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第2284日目 〈小説読み、それは罰せられぬ悪癖である──2016年上半期読書目録を記してみた。〉(ウォーキング・トーク、シッティング・トーク) [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 そういえば今年になって自分はどんな小説を読んだのだろう。昨日の原稿を予約投稿してから、ふいにそんなことを思うた。本稿に於いて勿論「本」とは小説を指す。日本ならば近代以後の、西洋ならば18世紀以後の。そこでこの機会に今年読んだ本をリストアップしてみることにした。その他の選考基準;再読は含むが摘まみ読みは除く。
 この条件下にみくらさんさんか、考える──。果たして西洋の小説を挙げるほどは読んでいないことに気附かされつつ。ちかごろとんと頼りにならぬ記憶だけでなく、知己の人宛のメールやメッセンジャー、LINEなども動員、点検してみたら、以下のような雑多な目録が出来上がった。取りこぼしはあるかもしれぬが、その代わり盛ってはいない。すべてが順不同で、──
 ○有川浩
 『海の底』
 『クジラの彼』
 『ラブコメ今昔』
 『ストーリーセラー』
 『キケン』
 『シアター!』(既刊3冊)
 『明日の子供たち』
 『キャロリング』
 『空飛ぶ広報室』
 『植物図鑑』
 『阪急電車』(再)
 
 ○米澤穂信
 『ボトルネック
 『儚い羊たちの祝宴』
 『氷菓』(再)
 『愚者のエンドロール』(再)
 『クドリャフカの順番』(再/現在)

 ○五木寛之
 『金沢あかり坂』
 『金沢望郷歌』

 ○佐藤春夫
 『小説永井荷風伝』
 『田園の憂鬱』
 『わんぱく時代』

 ○源氏鶏太
 『青空娘』(再)

 ○獅子文六
 『コーヒーと恋愛』(再)
 『悦ちゃん』

 ○小野不由美
 『鬼譚百景』
 『残穢』

 ○西村憲
 『世界の果ての庭』

 ○泉鏡花
 『高野聖』(再)
 『草迷宮』(再/山本タカト画)

 ○岡松和夫
 『断弦』(再)

 ○小川国夫
 『或る聖書』(再)

 ○佐々木邦
 『ガラマサどん/使う人使われる人』
 『凡人伝』

 ○八木沢里志
 『森崎書店の日々』
 『続・森崎書店の日々』

 ○フィリップ・K・ディック
 『聖なる侵入』
 『ティモシー・アーチャーの転生』

 ○オスカー・ワイルド
 『カンタヴィルの幽霊/スフィンクス』
──以上。
 嗚呼、と天を仰いで嘆息した。2016/平成28年も今月で上半期を終えるのでちょうど良い機会と思うて回顧してみたのだけれど、なにやら手当たり次第な印象は拭えない。行き当たりばったりと言い換えても大差あるまい。仕事と聖書読書の狭間のわずかな時間のなかで、よくもまぁこれだけの冊数をこなしたな、と思う。時は金なり、継続は力なり。塵も積もれば山となる。普段からこうなのか、と訊ねられたら、「いいえ」と即答する準備はできている。たぶん1年を通してようやく同じぐらいの数になるのではないか。今年は特別。が、その要因は不明だ。おそらくは考えているうちに除夜の鐘が鳴るに相違ない。
 (再)は再読の意味だが、海外作家から極めて少ないエントリーとなったディックとワイルドも実は再読である。なぜ(再)の印を付けなかったかというと、むろん忘れたのではなく、共に新訳だからだ。以前『ヴァリス』の稿で触れたようにディックはサンリオSF文庫の大瀧啓裕訳で親しんだ。ワイルドは表題短編を中公文庫の福田恒存・福田逸訳で馴染んでいる。旧訳には旧訳の良さと思い入れがあり、新訳には新訳の良さと面白さがある──とだけいうていまは片附けよう。そうやって、まるでサイズの合わない大きな服を着させられたような落ち着かなさに蓋をしよう。
 海外の作家が読書のメインだったら目録はもう少しこぢんまりとしたものになっていただろうけれど、日本人作家が多いから斯くの如しとなった。でもこうまで海外の作家の小説から離れてしまっているのはどうしてなのか。その理由の1つは本ブログそのものにある。そう、聖書だ。原稿が書かれようと書かれまいとわたくしはほぼ毎日聖書を開いている(ん?)。考えようによっては大部な海外小説を毎日読んでいるに等しい。登場人物はイエス以下多士済々。かれらは皆外国人だ。お察しいただけるかな、ここまでで、海外の作家の小説から離れている理由が。つまりは趣味で読む小説のなかでまで外国人名のオンパレードに曝されるのは嫌だよ、という無意識の回避。まぁ、そうしたわけだ。
 さて、来月1日から2016/平成28年下半期である。師走になったら再び今日と同種のエッセイを物す予定だが、そのとき目録はどのような内容になっているか。日本人作家と海外の作家の比重に変化はないと思うし、その雑多なる行き当たりばったり的な傾向についても変わるところはないであろう。既に机の脇の棚には『クドリャフカの順番』以後に読む本が、ずらり、と待機している。旅行記を中心に小説以外のものも並ぶが、いまここに並ぶもの以外にもこれから新規参入本だってあるに違いない。
 読書は罰せられぬ悪癖である、というたのはオスカー・ワイルドであったか。わたくしはいま、上掲の目録と年末に書かれるであろう目録を思うて、奢灞都館の出版目録の扉にも引かれたワイルドの言葉の意味をしみじみと感じているところである。◆

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第2283日目 〈ちかごろ日本人作家に傾く理由──われらはそんな世代なのだ。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 ここ数年で読む小説外国のものから日本のものに比重を移してきたのは、どうしてだろうか。外国の作物で読みたいと思うものがなくなった? ノン! 本屋へ行けば読みたいものなんてザラにある。誘惑されっぱなしだ。にもかかわらず手が伸びない。外人名が覚えられなくなったり、途中で誰が誰だかわからなくなっちゃう? 極々一部を除けばそれこそノンだ。きっと自分でも意識したこともないような理由がそこには潜んでいるに違いない。が、以前程は積極的に手を伸ばさなくなった理由の1つには、新刊であれば殊に文庫の場合総じて単価が高くなっている傾向のあることの他、単純に「読みたい」という烈しい情熱を抱かせるようなものが翻訳されなくなった、という点に集約できそうである。
 最近日本人作家のものをよく読むようになったのは、自分が読みたい物語を書いてくれる人が多くなったからだ、といえよう(追悼、宇野功芳)。現在、第一線で活躍している中堅作家は自分とほぼ変わらない文化を享受した、ほぼ世代を同じうする人たちだ。なにしろ背景となる種々のフィクションや時代風俗などが共通項だから、どんなに奇異な設定であろうとも、さして拒絶反応を示すことがないのである。われらはそんな世代なのだ。もっとも、いま読んでいる日本人作家のなかにはわたくしが海外文学に熱中していた頃から活躍している人もいるので、以上述べてきた理由は氷山の一角にしか該当しないのだが……。
 要約すれば、いまの自分が面白い、と思い、読みたい、と思う作家の比重はどちらかといえば日本人の方に傾き、しかもそこから離れることはしばらくの間は難しそうである、ということ。
 さて。明日は休み、特に外出する用事もないので読みかけの学園ミステリでも読もうかな。◆

