So-net無料ブログ作成
検索選択
歴代誌・下 ブログトップ
前の30件 | -

第0534日目 〈歴代誌下第36章:〈ユダの王ゼデキヤとバビロン捕囚〉他〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第36章です。
 並行箇所は、各小見出し脇に提示。

 代下36:1-4〈ユダの王ヨアハズ〉 並)王下23:31-35〈ユダの王ヨアハズ〉
 ユダ王国の民によって新しく王となったヨシヤの子、ヨアハズは3ヶ月の間王位に在ったが、宗国エジプトのファラオによって退位させられ、兄弟ヨアハズに譲位することとなった。並行箇所に拠れば、ヨアハズはハマトの地リブラに幽閉された。

 代下36:5-8〈ユダの王ヨヤキム〉 並)王下23:36-24-7〈ユダの王ヨヤキム〉
 前王ヨアハズの退位を受けエルヤキム、即ちヨヤキムが即位した。
 が、エジプトによって銀100キカル、金1キカルの科料(年貢)を課せられていたため、ヨヤキムは支払いのため、増税して国民に負担を強いなくてはならなかった(並行箇所に拠る)。
 折しもエジプトは勢力を失い、いまやユダを属国とするのはバビロニアであった。ヨヤキムはその王都バビロンへ連行された。主の神殿の祭具類もバビロンへ持ち運ばれた。
 (捕囚となって37年目、ヨヤキムは解放されてバビロンの賓客として遇された。;王下25:7)

 代下36:9-10〈ユダの王ヨヤキン〉 並)王下24:8-17〈ユダの王ヨヤキン〉
 捕囚となった前王ヨヤキムに代わって、その子ヨヤキンが8歳で新しいユダの王に即位した。
 バビロニアの王ネブカドネツァルは主の神殿の祭具類を略奪し、ヨヤキンを退位させてその兄弟ゼデキヤを王位に就けた。

 代下36:11-23〈ユダの王ゼデキヤとバビロン捕囚〉 並)王下24:18-25:21〈ユダの王ゼデキヤ〉&〈エルサレムの陥落〉
 ゼデキヤは主の目に悪と映ることをことごとく行い、預言者エレミヤの前にもへりくだらなかった。主に立ち帰らず信仰を踏みにじり、神殿を汚した。そして、バビロニアに反旗を翻した。
 「先祖の神、主は御自分の民と御住まいを憐れみ、繰り返し御使いを彼らに遣わされたが、彼らは神の御使いを嘲笑い、その言葉を蔑み、預言者を愚弄した。それゆえ、ついにその民に向かって主の怒りが燃え上がり、もはや手の施しようがなくなった。」(代下36:15-16)
 主はカルデア人(※1)の王、即ちバビロニア王ネブカドネツァルの手にユダの命運を委ねた。カルデア人/バビロニア軍はエルサレムを蹂躙し、その民を老若男女の別なく容赦なく討って殺し、神殿に火を放って猛火に包ませ、宮殿を灰燼に帰せしめた。
 バビロニアの攻撃から辛うじて難を逃れて生き延びたユダの民は、かつて先王ヨヤキムがそうであったように彼の国へ連れて行かれた。いわゆる<バビロン捕囚>である。
 「こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、七十年の歳月が満ちた。」(代下36:21)
 その70年の間、この地域━━オリエントの覇権は(新)バビロニア王国からアケメネス朝ペルシアへ移っていた。
 ペルシアの王キュロス(クロス)は治世第1年に、イスラエルの神、主の計り事(※2)により心を動かされ、捕囚への恩赦を国中に布告した。
 「ペルシアの王キュロスはこう言う。
  天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、上ってゆくがよい。神なる主がその者と共にいてくださるように。」(代下36:23)
 斯くして捕囚は解放され、自分たちの大地へ帰ってゆく。

 ※1「カルデア人」→バビロニアを構成する民の一で、バビロニア東南の沿岸一帯に住まう。ネブカドネツァルはカルデア人の出身、ゆえに「カルデア人の王」と称された。
 ※2「イスラエルの神、主の計り事」→「主はかつてエレミヤの口を通して約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。」(代下36:22)「エレミヤの口を通して」云々;エレミヤ書25:11-22,29:10,31:38 殊に29:10。

 我らは学生時代に世界史を学びました。いよいよ聖書の記述にも、かつて勉強した(させられた)記憶のある時代や固有名詞が登場するようになります。
 「列王記」と「歴代誌」を終えてこれから「エズラ記」、「ネヘミヤ記」などの書物へ分け入ってゆくこととなりますが、その際、可能な限り世界史の教科書参考書、年表や地図が傍らにあってお手隙の時に繙いてみると、あんがい面白くて立体的に聖書の記述の背景を把握できて面白いと思います。よければ、実践してみてください。むろん、本末転倒にならぬように、ご注意を……。
 それにしても、歴代誌のラストは列王記よりも遥かに希望に満ちていますね。この渋みと仄かに射しこむ穏やかな陽光、まるでこれはブラームスの弦楽四重奏曲ではないか!

 今年の1月から読み始めた「歴代誌」上下は、今日を以て終わりとなります。
 皆様、お読み頂きありがとうございました。続く「エズラ記」は4月第3週からの予定です。



 同期の送別会を開いた昨夜。新天地でがんばる彼に非力ながらもエールを送ります。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0533日目 〈歴代誌下第35章2/2:〈ユダの王ヨシヤ〉3/3〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第35章2/2です。
 並行箇所は王下23:29-30〈ユダの王ヨシヤ〉、エズ・ギ1:23-31〈ヨシヤの死〉。

 代下35:2-27〈ユダの王ヨシヤ〉3/3
 この過越祭があって後の時代、エジプトの王(ファラオ)ネコが自分の軍を率いて北上してきた。ユーフラテス川近郊の町カルケミシュを陥落させるためである。ヨシヤ王はこれを迎撃するために討って出た。王ネコは使者を出して、ユダの王に斯くいった、━━
 「今日攻めて来たのはあなたに対してではなく、わたしが敵とする家に対してである。神はわたしに急ぐようにと命じられた。わたしと共にいる神に逆らわずにいなさい。さもなければ、神はあなたを滅ぼされる。」(代下35:21)
 が、ヨシヤはこれに耳を傾けなかった。
 イズレエル平野を望むメギドの丘で双方は激突した。ヨシヤは敵の弓兵の放った矢によって倒れ、戦場を離脱した。王都エルサレムでヨシヤは息を引き取り(並行箇所ではメギドその地にて死亡した。ex;王下23:29)、先祖の墓に埋葬された。
 ユダとエルサレムの住人はヨシヤ王の死を嘆いた。
 「エレミヤはヨシヤを悼んで哀歌を作った。男女のすべての歌い手がその哀歌によってヨシヤを語り伝えるようになり、今日に至っている。それがイスラエルの定めとなり、歌は『哀歌』に記されている。」(代下35:25)
 ━━ヨシヤの事績、主の律法に忠実に従った行為の数々は、『イスラエルとユダの列王の書』に記されている。

 ファラオ・ネコに立ち向かうヨシヤの出陣を支えたのは、自国の領内を素通りされては面子が立たん、という思いであったでしょう。これには実に納得ゆくものがあります。それが仮に先祖の神、主がお膳立てした状況であったとしても、です。
 我ら日本人はこれとよく似たエピソードを知っています。元亀3(1572)年、上洛する武田信玄の軍勢を三方原で迎え撃って敗北した徳川家康のエピソードです。このあと家康は這々の体で浜松城に逃げ帰ったが、大きく開け放たれて篝火が焚かれた城門を見て武田軍が攻撃を諦めて上洛を再開しました。蓋し家康の大物ぶりが窺い知れますが、この家康といいヨシヤといい、洋の東西・古今の違いはあれども国を預かる者、これぐらいの専守防衛の意識がなくてはならぬということでありましょう。
 メギド平野はこれまでにも旧約聖書に何度か登場しましたが、交通と軍事上の要衝であったためにたびたび戦場となった所です。
 「ヨハネの黙示録」には汚れた者、即ち悪魔(サタン)が神との最終決戦に臨み全世界の王を集める場所として、<ハルマゲドン>つまりヘブライ語でいう「メギドの丘」が選ばれます。ハルマゲドンとは古戦場であったメギドの丘のギリシア語です。

 エレミヤがヨシヤを悼む哀歌を作り、それは『哀歌』に収められている━━歴代誌はそう記します。
 現在旧約聖書に収められる『哀歌』と同一視してよいものやら、キリスト者でもなくただ漫然と、亡き婚約者の思い出に促されて聖書を読んでいるだけの我が身には、よくわからず意見と申すべきものさえ持てずにいる、というのが正直なところであります。
 まあ、実際に『哀歌』を読む頃にはもう少しまともな意見を持てるであろう、とは楽観視しておりますけれど。
 旧約聖書所収の『哀歌』は、預言者エレミヤを著者と伝えてきたがゆえ、伝統的に『エレミヤの哀歌』と称されてきました。が、今日ではエレミヤ著者説を採る人は殆どいないそうであります。



 先日からAXNにて放送中の『CSI:マイアミ』新シーズンCM。
 「ホレイショ劇場の幕があがる」……って、あーあ、遂に言っちゃったよ、と思った方、どれだけいるんでしょうねぇ。
 いや、まさしくそうなんだけれどさ。トリップ役のレックス・リンも認めているし。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0532日目 〈歴代誌下第35章1/2:〈ユダの王ヨシヤ〉2/3〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第35章1/2です。
 並行箇所は、王下23:21-23〈ユダの王ヨシヤ〉、エズ・ギ1:1-20〈ヨシヤと過越祭〉。

 代下35:1-19〈ユダの王ヨシヤ〉2/3
 ヨシヤ王はエルサレムにて主の過越祭を祝うことにした。時にその治世第18年。第一の月に過越のいけにえを屠り、祭司たちを任務に就かせて主の神殿の奉仕を行わせ、すべてのイスラエル人の教師であり主のために聖別されたレビ人に、契約の箱を神殿へ運びこむよう命令した。家系ごと、組ごとに職務について励み、「過越のいけにえを屠り、自分を聖別し、あなたたちの兄弟が、モーセを通して伝えられた主の言葉に従って祝いができるように整えよ。」(代下35:6)
 民のため、王は過越のいけにえを提供した。民と祭司とレビ人のため、神殿の主管ヒルキヤ、ゼカルヤ、エヒエルは過越のいけにえを提供した。レビ人に、コナンヤとその兄弟シェマヤとネタンエル、レビ人の指導者ハシャブヤ、エイエル、ヨザバドは過越のいけにえを提供した。
 奉仕の準備が整い、王の指示に従って、祭司はその持ち場に、レビ人はその組ごとに立った。いけにえが屠られ、皮が剥がれ、焼き尽くす献げ物とする部位を除いて調理され、民の全員へ配られた。アサフの一族である詠唱者たちは、先見者アサフ、ヘマンとエドトンの指示で自分たちの持ち場についた。門衛もそれぞれの門に立った。
 「ヨシヤ王の指示に従って過越祭を祝い、主の祭壇に焼き尽くす献げ物をささげるために、主に対する奉仕の準備はその日にすべて整った。」(代下35:16)
 「こうしてその時、そこにいたイスラエルの人々は過越祭を祝い、除酵祭を七日間にわたって祝った。預言者サムエルの時代以来、イスラエルにおいてこのような過越祭が祝われたことはなく、ヨシヤが祭司、レビ人、そこに居合わせたすべてのユダとイスラエルの人々、およびエルサレムの住民と共に祝ったような過越祭を行った者は、イスラエルの歴代の王の中に一人もなかった。」(代下35:18)
 こうして主の過越祭が、ヨシヤ王によって祝われた。

 ノートではばっさり切り捨てましたが、この箇所は、過越祭の準備で大わらわになっている人々のために、レビ人が如何に陰に陽にサポートしたかが描かれています。それを確認するためにも、一度本文に目を通していただけると幸いです。
 引用文中、「サムエルの時代以来」云々とありますが、並行箇所では「士師たちがイスラエルを治めていた時代からこの方」(王下23:22)となっています。
 要するに、神の人モーセの後継たるヨシュアが身罷って以来、サウルが初代イスラエル王になってダビデ、ソロモンを経た長い時間のなかで、ここまで大規模で主への感謝と畏怖と信心に裏打ちされた過越祭は行われたことはない、それだけヨシヤ王が行った過越祭は立派で王の事績は仰いで範とすべきものであるぞ、と、バビロニアから帰還したイスラエル/ユダの民に歴代誌著者は伝えているのです。
 並行箇所ではわずか2節で語られたヨシヤ主催の過越祭がここまで大きく語られているのは、そんな理由からである、とさんさんかは考えております。
 なお冒頭、並行箇所として挙げた<エズ・ギ>は旧約聖書続編にある「エズラ記(ギリシア語)」のことであります。数年後に我らは読むことになりますが、その際は再び代下35に立ち戻ることもあるでしょう。



 アバドによるペルゴレージ・プロジェクトの第2,3弾となるCDが同時発売されています。欲しいのはやまやまだが明日と明後日がポイント3倍デー、「買うならこの日に!」というのが人情ですけれど、如何ともし難いことにその日はおいら、お仕事なのさ……。
 なんか今日はねぇ、買うか否かを迷って結局買わずに帰って来た日なんですよねぇ。聖書事典や聖書入門の新書、MJの本とかさ。自虐的かもしれぬが、今月は食費と最低限の本代とコーヒー豆代で済まそうか、それ以上は余りお金を使うのやめようか、と目下構想(?)中なり。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0531日目 〈歴代誌下第34章:〈ユダの王ヨシヤ〉1/3〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第34章です。
 並行箇所は、王下22:1-23:3〈ユダの王ヨシヤ〉。

