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第2072日目 〈使徒言行録第28章:〈マルタ島で〉、〈ローマ到着〉&〈パウロ、ローマで宣教する〉with「使徒言行録」読了の挨拶。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第28章です。

 使28:1-10〈マルタ島で〉
 わたしたちはシチリアの南、マルタ島に漂着したのであった。島民はわたしたちのために火を焚き、大変もてなしてくれた。
 パウロが一束の枯れ枝を集めてきて、それを火にくべた。すると火の熱で炙り出された蝮がパウロの腕に噛みついた。それを見た島民はパウロを指して、かれは人殺しに違いない、海では助かっても正義の女神はかれを生かしておくつもりはないのだ、と囁き交わした。
 が、パウロは蝮を火中に振り落とし、特に毒が廻って死に至るようなこともなかったのである。それを見た島民はパウロを指して今度は、かれは神様に違いない、と囁き交わすのだった。
 マルタ島のその場所近くには島の長官プブリウスの所領地があった。プブリウスもまたパウロたちをあたたかく歓迎してもてなした。パウロは熱病と下痢で床に臥せっているプブリウスの父のことを知るとそこに行き、祈り、手を置いて癒やした。これがきっかけで島中の病人がパウロの許を訪れ、その癒やしの恩恵に与った。
 わたしたちが島を出るときが来ると、島の人々は皆見送りに来てくれて、なおかつ残りの航海とその後も必要となるであろう品々を届けてくれたのである。

 使28:11-16〈ローマ到着〉
 わたしたちはマルタ島でそのあと3ヶ月を過ごし、冬を越した。そうして、ディオスクロイを船首飾りとするアレクサンドリア船籍の船に乗り、シチリア島のシラクサに寄港してイタリア本土レギオンを経て、南からの追い風を帆に受けてプテオリの港に到着した。
 ──カイサリアから始まった海の旅はこの地で終わり、ここからは陸路で帝都ローマへ行く。
 そのローマからはわたしたちのことを伝え聞いた兄弟たちが、アピイフォルムとトレス・タベルネまで迎えに来てくれた。わたしたちは非常に喜び、神に感謝した。そうしてわたしたちは遂にローマへ来た。
 「わたしたちはローマに入ったとき、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された。」(使28:16)

 使28:17-31〈パウロ、ローマで宣教する〉
 ローマ到着の3日後。パウロは都のおもだったユダヤ人を招いて、話をした。囚人としてエルサレムでローマ人に引き渡されたこと。民にも先祖の慣習にも背いたことがないこと。取り調べの結果、ローマ人は自分に刑に値することをなに一つ見附けられなかったこと。にもかかわらず同胞が求刑を訴えたこと。それがために皇帝への上訴を決めたこと。その目的が同胞の告発ではないこと。だからこそ、あなた方を招いてお会いし、話し合いたいと思うたのです。いまわたしは、イスラエルの希望のために鎖につながれています。
 これを聞いた都のおもだったユダヤ人たちが、パウロにいった。あなたについてエルサレムからはなにも聞かされていません。ここにいる誰一人としてあなたのことを悪く報告したり話したりする者もいません。だから、とかれらはいった。「あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。この分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです。」(使28:22)
 ──パウロはユダヤ人のために家を開放し、日を決めてそこで朝から夜までナザレ人の分派、ユダヤ教イエス派について説明を続けた。神の国について力強く証しして、イエスについて律法や預言者の書を引用して説得したのである。
 ユダヤ人のうち、或る者はパウロの言葉を信じ、或る者は疑った。意見が一致しないまま立ち去ろうとするかれらに、パウロは預言者イザヤの言葉を引用した。そのあとで、「だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」(使28:28)
 このことについてユダヤ人たちは大いに論じ合いながら帰って行った。
 「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教えた。」(使28:30-31)

 確実に福音の種は蒔かれた。あとは人々の心のなかにそれが芽吹き、育ち、伝えられてゆくのを待つだけだ。まさにイエスが語った「種を蒔く人の喩え」の実現である(マタ13:8,23、マコ4:8,20、ルカ8:8,15)。良い土地に落ちた種は立派な善い心で御言葉を聞き、それをよく守り、忍耐して実を結ぶ人たちなのだ。パウロは異邦人にその期待と希望を託した……。
 これまで読んできた聖書の各書物で幕切れの言葉が印象に残ったものは、殆どない。「歴代誌・下」とこの「使徒言行録」はその類稀なる例外である。どちらにも力強い希望が満ちており、未来への視界が開けていた。旧約聖書の歴史書のしんがりに置かれる「歴代誌・下」と新約聖書の歴史書のしんがりに置かれる「使徒行伝」のラストが、斯様なまでに似た印象を残すのは、果たしてわたくしの贔屓目か、それともただの偶然か。
 パウロが乗ったアレクサンドリア船籍の船のフィギュア・ヘッドはディオスクロイだったという。ディオスクロイはギリシア神話に登場するカストールとポリュデウケスの双子神で、母はレダ、父は一説ではゼウスとされる。そうしてかれら──ディオスクロイは船乗りの守護神であった。船上や嵐の海上に現れて苦境の人々を救うといわれ、また、「セント・エルモの火」(1980年代の映画『セント・エルモス・ファイヤー』のタイトルの由来であり、スティーヴン・キングの小説『ペット・セマタリー』後半のモティーフにもなった)はこの双子神に由来するそうだ。
 パウロがローマの兄弟に出迎えられた町、アピイフォルムはプテオリとローマのほぼ中間に、トレス・タベルネはややローマ寄りの町である。

 本日の旧約聖書は使28:26-27とイザ6:9-10。



 だいぶ息が切れた状態で本日「使徒言行録」読了であります。
 予定通りの更新が行えず、不規則な形での日々の更新となってしまったけれど、まずはゴールまで辿り着いたことに安堵しておる。暑さと怠さを理由に1日お休みする予定がどんどん伸びてゆき、このままフェードアウトしてしまうかなぁ、とわれながら心配もしたけれど、よくぞ読者諸兄よ、皆々様、辛抱強く忍耐強くこれまでお読みくだすった。心から感謝しております。やはり読者あっての読み物ですよねぇ……。
 さて、次に読むのがパウロ書簡の始め、「ローマの信徒への手紙」であるのは動かぬ事実なのですが、向こう1ヶ月程は既に予告しておりますように、毎週特定曜日にエッセイをお披露目することとし、その間はパウロ書簡の最高峰へ挑む英気を養おうと思います。体力作りと読書を進めておく、ということですね。
 それでは次の更新日にお会いしましょう。◆

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第2071日目 〈使徒言行録第27章:〈パウロ、ローマに向かって船出する〉、〈難破する〉他withその言葉は人生の杖。ホレイショ師の言葉も然り。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第27章です。

 使27:1-12〈パウロ、ローマに向かって船出する〉
 ローマ行が決まると、パウロは他の囚人たちと一緒に身柄を皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスへ引き渡された。わたしたちが乗るのは、アジア州アドラミティオン港に船籍を持つ船で、それにはテサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコも乗船した。かれはエフェソのアルテミス神殿の騒動の際、地元のユダヤ人に捕まってしまったパウロの同行者の1人である。
 船はカイサリアを発った翌日、シドンへ寄り、出港してからは地中海を一路西へと進んだ。が、向かい風を受けた影響で、船はキプロス島の陰を進まなくてはならなかった。左手にキプロス島を見、右手に小アジアのキリキア州とパンフィリア州の陸地を見、やがてリキア州のミラに着いた。
 ミラの港でイタリアへ行くアレクサンドリア船籍の船に乗り換えたわたしたちだったが、船足はなかなか捗らなかった。どうにかクニドス港には接近したものの、風に行く手を阻まれたので、クレタ島の方へ針路が取られた。船は島東端のサルモネ岬を廻って南の沖を行き、やっとのことでラサヤの町に近い<良い港>へ到着したのだった。
 「かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった。」(使27:9)パウロはこの航海では船ばかりか自分たちも危うい目に遭うだろう、と主張した。
 が、百人隊長ユリウスはパウロの言葉でなく、船長や船主の言葉を信用した。かれらは今後の進路について相談し、可能ならば地中海航路の要であるクレタ島のフェニクス港まで行き、そこで越冬することに決めた。フェニクス港は島の西方に位置し、南西から北西にかけて海を臨む。

 使27:13-38〈暴風に襲われる〉
 ──南からの風が静かに吹いてきた。人々は望み通りに事が進みそうだ、と喜んで、錨を上げて<良い港>を出港した。が、間もなく島から吹き下ろしてくる<エウラキロン>という暴風に巻きこまれて舵を失い、最早この風に任せて海上をあてどなく進むより他なくなったのだった。
 やがてカウダという島の陰に入った。暴風に翻弄されているうちに本船から離れてしまった小舟があったので、引き寄せて本船に引き上げ、固定した。また、シルティスの浅瀬に乗り上げて座礁するのを避けたかったので、海錨を降ろして風任せ波任せの航海の日々が始まった。この間、船上の人々は暴風に悩まされたので、積み荷を捨て、船具までも捨てていた。
 「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせてしまった。」(使27:20)
 人々はこの間、食事を摂っていない。そこでパウロはいった。わたしの助言に従ってクレタ島から出港さえしなければ、こんな目には遭わなかったことでありましょう。続けて、──
 「しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」(使27:22-26)
 海をあてどなく彷徨い続けて14日目。わたしたちはアドリア海を漂流しているのに気が付いた。真夜中頃、船員たちは船が陸地へ近附きつつあるのを感じた。試しに水深を測ってみると、最初は20オルギィア(約30メートル)、次は15オルギィア(約27.75メートル)ある。このままだと暗礁に乗り上げるだろう。船員たちはそれを恐れて船尾から錨を4つ、投げこんで、夜明けになるのを待ちわびた。
 夜闇のなか、不安に駆られた何人かが小舟を降ろして逃げ出そうとした。が、パウロはそれを見咎めて、かれらを船から出さないよう百人隊長に頼んだ。かれらが船に残らなければ、あなた方は助からない。ユリウスはそうした。
 そのあと、パウロは一同に食事するよう奨めた。いまここで食べておかないと生き延びることはできません。そうしてパウロはパンを手にして神に感謝の祈りをささげると、パンを裂いて人々に渡した。そのとき船には276人が乗っていたが、皆パンを食べて元気になった。

 使27:39-44〈難破する〉
 太陽が昇った。近附きつつある陸地がいったいどこなのかわからないけれど、とにかくかれらは上陸の準備を始めた。
 「そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。」(使27:40-41)
 ──百人隊長の命令で、泳げる者は自力で陸地に、そうでない者は板きれに摑まったり泳げる者の助けを借りて、どうにか全員が沈みゆく船から脱出、無事に陸地へ上がったのである。

 乗組員の動きを捉えた使27:29や船の難破する様を描く使27:40-41,そうして航路を説明した件りを読んでいると、「使徒言行録」が伝ルカの如く文才に恵まれた人物の手で書かれたことに感謝したくなる。海洋小説、冒険小説が好きな身には、もうこたえられない面白さなのである。聖書を読んでいてこんなにワクワクしたのは久しぶりだなぁ。『インディ・ジョーンズ』シリーズで主人公たちが飛行機や船で移動する際、(あの音楽が流れるなか)映像に重なって地図が出、針路が赤い線で示されるけれど、本章を読んでいてその真似を脳内でしたのは、わたくしだけではないはずだ(と信じる)。
 なお、新共同訳の読みづらさは夙に指摘されていることで、わたくし自身は今日までさほどのものとは思わなかったけれど(非信者であるゆえか)、残念ながら本章ではそれを実感してしまった。もう少しこなれた日本語にはならなかったのかな。原文がどうなっているか知らないけれど、或る程度の離反はやむないこともあるんじゃあないのか、と思うのである。
 エウラキロンはギリシア語で「北東の風」を意味する。パウロが乗った船はクレタ島南岸沿いの海を進んでいるとき、この暴風に遭遇して航路の変更を余儀なくされた。まぁ別の言い方をすれば、エウラキロンに遭いさえしなければ難破することもなかったのだろうな、ということでもある。
 クレタ島にはイーダという、標高約2,300メートルの高山がある。ここから吹き下ろしてくる暴風を、エウラキロンという。なんでも台風並みに勢いのある風だそうで、となればわれら日本人にはその凄まじさなど想像できるね。六甲おろしや赤城おろしなど眼中にないぐらいの風力なのだろうなぁ。
 また、船員が座礁を恐れたシルティスの浅瀬だけれど、これはリビア沖の砂州のことだ。これに乗り上げて座礁することは難破、そうして<死>を意味したというから、これは相当の難所である。皆が懸命に座礁を回避しようと作業したのも道理だ。
 オルギィアは深さを測るギリシアの単位で、1オルギィアは約1.85メートル。
 ……気の早い報告だが、右往左往しつつなんとか読み進めてきた「使徒言行録」は明日で読了する。



 大好きな職場の上司に励まされ、慰められた。うれしい。正直、舞いあがっている。
 その言葉と存在を杖に、無知蒙昧な暇人の囁き交わす中傷、嘲笑に負けず、明日もがんばろうと思ったりする。ゆえにわたくしは自制しなくてはならない。
 ホレイショ・ケインの言葉;世界の果てまで追いつめて、かならず後悔させてやる。◆

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第2070日目 〈使徒言行録第26章:〈パウロ、アグリッパ王の前で弁明する〉、〈パウロ、自分の回心を語る〉他with青空文庫に耽る──神林しおり嬢に感謝。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第26章です。

 使26:1-11〈パウロ、アグリッパ王の前で弁明する〉
 ヘロデ・アグリッパ2世がパウロに話すよう促した。パウロはユダヤ人の慣習も論争点も皆承知している王の前で弁明できる幸いに感謝する旨述べた上で話し始めた、──
 わたしはかつてわれらの宗教のうち、いちばん厳格なファリサイ派に属しておりました。若い頃の生活も含めて当時のわたしがどんな人物であったか、同胞なら誰しもが知り覚えていましょう。また、証明することも可能でありましょう。
 「今、私がここに立って裁判を受けているのは、神が私たちの先祖にお与えになった約束の実現に、望みをかけているからです。私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕え、その約束の実現されることを望んでいます。王よ、私はこの希望を抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです。神が死者を復活させてくださるということを、あなたがたはなぜ信じ難いとお考えになるのでしょうか。」(使26:6-8)
 わたしはかつてナザレの人イエスの名によって語られる教え、またそれを宣べ伝える人と信じる人に反対し、エルサレムで実行に移し、祭司長たちから権限を得て多くの聖なる人々を捕らえ、牢に入れ、時には死刑に手を貸すこともありました。また、各地の会堂に押し入っては信者にイエスの名を冒瀆するよう強要し、しかもそれをユダヤに留まらず外国でも行ったのです。そのときのわたしは、信者や使徒、イエスの名によって語られる教えに対して、激しく怒り狂っておりました……

 使26:12-18〈パウロ、自分の回心を語る〉
 或るとき、わたしはダマスコへ向かいました。イエスの教えを信奉する者は誰であれ捕らえて、エルサレムに連行するためです。このことについては大祭司からダマスコの諸会堂に宛てて書かれた手紙のなかに、その権限をわたしパウロに与える旨記されていたのです。
 途中、ダマスコ近郊へ達したときのことです。わたしは光に包まれ、そのなかで声を聞きました。声の主はイエスでした。主イエスはわたしにいいました、──
 「起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。」(使26:16-18)
──と。

 使26:19-23〈パウロの宣教の内容〉
 わたしはこうして天から示されたことに背かず、自分の役割を粛々とこなしてゆきました。ダマスコの人々は勿論、エルサレム、否、ユダヤの人々に向かって、そうして異邦の人々へ向けて、悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めに相応しい行いをするように、と説き、また、それがためにユダヤ人たちは神殿の境内で祈るわたしを捕らえ、あまつさえ殺そうとしたのです。
 「私は神からの助けを今日までいただいて、固く立ち、小さな者にも大きな者にも証しをしてきましたが、預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。」(使26:22-23)

 使26:24-32〈パウロ、アグリッパ王に信仰を勧める〉
 パウロの弁明を一通り聞き終えた総督フェリクスが叫んだ。パウロよ、お前は気が狂っている、博学がお前を狂わせているのだ、と。
 が、パウロは意に介さなかった。わたしは真実で、理に適ったことを話しているだけです。それからアグリッパ王に向き直り、こういった。これは世界の片隅の出来事ではありませんから、陛下もご存知でいらっしゃいましょう。陛下は預言者を信じられますか、勿論信じておられましょう。
 お前はこの短い時間でわたしを回心させ、キリスト者にしようというつもりなのか、とアグリッパ王が訊いた。
 否。パウロは答えた。時間が短かろうと長かろうとわたしの願いは、この場にいるすべての方々がわたしのようになってくださることを神に祈ることであります。パウロはそこで言葉を切り、ちょっと考えてから再び口を開いた。もっとも、こんな風に鎖につながれているのは不本意ですが。
 ──アグリッパ王が席を立ったのを機に、妹ベルニケや総督フェストゥス、陪審の者全員が謁見室から退場した。相談の結果、やはりパウロは死刑や投獄に値するような罪は犯していないという結論に達した。
 「アグリッパ王はフェストゥスに、「あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに」と言った。」(使26:32)

 わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てる。かれらを恐れるな、わたしが共にいてあなたをかならず救い出す。わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける。わたしはあなたに諸国民、諸王国に対する権威を委ねる。
 ──エレミヤ召命時の主なる神の言葉である。引用した使26:16-18、イエスの言葉を読んだとき、偶々「エレミヤ書」を読んでいたせいだろうが、双方が重なり合って奇妙なシンクロにティを発揮したことに驚いた。これが単なる錯誤に等しい話なのか、それとも探れば必然に辿り着く話なのか。もうちょっと時間をかけて考えてみようと思う。
 さて、フィル・ディック『ヴァリス』の読者が総督フェリクスの言葉に接して如何なる反応を示すか。すくなくともそれによって、サンリオSF文庫/創元SF文庫の大瀧啓裕の翻訳に親しんだか、或いはハヤカワ文庫SFの山形浩生による新訳で初めて『ヴァリス』に接したか、容易にわかることであろう。どういうことか、──
 「使徒行傳でパウロに対して言われる言葉を借りて、ぐちをこぼすのをお許し願いたい。もちろんディックに対する敬意の念をこめてのことだ。ディックよ、おまえは狂っている。博学がおまえを狂わせている。」(P440 サンリオSF文庫 1982)
 大瀧啓裕が解説本文の最後に記した一節だ。文中にもあるが、これの典拠が使26:24総督フェリクスの発言なのだった。



 『バーナード嬢曰く』にまさかの第2巻が出ていたとは……! コミック売り場から足が遠のき、『ダ・ヴィンチ』の新刊リストでもコミック部門はスルーという態度が、裏目に出てしまった。
 この、脅威の読書家あるあるマンガでも町田さわ子のキャラクターは全開だ。が、それにも増して第1巻よりも愛すべきキャラクターに仕上がっているのが、図書館の友人にして愛すべきSFマニア、神林しおり嬢である。
 その神林嬢が風呂場の読書に選んだのは、密封ビニールに入れたスマホであった。彼女はちかごろ青空文庫で著作権フリーの作家のSF的作品を読むことが多くなっている様子だが、作品で描かれているのは海野十三「電気風呂の怪死事件」というのは、あまりにもずっこけるチョイスなのだが、たしかにこの場で読むにいちばん相応しい小説であるのも事実だ。
 以前からパソコンで青空文庫のサイトを訪れてはいても、どうにも読みにくいという印象が拭えず、そこで公開されている数々の作品をダウンロードして保存、折りに付け読むなんてことはしないで過ごしてきた。が、いまはどうだろう、神林嬢に刺激されたわけではないが、サイトから読みたい作品を当たり前のように(=以前から使っていましたけれど、なにか?的な顔で)ダウンロードして保存して、ちょっとした空き時間に読む時間が目立ってきた。海野十三、近松秋江、田山花袋、北条民雄、橘外男、W.B.イエィツ(芥川龍之介・訳!)、エマ・ゴールドマン……。
 iPhone6sPlusでも購入したら、青空文庫を使っての読書頻度は跳ねあがること請け合い。読みにくい、と感じていた理由はおそらく、青空文庫を読むに適した画面のサイズではなかったからだろう。というのも、この前友人のiPadminiを借りて、或いはアンドロイド携帯を借りてこれを読んだら、負担なく先へ先へと読み進むことができたから。
 スマホの機種変更をしたり、タブレット端末を購入した後、たぶんわたくしの読書は電子書籍にも依存することになるであろう。紙の本を読む比率はさほど変わらぬと思うけれど、青空文庫を始めとするサイトから、有償無償の別なくダウンロードして読む時間が多く訪れることは、まぁ間違いあるまい。
 神林しおり嬢に感謝、である。◆

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第2069日目 〈使徒言行録第25章:〈パウロ、皇帝に上訴する〉&〈パウロ、アグリッパ王の前に引き出される〉withどうやらショスタコーヴィチにハマったらしい。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第25章です。

 使25:1-12〈パウロ、皇帝に上訴する〉
 総督として着任した3日後、フェストゥスはカイサリアを発ってエルサレムへ行った。多くのユダヤ人がパウロをエルサレムへ戻すよう講義したが、その真相は護送途中でパウロを暗殺するためである。が、フェストゥスはそれを拒み、パウロを訴えたければわたしと一緒にカイサリアへ来い、といった。
 フェストゥスは1週間以上をエルサレムで過ごした後、カイサリアへ戻り、翌日、共に来たったユダヤ人たちの前にパウロを引き立てた。が、ユダヤ人たちが申し立てる<重い罪状>の数々を立証することはできなかった。パウロ自身、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」(使25:8)と、はっきり弁明したのである。
 パウロに向かってフェストゥスが、エルサレムでユダヤ人たちによる裁判を受けるつもりがあるか、と訊ねた。パウロの答えは、否。わたしはいま、皇帝の法廷に出頭しているのです。ならばここで裁判を受けるのが当たり前です。パウロはそういった。続けて、──
 「もし悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。」(使25:11)
 フェストゥスは陪審と協議し、パウロをその申し出通り皇帝への上訴を認め、ローマに出頭するよう命じた。

 使25:13-27〈パウロ、アグリッパ王の前に引き出される〉
 数日後。パレスティナを治めるヘロデ・アグリッパ2世とその妹ベルニケがカイサリアへ来た。義理の兄弟である総督フェストゥスを表敬訪問するためである。
 かれらの滞在中、フェストゥスは前任者の置き土産であるパウロのことを話した。話題がユダヤ人とパウロの裁判に及んで、フェストゥスは、ユダヤ人が「パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。」(使25:19)そうしてパウロが皇帝への上訴を求め、自分はそれを認めたことも話した。
 アグリッパ王とベルニケは非常に興味をそそられた。かれらのパウロの話を聞きたい、というの望みは翌日、総督邸の謁見室にて実現した。総督フェストゥス、王と妹、そうして千人隊長たちや町の有力者たちが居並んだ。そこにパウロが連れて来られた。
 総督フェストゥスの前口上、──
 ご列席の皆さん、ここにユダヤ人パウロを召喚します。この者は同胞から生かしておくのは危険だ、として訴えられていますが、わたしが調べてみたところ、かれは死罪に相当するようなことをなにもしてないことがわかりました。また、この者は皇帝陛下への上訴を求めたので、わたしは陪審と協議した上それを許可しました。
 「しかし、この者について確実なことは、何も陛下に書き送ることができません。」(使25:26)そこでご列席の皆さんには、就中アグリッパ王にはよく取り調べていただきたいのです。なんとなれば、「囚人を護送するのに、その罪状を示さないのは理に合わない」(使25:27)からであります。

 ローマ皇帝への上訴、これは市民権の1つとして認められた内容である。パウロは状況打開の為のみならず、自分のしていることが正しいことであるのを公にし、それが認められることでキリストの教え、それを信仰するキリスト者が異端でもなんでもないことを証明するための行動に、打って出たのだ。もっとも、この時点ではまだ<賭け>でしかないのだが……。
 アグリッパ王ことへロデ・アグリッパ2世は1世紀後半、ユダヤ・パレスティナ地方を治めたヘロデ王朝の1人で、生没年は27-100年とされる。かれはヘロデ朝最後の王。ローマのクラウディウス帝の宮廷で育った。長じてからは28年にエルサレム神殿の監督職に就き、フィリポ、リュサニアスの総督を歴任した。ローマ軍有事の折は自軍を派兵、協力を惜しまなかった、という。
 曾祖父は預言されていたメシアに準えられて生まれたイエスを恐れて、ベツレヘム一帯の幼な子の虐殺を命じ、またエルサレム神殿を再建した“建築王”ヘロデ大王。祖父はガリラヤ、デカポリス、ペレアの領主で洗礼者ヨハネを斬首させたヘロデ・アンティパスであった。父はヘロデ・アグリッパ1世。ベルニケとドルシラという姉妹がおり、ドルシラは前総督フェリクスの妻である。
 妹ベルニケは兄王に帯同していることが多かったせいで、近親相姦を噂されたが、どうやらこれは事実だった様子である。叔父のヘロデ・カルキス(カルキスのヘロデ)、キリキア王ポレモンと結婚離婚し、後にはローマ6代目皇帝ヴェスパシアヌス、その息子で第7代皇帝ティトゥスの側女となったが、ヴェスパシアヌスについては定かでない。
 ティトゥスは66-70年の第一次ユダヤ戦争でローマ軍を率いて、エルサレムを陥落させた。実績はともあれ戦勝軍の将となったティトゥスのために、ヴェスパシアヌスは「ティトゥスの門」をローマ市内に造り、息子の凱旋に備えた。が、その凱旋行進の折、ティトゥスが唯一無二の妃候補としてユダヤから連れ帰り、共に門をくぐったのが、このベルニケだったのである。けっきょく父帝の諫めによりティトゥスはベルニケを妃とすることを諦め、前述の通り側女とすることで落ち着いたようであるが……。モンタネッリ『ローマの歴史』にはその折のエピソードが、短いながら生彩に描かれている(P383-4 藤沢道郎・訳 中公文庫)。
 なお、本章は59年頃の出来事とされる。



 砂を噛むように味気ない日々、反吐が出そうな人間関係。日常からの逸脱を夢見るも実行には二の足を踏む。
 そうしたなかで唯一というてもよい魂の洗濯は、クラシカ・ジャパンで放送中のゲルギエフ=マリインスキー管によるショスタコーヴィチ交響曲・協奏曲全集の視聴ぐらいである。映像による全集はこれが初めてと思うが、それまで一部の曲にしか関心を持てずにいたショスタコーヴィチのシンフォニーとコンチェルトを作品番号順に鑑賞してゆくと、ふとした拍子に自分の意識がショスタコーヴィチの音楽や人生に共鳴しているのを感じることである。こんなこと、果たして同じ20世紀の交響曲作家、たとえばマーラーやシベリウスで経験したこと、あっただろうか……。
 大概は1時間にも満たない放送時間だけれど、心ふさぐ日に鑑賞すると気附けば同じ作品、或いは過去に録画した作品も含めて何時間も聴き耽っているのだ。もっとも、その間に消費されてゆくビールや日本酒の量も、相対して増量傾向を示すのだが。
 ショスタコーヴィチの音楽がなぜに鬱屈とした自分のなかに染みこんでくるのだろうか。ソ連という国家に翻弄されたショスタコーヴィチは、本音をひた隠して、或いは相当にねじ曲げて、一滴の毒薬の如きを作品中に練りこんで、複雑怪奇な時代を生き抜いた。それは保身というよりも、一種の挑発であり挑戦であり、信条告白であっただろう。けっして自分を見失うことなく……。
 そんな作曲家に、わたくしは共鳴している。様々な誤解と誹謗と嘲笑と悪意に悩まされ、信頼できる人らを頼みとして、或いは本ブログの執筆にいちばんの慰めを得て心を繕い直していることが、作曲家の境遇と似通っているとは断じていえない。けれども、作曲家の創作姿勢、国家とのお付き合いの仕方については学ぶこと多々である。ショスタコーヴィチ作品に接したことの収穫かもしれない。
 かつてわたくしは、ショスタコーヴィチは音の公害です、と曰うたものだけれど、申し訳なかった。もうそんなこと、思うていないし、斯く述べることもない。聖書に手を置いて、宣誓しよう。……なにやらこれって、かつて苦手としたモーツァルトの音楽が突然好きになったときの感覚に似ているなぁ。ん、パウロの回心もこんな風だったのか!?◆

2-3:10

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第2068日目 〈使徒言行録第24章:〈パウロ、フェリクスの前で訴えられる〉、〈パウロ、フェリクスの前で弁明する〉他with大分生まれの歴史小説家、葉室麟の作品を知ったこと。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第24章です。

 使24:1-9〈パウロ、フェリクスの前で訴えられる〉
 パウロがカイサリアへ到着して5日後。エルサレムから大祭司アナニアと弁護士テルティロ他がやって来た。かれらの訴えを承けて総督フェリクスはパウロを召喚した。皆の前に立ったパウロを、テルティロが告発する、──
 総督閣下、この男は疫病のような男です。世界中のユダヤ人の間に<ナザレ人の分派>の教えを宣べて、あちこちで騒動を巻き起こしているのです。此奴はエルサレムの神殿をも汚したのです。閣下、これらのことについてはお調べいただければ、すぐに明るみに出ることばかりであります。
 その場に居合わせたユダヤ人は1人の例外なく、この告発に同調してテルティロの発言を支持したのだった。

 使24:10-23〈パウロ、フェリクスの前で弁明する〉
 テルティロの告発が済むと、フェリクスはパウロに話すよう促した。パウロは人々の前に立って、斯く答弁した、──
 わたしがエルサレムへ上ってこちらへ連行されてくるまでの12日間、果たして誰が、わたしが他の人と論争したり、群衆を扇動したところを見たというのでしょうか。否、であります。
 わたしは人々が<分派>と呼ぶ道の教えに従い、かつ律法や預言者の書に書かれたことを信じております。「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。」(使24:15)
 「私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。」(使24:16)
 エルサレムの神殿でわたしは、数人のユダヤ人と一緒に清めの儀式にあずかり、供え物をささげていました。もしわたしが訴えられるならば、告発者は一緒に清めの儀式にあずかったかれらユダヤ人でなくてはなりません。或いはここに雁首揃えて集まっているユダヤ人たちが、最高法院に出頭しているわたしの不正を見附けて告発すべきでありましょう。違いますか?
 わたしはただ、かれらのなかに立って、死者の復活のことで裁判にかけられている、と叫んだだけなのです。
──と。
 実は総督フェリクスは、パウロの説く<ナザレの人の分派>の道について詳しく知っていた。そこでかれはエルサレムから千人隊長リシアを証人喚問することを宣言し、それまでの間は百人隊長に命じてパウロを監禁した。「ただし、自由をある程度与え、友人たちが彼の世話をするのを妨げさせないようにさせた。」(使24:23)

 使24:24-27〈パウロ、カイサリアで監禁される〉
 数日後、フェリクスは妻ドルシラを伴ってパウロの許へ足を運んだ。キリスト・イエス(ママ)の信仰について話を聞くためである。が、パウロの語る正義や節制、来たるべき裁きのことなど聞くと恐ろしくてならなくなり、後日改めて話を聞かせて欲しい、と伝え、その日はパウロを退かせた。
 その後も何度か総督はヘロデの官邸に行き、パウロと都度話し合った。パウロからお金を融通してもらう下心あってのことでもあった。
 「さて、二年たってフェリクスの後任としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。」(使24:27)

 イエスの教えは使徒たちの尽力によりユダヤ教の片隅に根附き、エルサレム教会を中心にしてバルナバやパウロのような人々によって地中海世界に広まり、いまや異邦のユダヤ人にとって驚異とも唾棄すべき者とも移るようになっていた。<ナザレ人の分派>という表現に侮蔑するような意図はあるまい。
 が、弁護士テルティロの発言に耳を傾けていると、ユダヤ教イエス派について未だ多くのユダヤ人がこれを異端と見、排斥の対象としていたか、そういったことを想像するのは容易だ。宜なるかな。割礼を否定し、律法に拠りつつ律法から離れ、最も重要な掟は「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」(ルカ10:27,マコ12:29-31,マタ22:37-39 ex;申6:5,レビ19:18)であり、あまりに話が突飛で大きすぎる死者の復活、神の国の訪れなど聞かされては目の前の宣教者の正気を疑ったり、理解の困難が嵩じての反感が募ったりする等あるのは、当然の帰結とも思えるからだ。
 本章では遂に中立なる高位の者の前でキリスト者とユダヤ教原理主義者が対峙する。むろん、そこに特記すべき程の激しさや修羅場っぷりは記されていない。が、ここにはかつてパウロが宣教旅行したあちこちの町で行った説明や弁明より数段上の、パウロの覚悟が滲み出ておるように思えぬか。わたくしにはこれが、異邦人への宣教をわが仕事と定めたパウロの所信表明演説のようにさえ読める。皇帝に上訴する準備、予行演習も兼ねていることであろう。いわばリハーサルに誰しもが付き合わされているということ。されども本章に於けるパウロの弁明には清冽なものがある。
 告発と弁明が終わったあと、パウロは再び、一時的に監禁されるものの、そこには一定の自由が保証されていた。これは洗礼者ヨハネがヘロデ・アンティパスによって拘束されていたときを思い出させる。ヨハネもパウロも外部との接触はいちおう認められており、その行動についてもとやかくいうて制限されることはなかった。現に2人は監禁中の現場から外の弟子たちに伝言を依頼したり、教会や信徒宛の手紙を書き送っているのだ。ヨハネやパウロに反対するユダヤ人も、こうした点については比較的おおらかだったのかもしれない。これはヘレニズムの寛容、ローマの流儀、というところだろうか……?
 使24:27は、2年経ってフェリクスの後任フェストゥスが着任した、と述べる。フェリクスの任期が2年であったのか、パウロの監禁から2年が経過したのか、この「2年」の定義は不明である。もしこれが任期を指すとしたら、属州ユダヤの総督がフェストゥスへ交代した理由はなんだろう。任期切れ? 病没か、殺害か? まぁ殺害であればなんらかの形で記録も残ろうから、いちばん自然な考え方は任期切れか病没であろう。とは雖も、唯一無二の真実は最早ゆめ解明されることがないのである。でも、……僕は事実を知りたいよ、ドラえもん! お願い、タイムマシン出して!! タイムパトロールに捕まったときのために、賄賂の準備もお願いね。勿論、歴史の改編などする気はない(と思う)。



