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第0392日目 〈列王記上第22章2/2:〈ユダの王ヨシャファト〉&〈イスラエルの王アハズヤ〉〉 [列王記・上]

 列王記上第22章2/2です。これを以て 列王記上は終わります。

 王上22:41-51〈ユダの王ヨシャファト〉
 北王国イスラエルがアハブ王第4年に、南王国ユダの王に即位したのはヨシャファトである。35才で王となった彼の御代は、王都エルサレムにて25年続いた。父はアサ前王、母はシルヒの娘アズバ。
 ヨシャファトも父アサ、曾祖父ダビデと同じ心を持ち、自分の神、主を敬った。「彼は父アサの道をそのまま歩み、それを離れず、主の目にかなう正しいことを行った。しかし、聖なる高台は取り除かなかった。(中略)彼は父アサの時代に残っていた神殿男娼の残りをこの国から除き去った。」(王上22:43-44,47)
 ヨシャファト王の御代、塩の海(死海)とアカバ湾(紅海)に至る一帯のエドム地方には統治者がいなかった。そのため、ヨシャファト王の代理人派遣されていた。
 また、王は遠洋航海用の船舶(タルシシュ)を何艘か造り、金を求めてオフィルへ出航したが、アカバ湾最奥の港町エツヨン・ゲベルの沖で難破してしまった。折しもイスラエル王の子アハズヤが助力を申し出たが、王はそれを良しとしなかった。
 さりながらイスラエルとユダの間には平和が保たれたのである。
 彼の事績、彼の功績、その御代にあった戦は『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 崩御しては先祖と共に“ダビデの町”シオンに埋葬され、その子ヨラムが次王となった。

 一言申し添えさせていただくと、ここを読む際には王上12-13,15あたりに目を通して記憶をよみがえらせておくと、この〈ユダの王ヨシャファト〉の項はよく理解できると思います。
 念のため、自身への備忘も兼ねて、参考になる箇所を列記しておきます。
 「聖なる高台」はユダ王レハブアムが築きました。ほぼ同じ時代にイスラエル王ヤロブアムも築いているので、ごちゃごちゃにされませぬように(=さんさんかは一時的に混乱した)。
 「神殿男娼」は王14:24レハブアムが犯した罪の一つ、王上15:12でアサ前王が取り除きました。
 「タルシシュ」は地中海西部にあるスペインの港町ですが、ここでは遠洋航海用の船舶(商船)、もしくは船団を指します。
 「エツヨン・ゲベル」は現在のジェジラト・ファラウン島(ファラオの島)であり、王上9:26にてソロモン王がここで船団を編成した旨、記されておりました。


 王上22:52-54〈イスラエルの王アハズヤ〉
 南王国ユダがヨシャファト王第17年に、北王国イスラエルの王に即位したのはアハズヤである。彼の御代は王都サマリアにて2年続いた。父はアハブ前王、母はシドン人の王エトバアルの娘イゼベル(王上16:31)。
 「彼は主の目に悪とされることを行い、父の道と母の道、およびイスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの道を歩んだ。彼はバアルに仕え、その前にひれ伏し、父と全く同じように行って、イスラエルの神、主の怒りを招いた。」(王上22:53-54)
 そんなアハズヤ王の死は次の 列王記下第1章にて描かれる。

 アハブ王はヤロブアムと同じ罪を犯して主の目に悪とされることを行い、それでは飽き足らず異民族の女であるイゼベルと婚姻してその神バアルをも崇めた、というのが引用箇所の語らんとすることです。
 「父(アハブ王)の道」は王上16:30-33,「母(イゼベル)の道」は王上21:7-13,23に記されておりました。




 列王記上読了の日、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「衝突」を読み終えました。一巻の1/2弱を占めるファーストコンタクトをテーマにした中編。ジールタンとヒューマンが直面した意思疎通の困難と、相互理解への努力。このあたりの長丁場を一瞬のゆるみなく語りあげるテクニックと語りのうまさに、ティプトリーという作家の〈すごさ〉を感じます。このみずみずしさ……これがよもや遺作となろうとは……!
 SF入門にはもちろん、SFから離れていた人がこのジャンルに戻るには、初読であろうと再読であろうと、このジャンルのすばらしさを実感するにはいちばん相応しい作品集でしょう(以前も同様のことをいいましたが)。個人的ながら本書をオールタイム・ベスト10の一冊へ加えるにためらうところ、なし。
 「グッドナイト・スイートハーツ」と「衝突」、並びに表題作所収のジェイムズ・ティプトリー・ジュニア著『たったひとつの冴えたやりかた』(ハヤカワ文庫SF)、小説のすばらしさを堪能したい人はすべからく読むべし。◆

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第0391日目 〈列王記上第22章1/2:〈預言者ミカヤとアハブ王の死〉〉 [列王記・上]

 列王記上第22章1/2です。

 王上22:1-40〈預言者ミカヤとアハブ王の死〉
 分裂した王国の間に戦いが止んで3年目、南王国ユダの王ヨシャファト(王上15:24,21:41-51)がサマリアを訪れた。折しもイスラエルはアラムの手に落ちたままのラモト・ギレアドを奪還しようと計略を練っているところだった。
 イスラエル王アハブはヨシャファトに共闘を持ちかけ、ユダの王はそれを諾った。但し、まず先に主の言葉を求めよう、と浮き足立つアハブに釘を刺し。
 約400人の預言者が召集された。アハブは彼らに、ラモト・ギレアドへ攻めのぼるべきか否かを主に問え、と。預言者らはみな一様に口を揃えて答えた、攻めのぼりましょう、主は敵を王の手に渡されます、と。
 ユダ王ヨシャファトはアハブに訊いた、他に主の言葉を伝える預言者はいないのか、と。居るには居るが、とアハブは口ごもった。「しかし、彼はわたしに幸運を預言することがなく、災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます。イムラの子ミカヤという者です。」(王上22:8)
 ヨシャファトの諫めを入れて、アハブ王は一人の宦官にミカヤを呼ぶよう命じた。ミカヤはサマリアに来て、二人の王の前に立った。
 イスラエル王アハブは預言者ミカヤに訊ねた、ラモト・ギレアドに攻めのぼるべきか否かを主に問え、他の預言者たちはみな攻めのぼれといっている、と。
 最初ミカヤは他の預言者たち同様に、攻めのぼるべきでしょう、主は敵を王の手に渡されます、と答えた。ここへ来る前に王の使者から、幸運を告げるよう言い含められていたためでもあった。
 アハブ王は憤った、何度誓わせればお前は主の言葉をその通りいうようになるのか、と。
 すると、預言者ミカヤはこういった、━━
 「主の言葉をよく聞きなさい。わたしは主が御座に座し、天の万軍がその左右に立っているのを見ました。主が『アハブを唆し、ラモト・ギレアドに攻め上らせて倒れさせるのは誰か』と言われると、あれこれと答える者がいましたが、ある霊が進み出て主の御前に立ち、『わたしが彼を唆します』と申し出ました。主が『どのようにそうするのか』とただされると、その霊は、『わたしは行って、彼のすべての預言者たちの口を通して偽りを言う霊となります』と答えました。主は、『あなたは彼を唆して、必ず目的を達することができるにちがいない。行って、そのとおりにせよ』と言われました。今御覧のとおり、主がこのあなたのすべての預言者の口に偽りを言う霊を置かれました。主はあなたに災いを告げておられるのです。」(王上22:19-23)
 が、アハブ王はそれを信じず、ミカヤを獄へつながせ、ユダ王ヨシャファトと共に軍を率いて、ラモト・ギレアドへ攻めのぼった。
 それは苦しい戦いだった。迎え撃つアラムの王の軍は、イスラエル王アハブただ一人を標的としてイスラエルに抗戦した。そして、偶然ながらも結果的にアラムの軍は、変装していたアハブ王に傷を負わせた。
 「その日、戦いがますます激しくなったため、王はアラム軍を前にして戦車の中で支えられていたが、夕方になって息絶えた。傷口から血が戦車の床に流れ出ていた。日の沈むころ、『おのおの自分の町、自分の国へ帰れ』という叫びが陣営を中を行き巡った。」(王上22:35-36)
 王の遺体はサマリアへ運ばれ、埋葬された。池で戦車にこびりついた血を洗い流すと、かつて王上21:19にて主が告げた通り、王の血を犬の群れが舐め、遊女がそこで身を洗ったのである。
 アハブ王の事績、行ったすべてのこと、王が建てた象牙の家、町のことなどは『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。
 アハブ王の御代は22年続き、崩御して後はサマリアに埋葬された。その子アハズヤが父王の跡を継いでイスラエルの新王となった。 

 ユダ王ヨシャファトは戦場に出たあと、どうなったのか? 実はアハブ王と間違われてアラムの軍に攻撃されますが、これはイスラエルの王ではないと相手が気づいたために命拾いした旨、本章32-33節には記されています。
 自分は変装して戦場に出て、ヨシャファトには「あなたは自分の服を着てください」と指示したアハブ王に如何なる戦略があったのか? おそらく敵の司令官に攻撃を集中して敵の統一を乱す古来からの戦術に則ったのでしょう。が、穿った見方もできないこともない、読み手に想像を逞しくさせる一節でありましょう。ちなみにティンデル:ワイズマン『列王記』では好意的な解釈をしております(P222)。
 ラモト・ギレアドはヨルダン川東岸内陸部に位置するギレアド地方の町で、イスラエルとアラムの国境付近にある(現在のテル・ラミト)。アラム王ベン・ハダドの全イスラエル領返還に伴ってラモト・ギレアドもイスラエルに返されるはずであった(王上20:34)。が、未だそれが為されていないため、冒頭にある奪還の相談という挿話が生まれてくるのです。
 ソロモン王が定めた12の行政区のうち、ベン・ゲベルが知事を務めた第6区に、このラモト・ギレアドがありました(王上4:13)。また、王下9:1-13にて預言者エリシャはこの地でイエフに油を注ぎ、彼を北王国イスラエルの王とします。



 ミスドでドーナツとパイを買い、寒さをしのごうと店内でコーヒーを飲んだ祝日の午後。
 ここ(ミスド)でコーヒーを飲むのは久しぶり。うむ、昔よりも、ぐっ、と美味しくなりましたね。でもさ、価格上がってね?
 100円セールの初日のせいか、ちょっぴり混み気味のウィンドウ前を横目に、年賀状用の小説にどんな結末を付けるかを、けっこう真剣に検討したのでありました。◆

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第0390日目 〈列王記上第21章:〈ナボトのぶどう畑〉〉 [列王記・上]

 列王記上第21章です。

 王上21:1-29〈ナボトのぶどう畑〉
 対アラム戦が集結したあと、このようなことがあった。
 イズレエルにナボトという者がいて、サマリアの王宮のそばにぶどう畑を所有していた。アハブ王はそれを欲し、譲ってくれるよう頼んだ。が、ナボトはそれを拒んだ。先祖からの嗣業の土地を手放すことはできなかったのである。
 王は憤り、ふて寝した。理由を知った王妃イゼベルは奸計をめぐらせた。アハブ王の名と印でもって各地の長老と貴族経由でイスラエル断食を布告したのである。ナボトは民のいちばん前に坐らされ、2人のならず者に監視された。ならず者どもはナボトが、神と王を呪った、と偽りの証言をした。ナボトは町の外に引き出され、石で打ち殺された。イゼベルの奸計は実行された。
 そのときである、主の言葉が預言者エリヤに臨んだ。ナボトを殺し、その所有物を己のものにしようとするアハブ王よ、犬の群れがナボトの血を舐めたと同じ場所で王の血を犬の群れが舐めるだろう、と。アハブの家の者はことごとく、一人の例外もなく滅び、妃イゼベルもイズレエルの塁壁の中で犬の群れの餌食になる、と。
 「アハブのように、主の目に悪とされることに身をゆだねた者はいなかった。彼は、その妻イゼベルに唆されたのである。彼は、主がイスラエルの人々の前から追い払われたアモリ人と同じように偶像に仕え、甚だしく忌まわしいことを行った。/アハブはこれらの言葉を聞くと、衣を裂き、粗布を身にまとって断食した、彼は粗布の上に横たわり、打ちひしがれて歩いた。」(王上21:25-27)
 エリヤは、アハブがへりくだったのを見て、彼が生きている間は災いを下すことをやめた。王の息子の代に災いを下すことにしたのである。