 代下34:1-33〈ユダの王ヨシヤ〉1/3
 父王アモンのあとを承けて8歳でユダの王に即位したヨシヤは、主の目に正しいと映ることをことごとく行って父祖ダビデの道を歩み、右にも左にもそれることがなかった。彼は、アッシリアにより滅亡して以来ユダ領となっていた旧北王国領すなわちマナセやエフライム、ナフタリを始めとしてイスラエル全土を巡幸して、アシェラ像やバアルの祭壇など異神信仰にまつわる諸々のものを片端から打ち壊した。
 その治世第18年、すなわち26歳のとき、ヨシヤは神殿の修復に着手した。主の神殿に民が納めた献金は工事監督者に渡され、それぞれの工事担当者によって建材や石材の購入などに使われた。
 神殿が着々と修復されている頃、祭司ヒルキヤが、モーセの律法の書を発見した。それは書記官シャファンを介してヨシヤ王の許へ持ちこまれた。シャファンによって律法の書が朗読されると、王は自らの衣を引き裂いた。
 王は、書記官シャファンを含む家臣たち数人を女預言者フルダの許へ遣わした。彼女は彼らにいった、王にこう伝えよ、主はこう仰っている、と。曰く、━━
 「主はこう言われる。見よ、わたしはこの所とその住民に災いをくだし、ユダの王の前で読み上げられた書に記されているすべての呪いを実現する。彼らがわたしを捨て、他の神々に香をたき、自分たちの手で作ったすべてのものによってわたしを怒らせたために、わたしの怒りはこの所に向かって注がれ、消えることはない。主の心を尋ねるためにあなたたちを使わしたユダの王にこう言いなさい。あなたが聞いた言葉について、イスラエルの神、主はこう言われる。あなたはこの所とその住民についての主の言葉を聞いて心を痛め、神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる。見よ、わたしはあなたを先祖の数に加える。あなたは安らかに息を引き取って墓に葬られ、わたしがこの所とその住民に下す災いのどれも、その目で見ることはない。」(代下34:24-28)
 これを聞くとヨシヤはすべての民を集ると共に神殿に登り、契約の書(律法の書)のすべての言葉を、彼らに読んで聞かせた。
 「それから、王は自分の場所に立って主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されている契約の言葉を実行することを誓った。王はエルサレムとベニヤミンにいるすべての者に誓わせた。エルサレムの住民は先祖の神、その神の契約に従って行動した。(中略)
 彼(ヨシヤ)が生きている間、彼らは先祖の神、主に従う道からはずれることはなかった。」(代下34:31-33)

 敢えて記すべき言葉が、ここにありましょうか?



 思いがけなく遭遇してわずかな箇所を読んだだけで引きずり込まれて買いこんだ、エドワード・バンカーの『ストレート・タイム』(角川文庫)。一緒に『ドッグ・イート・ドッグ』(ハヤカワ文庫)も購入した。元犯罪者の書いたノワールということで、内容はあまりにリアルで、圧倒的。感嘆するより他にない。エルロイのみがこれに比肩するのではないか。
 このバンカーの小説、一癖も二癖もある、有り体にいってここにもあるあすこにもある、というミーちゃんハーちゃん的な代物ではない、とだけ申し上げておく。
 でも、最近ブックオフやらで買いこむ小説は、ハードボイルドとノワールが多いなぁ。馬鹿とエゴイストとパープリンが織りなすドストエフスキー『白痴』の反動か。暴言を吐かせてもらうが、ドストエフスキーって長いものを書く才能はあったかもしれないが、物語を紡いで語る才能は無かったンじゃぁなかろうか、と、そんな気さえしてならぬのである、この「作者がいちばん愛していた作品」という『白痴』を読んでいると。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0530日目 〈歴代誌下第33章:〈ユダの王マナセ〉&〈ユダの王アモン〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第33章です。
 並行箇所は、王下21:1-18〈ユダの王マナセ〉。参考として旧約聖書続編(外典)「マナセの祈り」。

 代下33:1-20〈ユダの王マナセ〉
 ヒゼキヤのあとを承けてユダの王に即位したのは、その子マナセであった。賢王のこの常として、マナセ王も主の目に悪と映ることを行った。聖なる高台を再建し、バアルの祭壇を築き、アシェラ像を造り、神殿の二つの庭に天の万象のための祭壇を築いてそれに仕え、神殿のなかに異教の神々の祭壇を築いてこれに仕えた。或いはベン・ヒノムの谷で火中を自分の子を歩かせ、禁じられていた占いや口寄せ、魔術や霊媒を信じるなど、主の目に悪と映ることを数多く行って主の怒りを招いた。それだけに留まらず、マナセはエルサレムの住人を惑わして、かつて主が彼らの前から駆逐した諸国民の慣習よりももっと悪いことを行わせた。
 斯様にしてマナセの悪行は続いた。主より発せられた諫めの言葉にも、彼は耳を貸さなかった。主はユダをアッシリアの手に渡した。ユダへ攻めこんだアッシリア軍は王マナセを捕らえ、バビロンへ連行していった。
 ━━
 ━━が、マナセは深い絶望のなかにあって改心した。自分の過ちを悔い、主の前に深くへりくだり、そうして、祈り求めた。
 「(イスラエルの)神はその祈りを聞き入れ、願いをかなえられて、再び彼をエルサレムの自分の王国に戻された。こうしてマナセは主が神であることを知った。」(代下33:13)
 マナセはかつて自分が築いた主の信仰に背くすべてのもの、祭壇や祭具などを取り除き、捨てた。それに伴い、ダビデの町に長い長い城壁を築き、ユダのすべての砦の町に軍の長を置いた。主への改心と対アッシリアの敗北から学んだことを実行したのである。
 「主の神殿を築き、その上に和解と感謝の献げ物をささげ、ユダの人々にイスラエルの神、主に仕えるよう命じた。しかし民は彼らの神、主に対してではあるが、依然として聖なる高台でいけにえをささげていた。」(代下33:16-17)
 マナセ王は崩御すると、自分の王宮に葬られた。
 彼の事績、神にささげた祈りなどは『イスラエルの列王の書』に、彼のすべての背信行為や祈って聞き入れられたことなどは『ホザイの言葉』に、それぞれ記されている。

 代下33:21-25〈ユダの王アモン〉
 父マナセのあとを承け、22歳で即位したその子アモンは、捕虜となる前の父と同様、主の目に悪と映ることを行った。主にへりくだることもなく罪悪を重ねていったのである。
 遂に家臣たちの謀反に遭い、殺害されたアモン。が、ユダの国の民は、その家臣たちを反逆者として討ち、アモンに代わってその子ヨシヤを新しい王とした。

 マナセの項:並行箇所に対アッシリア戦とその後捕虜にあった件、並びに改心の件は記されていません。ただエルサレムを血で埋めた旨の記述があるのみです。
 マナセは捕虜として連行されて、まだ存命中に生きて国へ帰った稀有の人でもあります。
 また、冒頭に掲げたように、マナセの祈りは旧約聖書続編(外典)の掉尾に収められています。やがて我らもそこに辿り着くであろうけれど、これはいま、是が非でも読んでいただきたい。そう、とても感動的な祈りの言葉。苦悩と絶望のなかにあってマナセが心より祈った、主への実(まこと)の言葉。



 長い、とっても永い物語を、再び書こうと思います。生きる縁、もう一つの我が人生と得られていたはずの家族。それを投影させた、手向けの物語を。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0529日目 〈歴代誌下第32章2/2:〈センナケリブの攻撃〉2/2〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第32章2/2です。
 並行箇所は、王下20:1-21〈ヒゼキヤの病気〉。

 代下32:24-33〈センナケリブの攻撃〉2/2
 アッシリアの攻撃を退けた頃、ヒゼキヤ王は病気にかかり死線をさまよった。これを哀れと思し召した主は、彼にしるしを与えた。王は全快したが、主の恩恵にふさわしく応えることはなく、そのまま思い上がった、すなわち自分とユダ、エルサレムの上に主の怒りを招いたのである。さりながら王がすぐにへりくだったので、ヒゼキヤの御代に主の怒りが降ることはなかった。
 ヒゼキヤ王の治世にユダは繁栄した。ギホンの上(かみ)の方の湧き水を塞き止め、ダビデの町の西側へ流れるように治水工事を行ったのは、王の数多の事績のうちでも最も讃えられることの一つである。
 「しかし、バビロンの諸侯が、この地に行った奇蹟について調べさせるため、使節を遣わしたとき、神はヒゼキヤを試み、その心にある事を知り尽くすために、彼を捨て置かれた。(※1)」(代下32:31 ex;王下20:12-19〈バビロンからの見舞客〉)
 25歳で即位したヒゼキヤ王は29年間エルサレムで王位に在って、その後崩御した。遺体は「ダビデ一族の墓のある丘に」(代下32:33)埋葬された。「その死にあたってすべてのユダとエルサレムの住民が彼に敬意を表した。」(同)
 ヒゼキヤの事績と敬神の行為は、『預言者アモツの子イザヤが見た幻』と『ユダとイスラエルの列王の書』に記されている。

 ex;「彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。」(王下18:5-6〈ユダの王ヒゼキヤ〉)

 ※1「彼を捨て置かれた」→バビロン王バアルダンの息子メロダク・バアルダンが派遣した見舞いの使節に、ヒゼキヤが王宮や倉庫などのなかを隈無く見せたのを預言者イザヤが批判したことを指す。王下20:12-18参照。



 桜木町駅前に新しくオープンしたコレット・マーレ。週末はエスカレーターの利用に長蛇の列が出来(列整理のなんと下手で杜撰なこと! フォーラム・メンバーに任せてしまえ!)、入っている店舗も賑わいを見せていました。平日の今日(昨日ですか)はだいぶ少なかったようですが、それでもまだまだなんとか繁盛はするでしょう。
 でも、閉店20時って早過ぎなくない? ランドマークやクイーンズに早くも敗北宣言?それとも、ハナから採算に合わぬ戦いゆえにケツをまくって逃げ出す用意? いずれにせよ、あすこで真に使い出があるのは、病院映画館ぐらいではあるまいか? まぁ、グルメ関係はしばし静観すべきであろうけれど。取り敢えずいま気になっているのは、神奈川県初出店が大きなウリの、カフェ・アパッショナータ、かな。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0528日目 〈歴代誌下第32章1/2:〈センナケリブの攻撃〉1/2〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第32章1/2です。
 並行箇所は、王下18:13-19:31〈センナケリブの攻撃〉

 代下32:1-23〈センナケリブの攻撃〉1/2
 ヒゼキヤ指導による宗教復古がなされたユダに、アッシリアの王センナケリブの軍が侵入してきて砦の町を攻め、王都エルサレムへ迫りつつあった。
 将軍や勇士たちと協議して王は、都の郊外にある泉の水と一帯を流れる川の水を塞き止め、城壁を修復して塔を建てて更にもう一つ外側に城壁を築き、ダビデの町のミロを強固にし、多くの武具を造って、アッシリアの攻撃に備えた。
 王は戦える民の上に立てた指揮官を城門の前にある広場に集め、激励した。「敵には人の力しかないが、我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦ってくださる。」(代下32:8)
 砦の町ラキシュを攻撃中のセンナケリブが、エルサレムに家臣たちを遣わした。彼らがいった言葉は、こうである、我らの王アッシリアのセンナケリブはこう申される、お前たちユダの民は何を頼みとしてその町に留まっているのか、と。どの民の神もアッシリアの手から自分の民を守ることはできなかったというのに、と。
 センナケリブも書簡を寄こして、ユダに降伏を勧告した。彼はイスラエルの神、主を侮蔑して、「わたしの手から自分の民を救うことのできなかった諸国の神々と同じように、ヒゼキヤの神も、わたしの手からその民を救い出すことはできない。」(代下32:17)
 ━━ヒゼキヤ王と預言者イザヤは天に助けを求めて叫んだ。すると、主の御使いがやってきて、アッシリア軍を全滅させた。生き残ってアッシリアに帰り着いたセンナケリブは、自分の神の坐す神殿で自らの子たちによって討たれた。
 主はユダに安らぎを与えた。
 人々が供え物を携えてエルサレムに来た。
 「それ以来、王はあらゆる国の民から仰ぎ見られるようになった。」(代下32:23)

 並行箇所に較べるとすっきりした記述ですが、併せて王下18-19も読んでいただければ、と思います。センナケリブに告げられた主の言葉、主がアッシリアに対してこうすると告げた数々の行いなど、そこには記されていますから。



 北関東の病院入院中の叔母を見舞ってきたあと、加藤久仁生・監督/平田研也・脚本/長澤まさみ・ナレーションの、短編アニメ『つみきのいえ』を観ました。
 本ブログ更新までの数時間で、6回観ました。じんわりと胸に響いて知らず涙したときもあり、重いものを突きつけられた気がしたときもあり、ポッカリさせた頭と心で淡々と観ていたときもあり。
 ……なんだろう、このあたたかさと、そして背中合わせの虚無感は。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0527日目 〈歴代誌下第31章:〈ヒゼキヤの改革〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第31章です。
 並行箇所は王下18:4-6〈ヒゼキヤの改革〉。

