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第2590日目 〈『ラブライブ!』舞台となった街への想い。〉 [日々の思い・独り言]

 ちかごろ脇目も振らずに読書し、小説を書き、専ら特定のアニメを観るのに耽っているのは、現在の自分を取り巻く人間関係の何割かに或る種の不満を抱いているからだ。かてて加えてようやく忘却し果せた一年前の亡霊の残滓とこれから付き合ってゆかねばならぬことに嗟嘆する日々が始まるのを知ったからだ。
 古巣へ再び還るまでぜったい会社を辞めない、と誓っているので夜逃げのように姿をくらますつもりはまるでないのだが、前途へ暗雲が立ちこめ、常に黄色信号が点る事態となったのは間違いなさそうである。警戒せよ、敵は身内にあり。言動に留意して、殺られる前に殺れ。
 要するに毎日毎日鬱勃としたものを感じ、9時から5時までタイムカードで切り取られる以外の時間はひたすら逃避に費やしているのだ。こうなる前から営々と行ってきた読書と創作に一層身を入れ、或る作品を契機に再燃したアニメ鑑賞に拍車が掛かっているのは、そうした所以であった。
 「或る作品」が『ラブライブ!』だということは、これまでにも本ブログにて何度か告白しているので改めてここで表明するまでもないか。その『ラブライブ!』の続編として昨夏放送された『ラブライブ!サンシャイン!!』の第二期が、来月10月から始まるのをわたくしは首を長くして待ちくたびれている次第。それに先立って『ラブライブ!』絡みの文章をもしかすると今回を含めて3週程お披露目することになるかもしれない──むろん、結果を知るのが神のみであることは読者諸兄であればとっくにご承知であろう。
 質の高い楽曲とPVを入口に『ラブライブ!』へのめりこんだのだが、と同時に作品が舞台に選んだ土地がわたくしに馴染みある場所であったことも、実は大きな要因だった。たとえば、──
 『ラブライブ!』(『ラブライブ!サンシャイン!!』に対して「無印」とも)の舞台は、神田 - 御茶ノ水 - 秋葉原のトライアングル地帯であった。かつては世界に名だたる電気街、世紀が変わって後は世界に名を馳せるオタクの聖地、その昔は青果市場が鎮座坐す秋葉原は作中でもよく描かれてお馴染みであるが、かつてそこに駿河台・神保町を加えたペンタゴン地帯はわたくしが学生時代──10代後半から20代前半を過ごして<庭>とさえ公言したことのある、魔都東京で殆ど唯一「ここに住みたいな」と望んでやまなかった一帯なのだった。
 21世紀になって秋葉原近郊──神田須田町あたりは大規模な区画整理と再開発のてこ入れが為された場所だけれど、変貌前後を知る者の目にはそのリアリティとデフォルメの絶妙な融合が感動的に映り、自分が足繁く通った場所、どこかへ行く際に前を通ったことがあるその場所、まだ自分が幼かったころ祖母に連れられて暖簾をくぐった記憶がたしかにある(池波正太郎のご贔屓だった)老舗の甘味処「竹むら」など、アニメ絵になって眼前に提示されたら、それをきっかけに『ラブライブ!』へすっかりのめりこんで抜け出せなくなるのは、もはや必然といえよう。聖地巡礼というわけではないが、神保町で古本を漁るついでにちょっとあちこち懐かしさ半分で散歩してみようかな、と思うてみたり。そうか、もう万世橋のところに交通博物館はないんだよなぁ……。
 そうしてもう一つの『ラブライブ!』、即ち『ラブライブ!サンシャイン!!』だが、こちらも舞台となった土地がきっかけで関心を持ったが、今度の場合は前作の比では正直、ない。向こうが或る意味で<青春が詰まった街>と恥ずかしげもなく述べるなら、こちらは<子供の頃に暮らしていた街>、<第二の故郷>である。序にいえば、定年退職後の人生を過ごすと定めた街でもある。
 『ラブライブ!サンシャイン!!』の舞台は西伊豆の要諦、静岡県沼津市内浦町である。御用邸よりもまだ南、半島の海岸線が南下を一旦やめて西方向へ向きを変えるその場所に静かに広がる漁港の街。綺麗な海岸線に経って北西へ目を向ければ淡島とその向こうに千本松原、愛鷹連峰と富士山を眺められる明媚な街だ。「昔住んだ街」とは語弊があるか、実際にわたくしが住んでいたのは沼津市中で、この内浦には何度か連れて来てもらったことがあるだけなのだから。が、それでもここが沼津市の一角を占める場所であることに変わりはなく、生活面では車がないと不便を感じる場面がしばしばあると雖も市中よりずっと暮らしやすいことは実際訪れてみれば実感できることだ。
 わたくしが住んでいたのは内浦から見れば駿河湾を挟んだ反対側──富士山を見晴るかす方向の海縁の住宅地だったが、夜浜辺に出ると対岸の内浦の光が霞んで見えたものだった。寄せては返す波の音を聞きながら眺める対岸の灯は──海の上に漂う薄い霧の向こうで瞬いている灯はなにやら、そう、ひどく想像と感傷をかき立てられるそれであったよ。もうちょっと成長していればそこにギャツビーのような想いを滲ませることもできたかもね。えへ。