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第2255日目 〈被災地の方々へ、音信不通の知人へ;ガンバレ、九州。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 熊本地震について、時々刻々と被害の大きさが明らかになっています。
 亡くなった方々もあることが、先日の更新後に判明し、本稿執筆時点では37人にのぼる由(読売新聞“YOMIURI ONLINE” 2016年04月16日20時14分更新記事に基づく)。
 亡くなった方々のご冥福を祈り、ご遺族の方々に心からお悔やみ申しあげます。
 家屋の倒壊により閉じこめられて未だ救助されていない人々もいると聞く。願わくば、行方不明者の方々の安否が一日も早く確認され、皆無事に救助されますように。
 避難生活を送っている方々は体調管理にお気遣いください。持参した物でも援助物資でも構いません、食べるべき物を食べ、飲むべき物を飲み、そうして心身の平生に努めてください。
 それどころであるものか、と反駁されるかもしれない。が、被災地にいて音信不通の知人を含めて、被災地の方々には良心と良識を持っていまを生きてほしい、と願うのです。
 わたくしに出来るのは本ブログにてこうして言葉を発信すること、義援金と物資を送ることぐらいですが、1日も早く以前のような日常生活が帰ってくることを祈っています。
 ガンバレ、九州。ガンバロウ、九州。
 ──被災地の外にいる人々よ、われらは再び団結しよう。◆

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第2253日目 〈4月14日21時26分頃、熊本県で大きな地震がありました。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 4月14日21時26分頃、熊本県でマグニチュード6.5、県内益城町にて最大震度7を観測する大きな地震がありました。深度7を超える地震は東日本大震災が発生した2011年3月11日以来とのこと。海面がやや上昇するかもしれないが、津波の心配はないとのこと。
 夜の安堵の時間に襲った大きな地震。
 ニュースやTwitterでリアルタイムの報道等がされています。まずは正確な情報を把握して、落ち着いて行動しよう。現地に知己の人がいる場合は災害時の伝言ダイヤルやLINE、Facebookメッセンジャーも利用して、安否の確認をしよう。
 家屋の倒壊や火災、ガスや電気の供給停止など、様々の被害が出ています。負傷者は多数いるが、現時点では死亡者はいない様子。今後も余震が続くでしょうが、被害の拡大が食い止められるを願います。県外の警察や消防に加えて陸上自衛隊も既に動き始めて被災地入りしているそう。
 鹿児島県薩摩川内市の川内原発(九州電力)、愛媛県伊方町の伊方原発(四国電力)、いずれも異常はないといいますが、余談は禁物。
 ──地震発生時、スタバでのんびり原稿を書いていた自分。東日本大震災と異なり、こちらで揺れを体感していないことも手伝って、正直なところ大きな地震が国内であったという実感はない。それだけにこんな大きな地震の報道に接して、なにもできない、なにも行動できない自分が虚しいです。今自分にできるのは、正しい情報、誤った情報を取捨選択して、Twitterであればネガティヴなものはリツイートしないよう心掛け、今日から始まるであろう支援活動にどのように関われるかを考えること。
 被害を誇張するような情報、誤った支援を呼びかける情報に、被災地の外に住むわれらは惑わされないようにしよう。
 現地の方々が不安に負けず、良心に根ざした行動をし、以前と変わらぬ生活に早く戻れますように。
 わたくしはなにをすべきか?◆

 4月15日00時27分、横浜でも地震がありました。震源地は駿河湾南方沖、マグニチュード3.9、最大震度不明──。□

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第2197日目 〈今日のお知らせ〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 由々しき事態の発生により原稿が書けなかった。どういうわけだが感想が書けなかったのだね。該当章を読んで本文を書いたら、もうそこで頭が停まっちゃった。もう考えるのはイヤだ、って感じに。ストックがない以上、はなはだ遺憾だが本日はお休みをいただくとしよう。でも、予定の期日には終わらせます。
 ……それって1日2記事の更新がある、ということ? YES! わたくしもやるときにはやるのだ。ただ、やらねばならぬときにエンジンが掛からなくて、あとで困った困った、と頭をかく羽目になるだけなのだ。どんなもんだい。──まぁ、こういうもの書いている間にさっさと清書しろ、という話なのですけれどね。いやはやなんとも。
 さて、池田昌子吹き替えで『ローマの休日』を観ようかな。◆

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第2170日目の前に、「その原稿、内容に問題ありて……」 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 「コリントの信徒への手紙 二」第3章の原稿をお目にかける予定でしたが、表題通りの理由にてお披露目を延期させていただくことにした。
 余白のようにくっついているエッセイだが、今回の内容はあまりに過激かつ攻撃的ゆえ、このまま公開すると関係各方面より提訴されるやもしれぬため、斯様な判断をさせていただく次第。
 エッセイを新稿に差し替えた版は本日午後遅い時間にお披露目とする。
 何卒ご了承いただきますようお願い申し上げます。
 これよりわたくしは寺尾聰の『リフレクションズ』を聴きながら、新稿の筆を執ろうと思う。それではごめん。◆

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第2085日目 〈本日臨時休業;わたしは負けない。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 まことに申し訳ないが、ただいま闘争中のため本日のブログはお休みとする。
 実はさきほど風呂上がりにわが天敵と遭遇し、仁義なき戦いを繰り広げているのだ。
 おかげで部屋は大混乱に陥っている。明け方までに復旧作業を終わらせたいが、被害は甚大である。正直、明日明後日の更新も危うい。
 季節外れの赤茶けたゴキブリめ、かならず握りつぶして抹殺してくれる。◆

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第2082日目 〈みくらさんさんか、ただいま「体力作りの秋」を堪能中。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 ちょっと今日は「ローマの信徒への手紙」のブログはお休みして、他の話題を俎上に上そうと思います。ううん、ちがうよ、原稿が書けていないわけじゃぁ、ない。完成していないだけである、と胸を張ってみる。
 さて、うれしいことに7月から12月までの約半年、村上春樹の新刊ラッシュが始まっている。8月はなんの音沙汰もなかったけれど、これだけの点数が刊行されるのはいったい何年ぶりだろう。うち2点は過去の単行本の文庫化だけれど、それとてファンにしてみれば<祭り>の一環になっているのだ。
 ところでわたくしは、村上春樹が昨年だか一昨年だかにジョギング専門誌(というのがあるの? もしかするとスポーツ雑誌のジョギング特集かなにかだったかもしれない)へ寄稿したエッセイが単行本に収録されることを望んでやまない者である。走ることについて氏が語った本は、『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋/文春文庫)がある程度で、他にはわずかにエッセイ集や紀行文のなかの一場面として、走っていることが語られているぐらいだった。
 これまではあまり──一読はしても再度手にする機会のなかった、書架のなかではほぼ死蔵に等しい扱いを受けていた本書だが、この2週間ばかりは自発的に手に取って氏のジョギング観(というてよいのか?)に触れること度々である。
 というのも、ちかごろ体力の低下を頓に実感していることに加え、スーツのズボンがはけても殆ど余裕のない状態に顔色を青くしたことに端を発して、会社の昼休みの後半を使ってビルの最上階からエレベーターの連結階まで20数階分の非常階段を歩くようにしているのだ。
 むろん、アドヴァイザーはいる。周囲には趣味というてよいのか、カルマというてよいのか、ジョギングを日常としている人が何人もいる。スポーツに勤しむ人は、見渡せば他にも何人となくいた。その人たちの助言をいれて、いまはまだ降りるだけの状態だが、体が馴れてきたら今度は数階ずつ階段を上ってゆこうとしている。
 階段を降りていると、本当にいろいろなことが思い浮かんで、消えてゆく。その最中だったのだ、村上春樹の上述のエッセイ集を帰ったら読もう、と思い着いたのは。それがきっかけで、この2週間ばかりは自発的に手にしてそれを繙くようになったのだ。
 そうなると、かつて書店で見掛けたもののジョギング専門誌(というのがあるの? もしかするとスポーツ雑誌のジョギング特集かなにかだったかもしれない)への寄稿ゆえに流し読みをしてそのまま棚に戻してしまったエッセイを、今一度読みたくなって仕方ないのである。これが単行本に収められればいいのだけれど、なかなかそんな機会は巡ってきそうにない。来月刊行される紀行文集に収められる様子もないし、……となると読みたい気持ちはますます募ってゆくのだ。まるで<逢不逢恋>だね。
 実は同僚から来年の三浦マラソンに参加しようよ、と誘われている。聖書読書ブログも完結していないのに練習時間なんて割けるわけない、と思うておるから、のらりくらりと逃げているけれど、一昨日あたりから(まだ同僚には黙っているが)リタイア覚悟で走ってみようかな、と倩妄想しているところだ。
 本業は坐り仕事だから体を動かすことはないし、業後もスタバに行くまでの片道約3キロは徒歩だけれど、着けば再び数時間坐って原稿を書く、しかも姿勢がやや悪い、となれば、放っておいても肉は付くし、体力も少しずつ低下してゆくのを実感してる身としては、どこかで無理にでも体を動かす必要が出てくる、という次第。それが非常階段の昇降の実行であり、マラソンへの参加検討に結びついている。
 昨日、わたくしは伊勢佐木モールで飲んだくれて、午前様だった。当然終電はなく、歩いて帰った。汗も結構かいた。が、以前のように相撲さんみたいな歩き方ではなく、もう少しきびきびした歩き方であったこと、そうして途中でペースが落ちることもなかった。トレーニング(呵々)を始めて間もないのに、早くも体は変化を起こしてきているようである。
 このままだとお腹を空かしてハチミツを探しているくまのプーさん、もしくは一緒にモフモフしようぜとわめいている不良中年テディベア、テッドの如きわが外見は失われてしまうことになるかもしれぬが、それも致し方ない? いやぁ、正直なところ、それは避けたいのだけれど……。◆

