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第1529日目 〈トビト記第14章:〈トビトの最後の勧め〉&〈その後のトビア〉with「トビト記」終了のご挨拶〉 [トビト記]

 トビト記第14章です。

 トビ14:1-11〈トビトの最後の勧め〉
 かれトビトが失明したのは62歳のときである。その状態がどれだけ続いたのかは定かでないが、視力を回復後は以前にも増して慈善の業に励んだ。むろん、神の偉大なることを讃え、感謝をささげることも忘れなかった。
 いよいよ臨終というときである。かれは息子を呼んで、母ハンナも身罷ったらばわたしの隣へ埋葬したその後、妻子を伴いニネベを離れよ、といった。というのも、預言者ナホムが預言したニネベ滅亡の日が近附いていたからである。
 「わたしは確信しているが、神の語られることはみな成就し、神の言葉は一つとして無駄になることはない。」(トビ14:4)事実、われらの国イスラエル、王都サマリア、いずれも滅びて民は皆捕囚となった。
 が、定められた時、その時が来れば、すべての民は捕囚の軛を解かれてエルサレムへ帰り、神の宮を再建する。そうしてすべての偶像を棄て、ただイスラエルの神のみを畏れる。「神を心から愛する者は喜び、罪を犯し不正を行う者は地のすべての場所から消え失せる。」(トビ14:7)
 この都は罪と不正に満ちている、誰もがそれを旨としている。育ての親アヒカルにナダブがしたことを思い返すがよい。トビア、お前たちはここを去って、辿り着いた地で善く暮らせ。

 トビ14:12-15〈その後のトビア〉
 母ハンナを父の隣へ埋葬したトビアは、父の遺訓に従い、その日のうちに妻子を連れてニネベを去りエクバタナへ移った。当時、義父ラグエルがまだ存命であった。が、その死後はトビアが両家を継いだ。
 晩年、トビアはニネベの滅亡を見聞きし、捕虜たちがメディアの王キアクサルスに連行されてきた様子も見た。そうして117歳で天寿を全うするに際してかれは、神がアッシリアとニネベに対して行ったすべてのことのゆえに神を讃美して、逝ったのである。

 預言者ナホムは旧約聖書の12小預言者の1人、ナホムのこと。即ち、<警告>は「ナホム書」の内容をいうものと思われます。かつてヨナの執り成しにより延命を果たしたニネベはナホムの時代に再び滅亡を預言され、今度は不幸にもそれは成就した。止める存在はなかった。ちなみにニネベ滅亡は前612年の出来事。本ブログでも「ナホム書」については触れておりますので、お手隙のときに興味ある方は第1357-60日目の記事を閲読いただけると嬉しいです。
 トビ14:10にてトビトが語る、育ての親アヒカルに対してナダブがしたこと、とはなにか? 「トビト記」はそれについてなにも語りません。他の書物にはあるのかもしれないけれど、わたくしはそれらについて知るところはなにもありません。ただ本章が語るのは、アヒカルは慈善の業に励んでいたので、ナダブの仕掛けた死の罠を逃れ、再び陽の目を見ることができたこと、ナダブは神の御前で行った卑劣な行為ゆえに罰を与えられ、永遠の暗闇に落ちたこと、であります。ここからいろいろ推察するよりないのですが、これはなかなか関心をそそる記事であります。
 なお、アヒカルはトビ1:21-22、2:10にてトビトの甥として登場、政府高官となりエラム転属までの間失明したトビトの世話をしたことが語られ、アヒカルとナダブ両名はエクバタナから帰還したトビアの婚礼の宴に列席するために訪ねてきた旨記されております(トビ11:18)。



 本日で「トビト記」は終わります。今日までお読みいただき、ありがとうございました。1週間近く遅れての最終日となったことをお詫びします。
 次は「ユディト記」。読書ノートの再開は2月9日の予定です。◆

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第1528日目 〈トビト記第13章:〈トビトの賛歌〉with断捨離も所詮は焼け石に水?〉 [トビト記]

 トビト記第13章です。

 トビ13:1-18〈トビトの賛歌〉
 トビトが唄った讃美の歌、――
 諸国に散らした自分の民を憐れみ、救うイスラエルの神を讃えよ。心を尽くして、魂を尽くして神に向かい、その御前で真実を行うならば、神もわれらに向き、その御顔を隠すことは最早ない。わたしトビトはこの捕囚の地で、わが身に降りかかった諸々について語り伝え、神の力の偉大なることを(祖国を失い、追われた)罪深い民へ示してゆこう。
 まだ在る同胞の国の聖なる都エルサレムの民よ、その口を開き、お前たちの神を讃えよ。そうして敬い、畏れよ。主は民の犯した罪のゆえにエルサレムを鞭打って裁く。もし正義を行うなら憐れんで救ってくれる。お前を悪意持て語り、悪し様に罵り蔑む者あれば必ずその者は呪われよう。しかしお前を敬い畏れる者あらばかれらは皆々祝福される。
 「神がすべての捕囚の民を、/お前のうちに住まわせて喜ばせ、/すべて苦しみ悩む者を、/お前の下(もと)でとこしえに愛してくださるように。」(トビ13:10)

 「お前を愛する者たちは幸いだ。/お前の平和を喜ぶ者たちは幸いだ。/お前の苦難のために心を痛める者は幸いだ。/彼らはお前のゆえに喜び、/お前のすべての喜びをとこしえに見る。」(トビ13:14)

 偽らずにいえば、「祈り」や「賛歌」の章程読むに退屈、ノートに困るものはありません。構造、内容、表現(これはどうしても日本語訳に引きずられてしまうけれど)、それらが一体となって同工異曲と感ずるがゆえであります。
 聖書を最初の書物の最初の一字から、時間だけは費やして読んできた一点については自負できる者としては、流石にちかごろこうしたものと遭遇するたび、またかよ、と独りごちて、まいったな、なんとかスルーできないかな、と溜め息を吐くのであります。勿論聖書の性質上、欠くべからざる重要な要素でありますから、なければ困るものなのですが、そうであっても食傷気味である事実に変わるところはない。
 全キリスト者はこの点、いったいどう捉えているのかしら? よう耐えられるわ、と感心します。本心からそう思います。
 それでもなにか一ヶ所でも光るものがあれば、読書もノートもじゅうぶん価値あるもの、作業へ費やした時間にもお金にも納得できるのでありますが、とできるのでありますが、本章の場合は最後に引用しておいたトビ13:14がそれに当たる。
 各々での受け止め方がどうあれ、わたくしはこの5行を、最上ではないものの上質の部類に入れられるラヴ・ソングと思う。全体に<法悦>にも近いJOYな感情が瑞々しく脈打っているように読めませんか? もしわたくしが将来、<エッセンシャル・オブ・ザ・ブック>なんてものを編むとしたら、また詩歌のアンソロジーを編纂できるなら、このトビ13:14は是非にも収めたい一篇ですね――最終稿に残るかどうか、それはまた別の話ですけれど。えへ。



 人生に必要な本は500冊あればじゅうぶんだ、というたのはたしか吉田健一であったように記憶します。
 断捨離はゆるゆると進行中ですが、本についてはやはり気持ちがぶれるところがあって、捗りませんね。今日も昼から段ボール箱にぼんぼん放りこむ予定だったのですが、処分し倦(あぐ)ねているものが10数冊あって頭を抱えている。
 吉田健一がいうように、愛着ある本、読み返す本があるに越したことはないけれど、作家単位で蔵書を残すことを基本と考えるわたくしとしては、文庫だけでそれだけの量になってしまうのですよ。
 更にもとより手を着けるつもりのまったくない幻想文学・SF小説、或いは古典文学がここに加わるので結局断捨離、断捨離というても焼け石に水なのではないか、と密かに考え始めていたりする。
 ジャンル単位、作家単位で本を手許へ残すことは挫折するダイエットへのアンチテーゼかもしれない。◆

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第1527日目 〈トビト記第12章:〈ラファエルへの支払いの相談〉&〈ラファエルの本来の姿〉with地道にスタバで執筆する。〉 [トビト記]