 本ブログを開設してからこの方、ずっと聖書に関する本を読んでいたせいもあってか、歴史小説を読むのはとても新鮮でした。日本の古典文学を専攻していた関係から、当時は歴史小説とはいうてももっぱら文芸にまつわる実在の人物、出来事を扱った作品ばっかり読んでいたのでした。その代表格というて構わないのが、田中阿里子『藤原定家 愁艶』であったことはかつて述べた通りであります。
 久しく歴史小説から離れていた者が、どうして最近になって再びそのジャンルへ手を伸ばすようになったのか。その要因は新約聖書の読書が佳境に差し掛かろうとしており、言い換えればゴールが以前よりも具体的に、明瞭に見えてきたことと無縁ではないでしょう。本ブログがいちおうの完結を見た後はどんなジャンルを集中的に攻めようかな、偏読しようかな、と倩思うていた矢先、つまり今年6月頃、──
 わたくしは散髪のため商店街へ行った。途中の本屋で時間潰しをしていたら、アウグスティヌスの『告白』全3巻が棚に並んでいた。へえ、まさか地元の本屋でアウグスティヌスが売っているなんて、思いもしなかったなぁ。ちょっとその日はお財布に散髪代と他少額しか入れていなかったので、アウグスティヌスを買うつもりはなかったのである。が、……
 棚の裏に回ると時代小説のコーナーであった。最近はどんな作家が売れているんだろう、活躍しているんだろう。そんな好奇心から棚を見渡していたのですが、ああ、そのときわたくしを歴史小説に引き戻す作家の文庫が、表紙をこちらに見せていたのでした。新刊だったようで、何気なしに手を伸ばし、裏表紙の粗筋を読むと、そこには広瀬淡窓の名前がありました。葉室麟『霖雨』であります。
 広瀬淡窓と旭窓兄弟は現在の大分県、日田に私塾を開いて数多の門人を世に送り出し、一方で淡窓本人は漢詩人としても名を馳せた人。わたくしが広瀬淡窓の名に接して胸中に浮かんだのは、私塾の長としてのかれでは勿論なく、清冽な詩を世に遺した漢詩人としてのそれでありました。
 経歴を拝見すると、葉室麟は大分県出身で、50歳を過ぎてから作家デビューした、文芸家に材を取った作品を得意とする人らしい。デビュー作『乾山晩愁』は尾形光琳の弟乾山を主人公とした作品であった。
 小説の題材になることなどめったにない私塾の長がどのように描かれているのか、という興味から発展して、わたくしは与謝蕪村を主人公とした『恋しぐれ』を最初に読み、そのあとで『霖雨』を読み、つい先日右大臣実朝の首を巡る忠信と陰謀の物語『実朝の首』を読んだ。どれも読後感は鮮やかで清々しく、とても良いものを読んだ、という満足感でいっぱいでありました。
 いまはちょっと箸休めに随筆集を読んでいるけれど、これが読了したら次は、かねてより目星を付けていた『いのちなりけり』と『花や散るらん』である。そのあと……? さぁ、わかりませんなぁ。
 今暫くは聖書やキリスト教、そこからつながってゆく歴史や文化・習俗その他諸々の本を読むのに手一杯で、他ジャンルに手を伸ばしても小休止の意味しかないのだが、これが済んだらじっくりと腰を据えてかつてのように歴史小説を(それだけではないけれど)読み耽りたいものだなぁ、と夢想している。
 さて、「使徒言行録」が終わればパウロ書簡、公同書簡、そうして黙示録である。その先に続く道と傍らの美しき風景に目をやりながら過ごす日々の訪れを、夢想しつつ楽しみに待つとしよう。いまは胸の奥に宥め賺して押しこめておく。◆

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第2067日目 〈使徒言行録第22章2/2&第23章:〈パウロ、最高法院で取り調べを受ける〉、〈パウロ、総督フェリクスのもとへ護送される〉他with「使徒行伝」読了後のこと。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第22章2/2と第23章です。

 使22:30-23:11〈パウロ、最高法院で取り調べを受ける〉
 どうしてユダヤ人はパウロを訴えるのか。その理由を知りたいと思うた千人隊長リシアは祭司長たちや最高法院の議員全員を招集、かれらの前にパウロを立たせ、まずは弁明させた。
 今日に至るまでわたしは良心に従って神の前に生きてきました。パウロはそういった。自分の前に居並ぶ人々のなかにファリサイ派とサドカイ派の人々がそれぞれいるのに気附くと、かれは声を大きくしてこう話した。わたしは生まれながらのファリサイ派です、死者が復活するという希望を抱き信じているからです。
 パウロの言葉が呼び水となったかのように、ファリサイ派とサドカイ派の間で論争が起こった。改めて説明すると、復活や天使、霊をファリサイ派は認めており、一方サドカイ派はこれらを否定するのである。──ファリサイ派のなかの数人の律法学者が赤ら顔で興奮して立ちあがり、パウロを指して、この人にはなんの悪い点もない、霊か天使がかれに話しかけたのだろうか、というた。
 互いの論争は激化し、議場は熱くなった。そうして一致点は到底見出せず、論争は泥沼化の様相さえ見せてきた。千人隊長は危険を感じて、パウロを兵営に連れて行くよう命じた。取り調べは混乱のなかで打ち切られた。
 「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。『勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。』」(使23:11)

 使23:12-22〈パウロ暗殺の陰謀〉
 夜明けの刻。40人以上のユダヤ人が集まり、パウロ暗殺を計画した。かれらは祭司長たちや長老たちに、今一度パウロの取り調べを行うよう最高法院に掛け合い、千人隊長へ願い出てほしい、と頼んだ。かれらユダヤ人の計画は、兵営から議場へパウロが連行されている途中、隙を突いてこれを襲撃した後パウロを殺害しようというものだった。
 が、計画は知られることとなった。パウロの姉妹の子がこの相談を陰で聞いていたのである。この若者はさっそくパウロのこのことを伝えた。パウロは百人隊長を呼び、若者を千人隊長のところへ連れて行くように、といった。この者がなにやらお耳に入れたいことがあるようです。百人隊長はそうした。
 千人隊長は若者からユダヤ人の計画を聞くと、このことは誰にも話してはならない、と釘を刺した上でかれを帰らせた。

 使23:23-35〈パウロ、総督フェリクスのもとへ護送される〉
 千人隊長クラウディウス・リシアはただちに行動を起こした。歩兵200,騎兵70,補助兵200を準備し、今夜9時にカイサリアへ向けて出発するよう百人隊長2名に命じたのである。目的は、カイサリアにいる総督フェリクスの許へパウロを護送し、かれの安全を図るためである。
 このとき、リシアは総督に宛てて手紙を認め、部隊に託した。曰く、ユダヤ人たちに殺されようとしていたパウロを救出したこと、このパウロがローマ市民であること、いままたユダヤ人たちがパウロ暗殺を画策していることなど。「ところが、彼が告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由はないことが分かりました。」(使23:29)そうして、この件を告発者たちには直接閣下に訴え出るよう伝えてあります、とも。
 ──部隊はエルサレムを出発すると、サマリアとユダヤの州境の町アンティパトリスを経由してカイサリアに到着。千人隊長の書簡は総督フェリクスに渡された。
 フェリクスはパウロがキリキア州出身だと本人から直接聞いた後、告発者たちがカイサリアに着くまでヘロデの官邸に留置しておいた。

 パウロが弁の立つ者であったことは、これまでの宣教旅行やエルサレム教会、神殿での記事から明らかだ。本章でもその際は如才なく発揮されている。パウロはその場にいた大祭司アナニアを軽くいなし、ファリサイ派とサドカイ派の間に復活の是非についての議論を生じさせ、結果的に取り調べを中断させた。敵を炙り出すには一滴の毒を起爆剤代わりに落とせばよいのである。そうしてこれはわが身を火中から救い出す、この場に於いては唯一無二の方法──たった一つの冴えたやり方にもなった。
 福音書の時代、ローマ帝国属州ユダヤを統治する総督はポンティオ・ピラトであった。イエスの死から約20年が経過しようとしている「使徒言行録」第23章当時、総督の地位にはフェリクスが就いていた。次章ではこのフェリクスの後任としてポルキウス・フェストゥスが赴任したことが報告されている。
 パウロの護送部隊がカイサリアへの途中で寄った町、アンティパトリスはサマリアとユダヤの州境近くにあり、エルサレムを北北西へ進んで約50キロ程の場所に位置する。ローマ帝国が領内に敷いた軍用道路の合流点、ゆえに要衝の一つだが、ここは旧約聖書の時代サム上4にてイスラエルと戦うペリシテ軍が陣を置いたアフェクである、と伝えられる(神の箱/契約の箱/聖櫃がこのときペリシテ人に奪われた:サム上4:21)。以後は専ら荒廃していた様子のこの町をヘロデ大王が前9年に再建、父へロデ・アンティパス2世を讃えてアンティパトリスと命名したという。パウロ護送に同行した兵のうち、歩兵200名はアンティパトリスまで同行して、到着するとエルサレムへ帰投した(使23:31-32)。

 本日の旧約聖書は使23:5と出22:27。



 どうにかこうにか更新を続けている「使徒言行録」ですが、ようやく先が見えてきました。
 調べなくてはならないことがたくさんあって、福音書や、旧約聖書諸巻に較べてもずいぶんと時間を喰ってしまったように思います。読者諸兄には大変ご迷惑をお掛けしたけれど、「先が見えた」という一言を申しあげられるようになっただけでも、個人的には感無量であります。
 その上で図々しいことをいうようだけれども、「使徒行伝」が終わって「ローマの信徒への手紙」を読むまでの間は、週1回のエッセイ更新のみでどうにか露命をつなごうと思います。これまでのこと、今後のことでさまざま憤激される向きもありましょうが、これも本ブログを最後の瞬間まで生き永らえさせるための手段と思い、この事実のみお汲み取りいただきたく存じます。ご理解ください、とは、到底申しあげられませんや……。
 では、ちゃお!◆

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第2066日目 〈使徒言行録第22章1/2:〈パウロ、弁明する〉、〈パウロと千人隊長〉他with「使徒行伝」を読んでいちばんの収穫は、パウロへの関心の芽生えかもしれない。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第22章1/2です。

 使22:1-5〈パウロ、弁明する〉
 パウロは階段の上からヘブライ語で、ユダヤ人たちに話し始めた、──
 わたしはキリキア州タルソス出身のユダヤ人です。かつてガマリエルの許で律法を学び、ファリサイ派に属し、皆さん同様神へ熱心に仕えました。わたしはかつてこの道、即ち主イエスの教えを迫害する側でした。その信者を弾圧し、投獄したりしたのです。これらのことは長老会も大祭司もご存知です。
 或る日わたしは、ダマスコにいる信者たちを逮捕・連行してもよい、という手紙を祭司長たちからもらいました。そこで勇躍その地へ向かったのですが、──

 使22:6-16〈パウロ、自分の回心を話す〉
 ダマスコの近くまで来たとき、天から現れた強い光がわたしたちを包みました。わたしはその光のなかで自分に語りかける声を聞きました。なぜわたしを迫害するのか、とその声はいいました。それは主イエスの声に他なりませんでした。その声を聞くと同時にわたしの目は見えなくなりました。
 そんなわたしに主イエスがいいました。ダマスコへ行け、しなくてはならぬことはすべてそこで明らかにされる。わたしは従者に手を引かれて町へ行き、それが知らされるのを待ったのです。
 ところでダマスコにはアナニアという、律法に従って生活する信仰深い人がいました。かれはわたしのところへ来て、目が見えるようになれ、といいました。すると、おお、わたしの目は再び世界を見ることができたのです。
 アナニアはわたしにいいました。わたしが先祖の神に選ばれたこと、それは神の御心を悟らせ、あの正しい方イエスにわたしを会わせてその言葉を聞くためであることを。洗礼を受け、罪を洗い清めなさい。そうかれはいいました。「今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい」(使22:16)とアナニアはわたしを鼓舞しました。

 使22:17-21〈パウロ、異邦人のための宣教者となる〉
 そうしたことを経験したあと、わたしはエルサレムに戻って神殿で祈りました。やがて忘我の状態になったわたしは主に会い、その声を聞きました。わたしを受け入れない者たちが来る、早くここを出よ、という声に従って、わたしはその場を去りました。
 先程も申しましたように、わたしは主イエスの信者たちを迫害しました。ばかりか、ステファノが殺される現場にも居合わせたのです。わたしは主にそのことを申しあげました。すると、主はこういったのです、──
 「行け、わたしがあなたを遠く異邦人のために使わすのだ。」(使22:21)

 使22:22-29〈パウロと千人隊長〉
 パウロの話を聞いていたユダヤ人は、一斉に罵声と怒号をあげ、そんな奴は地上から取り除いてしまえ、と喚いた。
 千人隊長リシアはパウロを取り敢えず兵営に収監するよう命じた。そこでかれを鞭打ち、どうしてユダヤ人がかれを厭うのか調べよう、というのである。
 そうして、いままさに鞭打たれようとしたときだった。パウロは傍らの百人隊長に訊ねた。「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか」(使22:25)と。
 百人隊長からこのことの報告を承けた千人隊長はパウロのところへ行き、本当にあなたはローマ帝国の市民なのか、と問うた。パウロは首肯した。
 自分はお金を積んで市民権を得た、あなたはどうなのか。千人隊長の問いにパウロは答えた。わたしは生まれながらのローマ市民です。
 「そこで、パウロを取り調べようとしていた者たちは、直ちに手を引き、千人隊長もパウロがローマ帝国の市民であること、そして、彼を縛ってしまったことを知って恐ろしくなった。」(使22:29)

 ローマ帝国の市民権については既に使16、第2059日目にて述べた。今日はそこで触れなかった市民権の継承について補足する。
 市民権は当時男子のみに与えられたようである。奴隷や兵役期間中の属州民には市民権を承ける資格がなかったというから、ローマ乃至は属州に住まう軍人、庶民がまずはその対象と考えてよい。
 市民権を入手する方法は幾つかあったが、一度与えられた市民権は余程のことがない限り子々孫々にまで継承されていた。スラ、或いはカラカラ帝による帝国領民のすべてに等しく市民権が発行されてしまうまでは、一族に付与された市民権は正常に継承されてゆき、相応の価値と特権を享受できていた、ということであろう。
 市民権の付与されない対象として奴隷や兵役中の属州民というたが、ここには女性も含まれた。というのも、市民権は個々に付されるものではなく、一家の家長(父や夫、老いては子)に対して発行されるものだったからだ。女性に経済活動は許されていても、市民権に含まれるような特権は与えられていなかった、ということである。



 わたくしは当初、パウロをそれ程好いてはいなかった。かというて嫌うていたわけでもない。関心の対象外であった、というのが正直なところだ。
 が、近頃はそうでない。パウロという人物にそれなりの関心が生まれてきている。おそらく、「使徒言行録」を読んでゆくなかでパウロという人物が、生身の者として目の前に立ち現れてきたためだろう。読んでいるとわたくしもパウロの傍にいて、その謦咳に触れ、かれの人生の諸場面の目撃者となっているように感じられてくるのだ。
 初期キリスト教会の伝道の歴史を「使徒言行録」は語る。代表的使徒の活動やパウロの半生の活動をも「使徒言行録」は記録する。本書は初期キリスト教会の伝道を記すゆえに歴史書へカテゴライズされるが、不完全ながら最も早い段階で成立したパウロ伝でもある。
 わたくしはパウロ伝ということも可能な「使徒言行録」を1日1章の原則で読み進めてきて、それまで殆ど関心の対象外にいたパウロをその中心とし、その人生の観察者となった。ゆえに生まれたパウロへの関心。もしかすると、「使徒言行録」を読んでいてのいちばんの収穫は、そこら辺にあるかもしれない。◆