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第2063日目 〈今日のブログはお休みするよ、っていうお知らせと、『ビブリア古書堂の事件手帖』を巡るわが思いの断片。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 本日この時間から公開予定だった「使徒言行録」第20章ノートですが、作成済みの原稿に重大な欠陥が発見されました。為に予定を変更して,当該ノートは明日からの公開に変更させていただきます。
 読者諸兄には二重三重にご迷惑をお掛けして申し訳ありません。が、これも質の向上を目指してのこととご理解の上、どうぞご寛恕くださいませ。
 それにしてもどうしてこれだけ大きな欠陥をこれまで見過ごしていたのだろう。大きすぎたから、却って見逃してしまった? うん、そうかもね。そう考えて慰めることにするよ。よくある話だものね(え、ないの!?)。
 でも、これだけでは味気ないので、幾つか小さなお話をさせていただこう。
 ──えっとね、近頃の寝しなの読書は三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』(メディアワークス)であります。既刊6巻のうち、後半の2巻は読まずに積んであったのだよ。理由は聞かないでくれ、知らぬが仏さ。すべての鍵はドストエフスキー氏が握っている、ヒントを与えるならこの一言かな。呵々。
 この作品の良くないところは、扱われる作家の本を無性に読みたくなることだ。これは好ましからざる現象だ。一方でこの作品の良いところは、扱われる作家の本を無性に読みたくなることだ。縁なきまま過ごしてきた作家を読む良き呼び水となる。どちらにせよ、紹介される本その物には辿り着けぬし、辿り着こうと考えると底無し沼に嵌まりこむ。
 第3巻まで読了したいま、改めて読んでみようかな、と思うておるのは宮沢賢治だ。『春と修羅』──栞子さんと昴くんの間で交わされた会話のなかに出る詩「昴」を読んでみたいな、と思う。併せて、『バーナード嬢曰く』第2巻に登場した「告別」も。だいじょうぶ、余剰金は幾許かながらも、ある。……あ、本屋へ行く前にラーメン食べなくちゃ……。
 も一つ小さな話をしよう。未だ醸成できていない『ビブリア古書堂の事件手帖』の話を。
 渡部昇一『青春の読書』(ワック)は読了しているのだが、どうも『ビブリア古書堂の事件手帖』を読まずにこの小説を引き合いに出している気のする箇所がある。書物には<版>というものがあることを、恩師架蔵の『古今和歌集打聴』と自分が購入した『古今和歌集打聴』を見較べて知る挿話に前後して、著者は『ビブリア古書堂の事件手帖』に触れる
 曰く、最近は『ビブリア古書堂の事件手帖』がベストセラーになったお陰で日本の読者も書物の版について詳しくなってきている、と。
 初めてこの箇所を読んで以来、胸のなかにはものすごいモヤモヤ感が募っている。まだ正確な言葉は与えられずにいるけれど、著者は本当に『ビブリア古書堂の事件手帖』を読んだのかなぁ、と疑問が湧いている。たしかに本書のお陰で書物の版について知り、知識を得た人もいることだろう。
 でも、この書き方にはなにか引っ掛かりを感じる。『ビブリア古書堂の事件手帖』は古本の知識が詰まったノウハウ本、或いはなにかの教義本かなにかのように思っていらっしゃるのかしら。古書にまつわる本って,或る意味で著者にはいちばん似つかわしくないのだけれど……。穿った見方をすれば、最近の流行りも押さえていますよ的なものさえ感じる。鼻白んじゃいますね、事実だったならば。もしかすると渡部昇一はドラマを先に観て、そのあと原作小説の存在を知ったのかもしれないなぁ。
 この件についてはもう少し再考してみよう。価値あると判断すれば一個のエッセイに膨れあがるだろうし、どうでもいいや、とわたくしが判断すれば、このまま闇に葬られることだろう。
 うぅむ、ドラマって言葉が出ちゃったなぁ……自らスイッチを入れるようで恐縮だが、いまいちど申しあげれば、ドラマ版『ビブリア古書堂の事件手帖』は非道い出来だった。当初は剛力彩芽ばかりを批判したけれど、顧みれば全員が全員、壮絶なミス・キャストであったように思われる。セットはとても良くて、雰囲気も出ていたのだけれど。
 ゴーリキが「栞子さんのイメージ、ぶっ壊します!!!!!!!」なんて思い上がりも甚だしい台詞を別の機会に、別の場所でひっそり発信しておれば、わが憤慨もここまで大きくならず、ドラマ版への印象も少しは変わったかもしれないのに(「かも」というところは目障りでない程度かつ可能な限り大きなポイントで表現したい)。正直なところ、このドラマを観て、演技が幼稚園の学芸会レベル、台詞が咀嚼されていなくても、事務所のゴリ押しがあれば主演女優になれることについて、わたくしは本心から感銘しておる。栞子さんってあんな頭悪そうな顔していないよね、という意見があるが、わたくしもそう思う。
 久しぶりに怒ってしまった。いけない、いけない。
 渡部昇一や剛力彩芽のような者の言葉は掃除機に吸わせてゴミ出しすれば良い。気分もすっきりじゃ。
 閑話休題。
 しばらくの間、寝しなの読書として『ビブリア古書堂の事件手帖』を読むことになる。残り3巻の読了まで、あとどれぐらいの日数が必要だろう。仕事のこと、家のことから解放される唯一の時間に激しい内容の小説は読みたくない。冒険物なんて最悪だ、そのまま興奮して睡眠時間がなくなってしまうからね。やっぱりこうした時間には人間の優しさや善意、人肌の感じられる小説が読みたいよ。そんなことを考えれば、『ビブリア古書堂の事件手帖』は現状では最良かつ最善のセレクトであった。次に控えるのは佐々木邦と小山清になるかな、この分だと。
 それでは明日、「使徒言行録」第20章ノートでお会いしましょう。◆

