてよい。日本人作家については前述の塩野七生以外は夏目漱石、内田百閒に始まり太宰治、三島由紀夫(やっぱりこの組み合わせは面白いですなぁ)を経て米澤穂信、有川浩に至る。外国人作家はスティーヴン・キングの他はルソー、シェイクスピアから始まりヘルマン・ヘッセ、トーマス・マンを経てジェフリー・アーチャー、サイモン・シンまで。どんな作品が既にリストに挙がっているか、教えてあげたいけれど教えてあげられないよ、じゃーん。どれほどの脅迫も色仕掛けもわたくしには通用しないのだ。巨額の現金による買収は可能だけれど(おい)。
 小説、戯曲、詩、エッセイ、思想、ノンフィクション。ジャンル不問で100冊を選ぶのは非常に楽しい。ああでもない、こうでもない、と頭を悩ませながら選定作業を進めてゆくのは、とっても愉しい。そう、至極悦ばしい作業なのだ、書目を決めるだけならね。が、事はそう単純なお話ではない。わたくしはこのリストに200-400字のコメントを付けることも企んでいるからだ。いま脳内会議が緊急収集されて議論の応酬を深めているが、なに、読者諸兄がそう気にされることではない。スポークスマン、会見の準備を。読者諸兄に安心せよ、と語りかけたまえ。
 ──それにしても、わたくしはどうしてこのような、大海へ筏で挑むような作業に取り組もうと決めたのだろう。このエッセイを綴りながらずっと自問していた。結論は出なかった。仕方ないから大雨降らせる空を見あげて目を細め、手庇を作って、「太陽の仕業だよ、きっと」と呟こう。これの原作が新潮文庫に入っていないことは百も承知である。◆

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〈ペトロの手紙・二第3章:〈主の来臨の約束〉withプロコの《ロメ・ジュリ》を聴きながら、「ペト二」読了の挨拶。〉 [ペトロの手紙・二]

 ペトロの手紙・二第3章です。

 ペト二3:1-18〈主の来臨の約束〉
 わたしはあなた方宛の2度目の手紙を書いています。なぜならば、聖なる預言者たちがかつて民へ語った言葉と、使徒たちが伝えた救い主キリストの掟を思い出してほしいからです。
 待てど暮らせど予告されている主の再臨が実現しないことについて、肉の欲望の赴くままに生活する口さがない者らが嘲っています。が、かれらは認めようとしないだけなのです。天は太古の頃より存在したことを。地は水を元として造られましたが当時の世界は洪水で滅びたこと、現在あるこの世界に於いて天と地は、御言葉によって終末の日に不道徳な者らが裁かれるときまで維持されるのです。
 主の許では1日は1,000日に等しく、主の許では1,000年は1日に等しい。再臨について、「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」(ペト二3:9)
 すべてのものは滅び去る、と決められています。終末の日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽きて熔け去ることでしょう。なのであなた方は聖なる者として信心深い生活をしなくてはなりません。われらは義の宿る新しい天と新しい地を神から約束されていて、それを待ち望んでいるのです。
 兄弟たちよ。なんの瑕疵もなく、平和に過ごしていると神に認めてもらえるよう励みなさい。われらが主キリストの忍耐強さと救いを考えなさい。
 パウロが諸方へ書き送った手紙のなかにはちょっと難しくて、これはどういうことなのだろう、と小首を傾げてしまうところが散見されます。心の定まらない人はそうした箇所を聖書の他の部分同様に曲解し、自らの滅びを招いてしまっている。
 「愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。」(ペト二3:17)
 主キリストの恵みと知識によって成長してください。
 キリストに栄光あれかし。アーメン。

 再臨は遅れているけれど必ずそれは実現する。だからあなた方は信徒として為すべきを為し、努めるべきを努め、心身を清らかにしてその日を待っていなさい。──信仰の維持と待ち望む励ましの呼びかけを以て本書簡は擱筆されました。
 〈前夜〉で書き洩らしたのですが、〈パウロ書簡〉に触れた箇所。本書簡の著者の手許にパウロが書いた手紙が集まっていたのは事実の様子。が、それは新約聖書に収まる〈パウロ書簡〉すべてであったのか、それともその一部か、もしくは〈パウロ書簡〉に収まる手紙と散逸した手紙双方を著者は入手していたのだろうか。定かではありません。
 加えて、〈パウロ書簡〉が旧約聖書のように神に啓示を受けて書かれたものとして扱われているフシがあります。実はこの〈パウロ書簡〉の扱い方が、本書簡の執筆年代を、ペトロ殉教後の1世紀後半から2世紀初頭と考える所以なのであります。ペトロ存命中にパウロの手紙が聖書と同等に扱われるだろうか? そんな疑問の発生から、本書簡がペトロ殉教した後に所謂ペトロ派の誰彼がその名を借りて、キリスト再臨の遅延と偽預言者が出現した際の警告を柱とする本書簡を認めたのだ、と考えられたのであります。
 ああ、わたくしが生きている間にタイムマシンが発明・実用化されたら、そうして運用の安全が確認されたらば、ナザレのイエスの生涯をつぶさに見、その復活の真なるか否か、そうして使徒たちの行く末を観察すると共に、新約聖書に収まる書物群の著者や執筆年代と場所を知りたいものであります。

 本日の旧約聖書はペト二3:5と創1:1及び9、ペト二3:6と創7:21-23。



 クラウディオ・アバド=ベルリン・フィルによるプロコフィエフのバレエ組曲《ロメオとジュリエット》を聴きながら本稿擱筆。このあとは同コンビによる最後のコンサート、メンデルスゾーン《真夏の夜の夢》とベルリオーズ《幻想交響曲》を聴きます。
 いやぁ、しかし。新約聖書の読書もここまで来ると、もはや一書が読了するごとに新たに湧いてくる感慨なんて殆どないんだよねぇ、というのが本音です。そのたびごとに胸を占める思いはあるのですが、いまはひたすら前進。
 が、それでも──
 読者諸兄よ、常と変わることなき支援と閲読をありがとうございます。姿も名も知らないあなた方のお陰で、わたくしは日々文章を書き、本ブログの更新を続けられている。こんなに幸せなことはない。読者なくしてなんの読み物でしょう?
 残り数ヶ月となりますが、これからもどうぞ宜しくお願い致します。◆

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〈ペトロの手紙・二第2章:〈偽教師についての警告〉with毎日更新のホントの裏事情。〉 [ペトロの手紙・二]

 ペトロの手紙・二第2章です。

 ペト二2:1-22〈偽教師についての警告〉
 かつて民のなかに偽預言者がいたように、やがてあなた方のなかに偽教師が現れるでしょう。かれらは滅びをもたらす異端を密かに持ちこみ、贖い主キリストを拒絶します。そうして多くの人がかれらの淫らな生活を模倣し、自分たちの内にある真理の道をゆがめてしまうのです。欲深なかれらはあなた方を喰い物にしようとしているのであります。が、ご安心ください。偽教師への裁きは遅滞なく実行されますから。
 神は公正な裁きを行います。ノアの時代の洪水では不信心で不道徳な者らを滅ぼして義の人ノアとその家族のみを生かしました。ソドムに暮らす罪深く、ふしだらな生活を送る者どもを町ごと硫黄の火で滅ぼして、そのなかに在って正しく生きたロトを助けました。
 「主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。特に、汚れた情欲の赴くままに肉に従って歩み、権威を侮る者たちを、そのように扱われるのです。彼らは、厚かましく、わがままで、栄光ある者たちをそしってはばかりません。」(ペト二2:9-10)
 不義を行う者はそれに相応しい裁きを受けます。偽教師たちは心の弱い人を巧みに誘惑してゆきます。かれらの心は強欲に溺れています。かれらは呪いの子なのです。正しい道から離れて彷徨い歩くかれらは、モアブの預言者バラムと同じ末路を辿るのです。
 かれらはキリスト者を信仰から引き剥がして、肉の欲や淫らな楽しみで誘惑する。自分たちが滅亡の奴隷である、とわかっているのでしょうかね。
 キリスト者となって罪を清められ、せっかく信仰篤くなって世の汚れから逃れられたと雖も、偽教師たちによって以前の状態に戻ってしまうなら、事態は更に非道いものとなります。「義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる掟から離れ去るよりは、義の道を知らなかった方が、彼らのためによかったであろうに。」(ペト二2:21)

 本章を読んでいると、偽教師による誘惑に打ち勝つのはなかなか困難なようだ、との印象を受けます。一旦は信徒になりながらも屈して以前の生活、否、それよりも悪い生活へ戻ってしまう人がいることに、納得、納得。大変な思いをして<上>に至っても転落するのは簡単だ、ということでしょうか。ペト二2:22で引用された2つの諺はそれを雄弁に語っております。
 「犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」
 「豚は、体を洗って、また、泥の中を転げ回る」

 本日の旧約聖書はペト二2:5と創6:9及び11-13並びに同7:6-24、ペト二2:6-8と創13:12-13及び同19:全節、ペト二2:15-16と民22:4-35、ペト二2:22と箴26:11。
 モアブの預言者バラムの挿話は民22-24章に及ぶ。



 暑さにめげず、疲労を友に、一時怠けがちだった本ブログの原稿書きと毎日更新を一所懸命に行っている。直接わたくしを知る知己の人々は「また頑張り始めたね」と声をかけてくれる──ありがたい限り。
 どうしてまた頑張り始めたのか、その真意を知る人は、ところでどれだけいるのか。つまりは1日も早い完結目指して、疲れた体と脳みそに鞭打っている結果だ。前にも述べたが、今秋の完結が視界に入った以上は、<その日>の訪れを実現させるため一層の奮闘に努めるのは当然だろう。
 が、実は片手で数えられる程の人しか知らない。今秋、おそらくは9月──15年目の“9.11”に間に合えばいいけれど、それは難しいかな──の本ブログ完結後、わたくしがどこへ行こうとしているのか、を。
 知りたい? じゃあ、教えてあげる。では、有効期限内、無記入のジャンボ宝くじ1等の当選券3枚を(無条件で)わたくしにください。モナミ、なにかためらうことでも?◆

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〈ペトロの手紙・二第1章:〈挨拶〉、〈神のすばらしい約束〉&〈キリストの栄光、預言の言葉〉with本の話と機械的な日々。〉 [ペトロの手紙・二]

 ペトロの手紙・二第1章です。

 ペト二1:1-2〈挨拶〉
 われらが神と主キリストの義によってわれらと同じ尊い信仰を受け入れたあなた方へ、イエス・キリストの僕にして使徒であるわたしシメオン・ペトロが手紙を書き送ります。
 どうぞあなた方に平和と恵みが豊かに与えられますように。

 ペト二1:3-15〈神のすばらしい約束〉
 主イエスは命と信心にかかわるすべてのものを与えてくれました。というのも、栄光と力ある業とで召し出してくれた方を認識させるためです。この栄光と力ある業とによって、神はわれらへ素晴らしい約束を与えました。神の本性にあずからせるためです。
 信仰。徳。知識。自制。忍耐。信心。兄弟愛。そうして、愛。これらのものが備わり、ますます豊かになるならば、あなた方は怠惰な生活に染まることなく主キリストを知るようになるでしょう。
 逆にこれらを備えていない者は視力を失っているも同然です。地殻の者が見えず、以前の罪が清められたことを忘れた者たち……。
 ああ、兄弟たちよ。選ばれたこと、召されたことを誇りに思いなさい。それを確固たるものとするよう励みなさい。上に述べた事柄を実践すれば、罪に陥ることなどゆめありません。斯くしてわれらは救い主キリストが滑る永遠の御国へ入ることができるのです。
 わたしの望みは、以上のことをあなた方が思い出してくれること、それによって奮起してくれることです。それが、この体をこの世の仮の宿としている間に果たすべき役目である、と思うています、──
 「わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。自分が世を去った後もあなたがたにこれらのことを絶えず思い出してもらうように、わたしは努めます。」(ペト二1:14-15)