 トビト記第12章です。

 トビ12:1-5〈ラファエルへの支払いの相談〉
 帰京したトビトとサラの婚礼の宴が催され、終わった。その後、トビトは息子を呼び、同行してくれたアザリアへの報酬について話をした。どれだけの支払いをすればよいでしょうか、と訊く息子にトビトは、エクバタナから持ち帰った物の半分をアザリアは受け取る資格がある、と答えた。トビアはそうした。

 トビ12:6-22〈ラファエルの本来の姿〉
 アザリアがトビトとトビア父子だけを呼んで、こういった。即ち、――
 いつでも神を誉め讃えよ。神があなたにした恵みを人々へ告げて感謝しなさい。畏敬の念持てそれを語れ。神への感謝をためらうなかれ。
 なんとなれば、王の秘密は隠されて当然だが神の為す諸々の御業は畏敬の念を持って周囲へ明らかにされ、宣べ伝えられるべきだからである。それゆえにわたしは、わが身の正体をあなた方にだけ明かそう。わたしは天使ラファエルである。
 トビトよ、あなたが祈ったとき。トビアよ、あなたの妻が祈ったとき。その祈りが聞き届けられるよう主に執り成したのはわたしだ。トビトよ、あなたが食事も放り出して同胞の亡骸を埋葬したとき、主はあなたを試みるためにわたしを遣わした。また、あなたと嫁サラを癒すためにも。
 わたしは主の前に仕える7人の天使の1人、ラファエルである。
――と。
 父子はひれ伏し、恐れおののいた。そのかれらに、ラファエルが重ねていうには、――
 わたしがあなたたちと共にいたのは、あなたたちへの好意もあるが、それ以上に主がそう望んだからである。これからわたしは、わたしを遣わした方の御許へ昇ってゆく。あなたたちは自分たちに起こったこれらの出来事をすべて書き著しなさい。
――と。ラファエルは天へ昇り、トビトたちの前から消えた。
 かれらは神なる主が自分たちに対して行った偉大なことについて感謝し、讃美の歌を唄った。

 「トビト記」の成立がいつなのか、定かでないけれど、終盤で登場した文言、即ち「あなたがたに起こったすべてのことを書き記しなさい」(トビ12:20)は著者をトビアやその家系に属する者の筆に成ることを暗に示すものであるかもしれない。
 むろん、これが最初からあった文言なのか否か、後世の補筆であるのか否か、などは不明である。実際の著者/編集者が自分の行為の正統を主張するために差し挟んだ一文という疑いは、けっして否定できない。
 ただこの文言が執筆の正当性を明かす典拠となったであろうこと、想像に難くないとわたくしは思うのであります。



 スタバに寄って短い文章を書き綴る。今日までに5編が溜まった。どれが使えるか、どれも使えないか。しばらく寝かせてみないとまだわからない。せめて、シューベルト偏愛とベルリン・フィルのデジタル・コンサート・ホールについての作物は本ブログでお披露目したいが、まだ結論は出せないでいる。
 コーヒー1杯を飲む時間、モレスキンにペンを走らせる。調子は割と良い。この状態が続けば嬉しいけれど、そうは問屋が卸さない。糸が切れる前にエッセイを書き溜めておこう。◆

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第1526日目 〈トビト記第11章:〈両親との再会〉、〈トビトの視力回復〉&〈トビトとサラの出会い〉with『多崎つくる』のあとに読む本(小説)〉 [トビト記]

 トビト記第11章です。

 トビ11:1-10 1/2〈両親との再会〉
 メディアを離れてアッシリアへ至り、帝都ニネベに近いカセリンまで来たとき、アザリアがトビアにいった。われらは花嫁よりも先にニネベに行って、サラをあなたの家へ迎え入れる準備をしましょう。また、間もなくニネベというとき、アザリアがトビアに、件の魚の胆のうを用意しておきなさい、といった。
 かれらはやがてトビトの家に到着した。ハンナからそれを知らされて、トビトが覚束ない足取りで出て来る。

 トビ11:10 2/2-15〈トビトの視力回復〉
 トビアはアザリアに教えられた通り、魚の胆のうを父の目に塗って手当てをした。するとそれが薬となって、トビトの両眼を覆っていた白い膜は縮んで、目から剥がれ落ちた。トビトの視界に光があふれ、眩く映った。そうして眼前に立つトビアを見て曰く、――
 お前が見える、わが目の光であるトビア、お前が見える。わたしは神を誉め讃えよう。神はわたしを鞭打たれたが、いまこうして再びトビアを見ることができたのだから。
 喜ぶ父にトビアはいった。わたしの旅は成功でした、お父さんの財布も持って帰れました、と。なによりも、わたしは妻サラを得、エクバタナから連れてきました。もうニネベの町の門の近くまで来ています。

 トビ11:16-18〈トビトとサラの出会い〉
 息子の言葉により一層の喜びを感じたトビトは、嫁サラを迎えるためニネベの町の門まで出掛けてゆく。誰に手を取ってもらうことなく歩くトビトの姿に、町の人々が驚いた。トビトはその人たちの前で神を礼讃した。
 かれはサラに会い、祝福する。娘よ、よく来てくれました。わたしは神を誉め讃えよう。神があなたをここへ連れてきてくれたのです。あなたの父上に、息子とあなたに祝福あれ。ここはあなたの家です、さあ、どうぞ、お入りなさい。皆があなたを祝福しております。
 その日、ニネベのユダヤ人は皆こぞって喜びの声をあげたのである。集まったユダヤ人のなかには、トビトの甥で政府の高官アヒカルとナダブもいた。

 カセリンってどこだろう? 調べてみるも未詳にして不詳、続編を読むに足がかりの少なさを思い知ります。想像の域を出ぬ答えながら、そこはニネベとエクバタナの途次にあり帝都の南東に位置するカルフ(カラ)のことか、と考える。旧訳新訳のみでなく、続編の注解書やガイドブック、研究書がもっと書かれて流布しないかなぁ……。
 アヒカルとナダブは最終章にて再登場しますが、あまり良い取り挙げられ方ではありません。わたくし個人はとても関心ある者ではあるのですが――これについてはまた最終日と致しましょう。



 村上春樹長編小説読書マラソンのゴールとなる『多崎つくる』。そのあとに読む本を早くも物色中です。この2年強どっぷりと浸かっていただけに、すんなりと読書心が他へ切り替えられるとは思っていないのだけれど、次を考えるのはとっても楽しい。
 この機会に、アニメを見て面白かった『マルドゥック・スクランブル』全3巻や買ったまま本棚の肥やしになっている『妖精作戦』シリーズ、庄司薫の<薫くん4部作>を読み通してみようかと考えていたり。これらだけで今年の前半が終わりそうな気も……嗚呼!◆

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第1523日目 〈トビト記第10章:〈トビトとハンナの心配〉&〈トビア、エクバタナを去る〉〉 [トビト記]

 トビト記第10章です。

 トビ10:1-7 1/2〈トビトとハンナの心配〉
 於帝都ニネベ。トビアが予定の日になっても帰らないことをトビトは心配した。もしかするとラゲスで予期せぬトラブルが生じたのだろうか。
 それを妻ハンナはただ嘆き、悲しむのだった。もはや息子は生きていまい、死んでしまったことだろう。嗚呼、どうして目の光たる息子を旅立たせてしまったのだろう。
 トビトは、案ずることはない、ただ帰りが遅れているだけだ、といって妻を慰めた。一緒に行ってくれたアザリアという者は同族で、信頼の置ける人物だ。だから案じなくてよい。そのうち息子は帰ってくるよ。
 ハンナが答えて曰く、気休めをいわないでほしい、息子はもう死んでしまったのです、と。――そうしてハンナは来る日も来る日も、昼はトビアの行った方向を見て暮らし、夜になると一睡もせず一人きりで泣き声をあげるのだった。