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第2050日目 〈緊急呟き:さんさんかラジオ 〜 わがiPhoneは瀕死なり、ゆえに機種変更をする。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 今夜は予定を変更して<緊急呟き:さんさんかラジオ>であります。
 iPhone5をだましだましの状態で使用してきた。バッテリーの減り具合はホンットウに気紛れになってきて、通話前は90%あったものが電話がつながった途端に0%となり、画面はなんの詫びもなくブラック化。その瞬間、自分のなかでなにかが切れたのがわかった。
 わが輩の我慢ももはや限界である。秋口に新しいiPhoneが発表されると信憑性の高い噂が流れているが、その日を待つことはもうできない。来週の休みにでも家電量販店に行って、iPhone6Plus(128G)へ機種変更する。ショップ? 家電量販店の窓口の方が優秀な人は揃っていますよ、能力的にも接客スキルにしても。
 iPhone5よ、お前はこれからはテザリングのためのルーターとしてしばらくは頑張ってもらう。御役御免にする日はしばらくないから安心せよ(=それまではしっかり働いてもらう)。
 ふむぅ、また月々の支払いが増えちゃうなぁ。◆

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第2011日目 〈羽生PAにて、ここを思う。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 <入り鉄砲に出女>といいます。江戸時代、江戸の手前の関所で特に厳しく取り締まられたのが、この2つでした。江戸に反乱をもたらす鉄砲を持ちこませるなかれ。江戸に住まう大名の妻子を出すなかれ、それは大名の忠心を奪うから。わたくしは場所柄、東海道は箱根関を例に挙げてそれを教わりましたが、江戸に至る主たる街道は全部で5つ、その他に脇街道と呼ばれるものがありましたが、各街道に関所が設けられ、役人が<入り鉄砲に出女>に目を光らせる関所は箱根以外にもその数だけ存在したのです。そのうちの1つが脇街道奥州街道にあった栗橋関であります。現在の埼玉県栗橋市近郊。
 江戸時代の街道にあたるものは現代ならさしずめ、5街道は高速道路、脇街道は国道や地方道でしょうか。浦和と青森を結ぶ東北自動車道は、わたくしにとり東名高速と並んで親しみあり、馴染んだ高速道路です。その東北自動車道に羽生という場所があります。インターチェンジとパーキングエリア両方を持つ羽生ですが、ここは最前の栗橋市の近くにあり、それゆえもあって2013年末、上りパーキングエリアに限って江戸時代の町並みを再現した建物と内装に全面リニューアルしました。栗橋関に因んでのことですが、非常に人気があって、いまは蓮田サービスエリアよりも人が集まる休憩エリアになっているようです。
 その上り方面羽生PAは<鬼平江戸処>と称されています。鬼平といえばいわずと知れた池波正太郎の大人気時代小説シリーズ。TVドラマでご存じの方も多いでしょう。それに由来しての命名、そうしてリニューアルということになりますが、ではそこに至る過程はそもどのようなものだったのか。
 まず、上り羽生PAを栗橋関と位置付けるところから始まったようです。そこに江戸の町並みを再現させる。が、単に再現しただけでは散漫だ。統一させるコンセプトが欲しい。そこで注目されたのが江戸時代中期(18世紀後半)に活躍した火付盗賊改方、長谷川平蔵こと鬼平。──江戸人は相互扶助に富み、人情味あふれる生活を送っていた、との視点に立ち、PAへ立ち寄った誰もが名を知るであろう鬼平が担ぎ出された様子であります。たしかに鬼平という人物、かれが闊歩した江戸の市中と羽生パーキングエリアのリニューアル・コンセプトはぴったりであったかもしれません。
 ……とはいえ、わたくしは羽生PAではなにを買うことも、なにを食べたり飲んだりすることもありませんでした。理由は簡単、あまりに人が多すぎたからです。どこもかしこも行列行列、また行列。大型バスが8台入り、大学や高校の団体さん、そうして外国観光客が詰め掛けていたこともありましょうが、正直、ふむぅ……、といったところでした。外観やコンセプトに目が行き、これ食べたい! これ飲みたい! というものが特段なかったのですね。もうちょっと空いているときに来ていれば、また変わったことでありましょうが、如何せんお腹も空いていなかったし、行列に並ぶ程の気分でもなかったし、まぁ仕方ない。次に来たときのお楽しみと致しましょう。◆
(本稿の執筆には「ドラぷら」HP内「鬼平江戸処」を参照しました。記して謝意を表します)


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第2010日目 〈ゆえにこそ、自分を許せぬ。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 おかしいな、書きたいことは山程あるのにどれ一つとして形にならない。なぜだろう。
 父の命日(13回忌)で北関東へ行ったこと、
 東北自動車道羽生SAのお江戸ッぷりにびっくりしたこと、
 福田元首相の安倍首相批判への賛同、
 AppleMusicは実に期待外れのサービスであること、
 徳善義和『マルティン・ルター 生涯と信仰』を読んで感銘を受けたこと、
 Blu-ray対応外付けドライブBOSEの外部スピーカーを買うためお金の算段を始めたこと、
 セリーヌ『夜の果てへの旅』と『懺悔』を読んで生田耕作先生の遺志を忘れまいと誓うたこと、
 その他諸々。
 書きたいことがあっても気力が追いつかない、集中力が途切れてしまう。勿論これが詭辯であり、言い訳であり、怠惰以外の何物でもないことは重々承知している。ゆえにこそ、こんなときにもう一踏ん張りができない自分を許せないのだ。
 ──とはいえ、改めて自分が生きていることに感謝する日々であるのは変わりない。◆

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第1958日目 〈バッハ《ヨハネ受難曲》ばかり聴いていた今日。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 奈良旅行の直前から再び火がついたバッハ熱。4連休最終日となる今日は日がな一日《ヨハネ受難曲》を聴いていました。
 ・シギスヴァルト・クイケン=ラ・プティット・バンド=クリストフ・プレガルディエン(T/福音史家)他による1987年録音
 ・カール・リヒター=ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団=エルンスト・ヘフリガー(T/福音史家)他による1964年録音
 ・フィリップ・ヘレヴェッヘ =コレギウム・ヴォカーレ・ゲント=マーク・パドモア(T/福音史家)他による1725年第2稿、2001年録音
 ・鈴木雅明=バッハ・コレギウム・ジャパン=ゲルト・テュルク(T/福音史家)他による1749年第4稿、1998年録音
 ・ミシェル・コルボ=ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル=クルト・エクウィルツ(T/福音史家)他による1977年録音
 以上5種。さすがに疲労が溜まりましたね。心地よい疲労です。が、明日から仕事ということを考慮すれば、ここまですべきではなかった。クイケン、リヒター、鈴木あたりで勇を鼓して終わらせるべきだったなぁ。少々後悔しております。
 感想やレヴューを書く目的で聴いたわけではないので、これは単なる報告でしかありません。また、現在福音書を読んでいるからこれに材を取った受難曲を聴いてみた、というわけでもありません。ただ、いずれそのうちに感想を書く機会はあるかもしれないな、とは考えています。
 そういえば、アバドのラスト・レコーディングとなったブルックナーの交響曲第9番がLP化されるのですね。つい先程、タワーレコードのHPにて知りました。しばらくチェックしていないとこうした話題にも取り残されてしまう……。
 いまの家を建ててから10数年になる。この期間がどういうものだったかといえば、音楽からすっかり離れていた10数年ということだ。火事で前の家にあったオーディオ・セットが失われ、CDも殆どが処分となり、辛うじてLPは被災を免れたものの新しい家に移ってはあれほど大好きで愛して信仰していた音楽とはすっかり縁薄くなり。正直、逆恨みしていた部分さえあったかもしれぬ。
 が、最近はまた音楽へ心が向き始めたのである。これは良い傾向だ。はぐれ者になりかけていた自分が<良き家>に呼び戻された気分だ。もし今後住まいを新しくしたら、今度は思い切り音楽を楽しもう。ささやかながら以前のような再生装置を組み、アナログ・プレーヤーも揃えて、今も陋屋にある100枚弱のLPと併せて、タワーレコードのHPで見るようなLPを買いこみ、そうして心ゆくまで聴き耽ろうと思う。