 代下31:1-21〈ヒゼキヤの改革〉
 民の信仰が主に立ち帰ると、彼らはユダの全土、ベニヤミン-エフライム-マナセの地から、主の信仰に背く偶像や聖なる高台を徹底的に排除した。こうしてから人々は皆、それぞれの家や所有地に帰っていった。
 続けて王は、祭司とレビ人を組分けし、各自が任務に従って献げ物をささげ、感謝し、讃美するよう定めた。王は自分の財産から自分の分として焼き尽くす献げ物を出した。
 民には主の律法に従って、様々な献納物や十分の一の献げ物を運びこませた。それらはレビ人の指導者コナンやとその兄弟シムイの下で、同じレビ人であるエヒエル、アザズヤ、ナハト、アサエル、エリモト、ヨザバド、エリエル、イスマクヤ、マハト、ベナヤが監督した。また、「レビ人イムナの子コレが神への随意の献げ物の責任を負い、主への献納物と神聖なる物を」(代下31:14)、エデンとミンヤミン、イエシュア、シェマヤ、アマルヤ、シェカンヤを指揮して分配した。
 「ヒゼキヤはユダの全土にこのように行い、自分の神、主の御前に良い事、正しい事、真実な事を行った。彼は神殿における奉仕について、また律法と戒めについて、神を求めて始めたすべての事業を、心を尽くして進め、成し遂げた。」(代下31:20-21)

 J.G.マコンヴィルは代下31の内容と重視すべき点を、端的にこう述べています。曰く、「騒乱がおさまると、ヒゼキヤは正しい基礎に立った定期的礼拝の再確立と、聖職者の定期的収入の備えへと、関心を向けている」(デイリー・スタディー・バイブル『歴代志』P367 新教出版社)と。
 歴代誌、殊に「下」に入ってからは、マコンヴィルの著書に理解を深めさせられたところが大きいです。恩恵を被ったところ大、と言い換えてもよいでしょう。
 これは、わたくしのようなキリスト者でない者が読んでも非常にわかりやすい、配慮の行き届いた丁寧な本です。むろん、歴代誌を読みこめば読みこむ程、この本がどれだけ行き届いたものであるか、よくわかってくるのでしょうが、残念ながらわたくしは、まだそこまで読書ができていないのが現実です。
 とはいえ、図書館などで見かけたら、一度手にされてみる事をお奨めします。



 ジャック・ドゥミが初めて長編映画を監督した『ローラ』(1960)を観ました。
 ラストに向けての展開は、ああフランス映画らしいな、と(ビールを飲みつつ)感じ入りました。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0526日目 〈歴代誌下第30章:〈過越祭〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第30章です。
 並行箇所は、ありません。

 代下30:1-27〈過越祭〉
 神殿を修復すると、ヒゼキヤ王は今度は、民の信仰を先祖の神、主に立ち帰らせようとした。過越祭の実施を呼びかけたのである。過越祭の開催は、王とエルサレムの高官とすべての会衆の協議の末、第二の月と決定した。これは誰の目にも正しいと思われたので、早速使者が立てられ、その範囲は、南はベエル・シェバから北はダンまでに及んだ。
 書簡を携えた使者(急使)は、イスラエルとユダの各地で王の命令通りにいった。イスラエルの人々よ、アブラハムとイサク、イスラエル(ヤコブ)の神、主に立ち帰るのだ、と。そして、━━
 「もしあなたたちが主に立ち帰るなら、あなたたちの兄弟や子供たちは、彼らを捕らえて行った者たちの憐れみを受け、この地に帰って来ることができるであろう。あなたたちの神、主は恵みと憐れみに満ちておられ、そのもとにあなたたちが立ち帰るなら、御顔を背けられることはない。」(代下30:9)
 この知らせは、遠く北王国イスラエルのエフライム-マナセ(ヨルダン川西岸の)-ゼブルンにまでもたらされた。多くがヒゼキヤ王の呼びかけに冷たい嘲りで答えたが、アシェルやマナセ、ゼブルンから、或る人々が謙虚になって、エルサレムまでやって来た。またユダでは神の御手が働いたので、人々の心は一つになり、斯くして過越祭は実行に移されたのである。

 第二の月の十四日、民は過越のいけにえを屠った。祭司とレビ人は自分を聖別し、神の人モーセの律法に定められている如く割り当てられた任務に就いた。
 改宗のなかには自分を聖別していない者がいたので、彼らに代わってレビ人が過越のいけにえを屠り、主にささげた。
 また、民の大多数と北王国から来た謙虚なる人々の多数が身を清めていないにもかかわらず、過越のいけにえを食べてしまった。彼らのために、ヒゼキヤは主に祈った、━━
 「恵み深い主よ、彼らをお赦しください。彼らは聖所の清めの規定には従いませんでしたが、神、先祖の神、主を求めようと決意しているのです。」(代下30」18-19)
 主はこれを聞き入れ、癒された。
 エルサレムにいるイスラエルの人々は、七日間に渡る除酵祭を、続けて行った。レビ人と祭司たちは毎日楽器を鳴らし、主を讃美した。王は職務に励むレビ人の一人一人に声をかけた。民は和解の献げ物をささげ、先祖の神、主に感謝をささげ、祭りの食事にあずかり、大いに喜び祝った。彼らは更にもう七日間、祭りを行うことに決めた。
 「こうしてユダの全会衆、祭司たちとレビ人、イスラエルから来た全会衆、イスラエルの地から来た寄留者、ユダに住む者が共に喜び祝った。エルサレムに大きな喜びがあった。イスラエルの王ダビデの子ソロモンの時代以来、このようなことがエルサレムで行われたことはなかった。祭司たちとレビ人は立ち上がって、民を祝福した。その声は聞き届けられ、その祈りは主の聖なる住まい、天にまで達した。」(代下30:25-27)

 エルサレムに集った喜びに沸くすべての会衆の感情が生々しく伝わってくる、素朴で逞しい力が漲った章です。
 信仰の復興。それも北王国の民をも交えての、過越祭と除酵祭です。代下30:25-27の如き文章が書かれるのも、道理でありましょう。



 今年の希望をいま頃話すな、といわれそうですけれど……。
 執筆中の長編が第一稿脱稿の目処が立つぐらいまで進み、聖書のブログも予定通り詩編を終わらせられること。加えて、今年こそ、短編映画アニメも含む)のシナリオが書けたら━━!
 むぅ、もちろん、おぐゆーさんもなのだ。♪なのだ、なのだ~♪◆

共通テーマ:日記・雑感

第0525日目 〈歴代誌下第29章:〈ユダの王ヒゼキヤ〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第29章です。
 並行箇所は王下18:1-3〈ユダの王ヒゼキヤ〉、但し神殿修復の箇所は含まれない。

 代下29:1-36〈ユダの王ヒゼキヤ〉
 25歳で即位し、父祖ダビデと同じ道を歩み主の目に正しいと映ることをことごとく行ったユダの王、ヒゼキヤ。彼はその治世の第一年目から、主の神殿の修復に取りかかったのであった。彼はレビ人と祭司を、神殿の東の広場に集めて、行った、━━
 「今わたしは、イスラエルの神、主と契約を結ぶつもりである。そうすれば、主の怒りの炎がわたしたちから離れるであろう。わが子らよ、今このとき怠けていてはならない。主があなたたちをお選びになったのは、あなたたちが御前に出て主に仕え、主に仕える者として香をたくためである。」(代下29:10-11)
 そこでレビ人━━ケハトの子ら、メラリの子ら、ゲルションの子ら、エリツァファンの子ら、アサフの子ら、ヘマンの子ら、エドトンの子らが立ちあがり、自分たちを聖別すると、荒廃した神殿へ入った。彼らは半月を費やして神殿を清め、祭壇や祭具を清めた。
 王にそれが報告された翌る日の朝、焼き尽くす献げ物と贖罪のための献げ物が集められ、屠られた。その血は祭壇に振りかけられた。そして、ダビデの楽器の伴奏で主を讃える讃歌が歌われラッパが合奏されると、焼き尽くす献げ物がささげられた。終わると、ヒゼキヤ王と、彼と共にいた人々はひざまずいて礼拝した。続いて会衆は主の神殿に感謝の献げ物を、一部の者は焼き尽くす献げ物をも携えてきて、それぞれささげた。
 「こうして主の神殿における奉仕が復活した。ヒゼキヤとすべての民は神が民のためにしてくださったことを喜び祝った。このことが速やかに行われたからである。」(代下29:36)

 暗闇と薄明のなかを彷徨ってきた歴代誌下。ここに来て初めて、力強い希望にあふれたエピソードに触れたような感じがします。それは逆にいえば、ユダと雖も先祖の神、主の道を歩むことが如何に困難かを見せつけられてきた、ということでもあります。
 既に王下で見たように、ヒゼキヤ王は歴代のユダ諸王の中でも特に賢王と称されるに相応しい人物です。これからしばらく、ヒゼキヤ治世下のユダ王国を我らは探訪することになります。



 洋画シネフィル・イマジカ(260ch)は短編映画の宝庫。先日もフランスで制作された短編映画の特集を観ました。でも、……
 ……「ニエト教授の実験シリーズ」Lessson1-5は、おフランス流のエスプリなのか、それとも動物愛護協会への挑戦状なのか。面白いことは面白いのだが、ぶふっ、と笑った直後に後ろめたさを感じるのも事実。背後に目配せしてみたりする類の、ね。
 他に「おやすみ、マヒト」と「ピッグポケット」が良かった。
 「おやすみ、マリク」は、弟と暮らす兄が主人公。ナイト・クラブのドアマン(用心棒)をやって、生計を立てている。或る晩、クラブにやって来た3人の客を追い返した兄/マリクは、帰宅した朝、弟が自作の詩を朗読するのを聞きながら、自分のやったことに思いを巡らせている。フランスの移民事情に材を取った一作、16分程度の作品とはいえ、極めて上質の長編小説を堪能したような満足感を得られた。この日、放送されたなかでは、いちばんのお気に入り作品。従って、即DVDに落とすことを決定しました。
 「ピッグポケット」は、「役立たず」と罵られたスリ2人組が、ひょんなことから出会った少年と組んでスリ活動に精を出す。やがては3人とも警察に捕まるのだけれど、実は少年の手のなかには……、というお話。他愛ないと行ってしまえば他愛ないのだが、観終わってからじわじわと胸が温かくなってくる作品でした。
 拙い感想にもならぬ感想で申し訳ないが、まあ、許してくれ。
 他にも同chでは、昨日今日(一昨日と昨日、ですか)の朝、ジャック・ドゥミの短編映画を放送していました。これから観ます。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0524日目 〈歴代誌下第28章:〈ユダの王アハズ〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第28章です。
 並行箇所は王下16:1-20〈ユダの王アハズ〉。

 代下28:1-27〈ユダの王アハズ〉
 北王国イスラエルが(レマルヤの子)ペカ王第17年のとき、南王国ユダでは前王ヨタムの子アハズが即位した。
 このアハズは父祖ダビデの道を歩まず、先祖の神、主に背いた。イスラエルの諸王の道を歩んだ。主はアハズを敵の手に渡した。同盟を結んでいたアラムとイスラエルの軍がユダに攻め入り、星の数程の捕虜と戦利品を持って、それぞれ王都ダマスコとサマリアへ帰っていった。
 サマリアへ凱旋したイスラエル軍の前に、主の預言者オデトが立って諭した。━━主の怒りゆえにイスラエルは憤り、ユダを攻めた。しかし、連れてきた捕虜を奴隷としてはならない。「今、わたしの言うことを聞き、兄弟の国から連れて来た捕虜を帰しなさい。主はあなたたちに対して激しく怒っておられる。」(代下28:11)
 すべての会衆の前で捕虜は解放された。エフライム人の頭たちは「捕虜に衣服を着せ、履物を与え、飲食させ、油を注ぎ、弱った者がいればろばに乗せ、彼らをしゅろの町エリコにいるその兄弟たちのもとに送り届けて、サマリアへ帰った。」(代下28:15)
 一方ユダではアハズのゆえに苦しみと辱めが続いた。エドムとペリシテの軍に襲われて民を奪われ、援助を頼んだアッシリアからも攻撃された。
 「主は、イスラエルの王アハズのゆえにユダを辱められた。彼がユダを堕落させ、主に甚だしく背いたからである。」(代下28:19)
 アハズ王はダマスコの神々にいけにえをささげ、助けを頼んだ。「このアハズ王は、災難のさなかでも、なお主に背いた。(中略)(が、助けを頼んだダマスコの)神々はアハズにとっても、すべてのイスラエルにとっても、破滅をもたらすものでしかなかった。」(代下28:22-23)
 「アハズは主の祭具を集めて粉々に砕き、主の神殿の扉を閉じる一方、エルサレムのあらゆる街角に祭壇を築いた。また、ユダの町という町にはどこにも聖なる高台を造って、他の神々に香をたき、先祖の神、主の怒りを招いた。」(代下28:24-25)
 アハズは崩御すると、エルサレムに葬られた。その犯した罪のために、先祖の墓には並べられなかったけれども。
 彼の事績は、『ユダとイスラエルの列王の書』に記されている。
 彼の子ヒゼキヤが、アハズのあとを承けてユダの王となり国を治めた。彼は主の目に正しいと映ることをことごとく行った。息子は父の道を歩まなかった。