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第2065日目 〈使徒言行録第21章:〈パウロ、エルサレムへ行く〉、〈パウロ、ヤコブを訪ねる〉&〈パウロ、神殿の境内で逮捕される〉withゴミ捨て場に本を見出すこと〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第21章です。

 使21:1-16〈パウロ、エルサレムへ行く〉
 マケドニアから小アジアへ渡り、アジア州ミレトスの港から、わたしたちは一路エルサレムを目指した。経由地はコス島、ロードス島、パンフィリア州パラタで、キプロス島を左手に見ながら航海し、やがてシリアのティルスへ到着した。わたしたちはティルスで荷物を陸揚げ、同州プトレマイスに一泊、そうして陸路カイサリアへ赴いて福音宣教師フィリポの家に泊まった。
 ティルスでは“霊”に動かされた弟子たちが、パウロのエルサレム行きを思い留まらせようと説得にあたった。カイサリアでは預言者アガボが、エルサレムでのパウロ逮捕を預言した。そんな人々に対して、パウロはいった、──
 「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られるばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」(使21:13)
 このように頑なに弟子たちの説得を退けるパウロに弟子たちは最早、主の御心がありますように、と言葉を手向けるが精々であった……。
 数日後、わたしたちはカイサリアをあとにした。パウロとわたしたちは途中、キプロス島出身の弟子/信者ムナソンの家に泊まりながら、エルサレムを目指したのである。

 使21:17-26〈パウロ、ヤコブを訪ねる〉
 エルサレムへ到着した翌日、パウロはわたしたちを連れて教会のヤコブに会いに行った。そこにはヤコブだけでなく、長老たちも集まっていた。パウロは今回の宣教旅行中、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行った数々の出来事を報告した。
 ヤコブはそれを喜んだあと、ところでパウロよ、と話し始めた、──
 主イエスの教えを信じる何万人ものユダヤ人が律法を守っている。しかしあなたは異邦の同胞に対して、割礼の禁止と慣習の否定を説き、モーセから離れるようなことを教えている、と聞いた。咨、このことについてわれらはどのように対処したらよいのだろう。あなたがエルサレムに来たことはかれらもやがて知ることだろう。ですからあなたはわれらのいうとおりにしてください。
 「だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります。」(使21:23-24)
 わたしたちは既に、異邦人で信者になった人々には手紙を書き送ってあります。それは偶像にささげた肉と血、絞め殺した動物の肉を口にするなかれ、淫らな行いに耽ることなかれ、というものです。
 ──翌る日、パウロは誓願を立てたという4人の若者を連れて神殿に行き、清めの儀式を行った。そうして、いつ清めの儀式が終わり、それぞれのために供え物をささげるかを説明した。

 使21:27-36〈パウロ、神殿の境内で逮捕される〉
 7日間の清めの儀式が終わろうとしていたときである。
 先達てヤコブがいうたように、パウロの宣教を邪魔したユダヤ人がアジア州からエルサレムくんだりまでやって来た。かれらは神殿で祈るパウロを発見するや、市中の人々に大声で触れて回り、パウロを民と律法と神殿を無視する不届き者呼ばわりした。おまけにギリシア人を立ち入らせて神殿を汚しているとまで言い立てた。
 この煽動は成功した。都は騒がしくなった。エルサレムの外郭に設けられた門という門が閉ざされた。市民はパウロに襲いかかり、捕らえ、境内から引きずり出した。人々はパウロを殺すつもりでいる。
 ──エルサレム市中に騒乱あり。その報を承けた守備大隊の千人隊長クラウディウス・リシアは,ただちに兵士と百人隊長を率いて現場へ急行した。ローマ軍の到着を知って人々は、パウロへの乱暴をやめた。
 千人隊長はパウロに乱暴を加えていた人々に、この男は何者か、かれがなにをしたのか、と質した。が、返答は怒号に掻き消されてよく聞こえなかった。
 なので千人隊長は兵に命じて、パウロを鎖2本で縛り、兵営に連行させた。途中の階段にさしかかろうというとき、パウロは千人隊長リシアを見て、口を開いた。ちょっと一言、よろしいでしょうか? それはギリシア語で問われた。
 パウロが自分と同じ言語を話せると知った千人隊長は、パウロに話の先を促した。
 わたしパウロはキリキア州タルソス出身のユダヤ人です。いまここでわたしを取り巻く同胞ユダヤ人に話をさせてくださいませんか。
 リシアはそれを許可した。パウロは階段の上に立ち、未だ興奮収まらぬユダヤ人たちを手で制し、やがて静かになったところにヘブライ語で話し始めた、──

 パウロの第3回宣教旅行が終わった(使21:15)。主語を<わたしたち>とする章句の続く箇所でもあるので、その旅程はやや辿りにくかったが、きちんと読んでゆけば混乱するようなところはまったくない。
 エルサレム教会の指導者ヤコブがパウロにいう、共に身を清める4人の頭髪を剃る費用を出してくれ、と(使21:24)。第2回宣教旅行の途中、パウロも「誓願を立てていたので」(使18:18)髪を切っている。誓願を立てたならばそのゆえに髪を切れ。これはおそらくナジル人の誓願を念頭に置いてのことだろう。
 特別の誓願を立ててナジル人となった者は、その誓願期間中は頭に剃刀をあててはならず、主なる神に献身している期間が満ちるまで頭髪は伸ばしたままにしておく。期間が満ちた日にはその人は贖罪の献げ物、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物を主にささげ、臨在の幕屋の入り口で献身の証しである頭髪を剃る。それは祭司に渡され、主の御前に奉納物としてささげられる(民6:2-20)。
 本章に即せば臨在の幕屋はむろんエルサレム神殿であり、このあとパウロは他4人の若者の頭髪をそこで剃る予定だったのかもしれない。
 ノート本文には反映させなかったけれど、パウロがギリシア語を話せることがわかった際、千人隊長はパウロに、ではお前は反乱を起こしたかのエジプト人ではないのか、と確かめる場面がある。
 それはヨセフス『ユダヤ古代誌』が報告する出来事に基づく。当時エジプト出身のユダヤ人がローマ帝国へ反乱を企てた。かれの指導の下、ゲリラが組織されてエルサレム郊外のオリーブ山を拠点としたものの、総督フェリクス率いるローマ軍の前に敗走。この時分、主犯たるエジプト出身のユダヤ人はまだ逃亡中だった。
 千人隊長リシアがパウロを疑ったのは、そうした理由からである。リシアはパウロがキリキア州出身であると聞いて安堵もしたろうが、心のどこかで落胆する部分もあったに相違ない。
 なお、総督フェリクスについては第23章にて改めて述べる。



 ゴミ捨て場は時として宝の山になる──特に資源ゴミの日は! 本が束ねられて捨て置かれているをの見たとき、わたくしの胸はときめき、早鐘を打つ。どんな本が処分されたのだろう。掘り出し物があったら人目を避けて、拾っちゃおうかな。そう考える。
 ゴミ捨て場から書籍を発掘した先達は非常に多くいるではないか。諸先輩にならえば良いだけの話だ。
 『それでも町は回っている』第14巻にて亀井堂静が幼き日の主人公嵐山歩鳥にシンパシーを抱くのは資源ゴミの日ではなかったか。そのとき亀井堂静は捨てられようとしている文庫の山を見附けてそれを漁っていた真っ最中でなかったか。『バーナード嬢曰く』第2巻で登校中の神林しおりがピケティ『21世紀の資本』を発見したものの拾う勇気を持てずに後悔したのはゴミの日だったのではないか。それを羞恥心なく(?)拾ってきて彼女にプレゼントしたのは主人公バーナード嬢こと町田さわ子ではなかったか。
 描写こそないものの『ビブリア古書堂の事件手帖』の篠川栞子も、同様の行動をしていても全く以て可笑しくはないだろう。シジスモンだってそんな場面に遭遇したらば遠慮なく、ためらいなく手を出していたはずだ。取り敢えず持って帰り、自宅でじっくり吟味、選別のあとで不要な書籍はゴミ捨て場へ放りに行き。
 嗚呼、麗しくも滑稽なる先達よ!!
 たしかゴミは業者によって回収されるまでは捨てた人に所有権があるから、それは一種の窃盗行為だけれど、ゴミ捨て場に出された本の山程輝いて見えるものはない。おそらく、そこにどんな本があるのか、一見したところでは確かめられないもどかしさもあるか。秘事を覗き見るにも似た愉しみ……屋根裏の散歩者と五十歩百歩の好奇心が、人にはある。本好き、読書家、愛書家、コレクターを突き動かすものが、ゴミ捨て場の本の山にはごっそり詰まっている。
 もっとも、そこに喉から手が出る程欲しい本があったとしても、その1冊(とは限らないよね?)に手を伸ばすのは非常に度胸がいるものだ。羞恥心が、プライドが、世間体が、極めて自然な欲求に蓋を閉めようとする。為にそんな光景に接した小心者のコレクターはまず横目で本の山をチェックして、回収時間までに万策を尽くしてそれを、或いはそこからお目当てのものを、回収しようと情熱を傾ける。そんな時間があるならば、なんていう常識は、もうかれらには通用しない。信念と執心の前に常識は無意味だ。
 ……が、そんなときに限って悲劇は訪れる。お目当ての本はもう既に誰かの手によって引き抜かれている、という悲劇がっ!! そうして不甲斐ない自分に腹を立て、ためらうことなく本をかっさらっていった<ヤツ>を秘かに恨み、称賛し、そんな自分に気付いて地団駄を踏むわけだ。罵倒と尊敬は紙一重である。斯くしてそのゴミ捨て場は負け戦の現場となるのだった。
 が、昨今ゴミ捨て場に本の山が出ていることは少ない。1ヶ月に1度でも遭遇できれば幸運だ。みんな、どこで本を買っているのだろう、と思う一方で、そうか、こんなところにも日本人の読書離れを窺い知ることができるのかもしれないな、と思索してみたりする。ゴミ捨て場の社会学、といったところかな。これをホラー小説に転じれば、クライヴ・バーカーの『禁じられた場所』を彷彿とさせるものができるのかもしれないね……ふむ。◆

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第2064日目 〈使徒言行録第20章:〈パウロ、マケドニア州とギリシアに行く〉、〈エフェソの長老たちに別れを告げる〉他withご飯の季節がやって来た!!〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第20章です。

 使20:1-6〈パウロ、マケドニア州とギリシアに行く〉
 アルテミス神殿にまつわる騒動が鎮まると、パウロはエフェソの弟子を集めて励ました後に別れて、小アジアからマケドニア州へ渡った。
 かれは遠近の町を経巡ってかの地の信者たちを言葉を尽くして励まし、教え、ギリシアを回り、3ヶ月を過ごした。パウロは当初、ギリシアの港町からシリアへ帰るつもりだったが、ユダヤ人の暴動があったのでそれを諦め、マケドニア州へ戻ることにした。
 そのときパウロに同行したのは7人である。かれらは途中でわたしたちと離れて先行した。パウロはといえばマケドニア州を北西に進んでフィリピに至り、そこから小アジアはミシア州トロアスへ向かった。7人とパウロ(わたしたち)はトロアスで合流したのである。ここには7日間滞在した。

 使20:7-12〈パウロ、若者を生き返らせる〉
 週の始めの日のことである。わたしたちはパンを裂くために或る家に集まったのだが、パウロはそこで明日からの予定を延々と話し始めた。それは深更に至るまで続いたのであった。
 そうしてそれが災いしたのか、窓縁に腰掛けて聞いていた青年エウティコが眠気を催し、舟を漕ぎ始め、そのまま背中からもんどり打って落っこちて、地面に叩きつけられた。そのときわたしたちが集まっていたのは階上の部屋だったのである。エウティコは死んだ。
 が、パウロはエウティコの死体の傍らまで来ると屈みこみ、抱きかかえて、騒ぐことはない、かれはまだ生きている、というた。それから何事もなかったかのように部屋へ戻り、パンを裂いて食べ、明け方まで延々と話した。
 エウティコはといえば生き返り、知己の人々と共に自分の家に帰った。

 使20:13-16〈トロアスからミレトスまでの船旅〉
 件の7人を含めたわたしたちはパウロより先行して、トロアスから州内の町アソスへ船で向かった。一方パウロはトロアスから陸路でアソスに入った。そこで全員が揃った。
 わたしたちはそこから西へ船出した。レスボス島のミティレネで一泊し、キオス島の沖を行き、サモス島に寄港した。アジア州ミレトスの港に到着したのは、トロアスを出て4日目のことである。
 途中エフェソにも寄る予定だったがそうしなかったのは、例の騒動が再発するのを避けたかったからだ。そうしてなによりもパウロの胸には、五旬祭の頃までにはエルサレムに着いていたい、という願いがあったのである。

 使20:17-38〈エフェソの長老たちに別れを告げる〉
 ミレトスのパウロはエフェソに人を遣わし、教会の長老たちにこの地まで来てくれるよう頼んだ。集まったエフェソの教会の長老たちにパウロはいった、──
 わたしがアジア州に来た最初の日からずっと、あなたたちはわたしがどのような思いで伝道に努めてきたかをご存知です。わたしは自分を全く以て取るに足らぬ者と思い、涙を流しながら、時にはユダヤ人による数多の陰謀ゆえわが身に降りかかった試練に耐えながら、主に仕えてきました。あなた方のみでなく異邦人にも、神への悔い改めと主イエスへの信仰を力強く訴えてきたのです。
 が、いまやわたしの命運は尽きようとしています、──「そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。
 そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。」(使20:22-25)
 「わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。
 そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。」(使20:29-32)
 あなた方の群れとあなた方自身に,どうか注意を払ってください。あなた方は聖霊によって、神が御子即ちイエスの流した血によって御自分のものとした神の教会の世話役、監督者に任命されたのですから。
 わたしはこの手で自分の生活のため、共にいる人々のために働きました。あなた方もこのようになさい。主イエスが、受けるよりも与える方が幸せである、といった意味をよく噛みしめなさい。わたしは常にこの言葉を忘れることなく働いてきたのです。
──と、パウロはいった。
 人々は皆嘆き、悲しみ、別れを惜しんだ。人々はパウロを停泊中の船まで見送った。

 わたくしは本章第18-35節のパウロの言葉を、後に読むパウロ書簡の萌芽の一と見る。この発言をもっと深化、普遍化させれば、今日われらが読むような、一つ一つの書簡に結実するのではないか。この言葉の一片一片を、かの大騒動を経験したエフェソの人々は、われらが思う以上に真摯に受け止めたことであろう。
 正直なところ、このパウロの言葉をダイジェストして、かつエッセンスを損なうことなくノートするのは、わたくしの能力では不可能に等しく、為にほぼ全文の転記となってしまったことをお許しいただきたい。いまから書簡のノートについて頭を悩ますところである……。
 ギリシアからマケドニア州へ行くパウロに同行した者として、使20:4は7人の名前を挙げる。ノートには反映させられなかったので改めてここで触れると、──
 ・ベレア出身のソパトロ
 ・テサロニケのアリスタルコとセクンド
 ・デルベのガイオ
 ・テモテ
 ・アジア州出身のティキコとトロフィモ
内、デルベのガイオとテサロニケのアリスタルコは前章にて、エフェソの町の人々によって捕縛されてしまった2人である(使19:29)。また、テモテは第2回宣教旅行の途中、キリキア州デルベに寄った際、パウロが是非とも随伴者にしたいと強く望んだ信仰篤い若者だった。かれは父がギリシア人、母が信心深いユダヤ人で、故郷一帯では非常に評判のよい人物だったという(使16:1-3他)。パウロ書簡の一、「テモテへの手紙」はかれに宛てて執筆されている。
 なお、トロアスを出航して最初の寄港地、レスボス島ミティレネは今日のミティリーンで,岡山県瀬戸内市とは姉妹都市。ギリシア時代のミティレネは島最大のポリス(都市国家)だったが、前428-7年の「ミティレネの反乱」の失敗により衰退した。文学上ではレスボス島はギリシア時代の女流詩人サッフォーが愛人と暮らした場所としても知られる。むろん、これがレスビアンの語源である。