 さて、本来なら「ルカによる福音書」を読み、携帯電話紛失事件並びに右肩筋違いによる労災申請のエッセイ最終回をお届けするはずであったが、ご覧のようにそれは今日ここになく、明日に回すことにした。なぜかと問うか、きみよ? ならばお聞きあれ、《ヨハネ受難曲》を聴き倒した末に喉奥から発せられるわが嘆きの声を。──嗚呼!◆

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第1951日目 〈奈良旅行から帰宅しました。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 約3時間前に奈良旅行から帰ってきました。
 京都・奈良を巡る中学の修学旅行には風邪のため参加できなかったあたりからケチの付き始めたわたくしと奈良の縁。父が亡くなって長谷寺に参詣するまでの約20年間、奈良に立ち入ったことなどありませんでした。それが8年前。
 そうして今回、2泊3日の日程で長谷寺参詣を目的に法隆寺と唐招提寺、秋篠寺、京都・宇治は平等院と巡ってきました。ちょっと疲れたけれど天気にも幸いと恵まれ、楽しくて、また良き思い出が1つ増えました。出来ることならまた皆で行きたいなぁ。
 旅のお供に亀井勝一郎『大和古寺風物誌』(新潮文庫)を携えましたが、殊法隆寺と唐招提寺については行く前よりも行ったあとのいまの方が首肯できるところは多いですね、やはり。和辻哲郎『古寺巡礼』(岩波文庫)と併せて、今後も読み続けて今回の旅行を忍び、再びの旅行を企画しようと思っています。◆

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第1849日目 〈阪神・淡路大震災を振り返る。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 1日遅れになってしまうが、どうしても20年前の出来事についての言葉の方が先に出てきてしまう。為、初めてのFacebook連動エッセイとして、阪神・淡路大震災について文章をお披露目させていただく(改訂済み)。
 明日から何事もなかったように、「マタイによる福音書」に戻りますのでご寛恕いただきたい。

 その出来事は、他人事ではありませんでした。
 幼い頃、わたくしは約半年、兵庫県西宮市に住んでいました。流石に殆ど記憶はありませんが、幸福だったと思います。
 兄はそれより何年も前に神戸で生まれました。その後、首都圏に帰りましたが、すぐにまた父の仕事の都合で兵庫に移りました。わたくしの覚えている西日本─兵庫─神戸・西宮なんて幼稚園児の半年だけですが、兄にとっては生まれ故郷であり、自分が育った場所でもありました。
 阪神・淡路大震災で、兄や両親の知っていた場所は根こそぎ破壊され、奪われてしまいました。あのときでも、兄や両親の知った人の多くは住み続けていたはずです。消息はわかりません。
 ただ、復興が落ち着いた頃、兄は一人で神戸・西宮に旅行しました。当時の面影はどこにも残っていなかったそうです。街そのものが変貌してしまった。知った街ではなくなっていた、と言っていました。
 20年が経ち、阪神・淡路大震災の被災経験や教訓が改めて語られ直しています。この国を襲った未曾有の災害は、決して東日本大震災だけではないことを、思い出しておきたい。
 東日本大震災が起こった際、一部の阪神・淡路大震災の被災者は憤ったそうです。国を挙げての復興支援、自粛ムードといった、被災地に向けられたあらゆる支援活動の数々に。
 過去に出会った被災者たちが異口同音に話してくれました、「自分たちの時には一地方の出来事のように忘れられていったのに、今度の長く続く支援ムードはなんなのか」と。「首都圏にも影響が出たから国家規模で支援の輪が広がっていったのか」、「原発事故が併せて起こらなかったら、被災地以外の人々がここまで復興支援を行うことがあったのか」とも。
 ──正直なところ、わたくしはかれらの言葉に頷くところが多くあります。しかし、それについてコメントする能力はありません。情報の伝達スピードと環境が異なるゆえに、被災者たちが感じる<扱い>の温度差が生じてしまったのはやむないこと、と思うからです。
 が、節目の年とはいえ、こうして被災記録がインターネット上で取り挙げられて風化を防ぐ作業が為されていることは、とてもうれしい限りです。
 この<1.17>は、<3.11>と<9.11>と同様、過去四半世紀に起こった忘れられぬ事件。
 1995年1月17日未明の地震に触れた記事を、「GIGAZINE」というニュース・サイトで見掛けたことが(http://gigazine.net/news/20150117-hanshin-awaji-earthquake-photo/)、本稿の執筆動機。加えて、自分自身への戒めとして、本稿の筆を執りました。
 <1.17>も<3.11>も等しくこの国を見舞った災禍、視点を変えれば自然界からの報復であることに変わりはありません、失われた命、失われた場所についても差異のあるところではない。これらの出来事を経験して紡がれ続ける歴史を、いまわれらは生きているのだ、ということを心にしっかり刻んでおきたい。
 最後に、阪神・淡路大震災を経験した若者の短歌を2首、引きます。

 駆けつける友の住まいは崩れ落ち生き埋めの友に我は無力(坂居保)156

 震災で止まった時間今日からは変えて見せるぞ名に恥じぬよう(西山由樹)170

 ──いずれも、南悟『生きてゆくための短歌』(岩波ジュニア新書)からです。詠み人のあとの番号はページ数です。◆

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第1823日目2/2 〈クリスマス・イヴ・エレジー〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 明日のクリスマス・イヴはなんの予定も(例によって)ないので、ちょっと多摩川の向こう岸に渡って婚約者のお墓参りに行ってこようと思うている。明日は彼女の月命日ではないけれど、墓前でぼんやり過ごしているうちに時間は過ぎて、日付も変わることだろう。そうしたら、月命日になるからなんの悪びれたこともない。
 浮かれ騒いでいる街から離れたところの都心の静寂地、真っ暗闇のなかで一人し過ごすクリスマスはこれが始めてのことではないから、あちらの住人たちも「この人、今年も来た……!」と格好の噂のネタを提供することになるわけだけれど、遺された夫が先に逝った妻を想うて果たして都合の悪いことがあるというのか、と、是非にも向こうの住人を相手取ってそのあたり、気の済むまで問答してみたく思う。
 死者と愛し合うことも情交することも家庭を持つことも許される人物になりたい。◆

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第1757日目2/2 〈どうしよう、iPad。買っちゃう?〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 新しいiPadが発売されました。Apple公式サイトでも、発売は18日から、という表記が外れ、更新された後に「いますぐ購入」に切り替わった。これは……欲しい!
 従来のAppleユーザーからはあまり芳しくない評価しかまだ聞かぬが、公式サイトや第三者によるニュースなどに接する度毎に、欲しいなぁ、という欲望が増してゆき、これを使う日常の光景をあれこれ想定、妄想して楽しんでいる。
 iMac(遂にRetinaディスプレイ化! しかも5K!!)とMacBookAir、そうして2年縛りから解放されたらすぐに機種変更するつもりのiPhone6 Plusと、この新しいiPadをどのように並立させてゆくか、思案の最中であるが、これはこれ、あれはあれ、と割り切って、贅沢なAppleライフを送ることになるのでしょう。そんなことは倩思うて覚悟している。
 が、このiPad、Air2かmini3にするか、まだ決めていない。決めかねている、というより、決心がぐらついている、というのが正確だ。うぅん、悩ましいな。
 ──、と、こんな文章を書いていたら、川端康成が骨董について未練たらたらの随筆を書いていたのを思い出した。題名は覚えていないが、一目見て気に入った骨董品を如何にして自分のものとするか、そのお金をあれこれ算段するも結局どう逆立ちしても手に入れられぬ品であることを悟って諦める、という内容だったと記憶するが、わたくしのこのエッセイも似たようなものかも知れない。
 ただ異なるのは、わたくしは諦めない。結論:購入断念、というわけにはたぶん、ならない。どちらにするかを決めるための迷いと悩みの過程として、このエッセイを認めているも同然なのだ。それは既に今年初旬のMac騒動にまつわるエッセイの数々で、読者諸兄もお馴染みであろう。あのときは結局すったもんだの末に──周囲にいわせると突然に──iMacを購入して、事態の沈静化が果たされたのだったな……。
 さて、iPadの場合はどうなるだろう?◆