 ここでも災いの先送りがされました。
 王上21:27に衣を裂いて粗布を身にまとう、という記述がありますが、これはサム下1:1他にある典型的な喪に服す行為であります。これゆえにアハブ王は本心から改悛したのだ、と推測されます。だからこそ、エリヤも王の最期にまつわる裁きを順延したのでありましょう。



 「むかしは」なんて言葉は口にしない。おいらは「いま」を生きている。
 進むのだ、おぐゆーさんがこの世でいちばん好きなのだ。◆

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第0389日目 〈列王記上第20章:〈イスラエルとアラムの戦い〉3/3〉 [列王記・上]

 列王記上第20章です。

 王上20:35-43〈イスラエルとアラムの戦い〉3/3
 預言者の一人が主の言葉に従って隣人に、私を打て、と命じた。が、隣人はそれを拒んだ。主の御声に聞き従わなかったとして、隣人は獅子に噛み殺されてしまった。
 預言者の一人が主の言葉に従って隣人に、私を打て、と再び命じた。隣人はそれに従い、預言者を打って傷を負わせた。
 その預言者は去り、目に包帯をして、道ばたでアハブ王を待った。王が通ると、預言者は作り話をした、━━
 戦場にいると、或る人が戦列を離れて、私に、連れている男を見張れ、といった。が、私があれこれしている間にその男はいなくなってしまった。約束したように、その男の命の代わりに私は自分の命か銀1キカルを支払わなくてはならない、━━と。
 王は答えた。お前の裁きはお前が下した通りとなるだろう、と。
 預言者は包帯を取って、王にこういった、━━
 「主はこう言われる。『わたしが滅ぼし去るように定めた人物をあなたは手もとから逃したのだから、あなたの命が彼の命に代わり、あなたの民が彼の民に代わる。』」(王上20:42)
 北王国イスラエルの王アハブは機嫌を損ねて、サマリアへ帰還した。

 「わたしが滅ぼし去るように定めた人物」とは、聖絶するよう命じていた、この場合はアラムの王ベン・ハダドを指し、「あなたは手もとから逃した」とは協定を結び、帰国させたこと(王上20:13)をいいます。
 この点をティンデル:ワイズマン『列王記』は、「行動による比喩表現を用い、アハブに神の啓示された意志に逆らい、ベン・ハダデに対する裁きを先送りした彼の無定見と罪を自覚させようとした。これは、イスラエルに死と破壊という高い犠牲を払わせることになり(Ⅱ列王10・32参照)、延(ひ)いては北王国の最後的陥落へと至るのである」(P210)と説明する。これに付け加えるべき言葉は、一つもない。



 ストラヴィンスキージャズ作品を聴いています。コロンビア・ジャズ・コンボとコロンビア室内アンサンブルと協演した自作自演版(SONY 88697561702)。
 八重奏曲と《エボニー・コンチェルト》が特に良い! 後者のソロはベニー・グッドマン(バルトークの《コンストラクツ》もこの人でした)。この「隅々までわかっていますよ」的な風格と軽妙さに、やはり他からは得られぬ捨て難い魅力を感じるのです。
 嗚呼、それにしても悔やまれるのは、自作自演コンプリートボックス入手に失敗したあの事件!!
 作曲家・演奏家の自作自演で好きなのは、このストラヴィンスキーとラフマニノフ、フルトヴェングラー、ブーレーズ、ブリテンです。あら、意外とノーマルな面子だこと。◆

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第0388日目 〈列王記上第20章:〈イスラエルとアラムの戦い〉2/3〉 [列王記・上]

 列王記上第20章です。

 王上20:22-34〈イスラエルとアラムの戦い〉2/3
 件の預言者はアハブ王に、勇気を持って進め、アラムは来年再び攻めてくる、といった。
 アラムは軍勢を立て直し、軍備を補充し、作戦を練った。イスラエルの神は山の神だから先のに戦いに負けた、今度は平野を戦場としよう、そうすれば我らはイスラエル王アハブの軍に勝てる、と。
 預言者の言葉通り、年が改まるとイスラエルとアラムは再び戦火を交えた。
 アラムはアファク(※1)の地にのぼり、イスラエルもその近郊に陣を敷き、対峙した。七日目、遂に火蓋が切って落とされた。イスラエル軍は100,000人のアラムの歩兵を討ち、アファクの町に逃れた27,000人の上には城壁が崩れ落ちた。
 アラムの王ベン・ハダドと家臣たちはイスラエルの前に降伏した。諸々やり取りの末(王上20:32-34)、「アハブはベン・ハダドと協定を結び、彼を帰国させた。」(王上20:34)

 ※1「アファク」→アファクの地(町)はキネレト湖(ガリラヤ湖)の東側内陸の平野部に位置する町で、現在の「フィク」。サム上4:1のアフェクとは異なる。



 MJの追悼本の出版も一段落したらしい。が、解せぬことが一つ。MJの全アルバムへコメントを付ける本が目につくけれど、『HISTORY』(1995)の次を『INVICIBLE』(2001)とするのが多くて嫌になってしまう。
 『BLOOD ON THE DANCE FLOOR』(1997)はなぜ抜けている? あまりに杜撰極まりなく腹立たしい行為だ。新曲5曲にリミックス8曲という変則スタイルが響くのか? なら前以てその旨記すべきであろうよ!?
 『BLOOD ON THE DANCE FLOOR』は『INVICIBLE』の登場を予告する重要な一枚だ。焦燥ともがきが渾然一体となってなにかを突き抜けようとするプレッシャーに満ち、感じ得ぬ力を感じさせられる、内に秘めた強さにあふれた一枚といえる。
 タイトル曲と収録された「MORPHINE」と「GHOSTS」のクリップは息を呑む程なのに、……<無視>という形で虐げる方法が解せぬし、まったく気に喰わぬ。

 追伸?
 『少年メリケンサック』を観ました。
 夕食後と夜中に2回。借り直してまた観ようと思うております。
 コメディエンヌ・宮﨑あおいもかわいいな、と。きれいだな、と。
 あ、でも、うむ、もちろん、おぐゆーさんの方が……。◆

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第0387日目 〈列王記上第20章:〈イスラエルとアラムの戦い〉1/3〉 [列王記・上]

 列王記上第20章です。

 王上20:1-21〈イスラエルとアラムの戦い〉1/3
 アラムは南王国イスラエルと同盟を結んでいた(王上15:18-19)。ゆえに王ベン・ハダドは全軍を以て北王国イスラエルの王都サマリアを包囲した。このとき、ベン・ハダドとイスラエル王アハブの間に使者の往来が繁くあった。
 最初、ベン・ハダドはこう伝えてきた。アハブ王の金銀と妻子はわたしのものだ、と。アハブ王はこれを首肯した。
 次にベン・ハダドはこう要求した。アハブ王の金銀と妻子を明日のこの時刻に引き渡せ、と。アハブ王はこれに迷った。
 アハブ王はこれに迷い、国中の長老たちに相談した。長老と民は断固、「否」を突きつけ、アハブ王はそれを我が意としてアラムの王に返答した。
 酒宴の最中にもたらされたイスラエルの返答に、ベン・ハダドは全軍を配置につかせた。
 「見よ、一人の預言者がイスラエルの王アハブに近づいてこう言った。「主はこう言われる。『この大軍のすべてをよく見たか。私は今日これをあなたの手に渡す。こうしてあなたは、わたしこそ主であることを知る。』」」(王上20:13)
 アハブ王はイスラエル諸州の知事に属する若者232人とイスラエルのすべての民7,000人を召集し、二手━━前哨部隊と後続部隊に分けてベン・ハダドの大軍を討ち、これを敗走させた。
 「アラム王ベン・ハダドは馬に乗り、騎兵を伴って逃げ去った。イスラエルの王も出陣して、軍馬や戦車を撃ち、アラムに大損害を与えた。」(王上20:20-21)



 『自虐の詩』(2007)を観ました。観終わったあと、ほんのり胸の奥があたたかくなりました。いいな、こんな二人。……。
 中谷美紀と阿部寛がここまで阿吽の演技をしてくれたなら、これ以上なにを望むことがありましょうか。脇の役者陣も「クセと味」を絶妙な加減で表現している。中学生時代の幸江と熊本さんの二人も、なんともいえぬトボケと風味を醸しています。この二人は相当いい役者さんだぞ。気仙沼でのロケがまた美しいんだぁ。
 笑えてほろ苦くて泣けちゃって、ラストシーンにじーんとして、まさしく「奇跡のどん底ラブストーリー」。なるほど、これは確かに「平成版・夫婦善哉」(公式サイト解説)だ。ああ、観て良かった。
 このスタッフで業田良家のもう一つの傑作(と個人的に思う)『詩人ケン』も映像化してくれぬものか。キャスト? うーん、ケンは青木崇高、ルルは上原美優、では如何か? いや、なにかが違う……。が、息子ランボーには岡田准一、彼より他の適役が思い浮かばない。
 さて、明日は『少年メリケンサック』です。◆

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第0386日目 〈列王記上第19章:〈ホレブに向かったエリヤ〉&〈エリヤ、エリシャを召し出す〉〉 [列王記・上]

 列王記上第19章です。

 王上19:1-18〈ホレブに向かったエリヤ〉
 アハブ王の妃イゼベルはエリヤ追討を命じた。エリヤは飄然と荒れ野の彼方へ逃げた。
 従者をユダのベエル・シェバに残して主の御使いの助けを受け、40日40夜歩きつめたエリヤは遂に、シナイ半島のホレブ山へ至った。そこは神の山である。
 主がエリヤにいった、「エリヤよ、ここでなにをしているのか」(王上19:9,13)と。
 エリヤは答えた、「イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命を奪おうとねらっています。」(王上19:14)
 主はエリヤにいった、来た道を戻ってダマスコの荒れ野へ向かえ、と。続けて曰く、━━
 「そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ。またアベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。ハザエルの剣を逃れた者をイエフが殺し、イエフの剣を逃れた者をエリシャが殺すであろう。しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」(王上19:15-18)

 王上19:19-21〈エリヤ、エリシャを召し出す〉
 エリヤはホレブ山を発ってアベル・メホラへ向かった。そこにシャファトの子エリシャはいた。12頭の牛を使って父と共に畑を耕している最中であった。エリシャは12頭目の牛と共にいた。
 預言者は通り過ぎ様、エリシャに外套を投げかけた。するとエリシャは牛を捨て、両親に別れを告げ、屠った牛の肉を人々にふるまった。
 それからエリシャは預言者エリヤに従い、仕えたのである。



 『CSI:マイアミ』S1-S5連続放送を視聴中。過去のエピソード触れることは懐かしくも新鮮で、記憶に刻みこまれているエピソードが実に多いのに我ながら驚嘆する日々です。◆

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第0385日目 〈列王記上第18章:〈エリヤとバアルの預言者〉&〈干ばつの終わり〉、シューベルト〉 [列王記・上]