 来月の話だ。職場の同僚たちと一緒に、大分は中津市の唐揚げが食べられるお店に行く。というよりも大分料理専門店なので、他にもいろいろ賞味はできるはずだが、まずは唐揚げ、そうして水炊き。
 できれば大分出身の上司と一緒に行きたいのだけれど……が、問題なし。別の機会に一緒に行く約束を取り付けてきた。幸せである。るんるん、なのである。わたくしにしては珍しい行動力の発揮である。えへ。
 再来月には他の同僚と連れだって美味い鰻を食べさせる店に行く(不動産会社で働いていた頃何度か行った店ではないか、と思うておるのだが、定かでない。もう忘れちゃったなぁ)。田舎で食べる鰻は非常に美味で安価で何杯でも食べられるのだが、再来月はそうもゆかないぐらいに高級な店だ。でも、鰻は鰻だ、美味であればまずは合格点。
 そうしてもうすぐ、職場恒例のランチ・ミーティング。ハンバーグが美味いらしい……早くもお腹が鳴っている。困ったものだね,プーくま?
 いやぁ、ここに来て満足のゆくような外食の予定が目白押しで、嬉しい。楽しんでご飯を一緒にできる仲間がいるのは良いことだ。
 「食べられる」ってありがたいよね……。この幸福を当たり前と思うて感謝の心を忘れてはいけない。◆

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第2062日目 〈使徒言行録第19章:〈エフェソで〉、〈ユダヤ人の祈祷師たち〉with〈エフェソでの騒動〉with本当にiPhone6sは発表されるの?〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第19章です。

 使19:1-10〈エフェソで〉
 アポロがエフェソからアカイア州コリントへ移ったあとの頃、パウロは第3回目の宣教旅行に出発した。パウロは小アジアの内陸、即ちアンティオキアを発ってキリキア、フリギア、アジア諸州を横断してエフェソの町へ至ったのである。
 かれはエフェソの弟子たちに、聖霊を受けたかどうか訊ねた。すると弟子たちは頭を振り、それがどのようなものかも知らないのです、と答えたのである。パウロが、ではあなた方はどのような洗礼を受けたのか、と訊くと、弟子たちはヨハネの洗礼です、と答えた。
 パウロは弟子たちにヨハネの洗礼の意味を教え、改めて、主イエスの名による洗礼を授けた。かれが弟子たちの頭の上に手を置くと、聖霊が降った。そうして弟子たちは異言を話し、預言をするようになったのである。
 そのあとパウロは会堂に入って福音を説き、未だ信仰に入らぬ人たちの激しい拒絶に遭った。かれは退き、弟子たちも退かせ、ティラノという人の講堂に移り、毎日、神の国について論じた。
 こうしたことが2年も続いたので、エフェソの町の人々は信じて道に入るにせよ入らぬにせよ、誰もが主の言葉を聞いたのである。

 使19:11-20〈ユダヤ人の祈祷師たち〉
 神はパウロを通してエフェソの人々に様々な奇跡を行った。パウロが、町の重病人、悪霊に憑かれた人の体に自分の手拭いや前掛けをあてると、たちまちその人たちは癒やされたのである。
 さて、各地を巡り歩くユダヤ人祈祷師のなかには、悪霊に憑かれた人に向かって、パウロが説く主イエスの名に於いて汝らに命ずる、と曰う輩もいた。
 或るとき、かれらは悪霊の返り討ちに遭った。悪霊どもは祈祷師たちにいうたのである、イエスのこともパウロのことも知っている、だがお前たちはいったい何者だ、と。祈祷師たちは悪霊に襲われて裸にひん剥かれ、傷附けられ,這々の体でその場から逃げ出していった。
 「このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった。」(使19:17-19)
 主の言葉は勢いを得て、世界へ広まっていった。

 使19:21-40〈エフェソでの騒動〉
 エフェソは神話の女神アルテミス信仰が最も盛んな町だった。郊外にはアルテミスを祀る神殿もあった。ゆえにパウロの宣教を快く思わぬ人は大勢いた。
 この町に住む銀細工師、デメトリオは仲間の職人を束ねてアルテミスの神殿の模型を造り、その売上金で己のみならず皆を潤わせていた。そんなかれにパウロの宣教は甚だ邪魔だった。
 そこでデメトリオは職人仲間を煽動して、パウロを捕縛しようと企てた。曰く、パウロは「人の手で造られたものが神であるものか」というて、このエフェソのみならずあちらこちらの町の人々を誑かしている、これではわれらの商売もあがったりだ、奴の活動が続けばわれらの商売が立ち行かなくなるばかりか、アルテミスの神殿は蔑ろにされ、アジア州、否、全世界が崇めるこの女神の威光の失墜をも招くことになるぞ、と。
 人々はデメトリオのこの言葉に大いに発憤し、群衆となって暴徒と化し、パウロの同行者即ちマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえて、そのまま野外劇場へ雪崩れこんでいった。町は混乱に陥った。パウロは群衆のなかへ入ってゆこうとしたが、弟子たちが思い留まらせた。当たり前の話である。
 劇場ではパウロの宣教に反対する集会が開かれた。集まった人々はあれやこれやと喚き立てた。が、「集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。」(使19:32)
 集会はますます混乱し、群衆は熱に浮かれていた。それに楔を打ちこんだのが、エフェソの書記官である。かれは女神アルテミスの威信の揺らがぬことを明らかにし、パウロやキリスト者に咎なきことを宣言した。続けて曰く、──
 「デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ。」(使19:38-40)
 斯くして集会は解散となった。

 第2回目、第3回目の宣教旅行で訪れたからというて、このエフェソがイエス・キリストの福音を享受し、皆が皆信仰に入ったわけではない。マケドニア州ベレア(使17:11-12)のようにはいかなかったのだ。それどころか、すくなくとも記事を読む限りでは、エフェソの町での宣教はパウロにとってずいぶんと骨の折れる仕事だったのかも、と想像できる。フィリピやコリントでの経験はこれの比ではなかったようだ。
 騒動の背景には、エフェソがアルテミス信仰の中心地だったことがある。幾つかの原因が絡み合って町を挙げての大騒動に発展したわけだが(フィル・ディックの小説のタイトルを借用すれば、「小さな場所で大騒ぎ」というところか)、もしかするとパウロには、この町の人々が改宗すれば他の異邦の町の改宗は容易だ、というような目算があったのだろうか。「容易」という言葉がお気楽に過ぎるなら、<自信の獲得>といい換えてもよいかもしれぬ。自分はあのエフェソでさえ改宗させられたのだ、それを成し遂げた自分にどうして他の町々を改宗させられないことがあり得よう……。
 パウロの意識のなかでこのエフェソは、なんとしてでも(自分の力で)イエス・キリストの福音を定着させたい、と宿願した町であったかもしれない。エフェソを足掛かりにすれば、西へ、更に西へと進んでゆくことができる。つまりマケドニア(ギリシア)へ、そうしてパウロも使19:21やロマ15:23-24並びに同:29にて願った帝都ローマへ、歩を進めてゆき、かの地での宣教が可能となるのだ。これは、イエスが暗に予言したことだった(マコ16:15)。そんなかれにとってエフェソは旅の里程標、宣教の一里塚というてよい位置附けにあったことが想像できる。
 ところでアルテミスとは如何なる女神だったのだろう。そうしてその信仰とは?
 アルテミスはギリシア神話に登場する、ゼウスとレトの娘、アポロン神の双子の姉神、“うずらの里”という意味を持つオルテュギア生まれ。生地についてはエフェソ、デロス島など諸説ある。 この女神に託された属性は、農業や牧畜の守護神、予言の御神、詩歌文芸の司神(時折竪琴を手にした絵画を見る)、また、処女神で安産と出産の守護神といったところ。
 ギリシア神話に登場すると雖もギリシア固有の神ではなく、バルカン半島南部から小アジア西南地方にかけてあった女神崇拝が、古代ギリシアに入ってアルテミス信仰に変化したともいわれる。こうした周辺地域の土着信仰が国の神話に取りこまれることは、間々あることだ。日本、北欧、ケルト然り。なによりローマ神話がギリシア神話を取りこんで自家薬籠のものとした。
 アルテミス神殿を擁すエフェソは小アジアに於ける信仰の中心地で、神殿にはいまもアルテミス像がある。ここには小アジア諸州、周辺地域からの参詣客も多く訪れ、デメトリオたちの造る模型は神殿への奉納品として売られていたそうだ。お土産に持って帰る者も、なかにはいたかも知れない。
 呉茂一は著書『ギリシア神話』でエフェソのアルテミス像に触れたあと、こう述べる。曰く、「(エフェソの)女神像は胸に数多くの乳房を有し、豊満な母性神としてもっぱら生育と繁殖とを司り、その数多くの奉仕者には、神婢ヒエロドゥーロイや宦者を交えるなど、明らかに(ギリシア)本土のアルテミスとは異なる小アジア固有形に属するのを、若干の類似性やある種の基本的な共通性から、ギリシアからの異住民によってアルテミスと同一視されるようになったものである」(P207 上巻)と。
 デメトリオが蜂起人となった感のある集会、それが行われたのが野外劇場である。古代ギリシア・ローマ社会に於いて、それは勿論、ギリシア悲劇、喜劇の上演舞台としての役割を果たす。が、時には本章のように、大規模な集客が望める場合には集会場にもなった様子だ。『ベン・ハー』の有名な戦車競争の場面も、こうした野外劇場が舞台となっている。
 エフェソの半円形の野外劇場は当時最大の規模を誇り、その収容人数は2.5万人から5万人と諸説ある。ピオン山の斜面を利用して造られた劇場はいまやアルテミス神殿と並ぶエフェソの観光名所となっており、ガイドブックや旅ブログなどにてその偉容を容易に目にすることができる。
 なお、ついでにいえば、エフェソはマルクス・アントニウスとクレオパトラ7世の逢瀬の場としても知られ、ローマ帝国の東地中海に於ける貿易の要港であり、またアレキサンドリア、ベルガモと並ぶ世界3大図書館の一つ、セルシウス図書館があった町でもある。
 ──それにしても、かえすがえす件の書記官の名が判明しないのは残念である。かれの鶴の一声で集会は解散となり、騒動は鎮まったのだから。このデウス・エクス・マキナの役を演じた書記官はどのような人物だったのだろう。知ることのできないのが残念だ。



 9月9日のAppleのイヴェントでiPhone6sが本当に発表されるらしい。そろそろわがiPhoneも買い換え時なので、これを契機に機種変更を検討している。
 が、発表される新機種がiPhone6のマイナーチェンジでしかないならば、新機種を購入する必要はないかな、前機種となったiPhone6を買えばいいかな、と思うのだけれど……でもやっぱりiPhone6sに後ろ髪を引かれるのだ。
 んんん、悩ましい。◆

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第2060日目 〈使徒言行録第17章:〈テサロニケでの騒動〉、〈ベレアで〉&〈アテネで〉〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第17章です。

 使17:1-9〈テサロニケでの騒動〉
 その後パウロとシラスはフィリピを発ち、マケドニア州アンフィポリスとアポロニアを経て、同州テサロニケに到着した。
 かれらはここの会堂で、聖書を引用してユダヤ人と議論を交わし、またメシアについて宣べ伝えた。結果、テサロニケのユダヤ人のうちで、「ある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。」(使17:4)
 が、これを妬んだユダヤ人もいた。かれらは徒党を組み、広場のならず者たちを雇って暴動を起こした。そうしてパウロたちを匿っていたヤソンと数人の兄弟を捕らえた。というのも、どれだけ捜してみてもパウロとシラスを見附けられなかったからである。
 このユダヤ人たちがヤソンと兄弟を当局へ引き渡した際の台詞;テサロニケの秩序を壊乱しようとしているパウロは、皇帝陛下の勅命を無視して、イエスという別の王がいる、と触れて回っています。
 これを聞いて動揺した当局は、ヤソンたちに保証金を支払わせて、さっさと釈放した。

 使17:10-15〈ベレアで〉
 弟子たちの尽力でテサロニケから同州ベレアへ脱出したパウロとシラスは、そこの会堂でもユダヤ人相手に福音を宣べ伝えた。
 「ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人たちや男たちも少なからず信仰に入った。」(使17:11-12)
 が、ここにもテサロニケのユダヤ人たちが追い掛けてきて、パウロたちの活動を妨害するのであった。テモテとシラスはこの地で宣教を続けるため残ったが、パウロは人々の尽力でマケドニアを南下、アテネに向かった。
 パウロは自分をアテネまで送ってくれた人々に、シラスとテモテへの伝言を託した。なるべく早くこちらへ来るように。かれらはパウロの伝言を携えて、ベレアへ戻っていった。

 使17:16-34〈アテネで〉
 アテネの町の至る所に偶像があった。パウロはこれを見て憤慨した。
 かれは広場に行き、民衆と論じ合い、ストア派やエピクロス派の哲学者相手に討論した。が、人々はパウロの語る事柄が理解できなかった。理解が及んだとしても、パウロは外国の神の宣伝をしているのだ、と思うが精々で。
 そこで人々はパウロをアレオパゴスへ連れて行き、あなたが語るイエスと復活の福音を、われらに教えてほしい、といった。
 パウロ斯く語りき、──
 アテネの皆さんが信仰篤い方々であるのはわたしも認めています。というのも、町のあちこちに飾られた異郷の神の偶像に混じって、わたしは「知られざる神に」と刻まれた祭壇を見ることもあったからです。
 わたしは皆さんが知らないこの神について宣べ伝えている者です。
 世界とそのなかの万物を創造した神が、わたしが皆さんに教える神なのです。
 この神は天地の主ですから、御自分の造られた人間に仕えてもらおうとは考えておりません。人間が造った神殿に住まわれることもありません。
 神は、1人の人物からすべての民族を生み出し、かれの子孫に土地を与え、かれらの居住地の境界を定めました。「これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。」(使17:27)
 「わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」(使17:29-31)
 アレオパゴスの評議員たちは始めのうちこそパウロの話を黙って聞いていたが、話が死者の復活のことに及ぶや、かれを嘲笑った。あなたの話は面白いが、また今度聞かせてもらうことにしよう。そういってかれらはそこを去り、パウロも去った。
 が、このパウロの話を聞いていた議員の1人ディオニシオやダマリスという女性,その他数人が、信仰に入ったのである。