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第1757日目1/2 〈ごめんね!〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 唐突で申し訳ないが、本日の聖書読書ノートとしてのブログはお休みさせていただく。
 原稿が書けなかったわけではない。同僚ととても愉しい夜を過ごしたからだ。この愉しい思い出を大切にして、床に入って良き夢を見たいからだ。
 顧みて、いまの自分がいちばん幸せだと思う。少なくとも今世紀になって、いまがいちばん充実していて、愉しい。あの事故へ直面してなお一命を取り留められたことに、感謝している。
 過去の厭わしい記憶と経験と人間関係を葬って、わたくしはこの会社に来た。これまで働いたことのある会社(アルバイト、日雇い労働を含む)のうちで、ここがいちばん良い。会社にも仕事にも、上司にも同僚にも、すべてに於いて恵まれた。良き仲間と良き仕事。これが揃った職場に巡り会えた幸運に、わたくしは天を仰いで感謝したい。
 唐突で申し訳ないが、本日の聖書読書ノートとしてのブログはお休みさせていただきたい。
 次回の更新にてわたくしは再び読者諸兄と、聖書読書ノートのブログ作者としてお目にかかろう。その時間まで、健やかに暮らしていただきたい。
 擱筆。◆

 本日は明け方にもう1回、iPad購入するか否かについてのエッセイをお披露目します!□

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第1752日目2/2 〈過去ブログ記事、改訂のお知らせ。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 ブログの改訂をしましたので、お知らせします。
 いちどは公開したものの支障あり、その後半年ばかり公開を停止していた以下の記事を、再公開しております。

 ・第1228日目 〈帰ってきたよ。〉
 ・第1262日目 〈エゼキエル書第47,48章:〈嗣業の割り当て〉with「ダニエル書」、近日公開予定。〉
 ・第1272日目 〈ダニエル書第2章:〈巨大な像の夢〉with素朴かつ答えの出ない疑問を弄ぶ。〉
 ・第1306日目 〈ホセア書第5章:〈イスラエルに対する審判〉&〈戦争の罪と罰〉with金欠になろうとも、破産の憂き目に遭おうとも、……〉
 ・第1323日目 〈「ねえ、『ガンダム』好き? 嫌い?」とか、そんなこと訊かれても困る。でも、答えちゃう。〉
 ・第1341日目 〈ヨナ書第3章&第4章:〈ニネベの悔い改め〉with七夕が日曜日、なんて出来過ぎじゃない?〉
 ・第1357日目 〈「ナホム書」前夜withいつまで続くのか、この邪淫の妄執は?〉

 以上7日分の記事について、誤変換や誤表現などを改めて再公開した。
 宜しければ読んでください。◆

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第1734日目 〈更新再開のお知らせ:素晴らしきかな、書き溜め原稿のあることは!〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 ご無沙汰しております。みくらさんさんかです。
 遅めの夏休みをいただきました。どれだけリフレッシュできたか、甚だ心許ないのですが、まぁ休む前に感じていた行き詰まり感は拭えたと思います。
 (偶然にも)仕事が多忙を極める時期にあたって残業が続き、同期が1人寿退社することも重なって、結果的にはあの時点でブログ更新を一時的ながら休止を決めたのは、良き判断であったかもしれません。
 しばらく休みをいただいてた本ブログ。この間、少しだけですが、原稿の書き溜めができた。「シラ書」読書ノート数日分だけでなく、単独エッセイの期間にお披露目予定となるものも3編ぐらい(でも、それのお披露目は約1ヶ月後なのですよね)。
 むろん、ストックがあるからとてその分、怠けて過ごすつもりはありません。が、ストック原稿のあるなしは気持ちの上で大きく作用するように思います。安堵、とでも申しましょうか。憂うことなくゆっくりと時間を過ごすためには、いつも以上の仕事をこなして片付けておく必要だってあるんだ。
 このような状態であることも鑑みて、──かねて予告しておいた通り本日からブログ更新を再開、明日午前2時から通常の聖書読書ノートの定期更新を再開します。再開後は、「シラ書」第17章からの読書となります。まだ道は長いけれど、来月末の読了をめざして歩いてゆこう、と思います。
 明日からどうぞ、これまで同様本ブログのご愛読をよろしくお願い致します。◆

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第1733日目 〈今日までのこと、これからのこと。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 今日はちょっと大事なお話をします。なんとなく察しが付く方は、たぶん昔から本ブログの読者である方。

 ──「シラ書」は全体の1/3を消化した。現在の状態で残りの章を完読かつノートできる自信は正直なところ、ない。集中力と読解力をちかごろ欠いているのは、いろいろあって疲れているからなのかもしれない。耳の調子はすこぶる良いが、この数日、背中がやたらと痛んでいるのは関係あるのかな。
 加えて、文章やノートの質が低下しているように感じられるのは、気のせいだろうか? 『女のいない男たち』を読み終えてからというもの、雑誌を除けば書籍なるものを読んでいないからだろうか? 或いは、……13年目の9月11日を目前にして、鎮める術なきざわめく心を持て余しているためか?
 わたくしは数日前からずっとこの件を思案し、懊悩し、そうして先程結論を出して、いまこの短い文章を書いている。即ち、──
 これを機会に態勢を立て直そうと思う。12月24日を予定している旧約聖書続編の読書ノート完結の日をつつがなく迎えるためにも、「シラ書」途中ながらリフレッシュ休暇をいただくことにする。
 期間は明日09月12日金曜日から09月24日水曜日まで(ちょっと遅めの夏休み?)。更新再開は09月25日木曜日午前2時ということだ。その間も「シラ書」の原稿は書き進める。あわよくば、エッセイも何編か書き溜めておきたいな、と望んでいる。
 読者諸兄にその旨ご報告させていただくと共に、2014年最後の筆者のわがままをお許しいただきたい。◆

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第1730日目 〈再起動を誓う。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 映画STAND BY ME ドラえもん』を観てきました。ゆえに翌日土曜日午前2時の定期更新は休む旨、既にお伝えしていたので心置きなく夜更かしできたのですが。
 どうして日曜日午前2時の定期更新も休んでしまったのでしょうねぇ……。気がゆるんだのかな。原稿は出来上がっているのに、パソコンを起動させる(スリープ解除させる)だけの気概には恵まれなかった──言い訳になっていれば良いけれど。
 明日からはいつも通りに更新してゆくので、よろしくお願いします。
 本ブログが抱えるいちばんの課題は、年内の旧約聖書続編読書、再来年の新約聖書読書の完結を実現させることではなく、如何にして原稿執筆とブログ更新のモチベーションを平日同様に維持させるか、ということですね。
 旧約聖書のときのように、一つ一つの原稿に全精力を注いでいるか、と己に問えば、この数ヶ月は後ろめたい気持ちが先に立つものなぁ……。そのあたりの反省を基に、自らを<リブート>させよう。◆