 列王記上第18章です。

 王上18:1-40〈エリヤとバアルの預言者〉
 それから3年が経った。主の言葉がエリヤに臨み、エリヤはアハブに会うため出立した。
 サマリアはひどい飢饉に見舞われていた。アハブは水のある場所を探しに、国中に人を派遣していた。宮廷長オバドヤもその一人だった。彼は道の途中で預言者エリヤに会った。
 エリヤがここにいると王に知らせてほしい、とエリヤはいった。渋るオバドヤにエリヤは重ねていった、今日わたしはアハブの前に姿を現す、と。オバドヤはエリヤの言葉に従い、王に知らせた。
 預言者エリヤとアハブ王は3年ぶりに顔を合わせると、互いをイスラエルに災いをもたらしたと応報した。エリヤは王にいった、バアルとアシェラの預言者850人とすべてのイスラエルの民を、カルメル山に集めるよう使者を送っていただきたい、と。
 使者は北王国イスラエルを走り、皆がカルメル山に集まった。エリヤはバアルの預言者450人に、祭壇で献げ物をささげ、汝らの神に祈り、焼き尽くす火があがるか見よ、といった。「火をもって答える神こそ神であるはずだ。」(王上18:24)
 が、バアルの神はなにも答えなかった。
 エリヤはヤコブの部族の数に従って12の石を取り、主の祭壇を築き直し、周囲に溝を掘り、切り裂いた雄牛を薪に横たえ、その上から水を溝に流れるまで注いだ。そうしてエリヤは祈った、━━
 「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。」(王上18:36-37)
 イスラエルの神、主は答えた。
 民はひれ伏し、エリヤの命令に従ってバアルとシェラの預言者たちを捕らえてキション川へ連れていって、そこで殺した。

 王上18:41-46〈干ばつの終わり〉
 預言者エリヤはアハブ王を王都サマリアへ帰した。
 エリヤは従者を連れてカルメル山頂に登り、海の方を向いてうずくまった。
 7度祈りを捧げると、海の彼方から小さな雲がのぼってきた。
 空は厚い雲に覆われ、激しい風雨をもたらした。大地は水に満たされ潤い、干ばつの季節は終わりを告げた。
 「主の御手がエリヤの臨んだので、エリヤは裾をからげてイズレエルの境までアハブの先を走って行った。」(王上18:46)



 昨今CDやDVDを購入するペースがめっきり落ちたのだけれど、今日はストラヴィンスキーの自作自演録音のセットシューベルトを2枚買ってきました。前者はエッセイの仕込み用に、後者はものすっごく聴きたかったから。
 シューベルトはピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲を1枚ずつ。演奏家は触れずにおくとして、まずピアノ・ソナタを聴いています(何十編も反復して聴き倒すのだ)。すると、ふーっ、と一つのイメージがどこからともなくやって来て、シューベルトの音楽をモティーフにしたラジオ・ドラマを書きたい、そう強い願いが生まれました。
 これを書きます。実際着手するのは来年だろうけれど、採用目的でなく自分のためにだけ書く作品だろうけれど、音になるにしても限りなく宅録に近い形になるだろうけれど、想いを純化し凝固させて記憶と記録に留めたい。あの人がこれを聴いてくれれば、いちばんうれしいのだけれど。
 モティーフがシューベルトという時点で、想いの対象は明確だろうけれど。
 大好きです。記憶を風化させず、いつまでも新鮮な声と姿とあなた自身を感じていたい。
 「フランツ・シューベルト。誰だったのだろう、あの作曲家は。何だったのだろう、あの音楽は。」(前田昭雄『シューベルト』P11 新潮文庫「カラー版作曲家の生涯」より)
 誰だったのか? なんだったのか? ━━我らを出逢わせた。

 「道ばたに立つ一本の道しるべ
  町の方向をさしている。
  それなのにわたしは、はてもなくさすらう
  憩いなく 憩いを求めて

  道ばたに立つ一本の道しるべを
  わたしは目の前にありありと見る
  わたしがこれから歩む道は
  だれも帰ってきたことのない道なのだ」
(フランク・ミュラー『冬の旅』より「道しるべ」)◆

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第0384日目 〈列王記上第17章:〈預言者エリヤ、干ばつを預言する〉〉 [列王記・上]

 列王記上第17章です。

 王上17:1-24〈預言者エリヤ、干ばつを預言する〉
 乱れたままのイスラエルにしびれを切らし、主はアハブ王の許へギレアド住民で預言者、ティシュベ人エリヤを遣わした。エリヤは王に、自分が告げるまでの数年間、露が降りることも雨が降ることもないだろう、と告げた。
 主の言葉に従いエリヤはサマリアをあとにし、東へ流れた。ヨルダンの東岸ケリト(※1)の川のほとりに留まり、シドンのサレプタ(※2)に暮らした。
 サレプタの地でエリヤは一人の女やもめの家に身を寄せた。貧しくパンにも事欠く状況だったが主の恵みにより、壺の粉も瓶の油も尽きることはなかった。
 その後、女やもめの息子が病によって身罷った。彼女はエリヤに噛みつき(「あなたはわたしに罪を思い起こさせ、息子を死なせるために来られたのですか。」王上17:18)、預言者は遺体を抱いて階上の部屋の寝台に横たえた。
 エリヤは主に訴えた、「あなたは、わたしが身を寄せているこのやもめにさえ災いをもたらし、その息子の命をお取りになるのですか」(王上17:20)と。そして、亡骸の上に3度身を重ねて(※3)、願った、「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください。」(王上17:21)
 主はエリヤの祈りに耳を傾け、子供の命を元に返した。エリヤは階上の部屋から降りてきて、母親に息子を返した。
 女やもめ/母親はエリヤにいった、━━
 「今わたしはわかりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。」(王上17:24)

 まず思うのは新共同訳に於けるこの章の小見出しの付け方の不適切さです。この訳文を作成する際カトリックとプロテスタントの間で如何なる制約があったのか知りませんが、第17章は前半〈預言者エリヤ、干ばつを預言する〉と後半〈エリヤ、やもめの息子を生き返らせる〉(試案)に分けた方がよかったのでは、と小首を傾げた箇所でありました。

 さて、補注です。
 ※1「ヨルダンの東岸ケリトの川のほとり」→「ケリトの川」はヨルダン川東岸にあってヨルダン川に至る、預言者エリヤの出身地ティシュベ南方を流れる河川。
 岩波訳では「ヨルダンを見下ろすケリト涸谷に身を隠し」云々。ケリトは涸れ谷でありそこを水がわずかに流れる。ゆえに旱魃が続くと涸れてしまう、という含みか。
 また、それはヨルダン川東岸のワディ・ヤビス(「乾燥しきった涸谷」の意)か、或いはヨルダン川西岸もしくはユダの荒れ野北部をエリコに向かう途上にあるワディ・ケルトである、とする(岩波Ⅵ『列王記』当該補注、ティンデル:ワイズマン『列王記』P191-2)。

 ※2「シドンのサレプタ」→フェニキア領シドンの町の南約13㎞に位置する、現在のサラファンド。「(サレプタは北王国イスラエルの王)アハブの義理の父が支配していたフェニキヤの領地にあった。エリヤは適地に赴き、バアルが崇められている(尤も旱魃でご利益はなかったが)地域で、神の力を示したのである。彼は、預言者が自分の国の外で受け入れられ得るということの例示である」(ティンデル:ワイズマン『列王記』P193)

 ※3「亡骸の上に3度身を重ねて」→3度、という行為に意味はあるのか? 不勉強ゆえさんさんかはわかりません。なお、列王記下4:34では「そしてエリヤは寝台に上がって、子供の上に伏し、自分の口を子供の口に、目を子供の目に、手を子供の手に重ねてかがみ込むと、子供の体は暖かくなった。」とあります。




 休みで家内(「妻」の意味ではない!)に所用あり山下公園近くの某所へ。
 済ませてからマリンタワーへ、記憶にある限りでは始めて初めて登りました。いやぁ、晴れていたせいもあるが、「絶景かな、絶景かな」と叫びたい程。海中を優雅に漂うクラゲの姿が印象的。
 そうか俺が暮らしている街はこういう街か、ふだん散歩していても上から見るとまた違った魅力が味わえていいな、とつくづく感じ入ったことであります。
 もし! もしおぐゆーさんとデートできるようになったなら、絶対来たい場所っス。◆

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第0383日目 〈列王記上第16章:〈イスラエルの王バシャ〉、〈イスラエルの王エラ〉他&鳩山首相所信表明演説〉 [列王記・上]

 列王記上第16章です。

 王上16:1-7〈イスラエルの王バシャ〉
 バシャ王もまた、ヤロブアムと同じ轍を踏み、すべての罪を犯して、主の怒りを招いた者である。ゆえに主の言葉がハナニの子預言者イエフに臨んだ。曰く、わたしはヤロブアム同様バシャとその家の者をこの地より一掃する、と(王上16:2-4)。
 イスラエルの王バシャの事績、すべての行い、功績は『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。
 崩御しては王都ティルツァに埋葬され、その子エラが次王となった。

 王上16:8-14〈イスラエルの王エラ〉
 南王国ユダがアサ王第26年に、北王国イスラエルの王に即位したのはエラである。御代は2年続いた。
 即位した翌る年、戦車隊半分の長であった家臣ジムリが謀反を起こし、宮廷長宅で泥酔していたエラ王を討ち、イスラエルの新王となった。南王国ユダがアサ王第27年のことである。ジムリはエラの家の者をことごとく滅ぼした。
 「これは、バシャのすべての罪と、その子エラの罪のため、すなわち彼らが自ら罪を犯し、またイスラエルに罪を犯させ、空しい偶像によって、イスラエルの神、主の怒りを招いたのである」(王上16:13)
 イスラエルの王エラの事績、すべての行いは『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。

 王上16:15-22〈イスラエルの王ジムリ〉
 南王国ユダがアサ王第27年に、北王国イスラエルの王に即位したのはジムリである。御代は7日間続いた。
 ジムリがエラ前王を討ったとき、イスラエルの民は対ユダ戦のためペリシテ領ギベトンの周縁に陣を敷いていた。ジムリの謀反を知ると民は軍の司令官オムリを王に立て、ギベトン周縁の陣を解いて、王都ティルツァにのぼった。ジムリ王は町が包囲されるのを見て、王宮に火を放って自害した。これもジムリがヤロブアムと同じ轍を踏み、主の怒りを招いたためである。
 イスラエルの民はオムリ支持派とギナトの子ティブニ支持派に分かれていたが、ティブニ急死を受けてティブニ派は瓦解、オムリ派が数を増してオムリ王が誕生したのである。
 イスラエルの王ジムリの事績、彼の謀反は『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。

 王上16:23-28〈イスラエルの王オムリ〉
 南王国ユダがアサ王第31年に、北王国イスラエルの王に即位したのはオムリである。御代は12年続いた。
 オムリ王もヤロブアムと同じ轍を踏み、かつこれまでの誰よりも主の目に悪と映ることをした。
 また、シェメルからサマリアの山を買い取り、頂に町を築いて「サマリア」と名附けた。
 イスラエルの王オムリの事績と功績、すべての行いは『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。
 崩御しては新王都サマリアに埋葬され、その子アハブが次王となった。

 王上16:29-34〈イスラエルの王アハブ〉
 南王国ユダがアサ王第38年に、北王国イスラエルの王に即位したのはアハブである。御代は22年続いた。王は戦場で倒れて息を引き取った(王上22:35)。
 アハブ王はヤロブアムと同じ轍を踏み、かつ前王以上に主の目に悪と映ることを行って、主の怒りを招いた。すなわち、━━
 「彼(アハブ)はネバトの子ヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕え、これにひれ伏した。サマリアにさえバアルの神殿を建て、その中にバアルの祭壇を築いた。アハブはまたアシェラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、主の怒りを招くことを行った。」(王上16:31-33)
 ━━ところでアハブ王の御代、ベテルのヒエルなる者がエリコの町、廃墟と化して長く見捨てられていた、あのエリコの町を再建しようとした。
 が、既に警告されていた通り、基礎を据えたとき長子アビラムが、城門に扉を取り付けたとき末子セグブが、それぞれ死んだ。これはヨシュ6:26で、主がヨシュアを通じて警告していたことである。

 北王国イスラエルの王はことごとく主の思いに背き、怒りを招いて消えてゆく。過去のあやまちを正すこともなく、大地に還ってゆく。その様を、我らはこの章で見ました。
 が……、諸王の愚かさを笑える者など、果たしてあり得ましょうか?