 ペト二1:16-21〈キリストの栄光、預言の言葉〉
 われらはキリストの栄光を伝えるために話を創作したことはありません。そんな必要があったでしょうか、われらはキリストの栄光の目撃者なのに?
 かつてわたしペトロはヤコブとその兄弟ヨハネと一緒に主に伴われて、聖なる山へ登りました。そこでわれらは荘厳なる栄光のなかから「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」という声が響くのを聞きました。そのとき主は父なる神から栄光と誉れを受けたのです。
 「こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。
 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。」(ペト二1:19-21)

 昨日、本書簡の執筆年代についてペトロ真筆ならば64年頃、と記しました。本書簡のなかにその根拠を求めれば、ペト二1:14「この仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです」なる一文がそれとなる。一旦は離れたローマへ戻って逮捕されたあと、手紙を認める余裕があったとは思えません。
 パウロはローマへ護送されたあと丸2年にわたって軟禁状態となっており、その間伝道に努めた旨「使徒言行録」にありますが(使28:30-31)そうですが、当時のパウロとこのときのペトロとでは置かれた状況が随分と異なります。
 為、本書簡はローマを離れる直前のペトロが逮捕の不安に怯えつつ、命の危険を感じつつ、筆を執って、要点を絞って書いたものなのでありましょう。ペトロの最後の聖訓、と捉えてよいと思います。
 後半でペトロが回顧する、イエスに連れられて聖なる山に登り、そこで声を聞いたという件。これは共観福音書にある挿話で、マタ17:5-6、マコ9:7-8、ルカ9:34-36に記載があります。なお、ここでいう「聖なる山」(ペト二1:18)とはタボル山もしくはヘルモン山と考えられています。



 相も変わらず米澤穂信を読んでいる。『さよなら妖精』を読了したいまは『王とサーカス』(東京創元社)。『さよなら妖精』に登場した太刀洗万智が主人公の長編小説で、ようやく物語が本格的に始動してきたところだからなんとも判定しかねるが、なかなか面白くて短い時間のなかページを繰る手が止まらなくて、困る。
 渡部昇一だったかな、恩師に流行りの小説を貸したところ、こういう面白い本は寝不足になってよくないね、と著書で綴っていたのは。昨今この言葉をこうも実感させる小説と出会うたことはない。そんな意味では僥倖ともいえる1冊。
 なんだかね、本を読んでいるときとこうして文章を書いているときだけが安堵できる、救いの時間なんだ。あとの時間はずっと煉獄の炎で焼かれている気分ですよ、はい。
 顧みればわたくしのちかごろの行動は判で押したように穏やかで、機械的だ。本音をいえばあまりの刺激のなさに溜め息吐いてしまう。が、わたくしには<ピース>を欠いた人生しかないのである。腫れ物に触るような感じで扱われ、終には「こんなはずではなかった」と呟きながらこの世を去るのだろうね。まぁ、どうでもいい話なのだけれど。誰しも望んだ人生を謳歌できるわけでもないから、仕様がないか。
 暗い話はここまで。というて、明るい話が始まるわけでもない。それよりなにより、もうすぐ終わる。
 いま読んでいる本について触れた。待機中の米澤穂信は他に3冊ある。冊数が膨れあがったことは想定外、ゆえに予定も大きく遅れが生じているわけだが、これについて特に沙汰する気はない。喜ばしき時代が出来した、と思えばそれで良いのです。更なる想定外として特記することがあるとすれば、宮部みゆきの時代怪談が4冊ばかり加わったことかしらん。んんん、ゴールとして用意した畑野智美『海の見える街』(講談社文庫)に辿り着くのは、いったいいつのことなのだろうね、モナミ? 今年の読書予定リストには明日明後日中に有川浩の新刊『アンマーとぼくら』(講談社)が追加されるというのに……。
 さて、朝から降っていた雨があがった。現在21時23分(注:本稿入力時点では22時01分)。<スタバでMac>してから家路に着くか──。◆

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〈「ペトロの手紙 二」前夜〉 [ペトロの手紙・二]

 聖書ではたびたび偽預言者、偽教師について注意が喚起されてきました。たとえば旧約では王上18:1-40やエレ14:13-16、新約ではマタ7:15やマタ24:11などがありました。これから読む「ペトロの手紙 二」(「ペト二」)が取り挙げる話題の中心となるのも偽教師への警戒を促すものです。曰く、偽教師が現れて信徒を惑わそうとしている、かれらの言葉に耳を貸すことなく信仰を純粋なまま持ち続けよ、と。
 ふしぎなことに大衆は偽者の言動を支持し、これへ右に倣えする傾向があります。なにを以て偽者というか、対象が一個人の思想や行動にかかわると一概に規定はしづらいですが、本ブログの場合それはキリストの福音や再臨を否定する者、ということになる。
 これまではかれらの存在に気を付けよ、という程度のことだったのが、本書簡と、読むのは2週間ばかり先になるけれど「ユダの手紙」ではいよいよかれらの存在が具体的になってきたようで、両書簡にて触れられる偽教師に対する警告は以前よりも微細にわたっております。逆の見方をすれば、手紙の著者が仄聞した偽教師の評判は無視できないぐらいのものとなっていて、その人心掌握術はじゅうぶん警戒に値するものだったのでしょう。
 本書簡は1章につき1つのテーマが語られているので、そうした点では非常にわかりやすく全体を俯瞰することができます。「ペト二」で語られる内容は3つに大別できる。1つは、キリストを通して与えられる神の約束。1つは、前述の偽教師への警戒。最後に、キリストの再臨。
 ここでは3つ目についてちょっと触れておきます。かつてはキリストの再臨がすぐにでも実現する、と考えられていた時代がありました。それは概ね第一次ユダヤ戦争に於ける70年のエルサレム陥落を1つの区切りとして、信じられていたようであります。が、時間が経つにつれ、時代が下るにつれ、初めは再臨を信じていた人もだんだんと疑心暗鬼になってゆき、終いにはペト二3:4のような台詞を吐くに至るのであります。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか」
 この点について本書簡が述べるのは、「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」(ペト二3:9)ということ。要するに「準備中」という名の「保留」であります。
 未だ実現しないキリストの再臨は、それでもやがて果たされる約束なのだから、自分たちの信仰を大切にし、その堅固な足場を失わないようにして、神に認めてもらえるよう信徒として為すべきを為して励め。──本書簡は最後にそのようなメッセージを伝えて〆括られます。
 では、本書簡はいつ、どこで、誰によって書かれたのでしょうか。実はここが問題なのです。昔から様々論じられてきましたが、概ね以下の2つの考えにまとめられるようであります。箇条書きにすれば、──
 ①「イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロ」(ペト二1:1)によって64年頃、おそらくはローマで書かれた。
 ②ペトロ派の人物によって1世紀後半(70年以後)から2世紀初頭にかけて、どことは推定しかねる場所で書かれた。
 前者はともかく後者については、「ユダの手紙」が大きく関係してきます。というのも、「ペト二」と「ユダ」には偽教師への警戒というテーマが重複しており、新約聖書外典を出典とした文言があってそれが似通っているから、というのです。浅学のわたくしには原典にあたって影響関係など指摘できないのが残念でなりません。が、フランシスコ会訳の両書簡の解説をまとめると、──
 ・ペト二2-3(特に2:1-18,3:1-3)とユダは非常に似ていて、「ペト二」は「ユダ」もしくは共通の資料に依存している、と考えられる(P648)。
 ・「ペト二」と「ユダ」は近しい思想を持っており、「ユダ」には外典「エノク書」からの引用が多いので、それを踏襲した「ペト二」は「ユダ」よりも後の時代に成立。「ペト二」の著者は「ユダ」を参考にした(P681)。
 つまり「ユダ」は「ペト二」に先行し、「ペト二」は「ユダ」に依拠している(部分がある)、というわけです。
 正直なところ、なにが正しいのかはわかりません。考える程深い霧の更に奥つ方へ迷いこんでゆく思いが致します。偽教師の出現について「ペト二」は未来の出来事として語り、「ユダ」では既定の事実として語られていることを見れば、成立年時は①と見るのが妥当でありましょう。が、それだけでは片附けられない問題が潜んでいるのも事実。ただわたくしはこの件について、「ペト二」が「ユダ」に依存しているというよりは、時代と場所を隔てて偶々同じ話題が扱われただけのように思えてならないのです。
 「ある章句が極めて類似しているので、一方が他方を模倣したと考える学者もいる。だがそのように結論づける必要はない。使徒たちは常に互いの話すことを聞いていたし、ある一定の表現や聖書の例話は、キリスト者の共通の語彙の一部となっていたのである。聞くことと記憶することと非常に頼る文化においては特にそうであった」(ヘンリー・H・ハーレイ『新聖書ハンドブック』P879 いのちのことば社 2009.5)
 ……わたくしはハーレイの言葉を支持し、首肯する者であります。
 最後に本書簡の宛先ですが、「ペト一」と同じく小アジア中央部から北部一帯の教会、そうして信徒と考えてよいと思います。「わたしはあなたがたに二度目の手紙を書いています」(ペト二3:1)とあるからです。
 読書に先立って本書簡から真に心へ留めておくべき文言を引用しておきます。
 「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。」(ペト二1:20-21)
 「主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。特に、汚れた情欲の赴くままに肉に従って歩み、権威を侮る者たちを、そのように扱われるのです。/彼らは、厚かましく、わがままで、栄光ある者たちをそしってはばかりません。」(ペト二2:9-10)
 それでは明日から1日1章の原則で「ペトロの手紙 二」を読んでゆきましょう。◆

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〈ペトロの手紙・一第5章:〈長老たちへの勧め〉&〈結びの言葉〉with「ペトロの手紙 一」読了の挨拶。〉 [ペトロの手紙・一]

 ペトロの手紙・一第5章です。

 ペト一5:1-11〈長老たちへの勧め〉
 わたしペトロは長老の1人として、キリストの受難を目撃した証人として、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなた方のなかにいる長老たちへ勧告します。あなた方は神に従い、自ら率先して、あなた方にゆだねられた神の羊の群れを牧しなさい。卑しく利益を求めてではなく献身的に。権威を振り回すことなく、人々の模範になるよう努めなさい。そんな風に振る舞い、行動しておれば、あなたは大牧者であるイエス・キリストからしぼむことのない栄冠を授けられるでしょう。
 若者たちよ、長老たちに従いなさい。謙遜を身に付けなさい。神の御手の下、頭を垂れて身を低くしていなさい。かの時が訪れた際には高めてもらえますから。もし思い煩うことあれば、なにもかも神に任せてしまいなさい。神はあなたのことを心にかけてくれていますから。
 身を慎んで目を覚ましていなさい。悪魔が誰かを喰い尽くそう、罪を担わせよう、と徘徊しています。信仰に踏み留まって、悪魔の誘惑から自分を守りなさい。この世の信仰を同じうする兄弟も、同種の苦しみや誘いに遭って抵抗しています。
 「しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。」(ペト一5:10)

 ペト一5:12-14〈結びの言葉〉
 わたしは、わが忠実なる兄弟シルワノを代筆者として、この手紙をあなた方へ送ります。これは勧告の手紙です。神のまことの恵みであることを証すものです。この恵みにしっかり踏み留まりなさい。
 共に選ばれてバビロンにいる人々と、弟子マルコから、どうぞ宜しく、とのこと。
 愛の接吻によって互いに挨拶を交わしなさい。
 キリストと結ばれたあなた方全員に平和がありますように。

 長老への勧めはペトロが自分の仕事を通して体得、実感してきた事柄を述べたもので牧者の務めを説いた内容であると共に、一種の仕事論でもあります。一方で若者への勧めはイエスのそばにあった時代の自分を念頭に置いて斯く述べたものかもしれませんね。
 〈前夜〉では特に触れることはなかったようなので、ここで補足を。シルワノ(シラス)はエルサレム教会の一員で使徒会議の決議をシリアのアンティオキアへ伝えたり、パウロの第2回宣教旅行の随伴者となった。2つの「テサロニケの信徒への手紙」ではパウロの共著者として挙げられています(一テサ1:1とテサ二1:1)。初出は使15:22。
 マルコは福音書著者でパウロの第1回宣教旅行の随伴者、「バビロン」とは帝都ローマを指すこと、既に述べた通りであります。
 本書簡の執筆時期と場所を重ねて考えて、バビロン/ローマにいる人々がペトロと「共に選ばれて」(ペト一5:13)いることに悲劇的なものを感じてしまうのは、一人わたくしのみでありましょうか。ペトロはこのあと殉教するのです……。