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第1723日目 〈夢物語には終わらせたくない──かつて秋成に入れ揚げた男の弁。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 最近H.Mの最新短編集は読んでいない。週末、ずっと家にいるときもだ。なぜ? 奇妙なまでの億劫を感じるのだ。手がどうしてもそちらへ伸びない。意欲高まり読書を実行しようとするや、たちまち萎えて放棄する。もしかすると、本書を以てH.Mの未読の小説が最後になり、これを読み終えてしまうと新作が発表されるまでお預けを喰らうためかもしれぬ。一種の淋しさから、読了を一日でも先延ばしにしたい。そんな感情が働いていないといえば嘘になろう。
 H.Mの短編集を読んでいない代わり、ではなにを読むのか、読んでいるのか、というと、実はリュックにしまったままな『雨月物語』である。描かれる情念への一途さ、凄まじさに感嘆し、技巧をめぐらせた冷徹な文章に嗟嘆し、けっして自分が辿り着けぬ文学の極北に坐す上田秋成の傑作に嫉妬する。──近代以前の作物と雖もこれほどに打ちのめされ、満身創痍となりつつなお仰ぎ見る文学なぞ、おいそれとあるものではない。
 この数日、『雨月物語』を読んでふと、各編の現代語訳でも作ってみようか、と思うたりする。「吉備津の釜」だけは20代後半に現代日本語へ<翻訳>したことがあるけれど、他の作品も合わせて、いつか機を捉えて連日投稿してみようかな、と企む。勿論、古文から現代文へ、同じ日本語からの翻訳とはいえ、一日でそれができあがるわけはないから、本ブログの原稿と並行して地道に、誰にも知らせることなく仕上げてゆく必要はあるけれど。
 わたくしはかつて母校の教壇に立って近世文学を受け持ち、その任にある間は芭蕉や西鶴あたりは簡単に触れるに済ませて、あとは専ら秋成の著作の講読と研究、秋成とも密に結びつくジャンルながら研究のやや遅れている感のある国学と、和歌・漢詩に絞った韻文学を研究して象牙の塔にこもる強い希望があった。それはほぼ現実のものとして目の前にあったが、さる事情ありて諦めた。
 かといって、秋成の文学へ背を向け、永遠に訣別したわけではない。もし別れを告げていたら、未だ国書刊行会版と中央公論社版の秋成全集や『雨月物語』の影印本、研究書など一冊も売り払うことなく架蔵しているわけがない。これらを頼りに再び秋成の著作を読み耽り、訳したり註したり、紹介の筆を執ってみよう。これが引退したあとの、文学にまつわるもう一つの夢である。自由に、気儘に、折に触れて……。
 そのための第一歩は既にある「吉備津の釜」を改訳し、『雨月物語』全編の現代語訳に着手すること。続けて、自戒をこめて、かれの処女作『諸道聴耳世間猨』を。そのあとは、まるでなにも考えていない。呵々。
 いつか希望を形にしたい。実現するのが先か、寿命が尽きるのが先か。それはとんとわからぬことだけれど、希望を希望のままでだけは終わらせない。すくなくとも、実現できるように力を尽くそう。世俗の幸福を諦めたのだもの、せめてこちらの希望だけは実現させたいよ。◆

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第1722日目 〈勇気を持ってこれを伝う。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 本日は旧約聖書続編の読書ノートをお休みします。「シラ書」第9章を読んで原稿を書いていますが、どうにも思ったようにまとまらない。過去の亡霊がよみがえってわたくしを苛む。いずれにせよ、これは由々しき事態である。自分に怒りを感じます。
 が、いま抱えている困難は、1日休めばどうにかなるような性質のものではない。この状況を鑑みて、明日は別にエッセイを用意しました。「シラ書」第9章は日曜日午前2時にお披露目します。嗚呼、これでまた航海スケジュールに遅れが出てしまった。
 しかしまぁ、休むも勇気、か……。ふむ。
 突然のお知らせになりましたが、いつも読んでくださっている方々には特に申し訳なく思います。が、質の極めて悪い原稿を毎日更新に縛られて曝すのは嫌なのです。
 ご理解いただければ幸いです。◆

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第1683日目 〈吹きすさぶ宇宙のすべてのなかに沈む〉(ウォーキング・トーク、シッティング・トーク) [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 昨日、殆ど冗談半分に発した宣言を現実のものとするべく、今日は聖書読書ブログの安息日とさせていただくことにした。ちょっと安心、ちょっと安堵。
 既に原稿の仕上がっている第11章2/2と第12章については、明日午前2時に定期更新できるよう準備しておきます。少々力が入ってしまったせいか、長いものになってしまったのだが、ゆえに今日の更新を厭うて先延ばしにしたわけではない。
 毎度のことだが、ブログ原稿の清書部分は2、3時間あれば自然と書けるのだが、日々付属するエッセイについてはいつも頭を悩ませる。時には聖書部分をPCで入力する段になっても、なにを書くか、まだ決めあぐねている。一つ、二つのアウトラインでもあれば前に進むことができるのだけれど……。なにも思い浮かばない間はひたすら苦痛ですね。
 どうしてこのスタイルを採用したのか、と後悔することはないけれど、書くことが決まらない以上、最悪の場合、今日は安息日にしちゃおうかな、と逃げの一手を講じたくなることもある。幸いと実行したことがまだないのは、ささやかな自慢といえようか。
 前に進む、といえば、──
 英文学者、平井呈一をモデルとした岡松和夫『断弦』は、妻あれど想う人がそばにおり、むしろその人と結ばれることを望むのになかなか果たせぬ文士のお話でもある。実際平井にはそういう女性がいた。後半生はかの女性と暮らし、それを実質的な伴侶としたのである。
 羨望せざるを得ない話である。事実関係はむろん異なるけれど、そばにいるのに近附けない、否、むしろ近附くことの許されない人。たぶん、これは呪いだ。
 斯様な原稿を書きながら聴く《トリスタンとイゾルデ》。──この鳴り渡る響きのなかに、/この世界の吐息の/吹きすさぶ宇宙のすべてのなかに……/溺れ、/沈み……/我を忘れ……。なにかの参考になるでしょうか?◆

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第1652日目 〈いろいろな声が聞こえる〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 今日というか昨日ですね、職場の男子で呑んできました。管理職になった者も他部署へ異動になった者も含めての会だったので、明日があることも忘れて酒食を愉しんできました。やはり気心知れた仲間同士は良いですね。同じ釜の飯を食った戦友と、愚痴一つ洩らさず一丸となって修羅場をくぐり抜けてきた絆で結ばれている。──なかなか得られぬ絆ではありません。
 来月はいまの事業所での業務が始まって一周年。一期生は殆ど誰も欠けることなく、今年になって新たに加わった二期生、三期生も遜色なく業務に励んでいる。今度はそんな仲間たちと、座を借り切って一年の労をねぎらおうと思う。その次の日からわれらは再び普段と変わらぬ日常に戻る。これからもいろいろなことがあるだろう。が、もう大丈夫。われらはいちばん困難な時期を乗り越えたのだ。
 one for all,all for one.
 つまりはそういうことだ。

 呑んで帰ってきた。わたくしはもう眠い。ゆえに本日の聖書読書ノートはお休みとさせていただきたい。明日再開、そうして明後日で「マカバイ記二」を読了しよう。
 梅雨の中休みであった昨日同様、本ブログも本日は中休みとさせていただこう。……え、今日が初めてのことではないだろう? これまでもなかば確信犯的に行ってきたではないか? まぁ、そう言われてしまっては返す言葉もありませんね、モナミ?◆