 録り溜めした『逃亡者』を観て、編集してDVDに落としています。
 する内、確か赤川次郎が一、二行これに触れたエッセイがあったはずと思い出し、以来探しています。が、見つからない。何で読んだのかなぁ……。

 鳩山首相の所信表明演説を昨日聞き、今日読む。なんの引っかかりもなく、するすると脳みそに、耳に入ってくる。これ程平明でわかりやすいのは小泉元首相以来か。
 もっとも、こうした語り方を採用した以上は具体的な政策の説明など至難の業。それらは国会論戦でじゅうぶん云々できる、そのときやればよい。所信表明演説でしか語れぬことを最優先すべきですから、この内容は一部が批判する程でもないでしょう(故人献金疑惑にもう少し説明があってもよかった、と思うのは事実ですが)。
 鳩山政権/内閣には未だ疑問符が多くあるので支持する気になれませんが、かつての細川-羽田政権よりはずっと希望が持てそうだ、という思いがしています。◆

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第0382日目 〈列王記上第15章:〈ユダの王アビヤム〉、〈イスラエルの王ナダブ〉他〉 [列王記・上]

 列王記上第15章です。

 王上15;1-8〈ユダの王アビヤム〉
 北王国イスラエルがヤロブアム王第18年に、南王国ユダの王に即位したのはアビヤムである。御代は3年続いた。父はレハブアム前王、母はアビシャロムの娘マアカ。
 アビヤム王も父王と同じ轍を踏み、すべての罪を犯した。また、自分の神、主と心を同じうすることもなかった。対イスラエル戦も継続された。
 ユダの王アビヤムの事績、すべての行いは『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 崩御してはシオンへ埋葬され、その子アサが次王となった。

 王上15:9-24〈ユダの王アサ〉
 北王国イスラエルがヤロブアム王第20年に、南王国ユダの王に即位したのはアサである。御代は41年続いた。母はアビシャロムの娘マアカ、前王と同じため、「母」は「祖母」と読み替えるか、アビヤムとアサは兄弟であったか、と岩波版『列王記』当該補注では指摘している。
 アサは祖父ダビデと同じ心を持ち、自分の神、主を敬った。父レハブアムの誤った行いをすべて正した。
 対イスラエル戦は絶えず続いた。時のイスラエル王バシャ(王上15:33-16:7)との間に起こった紛争ではアラム王ベン・ハダドと同盟を結び、イスラエル軍を退けた。また、バシャが要塞建設の際に残していった部材を用いて、ベニヤミン旧領ゲバとミツバに砦を築いた。
 ユダの王アサの事績、すべての行いは『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 崩御してはシオンへ埋葬され、その子ヨシャファトが次王となった。

 王上15:25-32〈イスラエルの王ナダブ〉
 南王国ユダがアサ王第2年に、北王国イスラエルの王に即位したのはナダブである。御代は2年続いた。父はヤロブアム前王。
 ナダブ王も父王と同じ轍を踏み、すべての罪を犯した。
 そのとき、バシャなる男が立った。謀反を起こした彼はベリシテ領ギベトンで作戦行動中のナダブ王を討ち、新たなる王となった(ユダのアサ王第3年)。新王はヤロブアムの家に連なる者をことごとく滅ぼした、かつて王上14:14にて主が宣言したように。
 「彼(バシャ)は王になるとヤロブアムの家の者をすべて撃ち、ヤロブアムに属する息のある者を一人も残さず、滅ぼした。これは、主がその僕、シロの人アヒヤによって告げられた言葉のとおり、ヤロブアムが自ら罪を犯し、またイスラエルに犯させた罪によって、イスラエルの神、主の怒りを招いたためである。」(王上15:29-30)
 イスラエルの王ナダブの事績、すべての行いは『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。
 崩御してからいずこに埋葬されたかは定かでない。イサカル族のバシャが次王となった。

 王上15:33-34〈イスラエルの王バシャ〉1/2
 南王国ユダがアサ王第3年に、北王国イスラエルの王に即位したのはバシャである。御代は2年続いた。父はイサカル族のアヒヤ(シロの預言者とは同名異人)。
 バシャ王も自ら討ったナダブ王と同じ轍を踏み、ヤロブアムの罪を繰り返した。
 バシャ王はヤロブアムの家を断つ目的のみで選ばれた者であった。

 (さんさんかの覚え書き)
 北王国イスラエルの王都は「ティルツァ」。
 南王国ユダの王都は「エルサレム」。



 カルロス・Kの陶酔と官能を極めた《トリスタン》全曲を生きて観たかったッ!!◆

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第0381日目 〈列王記上第14章:〈ヤロブアムの子の病死〉&〈ユダの王レハブアム〉〉 [列王記・上]

 列王記上第14章です。

 王上14:1-20〈ヤロブアムの子の病死〉
 不忠な行いを続けるヤロブアムの家に悲しみが襲った。息子アビヤが病にかかったのである。ヤロブアムは妻に、変装し贈り物を持って、シロへ出立するよういった。預言者アヒヤならならこの幼な子がどうなるか知っている、と。
 預言者アヒヤは老いて目がかすむまでになっていたが、事前に主がヤロブアムの妻の来訪を教えていた。預言者は、主の言葉を彼女に告げた、彼はこういった、━━
 「あなた(ヤロブアム)はこれまでのだれよりも悪を行い、行って自分のために他の神々や、鋳物の像を造り、わたしを怒らせ、わたしを後ろに捨て去った。それゆえ、わたしはヤロブアムの家に災いをもたらす。ヤロブアムに属する者は、イスラエルにおいて縛られている者も、解き放たれている者も、男子であれば、すべて滅ぼし、人が汚物を徹底的にぬぐい去るように、わたしはヤロブアムの家に残る者をぬぐい去る。ヤロブアムに属する者は、町で死ねば犬に食われ、野で死ねば空の鳥の餌食になる。」(王上14:9-11)
 ヤロブアムの息子アビヤは死んだ。が、主の目には、ヤロブアムの家でまだマシと思われる男子、いくらか良いと映る者はこのアビヤだけであったため、アビヤは先祖の墓に入ることを許された。
 主は預言者アヒヤを通じて、ヤロブアムの家を断絶させる者を自分のために立てる、と宣言した。それが、ヤロブアム没して北王国イスラエルの王となる彼の子ナダブであった。
 ヤロブアムの在位は22年。先祖と共に眠りに就いた。。

 王上14:21-31〈ユダの王レハブアム〉
 レハブアムの母ナアマはアンモン人であった。ユダのイスラエル同様に乱れて、主の怒りを買っていた。曰く、━━
 「ユダの人々は、主の目に悪とされることを行い、その犯した罪により、先祖が行ったすべてのことにまさって主を怒らせた。彼らもまたあらゆる高い丘の上と、茂った木の下に、聖なる高台を築き、石柱、アシュラ像を建てた。その地には神殿男娼さえいた。彼らは、主がイスラエルの前から追い払われた諸国の民のすべての忌むべき慣習に従った。」(王上14:22-24)
 それゆえもあってか、レハブアムの御代になって5年目、エジプトの王シシャク(王上11:40)がエルサレムに攻めのぼった。ファラオはエルサレムの神殿と王宮を襲い、ソロモンが作った金の盾を始めとしてあらゆる宝物を略奪していった。
 レハブアムは南王国ユダの王として17年の間エルサレムに在位し、崩御しては“ダビデの町”シオンに葬られた。レハブアムの跡を継いだのは、その子アビヤムである。

 自業自得といえばよいのか、イスラエルにもユダにも主の怒りが降る。
 カナン入植前後にも優る主の怒りの凄まじさに、注目すべきでしょう。
 アヒヤ、アビヤ、アビヤム。似た名前が頻出するので、混乱しないで。
 これから暫く、イスラエルの王とユダの王についての挿話が続きます。



 NHK-FMでヴィラ=ロボスの代表作《ブラジル風バッハ》全曲を聴きました。没後50年を記念しての演奏会の録音。これまで聴く気の起こらなかった曲ながら、これは実に良いゾ、と耳をそばだてながらじっくり宵の刻まで聴いていました。明日、タワーレコードへ物色に行こうかな。
 夕食後は『逃亡者』と成海璃子主演『罪とか罰とか』を観ました。『罪とか罰とか』の感想は後日にでも。◆

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第0380日目 〈列王記上第13章:〈ベテルへの呪い〉〉 [列王記・上]

 列王記上第13章です。

 王上13:1-34〈ベテルへの呪い〉
 神の人シェマヤがユダからイスラエルのベテルに入った。未だヤロブアムは祭壇で香を焚いている。神の人は、主の言葉に従い、祭壇に向かってこういった、━━
 「見よ、ダビデの家に男の子が生まれる。その名はヨシヤという。彼は、お前の前で香をたく聖なる高台の祭司たちを、お前の上でいけにえとしてささげ、人の骨をお前の上で焼く。」(王上13:2)
 また、一つのしるしを与えて、こうもいった、━━
 「見よ、祭壇は裂け、その上に脂肪の灰は散る。」(王上13:3)
 神の人を捕らえようとしたヤロブアムの手は萎えた。しるしは実現した。祭壇は裂けて、焼き尽くす献げ物の脂肪の灰が散った。
 ヤロブアムは神の人に許しを乞い、お礼に歓待しようとしたが、シェマヤはこれを断った。
 「わたしは一緒に参りません。ここではパンを食べず、水も飲みません。主の言葉に従って、『パンを食べるな、水を飲むな、行くとき通った道に戻ってはならない』と戒められているのです。」(王上13:8-9)
 神の人は来たときと別の道を通って、ユダへの帰途に就いた。

 そのベテルの地に一人の老預言者が住んでいた。彼は神の人の話を、息子たちから聞いた。辿った道を知ると、預言者はロバの支度をさせて神の人を追った。
 固辞する神の人を欺いて自分の天幕へ招いた老預言者に、主の言葉が臨む。「あなたは主の命令に逆らい、あなたの神、主が授けた戒めを守らず、引き返してきて、パンを食べるな、水を飲むなと命じられていた所でパンを食べ、水を飲んだので、あなたのなきがらは先祖の墓には入れられない。」(王上13:21-22)
 神の人はベテルの老預言者の許を発った。が、途中、一頭の獅子に殺されて亡骸は道端へ打ち捨てられたまま。主の言葉通りの結末であった。老預言者はその終焉の地に赴き、獅子によってもロバによっても喰われず引き裂かれずにあった神の人の遺体を持ち帰り、丁重に葬った。
 神の人シェマヤの埋葬を済ませると、老預言者は息子たちに斯くいった、━━
 「わたしが死んだら神の人を葬った墓にわたしを葬り、あの人の骨のそばにわたしの骨を納めてくれ。あの人が、主の言葉に従ってベテルにある祭壇とサマリアの町々にあるすべての聖なる高台の神殿に向かって呼びかけた言葉は、必ず成就するからだ。」(王上13:31-32)

 が、しかし、━━
 「この出来事の後も、ヤロブアムは悪の道を離れて立ち帰ることがなく、繰り返し民の中から一部の者を聖なる高台の祭司に任じた。志望する者はだれでも聖別して、聖なる高台の祭司にした。ここにヤロブアムの家の罪があり、その家は地の面から滅ぼし去られることとなった。」(王上13:33-34)