 本日の旧約聖書はペト一5:5と箴3:34(但し70人訳ギリシア語聖書)。



 無事「ペトロの手紙 一」の読了も果たすことができました。息切れを覚えること久しい今日、たとい少ない章数の手紙でも最後まで読めるかな、と不安になることがしばしばで、更新に関しては更に更に。
 でも、こうして遅滞なく読了できているのはなによりの幸い事といえましょう。これも読者諸兄が開闢の日からこの方静かに見守り、閲覧してくださっているからこそ。このような感謝もあと数回となりますが、最後の日までどうぞご贔屓とご愛顧の程、宜しくお願い申しあげます。サンキー・サイ。
 残る手紙はあと5つ。どれも章数が5章以下と短いものなので〈前夜〉を含めても7月中には終わらせられるはずですが……。なにぶん本ブログの管理者にして執筆者であるわたくしは怠惰で鳴らした不届き者。それでも聖書読書ノートとしての本ブログは2016年9月末を目処に大団円を迎えられそうであります。
 次の「ペトロの手紙 二」は明後日か明明後日からの読書を予定しております。読者諸兄のまたのお越しをわたくしは心待ちにする者であります。◆

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〈ペトロの手紙・一第4章:〈神の恵みの善い管理者〉&〈キリスト者として苦しみを受ける〉with米澤穂信『さよなら妖精』読了。〉 [ペトロの手紙・一]

 ペトロの手紙・一第4章です。

 ペト一4:1-11〈神の恵みの善い管理者〉
 あなた方のうちで誰であれ、肉に苦しみを受けた人は即ち罪との関わりを断った人に他なりません。その人は最早神の良心に従って肉に於ける残りの生涯を生きるようになるのです。
 かつてあなた方はあらゆる肉の欲望に忠実で、偶像崇拝にも耽っていました。それらを一緒になって行っていた連衆は、或る日或る時を境にそれらのことから遠ざかったあなた方のことを訝り、嫉みました。しかし、それで良いのです。練習は遅かれ早かれ、生者と死者を裁く方へ弁明せねばならないのですから。
 死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、人間の物差しで計れば肉ゆえに裁かれたようでも、その実、神との関係に於いては霊として生きるためでなのでした。
 皆さん、万物の終わりが迫っています。だから思慮深く振る舞い、身を慎んで、よく祈りなさい。「なによりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」(ペト一4:8)
 あなた方はそれぞれ賜物を授かっている。神の様々な恵みの善い管理者として、その賜物を立派に活用して互いに仕えなさい。語る者は神の言葉を語るに相応しく語り、奉仕する人は神より与えられた力に応じて奉仕しなさい。すべてはキリストを通して神が栄光を受けるためなのです。
 世々限りなく栄光と力が神にありますように。アーメン。

 ペト一4:12-19〈キリスト者として苦しみを受ける〉
 愛する人たちよ、わが身に突然降りかかった災難というか試練に、驚いたり慌てたり怪しんではならない。
 「あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい。」(ペト一4:15)
 キリストの名のために非難されるならば幸いです。栄光の霊(神の霊)があなた方の上に留まっているでのすから。そうして、キリスト者として苦しめられることをけっして恥じてはなりません。むしろキリスト者の名で呼ばれることを誇り、斯く呼ばれることで神を崇めなさい。
 いまこそ神の家から裁きが始まります。ところで、まず(キリスト者である)われらから裁かれるのだとしたら、神の福音に従わぬ者らの行く末はいったいどんなものでしょうか。正しい人がようやっと救われるとすれば、不信心な者、罪深い者、欲深い者は、果たしてどうなるのでしょう?
 われらはかれらを反面教師としなくてはなりません。「だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。」(ペト一4:19)

 キリスト者としてあるべき行動を取り、為すべきことを果たしておればよい。そのためにも罪との関わりを断ち、神の恵みの善き管理者として生き、キリストゆえの迫害に誇りを持って耐えよ。──本章を煎じ詰めればそんなメッセージが浮かびあがりましょうか。
 本章まで読み進めてきて今日ふと思うたのは、、「ペトロの手紙 一」は窮極的な意味で共観福音書のエッセンスではないか、ということ。ノートを綴りながら折に触れ福音書のなかのイエスを巡る挿話、イエスの教えや台詞が思い起こされたのは、それゆえかもしれません。このことについてはもう少し腰を据えて考えてみたく存じます。

 本日の旧約聖書はペト一4:18と箴11:31(但し70人訳ギリシア語聖書)。今回は新共同訳聖書「箴言」の該当箇所を参考として引いておきます、──
 「神に従う人がこの地上で報われるというなら/神に逆らう者、罪を犯す者が/報いを受けるのは当然だ。」



 米澤穂信の出世作『さよなら妖精』(創元推理文庫)を休日の昼に読了。これまで読んだ作品すべてにも共通していえることだけれど、やはり今回も安易なエンディングは用意されていなかったね。好い加減馴れろよ、という声には「いやはやなんとも」と頭を掻くより他なく。
 あなたの故郷へ自分も行きたい、だから一緒に連れて行ってほしい。主人公、守屋路行はクライマックスに於いて異邦からの友、マーヤに斯く願い出る。が、観光に来るにはまだ早過ぎる、と彼女はわずかな微笑を交えて一蹴した。故郷ユーゴスラヴィアが折しも内戦に突入し、事態が長期化・泥沼化することを予見していたためだ。守屋は自分が見聞したことのない世界にマーヤを通じて触れ、これまで自発的に行動を起こしてなにかに没頭したことのない自分でもなにかアクションを起こせるのではないか、とかすかな望みを抱いた。しかし観光目的で来るには時期が悪い、と諭されるのだ。マーヤは守屋の真意に気附いていたにもかかわらず(P298)。
 そうして、マーヤは連絡先を知らせることなく去った。守屋と、マーヤの日本での寄宿先を提供した白川いずるは1年後の夏、彼女が帰国した先がユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国/ユーゴスラヴィア連邦共和国を構成する6つの共和国と2つの自治州のうちのどこであったか、当時の日記や報道等を資料に推理する。一応の結論を出したその日の夜、守屋はマーヤのその後を知らされる。
 ──1990年代前半のユーゴ内戦を報道で知るならば、それは辿り着いて然るべきエンディングなのだろうけれど……。「民族自決」とか「民族独立」などいろいろな言葉でこの内戦の大義が当時は語られた覚えがある。しかしその大義の下で行われるのはとどのつまり、無差別の大量虐殺でしかない。ジェノサイドの前に生きとし生けるものの命はあっけなく、儚く、ちっぽけで顧みるに足らざるものなのか。なにやら脳天をハンマーで3発ばかり、ガツン、と叩かれた思いだ。
 読了翌日から本作の10年後のネパールを舞台に、『さよなら妖精』の登場人物の1人、大刀洗万智が活躍する<ベルーフ>シリーズの第1作『王とサーカス』(東京創元社)を読み始めている。◆

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〈ペトロの手紙・一第3章:〈妻と夫〉&〈正しいことのために苦しむ〉withちかごろ聴くのはボサノヴァばかり。〉 [ペトロの手紙・一]

 ペトロの手紙・一第3章です。

 ペト一3:1-7〈妻と夫〉
 「妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです。」(ペト一3:1-2)
 妻たちの装いとして相応しいのは、柔和でしとやかな気立てという朽ちることなきもので飾られた、内面的な人柄です。派手な衣装や宝飾品の類ではありません。その昔、神に望みを託した聖なる女性たちも、神の御前で誠に価値あるその装いで夫に仕えたのです。アブラハムの妻サラもそうでした。
 「夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません。」(ペト一3:7)

 ペト一3:8-22〈正しいことのために苦しむ〉
 「終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。」(ペト一3:8-9)あなた方はこの祝福を受け継ぐために召されたのですから。このことは詩篇に於いても言葉を尽くして語られています。
 善いことに熱心であるならば、何人もあなた方へ危害を加えることはないでしょう。義のために苦しみを受けるなら幸いです。信徒の本懐というべきでしょう。どうか人々を恐れたり、心を乱すことがないように。
 「心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。」(ペト一3:15-16)
 神の御心によるのであれば、善を行って苦しみを受ける方がずっと良い。キリストは自身なにも悪いことはしていない正しい方なのに、正しくない者のために苦しめられ、罪人となって苦しんだ──それはあなた方を正しい神の御許へ導くためだったのです。
 「キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。」(ペト一3:18-19)
 ノアの時代の洪水からは方舟に乗りこんだ8人だけが助かりました。言い換えればかれらは水のなかを通って救われたのです。この洪水で示されていた洗礼は、いまやキリストの復活によってあなた方をも救うのです。「洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることで。」(ペト一3:21)
 ──キリストは天に上って神の右に在りますが、天使や精霊、現世の権威や勢力は例外なくキリストの支配に服しているのです。

 ルターは新約聖書を翻訳する際、一部については言葉を補うこともしたそうです。「人は信仰によって義とされる」とある箇所を、かれは敢えて自身のそれまでの理解と解釈に基づき「人は信仰によってのみ義とされる」と限定詞を補った由。
 その判断の是非はともかくとして、わたくしは本章を読んでまずルター訳のこの一節を想起したのであります。
 ──かりに善行を施したことで周囲から迫害を受けて苦しめられたとしても、それが信仰に基づくものであれば神の御心にかなう義を体現したことになるのだ。そうわたくしは受け止めております。この考えに果たして誤りはあるでしょうか。識者に是非ご教示を仰ぎたく存じます。
 そうして──なんとノアの方舟の挿話で有名なかの洪水──40日40夜にわたって降り続いた雨がもたらして悪と罪のはびこる世界を一掃して浄化させた洪水は世界規模で行われた一石二鳥の「洗礼」であった! 凄まじいスケールの洗礼が既に旧約聖書の「創世記」開巻間もない時点で語られていたのですね!? これをまぁ揶揄していえば、「理屈と膏薬はどこにでもくっつく」ということか。最早、さようですか、と頭を掻いて呟き、ぼやきの溜め息を吐くしかないですね。

 本日の旧約聖書はペト一3:10-12と詩34:13-17、ペト一3:20と創6:11-12及び同7:13並びに同21-22。



 作業中のBGMについて特に考えたことは最近ないのだが、ちかごろの実感としてはもうオペラを聴きながら書くことに集中はできそうもありません。筋を知っていれば、何度も聴いたことのある盤ならば、適当に無視することもできるでしょう? それができたら苦労はしないぜ。
 ワーグナーやショスタコーヴィチでそれを痛感したものだから、じゃぁこんどは古典派やバロック・オペラで、と思うて試したら、モーツァルトもヘンデルも、グルックもヴィヴァルディも駄目でした。玉砕。気が取られてしまうんだよね。そちらに意識が向いてしまって脳みそは労働を拒み、筆を執る手もキーボードを叩く手もまったく動かないのですよ。
 それでも作業中のBGMが必要になるときはある。カフェで書き物しているとどうしても、誰であってもシャットアウト不可能な騒音の塊に出喰わす。幸いそんな事態に遭遇しなかったとしても音楽を耳に入れたい気分のときもある。医者には1日1時間程度なら構わない、っていわれているからその時間内でのイヤフォン使用だけれどね。自宅にあっては情けなくもiMacがオーディオ代わりゆえ内蔵スピーカーで聴きながら、ということになるけれど。
 いずれにせよ、最早オペラは作業中のBGMにはならない。では、なにが? 夏の時期ならかつてはクラシックではサティやケクランのピアノ曲が専らだった。紆余曲折を経て現在は……実はボサノヴァであります。サロン・ミュージックやピアノ・トリオも良いのだけれど、最近TSUTAYAで借りるCD、タワーレコードで物色してレジへ運ぶCDはボサノヴァが中心になっている。意識の襞に引っ掛かりそうで引っ掛からない、引っ掛からなさそうで引っ掛かる、というそんな絶妙な感じが気に入っております。
 事実、これを書いているいま聴いているのは作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンの自作自演アルバム『The Composer of Desafinado, Plays』。これなら1日4、5回聴いても食傷気味とならずに済みそう、という程にすばらしい一枚であります。なんてひどい紹介の仕方だ、とはわたくし自身思うていることなので、読者諸兄にはお目こぼし願いたい。
 これから秋が来るまでボサノヴァ中心の音楽生活になるかなぁ。◆