 トビ10:7 2/2-13〈トビア、エクバタナを去る〉
 約束の14日間が過ぎた。エクバタナでの婚礼の祝いは終わった。トビアは義父ラグエルに、ニネベの両親の家に帰らせてほしい、と頼んだ。わたしの父がどのような状態にあるか、おわかりでしょう。
 一度はトビアの願いを拒んだラグエルだが、終には承知をして、(約束通り)財産の半分を譲り、召し使いや家畜、衣類などを持たせて帰路の用意を整えさせた。
 トビアとサラはラグエルとエドナから祝福の言葉をそれぞれ承け、ニネベへの帰路に就いたのである。道中、トビアは主を讃美する歌を唄った。それというのも神がかれらの旅を見守り、成功させたからである。

 正直なところを告白させていただきますが、ホント、ハンナって思いこみの激しいネガティヴ・シンキング&ジコチューな人ですね。けっして傍にいてほしくタイプです。なんというか、一家団欒の場を瞬時に暗くさせ、凍りつかせるような、そんな人に感じます。聖書に登場する女性のなかではちょっと珍しいタイプかもしれません。
 ノート本文には反映させなかったけれど、最初トビアが辞去を伝えたとき、ラグエルは、そんなこといわないでずっとここにいてくださいよ、トビトにはわたしから使いを出して次第を伝えておきますから、と渋った。娘を手放す父の淋しさの裏返し、娘を今後独占する義理の息子トビアへの嫉妬でしょうか。
 でもトビトの目のことであれだけ嘆いたのに、この態度は果たして如何に。トビトへの同情は社交辞令か? 相手を心配する言葉を真顔で口にしていながら、その実まったく心配などしていない人っていますよね。近所にも職場にも親類縁者にも。ラグエルも(所詮は)そのうちの一人であったのかな、と落胆しちゃいますね。
 トビアは自分の両親の死後、ニネベを離れてエクバタナへ移住するが、いったいラグエルたちに対する情愛というより義務に近いものがありそうだ。また、ニネベ滅亡を知って逃れるのが第一であったため、身寄りと地縁あるエクバタナへ移ったのかも。
 そんな風に邪推するのがちょっと愉しいわたくし。えへ。◆
 (今日はエッセイお休みです。)

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第1522日目 〈トビト記第9章:〈ラファエル、ラゲスへ旅する〉with村上春樹『アフターダーク』を読みました。〉 [トビト記]

 トビト記第9章です。

 トビ9:1-6〈ラファエル、ラゲスへ旅する〉
 婚礼の席の最中、トビアはアザリアを呼んでいった。いまから従者を伴ってラゲスへ行き父の財布を受け取ってきてください、そうしてわたしが自分の婚礼の席にあなたを招きたがっていると伝えてください。
 アザリアはそうした。かれは4人の従者と2頭のらくだを連れてエクバタナをあとにし、本来の目的地であるラゲスへ一路向かった。かの地でアザリアはガバエルに会い、証文を渡してトビトの財布を中身もそのままで受け取り、かつガバエルを自分の婚礼の客人として招くトビアの言葉を伝えた。
 アザリアはガバエルを伴ってエクバタナへ戻ってきた。トビアはガバエルの姿を見ると立ち上がり、これを出迎えた。ガバエルが感激して曰く、あなたのお父さんは本当に立派で善き施しをする方でした、あなたも劣らず立派な人です、どうか主があなたとお嫁さんに祝福を与えてくださいますように、あなたはわたしのいとこトビトにそっくりです、と。
 そうして祝宴は続いた。

 ガバエルはトビトの親戚であった。その意味で「いとこ」というか。それとも血を同じうする同族ゆえの親近が斯くいわせるか。或いは、「兄弟」という語に代表される如く親しみをこめた呼び掛けに過ぎぬか。
 これまでに翻訳された聖書のすべてへ目を通したわけでは(勿論)ありませんが、ときどき聖書の翻訳には迷いといいますかブレがあるように感じてなりません。逐語訳を旨とするにしても、日本語の選択に関してはある程度まで統一性を持たせるか、言い方は悪いけれど恣意的な翻訳がされても良いのではないか、と折節思うことがあります。なぜならば翻訳とは窮極の読書であるからに他なりません。



 村上春樹『アフターダーク』を昨晩読み終えました。一言でいうなら、わたくしはこの小説が好きです。偏愛は無理だけれども抗弁はできるぐらいに。でも、ここではしない。
 <視座>であるカメラ・アイの使い方にはもうちっとこなれた感じが欲しかったけれど、全編をこれで貫くだけの馬力にはとても感心した。用い方を知らず誤ると目も当てられないぐらい下手な作品に仕上がりかねませんからね。少なくとも描写の仕方という点については、マキナニー『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』とキング&ストラウブ『ブラック・ハウス』の足許には及ぶであろう一編として、わたくしのなかには残りますね。
 この小説に関しては賛否両論あり、著者自身インタヴュー本で、批評家からも読者からも<否>の意見の方が多い作品である旨編集者に知らされた殆ど唯一のものである、と申しておりますが、わたくしとしては村上春樹の新しい境地を見せていただき、とても幸福な読書時間を過ごさせていただいた、と感謝したいぐらいである。
 たとえばアマゾンのレヴューでは、<否>の意見を叩きつけてもその根拠については明確にできぬ方が多く、単純に面白くない理解できないの一色で、なにやら情けない思いだ。どうしてだろう、なぜ自分はそう思ったのだろう。もしかすると自分の器がこの小説を満たすだけの容量を持っていないだけではないのか。であるならば、もう少しいろいろ名作や古典といった文学のみならず、他のジャンルにまで手を広げてからもう一度この小説に立ち帰ってみよう、とか、そうした自分を大きくする発想はないのかな。
 そうした意味で『アフターダーク』は読者の想像力のみならず、読み手の器の大小を試される小説といえましょうか。
 わたくしは最後、マリとエリの姉妹が朝日の昇るなか一つ布団で休む場面に限りない救いを覚えた。エリをテレビのなかから監視するマスクの男は、監視役としての役を務めているように読める。すべてはたった一晩、ほんの数時間の間に起こった出来事。これらすべてが完結する時間のなかに放りこまれたら、或る意味悲劇でしょう。
 物語のすべてが完結する必要はない。登場人物のその後なぞ明記されなくてもよい。事象の説明を懇切丁寧にされねば読んだ気になれないか。◆

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第1521日目 〈トビト記第8章:〈悪魔の追放〉、〈トビアとサラの祈り〉他with向田茉夏、SKE48を卒業。〉 [トビト記]

 トビト記第8章です。

 トビ8:1-3〈悪魔の追放〉
 トビアらを歓迎する宴が終わり、寝る時間になった。トビアは先導されてサラの待つ部屋へ向かう。そのとき、アザリアの助言を思い出した――愛し合う前に香を焚き、その上で件の魚の心臓と肝臓を燻し、悪魔アスモダイを退けてサラを解放せよ。
 ゆえにトビアはそうした。悪魔はその匂いに耐えきれず、すたこらさっさとエジプトの方へ逃げた。それをアザリアことラファエルが追い、捕まえて手足を縛りあげたのである。

 トビ8:4-8 1/2〈トビアとサラの祈り〉
 もう悪魔はいなくなった。サラは解放された。トビアは花嫁に、愛する者よ起きてきなさい、といった。そうして2人は神へ祈りをささげる。曰く、――
 あなたは未だ一人であったアダムに合う助ける者を与えるため、かれのあばら骨の一部を抜いてエバを造りました。かれらは楽園のりんごをあなたに背いて食べたことで情欲を覚えました。が、主よ、「今わたしはこの人を/情欲にかられてではなく、/御旨に従ってめとります。」(トビ8:7)
 どうかわれらがいつまでも共に在り続け、共に老いてゆきますように。

 トビ8:8 2/2-12〈ラグエルの懸念〉
 朝まだき、ラグエルは召し使いと共に新しい墓を掘った。妻の召し使いに娘夫婦の様子を見に行かせた。いずれもトビアの生きていることが望めなかったからである。

