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第1581日目 〈エステル記(ギリシア語)第10章&第F章:〈モルデカイの栄誉〉&〈モルデカイ、夢を解く〉〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第10章と第F章です。

 エス・ギ10:1-3〈モルデカイの栄誉〉
 アルタクセルクセス王の御代については、ペルシアとメディアの歴代の王の書がその栄誉を伝えている。
 その後、モルデカイは王の後見人となり、ユダヤ人の尊敬を一身に集めた。また、かれは自分の事蹟を人々に語って聞かせた。

 エス・ギF:1-11〈モルデカイ、夢を解く〉
 それから時が経ち、モルデカイは昔を顧みて、いった。いわく、⎯⎯
 これらの出来事は、既に起こることが知らされていたのだ。昔、わたしは夢を見た。叫びと騒ぎ、地震と雷、混沌が全地を覆い、その中で2頭の竜が争う夢だった。諸国民が義の民に戦いを挑み、義の民は叫び声をあげている。かれらの叫びは神に届いた。それは小さな泉を生み、悠久の川の流れと化した。そんな夢を、かつてわたしは見た。
 すべての出来事が起こり、終わった現在なら、その夢の言わんとするところがよくわかる。泉と悠久の川の流れは王妃エステルを指し、2頭の竜とはわたしとハマンのことだったのだ。
 「神は、諸国民の間では起こったことのないしるしと大いなる不思議を行われた。そのために神は二つのくじを定められた。その一つは神の民のため、もう一つはすべての国の民のためである。この二つのくじは、すべての国の民に対して神の前で行わる裁きの時と時期と日を定めるためのものであった。」(エス・ギF:6-8)
 斯様な経緯があって後、フルーライが定められたのである。
⎯⎯と。

 これらのことを記した書簡が、プトレマイオス王とクレオパトラの御代第4年にペルシア地方からもたらされた。差し出し主は自らを祭司でレビ人と称するドシテオスと、その子プトレマイオスである。
 父子の主張によれば、本書簡がフルーライの起源を語るものであり、プトレマイオスの子で在エルサレムのリシマコスにより翻訳されたものである、と云々。

 モルデカイってなんだか嫌味な奴だな、と思うてしまうのは、果たしてわたくし一人のみでしょうか? 事蹟を語る、だなんて、うぅむ、我ながらもう少しまともな表現はなかったものか。はあ……。
 第F章の最後でわれらは、本書がヘレニズム時代のパレスティナを扱った文書であることを、初めてはっきりとした形で知ることになります。
 プトレマイオスもクレオパトラも、ヘレニズム化したエジプトのファラオであります。この時代、何人ものファラオがプトレマイオス、クレオパトラを名乗りましたが、「ギリシア語によるエステル記」に記されるのはプトレマイオス8世或いは9世、クレオパトラ2世或いは3世であろう、とほぼ考えられます。
 「ギリシア語によるエステル記」がヘレニズム時代に成立したことを知らせる第F章を以て幕を閉じたあと、ヘレニズム時代のエルサレムを舞台にした<マカバイ戦争>を語る歴史書「マカバイ記」が置かれているのは、偶然の配列であるとしてもなかなか面白いものだ、と思います。
 なお、本日を以て「エステル記(ギリシア語)」の読書ノートは終了です。2週間以上に渡ってご愛読いただきありがとうございました。次の「マカバイ記・一」を始めるまでは資料を読んだり、他の本をたくさん読んだりして、少し息抜きをしようと思います。「ユディト記」から「エステル記(ギリシア語)」までは1日しか空けられませんでしたから、今度は英気を養いつつも骨休みをする、ちょっと矛盾した時間の過ごし方をしようと思います。◆

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第1580日目 〈エステル記(ギリシア語)第9章:〈ユダヤ人の復権〉&〈プリムの祭りについて〉withMacBook Airの購入を決めました。〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第9章です。

 エス・ギ9:1−19〈ユダヤ人の復権〉
 その日が来た。第12の月、アダルの月13日にユダヤ人の宿敵が滅ぼされた。ユダヤ人に逆らう者はなく、役職に在る者は皆ユダヤ人を丁重に扱った。なによりも勅書に名を留めるモルデカイを、かれらは恐れたのである。
 帝都スサではユダヤ人の宿敵500人が殺され、ハマンの息子10人も父と同じく絞首刑に処された。いずれもユダヤ人の手によって、である。王の問い掛けに王妃が答えたことで(エス・ギ9:12−13),翌日もユダヤ人の宿敵が剣にかけられ、殺された。その数、300。
 ⎯⎯アダルの月13日、ユダヤ人によって虐殺された者は15,000人に上った。が、略奪行為は一切なかった。
 「こうして同月の十四日には休み、この安息の日を喜び祝いつつ過ごした。他方、首都スサにいるユダヤ人は十四日にも集まったが、その日には休まず、十五日を喜び祝いつつ過ごした。こういうわけで、首都以外の地方ではどこでも、離散のユダヤ人はアダルの月の十四日を祝いの日として喜び合い、それぞれ隣人に贈り物をし、他方、首都に住むユダヤ人は、アダルの月の十五日を喜ばしい祝いの日とし、隣人に贈り物をするのである。」(エス・ギ9:17−19)

 エス・ギ9:20−31〈プリムの祭りについて〉
 アダルの月14日と15日は祝いの日と定められた。ペルシア帝国の版図全127州及び帝都スサに住むユダヤ人は、モルデカイが書き送った文書(書簡)によって、そのことを知った。
 アダルの月14日と15日は、ユダヤ人にとって敵から解放されて安息を得た日である。悲しみから喜びへ。苦悩から歓喜へ。この日を境にユダヤ人には光と喜びが訪れたのだった。
 そもこの日の訪れまでに、ユダヤ人はあらゆる苦しみを受け、あらゆる迫害と差別を経験した。ハマンがくじによってユダヤ民族絶滅を決めたことが、そもそもの原因であった。ゆえ、アダルの月14日と15日の祝日は「フルーライ」と呼ばれる。「フルーライ」はヘブライ語では「プリム」、「くじ」という意味だ。
 「ユダヤ人はモルデカイの定めたことを自分自身や、子孫およびユダヤ人に加わる者たちが守るべきこととして受け入れた。皆、将来も必ずこのことを守り続けるであろ。これらの日はいつの時代にも町という町、家という家、地方という地方で記念され、祝われるべきものである。このフルーライの日々はいつまでも守られ、この記念は代々決しておろそかにされてはならないものである。」(エス・ギ9:27−28)
 ⎯⎯モルデカイと王妃エステルはフルーライを記念するため、またこれを法令として永久に規定するため、自分たちが行ったすべての事柄を記録させた。

 納得できないし、釈然としない。どうしてユダヤ人は自分たちに敵意を抱く者らを殲滅したのだろう。王の名を借り、ハマンによって発行された前の勅書では、たしかにユダヤ民族虐殺が指示されていた。しかし、計画は未然に防がれ、実際に虐殺行為は行われなかった。なのに、なぜユダヤ人は自分たちに敵意を抱く者たちを剣にかけ、合計15,000人を殺したのだろうか。
 <やられる前にやれ>ということか?
 どれだけ以前から迫害や差別をされていたとしても、相手を殺していいという論理に至るであろうか? 王の勅書は誤った正義を実行するための錦の御旗ではない。かれらの行為は単なる鬱憤晴らしだ。いじめられっ子の復讐と変わるところはない。狂っている。
 「エステル記」に書かれたユダヤ人虐殺計画、それに報復する意味合いでの、ユダヤ人による敵対する多民族への攻撃が実際にあったことなのか否か、それはわかりません。しかし、これらが本当にあった出来事ならば、かの時代における命をめぐる種々の倫理は、われらの想像を超えるぐらい軽視されていた、と考えてしまっても仕方ないことだと思います。