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〈ペトロの手紙・一第2章:〈生きた石、聖なる国民〉、〈神の僕として生きよ〉他with群衆のなかのロビンソン・クルーソー、斯く独白せり。〉 [ペトロの手紙・一]

 ペトロの手紙・一第2章です。

 ペト一2:1-10〈生きた石、聖なる国民〉
 慕い求めた純度100%の霊の乳を飲むことで、あなた方は乳飲み子から成長し、救われるようになりました。
 また、その乳によってあなた方は主が恵み深い存在であることを味わった。皆、この主の許へ来なさい。
 「主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。」(ペト一2:4)
 あなた方自身も生きた石となり、霊的な家が造り上げられる際の部材となるようになさい。「イザヤ書」に於いて神は、選ばれた尊い要石をシオンに置き、それを信じる者はけっして失望することがない、といいました。
 その要石は信じる人には代わるものなき唯一無二のものですが、信じない者にはまったく以て取るに足らない無価値なものなのです──詩篇ではその要石は家を建てる者が捨てた石、と表現されています。が、それは信じる者にとって「隅の親石」となったのでした。一方で、神が選んだ尊い要石は、それに価値もなにも見出さぬ者には「つまずきの石/妨げの石」(イザ8:14)となったのです。御言葉を信じない者がつまずくのは以前から定められていたことなのでした。
 「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」(ペト一2:9)
 あなた方はかつては神の民ではなかった。憐れみを受けてもいなかった。が、いまやあなた方は神の民であり、憐れみを受けています。

 ペト一2:11-17〈神の僕として生きよ〉
 魂に戦いを挑むような肉の欲を避けなさい。
 異教徒の社会にあっても立派に生きなさい。為すべきを為し、敬うべきを敬い、信ずべきを信じ、愛すべきを愛しなさい。異邦異教の民のなかに暮らしていてもキリスト者としてきちんと生活していれば、「彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。」(ペト一2:12)
 主のためにも人間が定めた制度には従いなさい。皇帝であれ総督であれ、上に立つ者には服従しなさい。善を行い、愚者の無知な発言を封じることは、神の御心にかなうことです。自由人として生活するのは構いませんが、その自由を悪事を隠す手段としてはなりません。あなた方は神の僕として行動し、生きなくてはならない。
 「すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。」(ペト一2:17)

 ペト一2:18-25〈召し使いたちへの勧め〉
 召し使いの身分にある者たちよ、善良で寛大な主人ばかりでなく、無慈悲で猜疑的な主人に対しても心から敬って仕えなさい。その結果、不当な苦しみを受けることになったとしても、それが神の御旨であると思うて耐え忍ぶなら、御心にかなった生き方をしているのです。
 「あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。」(ペト一2:21)
 キリストは罪を犯したことも偽りを口にすることもありませんでした。罵りに罵りを以て返すこともなく、苦しめられても相手を脅かすことはありませんでした。そうして正しい裁きのできる方へ己をゆだね、十字架に掛かり、われらの罪を背負って死にました。これは、われらが罪に対して死に、義によって生きるためです。あなた方はキリストが受けた傷によって癒やされているのであります
 「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。」(ペト一2:25)

 本章の要となるのは中間、〈神の僕として生きよ〉の部分だと思います。見渡せばどこもかしこも異邦人、異教徒だらけ。
 そんなコミュニティのなかで生活するのを余儀なくされたとしても、キリスト者として恥ずかしくない、非の打ち所のない生き方をしていれば、初めのうちこそ排斥しようと様々手段を講じてきた異教徒もやがてはかれらを認め、それどころかキリスト再臨の日には神を崇めるようになっているだろう、というのであります。これこそが理想的感化、理想的布教というべきことなのかもしれません。
 圧倒的暴力による改宗は憎悪と更なる暴力しか生まない。四面楚歌のなか、絶えることなき悪意と中傷と乱暴に遭うても凜として立ち、為すべきを為し、敬うべきを敬い、信ずべきを信じ、愛すべきを愛しておれば、異教徒と雖も見る人はそれを見ているのだから、そのコミュニティの世論は自ずと容認の方向へ傾いてゆくことだろう。
 ……これがわたくしの、それこそ現実を軽視した、蒙昧なる理想論に過ぎぬことは重々承知しております。そう、現実はそんなに単純に割り切れぬものではない。コミュニティは寛容の姿勢を打ち出しながらも、その内実は常に排斥へと舵を切ることの方が多い。「和を以て貴しと為す」とは正反対の態度へ流れるのです。今日でいえば、世界中で行われるイスラム教徒や難民に対する、わが国に於いては韓国人へのヘイトスピーチなど、例を挙げれば枚挙に暇がありません。もっと小規模のものは、昔からこの国では村八分とか仲間外れとかむごたらしい言葉を以て例を挙げられます。これに負けた者は自殺するのです。
 それが現実社会に横行して当たり前となっているのが常である、と実感しているからこそ、わたくしは本章で語られる生き方に共鳴したり、憧れたりするのでしょう。引用もしたペト一2:17はそのためのモットーとして心に刻んでおくべきかもしれません。

 本日の旧約聖書はペト一2:6とイザ28:26(但し70人訳ギリシア語聖書)、ペト一2:7と詩118:2、ペト一2:8とイザ8:14、ペト一2:10とホセ2:23及び25、ペト一2:22とイザ53:9。



 社会人である以上いろいろとあるわけですよ。今日(昨日ですか)も、また。
 血の涙を流したくても流せない、群衆のなかのロビンソン・クルーソーとは誰か。
 退場のタイミングを誤ることなかれ。そのために然るべき準備を。
 わたくしに「生前の誹り、死後の誉れ」なんてあるのかな。◆

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〈ペトロの手紙・一第1章:〈挨拶〉、〈生き生きとした希望〉&〈聖なる生活をしよう〉with『さよなら妖精』ふとした拍子に生まれた疑問。〉 [ペトロの手紙・一]

 ペトロの手紙・一第1章です。

 ペト一1:1-2〈挨拶〉
 わたしはペトロ、イエス・キリストの使徒。離散しているポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアに寄留する選ばれた人々へ、この手紙を送ります。選ばれた、というのは、父なる神があらかじめ立てた計画に基づき、“霊”によって聖なる者とされたあなた方が、キリストに倣い、またその血を注がれるために、であります。
 あなた方に豊かなる恵みと平和がもたらされますように。

 ペト一1:3-12〈生き生きとした希望〉
 神は、その豊かな憐れみによってわれらを新たに生まれた者としてくれました。神は死者のなかからイエス・キリストを復活させたことで、生き生きとした希望を与えてくれました。神はあなた方を、あなた方のため天に貯えられた、朽ちたり汚れたりしぼんだりすることのない財産の承継人に定めました。あなた方は終わりの時に用意されている救いを受け取るため、神の力と信仰によって守られています。
 今後しばらくの間、あなた方は試練に直面して悩んだりするかもしれない。が、あなた方の信仰は試練を経て本物となるのです。その本物の信仰がキリスト再臨の暁には称賛と栄光と誉れをあなた方へもたらすのです。
 「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」(ペト一1:8-9)
 かつてキリストについて語った預言者たちはキリストが経験する受難と栄光、恵みがいつ、どこで行われるのか、調べ、或る啓示を受けたのでした。それらのことは自分たちではなく後の世の人々、つまりあなた方にもたらされるのだ、と。
 それらのことは天から遣わされた聖霊の導きによって福音を宣べ伝えた人々からあなた方へ告げ知らされたのです。キリストの福音は天使たちも直接見て確かめたい、と思うている程のものなのであります。

 ペト一1:13-25〈聖なる生活をしよう〉
 いつでも心を引き締め、身を慎んでいなさい。キリスト再臨時に与えられる恵みをひたすら待ち望みなさい。欲望に引きずられず、従順な子でいなさい。召し出してくださった方に倣って生活のすべての面で聖なる者でありなさい。汝ら聖者であれ我は聖者であるがゆえに、と「レビ記」に書いてあるからです。
 あなた方はこの地上に仮住まいする身。公平な裁きをする、「父」と呼ばれる神を畏れて生活しなさい。忘れてはなりません、あなた方が先祖伝来の空しい生活から贖われたのは、キリストの血によるのだ、ということを。
 「キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。」(ペト一1:20-21)
 あなた方は真理を受け入れ、魂を清め、偽りなき兄弟愛を抱くようになりましたね。ならば、清い心で深く愛し合いなさい。
 「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」(ペト一1:23)
 主の言葉は永遠不変である、と「イザヤ書」にあります。これこそがあなた方へ告げ知らされた福音の言葉なのです。

 「ペトロの手紙 一」は異邦のキリスト者を対象にして書かれました。異邦とは、ではどこか、といえば、昨日も触れ、本章第1節にある如く、ポントスやビティニアなど小アジア北部からアジア、ガラテヤといった中央部にかけての地域を指す。黒海に面した北部はパウロの伝道ルートから外れ、中央部についてはパウロも旅したけれどそれぞれの町や村で宣教に努めたというよりはそこを通る街道を利用した、という趣の方が強い。
 ペトロが小アジア北部から中央部にかけての諸州を実際に訪ねたのか、定かでありませんけれど、パウロとペトロの間には担当地域の不可侵協定のようなものが、暗黙の了解としてあったのかもしれない、と邪推してしまう程に両者が手紙で言及する地域があまり重なっていないことを面白く思うのです。
 まあ流石に新約聖書もここまで読み進めてくると、どこかで読んだような覚えのあるメッセージに遭遇します。為に感想として書くことが減ってくる、という弊害も発生する。が、今日ここで引用したペト一1:8-9は本当に清々しく、「喜びに満ちあふれ」た新鮮な文言である、と感じました。時折、ふとした拍子に斯様な出会いがあるから、砂を噛むような思いにさせられること多々な各書簡を読み進められもするのだな、と自分に言い聞かせるのであります。

 本日の旧約聖書はペト一16とレビ19:2、ペト一1:24-25とイザ40:6-8。

 米澤穂信『さよなら妖精』は<古典部>シリーズの一つとして当初は執筆された、という。レーベル消滅によって宙に浮いた完成原稿が人を介して東京創元社に渡り、全面改稿を経て今日見るような形になった由。
 そんな過程のあることを既に仕入れて読み始めたためか、『さよなら妖精』の登場人物と<古典部>シリーズの登場人物が時折かぶって仕方ない。<古典部>シリーズでは1人が担っていた役割を『さよなら妖精』では複数の人物に分散させていたりするので、面影を彷彿とさせる瞬間がある、というた方がより近いか。
 なんでも本作は元来、<古典部>シリーズのターニング・ポイントとなる作品として、またそのプロットはシリーズ完結編として練られたものであった、と仄聞する。『氷菓』に始まる<古典部>シリーズが当初はどのような構想下にあったのか、いまとなっては想像を逞しうするよりない。が、しかし、『さよなら妖精』が“幻の<古典部>シリーズ”と呼ばれるのを知ってしまった以上、ついわたくしは考えこんでしまうのだ、──
 果たして『愚者のエンドロール』に続くシリーズ第3作として完成していた原『さよなら妖精』はどのような姿をした小説であったのだろうか、と。◆

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〈「ペトロの手紙 一」前夜〉 [ペトロの手紙・一]