 トビ8:13-18〈ラグエルの感謝の祈り〉
 エドナの召し使いが戻ってきてラグエルに報告した。お2人とも寝息を立てて休んでおられます。
 ラグエルとエドナはこれを聞いて喜んだ。それから主を誉め讃える祈りをささげた。――「主よ、二人に憐れみと救いを与えてください。/彼らが喜びと憐れみのうちに、/生涯を全うすることができますように。」(トビ8:17)
 そのあと、ラグエルは墓穴を埋めた。

 トビ8:19-21〈婚礼の祝宴〉
 トビアは悪魔を退け、サラを救った。それから愛し合い、夫婦となり、夜を過ごして朝を迎えた。本当の婚礼の祝宴が催され、人々は歓喜し、笑った。
 その席でラグエルは財産の半分をトビアに贈った。残りの半分はラグエルとエドナの死後、トビアのものになる。「わたしはあなたの父であり、エドナはあなたの母なのです。わたしたちは今からいつまでも、あなたとあなたの妻サラのそばにいます。」(トビ8:21)

 「トビア記」は聖書で群を抜いた結婚の物語である一方、嗣業の継承について語り、財産分割/生前贈与の話でもある、と申しあげたら、どこかから石が飛んでくるだろうか? でも、実際そうなんだ。



 予期していたとはいえ、向田茉夏のSKE48卒業が発表された。年度末を以て、という。一般人になって良い人生を過ごしてほしいね。
 村上春樹『アフターダーク』読了、数日後から『多崎つくる』だ。ベルマンのリストはファンの間の宝石にしておいてほしかったなぁ。◆

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第1520日目 〈トビト記第7章:〈ラグエルとの出会い〉&〈トビアとサラの出会い〉with未だ無名なる物書きの心に、ちかごろ囁きかけるもの。〉 [トビト記]

 トビト記第7章です。

 トビ7:1-9 1/2〈ラグエルとの出会い〉
 エクバタナに到着したトビアとアザリアはラグエルの家に向かった。
 ……ニネベからの旅人を家の戸口で迎えたラグエル(かれはトビアを見て、この若者はわたしの知る人トビトになんと似ているのだろう、と妻にいった)。トビアらがニネベ捕囚の同胞と知るや、では兄弟トビトを知っていますか、元気でおりますか、と訊く。トビアは一々首肯し、わたしはそのトビトの息子トビアです、と名乗った。
 これに感激したラグエルはトビアを抱きしめた。「あなたの父親はすばらしい人です。施しに励む正しい人が失明するとは、なんと悲惨なことか。」(トビ7:7)
 ――ラグエルは家畜の群れのなかから雄羊を一匹選んで屠り、この若者を歓待した。

 トビ7:9 2/2-17〈トビアとサラの出会い〉
 トビアの希望を知ったラグエルは娘を妻に与える旨、約束した。あなただけがサラの夫になれるのです、すべて主が良きように取り計らってくれます。
 ラグエルはモーセの書の定めに従ってサラをトビアに与えた。曰く、――
 「今から後、あなたは娘の夫であり、娘はあなたの妻です。娘は今日からいつまでもあなたのものです。子よ、天の主が今夜、憐れみと平安のうちにあなたがたを守ってくださるように。」(トビ7:11)
 また、サラをトビアの前に連れてきて手に手を取り合わせて、「娘をあなたに妻として与えるよう命じているモーセの律法の定めに従って、彼女を連れてゆきなさい。彼女をめとり、無事にあなたの父のところへ連れてゆきなさい」(トビ7:12)と。パピルス紙に結婚の契約を書き記したのである。
 ラグエルは妻エドナに、新婚夫婦のために誂えた部屋へサラを連れてゆきなさい、と命じた。エドナはそうした。彼女は娘の不憫なること、花婿の末路を思うて泣いたが、やがて涙をぬぐい、同じように不安と恐れと哀しみを抱く娘を慰めて元気附けた。

 エジプトを原産とするパピルス紙が遠くメディアでも使われ法的文書の作成に用いられていること、ニネベから数100キロ隔たった地エクバタナにもアッシリア帝都にいる捕囚民の情報が得られることから、やはりこの時代、西アジアの交通網はよく整備され、かつ人の往来も頻繁に、しかもそれが日常の出来事であったことが窺えます。
 小国が乱立して頂点を目指して潰し合う時代よりも大国が地域の覇権を握って領内の交通を整備する時代の方が、却って民の生活は潤うものだ、ということを暗に伝える章と、わたくしは読みました。



 自分はなにを語れるのだろう。なにを発信できるのだろう。文章を書いていると時々そんな疑問に駆られます。
 いまこうして書いているブログ、或いは他で書いているエッセイ、筐底に秘したものが殆どな小説など、これまで30年近く文章を書いてきて一つも残すに足るものを書けていない。いつまでも生きていられるわけでないのに、こんなことでどうする、お前?
 もう人生折り返し点、道の先を見据えて行動した方がいいかもしれない。
 そんな声が囁きかけるちかごろの真夜中5分過ぎ。◆

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第1519日目 〈トビト記第6章:〈魚の捕獲〉&〈ラファエル、サラをめとるようトビアに勧める〉withあの人を祈り求めなさい、現実を厭う者よ。〉 [トビト記]

 トビト記第6章です。

 トビ6:1-9〈魚の捕獲〉
 犬も加えた一行がティグリス川の畔で夜明かしすることになった晩である。川縁に下りて足を洗おうとしていたトビアに大きな魚が襲いかかった。同伴者が悲鳴をあげているトビアに、その魚を捕らえて放すな、といったので、トビアはそうした。
 かれらは切り裂いた魚から心臓と肝臓を取り出し、また胆のうを取り出すと、身は食べて他はすべて棄てた。
 メディアへ近附いたとき、トビアは同伴者に、あの魚の内臓は薬として役立つといったがどんな効能があるのか、と訊ねた。同伴者が答えるに、心臓と肝臓は悪魔/悪霊憑きの者の前で燻すと禍々しいものの力は失われてしまいます、また目にできた白い膜に胆のうを塗るとそれは取り除かれて以前のように見ることができるようになります、と。

 トビ6:10-18〈ラファエル、サラをめとるようトビアに勧める〉
 エクバタナ近郊まで来ると、同伴者はトビアに今後のことを語った。曰く、――
 今夜は同じナフタリ族のラグエルの家に泊まりましょう。そこには一人娘のサラがいます。あなたは彼女を妻となさい。あなたは同族で唯一、サラの夫となる資格を持つ人です。
 エクバタナのラグエルの家で、今夜わたしはかれとこのことについて話し合います。そうしてあなたとサラの婚約を取り決めます。ラグエルがあなたとサラの結婚に反対することはありません。なぜならかれも、あなたが娘と妻とするに足る唯一の人物であると知っているからです。
 ……そう、確かにサラには悪魔憑きの噂があり、それは事実です。そこであなたは婚礼の夜、彼女の前であの魚の心臓と肝臓を、焚いた香の上に置くのです。そうすると悪魔はその匂いに耐えきれなくなり、すたこらさっさと逃げてゆきます。もう二度と悪魔の力がサラに及ぶことはありません。
 そのあとであなたたちは天の主へ祈りなさい。恐れず畏れよ。既にあなたたちは世の始まる前から夫婦となるよう定められていたのです。やがて2人の間には愛すべき子供が生まれることでしょう。
 トビアよ、あなたの父君の言葉を忘れぬように。
 ――これを聞いてトビアは同じナフタリ族の者であるというサラを深く愛するようになり、かれの心は固く彼女へ結び付けられたのだった。

 トビ6:13は、モーセの書が定めるところによってラグエルはサラを妻としてトビアに差し出すことを拒んではならない、背くことは死に価する罪を犯すに等しい、と述べます。モーセの書、というのはなんだろう、と考え、所謂モーセ五書を斜め読みした。おそらく民36:6を指すか、と思いますが、自信は持てません。いったい注釈書の註を付けることの難しさを想像する次第であります。
 続編については教会の人も信者もあまり頼りにならないからなぁ……。どこかに有能なブレインはいないだろうか?