 なにかと評判の宜しからざる<スタバでMacBook>。本ブログでも何度かエッセイのネタにしまいた。自分も<スタバでMacBook>デヴューを飾るのも遠くない話だ、と書いたこともある。消費税が8%になるまであと2日。現行税率で購入することは諦めたけれど、MacBook購入の意志に変化はない。
 平日は自宅で原稿を書くことが殆ど出来ない以上、それを行うのは必然的に会社帰りのカフェか図書館(休日に外出していてもそれは同じだけれど)となる。明日も仕事があるなら、退勤後の時間をどれだけ有効かつ有意義に運用するか、考える必要がある。そのために然るべき“道具”が要るなら、それは何か、も。
 わたくしの場合、それはMacBook Airであった。
 ノートに原稿を書く、という工程が省けるかわからないが、外にいる間にさっさとMacBookで原稿を仕上げてしまい、その場でブログを更新してしまう。更新に至らずともiCloudに上げておけば、帰宅後にiMacで続きを書いたり細かな修正を加えればいい。
 正直なところ、これから忙しくなるから、ブログ執筆にかかる時間と負担を少しでも減らしたいのだ。MacBook Airの購入はそのための投資だ。早くも2台持ちになってしまうのが、われながらちょっと贅沢かな、と後ろめたい気持ちもあるけれど、まぁ、仕方がない。iMac購入前後から可能性として計画していたことでもありますしね。
 <それ>に使われるのではなく、<それ>を使うことでわたくしは時間を買い、自分にとってより良き時間の使い方を模索するのだ。
 <スタバでMacBook>? 上等ではないですか。批判も様々あるようですが、使い手がそれを選んだのなら、それで良いではないですか。わたくしがMacBook Airを選ぶのは、使い勝手と軽さ。Windowsも検討したけれど、どれも重くて腰に負担が掛かりそうで、嫌なんですよね。基本的にWindows搭載のPCは屋内での利用に適していると思います。◆

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第1579日目 〈エステル記(ギリシア語)第3章&第8章3/3:〈勅書〉with「ことえり」よ、ありがとう。〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第3章と第8章3/3です。

 エス・ギE:1-8:17〈勅書〉
 以下はペルシア全域、即ちインドからエチオピアへ至る全127州に公布された勅書の内容である。それに曰く、⎯⎯
 どのような者であっても、恩人の愛顧を忘れて陰謀を企てるようになる。どのような者であっても、周囲の影響を受けて悪事に手を染めてゆくようになる。かれらは万物の上に目を注ぐ神の裁きから、自分だけは免れられる、と思い込む。これらのことは歴史を繙けば明らかである。
 ゆえに予、アルタクセルクセスは将来を鑑み、「国家を秩序あるものにして万民が平和に過ごせるようにする必要があると考える。そのためには方針を改め、視野に入ってくることを常に公正な態度で判断しなければならない。」(エス・ギE:8−9)
 ここにかつては<国の第2の父>とまで呼ばれた宦官ハマンがいる。かれはマケドニア出身の異国人であるが、予の取り立てによって臣下のなかでは最高の地位に就いた。しかしそれゆえに驕り高ぶり、予の覇権と生命をも狙うようになった。そうして功労者モルデカイと王妃エステルを、同胞ユダヤ人もろとも滅ぼし去ろうと謀ったのである。
 「しかし、この三重にも悪辣な者によって全滅の憂き目に遭うところであったユダヤ人は悪人ではない、と予に明らかとなった。彼らは最も正義にかなった律法に従って生活し、至高にして偉大な生ける神の子らであり、その神のお陰で、国家は我々のためにもまた我々の先祖のためにも最良の状態に保たれてきたのである。」(エス・ギE:15−16)
 いまやハマンはこの世にない。絞首刑となった。かれは反逆者だったからである。それゆえ前に公布された、ユダヤ人虐殺を命じた勅書は無効である。この勅書がそれに代わると知れ。
 あらゆる場所にこの勅書の写しを公示せよ。これはすべてのユダヤ人の生活習慣を維持・継続することを許すものである。ユダヤ人以外の民は、前の勅書によってかれらの受難の時と定められた日、即ちアダルの月第13日にはかれらを敵から守るよう努めよ。
 その日は、全能の神が自分の選んだ民の殲滅の日ではなく、祝祭日となる。その日は、われらペルシア人にとっても記念すべき日となる。悪事を謀る者にとって、その日は滅びの警鐘となるだろう。定めに従わぬ地方は槍と炎で容赦なく滅ぼされて、生きとし生けるものの絶えた場所になるだろう。
 すべてのユダヤ人は、敵との戦いに備えよ。
⎯⎯と。
 新しい勅書はペルシア帝国の領内へ隈なく素早く公布された。全国の町、村のユダヤ人はこのことを知り、喜び祝った。諸国民の多くがユダヤ人を恐れて割礼を受け、ユダヤ人となった。ユダヤ人モルデカイは讃えられ、帝都スサの住民に歓迎された。

 ユダヤ人を滅びから救う内容の勅書ですが、個人的に印象に残るのは冒頭の部分、「どのような者であっても、恩人の愛顧を忘れて陰謀を企てるようになる。どのような者であっても、周囲の影響を受けて悪事に手を染めてゆくようになる」という箇所です。
 働いている方なら、どなたでも心当たりがあるのではないでしょうか? お店で買物をされた方なら、脳裏に浮かぶ店員の1人、2人はいるのでは? あの人、変わったよね。そんな風に思うたり、誰かと囁いたりしたことはありませんか?
 ここでは挙がるのはハマンですが、古今東西を問わず、人は環境によって幾らでも変貌してゆくのであります。善人が悪人になることがある。悪人が善人になることもある。
 でも、どんな環境であっても変わらぬものもある。それは愛であり、信仰であり、信念である。旧約聖書(続編)に於いてはモルデカイが、ユディトが、ルツが、エレミアが、モーセが、ダビデが、ノアが、イザヤが、アブラハムが、イサクが、ヨセフが、そうしてエステルがそうでした。
 きっとわれらの周囲にもそういう人物はいると思います。



 「ことえり」に馴れてしまったせいか、「Google日本語入力」に戸惑っている。
 一ヶ月強とはいえ、馴れというのは恐いものですね。文節移動とか変換候補の出方とか、操作についても視覚についても、「ん?」というときがある。
 ときどき困った変換をしてくれることもありましたが、それでも当初から文章作成のお供を買って出てくれていた「ことえり」には感謝しています。
 が。
 まさかここまで「ことえり」に親しみを感じてしまうなんて、思いもよらなかったですよ。◆

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第1578日目 〈エステル記(ギリシア語)第8章2/3:〈ユダヤ人迫害、取り消される〉with来月からの消費税率引き上げに寄せて〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第8章2/3です。

 エス・ギ8:3−12〈ユダヤ人迫害、取り消される〉
 エステルは王に、ハマンがユダヤ人に対して企んだ悪事の一切を取り消すこと、王の名の下にそれが実行されることを望んだ。
 「自分の民にふりかかる災難を、どうして私が見ていられましょうか。私の親族が滅ぼされれば、私の救いなど、どうしてありえましょうか。」(エス・ギ8:6)
 王は、かつてハマンンにしたのと同じように指輪を彼女へ渡した。それを王の印としてわが名を以てユダヤ人迫害(虐殺)を取り消す勅書を出すがよい。王はそういった。エステルはそうした。
 ハマン絞首刑と同じ年の1月、ニサンの月23日、書記官が集められて新しい勅書が作られた。それらは帝国の版図全127州へ、それぞれの民族の言語に翻訳されて、公布されたのだった。
 斯くして帝国領内に住むユダヤ人たちは皆、自分たちの律法を守って生活することが、再び出来るようになった。あらゆる迫害や差別から自分たちを守ることが出来るようになったのである。また、自分たちに刃向かう者や敵意を抱く者らに対しては、「思うがままに扱うこと」(エス・ギ8:11)が許された。
 これらのことはペルシア全土にて第12の月、アダルの月13日(即ちハマンによるユダヤ人虐殺計画実行の前日)に、1日の内に実施されるよう命令されたのだった。

 本日の箇所が、エス・ギ3で語られたユダヤ人虐殺計画の件の裏返しであることは、改めて触れるまでもないことでしょう。
 大きな違いは、ユダヤ人に敵の殲滅を許していることです。それは実行される。ユダヤ人虐殺計画は水泡に帰し、首謀者も既に処刑されたというのに。当該章でも書くことですが、釈然としない部分であります。旧約聖書にはいろいろ理不尽な出来事がたくさんあるというのに、どうしても納得できない、釈然としないのは、いまわれらが読んでいる部分のみなのであります。
 やられる前にやれ。敵対する者は寄留地の先住民族、自分たちと同じようにそこへ寄留する他民族であろうと、問答無用で刃にかけよ。神も王もそういっているかのようであります。果たしてここのいったいどこに、<正義>や<愛>があるというのだろう。単に血に飢えた唯我独尊の民でしかないではないか。
 イスラエルの神は自分の民に非ざる者はすべて駆逐してしまいたいのか?