 使徒や伝道者の熱意と信心によってナザレのイエスの教え、福音はエルサレムを中心としたシリア・パレスティナの外へ運び出され、伝播し、各地に教会を拠り所とするキリスト者の小集団、或いは社会を築くようになりました。「使徒言行録」や個々の書簡に見るとおりであります。しかし、この世に宗教はいまも昔もユダヤ教とキリスト教ばかりではない。離散ユダヤ人は小アジアやエジプト、ギリシアやローマ、スペインなどにまでさすらい、それぞれの土地に寄留するのですが、当然、そこにも土着の宗教があるのです。われらはパウロの言動を通して異邦の地でキリストの教えを広め、根附かせ、改宗させることの苦労と困難を一端なりとも知っている。離散ユダヤ人にも同じことがいえるでしょう。かれらのなかには長老も教師も伝道者もいたことであろう──すべてではないにしても、それらの役割を担う者は。
 このことについて、ヴァルター・クライバーはいう。曰く、「通常、古代社会は、異なる信仰を持つ者が国家の神々を敬い、その他の点でも同胞市民の宗教を認める意思を表明する限りは、彼らに対して非常に寛容であった。しかしながら、若い、伝道の熱意にあふれたキリスト者との衝突は、正にこの点において起こらざるを得なかったのである」(『聖書ガイドブック』P255 教文館 2000年9月)と。即ち、キリスト者が辿り着くまでは寛容という名の暗黙の了解の下、相手方の宗教/信仰が自分たちのコミュニティ内で共存し得たけれども、神とその御子を信じるキリスト者は寄留先の宗教を完全否定して自分たちの信仰こそ唯一無二と説いて改宗を迫りもしたのだ、ということ。なんだか使17:16-34で描かれた、アテネを訪れたパウロの挿話を思い出せます。
 古代ローマ、オリエント社会に於いてキリスト者迫害といえば、64年ローマ大火に端を発するネロ帝や90年代のドミティアヌス帝によるそれを連想しますが、「ペトロの手紙 一」執筆背景にある衝突はもっと小規模で、日常茶飯事的な迫害であったのです。迫害なる語が大袈裟ならば、その類語に差し替えていただいて構わぬ。
 とまれ、本書簡は寄留先でその信仰ゆえに虐げられたり、村八分に遭ったり、肩身の狭い思いを味わっているキリスト者へ宛てた励ましと慰めの手紙であります。「キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません」(ペト一4:16)てふ文言は本書簡の性質を捉えて余さぬものとわたくしには思えます。当時これを読んだ人々はどんなにか救われた気持ちであったでしょう。
 本書簡は12使徒の筆頭にして初代ローマ教皇であるペトロが従者シルワノ(シラス)に、ギリシア語で書かせた、とされています。当時ペトロはシルワノとマルコ、その他の人々と共に「バビロン」にいた様子(ペト一:12-13)。バビロンとは旧約聖書の時代、ネブカドネツァル王の名と一緒に記憶される新バビロニア帝国帝都の旧跡を指すのでは、勿論ありません。「ヨハネの黙示録」にも「バビロン」は出ます。「大淫婦バビロン」とはよく知られた表現であります。本書簡(や「黙示録」)で触れられる「バビロン」とは「ローマ」を指しており、つまり暗喩なのであります。おそらくは旧約聖書を代表する強大なる敵の名を、新約時代に於ける世界の覇者ローマ帝国に仮託して与えたのでありましょう。
 この手紙はペトロ殉教の年に書かれた、とされます。それはつまりローマ大火とキリスト者の弾圧が行われた64年のこと。この年、ペトロは一端ローマを離れて他の地へ身を隠そうとしました。が、ローマを去って程なく街道を歩いていると道の向こうからこちらへ歩いてくる師イエス・キリストを見ました。そうしてペトロはかの有名な台詞、「クウォ・ヴァディス、ドミネ?」(Quo vadis, Domine?/主よ、どこへ行かれるのですか?)を口にします。イエスは再び十字架に掛かるためにローマへ行く、と答えました。そこでペトロは為すべき役目に気附き、踵を返して都へ戻ってローマ兵に捕縛され、逆さ十字架の刑に処されて殉教したのでありました。これが今日最もよく知られるペトロの最期であります。この挿話の信憑性も本書簡の執筆年代の正確なるところも未詳ですが、特に疑を呈す材料も考えもないので、長く信じられてきた「著者:ペトロ(シルワノ代筆)、時代:64年、場所:ローマ」という言説に首肯してまったく差し支えない、と考えます。
 寄留地に於ける離散ユダヤ人が被っている抑圧と排斥に対して、励ましと慰めをもたらすのが本書簡であります。その内容の主たるところを引用という形で示しましょう、──
 「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」(ペト一1:8-9)
 「この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。」(ペト一3:21)
 「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」(ペト一4:12-14)
 ……当初は続く「ペトロの手紙 二」と併せて〈前夜〉の稿を起こすつもりだったのですが、考え直して双方の書簡に個別に〈前夜〉を付す考えに改めました。何をか況んや、というところでしょうが、つまり従来通りの方法に落ち着いた、ということであります。
 それでは明日から1日1章の原則で「ペトロの手紙 一」を読んでゆきましょう。◆

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〈上田秋成『雨月物語』、『春雨物語』を読む。〉 [日々の思い・独り言]

 佐藤春夫をして「死後の多幸」といわしめた、近代になっての上田秋成復活劇以降、幾百人が秋成を読み、幾千・幾万の秋成論が書かれたのか。そのすべてを知る術はないが、ともかくいえるのは、秋成には、人間にしても作品にしても、人を惹きつけて離さない魔力のようなものがある。英国ではシェイクスピア論に次いでブロンテ姉妹についての論文が書かれているそうだが、これはそのまま、『源氏物語』についての論文に次いで上田秋成論が書かれている日本の現状に置き換えられよう。ふと思うたのだが、ブロンテ姉妹、殊エミリ・ジェーンと上田秋成には、共通点が多く見受けられる。幾つか例を挙げてみると、伝記の不明瞭さと性格の類似、実母の記憶の欠落、などがあるけれども、そうしたなかでもっとも大きなものはかれらが後世へ遺した文学の孤高性である。『嵐が丘』にしろ、『雨月物語』や『春雨物語』にしろ、同時代は勿論、その登場以前も以後も、それらに追随し、また、大きく凌駕するものは出てこないことが、甚だ単純ながらも1つの証しとなるのではないだろうか。
 『源氏物語』と並び称される『雨月物語』の良さとは、果たしてなんであろうか。様々な人が様々にいうているが、わたくしはなんというても描写の優れた点にある、と思うておる。自然の美と幽を描き、人間の立ち居振る舞いと心理を描き、超自然の愛と憎を描くその筆致は、近世小説の枠を大きくはみ出している。もはやそれは単なる<創作>ではなく、時代を超越した一個の芸術というてよい。まさしく秋成の天才のみが生み出し得た、稀有の作品というてよいだろう。すべての描写が1つとなって、個々の物語が孕む緊張感、緊迫感を生み出し、それは物語が語られている間は途切れることがない。どんな小説でもそうだが、一度途切れた緊張感は、如何なる努力を以てしても二度と取り戻せない。秋成はそれを知っていたのだろうか、『雨月物語』の世界は、常に緊張感を内包して維持される点でも近世小説のうちで一頭地を抜いているのである。それが読者を物語のなかへ引きずりこみ、最後の一行まで読ませてしまう馬力と化しているわけだけれど、結果的にはそれが『雨月物語』を一流の、かつ異彩を放つ文学へ昇華させているのだろう。
 怪奇描写の美しさ、上品さ、そうして凄惨さは、古今東西の文学でも第一級のものである。秋成と較べたら──ここからしばらくはいささか贔屓の引き倒しになることをお許し願いたい──ジョゼフ・シェリダン・レ=ファニュも、アーサー・マッケンも、モンタグ・ロード・ジェイムスも、小泉八雲も、まだまだ青い。H.P.ラヴクラフトに至っては論外である。子供の作文しかない。これまでに何人、怪異を詩的散文で描き得た者がいたであろう。例えいたとしても、秋成と比較しなければ、のお話である。詭辯を弄してでも秋成を第一等とするつもりは勿論まったくないが、かれに匹敵する作家が事実いないのだから仕方ない。『雨月物語』で特に怪異描写に優れているのは、「吉備津の釜」であろう。正太郎が故郷に捨てた妻、磯良の亡霊と草屋で再開してから後、『雨月物語』最高の怪異は迫力を増してゆき、終には思わずぞくり、とさせられるようなかれの最期にわれらは遭遇することになる。磯良の亡霊が夫の命を奪う瞬間こそ描かれないが、その凄まじかったであろうこと、家のなかに残された夥しい量の血糊と、軒端にぶら下がった髻から、容易に推察できよう。まこと、「浅ましくもおそろしさは筆につくすべうもあらずなん」(改訂版『雨月物語』鵜月洋・訳注 P269-70 角川文庫)なのである。
 「怪異を描く」とは秋成にとって、欲望に憑かれた人間の浅ましさ、卑しさを描くことでもあった。が、それはいろいろと紆余曲折を経て、『春雨物語』に収められてゆく諸編を書く頃になると、人間のそうした部分を描くには怪異を以てするのではなく、高潔な人間を対極に置いて描くのが良い、との考えに変化したようである。事実、『雨月物語』から約40年後に成った『春雨物語』は前作の人間と超自然の物語から、人間と人間の織り成すドラマへと変貌した。それは秋成の人生観、人間観が変化し、定着したためであろう。だからこそ、宮木や燓噲といった自分の信ずるままに生きた人物に、読者は、正太郎や豊夫たちよりも更に深い印象を覚え、共鳴するのである。
 『春雨物語』はもはや物語や文学という言葉では括れない、これまでの文学が到達したことのないような深みと奥行きを備えた豊穣さを誇る。これをなんと称すべきか。『雨月物語』を芸術と呼ぶならば、『春雨物語』はどう呼べばいいだろうか。わたくしにはわからない。が、これだけはいえる;『源氏物語』と『雨月物語』を古典時代に於ける物語の最高峰とするならば、『春雨物語』は日本文化の奇蹟である、と。
 そうした『春雨物語』ではあるが、そのなかにも怪異なるものを描いた扱った短編がある。但し、『雨月物語』のように緊張感が漲ったものではなく、かなり様相を異にした怪異なるものであるが。では次に、様相を異にした怪異と人間を対峙させた「目ひとつの神」について、書き綴ってみたい。
 『春雨物語』富岡本「目ひとつの神」は、相模国に住む風流を愛する若者が和歌を学びたい一心から故郷を出奔して京の都へ向かう途中の森で夜明かしする際遭遇した異類に諭されて再び故郷へ帰ってゆく、そのときのことを後年目ひとつの神が日課としている手習いに認めた、という粗筋である。明日はいよいよ都という晩、現在の滋賀県は安土付近にある老曾(老蘇)の森で若者は陽気な異類の一行に出会い、その長である目ひとつの神から貴族に付いて和歌を学ぶことの無意味さを説かれる。目ひとつの神の曰く、──
 「汝は都に出でて物学ばんとや。事おくれたり。四五百年前にこそ、師といふ人はありたれ。みだれたる世には、文よみ物知る事行はれず。(中略)すべて芸技は、よき人のいとまに玩ぶ事にて、つたへありとは云はず。上手とわろもののけぢめは必ずありて,親さかしき子は習ひ得ず。まいて文書き歌よむ事の、己が心より思ひ得たらんに、いかで教へのままならんや。始には師とつかふる、其道のたづき也。たどり行くには、いかで我がさす枝折のほかに習ひやあらん。あづま人は心たけく夷心して、直きは愚に、さかしげなるは佞(ねぢ)けまがりて、たのもしからずといへども、国にかへりて、隠れたらんよき師もとめて、心とせよ。よく思ひえて社(こそ)おのがわざなれ」(『春雨物語』井上泰至・訳注 P182-83 角川文庫)
 以上は富岡本と底本とした文章である。一方でこの箇所、『春雨物語』の最終稿本と目されている文化五年本では、──
 「若き者よ、都に物学ばんは、今より五百年のむかし也、和歌にをしへありといつはり、鞠のみたれさへ法ありとて、つたふるに幣ゐやゐやしくもとむる世なり、己歌よまんとするならは、心におもふまゝを囀りて遊へ、文こそいにしへは伝へあれ、とかく法をつたへありとも、必よく書るは、今はぬす人に道きられ、となりの国のぬしか掠めとりて、裸なゝ代のいつはり也」(『上田秋成全集』第七巻 P176 中央公論社 「ゐやゐやしく」2語目の「ゐや」は2字続きの踊り字であるが変換できないため斯く対処した)
──となる。「今はぬす人に道きられ」とは穏やかでない表現で、直接意味するところは定かでないが、おそらくこれは、秋成が自分の生きる時代に顕著であった、国学者たちによる堂上家の(「古今伝授」に代表される)秘伝伝授批判を指しているのであろう。
 秋成の堂上歌学批判は、目ひとつの神の口を通して語られる。和歌に師なく、己の情へそれを表現するに相応しい詞を与え、つれづれの慰みとすればそれでいいのだ──これが秋成の青年期より抱き続けてきた思いの結論であった。こうした一切自由の境地を求めた秋成の態度が、作品の純粋性を高め、孤高の文学を生み出したのではないだろうか。それは意識するにせよ、しないにせよ、同時代の、過去の、未来の文学への挑戦であった──秋成の著作を繙く度毎にわたくしはそう思うことである。
 「目ひとつの神」に話を戻す。この一篇のそこかしこに作者である秋成の姿が投影されている。和歌を学ぼうと故郷に親を残して上洛する若者に、文芸にうつつを抜かして家業を再興しようとしなかった秋成の姿が見られるし、若者に相伝の家道の無意味さを説く目ひとつの神に、或いは、汚げな字を書き連ねて悦に入っている目ひとつの神にも、秋成その人の姿を認めるのは、さして難しいことではない。秋成はこの一篇を書きながら、心のなかで、苦笑していたのではないか。と勘繰ってしまうぐらい、「目ひとつの神」という短編には自虐的笑い──自己戯画の要素が多く含まれている。世人には偏屈な老人、と思われていたらしい秋成であるが、実はユーモアに長けた性格の御仁であったのかもしれない。『雨月物語』ではついぞ見られなかった人間味に満ちた陽気な怪異のものたちを描く余裕が、『春雨物語』を執筆する晩年にはあった。言い換えるならば、その余裕こそが秋成に自信を与え、奇蹟と称すべき『春雨物語』を生み出した要因なのかもしれない。
 『雨月物語』の出版(安永5/1776年)から3年後の安永8(1779)年、秋成は『ぬば玉の巻』という『源氏物語』論に擬えた物語論を執筆した。秋成が己の物語感を正面切って開陳した一書であるから、少し長くなるが「物語とは何物ぞ」というかれの主張を聞いてみよう。曰く、──
 「物がたりは何物ぞ。おほかたは妹夫の中ごとをもはらとして、守るへき操のためしをあげ、閫(しきみ)の外だに見ず。窓の内にまぎるゝかたなき心をなぐさめ、又は人のさかえおとろへをおどろかし、或は得がたき宝を得ましくするしれものがうへ、あるは異の国に物もとめあるくあかず心、或はまゝしき親の心をいましむるなど、かれや是をほめしれるも、たゞ時のいきほひの推べからぬをおそり、又おほやけの聞しめしをはゞかりつゝ、いかにもいかにも打かすめ、あだあだしくつくりなせるは、さえある人のしわざにて、よむ人おもひかねては、ふかきに過、さかしらにふけりて、とざまかうざまにもてつけていふものぞ」(『上田秋成全集』第五巻 P70 中央公論社 「いかにもいかにも」、「あだあだしく」2語目の「いかにも」と「あだ」は2字続きの踊り字であるが変換できないため斯く対処した)
 もとより明確に変わるのは不可能であるが、秋成の小説は『ぬば玉の巻』以後、わずかながらも変容してゆく。小説に対する気負いがなくなった、とでもいえばいいだろうか。初期の浮世草子2作や『雨月物語』に見られた生真面目さ、少し言葉を悪くすれば神経質っぽさが姿を消して、『春雨物語』諸編、『背振翁伝』や『鴛央行』などの小品になると、淡々とした、おおらかな筆で描かれた、余白の美しさが際立つ作品へと結実しているように読めるのである。
 そこに秋成の、かつて3作の小説を書き、「物がたりは何物ぞ」という思索の旅の果てに、一個の指標として『ぬば玉の巻』と題する物語論を執筆したことから得た回答を、更に敷衍させ、晩年に至って遂に著し得た前掲の諸作に自己の文学の総決算とする自負を見出すのは、あながち無理とはいえないように感じられる。◆