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第1640日目1/2 〈天下布武、ならず。──総選挙を観終えたあとの気持ち〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 こうした文章を書いても足を停める人が少ないのはわかっている。去年に比べて今年は、今一つ気持ちが盛りあがっていないのだから、本当は書くべきではないのかもしれない。
 しかし、気持ちが盛りあがらないなりにも結果については何かしらの発言をするべきと思うのだ。従って今回は特別に、AKB48G選抜総選挙について一稿を認めることにした。

 まずは5位の総大将れなひょんこと松井玲奈さん、会場のファンへのあたたかな労いの言葉、ありがとうございました。数日前宣言したように多摩川の向こうにある会場へ出掛けることはなかったけれど、この寒雨降りしきるなか何時間も野外会場でグループを応援し続けた人たちへの言葉は、夕食を摂りながらスカパー!と地上波を交互に観ていたわたくしにも、「じん」と来ました。
 屋内に在ってテレヴィ越しに様子を観ている者でさえそうだったのだから、会場にいて推しメン以外へも声援を送り続けた人たちの心をあたためたに違いない。あなたがSKEにいてくれて良かった。あなたは栄を応援するわれらの良心です。われらの誇りです。

 そうしてなによりも教祖さまこと大矢真那さん、おつかれさまでした。30位。おめでとうございます。今年も信者は団結しました。
 総選挙では無駄に強い、と何年も前から揶揄されておりますが、お茶の間への知名度はあっても圏外なメンバーもいるなかで、メディアへの露出が殆どない教祖さまが5年連続でアンダーガールズ入り、しかも順位の変動が殆どないという、奇跡というか偉業というか開いた口がふさがらないというか、まぁなんていうかその、アレな点で、やはり教祖さまは大宇宙の真理を司る方ではないのか、あらゆる宗教や人種や文化や言語を超越した全能神ではないのだろうか、との疑いが濃厚になってきたりして、それなりに長くみんなみんな教にお布施してきた者としては今後の身の振り方に悩んでしまうわけです。
 今年2014年も(恒例の)あなたの肉声が聞けて良かった。こちらこそ、ありがとうございました。非常に楽しい時間を過ごさせていただきました。さぁ、来年の総選挙に向けて真那コミュニティ、始動しましょう! あなたはそこにいてくれるだけで良いのです。

 そうして絶対的エースにして不動のセンター、松井珠理奈さん、速報3位に期待しましたが、上位3人に食いこむことがどれだけ困難なのことなのか、今年のあなたは身を以てわれらに教えてくれたました。
 あなたのスピーチを聞いて、われらは俄然奮起することでしょう。「来年こそはっ!」と。必ずわれらは来年、あなたを総選挙1位にする。じゃんけんセンターとの2冠を達成しよう。そうして、<玲奈ちゃんと天下布武!>を期待したい。

 ──もし向田茉夏が在籍していて、総選挙に立候補していたらどうなっていただろうか? 卒業直後の流出事故(本当に事故だったのかしら?)により一気にファン離れを加速させた彼女だが、それがいったいナンボのものであろうか。もう彼女は卒業して一般人になったのだ。事情がどうあれ経緯がどうあれ、市井の幸せを全うしてくれればそれでいいではないか。残像にしがみつく程哀れで残酷なことはないぜ、と、25年前に失った婚約者を未だ思うわたくしは自己の経験を踏まえて、斯く言うておく。
 歴史に「if」は禁物である。が、人間は想像する生物である。ゆえに、もし在籍していて立候補していたら、と夢想する。教祖さまと同じくアンダーガールズ入りしていたかもしれないな。選抜16人のなかへ入るのはたぶん無理だろうけれど、そこそこ妥当な順位に収まっていたのではないだろうか。名前を呼ばれてマイクの前に立ち、スピーチする向田茉夏をもう一度観たかったな。

 ……2014年の選抜総選挙が終わった。
 顧みれば多くのSKE48メンバーが80人のなかに名を連ねた。昨年の同様記事と異なり、一人一人の名を列記することはしないが、それでも選抜入りした須田亜香里さん、柴田阿弥さん、当方としては意外な順位であった木本花音さん、AKB48へ完全移籍してしまうがいつまでも「SKE48魂は失わない」木﨑ゆりあさん、初入閣した矢方美紀さん、古畑奈和さん。おめでとうございました。
 その他のメンバー全員、そうしてグループから立候補して入閣したすべての人々、残念ながら圏外であったすべての人々に、「おめでとう」、「おつかれさま」と声掛けしよう。2015年もがんばりましょう。

 ※入閣したメンバーについては敬称を付けた方が良い気がしたので、敢えて「さん」付けした。微妙に違和感があるのはどうしてだろう?◆

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つなぎの言葉;悠久の希望にすべてを託して。 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 なんの予告もなく再度の中断をしてしまっていて、ごめんなさい。いろいろ考えたいことが積もり積もって耐えきれなくなり、更新停滞という事態を招いてしまっています。
 体のこと、仕事のこと、家族のこと、プロバイダを変えようかと思うこと、今週日曜日に購入したMacBook Air(Apple公式サイトより整備済み商品を購入)のこと、その他いろいろ。
 外にいても家にいても憂いたり悩んだりすることばかり。もはや恋をしようとは思わぬが、安らげる場所と時間が欲しい。
 「マカバイ記一」の原稿はそれでも進み、予定に狂いさえなければ擱筆の予定は明後日。数日後にはブログも再開し、そのまま何事もなかったかのような涼しい顔で完結に漕ぎ着けることでしょう。
 もう少し待っていてほしい。悠久の希望にすべてを託したい。◆

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第1620日目 〈今宵の街角の光景〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 安息日と云いつつなぜか更新しています。ふしぎですね?
 さて、事実とも創作ともつかぬ<街角で見かけた光景>シリーズ(!?)、最新記事です。

 ブログ原稿を執筆していた県内某所の上島珈琲店に自称<コテコテ大阪人>、自称<浮浪老年>来襲して店員に訓戒を垂れる。
 曰く、ええか、大阪ではな、こんな風に接客するんや。あんたらも俺の前ではそうせいや、と。
 それを聞き、失笑したる客何人も居たり。かれらに向かって言うに、大阪が世界の常識なんや、と。東京になんて来とうなかったんや、借金して首回らなくなったんで仕方なく来たんや、とも。
 往々笑解。
 でもな、ここ、東京ちゃうで。横浜や。一緒にせんといてな。頼むわ、マジで。同じ関東でも東京と横浜、似て非なるものですので。
 それと裏通りに暴力団の事務所ある町で、己の履歴大声で喚いて明かすはただの阿呆やで? 阿呆ってそちらでは褒め言葉かもしれんが、こちらでは罵倒でしかないからね? おまけにあんたの後ろに並んでいる人、消費者金融の人でっせ。
 いろいろな意味で気ぃ付けた方がええ思いますな。

 明日は予定通り、「マカバイ記一」第7章です。
 第10章のノートが難儀して2日かけてようやく半分……。第10章は4日ほどに分割掲載する可能性が濃厚になってきました。嗚呼!◆

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第1619日目 〈今日と明日は安息日〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 本来なら「マカバイ記一」第7章の読書ノートをお披露目するはずですが、お休みします。もう体がついてゆかない……。
 モバイルPCがあれば事態は若干改善される(はず)と思うのは、軟弱者、<言い訳屋さん>の発言かな。
 でも、とにかく、ごめんなさい。今日と明日は月に二度の安息日とさせていただきます。
 これぐらいの間隔で休みを設けないと継続不可なぐらい諸事、立て込んでおります。まぁ、忙しいのは良いことだ……たぶんね。◆

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