 その日がもうすぐ訪れようとしています。あと数日で2013年度が終わり、2014年度を迎える。新たなる門出の季節。と同時に、その日が訪れてわれらの生活に変化が生じる。
 4月1日。エイプリル・フールであるが、消費税増税はジョークではない。5%から8%へ税率引き上げとなり、駆け込み需要は最後のピークを迎えようとしている。家も車も、生活雑貨も食料品も、例外なく。住宅については住宅ローン減税の拡充とすまい給付金という救済措置があるからともかくとしても、われらの生活に密接に関わる食品や生活雑貨の類に救済措置がない、というのは、いささか理不尽なものを感じませんか? さんさんかは感じます。
 駆け込み需要にかこつけたわけではありませんが、仕事帰りに原稿を書いたあと、ターミナル駅の本屋に寄って、今日発売の雑誌と買うのを先延ばしにしてきた文庫本を購入してきました。なんともちんまりとした買い物ですね。
 しかし、増税はこれまで買うのを迷っていた品を購入するのにまたとないチャンスでもあります。清水の舞台から飛び降りる覚悟をしなくてはならないような買い物も、3%の差額を余計に支払うぐらいならいま買ってしまえ、ということも出来るわけです。パソコンやオーディオ、家電製品はいちばん手を出しやすいものかもしれません。わたくしは残念ながら、消費税5%時にMacBookを購入する、という望みを果たすことは出来ませんでした。
 昨秋10月1日、消費税率を現行の5%から8%に引き上げる旨、安倍首相が発表しました。当時は賛成よりも、反対や不平不満の声が高かったと記憶する。最近は世の流れが価格改定に追われているせいか、さすがに大きな声で反対表明をする輩は影を潜めた様子。
 しかし、その日は否応なくやって来る。あと数日だ。逃げることは出来ない。この国が立ち直るために増税止むなしというのであれば……。
 買うのを忘れた雑誌が1冊あったのを思い出した。来週月曜日がラスト・チャンス。忘れるな、俺。◆

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第1577日目 〈エステル記(ギリシア語)第7章&第8章1/3:〈ハマン、失脚する〉with天使が去った世界〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第7章と第8章1/3です。

 エス・ギ7:1−8:2〈ハマン、失脚する〉
 2日目。
 王妃の憂い顔に変わるところはなかった。王の心配を承けてエステルは遂に告白した。曰く、⎯⎯
 もし王のお心に適うならば、滅びることを定められているわが民族をお救いください。わが民族は売り渡され、滅ぼされ、略奪され、奴隷にされ、女子供は皆召し使いや卑女となるのです。わたしはそれを耳にしました。わが民族を中傷する者がこの王宮にいます。これが果たして許されるのでしょうか。
 それは誰か、と王が問うた。
 エステルは、その者の名はハマン、そこにいる者です、と答えた。
 自分の企てが王妃にバレていたのを知り、ハマンは震えおののいた。そうして王が庭へ出たとき、彼女にすがり付いて命乞いをした。ちょうど長椅子にエステルを横たわらせ、自分が王妃を押し倒すような格好となり。
 その場を目撃して思い違いをした王。かれはハマンに激怒した。この上わが妃を辱めようというのか。
 ちょうどそこへやって来た宦官ブガタンは、ハマンがモルデカイを吊るすつもりで立てた高さ50アンマの木があるのを報告した。王は問答無用でそれにハマンを吊るして絞首刑にした。
 その日、ハマンのすべての財産がエステル王妃に贈られた。
 また、モルデカイが王妃と同じ民族の出であるのがわかると、かれは王の前に召されて重用されるようになった。偽りの勅書へ押された王の指輪は取り戻され、王自らの手でモルデカイへ渡された。エステルは自分のものとなったハマンの財産の管理をモルデカイに委ねた。

 <勧善懲悪>。それ以外のなにを思い浮かべることができましょうか。悪事は寸前のところで暴かれた。さらに我が身、わが命を守らんとして執り成しを乞うも、姿勢が災いしてあらぬ誤解を招き、挙げ句に即処刑の目に遭ったハマンの姿に、昔日の、王に次ぐ地位を与えられてわが余の春を謳歌していたかれの姿はどこにも見られない。哀れなり、ハマン。
 「ヘブライ語によるエステル記」は最後まで旧約聖書に組み込まれるか否か、議論されたようである旨、数日前の記事で書きました。同じところで、しかし民衆の間では人気を博していたようである、とも。それは多分ヘブライ語であってもギリシア語であっても大差なかろう。となれば、「エステル記」を読む一般のユダヤ人は、ハマンの計略が暴かれる本章になると拍手喝采を叫んだのかもしれないなぁ、と想像を巧ましうするのですが、さほど的外れではないような気がするのですよね。



 ここ2、3日のブログ原稿の質がいささか低調気味であったり、或いは分量が減少していることを痛感しているさんさんかです。
 自覚はできているのです。なんとかしなくてはなぁ、と思ってもいるのです。しかし、なんともし難いのです。
 わたくしの心はいま、糸の切れた凧のように、誰かの手を離れた風船のように、茫漠とした、星明かりなき暗い空を漂っています。どこまで彷徨うのか。ケ・セラ・セラである。いつまで彷徨うのか。おそらく明後日ぐらいまで。
 感傷と空虚がわたくしを蝕む。
 SKE48から向田茉夏が卒業して2日。天使が消えた世界に背を向けて、そこから未練なく去るには、どうしたらいい?◆

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第1576日目 〈エステル記(ギリシア語)第5章&第6章:〈エステル、王とハマンを招待する〉&〈モルデカイ、王から栄誉を受ける〉〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第5章と第6章です。

 エス・ギ5:3−14〈エステル、王とハマンを招待する〉
 腕のなかで目覚めたエステルへ王が訊いた。なにを憂うのか、なにを望むのか、と。今日はわたしにとって特別な日です、とエステルは答えた。今日、王様のために酒宴を催したく思います。どうぞハマン殿と一緒にお出でください。アルタクセルクセス王はそうした。
 夜、酒宴の席で、王が再びエステルに問うた。なにを憂うのか、なにを望むのか。
 わたしの願い、わたしの望みは、明日も同様に酒宴を催し、お2人をおもてなしさせていただきたい、ということです。そうエステルはいった。
 この王妃の言葉に、ハマンは殊の外喜んだ。なんというても、王のための酒宴に臣下の者で招かれたのは、かれだけだったからである。ハマンは帰宅するや、さっそくこのことを妻ゾサラに吹聴した。ただ王宮でユダヤ人モルデカイを見掛けることだけが不愉快なのだ、と愚痴りつつ。
 そのとき、ゾサラが、ならば高さ50アンマの木を切り出して、そこへモルデカイを吊り下げさせればよいではありませんか、と提案した。これを気に入ったハマンは、家の者に木の準備をさせた。

 エス・ギ6:1−14〈モルデカイ、王から栄誉を受ける〉
 その夜、主の働きかけがあり、王は眠りを奪われた。その折、王は宮廷日誌を持ってこさせた。するとそこには宦官2人による王暗殺計画がユダヤ人モルデカイによって阻止された旨、記されていた。
 王は侍従たちに、このときモルデカイにどのような栄誉ないし恩典が与えられたのか、と訊ねた。なにも与えられていません、と侍従たち。
 そこで王はハマンを呼んで、栄誉を与えようと思う者がいるが、どのようにしてやればよいだろうか、と訊いた。それを自分のことと思い込んだハマンが曰く、⎯⎯
 まず王がお召しになる衣服をその者へ着させましょう。そうして馬に乗らせて都の広場へ導きます。そこでかれを讃えて、王の御意に適う者は斯様な栄誉を賜ることができるのだ、と宣誓するのです。
⎯⎯と。
 王はそれを気に入り、さっそくユダヤ人モルデカイに対してその通り実行して王の栄誉を与えよ、とハマンに命じた。取り敢えずいまは屈辱を胸にしまって王の命令を実行したハマン。
 うなだれて帰宅した夫を妻が叱咤する、もし本当にモルデカイがユダヤ人なら、あなたはかれの前で卑しめられ、失脚するのみで、仕返しをする機会はやって来ませんよ、と。なぜならかれには生ける神が共にいるからです。
 そこへ宦官たちが来て、ハマンを王妃の酒宴に招いた。