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〈近世前期の怪談物語を読む:「牡丹燈籠」〉 [日々の思い・独り言]

 思うに、古典時代に於いて近世程怪談物語がもてはやされた時代もなかったのではないだろうか。上代と中古は専ら現実の怨霊に怯えた時代であるし、中世はわずかに平和な頃もあったけれど殆どすべての時間は戦乱のなかにあって血で血を洗う状況が、長く、大きく支配した時代であった。どれだけ物語の創作がされていようとも超自然綺譚の創作へ耽るには、現実社会のなかに巣喰う怪異のあまりに生々しい時代が続いたのである。
 勿論、怪談とは別の、幻想文学の一方の雄というべき浪漫綺譚は少ないながらも書かれて後代へ継承された。たとえば伝菅原孝標女『浜松中納言物語』や藤原定家『松浦宮物語』など。多くの物語は、当然というべきか、『源氏物語』の系譜に連なるものが圧倒的に多く、『浜松中納言物語』や『松浦宮物語』と生まれた腹を同じうする物語が他にどれだけあって人々の目に触れたのか、寡聞にして知らない。
 近世へ至るとようやく、大半が文人の筆遊びであったとは申せ、怪談物語が様々に書かれるようになった。時代性が大きく関与しているのは疑うべくもない。時代風潮が創作へ反映することが間々あるのは、今日を生きるわれらもリアルタイムで創作・出版される小説類を瞥見すれば瞭然の事実である。とまれ、近世程に怪談が人々へ享受された時代は、他に見られない。百花繚乱とも称すべきこの様相に匹敵し得るのは、そうね、遠く海外にまで目をやって19世紀末の英国が思い浮かぶぐらいか。
 平成元(1989)年、岩波文庫から『江戸怪談集』全3巻が出版された。貧書生のわたくしは店頭に並ぶと程同時に購入して読み耽った覚えがあるが、本書には近世期に出版された11の怪談集より、それぞれ数編から数十編を抜粋し、簡単な脚注を付して古典に読み慣れていない人でも苦労なく咀嚼できるようになっている。
 全3巻を通読した思うたのだけれど、民間に流布していた怪談の多くがプロットこそ同工異曲であってもヴァリエーションは様々であり、短いものも長いものも、非日常的世界に読者を遊離させ、酔わせる魔力を備えている。これはどういうことだろう? 日常から離れて、読者の架空のこわい話・気味の悪い話を堪能してもらうこと──即ち、怪談の醍醐味がいずれにもあり、読者は<読み、想像する>ことによってそれを提供されるのに他ならない。
 近世期の怪談の大きな特色として中国産の怪談を粉本としていることが挙げられる。これはさして珍しいケースではなく日本文学は古から中国文学を源泉とし、典拠とし、出典としてきた。『日本書紀』や『源氏物語』、『枕草子』を繙けばその影響が奈辺にあるか、了解いただけよう。
 近世怪談の場合、その拠り所となって数多のネタを提供してきた主たるものは『剪燈新話』であった。『剪燈新話』は元王朝末期から明王朝初期にかけて活動した文人、瞿佑が著した全47巻から成る文言小説集であるが、現在まで残存するの内4巻のみである。中国文人の多くと同様、瞿佑も科挙に合格した役人であったが、その人生は不遇であった。中国小説は概して作者の晩年に成立すること専らなのだが、『剪燈新話』は著者壮年期に成った、といわれる。
 『剪燈新話』は中国のみならず朝鮮やヴェトナム、そうして日本などの東アジア文明圏、言い換えれば漢字文明圏の国々の文学に大きな影響を与えた。2つばかり例を挙げれば朝鮮では15世紀末に『金鰲新話』が、ヴェトナムでは16世紀中葉に『伝奇漫録』が出版される、という具合だ。
 日本に『剪燈新話』が輸入されたのは室町時代中期と推測されるが、定かではない。朝鮮で刊行された『剪燈新話句解』の和刻本が近世初期に出されてから広く読まれるようになり、多くの文人に物語の着想を与えたのである。
 寛文6(1666)年、浅井了意著『伽婢子』が開板された。大南北四世鶴屋南北の『東海道四谷怪談』や河竹黙阿弥の『新皿屋敷月雨暈』と並ぶ、日本3大怪談の1つである「牡丹燈籠」はこの怪談集のなかの同名小説を原作として噺家三遊亭円朝が高座の演目として近世末期に披露したものだが、この「牡丹灯籠」の典拠が前述の『剪燈新話』の1篇「牡丹燈記」である。
 瞿佑の「牡丹燈記」と了意の「牡丹灯籠」、円朝の『牡丹灯籠』を読み較べていちばん違いがはっきりするのは、なんというても後半から結末にかけての展開であろう。以下に列記する。
 瞿佑の「牡丹燈記」では喬という主人公が、お露に相当する麗卿の眠る寺の前を通りかかったばかりに見初められ、棺のなかに連れこまれて(引きずりこまれて、ともいう)死んだ後(!)、「雲陰の昼、月黒き宵」に2人の亡霊が双頭の牡丹燈籠を持った女中を伴い歩き、その様を見た人は重い病を患う。それをなんとかしようと村人たちが道教の法師の許へ相談に行くと、かれは四明山の鉄冠道人に頼むと良い、と教える。乞われて山を降りた道人は符吏(「道教で、護符の命令で使役に使われるもの」と中国古典文学大系〔平凡社〕の訳注にある。P46)を使って、喬と麗卿、女中を捕らえ、自供書を書かせる。道人は判決文を認め、罪によって罰に処し、かれらを地獄へ落とす。道人は山へ帰るが、かれのことを村人たちに教えた法師は啞にされていた──という筋になっている。
 これに対して、了意の「牡丹燈籠」はどうか。荻原新之丞と女の亡霊が、女童に牡丹花の燈籠を持たせ、「雨降り空曇る夜」にかれらと行き逢う者は皆重病となる、とここまでは原話と同じだが、その亡霊が現れないようにする手段は、甚だ日本風に改作されている。短いので終いの文章を引用しよう、──
 「荻原が一族、これを嘆きて、一千部の法華経を読み、一日頓写の経を墓に納めて弔ひしかば、重ねて現はれ出でずと也」(『江戸怪談集・中』P242 岩波文庫)
 「一日頓写の経」とは、本文庫の脚注に拠れば、「大勢集まって一部の経を一日に写し終えること。法華経を写すことが多い」(同)とある。公卿の日記、たとえば藤原道長『御堂関白記』や九条兼実『玉葉』、藤原定家『明月記』など繙いてみると、病を患ったり閑居の折には、法華経を写していることがたしかに多い。「一日頓写の経」とは少し違うが、日本では中古の昔から有事の際には法華経を書写して災厄払いを祈願している。『源氏物語』御法巻では、紫の上が死を予感して出家を願うなかで法華経千部を書写、二条院にて法華八講を執行した。浅井了以が「牡丹燈籠」を書くにあたって斯様な改作を行ったことで、日本人の生活にどれだけ法華経が浸透し、密な関わりを持っていたか、垣間見えるように思える。
 前の2作と大きく異なるのが三遊亭円朝の『牡丹灯籠』だ。むしろわれらが知る「牡丹灯籠」のお話は円朝のものがベースとなっているので、お馴染みの展開と結末であろうと思うが……。こちらでは萩原新三郞はお露の亡霊との度重なる情交によって次第に精気を失いゆき、やがて死んでしまう。と、ここまでは前2者とさして変わるところがない。が、これに続く亡霊騒動は新三郞の隣人が言いふらしたデマなのである。つまり、亡霊の連れ合う姿を見た者が3日と経たずに死ぬ、というのは、物語のなかの現実ではなく、物語のなかの虚構なのだ。
 その後は、実に全体の1/3を費やして萩原の下男と件の隣人を中心とした仇討ちと姦通の挿話が語られてゆく。われらの知る「牡丹燈籠」は円朝の『牡丹灯籠』から枝葉末節を切り捨てたものであるが、それでも、お露のあの下駄の音──静かな夜の江戸の町に響く「カラン、コロン」という駒下駄の音は怖い。これ程までに怖い登場の仕方をする亡霊は、日本は勿論、洋の東西を見廻してもちょっと匹敵する存在が見当たらない。この円朝の怪談それ自体はさして怖いものでもないのだが、あの駒下駄の音だけは本当に恐ろしい。『牡丹灯籠』はこの下駄の音だけでも永く人の記憶にあり続けるのだろう。
 浅井了意記す『伽婢子』の特徴は2つある。第一に、全68篇の大半が中国文学、殊『剪燈新話』に典拠を持つことだ。第二に、『伽婢子』の開板まではどちらかというと庶民の慰みであった怪談が、了意の出現によって一個の文学としての生命を持つに至った、ということが挙げられる。それに気附いた作家は多かれ少なかれいたことだろう。しかし、了意の衣鉢を継ぎ、更に完成度の高い、それでいて洗練された、普遍の生命力を保つぐらいの怪談を創作する者は、そうすぐには現れなかった──その登場には了意の時代から約一世紀を待たなくてはならなかったのだ。それだけの時間を隔ててようやく上方に1人の作家が登場する。かれによって著された怪談物語は近代文学の出現を予見したような、過去のしがらみから脱したまったく新しい文学の衣を纏っていた。
 了意の提示した文学としての怪談を、もはや芸術と称すよりない物語に仕立てあげた人こそ、上田秋成であった。──が、秋成のこと、『雨月物語』のことは、別に語っているし、今後も語ることがあるだろう。そこで本稿では最後に、一個の作品としての完成度や文学性こそ秋成のそれに劣るけれども、了意と秋成を分かつ約一世紀の空白期を埋める意味も兼ねて、都賀庭鐘の作品について書いておく。
 都賀庭鐘の『英草子』と『繁夜話』、『莠句冊』は<読本>という新しい小説のジャンルを確立させた、記念碑的作品である。井原西鶴『好色一代男』に端を発す浮世草子が断末魔の悲鳴をあげ、その時代の終焉を迎えつつあった頃に登場した庭鐘の小説は前後120年に渡る読本時代の幕開けを担ったものであるが、正直に告白すれば、了意と秋成の間に庭鐘を置くのは妥当とは言い難い。ここでかれを取り挙げたのはあくまで空白を埋めるつなぎとしてのものであって、かれの作品に際立った文学性や特質を見出してのことではない。同時に本稿の本旨に則していえば、庭鐘の残した上記3作いずれも怪談ではないがゆえに、了意と秋成の間に置くのは妥当とは言い難い。一般に<伝奇小説>と称される庭鐘の小説は、読本の発展史のなかでのみ秋成の小説と関係附けていろいろと論じられており、内容から両者の関係について述べたものがどれだけあるのか寡聞にして知らない。わたくし自身、『英草子』や『繁夜話』を寝食を忘れて没頭する程に入れこんだわけではないので、これ以上踏みこむことは避けたい。
 しかし、一読者の印象としては、『英草子』と『繁夜話』の内容にも『雨月物語』や『春雨物語』に受け継がれて結実したものはあるように思うのだ。漠然とそれをいうならば、主題の継承・発展は勿論だがそれ以上に、自分の思いに即した原話の採取法や素材の料理の仕方、「語り」の技法などテクニック面で秋成は庭鐘の作品に学び、自家薬籠中のものとして筆を執った、とわたくしは考えるのだ。
 浅井了意についても都賀庭鐘についてもそうだが、近世の小説史を辿る上ではけっして無視できない大きな存在である。にもかかわらず、同じ小説家として見た場合、その人物像や作品研究は西鶴や秋成、或いは馬琴などに大きく後れを取っているといわざるを得ない。わたくしは象牙の塔に籠もることを希望していながら果たさず文学研究の現場からも遠く離れた場所にいて外側から見ている身分に過ぎないけれども、了意や庭鐘を巡る環境はそう大きく変化はしてないのでないか。すべての人物とは流石にいわぬが、斯様に文学史へ名前が出る人物についてだけでも幾許かの研究が進み、等閑視の状況に変化が生じることを望みたい。
 それはさておいても……この分ではいつの日か、生あるうちに書かねばならないかな、この時代の怪談物語集の通史など。◆