 祈り求めなさい、「世の始まる前に、この娘はあなたの妻として定められていたのですから。彼女を悪魔から救い出すのはあなたであり、彼女はあなたと生涯を共にするのです。きっと二人の間に子供たちが授けられ、子供たちはあなたにとって、愛すべき者となるでしょう。」――最後まで引用を迷ったトビ6:18にあるラファエルの言葉です。
 いやぁ、これ読んでて空しくなりましたね。わたくしにとっては嫌味なぐらいまるきり縁なき文言ですから。おまけに、いまのわたくしの心をずたずたに裂くにこれ程、直球な文言も聖書にはなかなかあるまいよ。
 いつか現実になればいいと思うけれど、世界は自分に都合の良いようには動いてくれない。時間は望むように流れてくれない。希望は夢想にすり替えられ、夢想はやがて死んでしまう。そうして過去はいつまでも魂を苛む。
 悠希さん、あなたを想う哀れな男がそこにいます。いつになっても枯れることを知らない気持ちが妄執のように、ずっとそこにあって蜷局を巻いています。
 或る朝、隣に。
 小倉さん?
 ん、小倉だよ?
 本物?
 本物だし、現実だよ。
 ――朝の健やかな光に包まれて、いつか見たい思い描いた光景。『定家葛』◆

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第1518日目 〈トビト記第5章:〈トビアの返事〉、〈天使ラファエルとの出会い〉&〈旅の準備と母の悲しみ〉with2014年、初マックしてきました。〉 [トビト記]

 トビト記第5章です。

 トビ5:1-3〈トビアの返事〉
 トビアは父に答えて、いった。しかしその財布を受け取るにしても、どうしたらガバエル氏はわたしを信じてくれるでしょう。われらは互いに面識があるわけではないのです。
 父がいった。わたしたちはそのとき、一枚の証文を作成して半分に裂き、それぞれで持つことにした。それを持ってゆきなさい。あれから20年にもなるが、そうすればガバエルも信じることだろう。
 さあ、息子よ。誰かメディアまでの道を知り、同行してくれる信頼できる者を見附け、出発しなさい。

 トビ5:4-17 1/2〈天使ラファエルとの出会い〉
 トビアは外に出て往来を眺め渡した。メディアまでの道程に詳しい人がいないか探すためである。と、目の前に一人の男子が立っていた。トビアは声を掛けたが、その者が神により遣わされた天使ラファエルとは流石に知る由もなかった。
 その者は、メディアには何度も行ったことがあり、ニネベとエクバタナ、ラゲスへの街道に精通している、という。トビアは同行者をその者に決めた。そうしてトビトの前に報告するため、その者をそこへ待たせた。相手は首肯した。但し、あまり長くなったりしないように。
 息子の報告を聞いたトビトが、その者に会いたい、といったので、トビアはそうした。客人の祝福にトビアは嘆息した。ラファエルが掛けた祝福の言葉に応えて、「トビトは言った。『わたしに何の喜びがありましょうか。わたしは目が見えず、天の光を見ることができないのです。もう二度と光を見ることのできない死人のように、暗闇の世界にいるのです。生きていても、死人たちの世界にいるようなものです。人の声は聞こえますが、姿は見えないのです。』ラファエルは言った。『元気を出しなさい。間もなく神があなたをいやしてくださいます。元気を出すのです。』」(トビ5:10)
 メディアへ共に行ってくれるその者の名を、トビトは知りたがった。重ねての請いにその者は答えて曰く、自分はハナニアの子アザリアといい同じナフタリ族の者です、と。トビトは、嗚呼自分は偉大なセメリアの2人の子ハナニアとナタンを知っています、よく一緒にエルサレムへ行き礼拝をしたものでした、かれらは道を踏み外したことのない善き人たちでした、と思い出していった。
 ――トビトは息子とアザリアを、アザリアは1日1ドラクメの報酬を約束して、メディアへの旅に送り出したのである。

 トビ5:17 2/2-22〈旅の準備と母の悲しみ〉
 斯くして2人は出発した。
 しかしトビトの妻、トビアの母、即ちハンナはそれを泣き悲しんだ。あの子はわたしたちのそばにいて杖となってくれる子でしたのに、どうしてメディアになぞ行かせたのですか、20年も前に預けたお金があの子の命よりも大事だとでも仰るのですか。
 「わたしたちは主によって生かされているのですから、今のままでじゅうぶんです。」(トビ5:20)
 トビトは妻を諫めた。心配しなくてよい、わたしたちの息子は元気で戻ってくる。だいじょうぶ、神の使いがかれに同伴してくれる。

 5:17にて「神の使いが道々お前たちと共に進み、無事に旅をさせてくれるように」といい、5:22にて「神の使いが息子のよい同伴者になってくれる」と、トビトはいった。信心に根っこがある言葉なのは勿論ですが、実際ラファエルを前にしてこれをいうトビトを想像すると、なんだか一種のコメディの一場面に読めてきて仕方ない。不謹慎かもしれぬ。が、こんな読み方もありであろう、ということでお目こぼしいただきたい。
 しかし、まさか目の前にいる男子が本当に神の使い天使ラファエルだなんて、トビトもトビアも思わなかったでしょうね。ぷぷぷ。
 トビトがその者に報酬として提示し支払いを約束した1ドラクメ。これはローマ銀貨であり、新約聖書に出て来る1デナリオン(特にマタ20:1-16の〈「ぶどう園の労働者」のたとえ〉が有名かも)と同価であるとのこと。一日の労働の賃金である、ということだが、さしずめいまの平均的な代価に置き換えると、時給1,000円×8時間労働で日給8,000円というところかでしょう。
 第2章での子山羊のときの一件といい今回といい、ハンナはなんだかボヤキ担当みたくなっておりますな――。



 2013年の初マックから2週間足らずの今日、2014年初マックをしてきました(えっ!? とかいうな)。メニューはともかく食後の現在やや胃もたれ中。そろそろ油たっぷり、チーズたっぷりのメニューは敬遠した方がいいかな。たぶんこれで今年はもうマックに行くことはないと思う。
 スタバなどと違ってとにかく周囲は喧しい。旧スタバ伊勢佐木モール店の3倍ぐらいは騒々しいよ。斎藤孝がマックは仕事する場というより世相ウォッチングに留めておくのが無難か、という旨、著書のなかでいうておった気がするけれど、まこと是也、と心中首肯した。
 でも、この環境もたまには悪くない。落ち着かぬがゆえに集中し、一気呵成に乱れもブレもなく原稿を書ける。本日の原稿も某駅ビルのマックにて40分程度で書きあげたものだ。これはわたくしにとっては快い緊張感のある時間であった。見かけはあくまで平静、でも内部は燃え盛っている。或る意味で理想的な時間を結果的に産み出すことが出来たことを喜ぼう。
 むろん、滅多にないことだから斯様な芸当が披露できるのであることは、いわれずとも承知している。◆

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第1517日目 〈トビト記第4章:〈トビト、トビアを諭す〉with有権者だましか、否か――都知事選に名乗りを挙げたあの人に、やや失望。〉 [トビト記]

 トビト記第4章です。

 トビ4:1-21〈トビト、トビアを諭す〉
 或る日、トビトはメディアのラゲスに住むガバエルに財布を預けていたのを思い出した。そこでかれはトビアを呼んで、このことを伝えた。
 その際、息子に幾つかの諭しを与えた。曰く、――
 生きて世に在る限り主をいつも覚えておきなさい。罪を犯したり、戒めを破ることがないように。
 正義を行い、悪の道を歩まぬように。真理を行うなら人は皆その行いゆえに栄えるのだから。
 蓄える財産に応じた施しをしなさい。施しは喜んで行え。どんな貧しい人からも顔を背けてはならぬ。そうすれば神はお前から顔を背けたりしない。「そうすることで、お前は窮乏の日に備えて、自分のために善い宝を積むことになるのだから。」(トビ4:9)
 すべての淫らな行いから身を守りなさい。それにはまず、先祖たちの家系、父の部族から妻を娶りなさい。
 働いてくれた人にはその場で賃金を支払いなさい。翌日に延ばしてはいけない。そうすればお前が神に仕えるとき、神はじゅうぶんに報いてくれるから。
 酔うまでぶどう酒を飲んだり、酔うことを習慣としてはならぬ。飢えている人には食べ物を、裸の人には着物を分け与えなさい。
 行いの正しい人を埋葬する際は宴を設けよ。但し罪人たちのときは否である。
 思慮深い人の忠告を求め、有益な忠告ならそれはどんなものでも軽んじてはならない。
 「お前の道がまっすぐであるように、またお前のすべての歩みと計画がうまくいくように、神に求めなさい。」(トビ4:19)
 トビアよ、いま父が行ったことを心に覚えておき、忘れ去ってしまわないようにしなさい。
 ――そうしてガバエルのことを伝えたトビトは、こういって諭しの言葉を締め括った。即ち、「もし神を畏れ、あらゆる罪を避け、主なる神の前に喜ばれることをするなら、お前は多くの良きものを得ることになる」(トビ4:21)と。