 エステルから酒宴の招きを受けたハマンは、おそらく無上の喜びを感じたことであろう。自分が唯一無二、他に比肩するものなき存在と錯覚するには十分な、なににも代え難き喜び……「歌おう、感電する程の喜びを!」というところでしょうか。
 その喜び/栄誉に影を落とすモルデカイを首吊りにしちゃえ、というノリは、なんとなくああハマンらしいな、と思いますね。読書体験を通してハマンという人物に付き合ってきて、そんな風に思うのであります。
 ところで。宮廷日誌に記されたモルデカイの功績(エス・ギ6:1−2)はエス・ギA12−16なのか、同2:21−23なのか。「王宮の警備をしていた宦官2人」とあるから前者かな、と推察されますが、今一つ断定できません。
 第5章、第6章は物語が大きく転換するところです。急転直下の結末へ読者は導かれます。
 本日は特に付記することもありませんので、じっくり物語を(できるならば直接新共同訳聖書・旧約聖書続編付きにあたって)楽しんでください。



 今日のエッセイはお休みです。◆

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第1575日目 〈エステル記(ギリシア語)第D章:〈エステル、王の前に出る〉withKis-My-Ft2のファン・ブログへ出張しました。〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第D章です。

 エス・ギD:1−16〈エステル、王の前に出る〉
 3日目。断食と祈りを終えたエステルは晴れ着に着替えると、女官2人を伴い王の坐す玉座へ向かった。「頬を紅に染めた彼女は、たとえようもなく美しく、その顔には愛らしい笑みをたたえていたが、心は恐怖のためにおびえていた。」(エス・ギD:5)
 エステルは王の前に立った。王は殊の外厳めしい様子である。自分に向けられる眼差しにエステルは恐怖を覚えた。足許をよろめかせて、傍らの女官へもたれかかってしまった程だ。
 ⎯⎯その時である。神の計らいが王の心を動かしたのは。⎯⎯
 王はエステルに駆け寄り、彼女を抱いて、いった。予の命令は臣下と国民に向けたものだ、お前を咎めて殺めることなどあり得ようか? そうして王は金の笏を彼女の首に当て、抱擁した。どうしたのか、いってみなさい。
エステルは王の腕のなかで、「あなたの栄光に恐れを抱き、わたしは心を取り乱しました。主よ、あなたは驚くべきお方です。御顔は恵みに満ちています」(エス・ギD:13ー14)といって、そのまま気を失ってしまった。

 神がペルシアの王に働きかけて気持ちを変えたのは、これが2度目のことになります。いずれも、そのとき神の意志が働かなかったらどうなっていたのだろう、という大事な局面での行為でした。捕囚解放はなかったかもしれない。そうしたらエルサレムの第二神殿が再建されることはなかった。エステルの命は失われていたかもしれない。それはハマンの策略が実行に移される可能性の高いことを意味しただろう。
 ちなみに「ヘブライ語によるエステル記」では働きかけなしに王はエステルの話に耳を傾けています。結構ご満悦の様子でね。



 みくらさんさんか、初めて他人のブログへ出張してしまいました。しかもジャニーズ・アイドルのブログに!! 管理人の方とお話が大いに盛り上がり、過日放送のTVドラマの一シーンを全力で再現したことが、出張のきっかけでした。
 出張先はKis-My-Ft2(キスマイフットツー)のファン・ブログで、相応に知られたブログであるらしい。話し相手の管理人さんは横尾渉の大ファンで、冒頭の、さんさんかが一シーンを再現してみせたドラマも、横尾氏がゲスト出演したときの回でした。
 却って門外漢の者が乱入したことで読者の混乱を招いていなければいいが……。不安が頭をもたげますが、これを契機に本ブログの読者が増えたらいいな、と邪なことも夢想している。「みくらさんさんか」で検索、主催する本ブログへ見物に来てそのまま固定読者になる方が1人でもいれば、すごく嬉しい。◆

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第1574日目 〈エステル記(ギリシア語)第C章:〈モルデカイの祈り〉&〈エステルの祈り〉wtih伊勢佐木モールの喫茶店/カフェ・シーンの衰退を嘆く〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第C章です。

 エス・ギC:1−11〈モルデカイの祈り〉
 エステルにいわれたように、モルデカイは帝都に住むすべてのユダヤ人を集めた。そうしてこれまでの主の御業の数々を思い起こして、イスラエルの神に祈った。曰く、⎯⎯
 イスラエルの救いがあなたの御旨なら、いったい誰がそれに立ち向かえましょうか。あなたはすべてを見、すべてを知る方。
 わたしがハマンにひれ伏さなかったのは如何なる理由からでもなく、ただ神の栄光の上に人の栄光を置かないためです。決して慢心などからはありません、わたしが何人にも跪かず、ひれ伏さずにいるのは。
 「主なる神よ、王よ、アブラハムの神よ、/今こそ、あなたの民を顧みてください。/人々は我々を滅ぼそうと付けねらい、/初めからのあなたの遺産であった民を/消し去ろうとしているからです。/御自分のためにエジプトの地から贖われた/あなたのものである民を軽んじないでください。」(エス・ギC:8ー9)
 どうかわれらを顧み、われらの悲しみを喜びに代えてください。あなたが顧みることでわれらが生き永らえ、あなたの御名を永久に讃え続けることができますように。
⎯⎯と。
 すべてのユダヤ人は自分たちの死を目前にして、あらん限りの声で主に叫び、主を求めた。

 エス・ギC:12−30〈エステルの祈り〉
 王妃エステルは華美な衣を脱いで卑しい装いに着替え、髪をぐしゃぐしゃにして灰と芥で頭を覆って、イスラエルの神へ祈った。曰く、⎯⎯
 嗚呼、主よ。あなたの他に救い手を持たないわたしを助けてください。あなたの他に頼るもののないただ一人でいるわたしを助けてください。
 あなたは罪を犯したイスラエルを罰し、敵の手に渡され、各地へ散らされました。いま敵はそれだけでは飽き足らず、偶像へ手を置いて誓ったのです、あなたの遺産であるわれら民族を滅ぼそう、と。そうしてあなたではなく肉なる人間の王を永遠に崇めさせるのです。
 「主よ、あなたの王笏を無に等しいものに渡さず、/敵に我らの滅びをあざけらせないでください。/むしろ敵の計略を敵自らにふりかからせ、/率先して我らに刃向かう者を/見せしめにしてください。」(エス・ギC:22)
 わたしに勇気を与えてください。獅子の前で雄弁な言葉を語らせ、われらへ戦いを挑む者を憎ませて仲間共々葬り去らせる勇気を、どうか。
 ⎯⎯主よ、わたしはあなたの前に敬虔です。⎯⎯
 「アブラハムの神なる主よ、/わたしの運命が変わった日から今に至るまで/あなたのはしためには、あなたのほかに/喜びとするものはありません。/すべての人に力を及ぼされる神よ、/希望を失った者の声に耳を傾け、/我らを悪人の手から救い/わたしを恐れから解き放ってください。」(エス・ギC29ー30)
⎯⎯と。

 「ヘブライ語によるエステル記」の特徴の一つは、本文に神の存在/記述が一切なかった点にありました。それはペルシア帝国で始まり全世界のユダヤ人社会へ広がっていったプリム祭の起源を、さももっともらしく語るのが趣旨であり、自ずとそれが語られていることが特徴であったからです。
 このあたりが⎯⎯神の不在⎯⎯旧約聖書のギリシア語翻訳(70人訳)の過程で不思議に思われ、疑問視されたところではなかったでしょうか。実は「エステル記」は最後まで旧約聖書に組み込むべきか否かで議論になったそうであります。理由は上述した神の不在/記述のなき点にありました。しかし、逆に民衆の間では「エステル記」はその物語性ゆえに絶大な人気を博していたようであります。民意を汲んだ結果といえるかどうか、いずれにせよ「エステル記」が旧約聖書を構成する書物の一つとなっていることは、今日のわれらも知るところであります。
 「ギリシア語によるエステル記」では本章を筆頭にイスラエルの神に言及する箇所が幾つも増補されています。第A章で提示され、最後の第F章で読み解かれるモルデカイの見た夢も然り。先日も書きましたが、一個の物語として「エステル記」を読む場合、ヘブライ語よりもギリシア語の方が広がりと奥行きがあり、馥郁たる文学の香りを感じられることであります。