 「?」と思うのです、なぜ老預言者に主の怒りは降(くだ)らなかったのか、と。
 ヤロブアムさえ無理強いしなかった神の人シェマヤを引き留めた罪はお咎めなしとする程、シェマヤ自身に与えられていた主の言葉よりも軽かったのか、と。これまで旧約聖書を読んできて、この箇所は大いに疑問符を抱くことになった部分です。
 さりながら、その老預言者の遺言の最後━━「呼びかけた言葉は、必ず成就する」とは、なんと力強く震えあがらされることでしょうか。斯くも内面の力にあふれた言葉をいった人物は、主を別にすればそうそう居なかった、と思います。

 そして、ヤロブアム。無理強いすることなく神の人を帰したあたりで、それ相応の分別はあるかと思いきや、それでもなお祭壇にのぼって香を焚き、レビ人以外の者を祭司に任命して主の掟に背く行為を行う、このアムビバレンツ。
 ひとたび悪の慣習に染まった者は、決して再び<善>の側に立ち帰ることはできない、という不文律の表れなのでしょうか。本当にそうなのでしょうか、悔い改めることはできないのでしょうか。改心し、償いを伴う<真面目>は、あり得ないのでしょうか? 自身の経験を踏まえていうなら、断じて「否」なのですけれど……。これが洋の東西、古今を問わず、身分の貴賤を問わぬ、普遍的な有り様というなら、あまりにも悲しすぎることだと思います。それは決めつけに過ぎず、他者を深く傷つける偏見でしかないのに。
 人はやり直せる、と、みんなが知ってほしいと思います。
 ヤロブアムの罪はあまりに重い。主の怒りがくだり、呪いの対象となっても宜なるかな。がしかし、斯く思う自分がある以上、ヤロブアムを単純に<悪>と断じる真似は、どうしてもできないのであります。



 雨のなか、例のスターバックスで本を読み、小説と久々のCDレヴューを書きました。◆

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第0379日目 〈列王記上第12章:〈王国の分裂〉〉 [列王記・上]

 列王記上第12章です。

 王上12:1-33〈王国の分裂〉
 ソロモンが崩御してイスラエルに黄昏の刻が訪れた。レハブアムは、ヤロブアムを代表とする民らの願いに厳しくあたったので支持を失い、ただユダのイスラエル人にのみ王として権勢を保った(王上12:16-17)。
 主は王上11:37にてシロの預言者アヒヤを通してヤロブアムへ約束した━━わたしはあなたを選ぶ、イスラエルの王となり望みのままに支配せよ、と。
 それは現実となった。ユダを除くすべてのイスラエルは、ヤロブアムを王に立て、これに従った(王上12:20)。
 民の反逆に遭ってエルサレムへ逃れたレハブアムは、ユダの全家とベニヤミンのなかから180,000人の戦士を選り抜いて軍を整え、王権奪回のためイスラエルに戦いを挑もうとした。が、神の人シェマヤに主/神の言葉が臨んだので、断念してエルサレムへ帰った。
 「あなたたちの兄弟イスラエルに戦いを挑むな。それぞれ自分の家に帰れ。こうなるように計らったのはわたしだ。」(王上12:24)

 ヤロブアムは修復なったエフライム山地のシケムに住まい、ペヌエルを築き直していた。
 その一方で彼は、ダビデの家に権勢が戻り、再び彼(か)の家の子らの御代が続いてゆくのでは、との猜疑に囚われていた。
 そこで、金の子牛の象(ex:出32:4)を2体作り、それぞれダンとベテルに置いた。また、聖なる高台に祭壇を築き、レビ人でない者を祭司に任命し、いけにえをささげた。
 「彼は勝手に定めたこの月、第八の月の十五日に、自らベテルに作った祭壇に上った。彼はイスラエルの人々のために祭りを定め、自ら祭壇に上って香をたいた。」(王上12:33)

 列王記上第12章は、北王国と南王国が如何にして分裂するに至ったかを語った章です。行間を含めて読みこむことが必要になってくる章かもしれません。
 北方部族を離反させたことで、自らの勢力を著しく衰えさせたレハブアムの失策。それは、長老たちの賢明な意見をないがしろにして若者らの浅薄な意見を採用したことから生じた、イスラエル歴代の王たちが犯したなかで最大の失策といってよいものでした。
 ダビデの家の子に代わってイスラエル(北王国)の王となったヤロブアムが、早々に主の命令に背いているのがおわかりでしょうか。出エジプト記やレビ記、申命記の該当箇所をさらっておくことを、記憶を新たにする意味でもお奨めします。ヤロブアムには罰として主の怒りが、呪いがくだる日が、間もなくやってきます。



 AXNミステリにて放送中の『逃亡者』を観るのが、最近のいちばんの楽しみです。
 デビッド・ジャンセン演じるリチャード・キンブル(逃亡者)の影ある魅力、バリー・モース演じるジェラード警部の存在感、骨太の演出と脚本が、たまりません。◆

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第0378日目 〈列王記上第11章:〈ソロモンの背信とその結果〉〉 [列王記・上]

 列王記上第11章です。

 王上11:1-43〈ソロモンの背信とその結果〉
 ソロモンは主の戒めに背いて、主の怒りを買った。即ちエジプトのファラオの娘を娶ったのみならず、モアブやアンモンその他諸国の女を愛し、彼女らに籠絡されたのである。かつての主の言葉:「あなたたちは彼らの中に入ってはならない。彼らをあなたたちの中に入れてはならない。彼らは必ずあなたたちの心を迷わせ、彼らの神々に向かわせる。」(王上11:2 ex/申7:1-4)
 その通りになった。諸国出身の女たちはソロモンに自分たちの神、主に敵対する神を崇めさせ、いけにえをささげた。当然、主は激昂した。
 「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代には王国を裂いて取り上げる。ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない。わが僕ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える。」(王上11:11-13)

 主は、ソロモンに敵対する者を立てた。
 ○エドム人ハダド、エドム王家の血筋の者:ダビデのエドム侵攻時、司令官ヨアブ(当時)がエドム人の男子を全滅させた。ハダドはその生き残りである。その後、エジプトのファラオ(第21王朝アメネモベか?)の許に身を寄せた。が、ダビデやヨアブの死を聞くと、彼の国を出奔した。
 ○エルヤダの子レゾン:ツァバの王ハダドエゼルの家臣だったが主君を捨てて逃亡中、王の死を聞くと仲間を集めて首領となり、ダマスコとアラムを支配。ソロモン存命中はハダド同様、絶えずイスラエルを攻めてこれを憎んだ。

 ツェレダ出身のエフライム人、ヤロブアムは王に反旗を翻した。元来彼はその働きにより、ヨセフ族の労役監督に任命されていた。ヤロブアムはエルサレムを出たとき、シロの預言者アヒヤに出会った。
 アヒヤは衣を12切れに裂いてヤロブアムにいった、「ここから10切れを取りなさい」と。続けてアヒヤは、主はこういった、とヤロブアムに告げた、━━
 「しかし、わたしは彼(ソロモン)の手から王国全部を奪いはしない。わたしの戒めと掟を守った、わたしの選んだ僕ダビデのゆえに、彼をその生涯にわたって君主としておく。わたしは彼の息子の手から王権を取り上げ、それを十部族と共にあなたに与える。彼の息子には一部族を与え、わたしの名を置くためにわたしが選んだ都エルサレムで、わが僕ダビデのともし火がわたしの前に絶えず燃え続けるようにする。だが、わたしはあなたを選ぶ。自分の望みどおりに支配し、イスラエルの王となれ。あなたがわたしの戒めにことごとく聞き従い、わたしの道を歩み、わたしの目にかなう正しいことを行い、わが僕ダビデと同じように掟と戒めを守るなら、わたしはあなたと共におり、ダビデのために家を建てたように、あなたのためにも堅固な家を建て、イスラエルをあなたのものとする。こうしてわたしはダビデの子孫を苦しめる。しかし、いつまでもというわけではない。」(王上11:34-39)
 これを知り、ソロモンはヤロブアムを殺そうと計ったが失敗した。ヤロブアムはエジプトの王(ファラオ)シシャクの許へ逃れ、そこに留まった。シシャクは聖書で始めて名を記されたエジプトのファラオである。

 40年の治世の後、ソロモン王は崩御した。“ダビデの町”シオンに埋葬され、王位はその子レハブアムが継いだ。
 やがて、ヤロブアムは王上12:20にて北王国イスラエルの王に、レハブアムは王上14:21南王国ユダ━━ダビデの家━━の王に、それぞれなった。


 ソロモンの王国は傾城によって瓦解し、新たな時代の転換点を迎えたのでありました。
 主によって栄華を謳歌したイスラエルはこの後、北王国イスラエルと南王国ユダに分断され、流転の時代を経験することになります。
 それは次章以降でもっと詳細に語られてゆくでしょう。



 ベートーヴェンのオペラ《フィデリオ》を聴きました。レナードバーンスタインウィーン・フィル&ウィーン国立歌劇場合唱団、DFD、ヤノヴィッツ他(DG)。
 おこがましいことをいわせていただけば、あらゆる類の愉悦に乏しいのは、やはり作曲家の性格ゆえか。だからといって、聴く/観る価値のない作品、というわけでは、断じてない。むしろ、逆。◆

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第0377日目 〈列王記上第10章:〈シェバの女王の来訪〉&〈ソロモンの富〉〉 [列王記・上]

 列王記上第10章です。

 王上10:1-13〈シェバの女王の来訪〉
 シェバ(※1)の女王は、主の御名によるソロモンの知恵と栄光について半信半疑だった。そこで多くの金、宝石香料と一緒に難問だらけの質問を用意し、多くの随員を伴ってエルサレムへのぼった。
 が、質問のすべてに容易く答えたソロモン王の知恵、宮殿や供される料理、家臣や給仕、そして神殿でささげられる焼き尽くす献げ物を目の当たりにすると、疑いを退け敬い、こういった、━━
 「わたしが国で、あなたの御事績とあなたのお知恵について聞いていたことは、本当のことでした。(中略)あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。」(王上10:6,9)
 その後シェバの女王は持ってきていた宝物を献上したが、なかでも香料は極めて多く、それ以上の量は二度とイスラエルには入ってこなかった。
 また、オフィルからのヒラムの船団によってもたらされた白檀で、王は主の神殿や王宮の欄干、詠唱者のための竪琴や琴を作った。白檀の輸入はこれまでの歴史にはなかった。

 王上10:14-29〈ソロモンの富〉
 イスラエルの王ソロモン。いまや彼はその富と知恵のゆえに、世界中で最も大いなる者となり、諸国の王が献上品を携え、知恵を聞くために拝謁を求めくる程になった。
 それはそれとして、ソロモンの歳入である。金は666キカル、(=約22,777.2kg)あった。銀はなかった。彼の時代、銀は値打ちのないものだった。それが証拠に、銀は石のように消費された(王上10:27)。その他に、隊商(キヤラバン)が納める税金、貿易商やすべてのアラビア地方の王、地方総督からの収入。これが、ソロモンの歳入である。
 王は有する莫大な富を用いて、例えば、金を延べた大盾200と小盾300を作り、杯や器を作った。これらは「レバノンの森の家」、即ち王宮(王上7:2)に置かれた。また、6つの段と上部が丸い背もたれを持つ玉座を象牙で作った。
 王は先述したヒラムの他タルシシュ(※2)の船団も有していた。タルシシュの船団は3年に1度、金や銀、象牙、ヒヒや猿などを積んで、イスラエルの港に入港した。
 また、エジプトとクエ(※3)から購入した戦車や馬は、王の商人によって手続きされ、捌かれた。戦車一両に銀600シェケル、馬は一頭に150シェケルの値がつけられた。それらはアモリ人やヘト人の王にも輸出された、という。