 ちかごろ『ラブライブ!サンシャイン!!』を某動画サイトで毎日一話ずつ観進めて、はやくもそれが三周目となってようやく個々のキャラクター絡みの見方になったり、μ’sの精神をAqoursが継承するまでの流れとかメンバー間の葛藤とか、そんなところに(先達の導きもあって)着目して観るようになっているけれど、最初は専ら自分のなかに未だ生々しく息づいている沼津の、内浦の、伊豆半島の光景に惹かれて、と同時にそこで過ごした子供時代の思い出をなぞるようにして、Aqoursの物語を追いかけていった。
 もちろんそれの主舞台は内浦で、自分はそこに根を下ろして生活していたわけでないから、いちばん感傷をかき立てられるのはたとえば、AqoursのPVを作るのに渡辺“ヨーソロー”曜ちゃんが案内してまわる沼津駅南口の外観やリコー通りの入口であったり、学校での初ライブのチラシを配る北口の光景であったり、或いは津島“ヨハネ”善子が国木田“ずらまる”花丸を避けて画面を横切るだけの怪しい人となり果てていたマルサン書店の内観であったり(もっともわたくしが沼津市民であった頃は仲見世通りのなかではなく、スルガ銀行の横、現在は広大な駐車場になっている場所にあった2階建ての頼れる書店であった)、或いはAqours加入に誘われたヨハネが逃げ回る一連の場面はさりげなく沼津の観光名所巡りになっていたり、と様々なのだが、それでもこの作品が沼津市の中心と対岸の漁港を舞台としていなかったら、幾ら『ラブライブ!』と雖もこうした文章を綴ることはなかったろう。鑑賞するわたくしの胸中に懐かしさと驚きと感激が綯い交ぜになっていたことを、ああ、読者諸兄よ、ご理解いただけようか?
 いまはすっかり聖地化して行政や漁協がこの作品をバックアップしているそうである。駅前にはカフェができ、漁協の案内所はAqoursの紹介所と化し、主人公である高海“普通怪獣ちかちー”千歌が住まう旅館はおろか曜ちゃんの自宅位置にある喫茶店までもが繁盛してやまぬという。昨年はどうだったのだろう、7月末の恒例狩野川の花火祭り(住んでいたマンションのベランダからよく見えたなぁ)にはバスツアーが開催されると共に、Aqoursメンバー(勿論“中の人”たちである)も沼津市役所の道路向こうにある香陵広場でのステージ・イヴェントに登場、アニメエンディングテーマ「ユメ語るよりユメ歌おう」のカップリング曲「サンシャインぴっかぴか音頭」が計4回披露されたそうだ。
 一方で高海千歌の実家が営む旅館のモデルとなった宿の、某旅行サイトに寄せられた常連と思しき方からの苦情も散見されたりする。これはいけないよ。聖地巡礼は遊びではない。消化されるべきイヴェントでもない。あくまで地域振興の手段である。訪れるファンは皆礼儀を忘れないようにしよう。騒ぐ輩に天罰あれ。
 嗚呼、友よ。生涯の友、ワトスン。そろそろわたくしは旅に出ようと思うのだ。いまならわたくしはかの地を訪れることができる。昨年は十把一絡げに同類の輪で括られるのがなんとなく厭で足を向けられなかったのだけれど、いまはもはや<恥は掻き捨て>である。<同じ阿呆なら何とやら>である。即ち、3年ぶりに沼津の地を踏もうと思うのだ。もはやラブライバーと思われても、すくなくとも表面上は平然と取り繕っていられる鉄面皮ゆえに、斯く思われてもなんとも感じぬ。それは同時にここ数年で頻繁になって来ている<隠遁の地>を探し歩く旅でもある。
 それがたまたま内浦とかあの辺りなだけなんだからね! ──か、勘違いしないでよね。わたくしはけっして動揺していない。ほら、君、見たまえ、キーボードを打つ手だって、震えたりしていないではないか。わたくしはラヴクラフトの小説の語り手ではないのだ。
 『ラブライブ・サンシャイン!』に関していえばわたくしの場合、聖地巡礼は子供時代を過ごした懐かしい土地を再訪することである。◆
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第2589日目 〈中沢健『初恋芸人』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 BS未加入だと観たい番組を観られず、地上波で流れる予告CMや番組紹介の記事に接する度刹那の憤慨を催すことがある。まあ、その憤慨も一時期よりは鎮まるようになったけれどね。これについてはNHK-BSがクラシック番組を殆どまったく流さなくなったことが大きい。ベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートだって、ここ数年は生中継していないんじゃない?