 ここで描かれた、ダマスコ-イスラエルによるユダ攻撃は「シリア・エフライム戦争」(前734年)と呼ばれます。
 いままで歴代誌はユダ国内の描写に専ら力を注いできました。が、ここで例外的に、イスラエルの王都サマリアでの出来事が、簡単ながら描かれます。
 ダビデの家・ユダの国主が先祖の神、主の信仰から離れて放埒に傾くのに対し、主に背いたとして断罪されることとなった北王国の民は、主の預言者の言葉に素直に耳を傾け、同胞ユダの捕虜を助けて故郷へ帰すのです。この、落差というか、前半と後半のくっきりした明暗に、さんさんかは小さくもはっきりした感動を覚えます。
 歴代誌はユダ王の事績を語り続けて、諸王の信仰・不信仰を丹念に記録してきた。その陰でヤロブアム1世を初代王とする北王国イスラエルの存在は不当に無視されてきた、との印象は強い。拭い去れるものではない。しかし、ここで我らは知ることになります、歴代誌著者は、北王国を見捨てたわけではなかった、と。
 分裂して以来主に背くことばかりを行ってきたと見えるイスラエルにも、<彼>はあたたかい目を注いでいた。なんとなればイスラエルとてかつてはダビデとソロモンの王国であり、主が顕彰した民の住まう国であったから。
 北王国イスラエルでも、主の目に正しいと映ることは行われていた。それを教えてくれる、歴代誌としては稀少な章こそが本章であります。なお、この北王国は次のホシェア王の御代、アッシリア王シャルマナサル5世によって滅亡しました(ex:王下17:6)。時に、前722年のことであります。



 これまでのようには行かないが、“ド”の『白痴』は遅々とながらも読進中。もはや一冬どころではなくなってきましたが、仕方ない、覚悟を決めて今年は“ド”を読む年としようか。
 でも、そのあとには好きな作家ばっかり読み耽る、という理想郷的読書が待ち構えている(予定)。キングを読み、トンプスンを読み、エルロイを読み、ウッドハウスを読み、ディケンズを読み、ラヴクラフトスクールとウィアード・テイルズ派の作家を読み、ドイルとクリスティを再読する。などなど……。
 嗚呼、『カラマーゾフの兄弟』を読み終える日が心待ちでたまらないッ!!◆

共通テーマ:日記・雑感

第0523日目 〈歴代誌下第27章:〈ユダの王ヨタム〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第27章です。
 並行箇所は、王下15:32-38〈ユダの王ヨタム〉。

 代下27:1-9〈ユダの王ヨタム〉
 25歳でユダの王に即位したヨタムは、主の目に正しいと映ることをことごとく行って、16年間エルサレムで王位に在った。但し、父王に降った怒りのゆえに主のための神殿には入らなかった。ヨタムの御代、民は依然として堕落していた。
 ヨタムは主の神殿の上(かみ)の門を建て、城砦を築いて国防に勤しみ、アンモン人の軍と戦ってこれを破った。
 「ヨタムは主なる神の御前をたゆまず歩き続けたので、勢力を増すことができた。」(代下27:6)
 彼の事績は『イスラエルとユダの列王の書』に記されている。
 崩御して後、遺体は“ダビデの町”シオンへ埋葬され、先祖と共に眠りに就いた。

 主の神殿の上の門とは、神殿の北側にあった門のことです。
 ヨタム王の御代、ユダの民は全くの意味で主への信仰に立ち帰ってはいませんでした。それについて、ここで語られる以上のことは伝わっていません。



 午前中に出掛けなくてはならない以外の用事は何もない、明日からの休日。録り溜めした映画ドラマを、じっくりゆっくりと観るとしよう。まずは『アース』、続けて『アドルフの画集』と『ククーシュカ』、『戦禍の下で』を。
 3.26は『LOST』一挙放送がある、明日明後日はイザベル・アジャーニの映画も放送する━━さんさんかが初めてスクリーンでアジャーニを観た記念すべき『カルテット』も!
 さぁて、HDの容量を早めに空けなくっちゃ。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0522日目 〈歴代誌下第26章:〈ユダの王ウジヤ〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第26章です。
 並行箇所は王下15:1-7〈ユダの王アザルヤ〉

 代下26:1-23〈ユダの王ウジヤ〉
 アマツヤをラキシュの町で殺したユダの民は、当時16歳だったその子ウジヤを新しく王とした。ウジヤは主の目に正しいと映ることを行い、「神を畏れ敬うことを諭したゼカルヤが生きている間は、彼も主を求めるように努めた。彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた。」(代下26:5)
 それが証拠にペリシテ人と戦ってはこれを破り、ペリシテ人の地方に幾つかユダの町を建て、グル・バアルに住むアラブ人やメウニム人を倒し、アンモン人からは貢ぎ物を受けた。エイラトの町を再建したのも、この頃である。ユダの王ウジヤの名声はエジプトに近い地方にまで届いた。
 今後もあるであろう戦いに備えて、ウジヤは軍隊を整え、王都の守りを固めた。
 「ウジヤは神の驚くべき助けを得て勢力ある者となり、その名声は遠くにまで及んだ。」(代下26:15)
 しかし、ウジヤは力を得て驕った。彼は堕落し、主に背いた。神殿に赴き自ら香を焚いた。祭司アザルヤは勇敢な祭司80人を連れて、王の前に立ちはだかって諭した、そんなことをしてはならない、と。「この聖所から出て行きなさい。あなたは主に背いたのだ。主なる神からそのような栄誉を受ける資格はあなたにはない。」(代下26:19)
 そのときだった、祭壇の前に立つ王の肌に、異変が生じた。重い皮膚病が現れたのである。アザルヤはそれを認めると、祭司たちを連れてその場を去った。主の怒りがウジヤに降り、彼を重い皮膚病患者としたのだ。
 これによって王は崩御するその日まで隔離された家で過ごし、その子ヨタムが国政を代行した。崩御すると遺体はユダの諸王の墓の近くに埋葬された。重い皮膚病に冒されていたために、斯く処理されたのである。
 ここで語られた以外のウジヤの事績は、初期のことも後期のことも、預言者アモツの子イザヤが書き残している。

 ユダの諸王の事績を語る歴代誌下。その記述の特徴の一つに、前半と後半のコントラストがあります。その御代に於いて、初めのうちは主の道を正しく歩んでいたが、或ることをきっかけにして王は主に背き、主の怒りが彼に降る。そんなパターンが、列王記上下よりも目についてならぬのであります。
 むろん、これは印象でありますから、逐次見てゆけば、言う程ではない、と結論されるやもしれませぬが、毎日丸ごかしに頭から読んできていると、そんな印象を受けることたびたびなのであります
 なお、最後に出て来るイザヤは、旧約聖書のみならず旧約続編、新約聖書含めても、章数が2番目に多い預言書『イザヤ書』の著者と目される人物であります。これは、来年の春から夏にかけて、我らも読むことになるであろう書物です。



 フランス映画祭の季節です。
 洋画シネフィルイマジカでも朝方、仏蘭西映画を放送中。なかでもさんさんかのお気に入りオススメ)は、ジェラール・フィリップ主演作の数々。
 『赤と黒』をはじめ『肉体の悪魔』など名作・傑作を立て続けに鑑賞する、絶好のチャンス。むろん、録画していますけれど……観る時間がないのですよねぇ。でも、だいじょうぶ。DVDに落としておいて後日、ひたすらジェラ漬けになれば、よい。
 そういえば、『窯変・源氏物語』で橋本治が源氏の君にキャスティングしたのは、ジェラール・フィリップであった、と著者のインタヴューで読んだ記憶が。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0521日目 〈歴代誌下第25章:〈ユダの王アマツヤ〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第25章です。
 並行箇所は、王下14:1-20〈ユダの王アマツヤ〉

 代下25:1-28〈ユダの王アマツヤ〉
 アマツヤは25歳で即位し、主の目に正しいと映ることを行った。しかしそれは心からの行いでなかった。彼は父ヨアシュを暗殺した者たちを殺したが、その子らの命までは奪わなかった。モーセの律法の書に従ったからである。
 王はエドム討伐のため、軍を再編した。そのとき、銀100キカルでイスラエルの勇士10万人を雇った。が、神の人がやって来て王を諫めた、「イスラエルの軍隊を同行させてはなりません。主はイスラエルの者、すなわちどのエフライム人とも共においでにならないからです。」(代下25:7)
 斯様な次第でイスラエル兵はユダの軍から切り離された。大いに怒り、憤った彼らは、サマリアからベト・ホロンの間にあるユダの町々を荒らして帰った。
 ━━エドム討伐から帰ったアマツヤ王は、先祖の神、主に代わり、エドムの神々にひれ伏し、香を焚いた。
 「主はそのアマツヤに対して怒りに燃え、預言者を遣わされた。彼は王に言った。『あなたの手から自分の民を救えなかった神々を、どうしてあなたは求めるのか。』彼がこう告げているときに、アマツヤは言った。『お前を王の顧問にした覚えはない。もうよい。殺されてもよいのか。』預言者は語るのをやめたが、こう付け加えた。『あなたはこのような事を行い、またわたしの忠告も聞かない。それゆえ神は、あなたを亡ぼそうと決められたことが、分かりました。』」(代下25:15-16)
 こうして主に背く一方で、アマツヤは北王国イスラエルの王ヨアシュを、ユダと戦うよう挑発した。イスラエルはそれに乗らなかった。ヨアシュ)「なぜ挑発して災いを招き、あなただけでなく、ユダも一緒に倒れるようなことをするのか。」(代下25:19)
 それでもアマツヤは、イスラエルと一戦交えることを望んだ。それは、主の計らいであった。イスラエルはユダのベト・シェメシュで、アマツヤの軍を破り、王を捕らえてエルサレムに入り、略奪をし、自分たちの王都サマリアへ凱旋した。
 ……さて、王アマツヤが先祖の神、主に背いた時分から、エルサレムでは謀反が企てられていた。王は砦の町ラキシュへ逃れたが、遂にその地で殺害された。遺体はエルサレムへ運ばれ、「ユダの町に先祖と共に葬られた。」(代下25:28)
 54歳で崩御したアマツヤの事績は、初期のことも後期のことも、『ユダとイスラエルの列王の書』に記されている。

 モーセの律法の書の当該箇所は、申24:16「父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。人は、それぞれ自分の罪のゆえに死に定められる。」であります。
 並行箇所では、単なる好戦的な王と印象あったアマツヤ。が、ここではイスラエルへの挑発は、エドムの神々を信じた故と読むことができます。<なにか>に感化された……? ちなみに、並行箇所でエドム討伐はこう記されています、「アマツヤは塩の谷で一万人のエドム人を討ち、セラを攻め落とし、その名をヨクテルと名付けた。こうしてこれは今日に至っている。」(王下14:7)



 雨が降っている今宵にいうのもなんですが、━━最近また暖かくなってきました。
 というわけで、月末になったら、春の風を浴びに鎌倉へ行こう。独り? むろんだ。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0520日目 〈歴代誌下第24章:〈ユダの王ヨアシュ〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第24章です。
 並行箇所は、王下12:1-22〈ユダの王ヨアシュ〉。

 代下24:1-17〈ユダの王ヨアシュ〉
 ヨアシュは7歳で即位し、祭司ヨヤダ存命中は主の目に正しいと映ることを行った。が、内心では不満をくすぶらせ、民の忠誠が専らヨヤダに向けられていた(代下24:4-14)ため、それは助長していった。
 やがてヨヤダが没してユダの諸王が眠るシオンに葬られると、ヨアシュはユダの高官たちの誘惑に乗って、先祖の神、主に背いた。アシェラと偶像に仕え、その「罪悪のゆえに、神の怒りがユダとエルサレムに下った。」(代下24:18)
 改心を促す努力が続けられた。が、ヨアシュは耳を傾けなかった。祭司ヨアシュの子ゼカルヤに神の言葉が降った。しかし王の命令によってゼカルヤは殺された。今際にゼカルヤはこういった、━━
 「主がこれをご覧になり、責任を追及してくださいますように。」(代下24:23)
 ……年が改まると、アラムの軍隊がユダにエルサレムに攻め上ってきた。主はアラムの手にユダを渡した。「こうして彼らはヨアシュに裁きを行った。」(代下24:24)
 アラムとの戦闘で重傷を負い、床に臥していたヨアシュ。彼は正しい家臣たちによって暗殺された。彼は“ダビデの町”シオンに埋葬されたけれども、諸王とは並べられなかった。ヨアシュは死ぬ40歳まで王位に在った。
 「ヨアシュの王子たち、王に向けられた数々の託宣、それに主の神殿の修復については、『列王の書の解説』に記されている。」(代下24:27)

 きっとヨアシュには、幼い頃から自分を庇護し、導いてきた祭司ヨヤダの存在が、日増しにうっとうしく感じてきていたのでしょうね。おまけに神殿修復を計画して自ら言葉を発しても誰も従わず、ヨヤダがいった途端に皆が働き始めたのを目の当たりにしては、尚更だったでありましょう。
 そう考えると、人間としては、可哀相で、不憫だな、と同情を隠せぬのも、また正直な感想なのであります。



 机の上に置く棚がほしい。もう辞書と資料でふさがれて、作業するスペースが狭くってならないのじゃ。あと、椅子も新しいのに替えたい。背中がマジ、痛いっす。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0519日目 〈歴代誌下第23章:〈祭司ヨヤダとアタルヤ〉2/2〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第23章です。
 並行箇所は、王下11:4-20〈祭司ヨヤダとアタルヤ〉。