 使17:16にてパウロはアテネの町の「至るところに偶像があるのを見」た。これはローマ帝国の占領地政策の所産ともいえる。
 ローマは占領し属州とした国/地域に自分たちの統治機構を持ちこみ、軍隊を駐留させたが、そこの言語や文化、宗教、習慣などを尊重して、敢えてそれらのローマ化を強要しなかった。必然的にローマ帝国領内へは、所謂異郷の神々に対する信仰も流入した。ギリシアのバッカス神、小アジアのアッティス神、エジプトのイシス神を崇めるローマ市民も現れた、ということだ。アテネの町のあちこちに種々の神をかたどった偶像が(至るところに)あったのは、こうした背景あってのことである。
 パウロはそのうちの1つ、「知られざる神に」と刻んだ祭壇を指して、この神こそが自分の信じ、従う神であり、この神のみが唯一の存在である、と、アレオパゴスの評議員の真ん中に立って表明した。使17では評議員たちの反応として、復活のことでパウロを嘲笑したことのみ記されているが、自分たちの知識の外にある神を信じる或いはそれについて知ることに理解が及ばなかった、乃至は想像できなかったこと自体が、その遠因に思えてならない。
 そのアレオパゴスだが、本来はアクロポリス北西にある巨岩の丘を指す。ここには一種の司法機関として機能していた評議所(評議会)もあったため、こちらを指す場合もある。使17:19でパウロが連れて行かれたのは後者のアレオパゴスである。
 ポリス時代のアレオパゴスは最高官職を経験した貴族だけで占められていた(任期は終身)。官僚経験者の天下りみたいなものかもしれない。これはポリスの衰退と歩を共にするかのように腐敗してゆき、やがて政治の民主化に伴いアレオパゴスの権能は民間へ移行された。その後、ギリシアが世界王者の椅子から落ち、共和政ローマ、そうして帝政ローマの時代になったが、アレオパゴスそのものは存続した。パウロが弁を振るった帝政時代には、専ら教育や道徳、宗教の監督機関として機能していたようである。
 ちなみにアレオパゴスとは「アレス神(アレイオス)の丘」という意味。アレスはゼウスとヘラの息子の1人で、戦争を司る。巨岩の丘がアレオパゴスと命名された所以については、ギリシア神話がこのような挿話を伝えている──ポセイドンの息子ハリロティオースによりわが娘アルキッペーを汚された怒りから、アレスはハリロティオースを撲殺。ポセイドンはアレスを訴え、かの巨岩の丘で神々の裁判は行われた。判決:アレス、無罪。この巨岩の丘、つまりアレオパゴスが裁判所を兼ねた一種の司法機関として機能するのは、ここで世界初の裁判が行われたためだ(勿論、地中海世界に於ける<初>である)。戦争の神、軍神というところからおわかりになろうが、アレスはローマ神話に於けるマルス神である。
 ところでパウロが広場で議論を戦わせたストア派とエピクロス派だが、いずれもギリシア思想の代表格として今日まで知られている。深入りすると底なし沼に嵌まりこんでしまうから、本稿ではそれぞれの主張するところについてのみ触れることにしたい。
 まずエピクロス派から。エピキュリアン(快楽主義、享楽主義)と称されるが、言葉をそのまま鵜呑みにすると、がっかりするかもしれない。それは個人の欲望の実現を旨としたものに非ず。始祖エピクロスによって唱えられた、「隠れて生きよ」をモットーとするエピクロス派。かれらは「幸福の実現」を説くが、それは環境や感情に左右されることなく、質素な生活を送り、そのなかで永続する個人的な心の快楽、心の平安を得て守ることの実現である。抗わず、なびかず、受容し、かつ心の平安を得て充足し、それを快楽、愉悦と捉える。わたくしはこのエピクロス派の方に<人間らしさ>を感じ、かつ心惹かれる者である。
 一方のストア派だが、ストイック(禁欲的)という言葉がここから派生したように、欲望を理性を以て制御し、何事につけ理性的であれ、と説く。かれらは理性に基づく人生、自己実現を旨とする。エピクロス派とほぼ同じ時期に誕生した思想で、始祖はゼノン。理性ある限り万民は神の子として同胞なり、という世界市民的思想を持つストア派は、ローマ帝国の歓迎するところとなり、領内統治の思想的基盤として重用された。江戸幕府が文治政策を実施するにあたって朱子学を採用したのと同じ発想である。このストア派に属する人物として、セネカ、哲人皇帝マルクス・アウレリウス、エピクテトス、ヒルティなどがいる。
 このエピクロス派とストア派について、ルカ10:25-37で読んだ善きサマリア人の挿話を例にして、下手な特徴附けを試みよう。
 エルサレムからエリコへ下る途中、追い剥ぎに遭ってすべてを失い、行き倒れた人がいる。祭司とレビ人がそばを通ったが、かかわりになるのを厭うて無視して過ぎたのだったね。
 「ルカ伝」に於いて、かのサマリア人は一切の損得を抜きにして、かの者に救いの手を差し伸べて看護にあたった。これはエピクロス派の考えを具体的行動で現したものである。もしこのサマリア人の行為の根本に、それを行うことで自分にどんな益があるとか、なんらかの算盤勘定がそこに働いたなら、かれの行動はストア派の考えに従ったものである。
 困っている人がいれば無私無益の精神で援助したいものだが、その行為には往々にして自己陶酔、自己満足、自己欺瞞、他者への誇示、他者へのセルフ・プレゼンテーション、履歴書の経歴欄を飾る、というような後ろめたさが付きまとう。ボランティア活動にそうした側面があるのは否定できないのではないか。当事者ともなれば、尚更その事実は認め難いであろう。
 さて、話を戻そう。個人の精神生活を実現させ、守ってゆくのはエピクロス派もストア派も同じ。そこへ至る過程や手段が異なるに過ぎぬ。理性を振り絞っての禁欲か、自然体で勝ち取った心の平安/快楽(愉悦)か……。
 ──本稿はギリシア思想を解説するものではないので、小難しいところは省いて通ったが、もっと詳しく知りたい向きは、書店や図書館で哲学・思想のコーナーに行き、そこに並ぶ事典、入門書の類を片っ端から繙き、自分に合ったものを探してみてはどうだろうか。事情ある方でない限り、インターネットに頼って文献を探すな、自分の手と足と目で探せ。脳みそを活用して、それを読め。
 再三いうようだが、新約聖書を読むことは、ギリシア・ローマの歴史や地理、社会機構、思想や文芸、人々の生活や習慣、そうした諸々の事柄に接し、それらについて<知る>きっかけを摑むことでもある。──知らないこと、知らなかったことを知る、って、愉しいよね!
 なお、本稿で取りあげる予定であったテサロニケとアテネについて、また使17:28aで引用された詩人エピメニデスと同bで引用された詩人アラトゥスについては、後日、無理矢理どこかで触れることにしよう。

 本日の旧約聖書は使17:24と王上8:27,使17:25と詩50:9-13,使17:26と申32:8,使17:27と詩145:18。◆

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第2059日目 〈使徒言行録第16章:〈テモテ、パウロに同行する〉、〈マケドニア人の幻〉他〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第16章です。

 使16:1-5〈テモテ、パウロに同行する〉
 シリアのアンティオキアを発ったパウロは陸路で小アジアを東から西へ移動し、途中、キリキア州デルベやパンフィリア州リストラの町を再訪した。
 そのリストラの町にテモテという青年がいた。かれの父はギリシア人、母はユダヤ人で信者だった。パウロはかれを宣教旅行に同行させたかったので、ユダヤ人の手前、割礼を施した上で従者とした。
 一行は遠近の町々を巡り、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るよう人々に伝えた。こうしたことがあったので、異邦の地にある教会は信仰を強め、信者も日毎に増えていったのだった。

 使16:6-10〈マケドニア人の幻〉
 聖霊によってアジア州で御言葉を語ることを禁じられ、イエスの霊によりピティニア州へ入ることが許されなかったパウロ一行は、そのまま小アジアを西へ移動し、ミシア地方を横断して西端の港町トロアスに至った。
 目の前には海があった。エーゲ海である。海を渡ればそこはギリシア、マケドニアだ。アンティオキアもエルサレムも、かれらの背中ずっと後ろに、離れてある。思えば遠くへ来たものだ。
 トロアス滞在の晩、パウロは幻を見た。そこには1人のマケドニア人が立っており、パウロに、どうかマケドニアへ来てわれらを助けてください、と懇願していた。
 「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。」(使16:10)

 使16:11-15〈フィリピで〉
 パウロとわたしたちは船でトロアスの町をあとにすると、サモトラケ島を経てネアポリスの港に着き、そこからマケドニア州第一区の都市にしてローマの植民都市であるフィリピへ向かった。わたしたちの滞在は数日に及んだ。
 この町には離散ユダヤ人が多くないせいか、教会というものがない。そこでわたしたちは町の外に出て、祈りの場所があると教えられた川岸へ行ってみた。川岸には人が集まっていた。
 わたしたちはそのうちの1人で、アジア州ティアティラ出身で紫布を商う婦人、リディアと知己になり、話をした。彼女は信心篤い人だった。「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。」(使16:14)
 彼女も家族も洗礼を受けたが、彼女はなかば強引にわたしたちを自分の家に泊めた。

 使16:16-40〈パウロたち、投獄される〉
 わたしたちが祈りの場所へ行く途中で出会った女奴隷には占いの霊が取り憑いていた。彼女の主人たちは占いの霊を商売道具としていたので、ずいぶんと懐が潤っていた様子である。
 わたしたちがどこへ行くにもその女奴隷はずっとついてきて、さんざんわたしたちについて囃し立てるのだった。曰く、この人たちはいと高き神の僕で皆さんに救いの道を説いて回っているのです、と。このことは何日も続いた。
 何日も続いたので、遂にパウロは彼女に取り憑く占いの霊に向かって、いますぐこの者から出て行け、と命じた。霊はその場で女奴隷から出て行ったが、商売道具をなくした彼女の主人たちはパウロに激昂した。
 かれらはパウロとシラスを捕らえて広場へ連れてゆき、役人たちに引き渡した。この者どもはローマ市民であるわれらが到底仰ぎ、崇めることを諒としない風習を宣伝して、われらを不安にさせています。女奴隷の主人たちは、そういった。広場にいた群衆も、かれらに同調してパウロとシラスを責める始末だ。
 パウロとシラスの身柄を引き継いだ役人たちは、まず2人の衣服を剥ぎ取り、警備を厳重にしたいちばん奥の牢に放りこませた。かれらの足には、木の足枷。
 真夜中頃のことだ。パウロとシラスは賛美歌を歌い、神に祈っていた。他の囚人たちはそれに聴き惚れ、じっと耳を傾けている。するとそこに大きな地震が起こり、牢は崩れ、囚人たちの鎖も外れた。
 「目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。 パウロは大声で叫んだ。
 『自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。』
 看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。『先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。』二人は言った。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。』
 そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。」(使16:27-34)
 ──夜が明けると高官たちの命令により、パウロとシラスの釈放が決まった。それを伝えに来た下役にパウロがいう、高官たちはローマの市民権を持つわたしたちを裁判にもかけず、ただ広場に集う公衆の面前で鞭打っただけで投獄した、なのに釈放は秘かに行おうというのか、そんなことがあっていいはずはない、高官たちは自らここへ足を運んでわたしたちを釈放すべきである、と。
 下役たちが報告したこのパウロの言葉に卒然となった。「高官たちは、二人がローマ帝国の市民権を持つ者であると聞いて恐れ、出向いて来てわびを言い、二人を牢から連れ出し、町から出て行くように頼んだ。」(使16:38-39)
 晴れて出獄したパウロとシラスはリディアの家に行き、信者を励ました。そのあと、かれらは次の宣教地へ出発したのである。

 使16:10に唐突に出る「わたしたち」について、特に深入りして考える必要はない、と考える。トロアスからパウロたちに同行した人物であり、古来より教会や学説はこれを医者ルカであるとしてきたことを踏まえておればじゅうぶんだ。
 ルカ自身はシリアのアンティオキア出身であるとされるが、この一人称の主は(それが実際のところ誰であれ)当時小アジア西端の町トロアスに住んでおり、いきさつは未詳だが理由あってパウロ、シラスの随伴者となったのだろう。もっと正確なところを調べたい、と考えるなら図書館にこもって文献を調べ、照合し、自分なりの結論を出せばよい。
 わたくし自身は、それはおよそ文学上の表現に限りなく近く、厳密な意味で使われているとはあまり思えない、という立場を取る。ただ、なんらかの形でルカがかかわりを持った表現ではあるだろう。
 真実がどこにあるにせよ、ここに一人称の視点が導入されたことで、「使徒行伝」に於けるパウロ宣教旅行の記事は一段と生彩に富み、面白みを加えたようである。
 パウロは生まれながらのローマ市民であった(使22:28)。かれ自身が獲得したものではなく、かれの両親が市民権を持つ者であったのだ。以前にも本ブログでローマ市民権について触れたことがあったけれど(第1632日目)、それが如何なるものだったのかは書いていないはずなので、備忘も兼ねて、改めてここで粗術しておこう。
 パウロは使16:37にて、われはローマ市民なり、と声高らかに宣言して役人たちをたじろがす。『十二夜』に於いてヴァイオラが誇らかにわが名を宣言したにも似て。白鳥の騎士が朗々たる調子でわが名と素性を明かしたにも等しく。
 ローマ市民、パウロ。しかも生まれながらの! それは両親がローマ市民であったことを意味する。祖父か父が戦場にて武勲をあげたか、なんらかの功あって授けられたか、或いは千金を積んでその栄に浴したか。実際は定かでないが、ローマ市民権を持っていたことは、パウロを一度ならず二度までも助けている(使16:39,使22:29)。
 ローマ市民はまずなによりも縛りつけや鞭打ちのような屈辱的な罰が免除された。後にパウロが行うように、皇帝に上訴する権利もあった(使25:10-12)。また、ローマにいさえすれば投票権もあった。
 市民権はローマ生まれの者、ローマ住民のみでなく、そこ以外の町の生民、住民であっても取得できた。勿論後者はその町の市民権も持つのだから、人によっては居住地とローマ、2つの市民権を持っていたのである。なによりもパウロ自身、キプロス州タルソス市民権とローマ市民権の両方を持つ。
 異邦の地で宣教活動を行うパウロにとって、ローマ市民権は旅の安全と身の安全を約束する護符に等しかったであろう。卑近な例を出せば、水戸黄門に於ける印籠の如き切り札、か。
 本章でパウロはフィリピの町の広場で、宣教を快く思わぬユダヤ人たちにより役人へ身柄を引き渡された。次の第17章でもかれはアテネの町の広場で人々と論じ合う。
 パウロが活動したローマ帝国時代、さかのぼって共和政ローマ、そうして端緒、古代ギリシア社会に於いて広場は社交の場というのみに非ずして情報交換の場、知的談義の場、世論形成の場であった。勿論、思想や哲学の形成される舞台であった。こうした広場の役割は17世紀ヨーロッパになるとカフェが取って代わることになる。
 古代ギリシアの広場で活動した哲学者、思想家はわれらが想像する以上に多くいたことだろう。今日も名のある人物ではプラトンやアリストテレス、ソクラテスが、ここで自分の思想を市民相手に鍛えあげ、キケロやセネカが政治家糾弾や社会改革の演説を市民相手にぶっていた。
 こうした名残の色はわずかも色褪せることなく為政者が交代したあともあり続け、そうして推定、後51-52年頃パウロはマケドニアの町の広場に姿を現し、「使徒言行録」はその様子を斯く綴ったのである。
 ……本来ならばパウロの行程の一サモトラケ、就中この島で発掘されて現在はルーブル美術館の所蔵品であるニケ像についても触れる予定だったが、数日にわたる本章と次章の原稿執筆に疲れて力尽きんとしているため、後日の別項とさせていただくことをここに申しあげておく。◆

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第2058日目 〈使徒言行録第15章:〈エルサレムの使徒会議〉、〈使徒会議の決議〉&〈パウロ、バルナバとは別に宣教を開始する〉withろんちゃん、きみに幸あれ。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第15章です。

 使15:1-21〈エルサレムの使徒会議〉
 ユダヤ地方からシリアのアンティオキアへ下ってきたユダヤ人たちが、モーセの慣習に従って割礼しないとあなた方は救われない、と触れて回った。かれらユダヤ人と異邦人に宣教するパウロたちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。アンティオキアの教会は討議し、対処について使徒や長老たちと協議するため、エルサレムにパウロとバルナバを派遣することに決めた。
 2人はエルサレムへ上り、使徒や長老たちに会った。そうしてアンティオキアから携えてきた議題を提出した。ところが、ユダヤ教から改宗して信者になった元ファリサイ派の人々が立って、異邦人も割礼を受けて律法を守るべきだ、と主張したのだった。流石に立法尊重の立場だった人たちである。
 使徒ペトロは他の使徒と長老たちとこの件について議論を重ね、すべての会衆の前でこういった、──
 神があなた方の間からわたしを選んだのは、異邦人がわたしの口から福音を聞いて信じるようになるためでした。神はわれらに対するのと同じように、自分を信じて敬い、道を求めて正しく歩もうとする異邦人の上に聖霊を与えました。神は信仰によってかれらの心を清め、われらとの間にどのような差別もしませんでした。
 「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じるのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」(使15:11)
──と。
 会衆は続けて立ったパウロとバルナバから、異邦人改宗の実際について報告を聞いて、非常に感心した。かれらは異邦の地に赴いて神と共に在り、異邦人相手に宣教し、かれらの改宗を成し遂げてきたのである。
 そうして最後にエルサレム教会の指導者ヤコブがいった。神に立ち帰ろうとする異邦人を悩ませてはならない。慎むべきこと、控えるべきこと、避けるべきことのみ手紙に記して、かれらの許に届けよう。なんとなれば昔からそれぞれの町には律法を解説する者がいて、安息日になると会堂では律法が読まれているのだから。

 使15:22-35〈使徒会議の決議〉
 エルサレム教会はパウロとバルナバの随行者として、信者のなかでも指導者的立場にあるバルサバことユダとシラスを選び、アンティオキアへ派遣することに決めた。
 エルサレム教会がアンティオキア教会へ宛てた手紙の内容は、こうである、──
 聞くところによれば近頃そちらへ同胞のユダヤ人が行き、われらの指示なく独断で様々なことを触れて回り、あなた方を動揺させた由。そこでわれらはそのことを正すため、パウロとバルナバに加えてユダとシラスを派遣します。
 異邦人の兄弟たちよ、「聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」(使15:28-29)
──と。
 パウロたちはアンティオキアに到着するとすべての信者に集まってもらい、エルサレム教会からの手紙を読みあげた。かれらは、「励ましに満ちた決定を知って喜んだ。」(使15:31)
 預言者でもあったユダとシラスはその後しばらくの間アンティオキアへ滞在して、人々と語り合ったり励ましたりしたあと、見送られてエルサレムに帰った。パウロとバルナバはなおもアンティオキアに留まり、主の福音の言葉を告げ知らせたのである。