 ※1「シェバ」→アラビア半島南西地方。現在のイエメン国。
 ※2「タルシシュ」→現在のスペイン王国はイベリア半島、地中海西端の港町。
 ※3「クエ」→現在のトルコ共和国東南部、アダナを中心とするトロス山脈と地中海岸の間に広がる牧草地。
 また、アモリ人、ヘト人の王が統べた地域は、現在のシリアやレバノン一帯と考えればよいでしょう。
 「シェバの女王」は即ち「シバの女王」。ムード・ミュージックの定番曲のモティーフになった女性です。



 行ったことのない道を、ずんずんと歩いてみる。すると、新古書店に出喰わした。蝶々の小説『原色3人女』(小学館)他を購入。こうした非小説家の小説がおもしろい。
 これまで読んだなかでは、酒井若菜『こぼれる』(春日出版)とサダム・フセイン『悪魔のダンス』(徳間書店)がおもしろかった。劇団ひとり? 品川裕? ダメだね。◆

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第0376日目 〈列王記上第9章2/2:〈ソロモンの諸事業〉〉 [列王記・上]

 列王記上第9章2/2です。

 王上9:10-28〈ソロモンの諸事業〉
 ※段組が内容にそぐわぬ部分があるため、便宜を図って岩波Ⅵ『列王記』の分割方法に従うのを、予めご了承ください。

 王上9:10-14〈ソロモン、ガリラヤの町をヒラムに与える〉
 神殿と王宮にはレバノン杉と糸杉がたっぷり使われていた。それはティルスの王ヒラムの尽力あってこそのことだった。ソロモンはお礼として、ガリラヤ地方の20の町を贈った。
 ヒラムは贈られた町へ巡幸した。唖然とした。とても気に入るものではなかった。ヒラムはソロモンに嘆きの混ざった苦情を伝えた。ガリラヤ地方の20の町は「カブル(値打ちのない)の地」と呼ばれた。
 ヒラムが贈った金120キカルに見合わぬ地だったのである。

 王上9:15-23〈強制労働者の徴用、要塞の建設〉
 神殿や王宮、ミロ、エルサレムの城壁、並びにハツォル、メギド、ゲゼルの要塞を建設するために徴用された強制労働者たちは、イスラエルの民にあらざる者たち━━即ちアモリ人、ヘト人、ヒビ人、エブス人、などであった。イスラエルがカナン入植時、それ以後も聖絶できぬままイスラエルのなかに住まっていた者たちの子孫である。
 彼ら賦役奴隷を用いて、ソロモン王はエルサレムとレバノン、その他の彼の支配下にある地域に、補給や軍隊駐留を目的とする要塞(基地)を建設していった。エジプトのファラオが攻めてきてゲゼルの町を占領して滅ぼし、住まっていたカナン人を虐殺した過去を踏まえての防衛措置であった。

 王上9:24-25〈ファラオの娘のための宮殿〉
 妻なるファラオの娘が、“ダビデの町”シオンからエルサレムへのぼった頃、ソロモンはミロ、つまりシオンの町の南側斜面を補強するテラスを作らせた。
 また、主のための祭壇では年に3回、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物がささげられ、主の御前では香が焚かれた。
 こうして神殿は完成を見たのである。

 王上9:26-28〈船団の編成と紅海貿易〉
 今日に於いて紅海はシナイ半島を境として西にスエズ湾(出エジプトでの「葦の海」)、東にチラン海峡を入り口とするアカバ湾に分かれている。
 そのアカバ湾の最奥の町エーラトの沖約65㎞の洋上にジェジラト・ファラウン島(「ファラオの島」)がある。そこは旧約聖書の時代、エツヨン・ゲベルと呼ばれていた。
 かつてソロモンはそこで船団を編成した。これもティルスの王ヒラムの尽力によってである。双方は合意し、ナイル川上流域、或いはアラビアやインドであるともするオフィトヘ行き、金420キカルを手に入れた。
 これは、紅海貿易の始まりとされる。

 ソロモン王の時代こそイスラエルが最も栄えた、栄光の時代であった、と物語る挿話を集めた章です。これが、世が乱れる前夜のイスラエルの姿でした。むろん、誰も乱れた世が訪れることは、知りません。



 逡巡の末、H.P.ラヴクラフト『文学における超自然の恐怖』(大瀧啓裕・訳 学研)を購入。おそらくこれが邦訳決定版でしょう。過去に書いたラヴクラフトに関してのエッセイ群も、既存分はこれに従ってそろそろ書き直してゆくとします。
 流石ラヴクラフトの語法も文体も呼吸も体得した翻訳者らしく、ラヴクラフトの拮抗した古めかしい文体を、こなれた日本語に移し替えており、流れるように読み果せる、それでいて一語の重みを噛みしる奥行きを持った文章になっています。
 要するに、「読むがよろし」と胸を張って奨められる一冊、ということ。
 表題論文の他、「ダンセイニ卿とその著作」、「惑星間旅行小説の執筆に関する覚書」を始め、拾遺編として長編ソネット「ユゴスの黴」、散文詩、訳者架蔵のラヴクラフト作品掲載誌の書影や充実の作品解題を収録。
 久々に登場した、玩味に値するノンフィクションです。◆

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第0375日目 〈列王記上第9章1/2:〈主の顕現〉〉 [列王記・上]

 列王記上第9章1/2です。

 王上9:1-9〈主の顕現〉
 神殿と王宮(宮殿)の建築が終わると、かつてギブオンでそうだったように(王上3:5)、主は再びソロモンに現れて、こういった、━━
 「わたしはあなたが建てたこの神殿を聖別し、そこにわたしの名をとこしえに置く。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。」(王上9:3)
 あなた(ソロモン)が無垢な心でわたしの前を歩み、命令にことごとく従い法と掟を守るなら、イスラエルの王座は久遠にあなたとその子らのものとなる(王上9:4-5)。
 が、もしわたしへの信仰を捨ててわたしに背き、他の神を慕い崇めるようになったなら、かつてカナンと呼ばれたこの地からイスラエルを断ち、神殿を荒廃させ、諸国民の嘲笑の的とする(王上9:6-9)。
 主はソロモンにこういったのである。
 しかし既に触れたように、ソロモンの堕落は始まっており、第10章に於いてその背反は決定的となる。

 イスラエルよ、主に従え、主なる神以外の異神を信仰の対象とするなかれ。
 散々、主が時の預言者、為政者に約束/警告してきた内容です。ここでソロモン王に繰り返されたことは、しかしこれまで以上の重みを持っていました。
 主の栄光を一心に浴び、安寧を満喫していたイスラエルが瓦解の一途をたどる前哨ともいうべき、重要な挿話であります。



 ジェイムズ・エルロイ『L.A.コンフィデンシャル』(文春文庫)下巻を読了。ラストに向かっての怒濤の展開にもう頁を繰る手が止められず、夕暮れのスターバックスで一息に読んでしまいました。
 事件の真相の一切が明るみに出て収束してゆく手際の良さ、呆然とするよりない〈彼ら〉の死の報告、幕切れ:かつては反目し最後は協同して事件の解決にあたった男たちの別れ。
 息が詰まり、咽ぶような、それでいて奇妙な清涼さが漂う読後感。読まずに死ななくてよかった一冊、と申しあげても過言ではないでしょう。
 次? 幸い前日譚にあたる2作、即ち『ブラック・ダリア』と『ビッグ・ノーウェア』をブック・オフにて各105円で入手しているので、少し日を置いた後、読み始めようか、と思うております。◆

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第0374日目 〈列王記上第8章:〈契約の箱の安置とソロモンの祈り〉〉 [列王記・上]

 列王記上第8章です。

 王上8:1-66〈契約の箱の安置とソロモンの祈り〉
 待望の神殿が完成した。ソロモン王はエルサレムの自分の許へ、イスラエルの長老たち、全族部長、イスラエル諸家系の首長を召集した。“ダビデの町”シオンに坐す主の契約の箱を神殿へ移すためである。それは祭司たるレビ人がかつぎ、至聖所に置かれる。契約の箱だけでなく、臨在の幕屋、聖なる祭具もまたエルサレムに移された。それはエタニムの月、つまり第七の月の終わりのことであった。
 エルサレムへ入った契約の箱は神殿の内陣、至聖所へ運ばれ、一対のケルビムの翼の下に安置された。契約のはこのなかにあるのは割れた一枚の石版、即ち、ホレブ(シナイ山)で預言者モーセが納めた、十戒を刻んだ石版のみ。今日も契約の箱はそこにある。

 レビ人の祭司たちが神殿から出ると、雲、即ち主の栄光が神殿に満ちた。ソロモン王は祈った、━━「イスラエルの神よ、あなたの僕、わたしの父ダビデになさった約束が、今後も確かに実現されますように。」(王上8:26)
 主よ、とソロモンは祈る、「僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前(みまえ)にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。」(王上8:28)
 罪を犯した者、敵に打ち負かされた者、天変地異や疫病、或いは病気に苦しむ者、御名(みな)を慕う異邦人、彼らがそれぞれに祈りを捧げるとき、主よ、どうか、あなたは天にいましてその者の声を聞き、罪を赦し、報いてください。
 「どうか、この僕の願いにも、あなたの民イスラエルの願いにも御目(おんめ)を向け、いつあなたに呼びかけても彼らに耳を傾けてください。主なる神よ、あなたはわたしたちの先祖をエジプトから導き出されたとき、あなたの僕モーセによってお告げになったとおり、彼らを地上のすべての民から切り離して御自分の嗣業とされました。」(王上8:52-53)
 これが、ソロモン王の祈りである。

 「王はすべてのイスラエル人と共に主の御前にいけにえをささげた。(中略)そのときソロモンは、すべてのイスラエル人、レボ・ハマトからエジプトの川に至るまでの大会衆と共に、わたしたちの神、主の御前で祭りを執り行った。それは七日間、更に七日間、合わせて十四日間にわたった。八日目に王は民を去らせた。民は王に祝福の言葉を述べ、主がその僕ダビデとその民イスラエルになさったすべての恵みの御業を喜び祝い、心晴れやかに自分の天幕へと帰って行った。」(王上8:62,65-66)

 新共同訳聖書にして2頁強(ハンディバイブル・横組みの場合)にわたる列王記上第8章。事前にモーセ五書、殊に出エジプト記と申命記へ、ざっと目を通しておくと背景が際立つ章でもあります。内容からおわかりのように、主なる神がダビデとソロモンに約束していた内容が、ここに至ってようやく実現されました。
 それを喜ぶソロモン王の祈りと感謝、第8章全体の躍動感に満ちた描写に、聖書本文を読み進むときのみならず、ノートを取り、それをPCにぱこぱこ打ちこんでいる間、胸がいっぱいになり、涙腺がゆるむのを感じること度々でありました。それだけ、書いておきます。
 できれば、この章はぜひ翻訳に直接あたっていただきたい、と願います。



 伝統の継承か、或いはそれとの訣別か? 新ヴィーン学派にまつわる諸々の疑問も、源をたどれば斯くも単純な疑問に辿り着くのかもしれません。
 第二次大戦後、ブーレーズら〈トータル・セリー〉派の作曲家たちによって「発見」され、讃えられたアントン・フォン・ウェーベルン。彼のスタイルは20世紀後半になってようやく真価を認められました。或る意味で師シェーンベルク以上に先進的で、未来を見据える眼の持ち主であった、と理解されたのです。
 そろそろ本腰を入れて彼、ウェーベルンともう一人の新ヴィーン楽派、アルバン・ベルクについての文章を書こうと思っています(本当なンだっ!!)。……前にも書いたね、こんなこと……。◆

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第0373日目 〈列王記上第7章:〈宮殿の建築〉&〈神殿の備品の製作〉〉 [列王記・上]