 代下23:1-21〈祭司ヨヤダとアタルヤ〉2/2
 ……それから7年が過ぎた。祭司ヨヤダは決意した。百人隊の長たるエロハムの子アザルヤ、ヨナハンの子イシュマエル、オベドの子アザルヤ、アダヤの子マアヒヤ、ジクリの子エリシャファトと契約を結び、ユダを行き巡ってすべての町からレビ人とイスラエルの氏族の長を集めて、エルサレムに帰ってきた。すべての会衆は神殿のなかに集まり、前王アハズヤの遺児でやがて王となるヨアシュと契約を結んだ。
 祭司ヨヤダは斯くいった、━━
 「見よ、王の子を。主がダビデの子孫について言われた言葉に従って、彼が王となる。あなたたちがなすべきことはこれである。あなたたちのうち、祭司もレビ人も、安息日が出番に当たる者の三分の一は門衛となり、三分の一は王宮の中に、三分の一は礎の門にいなければならない。民は皆、主の神殿の庭にとどまれ。祭司と奉仕に当たるレビ人以外は、誰も神殿に入ってはならない。彼らは聖別されているので入ることができる。民は皆、主の戒めを守らなければならない。レビ人はおのおの武器を携え、王の周囲を固めなければならない。神殿に入る者は殺さなければならない。王が入るときも、出るときも、王と行動を共にせよ。」(代下23:3-7)
 皆が皆、ヨヤダの言葉に従った。民は武装し、神殿は固められた。そうしてからヨヤダは王子ヨアシュを連れて来て、彼の頭上に戴冠し、掟の書を渡し、油を注いだ。斯くして━━
 ━━ここに新しいユダの王ヨアシュが誕生した。
 民は歓呼した、「王様ばんざいっ!」と。
 アタルヤは叫んだ、「謀反! 謀反だ!」と。
 ヨヤダは命じた、「あの女を神殿から引きずり出せっ!」と。
 新王ヨアシュの母、本来なら国母となるはずであった悪なるアタルヤは、神殿から引きずり出されると王宮の馬の門まで連れて行かれ、そこで殺された。
 「ヨヤダは、自分とすべての民と王との間に、主の民となる契約を結んだ。すべての民はバアルの神殿に行き、それを祭壇と共に破壊し、像を打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。祭司ヨヤダは主の神殿の監督を祭司とレビ人に委ねた。」(代下23:16-18)
 「(王が王宮に入り)国の民は皆喜び祝った。アタルヤが剣で殺された後、町は平穏であった。」(代下23:21)(「町」はエルサレムを指す)

 引用箇所、代下23:16「ヨヤダは~契約を結んだ」が意味するのは、その直後に記されるバアルの残党狩りとその神殿の徹底破壊であります。
 アタルヤは死にました。その支配は国中に及びましたが(代下22:12)、その効力は実は王都にのみ限定されていたのではないか(代下23:21)、と並行箇所を読んだときから思っています。ダビデの家の者の権力と威光だけがユダを隅々まで支配し、アタルヤ風情の権勢など、所詮は広く隈なく国内に及ぶとは到底思えぬからであります。
 それもエルサレムのなかにあってもアタルヤとその一派の監視の目が届く範囲には、主のための神殿が入っていなかったことは確実でありましょう。すなわち彼女らは悪の道を歩んで主に背いたイスラエルの諸王の流れを汲む者であるがゆえに、神殿内部の捜索を怠った、と考えてしまうのです。もっとも、アタルヤたちにヨアシュ生存を疑う材料が果たしてあったかどうか、大いに疑問ではありますけれど。
 それにしてもヨアシュと乳母たちは、よく7年も神殿のなかで堪え忍んでいられたものだ、と感心します。例え祭司ヨヤダやレビ人たちの救い手があったとしても。



 迷った末に、樹海を舞台にした長編へ立ち帰ることとしました。変化に富んでいて、物語の全体像がはっきりと見えている。あとはラストの瞬間まで工夫を凝らして運んでゆくだけ。
 なによりももう一方の長編を書いているときでも、こちらは一日たりとも自分のなかから忘れることがなかった。つまり、発表のアテもなく書き続けることを苦と思わず、楽しんで筆を進めることができるのであります。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0518日目 〈歴代誌下第22章:〈ユダの王アハズヤ〉&〈祭司ヨヤダとアタルヤ〉1/2〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第22章です。
 並行箇所は、個別に列記した。小見出しが同じ場合、記載を省いた。

 代下22:1-9〈ユダの王アハズヤ〉(王下8:25-29同題と9:14-16,27〈イエフの謀反〉)
 ヨアハズことアハズヤが、42歳でユダの王に即位した。在位は1年であった。アハブは「彼以前の誰よりも主の目に悪とされることを行った」(王上16:30)王だった。
 母の名はアタルヤ。まだユダがアサ王に治められていた時代、北王国イスラエルのジムリ王の軍司令で、やがて彼に代わってイスラエル王となったオムリ(サマリア遷都を実行した)の孫娘、その子で次のイスラエル王となったアハブの娘である。
 このアタルヤが息子に、「悪い勧めを与えたので、彼もアハブの家の道を歩んだ。彼はアハブの家と同じように主の目に悪とされることを行った。父の死後、アハブの家の者が顧問となって彼を滅びに至らせたのである。」(代下22:3-4)
 ━━アハズヤはアハブの家の者たちの勧めで、北王国イスラエルの王ヨラム(アハブの子、アタルヤの兄弟)と組み、アラムの王ハザエルと戦うことになった。最初、彼はラモト・ギレアドへ行ったが、ヨラム負傷の報を受けてイズレエルに彼を見舞った。
 「━━アハズヤがヨラムを訪れることによって滅ぶに至ったのは神による。」(代下22:7)
 イズレエルに着くと、アハズヤはヨラムと共に、ニムシの子イエフ(王下9:2では「ニムシの孫でヨシャファトの子」がイエフ。ヨシャファトはかつてのユダ王と同名異人である)の許を訪れた。イエフはイスラエル王ヨラム(アハブ)の家を断つために主の言葉を承けて預言者エリシャが預言者の仲間に油を注がせた者である(王下9:1-2,6-10)
 「イエフがアハブの家に裁きを行うとき、彼はアハズヤに仕えるユダの高官とアハズヤの兄弟の子らを見つけて殺した。更にアハズヤを探し求めていたところ、人々はサマリアに潜んでいるアハズヤを捕らえ、イエフのもとに連れてきて、その命を絶った。」(代下22:8-9)
 こうして、アハズヤの家に、ユダを治める者はいなくなった。

 代下22:10-12〈祭司ヨヤダとアタルヤ〉1/2(王下11:1-3)
 アタルヤは息子が死ぬや、ユダの王族を残さず滅ぼそうと、ただちに行動を起こした。が、アタルヤの妹で祭司ヨヤダの妻、ヨシェバは機転を利かせ、アハズヤの遺児ヨアシュただ一人を救い出した。
 ヨシェバによって命を救われたヨアシュ、彼は祖母アタルヤが国を治める6年の間、乳母らと一緒に神殿のなかに隠れて過ごした。

 アタルヤの嫁入りに伴ってきた王国から持ちこまれた、イスラエルの神、主への背信という<悪>。それがアハズヤ王の死を契機に芽吹かせようとするアタルヤの、書かれなかった6年の事績を読みたい、と読むたびに思います。祭司ヨヤダたち<善>を代表する人々が、如何に彼女の企みを崩していっていたか、などなど、です。
 トールキン著す『シルマリルの物語』で描かれた如く、メルコール/モルゴスとサウロンの連合軍の野望を挫かんと行動するヌーメノールやエルフのような物語が、そこにあったのではないか、と想像すると、ワクワクして眠れないのであります。



 本稿をトールキンで締め括ったから、ではないのですが、『農夫ジャイルズの冒険』と『ニグルの木の葉』を天気の良い休みの今日、時間を忘れて読み耽っていました。もう少しで、夕飯の支度を忘れる程に……。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0517日目 〈歴代誌下第21章2/2:〈ユダの王ヨラム〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第21章2/2です。
 並行箇所は王下8:16-24〈ユダの王ヨラム〉。

 代下21:2-20〈ユダの王ヨラム〉
 長子ゆえに王位を継承したヨラムには、6人の兄弟があった。それを、ヨラムは王位に就いて権力を確立させるや、イスラエルの高官の内の幾人かと一緒に剣にかけて殺めたのである。
 ヨラムはこのように、主の目に悪と映ることを多く行った。北王国イスラエルの王アハブの娘を妻とした彼は、北王国の諸王と同じ道を歩み、先祖の神、主に背いた。けれども主はユダを見捨てなかった。ダビデと結んだ契約ゆえに、ダビデとその子孫に灯し火を与え続ける、と約束したゆえに。
 「ヨラムはユダの山々に聖なる高台を造り、エルサレムの住民に淫行を行わせ、ユダの人々を堕落させた。」(代下21:11)
 その頃、エドムとリブナがユダに反旗を翻して、その支配から脱した。エドムは、今日に至るも独立したままでいる。
 ……預言者エリヤから、主の言葉を認めた書状が届いた。兄弟を殺め、ユダの民を狂わせた王ヨラムには、主から大きな災いが降る、と。家族と財産を失い、内蔵の病を患う、と。
 主によって怒りを煽られたペリシテ人とアラブ人が、大挙して王都エルサレムを襲った。王族は最年少のヨアハズを除いて皆奪われていった。
 その後、ヨラムは内蔵の病に倒れた。2年ばかりが経って、彼は苦しみに喘いだまま、死んだ。
 代下21は物凄い言葉で締め括られる。曰く、━━
 「民は、その先祖のために火でたいたようには、彼のために火をたくことをしなかった。彼は三十二歳で王となり、八年間エルサレムで王位にあったが、惜しまれることなく、世を去った。その遺体はダビデの町に葬られたが、王の墓には納められなかった。」(代下21:19-20)

 惜しまれることなく……! 民にしてみれば、シオンへ埋葬してやっただけ有り難いと思え、ということでしょうか。ヨラムの悪の側面は並行箇所にも増して本章で強烈に描かれ、情け容赦がない、という印象を受けます。
 さりながら、ヨラムの背反に素直に従った民の側に、なにひとつ責任━━問い詰められるべきやましいことはなかったのか、と疑問も生まれます。我が国も昔、同じような経験をしたではないですか……。
 なお、残されたヨラムの子ヨアハズは次のユダ王となります。



 録画しておいた歌劇《ヴォツェック》を観ました。寒い……そして、美しい。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0516日目 〈歴代誌下第20章&第21章1/2:〈ヨシャファトの勝利〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第20章と第21章1/2です。
 並行箇所は王上22:41-47〈ユダの王ヨシャファト〉。が、代下20-21(1/2)の内容は含まない。

 代下20:1-37&21:1〈ヨシャファトの勝利〉
 モアブ人とアンモン人、メウニム人(セイルの山の人々)の一部が連合して、エドムの地から塩の海(死海)を渡ってユダ領内のエン・ゲディへ攻めこんだ。ヨシャファトはこれを恐れ、ユダとエルサレムの民と共に断食し、主に祈り、助けを乞うた。
 「わたしたちの神よ、彼らをお裁きにならないのですか。わたしたちには、攻めてくるこの大軍を迎え撃つ力はなく、何をなすべきかわからず、ただあなたを仰ぐことしかできません。」(代下20:12)
 会衆のなかにいたレビ人ヤハジエルに主の言葉が臨んだ。「ユダとエルサレムの人々よ、恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出て行け。主が共にいる。」(代下20:17)
 王は、主に向かって歌い、主の聖なる輝きを讃える者たちを選び、軍隊の先頭を歩かせた。彼らが歌うと、モアブ人とアンモン人、メウニム人(セイルの山の人々)は内輪揉めして同士討ちを始め、最後の一人まで互いを殺し合った。ユダは敵の陣営から三日をかけて戦利品を運び出した。四日目にベラカの谷へ集まって主を讃え、そうしてからエルサレムへ帰還した。
 「主がイスラエルの敵と戦われたということを聞いて、地のすべての国がどこも神への恐れに襲われた。ヨシャファトの王国は平穏で、神は周囲の者たちから彼を守って、安らぎを与えられた。」(代下20:29-30)
 35歳で即位して25年間エルサレムにて王位に在ったヨシャファトは、父王アサと同じく、主の道を正しく歩み、主と心を一つにした。とは雖も、聖なる高台は取り除かなかったので、民の心は主に対して揺るぎないものとはなり得なかった。イスラエルの王アハズヤと協定を結んだので、その報いとしてヨシャファトは、タルシシュ行きの船団を難破で失った。
 ここで語られなかったヨシャファトの事績は、『ハナニの子イエフの言葉』や『イスラエルの列王の書』に記されている。崩御して後は先祖と共に眠りに就き、“ダビデの町”シオンに埋葬された。次の王にはヨシャファトの子ヨラムが立った。

 聖なる高台について申し上げますと、並行箇所と矛盾しております。王上22:44や代下17:6をお読みください。
 協定を結んだ相手、北王国イスラエルの王アハズヤの記事は王上22:52-王下1:18にあります。彼が即位したのは、南王国ユダがヨシャファト王第17年のことでありました。



 帰宅したら、NHK総合で「洋楽天国80'S」という番組が放送中でした。1980年代を10代で経験した身には、懐かしくも未だ新鮮な音楽のオン・パレードgood old years.◆

共通テーマ:日記・雑感

第0515日目 〈歴代誌下第19章:〈エルサレムにおけるヨシャファト〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第19章です。
 並行箇所は王上22:41-47〈ユダの王ヨシャファト〉だが、代下19の内容は含まない。