 使15:36-41〈パウロ、バルナバとは別に宣教を開始する〉
 その数日後。先の宣教旅行で訪れた町を再訪し、人々のその後の様子を見てこようではないか。パウロはそう提案し、バルナバは諾った。
 バルナバは先の宣教旅行に同行したマルコと呼ばれるヨハネを、今回も連れてゆきたかった。が、パウロは反対した。宣教活動の途中で離れて帰ってしまったような者とは一緒に行動できない。
 よってかれらはここに袂を分かった。バルナバはマルコを伴いキプロス島へ出発した。パウロはシラスを伴って、シリアやキリキア州から始めて小アジアを横断、ギリシアのマケドニアに至る宣教旅行を開始した。かれらはそれぞれに主の恵みを受けて、目的地に向かって発ったのである。
 パウロには第2回目の宣教旅行が、幕を開けた。

 すくなくとも公に記録される初の使徒会議の様子と、新約聖書で読む最初の書簡の内容が、本章にて記される。
 割礼を義務とするユダヤ人相手の宣教・礼拝はエルサレム教会が担当し、そもそも割礼を義務としない異邦人相手の宣教・礼拝活動はアンティオキア教会を拠点とする(と考えてよい)パウロたちが担当する。そのあたりをはっきりと線引きして明らかにしたのが、ここでの使徒会議とアンティオキア教会宛の書簡であるだろう。餅は餅屋に、ということか。
 これは小さなことかもしれないが、とても大きな意義を持つ出来事だ。西方への宣教の足掛かりを持たなかったエルサレム教会は、パウロという、自身改宗を経験したローマ市民を陣営に取りこむことで、それを可能にした。パウロなくしてキリスト教が世界宗教に成長することはなかった、という所以である。
 一方でパウロはエルサレム教会からの正式な任命(使15:25-26)を後ろ盾に、自分の行う宣教と説教が正統かつお墨付きであることを主張することが可能となった。それは自信にあふれ、説得力に満ち満ちた活動を生み出す要因となり、数々の<パウロ書簡>の執筆を促す契機にもなったのである。パウロは本章を以てキリスト教最大の広告塔になった、というてよいかもしれない。
 ──けっきょくマルコが第1回宣教旅行から離脱し、それが原因でパウロに疎まれた理由は定かでない。が、離反の理由はともかく、このマルコが使徒ペトロ、バルナバとパウロに親しく接した時期があったからこそ、「マルコによる福音書」が書かれたのであろうという、〈「マルコによる福音書」前夜〉で申しあげた意見に変わりはない。
 なお、使15:34は本文から欠落しており、補うと「しかし、シラスは(アンティオキアに)留まった」とある。パウロが随伴者としてシラスを選んだ使15:40との整合性を図るためには必要な一節だ。

 本日の旧約聖書は使15:16-17とアモ9:11-12,使15:20とレビ18:6-18及び同17:10-14。



 寿退社して渡米する上司と最後に職場で会う日、挨拶して別れて後に本稿起筆。
 その人と、初めて会った日からのことが走馬燈のようによみがえってきて、困る。これではいつまで経っても忘れらないではないか。感傷に耽りたくはないのだ。お別れとかそういうの、いちばん苦手なんだよ、おいら。
 それはともかく。
 いやぁ、第一印象は衝撃的だったね。お金を積まれたらそのときのことを話してあげる用意はあるが(えへ)、枠に捕らわれない思考と、悪くいえば型破りに近い行動力、豪放磊落にして気さくな人柄が大好きだった。憧れたなぁ。自分とは正反対の人だったもの。……んんん、まさしくアメリカンな方であったよ。
 でもね、この人がいてくれて、どれだけ気持ちが救われただろう。ぶつかったこともあった。手を結んだこともあった。月並みな言葉だけれど、いまはすべてが良き思い出。必要なときに必要な人と会う幸運に感謝している。
 結婚式の日にまた会おう。
 ろんちゃん、きみの未来に幸のみあれかし。◆


09261120;36

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第2057日目 〈使徒言行録第14章:〈イコニオンで〉、〈リストラで〉&〈パウロたち、シリア州のアンティオキアへ戻る〉〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第14章です。

 使14:1-7〈イコニオンで〉
 リカオニア州イコニオンでもサウロことパウロとバルナバは熱心に、勇敢に、宣教に努めた。結果、多くの人々がイエス・キリストの教えを信じるようになった。が、それを良く思わず、かれらを迫害する者たちもいた。
 「町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた。異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき 」(使14:4-5)、これに気附いた2人はイコニオンを去って、州内の町リストラとデルベ,その周辺の町々へ行き、福音を告げ知らせた。

 使14:8-20〈リストラで〉
 リカオニア州リストラに、生まれつき足が不自由で、生まれてから一度も歩いたことのない人がいた。パウロは自分の説教を一心に聞いているこの人が、癒やされるのに相応しい信仰の持ち主だとわかったので、かれに、立って歩きなさい、といった。すると、その人は躍りあがって歩き始めたのである。
 この様子を見ていた群衆は驚き、声を張りあげて、現人神がわれらのところへ来た、とリストラ地方の方言でいうた。かれらはバルナバをゼウスと呼び、パウロをヘルメスと呼んだ。
 そこに町の外にあるゼウスの神殿に仕える祭司たちが来て、2人の前にいけにえをささげようとした。群衆も一緒になって、その旨告げた。が、それを見てパウロとバルナバは悲痛な叫びをあげて服を裂き、かれらのなかに入ってゆくと、リストラの人々よ、どうしてこんなことをするのですか、といった。続けて、──
 「わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。」(使14:15)われらはあなた方が偶像を離れて生ける神に立ち帰るよう福音を告げ知らせているのです。
 昔から神は、全地の国の人々が思い思いに行動するのを黙認していました。つまり、見て見ぬ振りをずっとしていたのです。が、だからといって、ただの一度も御自分のことを証ししようとしなかったわけではありません。いつだって神は、「恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」(使14:17)
──と。
 このように話すことで、ようやく祭司や群衆がいけにえをささげようとするのをやめさせられたのだった。
 が、ここにもキリストの教えを厭い、パウロたちを邪険に思うユダヤ人たちが来て、群衆を扇動してパウロに石を投げつけた。そうしてぐったりとして動かなくなたパウロを死んだと思いこみ、リストラの町の外へ引きずっていって、そこへ捨て置いたのである。勿論、パウロは生きている。かれは弟子たちに囲まれながら再びリストラの町中へ行き、翌る日バルナバと共に同州デルベへ向かった。

 使14:21-28〈パウロたち、シリア州のアンティオキアへ戻る〉
 デルベで福音を告げ知らせて多くの異邦人を改宗させたパウロたちは、この地を今回の宣教旅行の到達点とし、リストラ、イコニオン、ピシディア州のアンティオキア、と来た道を引き返してきた。
 道々かれらは弟子たちを励まし教会ごとに長老を任命、断食して祈り、かれらを信じる主に任せた。
 2人はパンフィリア州ペルゲからアタリアへ南下し、そこから海路でシリア州のアンティオキアへ帰還した。かれらはアンティオキアに「到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。」(使14:27)

 町の名の前に一々州名が記されるのは煩わしいとお思いになる方もおられようけれど、本ブログが画像を載せぬ方針である以上、後日この時代の地図を見たとき労費やさずして位置関係を摑み、宣教旅行のルートを確かめられるようにするため、斯様な措置を行っている。自分のためであるのが第一だが、読者諸兄にはご理解の上諒としていただきたい。
 ──それにしてもさすがにヘレニズムが浸透してそれが民間に生きている時代だ。リストラの町で宣教する2人を、町の人々は神話の神々に準えた。専ら話者として人々の前に立つパウロをヘルメスに、傍らへ控えながらも口を開こうとしない様子のバルナバをゼウスに,それぞれ準えた。ゼウスは勿論ギリシア神話の最高神である。バルナバの姿に威厳を、人々は感じたのだ。
 一方ヘルメスは神々の使者で、旅行の神、雄弁の守護者などとされた。呉茂一『ギリシア神話』では、ヘルメス像の推移やこの神に付与された性格や役割がわかりやすく書かれてあって、面白い。ご一読を奨める。百の眼の怪物アルゴスを殺した挿話も、むろん紹介されている(上巻P260-9 新潮文庫)。
 ──パウロの第1回宣教旅行は本章で終わり。第2回の、そうしてパウロ単独としては初の宣教旅行は、次章第40節から始まる。読者よ、しばし待て(呵々)。◆

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第2056日目 〈使徒言行録第13章:〈バルナバとサウロ、宣教旅行に出発する〉、〈キプロス宣教〉&〈ピシディア州のアンティオキアで〉〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第13章です。

 使13:1-3〈バルナバとサウロ、宣教旅行に出発する〉
 アンティオキアの教会へ集う預言者や教師たちの上に聖霊が降り、サウロとバルナバを指名して伝道の旅に出すよう命じた。人々はかれらの頭の上に手を置き、出発させた。

 使13:4-12〈キプロス宣教〉
 サウロとバルナバはシリアのアンティオキアを発ち、地中海沿岸の町セレウキアへ行った。かれらはそこからキプロス島へ渡り、港町サラミスに上陸した。サウロことパウロによる第1回宣教旅行が始まったのだ。
 島全体を巡り歩いたかれらは島の南岸パフォスへ行き、魔術師バルイエス(エリマとも)を挫いた。魔術師とは知る仲だったこの地の地方総督セルギウス・パウルスはその様子を見て、「主の教えに非常に驚き、信仰に入った」(使13:12)のである。

 使13:13-52〈ピシディア州のアンティオキアで〉
 さて、パフォスで魔術師を挫いたパウロとその一行は、そこの港からキプロス島をあとにし、小アジアはパンフィリア州ペルゲの港に到着した。その地でエルサレムから随伴してきたマルコと呼ばれるヨハネはパウロたちと別れ、そのままエルサレムへと戻ってしまった。理由ははっきりしない。
 パウロとバルナバはピシディア州のアンティオキアへ行き、安息日に会堂で律法と預言者の書が朗読されるのを聞いた。そのあと会堂長たちに促されて立ったパウロは、人々を前にしてこういった、──
 皆さん、ご存知のようにわれらの先祖は御腕を高く上げた主なる神の導きにより出エジプトを果たし、40年の間荒れ野を彷徨う生活を経験した後約束の地カナンへ入り、士師たちの時代を経てサウル、ダビデを王に戴く国を得ました。そうして長い時間が経ったあと、神はかねてからの言葉通りダビデの子孫から救い主イエスを現し、われらへ送ってくれたのでした。イエスは洗礼者ヨハネが自分のあとから来る方というた方であり、その履き物を脱がす資格もない、というた相手でありました。
 「兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。」(使13:26)
 が、エルサレムの祭司長やファリサイ派、律法学者、そこに暮らすユダヤ人はイエスを認めず、信じず、言葉を聞かず、業を見ず、総督ピラトの判決を退けてあくまでイエスを反逆者、謀反人、罪人として裁き、死刑に処すことを望み、その旨訴えました。けっきょくイエスは磔刑に処されて十字架上で死にました。斯くしてそれまでイエスについて語られていた事柄はすべて実現したのです。
 しかしその後、イエスは復活しました。生前ガリラヤからユダヤ/エルサレムへ共に下った人々の前にイエスは姿を現したのです。それも何日にもわたってです。かれら使徒はその出来事の証人です。「つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。」(使13:33)
 かのダビデ王でさえ死して後は朽ち果てました。が、神が復活させたその方イエスは──詩篇にもいうように──朽ち果てることはないのです。
 「だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。」(使13:38-39)
 ──話し終えて会堂を出ようとするパウロたちに、人々は、次の安息日も是非来て話をしてください、と頼んだ。多くのユダヤ人や改宗した異邦人が、会堂をあとにしたパウロたちに付き従った。パウロとバルナバは人々に、神の恵みの下に生き続けるように奨めた。
 「しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわたしたちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、/あなたが、地の果てにまでも/救いをもたらすために。』」異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。」(使13::45-49)
 にもかかわらず、ユダヤ人が町の人々を煽動してパウロたちを迫害するので、2人はピシディア州のアンティオキアを追い出されて後はリカオニア州のイコニオンへ向かったのだった。

 パウロは都合4回、宣教旅行を実施した。「使徒言行録」に記録されるのは第1回から第3回まで。本章から第15章第4節までは第1回宣教旅行の様子が綴られる。
 伝道(宣教)と迫害(弾圧)がコインの表裏、常にセットで語られるのは、なにもいまに始まったことではない。既にそれはイエス生前から、否、旧約聖書の預言者たちの時代からあった。新しい何かのために行動し、実現させようと尽くすものは、かならず旧態勢力の、どちらかといえば論理よりも感情に支配されたむくつけき抵抗に遭って、苦しめられる。
 われらはそれを、本章のパウロたちに見る。今後も同様の報告、乃至は歴史に接してゆくことになるだろう。
 後の第2回宣教旅行でパウロとバルナバは、マルコを随伴者とするか否かで議論し、袂を分かつことになるが、これについてはまた明後日の話題とする。
 なお、使13:9「パウロとも呼ばれていたサウロ」が、パウロという名の初出である。

 本日の旧約聖書は使13:19aと申7:1,使13:19bとヨシュ14:2,使13:21aとサム上8(全),使13:21bとサム上10:21-24,使13:22とサム上13:14及び同16:12,使13:33と詩2:7,使13:34とイザ55:3,使13:35と詩16:10,使13:41とハバ1:5,使13:47とイザ49:6。◆

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第2055日目 〈使徒言行録第12章:〈ヤコブの殺害とペトロの投獄〉、〈ペトロ、牢から救い出される〉&〈ヘロデ王の急死〉withしばらくエッセイは休載します。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第12章です。

 使12:1-5〈ヤコブの殺害とペトロの投獄〉
 於エルサレム、除酵祭の時期。ヘロデ・アグリッパ1世は教会へ迫害の手を伸ばし、12使徒の1人ヤコブを殺害した。
 これを見てユダヤ人が喜んだので、続いてヘロデはペトロを捕らえて、命じて獄へつないだ。次の過越祭のあとで、民衆の前に引き出すつもりだったのである。
 その頃、教会ではペトロのために熱心な祈りがささげられていた。

 使12:6-19〈ペトロ、牢から救い出される〉
 いよいよ民衆の前に引き出されるという日の前夜、主の天使が現れてペトロを導き、救った。
 ペトロは寝ている自分の脇腹を誰かがつつくのに気附いて、目が覚めた。それは主の天使だった。ペトロは4人1組の番兵4組に監視されていたのだが、主の天使が訪れたのは夜だったので番兵は皆眠っていた。
 主の天使の導きで「ペトロは外に出てついて行った」(使12:9)が、「天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った」(同)のだった。衛兵所を過ぎて獄舎の門の外まで来たとき、ペトロは、はっ、とわれに返った。主の天使が離れたからだ。自分が救い出されたことを知るとペトロは、マルコと呼ばれるヨハネの母マリアの家に行った──。
 さて、その頃マリアの家にはペトロの解放と生還を祈る人が大勢集まっていた。ペトロが家の門扉を叩くと、ロデなる女中が出て来た。彼女は訪問客が誰であるかを知ると、大いに喜び、家のなかの人々へそのことを告げて知らせた。人々は訝しみ、信じようとしなかったが、試しに門扉まで行くとたしかにペトロがそこにいたので、驚き、喜び、神に感謝した。
 ペトロは自分の無事と主の天使の導きのことを話し、このことを教会の指導者ヤコブと兄弟たちへ伝えるよう命じた。
 一方、ヘロデ・アグリッパ1世はペトロ行方不明の責を番兵たちに取らせ、エルサレムからカイサリアへ下り、そこにしばらく滞在した。

 使12:20-25〈ヘロデ王の急死〉
 ティルスとシドンの住民はひどく困っていた。ヘロデ王の立腹は収まる様子がなかったからである。ティルスもシドンも、ヘロデ王の所領地から食糧の供給を受けていたので、それが滞り、途絶えるのはまさしく死活問題だったのだ。為に人々は王の侍従プラストに近附き、和解の道を模索した。
 神により定められたその日、ヘロデ・アグリッパ1世は民の前で演説した。それを聞くために「集まった人々は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。」(使12:22-23)
 ──神の言葉はますます栄え、広がってゆく。エルサレムへ援助物資を届けに来て役割を果たしたパウロとバルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを伴ってアンティオキアへ戻っていった。