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〈歌の独立:未刊の古典エッセイ集『さよこふ』序文〉 [日々の思い・独り言]

 『古今和歌集』を嚆矢とする勅撰和歌集が指揮と恋を二代部立として、その周囲に賀や離別、神祀、釈教を拝するのに対し、平安朝以後の和歌集の決定的モデルケースとなった『万葉集』は雑と相聞、挽歌の3つにすべての和歌は分類される。相聞と挽歌はそれぞれ、続く古典時代と近代以後には恋、哀傷と離別と発展していった。こうした点から、『万葉集』に於ける相聞と挽歌が如何なる性格を持つか、概ね想像できよう。それでは残る雑とはなにか。思うに、雑とは相聞と挽歌の源であり、それらが独立した部立になる前の、和歌の分類の総称であった。
 池田彌三郎は師折口信夫と共著で著した『国文学』のなかで、「日本の宮廷において「正」なる歌儛に対して、在来の日本における伝承歌儛の、由緒正しきものを「雑」と冠して名としたのではなかったか」(P98)という。『万葉集』に於ける雑がどうして「雑」と称されるようになったのか、中国の「正」なる歌儛に対して、日本は自国の歌儛を「雑」と称すようになったのだ、という池田彌三郎の指摘の背景には、その学問の根本に芸能から文学が発生した、という師承の学があるのを忘れてはならないだろう。
 折口信夫は「万葉人の生活」という論文(新全集第6巻)のなかで、雑歌を『万葉集』でいう「歌儛所」、即ち雅楽寮附属の「大歌所」と称すべき部署の掌っている大歌を、その起源と考えている。更にいえば、「雅楽全盛の時代に大歌の勢力の失せなかったのは、日本の神を対象とした祭儀に用ゐた為である。神事に用ゐる音楽としては、神の感情に通じやすい、と考えた古来の音楽或は新曲でも日本語を以て作り、固有の舞いぶりを伴うたのでなくてはならなかったのである」(P35)と折口は考えを進めている。
 中国渡来の奉神楽である雅楽に対し、日本古来の言霊を内包する大和言葉で神に奉ったのが大歌であり、その大歌は日本の音調を伴うものであるから、「神の感情」に訴えかけるなんらかの力を保有することになるのだ。こうした神事の席では、様々な内容の歌が誦された、と思われる。しかし、そうした席の性格上、いったい日常的な素材を歌うなどということがあったであろうか。それゆえ、そこで誦された歌は皆、<ハレ(晴)>の歌としての性格を帯びる他なかった、と思われるのである。
 『万葉集』巻一と巻二は勅撰説があるぐらい整っていながら、いずれも巻尾に至って混乱を来している、とは折口と池田の一致した意見であるが、なぜこうしたことが起こっているのだろう、と考えると、巻一に限っていえば雑歌群のなかに相聞歌が幾首か入りこんでいる点に、その答えを見附けることができる(歌番23-23、76-77)。また、巻五の如く雑歌と大部されるなかに挽歌(歌番794-799)と相聞(歌番806-809)があるのも、手掛かりとなろう。
 このような混乱としか思えない現象が、果たしてなぜ起きるのか。結論をいってしまえば、『万葉集』の三大部立である相聞と挽歌はその発生の最初は雑歌に含まれていたのである。池田の言を借りるなら、そのときはいずれの部立も「未分化の状態」(前掲書P90)だったのであり、裏返していえば、雑歌と相聞がはっきりと別々に配列されている巻八と巻十は、それぞれ完成された状態にある巻だ、といえよう。両巻が『万葉集』のなかで、「家持集」とも呼ぶべき最後の4巻を除けば最も成立が新しいとされる(前掲書P92,或いは折口『日本文学史ノートⅡ』所収「三 万葉集巻八・十」など)所以である。
 次に相聞であるが、これは今日では一般的に恋愛関係にある、或いはその前後の段階にある一組の男女の間で交わされる歌を指すが、そもそもはこうしたのに留まらず、広く人と人との歌のやり取りをいった。<恋歌>としてよりも、<贈答歌>の性質を多分に孕んでいる。相聞は元来、『文選』等で誰かが誰かの許を訪うたり、誰かが誰かの許へ文を送ることをいうた語であり、これと同じ用い方をしたものは『万葉集』のなかにもある(巻四、歌番727詞書)。われらが今日捉えるような相聞の歌は恋情を詠った歌である。が、元の意味に照らせば『古今集』に収まる在原業平とその母伊都内親王の歌(歌番900-901)もやはり、相聞と呼んで然るべきものだったのである。
 折口は「相聞歌」という論文(新全集第6巻)のなかで、「こひ歌といふことは、相手の魂をひきつけること、たま迎への歌といふこと」(P140)だ、という。<こひ(恋)歌>とは<魂こひ(乞)歌>であるわけだ。生きとし生けるものたちの魂の問答であるのみならず、生者と死者の交感すらも「相聞」なのである。
 相聞が時代を経るに従って恋歌のみを示すような風潮になっていったのは、「相聞」と部立されるもののなかに、いわゆる恋歌の占める割合が多かったためであろう。また、池田は前掲書のなかで「雑歌の部立ての中に、相聞歌に属さしめるべきものが混在している形については……巻八の、明確に雑歌と相聞歌とを対立させている雑歌の中にもそれが見られる」(P93)と書いているが、それは師である折口信夫もその主著『古代研究』国文学篇に収められる「万葉集研究」にて述べている(新全集第1巻 P351)。
 『万葉集』巻八、十は共に異なった季節(Different Seasons)の雑歌と相聞を配していて、後の『古今集』を思わせる編集が施されている。両巻に於ける相聞は記述の如く、四季の景物に仮託して自分の想いを詠った歌だ。そうして後代になるにつれ恋歌へと特化してゆくことになる。
 折口は相聞とは元々一種の<かけあひ>であるから、「宮廷・豪家の宴遊の崩れなる肆宴には、旧来の習慣として、男女方人を分けての唱和があった」のをその起源とし、「其が更に宴座のうたげとなると、舞姫其他の列座との当座応酬のかけあひとなる」(新全集第1巻 P352)と説明する。文学の発生が民俗学に於ける芸能に源を持つ、という折口学の視座に立てば、これが事実に最も近いのかもしれない。
 ここから発展して、相聞のなかに含まれる贈答の様々なものが欠落してゆく──そうして最後に残った異性間の恋愛の唱和が、部立としての相聞の代名詞となり、後に恋歌という概念を獲得するのだ。それは同時に、和歌に於ける最大級の主題の誕生をも意味しよう。相聞の最も純化された形が恋歌、と考えてまず異見はなかろう。
 先に生者と死者の交感すらも相聞である、と述べたが、相聞と挽歌は表裏一体をなすものである。死者への悼歌である挽歌にこめられた情が極まれば相聞となるのだ。しかし、挽歌を死者への哀悼の意を表す歌、哀傷歌の意となるのは、『万葉集』の時代よりずっと降った時代のことである。そも挽歌とは折口のいうらく、「一旦游離した魂を取りかへして、身にくつつける、魂しづめの役をするもの」(「歌の発生及びその万葉集における展開」新全集第6巻 P133)であった。これは古代の日本人が生と死の意識をはっきりと区分して持っていなかった頃の習俗、というてよかろう。
 『万葉集』に収められる挽歌は2種類あった。1つはいま述べた元の性質を有した挽歌、もう1つは哀傷としての挽歌である。『日本文学啓蒙』所収の「歌謡を中心とした王朝の文学」で折口は、挽歌とは「魂を鎮める為に謡はれたものである。それ故に魂の気に入りさうなことを謡ふ……死人の魂を鎮めるといふ点に、挽歌の意味があるのであつて、別に悲しんでゐるのではない」と記す(旧全集第12巻P292)。これは日本古来からの特殊な信仰の1つである言霊信仰、また、ラフカディオ・ハーンやジョージ・フレイザーたちの報告からも明らかな、(極東の島国たるここも例外でなく)世界中に散らばる御霊信仰を背景としているのに注意せねばならぬだろう。
 本来、挽歌は歌枕と同様、その地の神、或いは聖霊の歓喜に触れるのを恐れたがための、鎮魂の手段であった。これは『万葉集』巻一にある柿本人麻呂と高市古人(黒人とも)の、荒廃した近江大津宮を詠った長歌・挽歌(歌番29-33)に明らかである。その地とそこに留まる御霊を歌のなかに詠みこむことで、荒ぶる魂を慰撫し、鎮めるのだ。文学が芸能から誕生した一方で、信仰はその精神を支える重要なものであった、といえようか。
 そうした性質を持つ挽歌がいつしか字義通り、死者の棺を挽きながら嘆き、悲しむ、実地に誦する哀悼の歌、という意味へと変わっていった。これはもう『古今集』以下の<哀傷歌>の部立にほぼ等しい。それがためか、『万葉集』に於ける挽歌には長歌が多い。形式的には短歌よりも長歌の方が唄いやすく、また、死者への想いは増幅され、唄う側としても感傷の度合いは非常に高くなる。巻十三の挽歌24首はその好例といえよう。挽歌とはクラシック音楽にたとえればミサ曲やレクイエムに匹敵する役割を担う歌のジャンルだ。と共に、雑歌とは異なり、また相聞以上に実用的な要素を持っているのが挽歌である、といえよう。
 結論に入る。まず始めに雑歌があった。それはまだ細かい部立てが為されていなかったことの呼称である。その時代にはまだ日本人に部立という概念が生まれておらず、当初より細分化を目指すことはなく、まず綜合の方向を目指していた。相聞にせよ挽歌にせよ、最初は雑歌に含まれていたことからわかるように、第一次の雑歌集として『万葉集』巻一は編まれ、そこから第二次の、雑歌・相聞・挽歌と部立できるだけの下地を持った巻二が編まれたのである。「相聞歌と併立する名目である雑歌の前に、高次元に位置する雑歌が考えられる」(『国文学』P92)と池田がいうのは、こうした現象を背景としているからだ。
 巻一を通読してわかるのは、後々まで雑歌に分けられる歌のすべてが<ハレ>の歌である、ということだ。それはやはり、宮廷詩人たちが天皇・皇族に奉った歌が集められているからだろう。すると自然、詠まれる歌は<ハレ>の性格を帯びざるを得ない。しかし人間の感情は常に<ハレ>の歌、公的性格を擁す歌ばかり詠むことを許さない。時に触れ折に触れ、自分の感情を、日常的素材を、生涯の節目となる事件を詠わずにはいられない。そこから相聞や挽歌が生まれ、<ハレ>の歌で詠まれることのない止むに止まれぬ想いを<ケ(褻)>の歌として詠んだのである。それは当然視されてゆき、独立の力を得るまでに成長し、雑歌から離れ、やがて雑歌・相聞・挽歌の三部立を成すに至ったのである。◆