 代下19:1-11〈エルサレムにおけるヨシャファト〉
 戦場からエルサレムへ帰還したヨシャファト王の前に、先見者ハナニの子イエフが立って、詰った。主を憎む者の友になるとは何事か、と。が、悪いことがあれば良いことも、埋め合わせをするように、ある。イエフは王に、ユダの地から聖なる高台とアシェラ像を取り除いたことを、賞讃した。
 王はエフライムの山地からベエル・シェバをまわって、民の信仰を先祖の神、主に立ち帰らせた。それからユダの砦の町々に裁判官を置き、「人のためではなく、主のために裁くのだから、自分が何をすべきか、よく考えなさい。(中略)注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない。」(代下19:6-7)
 王はエルサレムに於いても、何人かのイスラエルの氏族の長、レビ人と祭司を、裁判官と紛争の調停役に任命した。ヨシャファトは彼らにこういった、━━
 「あなたたちの兄弟が自分の住んでいる町からあなたたちに訴え出るときはいつでも、それが傷害事件であれ、律法、戒め、規定、掟に関する問題であれ、彼らが主に罪を犯して、怒りがあなたたちと兄弟たちの上に降りかかることのないように、彼らを戒めなさい。このように行えば、あなたたちが罪を犯すことはない。
 主に関する事柄についてはすべて、祭司長アマルヤがあなたたちの上に立って責任を負い、王に関する事柄についてはすべて、ユダの家の指導者イシュマエルの子ゼバドヤが責任を負う。レビ人が書記としてあなたたちの補佐をする。勇気をもって行え。主が善を行う者と共にいてくださるように。」(代下19:10-11)

 賢王ヨシャファトの事績と言葉が綴られます。このあたり、代下17:7-9に於けるユダの教化と通じる部分があるエピソードです。が、その一方で先見者になにかと難詰される役目も負ったのも、同じ賢王ヨシャファトでありました。父アサと同じ、といえましょう。
 王国分裂後、レハブアム以後のユダ王で、斯様に二面性をあぶり出された王も、そうはいないかもしれません。歴代誌著者がどう考えたかは別として、わたくしはここに、<王>であり<人間>である、当たり前な為政者の姿を見せられた思いがしております。
 ━━なお、この章の不明点として残るのが、「こうして彼らはエルサレムに帰った。」(代下19:8)という文章。「彼ら」とはレビ人、祭司、イスラエルの氏族の長ですが、「エルサレムに帰った」となれば、任命はエルサレムの外で行われた、と考えるのがふつうではありますまいか。が、どの時点で、エルサレムへ帰ってきた王は彼らを連れてエルサレムを出たのか、どこで任命をしたのか、と疑問が残っているのであります。ものの本を見てみましても、どれもわたくしの単純な疑問には答えてくれません。嗚呼。



 中途半端に積もった雪を踏みしめながら、雨と風のなかを通って帰ってゆく、裏侘びしい男の姿。
 心のなかで、摑め得ぬ幸福を描きながら、なんとかその端緒だけでも摑みたいと願って生きる、哀れなる男の姿。
 ……ゆらり、と立ち現れて、消えようとしても消える術を知らぬ、ゴーストを飼う男の……。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0514日目1/2 〈歴代誌下第18章:〈預言者ミカヤとアハブ王の死〉〉  [歴代誌・下]

 歴代誌下第18章です。
 並行箇所は王上22:1-37〈預言者ミカヤとアハブ王の死〉、同22:45〈ユダの王ヨシャファト〉。

 代下18:1-34〈預言者ミカヤとアハブ王の死〉
 富と栄光に恵まれたヨシャファトは、姻戚関係を結んだアハブ王が居る北の王都サマリアを訪れた。宴席の折、アハブから、ヨルダン川東岸に在っていまはアラムの手に落ちてしまったラモト・ギレアドへ攻めのぼろう、と提案された。ヨシャファトは同意した、我らは一体である、と。
 ラモト・ギレアド攻めに際して、主の言葉を求めてほしい、とヨシャファトはいった。そこでイスラエル中の預言者が集められた。が、彼らはアハブの計画に首肯するばかりの存在だった。ヨシャファトはアハブに訊いた、「ここには、このほかに我々が尋ねることのできる預言者はいないのですか」(代下18:6)と。すると、アハブは答えた、「もう一人、主の御旨を尋ねることのできる者がいます。しかし、彼はわたしに幸運を預言することがなく、いつも災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます。イムラの子ミカヤという者です」(代下18:7)と。
 早速ミカヤが召された。イスラエルの王とユダの王の前に出た預言者は、ラモト・ギレアド攻めを奨めた。事前に、そう言え、と言い含められていたからである。アハブ王は怒ったが、ミカヤは続けた、━━
 「主の言葉をよく聞きなさい。わたしは主が御座に座し、天の万軍がその左右に立っているのを見ました。主が、『イスラエルの王アハブを唆し、ラモト・ギレアドに攻め上がらせて倒れさせるのは誰か』と言われると、あれこれと答える者がいましたが、ある霊が進み出て主の御前に立ち、『わたしが彼を唆します』と申し出ました。主が、『どのようにそうするのか』とただされると、その霊は、『わたしは行って、彼のすべての預言者たちの口を通して偽りを言う霊となります』と答えました。主は、『あなたは彼を唆して、必ず目的を達することができるにちがいない。行って、そのとおりにせよ』と言われました。今御覧のとおり、主がこのあなたの預言者たちの口に偽りを言う霊を置かれました。主はあなたに災いを告げておられるのです。」(代下18:18-22)
 ━━にもかかわらず、ミカヤは投獄された。「ミカヤは(アハブ)王に、『もしあなたが無事に帰って来ることができるなら、主は私を通して語られなかったはずです』と言い、『すべての民よ、あなたたちも聞いておくがよい』と言った。」(代下18:27)
 イスラエルとユダはヨルダン渡河して、ラモト・ギレアドへ攻めこんだ。アラムの軍はイスラエルの王ただ一人を目標とした。アラムは最初、変装したヨシャファトを唯一の目標と思いこんで、これを討とうとした。しかし、相手が助けを求めて叫び主がこれを助けたので、アラムは誤った目標をそれ以上追うのをやめた。
 ……ところが、である。アラムの或る弓兵が、どうということもなく、ひょっ、と弓を射ると、放たれた矢はたまたま(!)、北王国イスラエルの王アハブに命中し、彼に手傷を負わせたのである。
 「その日、戦いがますます激しくなったため、イスラエルの王はアラム軍を前にして夕方まで戦車のなかに立っていたが、日の沈むころ息絶えた。」(代下18:34)

 前後の数行を除けば、代下18と王上22:1-37はほぼ同文です。
 アラムの弓兵が放った矢がアハブ王に命中したのは、実は決して偶然ではない。彼がそれまでのイスラエルの王にも増して、主の目に悪と映ることを行ってきた(ex;王上16:33,21:25)からです。矢は、主の意志を汲んで放たれ、アハブ王の命を奪った、と取れましょう。
 このアハブ王の事績については、王上16:29-22:36をお読みください。
 さて。ところで、預言者ミカヤはその後、一体どうなった?



 ずいぶんと久しぶりで、チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲を聴きました。
 通俗名曲と揶揄されがちな曲ですが、知と情が巧みにブレンドされた極上の演奏でさえあれば、じっくりと耳を傾けるに値する曲であることを、今更のように発見します。これって変でしょうか?
 なお、聴いていたのはカラヤン=VPO=ムターによる1988年ザルツブルク・ライヴです(F32G 20289 古い型番で申し訳ない、許してくれ)。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0513日目 〈歴代誌下第17章:〈ユダの王ヨシャファト〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第17章です。
 並行箇所は王上22:41-51〈ユダの王ヨシャファト〉。

 代下17:1-19〈ユダの王ヨシャファト〉
 父アサのあとを承けてその子ヨシャファトが、南王国ユダの王に即位した。時に北王国イスラエルがアハブ王第4年のことだった。
 ヨシャファトは北の脅威に備えて国防を強化し、ユダとエフライム各地の砦の街に守備隊を配した。さりながら両国の間には「平和が維持された」(王上22:45)のである。
 「主はヨシャファトと共におられた。父祖ダビデがかつて歩んだ道を彼も歩み、バアルを求めず、先祖の神を求め、その戒めに従って歩み、イスラエルの人々のように行わなかったからである。主は彼の手にある王国を固め、ユダのすべての人々はヨシャファトに貢ぎ物を贈ったので、彼は大いに富み栄えた。ヨシャファトの心は主の道にとどまって高められ、彼は聖なる高台とアシェラ像をユダから取り除いた。」(代下17:3-6)
 ヨシャファト王はその治世第3年に、ベン・ハイル、オバドヤ、ゼカルヤ、ネタンエル、ミカヤという5人の高官を、レビ人のシェマヤ、ネタンヤ他7人を供につけてユダの町々に派遣し、人々に教育を施した。それには祭司エリシャマとヨラムも同行した。
 「彼らは主の律法の書を携え、ユダで教育を行い、ユダのすべての町を巡って、民の教化に当たった。」(代下17:9)
 一方、主への恐れがユダの周辺諸国を襲った(「臨んだ」と同義)。西のペリシテ人の国からも南のアラビア人の国からも、貢ぎ物や税としての銀が届けられてきた。ヨシャファト王の富は“豊か”という以上のものとなった。
 王はますます勢力を増し、ユダに幾つもの城塞や砦の町を築いた。エルサレムには王に奉仕する戦士・勇士が集められ、家系に従って名と数が記された。

 王に派遣された高官とレビ人たちによるユダの民の教化は、ここ代下7:7-9にのみ見られる。並行箇所では語られることなかったヨシャファト王の業績の一つが、ここで表舞台に現れたわけであります。
 並行箇所では7節で片附けられたヨシャファト王の治世が、ここでは4章に渡って語られる。この点はアサ王と同じであります。ユダ諸王のなかで主の道を正しく歩んだ王たちをこうして詳述することで、歴代誌著者は捕囚期間後のユダ(イスラエル)の民に、心と行いの正しいあり方を示そうとしたのかもしれない、という意見は、過日に申し上げたとおりであります。



 2つの小説の間で揺れている自分がいる。最も愛着ある長編の前日譚である小説と、例の樹海を舞台にした小説と。
 書きあぐねると、しばし考えてもう一方へ。この事態、なんとか打破せねば。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0512日目 〈歴代誌下第16章:〈ユダの王アサ〉3/3〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第16章です。
 並行箇所は王上15:16-24〈ユダの王アサ〉、但し預言者ハナニの件りは含まれない。

 代下16:1-14〈ユダの王アサ〉3/3
 南王国ユダはアサ王第36年、バシャ王が率いる北王国イスラエルの軍勢に攻め入られた。彼らはユダ領北部のラマに砦を築き、南王国の動きを封じようとした。
 そこでアサ王は主の神殿から金と銀を取り出して、北王国の向こうに控えるアラムの王ベン・ハダドヘ贈った。それから、イスラエルとの同盟を破棄して、ユダ領内に駐屯する北王国の軍隊を撤退させてくれるよう頼んだ。かつてソロモンとベン・ハダドの父の間には同盟があり、アサとベン・ハダドの間にも同盟が結ばれていたからである。
 ベン・ハダドはそれを是とし、イヨンやダン、アベル・マイム(※1)やナフタリといった北王国の北方にある町々と、すべての補給基地を攻撃した。バシャ王が率いるイスラエル軍はラマの砦の建設を放棄し、ユダから撤退していった。
 そのとき、先見者ハナニ(※2)がアサ王に、こういった、━━
 「あなたはアラム王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった。それゆえ、アラムの王の軍隊はあなたの支配を離れる。クシュ人とリビア人は非常に多くの戦車と騎兵を有する大きな軍隊であったが、あなたが主を頼みとしたので、主は彼らをあなたの手に渡されたではないか(※3)。主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事について、あなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く。」(代下16:7-9)
 これを聞いてアサは激怒し、先見者ハナニを投獄した。またそのとき王は、民のなかの或る者たちを虐待した(※4)。
 アサ王はその第39年に足の病にかかったが、その最中であっても主を求めず医者に頼った。そうして第41年に崩御した。
 王の事績は初期のことも後期のことも、『ユダとイスラエルの列王の書』(※5)に記されている。崩御して後、遺体は“ダビデの町”シオンに埋葬され、先祖の列に加えられた。
 「彼はダビデの町に掘っておいた墓に葬られた。人々は特別な技術で混ぜ合わせた種々の香料の満ちた棺に彼を納め、また彼のために非常に大きな火をたいた。」(代下16:14)

 アサ王は主を信じる一方で、現実的な考えを持った王であった、とも見られるのではないでしょうか?
 ※1「アベル・マイム」→王上15:20に出る町、アベル・ベト・マアカの異名。本章にのみ記載。
 ※2「先見者ハナニ」→本章でのみ活躍。王上16:1,7に拠れば預言者イエフの父。
 ※3 「クシュ人とリビア人は」云々→代下12:3、リビア人やスキイム人を率いてきたエジプトの王シシャクの撃退と、代下14:11-12,クシュ人の王ゼラの撃退を指す。
 ※4「民のなかの或る者たちを虐待した」→不明。民のなかのハナニ派(支持者・縁者など)のことか。
 ※5 「『ユダとイスラエルの列王の書』」→歴代誌著者が執筆に当たって典拠とした原資料の一つ。『ユダの王の歴代誌』(王上15:23)と同一書か。



 和久井映見さんが出演するチーズたら(なとり)のCMが、先日から放送されています。濡れ縁で月を眺めながら……なんて理想的で、この女性にぴったりなシチュエーション! おいらもあやかりたいっす!◆

共通テーマ:日記・雑感

第0511日目 〈歴代誌下第15章:〈ユダの王アサ〉2/3&「工場夜景とみなとみらいクルーズ」〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第15章です。
 並行箇所は王上15:13-15〈ユダの王アサ〉、母マアカと聖別した物の件りのみ。