 列王記上第7章です。

 王上7:1-12〈宮殿の建築
 13年の歳月をかけてソロモン王の宮殿は完成した。
 宮殿は「レバノンの森の家」と呼ばれ、45本の柱を持つ柱廊があり、また、裁きを行う場所として「王座の広間」と「裁きの広間」が設けられた。
 王の住居は宮殿の後ろに、妻としたファラオの娘のための住居も、同じ所に造られた。
 宮殿も住居も内部はレバノン杉でおおわれ、外壁と内壁、土台(基礎)、軒に至るまで、正確に加工された石材を用いて築かれた。
 大庭(おおにわ)の周囲には石材の列が3列、レバノン杉の列が1列据えられた。

 王上7:13-51〈神殿の備品の製作〉
 ソロモン王はティルスから王ヒラムを招いて、神殿の備品としておく青銅の器具の制作を依頼した。
 ヒラム王の母はナフタリ出身のイスラエル人であったが、父はティルス人で青銅工芸の職人だったからである。父のDNAを受け継いでヒラム王も「青銅にかけてはどんな仕事にも」(王上7:14)精通していたのである。
 ヒラム王が神殿のために青銅で制作した物は、以下の通りである。個々の詳述は避ける。
 01:頂きに百合の花を拵えた柱2本、
 02:鋳物の「海」(※1)と、それを支える12頭の牛像、
 03:10台の台車、
 04:10個の洗盤(台車に載せる)、
 05:十能、
 06:鉢、
 07:壺
 これらはヨルダンの低地(創10:10-)、粘土が豊富に採れるスコトとツァレタンの間の地域で製作された。
 「ソロモン王は、主の神殿で行われてきた仕事がすべて完了すると、父ダビデが聖別した物、銀、金、その他の祭具を運び入れ、主の神殿の宝物庫に納めた。」(王上7:51)

 ※1「鋳物の「海」」→水盤、盥(たらい)、水槽。主が海を支配した原始の大洋(創1:1)の象徴とも。図がティンデル『列王記』P130にある。原語「ヤム」。



 年に一度の楽しみ、空自の航空祭。今年は航空自衛隊浜松基地のエア・フェスタ2009へ行ってきました。
 雨が強まるばかりの空をアメリカからやって来たサンダーバーズが、気合いの曲芸飛行を披露。普段よりも低空で演技したので、ばっちり記憶と網膜に焼きつけてきました。〈負〉の意味で諸条件が重なり、写真は殆ど撮影できませんでした。もうちょっと天気が良ければ……。明日の三沢基地のショーは最高の天気で行われるんだろうなぁ。
 その後、浜松基地のカラーガードの演技を格納庫内で見、中部航空音楽隊の演奏を聴き、帰宅の途に。◆

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第0372日目 〈列王記上第6章:〈神殿の建築〉〉 [列王記・上]

 列王記上第6章です。

 王上6:1-38〈神殿の建築
 「ソロモン王が主の神殿の建築に着手したのは、イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王になってから四年目のジウの月、すなわち第二の月であった。」(王上6:1)
 途中、主の言葉がソロモンに臨んだ。「あなたが建てている神殿について、もしあなたがわたしの掟に従って進み、わたしの法を実行し、わたしのどの戒めにも従って歩むなら、わたしは父ダビデに告げた約束をあなたに対して果たそう。わたしはイスラエルの人々の中に住み、わが民イスラエルを見捨てることはない」(王上6:12-14)と。
 「主の神殿の基礎が据えられたのが、ソロモンの治世第四年のジウの月、同第十一年のブルの月、すなわち第八の月に神殿はその細部に至るまで計画通りに完成した。その建築には七年を要した。」(王上6:37-38)

 神殿の建築にはティルスで切り出され、運搬された石が使われた。石切り場で正確に加工されていたので、建築現場からは道具を使う音がまったく聞こえてこなかった。
 神殿は外陣と内陣の二重構造。外陣は前廊と脇廊を擁し、また脇間が神殿の全体にめぐらされていた。
 その神殿の内部、壁・床・天井に至るまでレバノン杉と糸杉が張られ、純金がその上から貼られた。契約の箱を安置する内陣(神殿の奥)には一対/2体のケルビムが設置された。

 出25:18で制作を指示されていた一対のケルビム。その前後の章節で臨在の幕屋作りが指示され実行されますが、モーセとヨシュアに率いられて“乳と蜜の流れる地”カナンへ入植(実質的には侵略)、このソロモン王の御代に至るまで、主のための神殿が未だ建てられていなかったことに気附かされたことであります。
 神殿建設はイスラエルの平和と安定が保証されて、ようやく実行に移されたのでした。この時代に立ち会えたことを、イスラエルの民はどれだけ喜びと感じたでしょうか。が、しかし、……いえ、それはまたその段に至ってからのお話といたしましょう。



 いつものスタバで、むかいの席におぐゆーさんそっくりの女性が坐る。おもわず胸が、どきん、としました。
 が、時刻は午後6時前。いくらなんでも想い人がこの時間に、この場所(街)にいるはずがなく……でも、本当にそっくりだった。
 もう10ヶ月も逢っていないけど、……。それでも好きでいられるんだっ!◆

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第0371日目 〈列王記上第5章2/2:〈神殿建築の準備〉〉 [列王記・上]

 列王記上第5章2/2です。

 王上5:15-32〈神殿建築の準備〉
 ティルス(※1)の王ヒラムはイスラエルの前王ダビデと変わらぬ友好を保っていた。ヒラムはソロモンがダビデを継いで即位したと知ると、家臣を遣わしてこれを寿いだ。ソロモンも家臣を遣わして返礼し、こういった、━━
 ━━イスラエルは平定され、周囲の敵もいなくなった。主は私にやすらぎを与えられた。いまこそ、主の御名による家(神殿)を建てるとき。ついてはヒラム王よ、貴国のレバノン杉と糸杉を切り出すよう、あなたの民に命じてはいただけないだろうか。むろん、私の家臣も一緒に働かせるゆえ……。
 ヒラムはこれを諾ったが、一旦はイスラエルの民を自国に入れるのを拒んだ(※2)。ヒラム王はこういったのである━━、切り出した木材はティルスの国から海路で運搬させ、ソロモンが指定した港(※3)に荷揚げしよう、その後はそちら(イスラエル)で作業してほしい、と。そして、私の家のためにイスラエルは食糧を用意してほしい、とも。
 双方は合意した。「ヒラムとソロモンの間には平和が保たれ、二人は条約を結んだ。」(王上5:26)

 イスラエルの男子30,000人が動員された。また、荷役の労働者70,000人と石工80,000人も。それを3,300人の現場監督が仕切った。
 神殿の土台(基礎)となる切石は、海路を必要としない場所で、ソロモンの石工、ヒラムの石工、ゲバル人が共同で切り出した。
 「こうして、神殿建築用の木材も石材も整った。」(王上5:32)

 ※1「ティルス」→地中海沿岸に位置する、フェニキヤの主要都市の一つ。イスラエル国境にいちばん近く、知事バアナが治めるアシェル北境(王上4:16)を流れるリタニ川河口にある。原語では「ツロ」、現在のスール(ティル)であろうか。
 ※2「拒んだ」→大型のイカダを組んで海路を運搬する技術は、当時高度なものであった。それをヒラムは、いわば「社外秘」にしておきたかったのである。ゆえにイスラエル人の協力を部分的に断ったのであろう。同様に、石材の切り出しが共同で行われたのは、陸路で運搬できる場所が石切り場に選ばれたからである、と想像できる。
 ※3「港」→ベン・ヘセドが知事を務める地域(王上4:10)、沿岸にある街ヤッファの港と思われる(歴代誌下2:15)。



 「打倒、IME!」とか叫んでいたら、プロバイダのメンテナンス時間に突入。忘れていた自分が悪いとはいえ、こんな時間に更新とはね!? なんだか敗北感を感じるぜっ!
 こほむ、えっと……、
 今日の記事に 触発されて(?)ドヴォルザークの《糸杉》を、弦楽四重奏ヴァージョンで聴いています。レイモンド・カーヴァーの短編を読むのにぴったりのBGM……。◆

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第0370日目 〈列王記上第4章&第5章1/2:〈ソロモン王の統治と繁栄〉〉 [列王記・上]

 列王記上第4章と第5章1/2、いずれも小見出しは〈ソロモンの統治と繁栄〉です。

 王上4:1-20〈ソロモンの統治と繁栄〉
 全イスラエルの王となったソロモン王を、11人の高官が支えた。高官たちの名と役職は以下の通りである。
 01,アザルヤ(ツァドクの子):祭司
 02,エリホレフ(シシャの子):書記官
 03,アヒヤ(シシャの子):書記官
 04,ヨシャファト(アヒルドの子):補佐官
 05,ベナヤ(ヨヤダの子):軍の司令官
 06,ツァドク:祭司
 07,アビアタル:祭司
 08,アザルヤ(ナタンの子):知事の監督
 09,ザブド(ナタンの子でソロモン王の友):祭司
 10,アヒシャル:宮廷長
 11,アドニラム(アブダの子):労役の監督

 また、全土に12人の知事を置いた。知事の名と所轄地は以下の通りである。
 01,ベン・フル:エフライム山地
 02,ベン・デケル:マカツ、シャアルビム、ベト・シェメシュ、エロン・ベト・ハナン
 03,ベン・ヘセド:アルボド、ソコとヘフェル地方全域
 04,ベン・アビナダブ(妻はソロモン王の娘タファト):ドルの高地全域
 05,バアナ:(アヒルドの子):タナク、メギド、イズレエル下方━━即ちベト・シェアン全域
 06,ベン・ゲベル:ラモト・ギレアド、ギレアド地方のマナセの子ヤイルの村落、バシャン地方のアルゴブの地域。そこには60の城塞都市があった。
 07,アヒナダブ(イドの子):マナハイム地方
 08,アヒアマツ(妻はソロモン王の娘バセマト):ナフタリ地方
 09,バアナ(フシャイの子):アシェル地方とベアロト
 10,ヨシャファト(パルアの子):イサカル地方
 11,シムイ(エラの子):ベニヤミン地方
 12,ゲベル(ウリの子):アモリ人の王シホンとバシャンの王オグの旧領であったギレアド地方。「この地にもう一人の知事がいた」(王上4:19)とはベン・ゲベルのことか、と思うも、ユダとする説が圧倒的のようです。

 「ユダとイスラエルの人々は海辺の砂のように数が多かった。彼らは飲み食いして楽しんでいた。」(王上4:20)
 これは次章で触れられるソロモン治世のイスラエルの発展と安定を示している。

 王上5:1-14〈ソロモンの統治と繁栄〉
 ソロモン王の御代は安寧であった。民は安らかに暮らした。ユーフラテス西方地域を併合したが国境に不穏な動きはなかった。
 神、主は王に広い心を与え、誰にも優る知恵と洞察力を授けた。その名は諸国に知れ渡り、多くの者がその知恵に耳を傾けた。
 王の語った格言は3,000,歌は1,500首にのぼる云々。

 「3,000の格言=箴言」で考えがちですが、そうではない、とジークフリート・ヘルマンは注意を促します(『聖書ガイドブック 聖書全巻の成立と内容』P110 教文館)。
 古代イスラエル社会にあった生活、森羅万象の知恵が「箴言」の形で取りあげられているのだ、と。「箴言」はソロモンが語り、かつ、ソロモンに帰せられた知恵の数々の結晶と呼ぶのが妥当なのかもしれません。



 ぶじ懸案事項が片附き、ぼーっ、とした頭でいつもの図書館へ。ジム・トンプスン『死ぬほどいい女』(扶桑社)とジョルジュ・アルノォ『恐怖の報酬』(新潮社)を借りました(あと、ヘディン『シルクロード』[岩波文庫]も)。
 アルノォは、私淑する生田耕作先生最初期の翻訳+好きなフランス映画の原作、とあり、ずっと読みたかったんだが、図書館にあるのを知ってさっそく借りたのです。◆

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第0369日目 〈列王記上第3章:〈ソロモン王の知恵〉〉 [列王記・上]