○参考文献
・折口信夫・池田彌三郎『国文学』 慶應義塾大学通信教育部 昭和52年3月
・折口信夫「歌謡を中心とした王朝の文学」『折口信夫全集』第12巻 中公文庫 昭和51年4月
・折口信夫「万葉集研究」『折口信夫全集』第1巻 中央公論社 平成7年2月
・折口信夫「万葉人の生活」
     「歌の発生及びその万葉集における展開」
     「相聞歌」いずれも『折口信夫全集』第6巻 中央公論社 平成7年7月
・折口信夫『日本文学史ノートⅡ』 中央公論社 昭和32年12月
・森朝男「万葉集の構成の展開」『岩波講座 日本文学史』第1巻 岩波書店 平成7年12月
・中西進・校注『万葉集』全4巻 講談社文庫 昭和53年8月−昭和58年10月

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〈能と言える日本:世阿弥ノート──和歌から能へ〉 [日々の思い・独り言]

 能の完成者、世阿弥元清が81年の生涯に書き残した論書は、西尾実によると21種が確認されている、という。それらはいずれも皆、能に関するものであるが、読んでみての印象として特に『風姿花伝』と『花鏡』は歌論の趣を呈しているように感じられる。
 告白すればその印象は学生時代前掲2著に接して以来今日に至るまでずっと抱き続けているものであり、折に触れて繙くのは鎌倉期、殊に御子左家系列の人々の著した歌論へ接するのと似た思いからであった。能と和歌が密なる関係にあるため斯様な思いを抱くのであろうか。おそらくそうであろう、と自分では思うている。
 両者は深い所で源を同じうする芸術形態である。と同時に、和歌停滞の時代だからこそ誕生し得た、和歌を母体とした新しくも閉鎖的な芸術形態が能であり、それを窮極的な意味で完成に導いたのが世阿弥だったのだ。
 和歌を詠む者が『花伝』や『花鏡』を読むと、歌論を読むが如き思いを抱くのはなぜか。単純ながらも結論を述べれば、世阿弥は能楽を歌道と同様に1つの芸術様式として完成させ、<道>として確立させることを己が使命と自覚し、数多の論書を著すに際して歌人によって書かれていた歌論を意識していたがゆえであろう。試みに前掲2著から和歌について触れる部分を抜き出してみる、──

 『風姿花伝』序
 歌道は、風月延年の飾りなれば、尤これを用ふべし。

 同第六 花修云
 たゞ、やさしくて、断りの即ちに聞ゆるやうならんずる詩歌の言葉を、採るべし。

 『花鏡』幽玄之入レ限事
 ……言葉の幽玄ならんためには、歌道を習ひ……。

──能の台本を書く者に和歌は最大の典拠であり、歌道の嗜みは最も基礎的な教養であることを、世阿弥は自著のなかで断言するのだ。世阿弥の論書の各所に歌論を思わせる部分があるのはなぜか、と問いにわたくしは、新しい芸術を1つの<道>として確立させるために歌論を意識したからだ、と答えた。
 では、果たしてなぜそうしたことを行ったのか。和歌という『新古今和歌集』で頂点を極め、完成されてあとは模倣と衰退の道を辿るよりない旧時代の芸術と、能楽という一民間芸能から個性の確立しつつある、一個の芸術としては未だ誕生したばかりの新芸術。後者のように前例のない形態の芸術理念を創作する際、先行する芸術の、場合によっては宗教理論まで援用してゆくのはむしろ当然の帰結だったのであるまいか。一例を挙げるなら、藤原俊成の『古来風躰抄』がある。俊成の時代に於いて和歌は勿論前例のない形態の芸術ではない。だが『古来風躰抄』を著すに際して俊成は、時代風潮と自身の心情の反映からか、天台止観に立脚した歌論を展開している。世阿弥の場合も能の幽玄性を理論化させるために、既にある数多の歌論(勿論それまでに読み得た)のなかから相応しい論を取捨選択、消化した上で理論化の作業を行ったのだろう。だからこそ、かれの論書を読むに際しては、そこに歌論の面影を見るのである。
 新しい芸術様式を完成させる目的で理論を構築するために、既有の歌論を意識し、なおかつ能の台本に多くの和歌を引いて劇性の密度を高めるのに成功したぐらい世阿弥は和歌に精通し、深く理解していたにもかかわらず、今日かれが詠んだとされる和歌はただの一首も伝わっていない。これは世阿弥に限ったことではなく、金春氏信(禅竹)や氏安(禅鳳)にしても同じではあるまいか。和歌──否、「歌道」と称すべきであろうか──を深く理解していさえすれば一首を詠める、というのではない。もとよりそのようなことがあり得るはずはない。
 が、あの時代に世阿弥が属していたのは足利義満や連歌師・歌人として著名であった摂関二条良基を中心とする文化サロンである。たとえ能楽者が卑賤とは申せ、かれらにその才を愛された世阿弥もそこへ所属し、サロンの常として折々催される連歌や歌会の末席にあったとしても、突飛な発想ではないと思うのだが。先に述べた論書にて「歌道の嗜み」を縷々説くのも、こうした席の経験が基になっているのかもしれない。それはともかくとして、そうした場で、世阿弥は連歌を、或いは和歌を詠んだであろうか。連歌に関しては肯定できる。二条良基が尊勝院主に宛てた消息文のなかで、世阿弥を指して「連歌に堪能な者」と称しているからだ。
 それでは和歌に関しては? 前にも触れたように、かれの詠んだ歌は今日に伝わらない。のみならず、連歌の如く第三者によってその存在を報告されることもない。文芸に携わる者の営みが時間の波によって完全消滅することは、古典時代に於いてはまず考えられないことだ。なんらかの形でその消息は伝わるものなのだ。どのような形式であれ報告されていない、ということは単純に、それが為されなかったことの証し、と思うていいのではないか。サロンに於いて和歌を詠まなかった、或いは詠んでも言葉並べの域を出なかった世阿弥は、しかし和歌の本質を、和歌が内包する人間の情念を、あの時代にあっては誰よりも鋭く、しかもはっきりと捉えていた人物である。かれはサロンにあって自分の道を、それまで以上により良く見えてきたに違いない。そうして自分の役割を認識したに相違ない。それゆえに『花伝』を始めとする論書や「井筒」などの台本の筆を執るにあたって、教養の基幹としての和歌を意識し、援用したのであろう。
 世阿弥は遂に歌人とはなり得なかった。しかしサロンで培われた教養が、能の完成に果たした役割は大きい。否、それなくして能の完成はなかっただろう。能は引き歌という手法を採ることで和歌が内包する情念を再構成して物語化し、より深い叙情性を讃えた詩へと進化した。世阿弥は詩(和歌)によって劇(能)を創造し、劇によって詩を復活させたのである。<詩の復活>──その典型を、わたくしは「高砂」と「花筺」に見る。
 後年、世阿弥芸術に耽溺した歌人、吉井勇は「世阿弥元清」てふ詞書を添えた一首を詠んだ、──
 芸道の深さに思ひ入るときや世阿弥の息はいまも身近に
    
(『玄冬』「先達讃歌」 『吉井勇歌集』P201 岩波文庫)◆


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第2297日目 〈ショスタコーヴィチ交響曲第6番のソフトについて〉 [日々の思い・独り言]

 ゲルギエフ=マリインスキー劇場管弦楽団のショスタコーヴィチ交響曲第6番の映像を観て以来、この曲にすっかり取り憑かれてしまった。なんというても最終楽章の脳天気さとすっとぼけぶり、軽みが魅力の源。難しそうな、神経質な表情の写真からは想像できないようなユーモアが、この作曲家の作品にはあるよね。いちばん検閲の対象となりやすいジャンルだったのかしら、殊交響曲ではそう感じます。
 手持ちのバルシャイのCDからは残念ながら軽みは微塵も感じられなかったけれど、仕事帰りに寄り道して買ってきたテミルカーノフ=サンクトペテルブルク・フィルの演奏からはそれが感じられたよ。この人はムラヴィンスキーの後任として、かれの死後レニングラード・フィル、現在のサンクトペテルブルク・フィルを指揮してきた人。これまでテミルカーノフはチャイコフスキーぐらいしか聴いたことがなかったけれど、ショスタコーヴィチも第6番以外をぜひ聴いてみたいな、と思うのである。
 ネルソンスのショスタコーヴィチも評判が良いけれど、わたくしはまだこれを聴いたことがない。あとは、やはりペトレンコを聴いておきたいね。昨年めでたく完結したことだしね。
 でも、案外と第6番のCDって見附からないんですよね。たまたま店舗の棚にないだけなのだろうけれど、裏を返せばそれだけメジャー曲とのカップリングに苦慮する、ということか。改めて書架の奥から工藤庸介『ショスタコーヴィチ全作品解説』を出してきて、これを参考としていろいろ探して、聴いていってみよう、っと。◆

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