 たいていの番組ならさっさと忘却できるようになったけれど、昨春にBSプレミアムで放送されたこのドラマだけは観たかった──それが松井玲奈主演の『初恋芸人』。……にもかかわらず、特にこちらからアクションを起こして万難尽くして観る手段を講じたわけではない。CSで放送されたら観ればいいや。そうさっさと諦めたことのだ。斯くして時は流れて昨秋へ至り、──
 昨秋? 然様。神保町の一角に店舗を構える老舗新刊書店の文庫売り場の平台に、かのドラマの原作本が平台に積まれていた。半年前の刊行物ゆえ特に新刊として扱われていたわけでも、企画コーナーの一冊だったわけでもない。どうしてあの時期に平積みされていたのか皆目不明だけれど、ドラマ放送時の帯が巻かれたその文庫を見掛けた途端迷わず摑んでレジへ運んだね。
 ……というわけで、中沢健『初恋芸人』(ガガガ文庫)を読みました。
 怪獣・特撮ネタがウリの芸人、佐藤賢治(勿論無名)はライヴ後の打ち上げの席で自分のコントを「面白い」といってくれた市川理沙に一目惚れした。そのあと市川嬢からのメールをきっかけとして友達付き合いが始まる。想う気持ちはどんどん大きくなり、交際を熱望するまでになったが、やがて初恋は思いもよらぬ形でピリオドが打たれる──。
 市川嬢の無自覚な台詞とスキンシップが主人公を惑わせたのだ。現実でも男女問わず存在するよね、他人との距離の取り方が下手で誤解を与えてしまう人。佐藤も悩んだが、市川嬢も悩んだのだ。それもあって彼女は、より大きな安心を与えてくれる年上の男性、主人公の先輩芸人と将来を共にするのを選んだのだった。
 読み始めた当初は、単に女性との交際経験がまるでない芸人の報われない初恋を描いただけのお話、と思うていた。事実、第一章を読んでいる最中はそのあまりの初々しさ、あまりの微笑ましさに口許が終始緩みっぱなしで、これを読んでいた頃の通勤電車の車中では緩む口許を隠すアイテムとしてマスクが必需品であった程である。
 その裏返しかしら。詭弁を弄して気持ちを伝えることを先延ばしにし続ける主人公の、その意気地なさと決断力の欠如にひたすら腹が立ち、これでは市川嬢と両想いになったとしてもすぐに別れるわ、と妙に納得させられたのは。一方で市川嬢は欺瞞だ計算だと罵られても仕方ない言動で主人公を翻弄して、挙げ句に最終章の語り手役をかっさらい、美辞麗句で自分の気持ちと選択を正当化する。最終的に二人は、それもエゴと欺瞞ゆえにもはや修正の効かない未来を自らの手で作り出したのだ。この二人、恋人になったり夫婦になったりしないで正解かもしれぬ。
 とはいえ、物語が進むにつれてページを繰る指が重くなってきたのも事実。読了後はずっしりと沈みこんでしまうた。咨、老いらくの恋の只中へある者にこの小説は重くて、苦い。傷口に塗りこまれる塩分濃度ときたら、婚約者の死後四半世紀の間に唯一度、初めて自分から告白して待たされ振られた時分に読んでいた有川浩『図書館戦争』シリーズよりもはるかに濃く……。
 初恋を描いたお話としてはよくある顛末で、筋運びもテンプレート通りなのにもかかわらず、読み終わってみればこちらの心を容赦なく抉ってくるビター・スウィートな小説だった。いやぁ、恋は苦いね!◆
2017年04月29日 23時40分


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第2588日目 〈夏過ぎて、秋は来にけり、よかったな。──無沙汰の挨拶。〉 [日々の思い・独り言]

 ただいま! 夏の間は不定期な更新になって相済まなかった。可能な限り暑い夏は働きたくない、という程にこの季節を疎んじ厭うがゆえ、たとい例年に較べて涼しく過ごすことが出来たと雖も季節が忌まわしき<夏>であることに変わりはなく、為に暑かろうが涼しかろう(寒かろう)が夏であることに変わりはないじゃん、と開き直って過ごしていたら、肝心のブログ更新も週一から二週に一度となり、挙げ句にもはや三週間も停滞しているとなっては弁解の仕様もない。詭弁を弄する準備はあるが、それをやると向こう三ヶ月毎日更新する羽目になるのでそれはやらない(本気にしないよう、読者諸兄にはお願い申しあげる次第)。
 さて。そう小林完吾風に曰おう。ただ、元日本テレビ・アナウンサー小林完吾を知る人がどれだけ本ブログをお読みくださっているか見当が付かないけれど、それはまぁそれとして、話を先に進めよう。GoAhead.