 列王記上第3章です。

 王上3:1-15〈ソロモン王の知恵〉1/2
 エジプトのファラオ(※1)の娘婿となったソロモン王は、王妃をエルサレムへ迎えた。「当時はまだ主の御名にために神殿が建てられていなかったので、民は聖なる高台でいけにえをささげていた。」(王上3:2)
 或る日、王は聖なる高台のあるギブオンに出掛けた。その夜、主が王の夢枕に立った望むものを与えよう、と主はいった。ソロモン王は斯く答えた、━━
 「わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。(中略)どうか、わたしの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。」(王上3:7,9)
 これに主は喜んだ。「見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。」(王上3:12)そして栄光と富と長寿をもソロモン王に与えた。
 ※1「エジプトのファラオ」→前978-959年に在位した王シアムン、或いは前959-945年在位の王プスセネスか? この婚姻でソロモンはエジプトとの外交と同盟を結んだが、ティンデル『列王記』でワイズマンは以後のソロモン堕落の遠因がここに見出せる、としている(P92)。

 王上3:16-28〈ソロモン王の知恵〉2/2
 2人の遊女がいた。一つ屋根の下で寝起きし、前後して子を産んだ。
 或る晩、遊女Aが寝返りを打って自分の赤子を圧死させた。そこで遊女Bの赤子と入れ替えた。Bはそれに気附き、Aを連れて王の許へ参ったのである。遊女Bは王に裁きを求めた。
 2人の言い分を聞き終えた王は命じた、━━生きている赤子を剣で半分に裂け、片方をAの、もう片方をBの子とせよ、と。
 Bは嘆いて王に訴えた、この子を生かしたままAにあげてください、と。
 Aは軒昂として王にいった、この子をどちらのものともせず早く半分に裂いてください、と。
 王は改めて裁きを下し、宣言した。この子を生かしたまま遊女Bに与えよ、なんとなれば彼女こそが赤子の本当の母親であるから。
 「王の下した裁きを聞いて、イスラエルの人々は皆、王を畏れ敬うようになった。神の知恵が王のうちにあって、正しい裁きを行うのを見たからである。」(王上3:28)

 後半をなかば独立させた理由はお察しいただけるものと信じます。2人の遊女の挿話は、ソロモン王が正しい心を主から与えられた、という“事実”を補強するもの。
 遊女らの訴えに対する王の裁きは一見残酷そのもので、旧約聖書の神の残虐性が乗り移ったかに錯覚しますが、われわれ日本人はここに、「大岡裁き」のイスラエル版、西洋版を見た思いがするでしょう。



 帰宅途中の書店にて、三浦しをん『まほろ駅前番外地』(文藝春秋)を購入。わーい。直木賞受賞作『まほろ駅前多田便利軒』の続編、待ちに待った単行本化です。
 だんだんと、出れば買う作家とそうでない作家が選別されてゆき……が、三浦しをんは最後まで新刊を購入し、連載を追っかける作家であり続けるだろう。と、帰りの電車のなかで、ぼんやりおぐゆーさんを想いながら、ふと考えたのでありました。◆

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第0368日目 〈列王記上第2章:〈ダビデ王の最期〉、〈王位をうかがう者のその後〉〉 [列王記・上]

 列王記上第2章です。

 王上2:1-11〈ダビデ王の最期〉
 ダビデ王は崩御した。在位は40年に渡った。
 臨終の直前、ダビデはソロモン王にいい残した。ダビデは斯く戒めた。私はこの世のすべての者がたどる道を行こうとしている、と前置きし。
 「あなたは勇ましく雄々しくあれ。あなたの神、主の務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおり、主の掟と戒めと法と定めを守れ。そうすれば、あなたは何を行っても、どこに向かっても良い成果を上げることができる。また主は、わたしについて告げてくださったこと、『あなたの子孫が自分の歩む道に留意し、まことをもって、心を尽くし、魂を尽くしてわたしの道を歩むなら、イスラエルの王座につく者が断たれることはない』という約束を守ってくださるであろう。」(王上2:3-4)
 また、こうもいい残した。ツェルヤの子ヨアブとゲラの子シムイ(バフリム出身のベニヤミン人)の犯した罪を、ソロモン王よ、あなたは不問に処してはならない。自分の知恵に従って、彼らを血に染めて陰府(よみ)へ送りこめ、と。
 但し、ギレアド人バルジライの息子たちは大切にせよ。慈しみ深くし、共に食卓へ連なる者とせよ。なぜならば、アブサロムから逃れていた私を助けてくれたからだ、と。
 ダビデ王は崩御した。在位40年のうち、ヘブロンで7年、エルサレムで33年を、王として過ごした。

 王上2:12-46〈王位をうかがう者のその後〉
 ソロモン王の御代が始まった。が、その王位を狙うとされた者が3人あった。前王ダビデとハギトの間に生まれたアドニヤ、ツェルヤの子将軍ヨアブ、サウル王家の出身であるベニヤミン人シムイである。
 結果を先にいえば、アドニヤ、ヨアブ、シムイは自らの軽率により命を墜とした。
 アドニヤはこのようにして死んだ。民意も王位も失った者のために、母よ、弟ソロモンにこう頼んでほしい、とアドニヤはハギトにいった。最晩年の父ダビデに侍って身の回りの世話をし、ダビデが遂にその体を知ることがなかったシュネム出身の女アビシャクを私の妻にさせてほしい、と。ハギトは諾い、ソロモン王へ伝えた。王はいった、━━
 「アドニヤがこのような要求をしてもなお生きているなら、神が幾重にもわたしを罰してくださるように。(中略)アドニヤは今日死なねばならない。」(王上2:23-24)
 こうしてアドニヤは死んだ。
 ヨアブはこのようにして死んだ。祭司アビアタルが祭司の職を解かれた。これを聞いてツェルヤの子ヨアブは主の天幕に逃げこみ、祭壇の角(つの)を摑んだ。ヨアブは降伏、投降を促されたが、それは拒否して、ならば死ぬ、といった。王は「彼の言うとおりにせよ。彼を打ち殺して地に葬れ」(王上2:31)と命じた。なんとなればヨアブは善良なるアブネルとアマサを剣にかけて殺したゆえに。
 こうしてヨアブは死んだ。アビアタルの後任祭司はツァドク、ヨアブの後任将軍はヨヤダの子ベナヤである。
 シムイはこのようにして死んだ。ソロモン王の命に従ってエルサレムのなかに家を建て住まい、町を決して出ないと誓ったシムイ。が或る日、シムイの家の僕(しもべ)2人がエルサレムを脱してガト領アキシュへ逃げこんだ。シムイはこれを追い、エルサレムへ帰還した。ソロモン王はこれを知ると、誓いを破った罰としてシムイを打たせた。
 こうしてシムイは死んだ。
 「こうして王国はソロモンの手によって揺るぎないものとなった。」(王上2:46)

 王位簒奪をうかがう可能性のある3人を結果的にソロモン王は排除しました。理由や発端がどうにも陰謀めいて映るのは、ここに至るまでの歴史の叙述による擦りこみ効果かもしれません……。
 これで王国は安泰になったかに見えますが、火種はまだまだ別の所にあるようです。もっと先へ進めば、それを確認することができるでしょう。



 図書館にて『プロコフィエフ短編集』(豊田菜穂子・他訳 群像社)を借り、オクトーバーフェストにて、じゃんじゃかじゃんじゃかビールを飲む。くっぱらくっぱらソーセージ食べる。美味じゃ、デリーシャスじゃ。叫んでやるぜっ!◆

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第0367日目 〈列王記上第1章:〈王位継承の争い〉〉 [列王記・上]

 列王記第1章です。

 王上1:1-53〈王位継承の争い〉
 老いたダビデ王に代わって、四男アドニヤが王位継承を主張した。祭司アビアタルと総司令ヨアブの支持は得たが、イスラエルの大勢はアドニヤに与さなかった。
 事態を重く見た預言者ナタンは、ソロモンの母バト・シェバを用いて、ダビデ王に審議を求めた。━━アドニヤ即位を是認するや否や?
 王はそれを否定した。王はいった、「あなた(バト・シェバ)の子ソロモンが私の跡を継いで王となり、私に代わって王座につく、とイスラエルの神、主にかけてあなたに立てた誓いを私は今日実行する。」と(王上1:30)
 続けて王は、祭司ツァドクと預言者ナタン、ヨヤダの子ベナヤを呼び、ソロモン即位の実行を命じた。
 みなはギホンに下り、「祭司ツァドクは天幕から油の入った角を持って出て、ソロモンに油を注いだ。彼らが角笛を吹くと、民は皆、『ソロモン王万歳』と叫んだ。民は皆、彼の後に従って(エルサレムへ)上り、笛を吹き、大いに喜び祝い、その声で地は裂けた。」(王上1:39-40)

 民の歓喜の声は、近郊で即位の宴を催しているアドニヤとその客らの耳へも届いていた。
 それを不審に思っている彼らの許へ、祭司アビアタルの息子ヨナタンがやって来て、報告した。━━ソロモン王が即位した、前王ダビデの王位はソロモン王が継承した、と。
 客たちはそれを聞いて三々五々と散っていっって、あとには誰もいなくなった。アドニヤはソロモン王をそれて、祭壇にのぼって命乞いをした。
 新しい王は答えた、「彼が潔くふるまえば髪の毛一筋さえ地に落ちることはない。しかし、彼に悪が見つかれば死なねばならない。」(王上1:52)
 ソロモン王はアドニヤを家に帰した。

 イスラエル建国の最後の主役といっていいソロモン王の誕生です。
 王上では専らソロモン王の御代が描かれます。



 秋晴れに恵まれ、アパートの屋根にのぼって樋とドレン管に溜まった木屑を払いました。いや、ちょっと高い場所からだと富士や足柄の稜線がよく見える。視線をさえぎる物はなにもなし、風も涼やか、高い所を漂う雲の間に飛行機雲……。
 そのあと庭で柊を剪定し、秋刀魚と見紛う美しい皮膚をした、日向ぼっこ中のヤモリ(ヤモリのやーさん[三浦しをん]、まっすぐ見たら可愛いお顔!)に挨拶し、バッタ3匹を避けつつ庭掃除。連休中日の夕飯は、さまざま紆余曲折してホットケーキになりました。上にかけるは自家製花梨の蜂蜜です。◆

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第0366日目 〈「列王記上」前夜 & ブログ開設1年、みなさまへの言葉〉 [列王記・上]

 明日から聖書読書ノートを再開します。
 こんなに間が開いたのは、実は、「これはノートではなくダイジェストだよな」という反省があったからなのです。いろいろ対処法を考えていたのですが(もっとシンプルに! みじかく!)、いくら考えても解決策が出ないので、これまでのスタイルを踏襲して再開に踏み切ることにしました。時間ばかり浪費した感がありますけれど、仕方ありません。これまでの時間も頭を悩ませた諸々のことも、いつか形になって結実すると信じて、前に進むことに決めました。
 このブログも気づけば始めて1年以上が経過しました。ほぼ毎日、よく書き続けよく更新し続けたな、と我ながら感嘆の溜め息を禁じ得ません。
 むろん、読者諸兄のご支持なくしてここまでやって来ることは適いませんでした。
 これからも続きます。生き永らえることを許されている間は、ネタがある限り━━黙示録の最後の一行に辿り着くまでは、さんさんかは書き続けます。生きていると宣言し続けます。おぐゆーさんへの実らぬ、実ってほしい想いをときどき叫び続けることもあるでしょう、これはやむなきことです。
 本当に、読者の皆さまには感謝の単純な言葉しか出て来ないのです。でも、言葉は拙くても、気持ちは混じりけなしで本当です。どうもありがとうございました。
 今後ともよろしくお願い申し上げます。

 冒頭で申し上げたとおり、聖書は明日から再開。次は、ソロモン王治世下のイスラエルを描く「列王記・上」です。◆

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