 新共同訳で本章を読むと、第7-19節まで〔 〕で括られていることに気附くでしょう。これは、凡例からの引き写しになるけれど、旧約聖書続編の主な写本には欠けている箇所を底本ではその他の写本から適宜補筆したことを示している由。本章に於いては諭しの言葉の殆どがこの部分に含まれています。
 トビトが財布を預けたガバエルの住まうメディア地方のラゲス。これは今日のカスピ海の南岸に迫るエルブルズ山脈を隔てたところに、ラゲス(ラガイ)の地名を確認できます(ペルシア帝国地図、『聖書大百科』P212)。ちょうどペルシア帝国領のほぼ中央に位置する町ですが、ここはメディアの主要都市の一つで、専らペルシア陶器の生産地として現在は知られているとのことです。陶器好きの知己より教えてもらいました。多謝。
 父の部族より妻を娶れ、とトビトは息子に諭します。事実、エクバタナのサラはトビト、トビアと同じナフタリ族の出身なのでした。これは第6章でトビアが知ることであります。
 ――本章はわれらの生活にも結び付く諭しの言葉が幾つもあります。時が変わろうと所が変わろうと人間の本質はなにも変わらない、人間の良いところ悪いところに変わるところはない、ということでありましょう。だから、極東の島国に住まう仏教と神道の国の住民たる者にも、特に深く考えこむことなくわかる部分が多々あるのです。わたくしが好きな諭しの言葉は、以下の5つであります。即ち、――
 「命ある限り、正義を行いなさい。悪の道を歩んではならない。」(4:5)
 「働いてくれた人にはだれにでも、すぐにその場で賃金を支払いなさい。支払いを翌日に延ばしてはならない。」(4:14)
 「何をするにせよ、十分に注意し、あらゆる点で、教えが身に付いていることを示しなさい。」(4:14)
 「自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない。」(4:15)
 「母親を敬い、母が生きている限り、見捨ててはならない。母親の前では、その喜ぶことをなし、何をするにしても、母の心を悲しませてはいけない。」(4:3)



 来月の都知事選ですが、細川元首相の立候補が正式に発表されました。ちかごろ<脱原発>と騒ぎ出した小泉元首相の強力な支持を得てという。この2人の潔い政界引退はなんだったのか。細川元首相の著書を2冊持っていてそこそこ繰り返し読んでいた方だと思うのですが、今朝最寄り駅のゴミ箱に読み捨ての雑誌諸共棄ててきました。最早こんなもの、持って愛読する価値はない。
 細川&小泉、かれらの国民を巻きこんでのパフォーマンスは都知事選にて幕を降ろすか。投票率は上がるだろうし、早くも細川の不戦勝と予想できる。が、<脱原発>はいいけれど、原発に代わるエネルギーはどこから確保なさるおつもりか。都知事になって一体なにがしたいのだろう。<脱原発>というパフォーマンス以外、なにも見えないんですよね。理念もイデーもなにもない。老いてなお花でも咲かせたいか。
 虚構の言葉、虚構の政策で首都を混乱させるつもりなら、有権者騙しも堂に入ったものだ、と褒めてやろう。おっと、自家薬籠中というべきだったね、呵々。この2人、2020年のオリンピック開催にイチャモンつけてきそうだ。白紙に戻すなんて言語道断なことはしないだろうけれど……。
 でも、自民党に籍を置く進次郎氏は立つ瀬がないな。切に舛添氏の当選を祈る。◆

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第1516日目 〈トビト記第3章:〈トビトの祈り〉、〈サラの不幸〉他with2014年、本ブログが掲げる抱負はこれです。〉 [トビト記]

 トビト記第3章です。

 トビ3:1-6〈トビトの祈り〉
 妻に詰られたことで、トビトはわが行いを反省し、悲しみに暮れつつイスラエルの神に祈った。曰く、――
 あなたは憐れみと真実を示す、正しいこの世の裁き手。いまこそわたしを御心のままに裁き、魂を取り去って土に戻るよう計らってください。わたしは不当な辱めを受け、大いなる悲しみに包まれておりますゆえ。どうかわたしを永遠の住まいに行かせてほしい。
 「なぜなら、死んで辱めを耳にすることのない方が、生きて大きな苦しみに遭うよりましなのです。」(トビ3:6)

 トビ3:7-10〈サラの不幸〉
 同じ頃、メディアのエクバタナに住むラグエルの一人娘サラも悲しみに暮れていた。というのも、これまでに彼女は7人の男へ嫁いだが、いずれとも初夜を迎える前に死別していたからである。それは悪魔アスモダイの仕業だった。
 サラはそのことで父の女奴隷の一人から詰られ、責められていた。曰く、あなたも早くあの男たちのところへ行ってしまえばいい、この先あなたの子供なぞ見たくありません、と。
 女奴隷からそう責められた日、サラは心に深い悲しみを覚えて、父の家の2階で自殺しようとした。が、父が如何に町の人々から中傷されるか想像し、思い留まったのだった。父を悲しませて陰府送りにするぐらいなら、主に頼んで死なせてもらおう。「そうすれば、生き永らえて辱めの言葉を耳にすることもないでしょう。」(トビ3:10)

 トビ3:11-15〈サラの祈り〉
 サラは窓に向かって両手を広げ、イスラエルの神に祈った。曰く、――
 どうかわたしをこの世から解放し、ゆめ辱めの言葉を聞くことがありませんように。わたしが処女のままなのは御存知のはず。また、わたしは捕囚の地で父の名を汚すことも、わたしの名を汚すようなこともしませんでした。これ以上生きていて、なにになりましょうか。
 「しかし、もしわたしの命を奪うことを/お望みにならないのならば、/主よ、今わたしに向けられている/辱めの言葉をお聞きください。」(トビ3:15)
 祈り終わるとサラは下の階へ降りていった。

 トビ3:16〈神の計画〉
 ――トビトとサラの祈りは同時に、栄光に満ちた神に聞き入られた。
 神は2人を癒すため、天使ラファエルを送りこんだ。トビトについては、かれが自分の目で神の栄光を見られるようにするため、サラについては悪魔アスモダイを取り除いてトビアを夫とするために。まこと、サラを妻として迎える資格はトビアにのみあった。
 「時はまさに神が二人の祈りを聞き入られたちょうどそのときであった。トビトが中庭から家に戻り、ラグエルの娘サラは父の家の二階から下りてきた。」(トビ3:16)

 旧約聖書の時代、女奴隷は強かった。ラグエルの女奴隷の台詞は「創世記」のサラとハガルの関係を思い出させる。「トビト記」にてラグエルの女奴隷が主人の娘に強く非難の言葉を向けるのは、サラが誰とも夫婦の契りを交わすことなく終わってしまい、悪魔アスモダイの存在あるゆえとはいえ、夫を次々死に至らしめた<ファム・ファタール>であったからか。女同士ということも関係しているのかな。
 ラグエルとサラ父娘は捕囚だったのか? 然りである。北王国イスラエルを滅ぼしたサルゴン2世はサマリア及びイスラエル国の捕囚をメディアの町々へも連れて行った。当時メディアはアッシリアの同盟国家の様相を呈していた様子であるが、前715年にサルゴンはメディアの指導者ダウヤックをシリアのハマ地方へ流刑とした。そのダウヤックはディオケスと名を改めて前700年頃メディア民族を統一して国を建て、エクバタナを王都と定めた。父娘が住まうエクバタナはむろんこれであるが、かれらの生きた時代が前722年から700年までのいつ頃であるのかは未詳であります。
 悪魔アスモダイはそもゾロアスター教の悪魔アエーシェマで、それがユダヤ人社会に入ってアスモダイと呼ばれるようになった、という。暴力や殺戮など悪い力を司るものとしてゾロアスター教では触れられるが、本書では読む限り、色欲を司っている様子であります。牧神パンとこのあたり事情が似ているかもしれません。
 天使ラファエルについては正体を自ら明かす第12章にて触れるつもりでおります。