 伊勢佐木モールからスターバックスが退却して間もなく3ヶ月になろうとしています。原稿執筆を専らとする喫茶店/カフェの探訪は一段落し、概ねだいたい店舗には馴染んだのですが、時にはスタバ退却がもたらした弊害に苦しめられることがある。
 苦しい、といっても、空席ジプシーしたり騒々しかったりするときに、ああモールのスタバっていうもう一つの選択肢が健在だったらなぁ、と落ち込むことがある、というぐらいのことですが。上島珈琲店とエクセルシオールぐらいでは、スタバ退却の痛手は治癒されないのである。ぜったい、ムリ。
 つくづく思いますね、本当に横浜ってカフェ不毛地帯なのだな、と。ここでいうカフェ或いは喫茶店が、そこそこ長時間いても特に嫌な顔をされず、常連を大切にし、静かな空間と美味いコーヒーを提供してくれる場所のことだ。伊勢佐木モールもずっと奥まで行けば満足できる喫茶店が2、3軒あるけれど、原稿を書くための時間を割ける程に居心地は良くない。
 そう考えると、わたくし的にはスターバックスの撤退も残念だけれど、それ以上に南蛮屋カフェ(茶館ではなく)の閉店は打撃であった。あすこ程わが希望を体現してくれた喫茶店はなかったのに……。やはりあのとき居抜きで買い取り、カフェでサブチーフをしていた彼女を店長に据えて、自分で喫茶店のオーナーになれば良かったかなぁ。
 そんなやり直せぬ過去すら玩んでしまうぐらい、伊勢佐木モールの喫茶店/カフェの衰退ぶりを嘆く土曜日の宵刻でありました。◆

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第1573日目 〈エステル記(ギリシア語)第4章:〈モルデカイ、エステルを説得する〉with永野護『ファイブスター物語』連載再開に寄せた、一年後の心情告白。〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第4章です。

 エス・ギ4:1−17〈モルデカイ、エステルを説得する〉
 モルデカイは公示された勅書を読んで、嘆いた。衣服を裂いて粗布を纏い、頭から灰をかぶって、かれは嗟嘆した。罪なき民族が抹殺されてしまうのだ!
 ⎯⎯モルデカイは王宮の門まで来て、エステルが遣わした彼女の世話係にして宦官のアクラタイに勅書の写しを渡した。どうか王にこのことを伝え、われら民族のために寛大な処置を取ってくれるよう頼んでほしい。どうか主に祈り求め、われら民族を定められた滅びから救ってほしい。
 これを伝え聞いてエステルは難色を示した。国中の誰もが知っていることですが、いかなる者であろうと王の召しがない限り会うことはできません。殺されてしまいます。もっとも、召しがない者であっても王が金の笏を差し伸べてくれたなら、死を免れることができます。しかしわたしはもう30日も王から召されていないのです……。
 モルデカイはアクラタイを通して、再度エステルの説得にかかった。「他のすべてのユダヤ人を差し置いて、国内で自分だけが無事でいようなどと考えてはならない。あなたがこのような時にあたって、耳を貸さないなら、ユダヤ人の助けと守りは他の所から来るであろう。そして、あなたとあなたの父の家は滅ぼされるだろう。あなたが王妃になったのは、この時のためではなかったのか。」(エス・ギ4:13-14)
 これを伝え聞いてエステルは遂に折れた。彼女はアクラタイを通してモルデカイに言伝た。では、スサに住むすべてのユダヤ人を集め、わたしのために3日3晩断食してください。わたしも女官たちとともに断食します。そのあとでわたしは死を覚悟で法を破って王の前に参ります。
 モルデカイは帝都に住むユダヤ人全員を集め、3日3晩、エステルのため断食を敢行した。

 王妃選定のため後宮へ入る際、モルデカイはエステルに、くれぐれも自分の出自を明かさぬよう言い含めていました(エス・ギ2:10)。しかし本章にてかれは、エステルがユダヤ人であり、今回の勅書にて根絶やしの対象になっている民族の出である、と彼女の世話係にいってしまっています。エステルも断食にあたって、自分も女官たちとそれを行うつもりである旨いうております。このときはもう、エステルがユダヤ人であることは、少なくとも彼女の周囲では周知の事実であったのでしょうか。第7章でエステルが出自を告白したときの王とハマンの態度から推察するに、広く知られた事実ではなかったようであります。彼女が信頼して周りのことを任せられる幾人かだけが、その事実を知っていたのかもしれません。
 ところで。エステルって本当に王妃なのでしょうか。30日も放ったらかされているなんて、ねえ……。それだけ多くの側室が後宮にはいたのか。あるいは王の精力・性欲の都合? そういえば、アルタクセルクセス王の妃って、ヘロドトスの著作に拠れば、アメストリスという女性がいる。綴りからアメストリス(Amestris)とエステル(Esther)は同一人物なのではないか、と考える説もある由。王の「アルタ」も接頭語だといいますからねぇ。同一人物というのも頭ごなしに否定できるものではありません。
 それにしても、エステルの台詞を読んだとき、勿体ないなぁ、と王に対して憤慨する一方で、どういうわけかファーストレディ、ラキシスの名台詞を思い出して吹き出しました(一応アマテラスってデルタベルンの<大統領>ですからね)。「まったくもう、いつになったらわたしのことをキズモノにしてくださるのでしょうか、この人は!」と宣うたのだ、このファンキーな姫君は!! 正確な文言や前後の状況については原典に当たられることを祈る(永野護『ファイブスター物語』リブート第6巻P431 角川書店)。……ラキシス姫とエステル妃よ、君らに幸あれ!



 昨年春からほぼ9年振りに連載再開した『ファイブスター物語』。デザイン一新、名称変更の大混乱とシュプレヒコールは一段落した様子ですが、それはむしろ作者の姿勢に匙を投げた人々の流出が一段落した、ということでもありましょうか。わたくしの周囲にもファン活動を停止した人が何人かいます。活動を停止したサークル主催者もいます。
 個人的には名称変更は許容できるけれど、デザインの大幅な変更にはもはや付いてゆくことができません。重装甲になったとしても元のMHのラインまでが変わるわけではない。サイレンは常にサイレンであり、シュペルターはどこまで行ってもシュペルターなのだ。が、連載再開以後にコマのなかで見るMH、もといGTMの骸骨ボディから最強兵器としての脅威を感じられることは終ぞなく、況や兵器としての格好良さをや。
 エピソードの途中で長期連載中断、再開と同時にファンから総スカンを喰らった作品として歴史に名を留めるであろう『ファイブスター物語』。連載していない間も原作コミックが売れ続け、作品を支持する一定数の固定ファンがあるならば、作品の根幹を揺るがす変更を行うことも許される、というクリエイター側には反面教師、読者側には明確な裏切り行為・切り捨て行為に等しい事態を引き起こした本作は、間違いなく<伝説>の領域へ足を踏み入れて追随するものなき唯一無二の作品として語り継がれてゆくことでしょう。

 上掲のエッセイは一般向けの話題ではないかもしれません。そういう意味では読者を選ぶ内容になってしまい、作品を知らない方には申し訳なく思うております。
 が、この作品は連載開始の頃からさんさんかが読んできて、深く影響を与えられたものでもありますため、連載再開時の衝撃は上に書いた程冷静ではありませんでした。
 昨年から機を見て書き、お披露目するつもりでおりましたので、今回このように文章にすることができたのは素直に嬉しい。◆

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第1572日目 〈エステル記(ギリシア語)第B章&第3章2/2:〈勅書〉with湘南新宿ラインの車両の窓って、……〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第B章と第3章2/2です。

 エス・ギB:1-3:15〈勅書〉
 アルタクセルクセス王の承認を得たハマンは、すべての州のどの地方でも公示するよう厳命した勅書を作成した。帝都スサでもユダヤ人撲滅は勅命として交付されていた。それには王の指輪が印章として押してあったので、ハマンの策略に気附いた者はモルデカイ一人を除いて誰もいなかったのである。人々とは<その日>の訪れに備えた。その頃王とハマンは上機嫌で酒を酌み交わし、互いに酔うていた、という。
 件の勅書の内容は以下の通りである。即ち、⎯⎯
 予は他民族より成るペルシアの恒久的平和を願い、これを維持し、より良き社会とするにはどうしたらよいか、と国の第2の父ハマンに尋ねた。かれが答えていうには、国内には他の民族に敵意を抱く一つの民族がある、この民族は自分たちの法律を尊び、国家の秩序を乱している、と。
 「予は、唯一この民族が常に万民に逆らい、その法律に従って奇異な生活を送り、我々の生活になじまず、最大の悪事を働き、そのため国家が安定していないことを認めざるを得ない。」(エス・ギB:5)
 ゆえに予はハマンを通してこの民族を剣にかけ、容赦なく滅ぼすことを全州の民へ命ずる。<その日>は本年アダルの月の14日である。この民族に敵する者は何人もこれに備えていよ。
⎯⎯と。
 これが、ハマンが王の名の下に帝国全土へ交付した勅書の内容である。