 代下15:1-19〈ユダの王アサ〉2/3
 オデトの子アザルヤ(※1)に神の霊が臨み、彼はアサ王の前に出て、いった。アサよ、すべてのユダとベニヤミンの人々よ、あなたたちが主と共にあるなら、あなたたちが主を求めるなら、あなたたちが主を捨てるなら、主はあなたたちに同じ態度を示されるだろう、と。
 「あなたたちの行いには、必ず報いがある。」(代下15:7)
 それに勇気を得たアサは、ユダとベニヤミンのすべての町々から、エフライムの山地で分捕った町々から、忌むべき偶像を取り払い、また、主の神殿の前廊にある主の祭壇を新しく造った。
 彼はユダとベニヤミンのすべての民、エフライムとシメオン、ヨルダン川西岸のマナセからの寄留者を集め、北王国イスラエルからの多くの投降者を受け入れた。
 その御代の15年目の第3の月、エルサレムに於いてアサはいけにえをささげた。「そして彼らは、心を尽くし、魂を尽くして先祖の神、主を求め、子供も大人も、男も女も、イスラエルの神、主を求めない者は誰でも死刑に処せられるという契約を結んだ。彼らは大声で叫び、ラッパと角笛を吹いて主に誓った。ユダの皆がこの誓いを喜び祝った。皆が心の底から誓い、喜んで主を求めたからである。主は彼らに御自分をお示しになり、主は、周囲の者たちから彼らを守って、安らぎを与えられた。」(代下15:12-15)
 更にアサは、母マアカの信じるシェラ像を切り倒して砕いて、キドロンの谷(※2)で焼き捨てた。大后の位から退けることまでした。父アビヤが聖別した物と自分の聖別した物を、金銀や祭具類と共に神殿へ納めた。
 「聖なる高台はイスラエルから取り除かれなかったが、アサの心はその生涯を通じて主と一つであった。」(代下15:17)
 「アサの治世第三十五年まで戦争はなかった。」(代下15:19)

 引用文中、聖なる高台はイスラエルから取り除かれなかった、とありましたが、これは先行する記述(代下14:4)と矛盾します。錯誤かもしれませんが、さんさんかはこれを、南北両イスラエルからは取り除かれなかった、と解釈しました。むろん、安易な発想であることは百も承知であります。
 ※1「オデトの子アザルヤ」→オデト、アザルヤ、共に本章にのみ登場する。他箇所に同名異人あり。
 ※2「キドロンの谷」→王都エルサレムと東のオリーブ山を隔て、塩の海すなわち死海に至る涸れ谷。サム下15:23にて、ダビデ王がアブサロムに襲われてエルサレムを脱出した際、ここを通って荒れ野に向かった。現在のワディ・シッティ・マリアム。



 横浜港・工場夜景クルーズに参加してきました。懸念されていたような雨降りになることもなく、それがなによりの幸いごとでした。クルーズ、といっても定員40名程度の小型船なのですが、これがちょうど手頃なサイズの船で、他の参加者と離れてもくっついてもいない、絶妙な距離が保たれている;おまけに手狭な運河で360°回頭するにもこれ以上大きかったらつっかえるだろうな、と納得する場面もありで。
 ルート;山下公園の発着場を出たあとは横浜港を横断して、ベイブリッジと鶴見つばさ橋を右手に眺めつつ大黒大橋を過ぎ、京浜運河を東扇島へ向かい、塩浜→田辺→南渡田運河を入ってみなとみらいの夜景を右手に臨んで山下公園へ帰ってくる、というもの。工場・倉庫の光は確かに綺麗で幻想的に映るのだが、あのなかで働いていた経験を持つ身としては些かやりきれぬ感情を持て余したのも事実。あの光の下、中では、多くの労働者が、生活のために汗して働いているんだ……。それに思いを馳せる瞬間が、乗客の誰彼の心に訪れてくれれば、と願うのだけれど、まぁ、それも難しい(というか、無理な)注文かな、と反省してもいたりする。
 だがしかし、海の上から見る大黒・川崎エリアの夜景は、本当に綺麗で、なんだか異世界へ迷いこんだようだった。スピーカーが割れてガイド氏の説明は殆ど理解不能だったが、それを無視してでも(失礼!)見入るだけの価値はある光景が、後から後から出現する様子はまさに「ザ・グレート!!」。これらの光景の一つ一つが、いつかそのうち小説や他の作品へ投影されるのは、いまから約束しておく、必定だ。というよりも、新しい物語の種子が芽吹く予感は、既にしている。
 繰り返す、雨でなくてよかった。だが結構なスピードで走っていたので、まぁ、揺れる揺れる。あの日のドーヴァー海峡程ではないが、紙コップ入りのドリンクなんて持っていた日にゃぁ、こぼれぬように必死でダンスするより他ないぜッ! さいとう夫婦の漫画にも同じようなシチュエーションがあったな。結構揺れる=写真はのピントはぶれまくる、ということ。手ぶれ軽減モードも、なんの役には立ちません。
 だけど、行ってよかったなぁ。しみじみと、そう思います。あの人と一緒だったら、もっと楽しくて、思い出もあざやかになっただろうに。“時が静かにつもる夜”……
 だがいまのところは、今日の喜びを胸に大事にしまって、明日からまた仕事をがんばろう。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0510日目 〈歴代誌下第14章:〈ユダの王アサ〉1/3〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第14章です。
 並行箇所は王上15:9-24〈ユダの王アサ〉、だが同15:9-12のみ本章では該当。

 代下14:1-14〈ユダの王アサ〉1/3
 41年に渡る御代、アサは主の目に正しいと映ることを行い、主と心を一つにしていた。異神信仰のためのすべての祭具を取り除き(異国の神の祭壇と聖なる高台を撤去しアシェラ像を破壊するなど)、「ユダの人々に先祖の神、主を求め、律法と戒めを実行するために命じた。」(代下14:3)
 「こうして彼の統治下で国は平穏であった。主が安らぎを与えられたので、その時代この地は平穏で戦争がなかった。」(代下14:4-5)
 この頃、ユダの各地に砦の町が築かれていった。

 「(アビヤの子アサの)治世になって十年間、国は平穏であった。」(代下13:23)
 平穏はクシュ人の将軍ゼラが軍勢を率いて、ヌビア・エチオピア地方からユダ領内の砦の町ラキシュ北東にあるマレシャの町へ到達したことで破られた。
 アサは、マレシャに程近いツェフェタの谷でクシュ人を迎え撃った。彼は主を呼び求め、助けを願った。曰く、━━
 「わたしたちはあなたを頼みとし、あなたの御名によってこの大軍に向かってやって来ました。あなたはわたしたちの神、主であって、いかなる人間もあなたに対抗することができません。」(代下14:10)
 主はアサとユダの陣営の前でクシュ人を討った。アサとユダの戦士たちは敗走するクシュ人をゲラルの地まで追い、これを一人も残さず倒した。ユダが得た戦利品は多かった。
 アサとユダの軍勢はゲラル周辺の町も襲い、そのすべての町で恣(ほしいまま)に略奪した戦利品の数々も、クシュ人のそれと一緒に王都エルサレムへ運ばれた。

 王上15では粗述程度でしかなかったアサの記事が、歴代誌では3章にかけてあります。
 これは、歴代誌の著者の姿勢であると思います。主への信仰に忠実であったアサ王を、正しいユダの王の一人としてクローズアップすることで、バビロンからイスラエルへ帰還した民に先祖の神、主と心を一つにせよ、と教える歴代誌著者の。
 むろん、北王国イスラエルの諸王の記事を具(つぶさ)に描いた列王記を、ユダの側から補完する目的だってあったでしょうけれど。



 日本映画専門チャンネルの岡本喜八特集で、テレヴィ映画『幽霊列車』(1978 土曜ワイド劇場)を観ました。原作は赤川次郎のデヴュー作。
 その後、だんだんと原作から離れていったと記憶する『幽霊』シリーズ。だが、初めて(ようやく)観ることのできたその第一作は、原作の飄々とした雰囲気そのままなのが、実にうれしかった。丁寧で練れた演出に加えて寸分の隙もない脚本の出来映え。テレヴィ用の作品としては、クオリティの高い一作であります。
 田中邦衛と浅茅陽子のコンビのナイス・キャスティングは言わずもがな、殿山泰司、小沢栄太郎、天本英世など、実力ある人々が脇を固めているあたり、いまにしてみればなんとも贅沢。斯くも役者とスタッフに恵まれた映像作品には、そう滅多にお目にかかれるものではないでしょう。
 DVD化もされているそう(2001)ですが、まだ流通しているのかわかりません。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0509日目 〈歴代誌下第13章:〈ユダの王アビヤ〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第13章です
 並行箇所は王上15:1-8〈ユダの王アビヤム〉。

 代下13:1-23〈ユダの王アビヤ〉
 北王国イスラエルがヤロブアム王第18年の時、南王国ユダにはレハブアムのあとを承けてその子アビヤ(※1)が新しい王として即位した。アビヤの御代にも北王国との争いは続いた。
 80万の選り抜かれた兵を率いるヤロブアムの前に、40万の戦士を連れたアビヤが立ち塞がった。アビヤはエフライム山地のツェマライム山(※2)の山頂に立って、迫るヤロブアムの軍勢に向かって、いった、━━
 「イスラエルの神、主が、塩の契約(※3)をもって、イスラエルを治める王権をとこしえにダビデとその子孫に授けられたことを、あなたたちが知らないはずはない。(中略)そして今あなたたちは、おびただしい軍勢と、ヤロブアムがあなたたちのために造って神とした金の子牛を頼みとして、ダビデの子孫の手にある主の王国に立ち向かおうとしている。また主の祭司であるアロンの子らとレビ人を追い払い、諸国の民と同じように自分たちの祭司を立てているではないか。(中略)しかし、我々にとっては、主が我々の神であり、我々は、その主を捨てはしない。主に仕える祭司はアロンの子孫とレビ人で、その使命を果たしている。(中略)我々は我々の神、主に対する務めを守っているが、あなたたちはそれを捨てた。見よ、神が頭(かしら)として我々と共におられ、その祭司たちは、あなたたちに対する進軍のラッパを吹き鳴らそうとしている。イスラエルの人々よ、勝ち目はないのだから、あなたたちの先祖の神、主と戦ってはならない。」(代下13:5,8-12)
 ……が、ヤロブアムはそれに耳を傾けなかったのである。彼は軍を二分し、伏兵をアビやらユダの背後に回らせた。気附くとユダは前も後ろもイスラエルに挟まれていた。
 ユダは主に助けを求めて叫び、レビ人はラッパを高らかに吹いた。すると、主の力がヤロブアムとイスラエルのすべての兵を撃退した。「イスラエルの人々はユダの人々の前から逃げ去り、神は彼らをユダの人々の手に渡された。アビヤとその軍隊は彼らを撃ち、大打撃を与えた。イスラエルのえり抜きの兵士たち五十万が剣で倒された。このとき、イスラエルの人々は屈し、ユダの人々は勝ち誇った。先祖の神、主を頼みとしたからである。」(代下13:16-18)
 ヤロブアムは、アビヤの御代が続く間、二度と勢力を回復できなかった。
 ━━ここで語られた以外のアビヤの事績、言動は、『預言者イドの解説』(※4)に記録されている。彼の御代は王都エルサレムにて3年続いた。
 崩御するとアビヤは先祖と共に眠りに就き、遺体は“ダビデの町”シオンに埋葬された。そのあとを承けて、アビヤの子アサが、新しく南王国ユダの王位に就いた。

 ※1→アビヤの母は、代下13:2ではギブア出身ウリエルの娘ミカヤとするが、王上15:2や代下11:20,22ではアブサロムの娘マアカとする。
 ※2「エフライム山地のツェマライム山」→北王国と南王国の国境沿いにある、エフライム山地にある山。
 ※3「塩の契約」→塩の永続性に準(なぞら)えて、契約の永遠を示す。
 ※4「『預言者イドの解説』」→歴代誌著者が執筆に当たって典拠とした原資料の一つ。散逸。



 いまでは仕事帰りのスタバで行うブログ原稿と小説の執筆が、最良なる自己再生の手段となっております。干上がりかけた細胞がだんだんと潤ってゆくような、そんな幸福な気分。これであと、あの人がいてくれれば、申し分なし。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0508日目 〈歴代誌下第12章:〈エジプト王シシャクの攻撃〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第12章です。
 並行箇所は王上14〈ユダの王レハブアム〉の内、14:22-24「レハブアムの罪」と14:25-31「エジプト王シシャク遠征」。

 代下12:1-16〈エジプト王シシャクの攻撃〉
 レハブアムは賢明に行動したが、やがて主に背いて律法を捨て、主の目に悪と映ることを行っていった。ユダの民の心は主から離れた。
 王の治世第5年、エジプトの王(ファラオ)シシャクがユダに攻め上ってきた。レハブアムとその民が主から背いたゆえである。「あなたたちはわたしを捨てた。わたしもあなたたちを捨て、シシャクの手に渡す」(代下12:5)という主の言葉が預言者シェマヤに臨んだ。レハブアムとイスラエルの将軍たちは、いまさらながら主が正しいと悟り、ひれ伏した。それを見た主の言葉が、再び預言者シェマヤに臨んだ。曰く、━━
 「彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさず、間もなく彼らに救いを与える。わたしの怒りをシシャクの手によってエルサレムに注ぐことはしない。ただし、彼らはシシャクに仕える者となり、わたしに仕えることと、地の王国に仕えることの違いを知るようになる。」(代下12:7-9)
 シシャクはエルサレムを攻撃し、主の神殿と王宮から宝物を奪った。が、「王がへりくだったので、主の怒りは彼から離れ、彼が徹底的に滅ぼされることはなかった。ユダにも良いことがあった。」(代下12:12)
 ━━南王国ユダの王レハブアムは41歳で即位し、17年間に渡って王都エルサレムにて王位に在った。
 レハブアムの事績は、初期のことも後期のことも、『預言者シェマヤと先見者イドの言葉』に、系図に従って記されている。このレハブアムの時代、ユダは、ヤロブアムを王に戴く北王国イスラエルとの絶えることなき戦いを続けた。
 レハブアムは先祖と共に眠りに就き、“ダビデの町”シオンへ埋葬された。レハブアムのあとを承けて新しくユダの王となったのは、その子アビヤである。