 棚上げになったままの長編小説がある。器用でない性分はここにも影響しているのか、現在はブログに集中しているために小説にまで余力を費やすことが出来ない。無念だ。自分のブログが日常雑記やライフハックをテーマとしたものなら、さほど苦労はしない。否、一日2記事、3記事ぐらいは1時間半ぐらいでそれなりの質のものに仕立てあげる自信はある。それぐらいでなければ、作家もライターもやっていられないだろう。
 言い訳めくが、現在書いているブログはご承知のようにそうした量産を拒む性質のものであり、また、仮に本ブログの原稿を滞りなく上げられたとしても残りの時間と脳味噌を小説に向かわせる余裕は、正直いって搾り滓程もない。ブログ原稿に全力を使ってしまうのだよね。もう原稿を上げたあとは疲労困憊していますもの。なにも書く気になれない。
 それが小説を書けないでいる理由だ。ここまで堂々と宣言してしまうと、われながら却って清々しい思いで一杯である。勿論わたくしがここでいうている小説が掌編やショートショートの類ではなく、冒頭にも申しあげたとおり棚上げになっている、或いは書きたいと思うている長編小説であるのは、繰り返すまでもありませんよね? でも、書きたいという気持ちは曲がりなりにもちゃんとあるので、いまのわたくしの最大の目標は、小説家として再び仕事できるようになるためにも本ブログを予定通りゴールへ持ってゆくことに他ならない。この望みが実現すれば、再来年には再び長編小説に手を染めることが出来るようになっていることだろう。それはとっても幸せなことなのである。
 従って今年の本ブログが掲げる抱負は、長い休みを取らないこと、である。風邪とかぎっくり腰で動けません、というのは別の話として。◆

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第1515日目 〈トビト記第2章:〈妻子との再会〉、〈死者の埋葬〉他with少し息抜きをしてもいい?〉 [トビト記]

 トビト記第2章です。

 トビ2:1-2〈妻子との再会〉
 恩赦によりニネベに帰ると五旬祭が巡ってきた。トビトのためにご馳走が用意された。かれはそれを前に息子トビアを呼んで、こういった。
 さあ、町へ出て、同族を探し、そのなかでも特に神を心に留めている者を選び、ここへ連れてきなさい。共に食事をしよう。わたしはそれまで食事を摂らずに待っている。

 トビ2:3-8〈死者の埋葬〉
 出掛けたトビアが一人で戻ってきたので、父は理由を訊ねた。するとトビアが、道端に倒れているナフタリの者がいます、といった。たったいま広場で首を絞められて殺されたのです。
 トビトは食事をすることもなく家を飛び出し、絞殺された同族の死体を運んで小屋に置いた。衆目に曝されるのを厭うたのである。かれは日没を待って死体を埋葬した。その様子を見てニネベの人々は囃し立て、嘲笑った。
 ――帰宅してもトビトの心は悲しみに打ち沈んだままだった。かれの心に預言者アモスの言葉が思い出され、泣き悲しんだ。

 トビ2:9-10〈トビトの失明〉
 その夜は暑かった。トビトは外で寝ようと思い、中庭の塀の傍らで眠った。……雀が何羽かその塀の上にいた。生暖かい糞がトビトの両眼に落ちる。それが原因でかれの両眼には白い膜が出来てしまった。
 何人かの医者が診て目薬を塗ったが、症状は悪くなるばかり。そうしてトビトは失明した。失明は4年に及んだ。親族はかれのことを嘆き悲しみ、甥アヒカルもエラムへ転属するまでの2年間、なにくれとなく世話をした。

 トビ2:11-14〈妻ハンナとの口論〉
 当時、トビトの妻ハンナは機織りの内職をしていた。デュストゥロスの月の7日、織った反物を雇い主の許へ届けると、賃金全額の支払いは勿論、子山羊1匹を贈り物として貰った。
 ――帰宅したハンナが山羊を連れているのを知ってトビトは訝しみ、妻を詰った。あの山羊の鳴き声はなにか、どこかから盗んできたのか、と。ハンナがどれだけ事実を申し立ててもトビトは信じようとしない。
 とうとうハンナは嘆息混じりに夫を責めた。あなたの憐れみはどこへ行ったのか、あなたの正義はどこにあるのか、所詮あなたはそういう人なのだ。

 五旬祭とは七週際、即ち刈り入れ祭のこと。これは(「出エジプト記」他でも述べてきたように)過越祭から7週目、つまり50日目に小麦の刈り入れを祝う祭りであります。
刈り入れ祭はやがて本来の意味に加えて、モーセが律法を授けられたことも祝うようになった。「ペンテコステ」はギリシア語で「50」を意味します。
 トビ2:6預言者アモスがベテルの人々に語った言葉、「お前たちの祭りは悲しみに/お前たちの歌はことごとく嘆きの歌に変わる」の出典は、「アモス書」第8章第10節(第1332日目)にあります。アモスは南王国ユダに生まれ、北王国イスラエルのベテルにて預言者活動を行った人です。
 デュストゥロスの月は太陽暦では2-3月に当たります。ちなみにこれはマケドニア歴で5月を指す由。



 別にかったるくなってきたわけではないのだけれど、ちかごろこのオマケのようにあるエッセイ(らしきもの)ね、なくてもいいのではないかな、と思うたりします。
 この部分目当てに読者であり続けてくださる方もあるようなので、いきなり不要のものと切り捨てるつもりはありません。同時に、わたくしの息抜きになっているのも事実ですからね。このエッセイを以て辛うじてバランスを取ってもいるわけですよ。
 でも、本当にこのエッセイらしきもの、必要? これまで殆ど毎日、1500日以上脳ミソを酷使して無い知恵を絞り出してでも書き続けてきたいま、そんな疑問を抱く。新聞の編集手帳のようなコラムみたく立派なものは生産できない。質についてはずっと劣る。そんなものでも毎日書くとなると、ややきつく感じるときもあるのだ、正直な話。
 ――これからは少し息抜きをしてもいいかな? 本ブログが聖書の読書ノートになっている間は、このオマケのようなエッセイを休んでいる日があるかもしれない。そういう日に、読者諸兄よ、遭遇したら、ああさんさんかはちょっと休みが欲しくなったんだな、と軽く流してもらえたら、とても嬉しい。
 まあ、プロポのようなものや断章みたいなものでも、或いは、これまで同様独り言めいたもの、チョイ愚痴めいたものであったとしても、ほんの一行程度のもの(これまでもままあったけれどね)でも毎日ゆきたいとは思うが、この先、どうしても書けない日だってあるだろう。そんな日の到来に備えて斯様な予防線を張っておく次第である。
 どうぞ宜しくご理解ください。◆

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第1514日目 〈トビト記第1章:〈序〉&〈トビトの信仰生活〉他withそろそろPC買い換えないと……〉 [トビト記]

 トビト記第1章です。

 トビ1:1-2〈序〉
 本書はトビトの物語である。かれの祖はナフタリ族のアシェル、祖父はハナニエル、父はトビエルという。
 アッシリア帝国はシャルマナサル王の御代に北王国イスラエルを攻めて、これを滅ぼした。トビトは王国北部の町ティスベで捕囚になった。ここはキネレト湖近くのケディシュ・ナフタリ(ナフタリのケディシュ)の南の地である。