 こちら「ギリシア語によるエステル記」では<或る一つの民族>とぼかした物言いがされていますが、旧約聖書で読んだ「ヘブライ語によるエステル記」でははっきりと、それはユダヤ人である、と明記されています。なぜぼかした物言いが勅書に於いてされているのか、わかりませんが、「エステル記」がギリシア語に翻訳・その過程での増補の際、アルタクセルクセス王の勅書の写しが見附かったなど資料の発見があったのかもしれませんが、真相は相も変わらず藪の中であります……。
 アルタクセルクセス王がユダヤ人に対して斯様な感情を持ってのか否か、定かではない。とはいえ、ここで紹介される勅書はむしろ、ハマンが私怨を晴らすため王の名と指輪の効力を借りて起草した弾劾文である、と考えるのがやはり妥当でありましょう。「虎の威を借る狐」とはまさしくハマンのことであります。ユダヤ人を憎むハマンが王の信任を良いことに自身の私怨を晴らす正当な理由をでっち上げるため、斯様な勅書を作成して帝国領内へ公布したのであります。きっとこれを読んだユダヤ人は周囲の目が豹変したことに慄然たる思いをし、かれらを取り巻く他民族の人々はユダヤ人への態度を改めたことでありましょう。誤った情報に基づく隣人迫害は<その日>が来るまで隠然と存在し、続けられるのです。これは<村八分>や<人種差別>という言葉では括れることではありません。なんというても本書の場合、やがて<ジェノサイド>が確実に訪れるはずなのですから。
 ところで第B章って第3章をぶった切って、なかば無理矢理挿入された参考資料だったんですね。或る意味、こちらの方に唖然とさせられます。



 湘南新宿ラインに乗って田舎へお墓参りに行く途中です。実は本稿、大崎を出た直後の車両のなかで、なんとiPhone/evernoteで書いております。
 というのも、エッセイのネタが目の前に転がっているのを発見、様子見も兼ねてevernoteで下書きをしてみたかったからであります。
 本題ですが、どうして湘南新宿ラインの車両の窓ってこんなに土埃で汚れているんですかね? 見渡したところ、自分の立っているそばのドアの窓だけじゃなくて、車両のすべての窓が同じように、等しく土埃まみれになっているんですよ。まあ、若干の濃淡はあるとは雖も、ね。
 確か三浦しをんが横浜線の車両の窓について同じことを書いていたように覚えているけれど、湘南新宿ラインも負けず劣らず、窓、汚れていますよ。なんというか、平原に突如現れた砂嵐へ真っ向から突入して、嬲られながらも辛うじてくぐり抜けてきた、っていう感じ。そう思うと、なんだかトランペット隊を整列させて凱旋のファンファーレでも手向けたくなってきます。
 関係ないけど、6月に神社検定というのがあるのですね。渋谷駅に電車が入る直前に、受験者募集の標識を見た。どんな内容なんだろ。◆

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第1571日目 〈エステル記(ギリシア語)第3章1/2:〈ハマン、ユダヤ人迫害を計画する〉〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第3章1/2です。

 エス3:1−13〈ハマン、ユダヤ人迫害を計画する〉
 エステル入内後のことだ。アルタクセルクセス王はマケドニア出身のブガイ人ハメダタの子ハマンを取り立てて、自分に次ぐ地位を与えた。即ち、ハマンは廷臣のうちで最高の地位に就いたのである。王宮に出仕する者は皆ハマンを敬い、かれの前ではひれ伏した。これは王の命じるところであった。
 しかし、王の命令に従わない者がいた。モルデカイである。ハマンはこのことに大いに憤慨した。そうして、モルデカイの出自を知ると帝国領内に住むすべてのユダヤ人の虐殺を心に決めたのである。そのあとでハマンは王のところへ行き、<或る一つの民族>を滅ぼすことを進言し、それについての全権を託された。驚くなかれ、ハマンの画策したユダヤ人虐殺計画はその盲目的な信頼ゆえにいとも簡単に王の承認を得てしまったのである。
 さっそく帝国の版図全127州に急使が立てられ、それぞれの言語で書かれた勅書が各地の総督や長官たちへ配られた。計画実行の日はくじによって、その年の第12の月、つまりアダルの月の或る1日(実際は第14日)と定められた。

 ハマンがユダヤ人虐殺を決める重要な章ですが、一連の描写は「ヘブライ語によるエステル記」の方がわかりやすく、かつもう少し詳しく書かれている。実は本章のノートの一部は旧約聖書に収められる「エステル記」に拠った部分があります。ギリシア語とヘブライ語双方の「エステル記」の併読を頼むと共に、ノートの是非について審判願えれば幸いです。
 ヘブライ語のときにも書いたかもしれませんが、ここでも少々。戦禍や隷属という形でユダヤ人が虐げられることは、これまでにもうんざりする程あった(大袈裟か?)。しかし、<ジェノサイド>⎯⎯民族根絶やしが斯くも明らかに構想され、実施直前まで進んだことはなかった。実行こそされなかったけれど、これは文献に現れた最初のユダヤ人虐殺計画であるように思うのですが、如何なものなのでしょうか。この延長線上にあるのが、ナチス・ドイツによる<ホロコースト>であることについて、言を待つ必要はないでしょう。
 「ギリシア語によるエステル記」を読み終えたら、『アンネの日記』やV.E.フランクル『夜と霧』など読み直してみたい意欲に駆られた第3章1/2でありました。



 iMacがやって来て1ヶ月になります。これまで使用してみたところの感想を書こうかな、と先日来考えており、3連休の前日である今日この今宵に勇躍筆を執るつもりでいたのですが、如何せん眠気に負けそうな頭でまともな文章など作れるはずもなく、従って本日はエッセイお休みをいただきたく読者諸兄へ休暇申請を提出する次第であります。
 ただ、これだけ書いておこう。備忘という名の日記である。メモ? うん、そうかもね。
 昨夜雨降るなかを瀬谷駅まで出掛け、知己の人と会って来たのだが、立ち話の最中、ずっと憧れて3度まで告白した人が階段を上って来てわれらの脇を通過した。思わず顔を背けたのは自分のなかでけじめを付けたかったからで、なんら他意はない。強いていうならば、燃えかすのようになっていた気持ちが再燃するのだけはなんとしてでも阻止しなくてはならなかったから。
 わたくしは一生を自由の身分で過ごすのだ。こんな風来坊に誰かを好きになる資格など、断じてない。
 iMacの感想や所感の類は後日改めて書こうと思います。
 ……エッセイではないけれど、いつもの調子で書いてしまいました。でもやっぱり意識が朦朧としてきた。なんだかいろいろ幻が見えてきたよ。えへ。◆

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第1570日目 〈エステル記(ギリシア語)第2章:〈エステル、王妃に選ばれる〉with驕ることなく、感謝を忘れず。〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第2章です。

 エス・ギ2:1−23〈エステル、王妃に選ばれる〉
 怒りは収まった。が、酒宴への召し出しを拒んだときのワシュティの言葉、それにより彼女から王妃の位を剥奪して退位させたこと。それらをアルタクセルクセス王はいつまでも忘れることがなかった。
 侍従たちは空位となった后の位へ然るべき女性を就けんとして、国中から美しく汚れのない者を集めて、後宮を監督する宦官ガイへ委ねて化粧品や必要な物を与えさせましょう、と提案した。彼女たちのなかに王のお気に召す者がいたら、その者を王妃として迎えればよいでしょう。これは王の意に適う提案であった。そうして帝国の版図全127州へその旨が伝達された。
 さて。帝都スサに住むモルデカイにはエステルという名の、美しい姿をした養女がいた。彼女はモルデカイの伯父アミナダブの娘であるが、モルデカイはゆくゆくはエステルを自分の妻として迎えるつもりであった。が、そこへ<お妃候補募集>が公告され、エステルは後宮へ入ることになったのである。
 宦官ガイに好ましく思われたエステルは他の女性よりも篤く遇された。7人の女官が付き添いの者として与えられ、化粧品や食事を特別に支給されたりした、という具合に。
 1年が経ち、集められた女性たちはいよいよ王の許へ召されてゆく。重ねて呼ばれる者もあり、二度と呼ばれぬ者もあった。そのなかにあってエステルはやはり誰よりも優っていた。王の寵愛を被る光栄に預かった彼女は、やがてペルシア帝国の王妃エステルとして知られるようになった。7日間に渡る酒宴が催され、国民には恩赦が与えられた。時はアルタクセルクセス王の御代第7年、第12の月であった。
 モルデカイ登用を快く思わぬ宦官2人が王暗殺を企てたのは、エステル入内後の出来事である。モルデカイは暗殺計画のあることを事前に摑んだので、エステルを通じてこれを王に上奏した。結果、宦官2人は捕らえられて尋問され、処刑されたのである。王はモルデカイの功績を、かれへの讃辞附きで書き留めさせた。