 お休みというかサボっているというか、表現はともかくみくらさんさんかが皆様の前から姿を消していた間、肝心要のわたくし──みくらさんさんかを演じるわたくしの身の上には、まぁいろいろありましたね。たとえば? お話しできる範囲でいえば勤務先が変わり、就業時間が変わった。トータルで見ればお給料はわずかに上がったもののその代償か、通勤場所がこれまでより微妙に遠くなり、従って満員電車に揺られる時間も延びてしまい、もう毎日がわちゃわちゃしております。メリットがあるとすれば昨年のこの時期にも同じことをいうた覚えがあるのだけれど、一日平均の読書ペースが上がり、一冊を読了する日数が短縮されたことでしょうかね。勿論本のジャンルや分量、活字のフォント、ページのレイアウト、諸々加味することになるので一概に「短くなった」とは申せないのですが、均せばそんな具合であります。
 もっとも、そんな状況であったも原稿は書き、ブログ更新にこれまで勤めてきたわけですから上記がまさに言い訳の範疇を出ないことはじゅうぶん承知している。とはいえその間仕事を離れたところで、常なら本ブログのための原稿をしこしこ書き綴っているべき会社外の時間はなにをしていたのかと訊ねられても、わたくしは正解をお伝えすることができない。疚しいことでも後ろめたいことでも公言を憚られる類のものでもないことはご理解いただきたいのだけれど、単にわたくしはその間自分が行っていた作業について口を開いてご説明申しあげる勇気を持たないのだ。持たない、というよりも、敢えてご説明する必要性をまるで感じないだけの話。もっとも、この間に行っていた内緒事はもしかすると、遠からず本ブログにてお披露目できるかもしれない。──が、そのような事態にならないことをわたくしは切に祈っている。お披露目できるということはある意味で箸にも棒にも引っ掛からなかった、という意味なのだから。嗚呼!!
 ところで久しぶりの休日に海ある故郷の或る喫茶店にてコーヒーを飲みながらこの文章を、Mac Book Air相手に弾丸の如くキーボードに指を走らせて綴っているのだが(1179語。ここまで約十五分)、本ブログの今後の、あまり信頼できない展望についてお知らせしておきたい。
 更新頻度が週に一度となるか、あるいは二週に一度か、状況によって流動的になるのは否めないとしても、取り敢えず一ヶ月に最低二回は更新することを約束しよう。胸を張ってわたくしは諸兄に公約する。それが何ヶ月続くかわたくしにもその実さっぱりなのだが(おい)、お披露目するエッセイがどのようなものか、それは概ね決定している。というても3ヶ月近く前に決定稿が仕上がっている小説2冊の感想と、第一稿のまま筐底に秘した『ラブライブ!サンシャイン!!』に関する文章(休日の朝、まだ覚めやらぬまま綴ったものでね)が、その待機リストにあがっている。その他にも執筆予定として以前に予告していた綾辻行人『霧越邸殺人事件』と『深泥丘奇談』全3巻(いずれも角川文庫)、歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』(文春文庫)の感想、マレイ・ペライア奏でるバッハ作品への種々の想い、YouTubeで観たサイモン・ラトル=ロンドン響及び超豪華ゲストによるヴァンゲリス作曲/映画『炎のランナー』メインテーマと、チェリビダッケ=ミュンヘン・フィルによるラヴェル《ボレロ》の感想、お馴染みな日常雑記・心象吐露エトセトラエトセトラ、盛りだくさんというもおこがましい平常運転の内容をお届けする予定だ。
 そういうたかて、現時点でどれだけ仕込みが済んでいても結局は<絵に描いた餅>に過ぎないので、これ以上の贅言は慎むことにするが、こんな具合にこれからも更新・お披露目してゆきますよ、というわが身への諫めも兼ねた予告編であることをどうぞ、読者諸兄にはご了承願いたいのだ。
 年度が替わる頃には毎日更新に戻ることができればいいな。久しぶりに読者諸兄の前に姿を現したみくらさんさんかはそんな春風駘蕩なことをお気楽に述べた後、即ちいまこの瞬間、筆を擱いてふらふら駅前の大衆酒場へ遊びに行ってまいります。ビバ!◆
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