 トビ1:3-8〈トビトの信仰生活〉
 イスラエルが国を挙げて偶像崇拝に走るなか、トビトはヤコブの神を信じて畏れた。モーセの律法に従って生き、主の目に正しいと映ることを行う者であった。
 かれは貯えたお金で孤児や寡婦、改宗者たちの生活を助け、かれらと食事を共にした。というのも、トビト自身早くに父を亡くして孤児となっていたからである。また、それは曾祖母デボラの命じた掟でもあった。

 トビ1:9-15〈捕囚での生活と神の導き〉
 大人になったトビトは同じナフタリ族の娘ハンナを娶り、息子トビアを授かった。そうした後に国は滅び、捕囚となり、アッシリアに連れてこられたのである。
 同胞は捕囚先の民と同じものを食べたが、トビトはその習慣に染まらなかった。かれは自分たちの先祖の神を一途に思うたので、いと高き方即ち主はかれを心に留め、トビトをシャルマナサル王の調達係とした。それでトビトはあちこちの土地へ赴くことができたが、或るとき、メディアにいる知己ガバエルに銀10タラントンの入った財布を預けた。
 しかしシャルマナサル王が崩御してその子センナケリブが即位すると、アッシリア-メディア間の交通は困難となり、トビトは以後メディアへ行くことが出来なくなった。

 トビ1:16-20〈トビトの善行と災難〉
 シャルマナサル王の御代、トビトは同胞に対して慈善の業を行った。飢えた者には食事を、裸の者には着物を与え、ニネベの城外に捨て置かれた死体を埋葬し。それは王が代わってからも行われ続けた。
 或る年、センナケリブ王がユダヤから逃げ帰ってきた。王は腹いせと見せしめに多くの捕囚民を殺めた。その死体は放置された。それをトビトは知れず埋葬した。あとになって王が死体を探させたが、むろん、それは埋められたあとだったので見附けることは出来なかった。
 が、それが密告によって発覚した。お尋ね者になったトビトは町から逃げた。家の財産は没収され、帝都には妻と息子が残された。

 トビ1:21〈甥アヒカルの登用〉
 さて。トビト逃亡から40日と経たぬ内にセンナケリブ王の御代は終わった。2人の息子によって謀殺されたのである。
 代わって、謀殺に関わらなかったエサルハドンが王位に就いた。新王は国の財政管理者に、トビトの甥、即ち兄弟アナエルの息子アヒカルを任命して、これを重用した。かれは前王の時代にも国務と財務の管理者として用いられていたのである。
 その甥の言葉添えもあり、トビトはニネベに帰ってくることが出来たのである。

 本章ではアッシリアの王が3人登場しますが、一つの記述に引っ掛かりを感じました。
 「シャルマナサル王の死後、彼に代わってその子センナケリブが王となると」(トビ1:15)云々。「列王記」や「歴代誌」を読んでいるときの記憶が、ふっ、と蘇りました。……センナケリブってシャルマナサルの息子だったっけ? 「トビト記」の上記の箇所を読んでいると、2人は親子であったようにしか読めないのだけれど。
 シャルマナサルという名を持つ王は5人いました。つまり、1世から5世までいたわけです。ここでいうシャルマナサルは5世、北王国イスラエルの滅亡に王手を掛けた人物です。が、かれはサマリア攻略中に死亡。兄弟サルゴン2世が代わって指揮を執り、サマリア陥落/北王国イスラエル滅亡を成し遂げた。トビトらを捕囚としてアッシリアへ連れ帰り、領内のあちこちに住まわせたのはこの人である。そうして疑問の発端、センナケリブはこのサルゴン2世の息子であった。
 が、このセンナケリブがユダヤから逃げ帰ってきた(トビ1:18)のがいつの出来事を指しているのか、まだ調べ切れていません。
 なお、第1章の記述により「トビト記」は前681年以後の話であることがわかります。それを判断する本書に登場したアッシリア王の在位は以下の通り。
 シャルマナサル5世;前727-722年
 サルゴン2世;前722-705年(前722年サマリア陥落/北王国イスラエル滅亡)
 センナケリブ;前704-681年
 エサルハドン;前681-669年(南王国はマナセ王が王位に在った)
 ――トビトやアヒカルの重用ぶりから、捕囚民であっても有能でありさえすれば政府の中枢の役を務められたことがわかります。これはなかなか示唆的なことでありますまいか?



 そろそろ本格的にPCの買い換えを考える。予算20万円。これだけ予算を取れると、却って機種選びに悩みます。スペックとかいろいろあって迷わされますよ。もうちょっと単純であっても良いんではないかなぁ……。そも、デスクトップでタッチパネルなんて必要なのかい?◆

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第1513日目 〈「トビト記」前夜〉 [トビト記]

 サウルとダビデの統一王国はソロモンの死後、北と南に分裂しました。主の目に悪と映ることを行い、背き続けた北王国イスラエルはやがて東の覇権国家アッシリア帝国によって滅ぼされました。王都サマリアの住民は捕囚民となり、帝国領内の町々に住むことになります。
 今回読む「トビト記」はアッシリア捕囚期を背景とした物語、舞台は帝都ニネベとメディアのエクバタナです。
 ナフタリ族トビトは、ヨブの如く主を畏れる義の人であった。自身を「生涯を通じて真理と正義の道を歩み続け」(トビ1:3)、同様捕囚として連行された同胞のため「多くの慈善の業を行」(同)い、同族の者らが捕囚先の民と同じ食事をしているなか、自分は「心に固く決めて異教徒の食事はしなかった」(トビ1:11)と述べます。一種の信仰告白と申せましょう。そうしてかれは都の外に捨て置かれる同族の死体を埋葬して廻るのです。
 全14章から成る「トビト記」の粗筋を綴るとこうだ、――
 「トビト記」は信仰篤いトビトが或る日、ゆえあって失明したところから動き始める。息子トビアが父の昔の知り合いを訪ねて、メディアのエクバタナへ出掛けるのだ。同行者は一人、アザリアと名乗る者。かれの正体は当該日にお知らせしよう。
 向かう町エクバタナではサラという娘が悪霊に悩まされている。嫁入りするたび花婿が悪霊に殺されており、それが原因でよからぬ風評が生まれていたからだ。そこへトビアがやって来る。かれは従者の言葉添えもあってサラを悪霊から救い、父の失明に効く特効薬を手に入れた。サラを娶ったトビアは義父の留めるのを固持して、妻を連れて故郷へ帰り、父の失明を治す。
 トビトはやすらかに息を引き取る前、トビアに、ニネベを去ってサラの故郷へ移れ、といった。間もなく主の怒りによってニネベは滅び、アッシリアも滅亡するからだ、と。トビアはそうした。ニネベについてはトビトの言葉通りになった。トビアはエクバタナにて117歳の生涯を閉じる前にニネベの滅ぶのを見聞した。――以上、「トビト記」終わり。
 ジークフリート・ヘルマンは本書を指して、「一種の教訓の叙述である。数々の驚くべき出来事が話を豊富にしている。それは歴史的事実を伝えるのではなく、むしろ歴史的なものを背景として宗教的体験を述べる」(『聖書ガイドブック』P185教文館)ものだという。
 また、『旧約聖書外典偽典概説』(教文館)の著者、土岐健治によれば、「トビト記」は幾つかのユダヤ教以外の物語を素材として採用している云々(P75)。1つに<感謝せる死者の物語>、2つに<アヒカル物語>、3つに<コンスの書>。それぞれについては該当しそうな日を選んで述べてゆくつもりであります。
 執筆年代や場所、著者は不明。推定前2世紀頃にヘブライ語かアラム語で、敬虔なるユダヤ人によって執筆されたか。しかし、タイムマシンを持たぬ現代のわれらに正確な年代を述べることは不可能であります。
 とはいえ、本書は心洗われる小さな美しい書物。神の前に正しくあり続ける家族を扱った物語としては、旧約聖書の「ルツ記」を想起していただくのがいちばん良いかもしれません。
 それでは明日から一日一章ずつ、「トビト記」を読んでゆきましょう。旧約聖書続編はこの書物から始まります。◆

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