 「エステルは自分の属する民族も祖国も明かさなかった。モルデカイがそれを言ってはならないと命じていたからである。モルデカイはエステルの安否を気遣い、毎日後宮の庭の辺りを歩いていた。」(エス・ギ2:10ー11)
 「エステルは自分の祖国を明かすことはなかった。モルデカイは、一緒に暮らしていたときと同様に神を畏れ敬い、その掟をおろそかにしてはならないと彼女に命じていた。それでエステルは生き方を変えることはなかった。」(エス・ギ2:20)

 美しき女性たちを集める、というのは強制力ある命令だったのだろうか。妻に、と望んでいたエステルをモルデカイが手放した理由はなんだったのだろう。そう考え始めると、強制招集というのがいちばん自然であるように思えてしまうのだ。それならば、エステルを心配して後宮の前をうろつくモルデカイの姿にも納得できてしまうのですね。自分たちの出自、即ちユダヤ人であることを明らかにしてはならない、といってはみたもののそれが果たして守られているのか不安になってはいたとしても、です。
 それにしても自分の妻にしようと望んで育て続けてきた、美しく成長した女性が王の寵愛を受けて王妃になるのって、いったいどんな気分なのだろうな……。



 スタッフが支えてくれているから管理者を務めていられるのだ。驕ることなく皆に感謝して毎日働こう。◆

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第1569日目 〈エステル記(ギリシア語)第1章:〈アルタクセルクセス王の酒宴〉&〈王妃ワシュティの退位〉withホレイショ・ケインの言葉(その2)〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第1章です。

 エス・ギ1:1−9〈アルタクセルクセス王の酒宴〉
 これは、宦官ガバタとタラによる王暗殺計画が露呈したあとの話である。当時、アルタクセルクセス王の統治するペルシア帝国は遥かエチオピアからインドまで全127州に及び、その帝都はスサに在った。
 王の御代第3年のことだ。王は友人や各国要人、ペルシアとメディアの地方総督の頭たちを招き、180日間に渡る酒宴を催した。それが終わると舞台を王宮の庭に移して、8日間に渡る酒宴を、今度はスサにいる異国人のために催したのだった。招かれた人々は王の意向もあって自由に振る舞い、宴の時を過ごした。
 それは誠、ペルシア帝国の偉容を誇り、華麗で輝かしい財力を示す酒宴であった。

 エス・ギ1:10−22〈王妃ワシュティの退位〉
 舞台を庭へ移しての酒宴が7日目にさしかかったときだった。アルタクセルクセス王はこの場へ王妃ワシュティを召そうと考えた。というのも彼女が殊に美しい人であったからである。王に侍るハマン以下7人の宦官が王妃へ召し出しの命令を伝えた。が、王妃ワシュティはこれを拒んだのだった。折りも折り、王妃も女性たちのための酒宴を主催していたからである。
 それを聞いて不機嫌になった王の傍らにいたペルシアとメディアの長官3人が、すかさず次のようなことを進言した。曰く、⎯⎯
 王妃の態度は王様と王様に仕えるすべての人々への侮辱です。これによってペルシアとメディアの女たちは皆夫を蔑むようになるでしょう。そこでワシュティ様からは王妃の位を剥奪して、その位はもっと優れた女性に与えるようにするのが良いでしょう。そうすればペルシアとメディアの女たちは皆夫を敬うようになることでしょう。
⎯⎯と。
 これは王たちの気に入るところとなり、帝国の版図全127州に、それぞれの民族の言語でその旨知らせる勅書が出されたのであった。

 女子会を主催してこれを楽しんでいる最中、夫の顕示欲を満たすためだけに呼び出される。しかも周囲の目を釘付けにしてしまうぐらいにオシャレして来い、なんていわれたら、余程のM女性でない限り(いや、そうであっても、だな)憤慨してその召し出しを断固拒否するのは当然至極であります。
 美しい妻を持ったら周りへ自慢したくなるものだけれど、ゆめ妻は奴隷でもファッションでもない。王は断られて当たり前と思いますが、当時の社会通念としては、夫たる王の指示に従わなかったなら王妃の位を剥奪して退位させることの方が当たり前だったのでしょうね。頭ではわかっているが割り切れないし、釈然としないし、やりきれない。拒んだのはプライドの問題なのか、或いは夫婦関係の冷え込みなのか、残された資料が語ることは意外と少ない。
 王がワシュティを召すに用いた7人の宦官はハマン、バザン、タラ、ボルゼ、ザトルタ、アバタザ、タラバであった(タラはエス・ギE12-14のタラとは別人か)。王に進言したペルシアとメディアの3人の長官はアルケサイとサルサタイ、マレセアルである。では、本章第16節に出る「ムカイ」とは誰? われらに馴染みある呼称でいえば、官房長官や首席報道官みたいなものなのか? 「ヘブライ語によるエステル記」にムカイの名はなく、この役を務めるのは大臣の1人、メムカンであった。
 ついでにいえば、旧約聖書「エステル記」でワシュティを呼びに行く宦官はメフマン、ビゼタ、ハルbナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスである。ハマンはいない。また、ワシュティの件で王が意見を求めたのはペルシアとメディアの7人の大臣、即ちカルシェナ、シェタル、アドマタ、タルシシュ、メシス、マルセナ、メムカンであった。
 そもそもハマンは宦官であったのか、という疑問が浮かびます。かれには妻ゾサラ(エス・ギ5:10他)がいて、10人の息子たち(エス・ギ9:10)がいるのですけれどね? 妻帯はともかくとしても、去勢されているのに10人の息子を設けられるものなのでしょうか。神秘であります。それとも去勢されて宦官になったのは、10人目の息子が生まれたあとなのか? 或いは宦官という言葉の意味するところが中近東と東洋とでは異なるのであろうか……まさか!? もしかしてマケドニア出身のブガイ人ハメダタの子ハマンと宦官ハマンは別人?



 余白を埋めるような、短文を書き留めておく必要があるな、と思っている。気が利いていて深みのある、箴言のような短文。
 今日はホレイショ・ケインの言葉をご紹介する。
 「信頼関係がなければ人は付いてこない。欺けば見限られる」;『CSI:MI』S2 #3/#27「罪と罰」より。
 組織内で上長とされる人なら誰しも心に留めておくべき台詞といえましょう。◆

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第1568日目 〈エステル記(ギリシア語)第A章:〈モルデカイの夢〉with今年度の本ブログを回顧して来年度の展望の助けとする。〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第A章です。

 エスA:1−17〈モルデカイの夢〉
 アケメネス朝ペルシアの王アルタクセルクセスの御代第2年、かつてバビロニア帝国により旧南王国の王ヨヤキンと共に捕囚となったユダヤ人で、いまは帝都スサに住むベニヤミン族の者モルデカイは、こんな夢を見た。即ち、⎯⎯
 「見よ、叫びと騒ぎ、雷と地震、そして混乱が地上に起こった。見よ、二頭の大きな竜が現れて互いに戦いを挑み、大きな叫び声をあげた。その声を聞いてすべての国民は戦いの準備をし、義の民に戦いを挑んだ。
 見よ、闇と暗黒の日、苦しみと憂い、虐げと大いなる混乱が地上に起こった。すべての義の民はうろたえ、ふりかかる災いを恐れ、滅ぼされることを覚悟して、神に助けを叫び求めた。その叫びは、小さい泉が、やがて水を豊かにたたえる大河となるように、大きくなった。
 すると光が現れ、太陽が昇り、卑しめられている人は高められて、高貴な者を食い尽くした。」(エス・ギA:4−10)
 モルデカイはこの夢を胸に留めた。この夢のなかに神の意図が込められている、と知ったからである。
 その日の夜。かれは王宮の警備に当たっていた。王に仕える2人の宦官ガバタとタラが、一緒に警備に当たっていた。モルデカイはその折2人の密談、即ちアルタクセルクセス王の暗殺計画を小耳に挟み、王に上奏した。2人の宦官は取り調べられて、暗殺計画を企てていたことを自白した。ガバラとタラは死刑となった。
 これによってモルデカイは王宮への出仕を許された。しかし、ハマンという貴族はこのことを快く思わず、モルデカイとユダヤ人の虐待を心に誓った。