 アビヤは王上では「アビヤム」と記されます。



 今日は、クリスタルズのCDを聴きながら、もう休むとします。
 なんだか時間の流れが遅くて、1件の契約を取るのにも困難を感じた一日でした。はあ。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0507日目 〈歴代誌下第11章:〈ユダの王レハブアム〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第11章です。
 並行箇所は王上12:21-33〈ソロモンの背信とその結果〉、同14:21-24〈ユダの王レハブアム〉。

 代下11:1-23〈ユダの王レハブアム〉
 ヤロブアムに従うイスラエルの人々がハドラムを石で打ち殺したので、レハブアムは急ぎエルサレムへ帰って、18万の戦士を率いてイスラエルに戦いを挑み、王国を奪還するための行動に出た。が、そこへ神の人シェマヤに神の言葉が臨んだ。主はこういった、ヤロブアムとその民に戦いを挑むのはやめよ、ダビデとソロモンの王国が分裂してヤロブアムをイスラエルの王としたのはわたしなのだから、と。それを聞いてレハブアムとその軍勢は進むのをやめた。
 戦うのを諦めたレハブアムは、ユダとベニヤミンに要害のための砦の町(※1)を築いた。そしてそこを強固にし、食糧や水、武器をじゅうぶんに蓄えさせ、長官(守備隊長)と自分の息子たちを配置した。
 その頃、北王国イスラエルではヤロブアムが自分の偶像━━金の子牛二頭を造ってダンとベテルに置き、民ともども礼拝するようになっていた。ヤロブアムはレビ人でない民から祭司を立てて奉仕させた。為、北王国にいた祭司とレビ人は南王国へ逃れ、先祖の神、主へいけにえをささげた。「彼らは三年間ユダの国を強くし、ソロモンの子レハブアムを支援した。彼らが三年の間ダビデとソロモンの道を歩んだ(※2)からである。」(代下11:17)
 ユダの王レハブアムには18人の妻と60人の側女があり、28人の息子と60人の娘が生まれた。代下11に名が記されるのは、ダビデの子エリモト(サム下3:2-5,5:13-16,代上14:3-7にこの名なし)の娘マハラトとの間に生まれたエウシュ、シェマルヤ、ザハム、もう一人、ヘブロンで生まれて父ダビデに反逆したアブサロムの娘マアカとの間に生まれたアビヤ、アタイ、ジザ、シェロミト、である。ユダの王位はマアカが生んだアビヤが継いだ(王上14:31,15:1-8では「アビヤム」)。
 「また彼は賢明に行動し、その息子たちの何人かをユダとベニヤミンの全土に、すなわちそのすべての砦の町々に配置して、豊富な食糧を彼らに与え、また大勢の嫁を彼らにために探し求めた。」(代下11:23)

 ※1「砦の町」→代下11より列記する。ベツレヘム、エタム、テコア、ベト・ツル、ソコ、アドラム、ガト、マレシャ、ジフ、アドライム、ラキシュ、アゼカ、ツォルア、アヤロン、ヘブロン、以上15の町である。
 ※2「三年の間ダビデとソロモンの道を歩んだ」→エジプト王シシャクによる遠征までの期間を指す。ex;王上14:25-28,代下12

 歴代誌で目立つのはアサやヨシャファト、ヒゼキヤ、ヨシヤといった、主の目に正しいと映ることを行ったユダ王たちの事績が、一個の<物語>として語られている点でしょう。
 ヒゼキヤ、ヨシヤについては王下でも複数章に渡って記述があります。しかし、単なる事績の紹介としても、個々の<物語>としても、代下の方がずっと生彩にあふれているように、読んでいて感じます。
 少なくとも語り部としての<力>は、列王記よりも歴代誌著者に軍配を挙げて良さそうです。このすぐあとに登場するアサ王、ヨシャファト王の諸エピソードに至っては(王上に於いてデータという以上の扱いがなかっただけに)なおさら、といえるのではないでしょうか。



 小説用のノートを一冊使い終わりました。うれしい。場面としてもキリのよい部分だったのでそれなりに満足。が、体力と精神力をすっかり奪われた気分でもあります。
 終わったあとは数分の間放心してしまい、我ながらぐったりした様子でいつものスターバックスを出たのでありました。
 一歩一歩、一字ずつ一行ずつ、遅くてもいいから、着実に前へ進もう。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0506日目 〈歴代誌下第10章:〈王国の分裂〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第10章です。
 並行箇所は王上11:26-40〈ソロモンの背信とその結果〉、同12:1-19〈王国の分裂〉。

 代下10:1-19〈王国の分裂〉
 ソロモンの崩御後、レハブアムと全イスラエルの民はシケムへ行った。新しい王の即位のためである。ソロモンに反旗を翻してエジプトへ逃れていたネバトの子ヤロブアムも、シケムへ来ていた。
 ヤロブアムは新王レハブアムに嘆願した、前王が我らに課した、苛酷な軛を軽くしてください、と。そうしてくれたら、我らはあなたにお仕えします、とも。
 レハブアムは、3日経ったら再た来るよういって、ヤロブアムを下がらせた。レハブアムは、まず(ソロモン時代から仕える)長老たちに相談した。長老たちは、ヤロブアムらに課された軛を軽減するよう提言した。が、レハブアムはそれを捨て、共に育った若者たちに相談した。若者たちは課された軛を更に重くせよ、と主張した。王は、それを是とした。
 3日が過ぎ、ヤロブアムとその民がやって来た。王は彼らに厳しい言葉を与え、恩赦を赦さなかった。
 「王は民の願いを聞き入れなかった。こうなったのは神の計らいによる。主は、かつてシロのアヒヤを通じてネバトの子ヤロブアムに告げられた御言葉をこうして実現された。」(代下10:15 ex;王上11:37-38)
 ヤロブアムとそのすべての民は不満の声をあげた。彼らはいった、「ダビデの家に我々の受け継ぐ分が少しでもあろうか。エッサイの子と共にする嗣業はない。イスラエルよ、それぞれ自分の天幕に帰れ。ダビデよ、今後自分の家のことは自分で見るがよい」(代下10:16)と。
 斯くしてレハブアムは、王都エルサレムを擁すユダとベニヤミンの町々に住むイスラエル人に対してのみ王として在り続けた。イスラエル北方10部族はレハブアムが交渉人として送りこんだ労役の監督ハドラムを石で打ち殺した。こうしてイスラエルはユダ、ダビデの家に背くようになった。

 一言だけ。北のイスラエルは南のユダに対する背反者とされましたが、歴代誌はイスラエルの存在を否定しているのではありません。
 あと、旧約聖書続編(外典)に収められる「シラ書(集会の書)」から、王国分裂に関して触れている箇所があるので、ここに引いておきます。むろん、後にシラ書の読書ノートでも触れるつもりでおりますので。「あなた」とはソロモンのことであります。
 「しかし、あなたは女たちの傍らに身を横たえ、
  肉欲のとりこになった。
  あなたは自分の栄誉に恥を塗り、
  子孫を汚した。
  そのため、子らの上に神の怒りを招き、
  あなたの愚かさのゆえに彼らに苦しみを負わせた。
  国は二つに分かれ、
  エフライムから反逆の王国が始まったのである。」(シラ47:19-21)



 志を持って生きよう。志さえあれば、人からどんな目で見られたって、どんな色眼鏡で見られたって、どんな風に思われていたって、心正しく歩いてゆけるよ、まっすぐに。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0505日目 〈歴代誌下第9章:〈シェバの女王の来訪〉&〈ソロモンの富〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第9章です。
 並行箇所は王上10:1-13〈シェバの女王の来訪〉,王上10:14-29〈ソロモンの富〉と11:41-42〈ソロモンの背信とその結果〉。

 代下9:1-12〈シェバの女王の来訪〉
 ソロモンの名声を聞くとシェバの女王は多くの難問を用意して、随員を引き連れ宝物を携えてイスラエルの王都エルサレムへ来た。シェバはアラビア半島南西地方を指し、現在のイエメン国
 女王はさっそく難問を次から次へと開陳したが、ソロモン王はそれらにことごとく答えていった。彼が知らぬこと、答えられぬことはなかった。
 シェバの女王は唖然とした。王の知恵のみならず王の宮殿にも、料理や臣下の物腰・装いにも、主のための神殿でささげられる焼き尽くす献げ物にも。
 シェバの女王はソロモン王にいった、「わたしが国で、あなたの御事績とあなたのお知恵について聞いていたことは、本当のことでした。わたしは、ここに来て自分の目で見るまでは、人の言うことを信じてはいませんでした。」(代下9:5-6)
 また、イスラエルの神、主をも讃えて、いった、━━
 「あなたを王位につけられたあなたの神、主はたたえられますように。あなたの神はイスラエルを愛して、とこしえに続くものとし、あなたをその上に王として立て、公正と正義を行わせられるからです。」(代下9:8)
 シェバの女王はソロモン王に金や宝石他を贈った。特に香料はこれまでイスラエルにはなかったような上等の物だった。また、ソロモンもシェバの女王に、彼女の望みのままに贈り物を与えた。
 そうしてシェバの女王とその一行は、自分たちの国へ帰っていった。

 代下9:13-31〈ソロモンの富〉
 ソロモン王には年間666キカルの歳入の他、隊商(キヤラバン)や商人が納める税金、アラビアのすべての王や地方総督が貢ぐ金銀があった。
 延べ金の大盾200、小楯300が作られ、それらは「レバノンの森の家」に置かれた。レバノンの森の家とは、高価なレバノン杉をたっぷり用いて、ソロモンが13年もかけて建築した宮殿(ex;王上7:1-6)。そこにある器は、他のソロモン王の杯同様に純金で出来ていた。
 王は紅海貿易を発展させた。ティルス人の王フラムの船団と一緒にタルシシュ(※1)へ公開し、3年に一度、タルシシュの船団が金銀や象牙、猿、ヒヒなどをイスラエルへ運んだのは、その一例である。
 ソロモンは馬と戦車のための厩舎と騎兵を備えて配置した。王はエルサレムにて、石のように銀を、シェフェラのイチジク桑のようにレバノン杉を、大量に供給した。
 「ソロモン王は世界中の王の中で最も大いなる富と知恵を有し、世界のすべての王が、神がソロモンの心にお授けになった知恵を聞くために、彼に拝謁を求めた。(中略)こうして彼はユーフラテス川からペリシテ人の地方、更にエジプトの国境(くにざかい)に至るまで、諸国の王をすべて支配下に置いた。」(代下9:22-23,26)
 ━━このように栄華と権勢を極めたソロモン王の御代も、望月が欠けてゆき新月となる如くに終焉の時を迎えた。
 ダビデの子、イスラエルの王ソロモンは崩御した。40年の治世であった。
 ここ(歴代誌)で語られた以外のソロモン王の事績は、初期のことから後期のことまで、『預言者ナタンの言葉』や『シロの人アヒヤの預言』、『ネバトの子ヤロブアムに関する先見者イエドの見た幻』に記されている。
 「ソロモンは先祖と共に眠りにつき、父ダビデの町に葬られ、その子レハブアムがソロモンに代わって王となった。」(代下9:31)
 斯くして、<王国分裂>の瞬間は目前に迫った。

 ダビデのときと同様、歴代誌はソロモン王のスキャンダルについても触れることなくその御代を語り尽くしました。歴代誌の性格上致し方ないところですが、このあとに控えている<王国分裂>という大事件の原因は、カットされた王の主への背信行為だったのではなかったでしょうか? 黙殺が大儀であったのか?
 並行箇所でも註を付けましたが、「タルシシュ」は現在のスペイン王国はイベリア半島、地中海西端の港町。フェニキア人が鉱物を搬出するのに用いた港町でありました。
 なお、ソロモン王の事績を伝えるに際して資料とされた、『預言者ナタンの言葉』や『シロの人アヒヤの預言』、『ネバトの子ヤロブアムに関する先見者イエドの見た幻』は、いずれも現在では散逸した書物でした。書名ゆえではありませんが、『先見者イエドの見た幻』とはどんな内容であったのか、と想像を逞しくしてしまいます。ホームズ物語に於ける、語られざる事件と同じぐらい関心をそそらされるのであります。



 テレヴィで映画『ニードフル・シングス』(1993 アメリカ)を観ました。S.キング同名長編の映画化。
 十年近く前に借りて観たときは、ずいぶんと小粒な仕上がりと拍子抜けし呆れもしたが、こうして改めて観てみると、手堅く演出されており、途中でだれることもなく、逆によく2時間程度の尺にまとめたな、と丁寧な仕上げに感心しました。
 マックス・フォン・シドー(リーランド・ゴーント)、エド・ハリス(アラン・パンクボーン)の2人が、やはりこの映画を引き締めている。この2人がいなかったら、きっと我々はもっと駄作と称すにためらうことなき実写版を観させられていたことでしょう。この作品は、数あるキング原作映画のなかでも幾分か自己主張を欠くものの、じゅうぶんに観るに値する佳品である、とわたくしは思います。
 監督はフレイザー・ヘストン。名優チャールトン・ヘストンの長男です。余談ながら、セシル.B.デミル監督の名作『十戒』でチャールトン・ヘストンが演じたモーセ、その赤子時代を演じたのがフレイザーである由。◆

共通テーマ:日記・雑感
前の30件 | - 歴代誌・下 ブログトップ