 モルデカイの見た夢は「ダニエル書」のなかにあってもさしたる違和感を感じません。それ程に黙示的な内容です。これをそのまま敷衍してゆけば「エステル記」の本質を語るに等しいわけですが、そんな風に考えると、「ダニエル書」と「エステル記」は来るべき歴史への不安を背景とする書物である、といえるのかもしれません。
 そういえばモルデカイ(とエステル)とダニエルはほぼ同時代人でもあるのですよね。ダニエルはヨヤキン王の一代前、ヨヤキム王と一緒にバビロン捕囚となったのでした(王下23:36ー24:7、代下36:5ー8、ダニ1:1ー6)。



 2013年度もあと2週間ちょっとで終わります。休んだりすることはあったが、いろいろ書いてきました。よくもまぁ、これだけ日々のエッセイ(と呼ぶのも躊躇われるものもありますが)を量産してきたなぁ、と我ながら感心し、また、よくもこれだけ書くネタを見附けてきたなぁ、と呆れてしまいます。
 が、これだけ書いてきても様々な理由と事情により、書くには書いたけれど今ひとつ踏ん切りがつかないで公開を断念したものや、情熱とタイミングを逸して書かずに済ませてしまったものもある。
 いちばん慚愧の念に耐えないのは、なんというても昨年9月に予定していた<特集・9.11>であります。下準備はそれなりに進めていたのですが、いざ書こうとするとどうしても筆が進まなかった。あのテロ事件についてなにかを語る資格が自分にあるのか。なんだか自分の意志の在処を試されているような気がしてならない。でもどこかで区切りをつけなくてはならない、ならばたとえ不完全であっても一個の文章を仕立て上げるより他ないのだ。公開を迷ったり破棄を検討するのは、或いは今年こそ<特集・9.11>を集中公開するか否かは、そのあとに考えるべきこと。
 書こうとしていて結局書きそびれているものでもう一つ、心に引っ掛かっているのは<読んでいるブログの紹介>です。これを読んでいます、とブログのタイトルと管理人名、URLを列記するのは簡単だけれど、それは同時にひどく無責任で、なによりも道義に反していますよね。では各管理人の方々に紹介許可を求めるメールを打てばいいのだろうが、そこは腰の重いさんさんかの面目躍如というところですね。いつもいつもうっかり忘れてそれっきりです。もっとも、本ブログに於いて紹介記事など書いたところでどれだけ先方へのアクセスが増えるのか、なんの貢献も出来ないなら却って失礼ではないか、と考え過ぎてしまったり、ね……。
 他にも幾つか書きそびれたまま来年度を迎えることはもはや必至ですが、ならば来年度はいま抱えているエッセイの案を出し切って文章にすることを、まずは目標にしたいと思います。⎯⎯出来るかなぁ……?◆

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第1567日目 〈「エステル記(ギリシア語」前夜)withiMacのディスプレイを拭き拭きしました。〉 [エステル記(ギリシア語)]

 「ギリシア語によるエステル記」は、既に旧約聖書で読んだ「ヘブライ語によるエステル記」と大きく変わるところはありません。
 モルデカイの出自と(「エステル記」のプロットというて差し支えない)かれの見た夢について語られ、またモルデカイと王妃エステルの祈りやアルタクセルクセス王の勅書の内容、モルデカイの夢解き、といった部分が追加されている程度で、特に本筋へ影響を及ぼすものではない。しかしそれらが補われたことにより、「エステル記」の物語世界がヘブライ語のそれに較べて奥行きを増したことも否めぬところであります。個人的にはヘブライ語で書かれた「エステル記」よりもこちら、旧約聖書続編にある「ギリシア語によるエステル記」の方が好きですね。
 モルデカイとエステルの活躍によって、ハマンの画策したユダヤ人虐殺計画が如何に挫かれたかを語る「エステル記」は、ペルシア帝国の社会体制が割と寛容なものであったことを示唆する材料が提供された書物でもあります。先に名を挙げた3人はいずれもペルシア人から見れば外国人であり、宗教を異にし、帝国内ではそれぞれ主要な地位に在りました。たとえ古代/紀元前であろうと、列強国が外国人を重用して主要ポストに就かせることが至極当然であったとは思えません。殊に西の覇者マケドニアの出身であるハマンが王に次ぐNo,2の地位に在ったなど。それらを踏まえて思うのは、「エステル記」はペルシア帝国の寛容さを伝えるテキストでもあるのだな、ということ。
 当該章に於いて改めて触れることもありましょうが、いまここでハマンという人物について「ギリシア語によるエステル記」がどのように語っているか、王の勅書から引用しておくのはあながち無意味ではないでしょう。エス・ギE:10-14に曰く、⎯⎯
 「ハメダタの子ハマンはマケドニア人であり、実際はペルシア人の血を引かない異国人で、予の情けを受けるには全く値しない者であったが、優遇され、万民に対する予の友情の恩恵に浴し、その結果、『我らの父』と呼ばれ、王位に次ぐ地位にある者として万民によってあがめられるほどであった。
 ところが、彼はその高慢な心を抑えきれず、予の覇権と命までも奪い取ろうとたくらみ、予の救い手であり、常に変わらぬ功労者であるモルデカイと、非のうちどころのない王国の伴侶エステルを、彼らの民族もろとも狡猾な策略を用いて滅ぼし去ろうとしたのである。
 ハマンはこのように我々を孤立させ、ペルシアの王権をマケドニア人の手に移そうとしたのである。」
⎯⎯と。
 ヘブライ語かギリシア語の別を問わず、「エステル記」をハマン側から捉えて読み解してゆくと、まさしく<栄華と失墜>の物語となる。もし機会があれば、ハマン流転の一代記を物語にしてみたいものであります。
 それでは明日から1日1章ずつ、「エステル記(ギリシア語)」を読んでゆきましょう。



 購入から約1ヶ月が経とうとしているiMacのディスプレイ下部に汚れを発見。なんというか油が垂れたような、そんな見た目の汚れであった。昨夜、少々酔っぱらいながら帰宅してブログを予約更新したとき、確かにちょっと咳きこんだことはあった。そのときに唾等が飛んでディスプレイ下部に付着したのだろうか。よく見ると、その上方にも細かい同様の汚れが散見され。
 さて、どうしたものか。iPhoneを購入したときくっ付いてきた4センチ四方のクリーニングシートがそばにあったので、試しにそれで拭き拭きしてみたのだが状況はさして好転した様子はなく、気のせいか、却ってわずかながら汚れが左右に広まったように見えてならない。さて、どうしたものか。OAクリーナーの類を買いに行くには時間がない。今夜は夕食作りの当番だしな……スーパーで買い物する序に隣のドラッグストアを覗いて、なにか良さそうなものがないか見てこよう、と出掛けたのが午後4時過ぎのこと。
 そういえば『MacFan』4月号に、ディスプレイ掃除には精製水を使うと良い、なんて記事があったな。精製水ってコンタクトレンズの洗浄とかに用いるアレだよな。というわけで、コンタクトレンズ用品のコーナーで精製水はすぐに見附けられた。問題はクリーニングシートである。ぞうきんは却って傷が付くし、iMac購入時に付属してきた純正クリーニングシートはなんとなく使えない気がする。となると、超極細繊維を採用したタオルの類しかない。うむうむ唸りながらようやく発見したのは、超極細繊維を使った<激落ちふきん>。お値段498円なり。ちなみに精製水は98円でした。
 帰宅してさっそく試してみた結果……気持ち良いぐらい綺麗になりましたよ。むろん例の汚れも表面に付着していた塵も拭き取れて、思わずなんだか歌っちゃいたい気分です! そうしていま、頗る快適な気分でこの原稿を書いています。
 「答えは家電量販店にはない、近所のドラッグストアにこそある」⎯⎯所詮OA用として売り出されているクリーニング用品のうち、ドラッグストア取扱い商品で代用できないものは(まず)ない、と江湖に訴えて、本稿の筆を置くことといたします。◆

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