 使7にてキリスト教初の殉教者の最期が物語られた。本章では、初の、そうして唯一の12使徒の殉教が描かれる。唯一とは、使徒のうちヤコブ1人が殉教した、ということではない。「使徒言行録」のみならず新約聖書で、このヤコブ1人のみ殉教が記されているのだ。
 12使徒のうちではパウロと同じ時期にペトロが殉教し、専ら皇帝ネロによるキリスト教弾圧の時代にアンデレ以下のメンバーも順次殉教していった。12使徒で殉教を免れた、自分の名前の十字架を持たぬのは、ゼベダイの子でヤコブの兄弟、福音書と幾つかの書簡の著者とされるヨハネのみだ。使徒のなかで最初に殉教した者と殉教から逃れて天寿を全うした者が兄弟であったことは偶然であろうが、わたくしはこの奇妙な暗合におもしろみを感じる。
 ヘロデ・アグリッパ1世は洗礼者ヨハネを斬首して、一書に曰く妻の連れ子サロメに洗礼者の首を所望されたヘロデ・アンティパスの甥である。ローマ帝国により属州ユダヤの統治を委任されたヘロデ朝の支配者で、在位は後37-44年。ファリサイ派に近しい立場を取り、キリスト者を迫害したのは本文にある通りだ。
 ヨハネとも呼ばれるマルコは「マルコによる福音書」著者とされるのは、既にその〈前夜〉で述べたが、かれがパウロの弟子となったのは使12:25が契機となったようである。やがては原因不明ながらも袂を分かつ2人だが、かれらが共にあった時期なくして「マルコによる福音書」は書かれなかったかもしれない。パウロの第1回宣教旅行も今日われらが知るのとはまた少し違っていたかもしれない、と思うのである。
 次章から「使徒言行録」はそのパウロの宣教旅行とかれの演説、説教の報告と記録を主旨とするようになる。



 しばらくの間、エッセイを併載することは控えることにした。
 「使徒言行録」が終わったあとのネタをストッしておきたい、というのが本音だけれど、これから先本書は感想・解説のなかで古代ギリシアやローマ帝国の文物、神話などについて触れてゆくこと多々となるであろうため、短かろうと長かろうとエッセイに割くだけの余裕を持てないことが、朧気ながら判明したからである。
 旧約聖書(並びに続編)で<歴史>にカテゴライズされる書物群を読んでいたときは、却って参考になる資料、文献が限られていたのに対し、今度はそれがありすぎるという事態に困っている。「使徒言行録」の原稿を書いてゆくとき外部資料に頼らなくてはならないいちばんの候補は、やはり古代ギリシアの哲学や社会構造だ。簡単に表面をなぞるぐらいで、それを鵜呑みにした文章を書いて良いなら『山川世界史』だけを頼ればこれ程楽なことはあるまい。が、それをわたくしは厭う。複数の資料や文献に目を通さねば気が済まないのである。
 となれば、それだけ時間を要することは必定。まず「使徒言行録」本文に目を通し、必要であれば時代背景や固有名詞にチェックを入れて、そのあと資料にあたり、消化して、文章を書いてゆく。場合にとってはこの作業に数日を費やすこともある。こうしたことが今後は数日続くことが予想されるのだ。となれば、断腸の思いで(ん?)エッセイの併載を諦める他あるまい。むろん、言い訳と揶揄されるのは承知している。でも、会社勤めしているとこんなことは間々ありますよ。
 このまま順調に進めば「使徒言行録」も来月なかばにはつつがなく終わりを迎えられるだろうから、それまでにスタバへこもって、1ヶ月分ぐらいのネタ出し作業を強行しよう。◆

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第2054日目 〈使徒言行録第11章:〈ペトロ、エルサレムの教会に報告する〉&〈アンティオキアの教会〉with岩波文庫『文語訳 旧約聖書Ⅱ 歴史』解説に誤記あり。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第11章です。

 使11:1-18〈ペトロ、エルサレムの教会に報告する〉
 エルサレムの教会はペトロがカイサリアで異邦人を改宗させたことを知ると、エルサレムへ帰ってきたばかりのペトロを呼んで、非難の言葉を浴びせた。これを承けてペトロは事の次第を正しく説明した。曰く、──
 わたしがヤッファにいて祈っていると、カイサリアから3人の使者がやって来ました。かれらがいうには、自分たちの主人であるローマの武官がわたしを招いている、とのことでした。“霊”はそのときわたしに、ためらうことなくこの人たちと行け、といったのです。そうしてわたしはカイサリアへ行き、かのローマの武官と会い、主イエス・キリストの奇跡と受難と復活について話しました。すると聖霊がかれらの上に降ったのです。そのあと、わたしはかれらにイエス・キリストの名により洗礼を授かるよう命じました。
 「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」(使11:17)
──と。
 このペトロの言葉を聞いた人々は、もうあれこれ非難するのをやめた。そうして、神は異邦人を悔い改めさせて命を与えてくだすった、というて神を讃美した。

 使11:19-30〈アンティオキアの教会〉
 ステファノの事件をきっかけにして信者への迫害が始まった。これを逃れんと信者はフェニキアやキプロス、アンティオキアへまで散り、そこで伝道したが、対象はユダヤ人に限られてしまっていた。
 が、散らされた信者のなかには、キプロス島やキレネから来た者らもいる。そのため、かれらはギリシア語を話す異邦人のコミュニティへ積極的に交わってゆき、そこで主イエス・キリストの福音を告げ知らせていったのである。神がかれら福音宣教師を助けたので、御言葉、福音を聞いて信じ、主へ立ち帰るようになった人が多く現れるようになった。
 エルサレム教会から事の真偽をたしかめるためにアンティオキアへ派遣されてきたバルナバは、噂が事実であるをの知り、異邦人へ神の恵みが与えられたのとを見て、喜んだ。聖霊と信仰に満ちたバルナバは、アンティオキアの改宗者たちに、固い決意を持って主から離れることがないようになさい、といった。
 その後アンティオキアをあとにしたバルナバは、キリキア州タルソスへ足を伸ばした。サウロを捜しに行ったのである。再会した2人はアンティオキアへ戻ると、丸1年の間、そこの教会で人々に福音を宣べ伝え、更に多くの人々を主に立ち帰らせたのである。
 「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」(使11:26)
 ──その頃のことである。エルサレムからアンティオキアへ、アガボという預言者が来た。かれは近い将来、世界中に大飢饉が起こる、と告げた。アンティオキアのキリスト者たちは食料や水など援助物資をまとめて、ユダヤの兄弟たちに、とバルナバとサウロに託してエルサレムへ届けた。……預言された飢饉はその後、実際に起こってパレスティナ地方を襲った。第4代ローマ皇帝クラウディウスの御代のことである。皇帝の在位は後41-54年の13年間であった。

 前章にてペトロが蒔いた<異邦人への宣教>という<種>は、本章で豊かな土壌を得て根附き、芽を出して正しく生育する予感を抱かせる。エルサレムを追われた福音宣教師による異邦人の改宗はバルナバにより事実と認められ、そのバルナバはサウロと合流してアンティオキアを中心に更なる布教を推し進めてゆくのだ。また、間もなく開始されるサウロ/パウロの宣教旅行の芽吹きでもある。
 使11:20にもあるが、散らされた信者のなかにいた、非ユダヤ地方出身の名もなき福音宣教師の存在なくして、主イエス・キリストの福音が諸外国へ伝わってゆくことはあり得なかった。これはかれらが非ユダヤ人なるがゆえにユダヤ以外の人々へ宣教してゆく自由を心に覚えていたことの証しだし、ユダヤ人にのみ宣教するというユダヤ人福音宣教師(当初はエルサレム教会も)のような制約から解放されていたからこその行動でもあった。
 1人は皆のために、皆は1人のために。この言葉をキリスト教伝播の過程に当て嵌めて使うのは、あながち間違いではあるまい。
 この第11章は「使徒言行録」最大のターニング・ポイントというて良いだろう。



 数日前に発売された岩波文庫『文語訳 旧約聖書Ⅱ 歴史』を喜び勇んで購入したものであります。ざっ、と目を通し、解説を読んでいたのですが、ちょっとびっくりする記述に出喰わしました。別段重箱の隅をつつくつもりはないのですが、気になったので書きます。
 本文庫に収められるは歴史ということで、「ヨシュア記」から「エステル記」まで9つの書物。出エジプトを果たして40年間荒野を彷徨うたイスラエルの民がヨシュアに率いられてカナンの地へ入植し、サムソンやギデオンら士師の時代のあとサムエルの油注ぎによりサウルがイスラエル王国の王となり、ダビデを経てソロモン崩御の後に王国は南北分裂し、やがて北王国イスラエルはアッシリアにより、南王国はその約130年後バビロニアにより滅亡、後者はバビロン捕囚を経験してペルシアのキュロス王の布告によって(希望者が)荒廃した祖国に帰り、エズラ、ネヘミヤ、ゼルバベルの指導の下、第二神殿を再建する、というのが大きな流れですが、解説子はどうしたわけか、とんでもない誤記をそこに残しておりました。
 南王国ユダは新バビロニア王国によって滅んで、歴史から姿を消しました。ネブカドネツァルは時のバビロニア王でありました。「列王記」、「歴代誌」いずれにもその旨記されております。この事実は如何なる翻訳でも変わりません。勿論、文語訳に於いても然りであります。
 なのに本文庫の解説子は、南王国ユダは北王国同様にアッシリア帝国(解説中では文語訳の表記に倣って「アッスリア」)より滅ぼされた、と3ヶ所にわたって記しております。
 これはいったいどうしたことなのでしょう。誤植というのはあまりにお粗末かつ無様。解説子は旧約聖書や古代オリエント史を専門とする人ではないのだろうか。解説子は如何なる考えを持って、南王国ユダが黄昏の時代を迎える頃にはバビロニアとメディアの連合軍の前に滅亡していたアッシリア帝国によって滅ぼされた、と解説に記し、(おそらくされているであろうはずの)推敲の際は手を触れず、校正の指摘にも無視を決めこんだものなのか。いずれにせよ、この点をスルーしたのは却って天晴れと申せましょう。版元のHPに告知のない以上(2015年08月26日00時00分現在)、ここで報告させていただくには値しましょう。
 これが解説子の記憶違いであれなんであれ、単なる誤記誤植で、重版時は訂正がされていることを望みます。◆

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第2053日目 〈使徒言行録第10章:〈コルネリウス、カイサリアで幻を見る〉、〈異邦人も洗礼を受ける〉他with怪談と現実、シンクロ率100%はお断り。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第10章です。

 使10:1−8〈コルネリウス、カイサリアで幻を見る〉
 地中海沿岸の都市カイサリアはローマ帝国属州ユダヤのいわば首都である。ローマ総督の館があり、ローマ軍のなかでもローマ市民によってのみ構成されるイタリア隊が駐留していた。
 そのイタリア隊の隊長の名はコルネリウス。かれは信仰心篤く、絶えず神に祈り、人々に施しを行い、家族共々神を畏れる人だった。
 或る日、午後3時の祈りをしているコルネリウスに神の天使の言葉が臨んだ。神の天使は、ヤッファにいる使徒ペトロの許へ使いを送り、あなたのところに招きなさい、といった。コルネリウスは召使い2人と兵士1人をヤッファに派遣した。

 使10:9−33〈ペトロ、ヤッファで幻を見る〉
 カイサリアからの使者がヤッファのすぐ近くまで来ていた頃、ペトロは滞在中の革なめし職人シモンの家の屋上にいた。昼12時頃である。ペトロは空腹を覚えながら空を見あげていた。
 すると天の一角が開き、なにか大きな箱のようなものが、四隅を吊られて降りてきた。そのなかには全地のあらゆる獣、這うもの、空の鳥が詰め合わされている。
 どこかからペトロへ呼びかける声がした。これを屠って食べよ、とその声はいった。ペトロは、とんでもない、と頭を振った。(洗礼を受けてこの方)清くなかったり汚れたものは食べたことがありません。声が、神が清めたものを清くないなどといってはならない、といった。ペトロと声の押し問答は3度されて、結局ペトロが拒んだので、箱は天へ引き上げられて、天は閉ざされたのだった。
 いまのはどういうことだったのだろう、と考えに耽るペトロのところへ、カイサリアからの使者が到着して、来意を告げた。かれらはペトロに、聖なる天使がコルネリウスにあなたを招いて話を聞くようにと告げたのです、といった。
 そうしてペトロは使者たちに連れられて、カイサリアに行った。そこでかれはコルネリウスと会い、こういった、──
 「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。」(使10:28−29)
 それからペトロは招待の理由を訊ね、コルネリウスは事の次第を伝えた。「今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」(使10:33)

 使10:34−43〈ペトロ、コルネリウスの家で福音を告げる〉
 コルネリウスの言葉に感じ入ってペトロはいった。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」(使10:34−35)
 そうしてペトロは生前のイエスが行った奇跡と受難、復活について教えた。しかし復活したイエスを目撃して証人となったのは、あらかじめ選ばれて一緒に食事をしたわれらだけです、と補った。続けてペトロの曰く、──
 「そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」(使10:42−43)

 使10:44−48〈異邦人も洗礼を受ける〉
 ペトロがこれらのことを話している最中、聞いている者たちの上に聖霊が降った。既に割礼済みでペトロと共に来た信者たちは、聖霊の賜物が異邦人の上に注がれ、異邦人が異言を話したり、神を讃える光景を目にして、すっかり驚いてしまった。
 かれらの驚く様に気附いてペトロはいった。「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか。」(使10:47)
 それからペトロはコルネリウスたちに、イエス・キリストの名によって洗礼を受けなさい、と命じた。
 コルネリウスたちはペトロに、もっと滞在してくれるように、と願った。

 「使徒言行録」の真骨頂ここにあり、というところか。
 神を信じながらも聖霊を受けておらず、割礼もしてないローマ人コルネリウスの如きは既にシリア・パレスティナを中心に多く存在していたことは明白だ。
 本章は異邦人が聖霊降臨を経験し、イエス・キリストの名によって洗礼を受けることで信者となったことを最初に教えてくれる箇所だ。形式を重んじる教会は割礼を受けていない点を問題視するのだが、ペトロは問うべきは割礼を済ませているか否かではなく、神なる主を信じ、イエス・キリストの教えに帰依するかどうかという点にこそある旨答えて論破している(使11:2-3,15-17)。形ではなく心が重要なのだ。
 使徒たち、福音宣教師たちはこの出来事をきっかけとして、或いは突破口として、着々と異邦人の改宗に着手してゆくこととなる。
 それにしても、革なめし職人シモンの家の屋上でお腹を空かせながら空を見あげているペトロの姿は、想像すると思わず微笑を禁じ得ません。なんだかとってもかわいらしくありませんか?



 今日は涼しい一日でしたね。北側の窓を開けていると、寒いと感じるぐらいの風が部屋に吹きこんでくる程。冷房に頼ることなく過ごしたなんて久しぶりです。
 最前まで泉鏡花の怪談小品を読んで過ごしていたのですが、このときちょっと背筋がひやり、とすることを経験しました。いろいろ読んできて、最期のお楽しみにとっておいた、高校時代から大好きな一編「怪談女の輪」を読み始めて少し経った頃です。主人公が人目を避けて江戸時代の人情本を読む場面があります。突然障子や軒先に、ぱら、ぱら、という、雨粒があたるような音がしたのにびっくりしてしまう。
 この場面は活字で読むよりも、いつだったか本ブログでも紹介したオーディオ・ブックで聴く方がよほど薄ら寒い思いをするのだけれど、わたくしも「怪談女の輪」の読書中、主人公がかの雨音のような音を聞く箇所で、まったく同じような、雨粒が庇や壁に、ばら、ばらっ、とあたるのに似た音を聞いて、背中は伸び、椅子からお尻が浮いたのでした。いや、冗談じゃありません。
 慌てて窓の外を見ても、首を窓から出して壁を見てみても、濡れた形跡はありませんでした。虫の音が聞こえるばかり。窓より高い木も近くにはなく、誰かがいたずらでなにかを投げつけたわけでもなさそうです。
 あれはいったいなんだったのでしょう。読んでいた小説とこんな形でシンクロするのだけは、どうかこれを限りに願い下げとしたいものであります。ちゃお!◆

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第2052日目 〈使徒言行録第9章2/2:〈ペトロ、アイネアをいやす〉&〈ペトロ、タビタを生き返らせる〉with2015年上半期、最も思い出深い本;亀井勝一郎『大和古寺風物誌』〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第9章2/2です。

 使9:32−35〈ペトロ、アイネアをいやす〉
 ペトロはユダヤの町々を巡り歩いた。そのうちの1つ、エルサレム北西約30キロの位置にある内陸の町リダで、かれは8年も前から中風のせいで床に就いているアイネアという人を癒やした。
 リダと近郊の町シャロンに暮らす人々は、起きあがって歩き回るアイネアを見て、主に立ち帰った。

 使9:36−43〈ペトロ、タビタを生き返らせる〉
 地中海沿岸の町ヤッファにはタビタという女弟子がいた。彼女はその地で数々の善き行いや施しをしたが、やがて病にかかって死んでしまった。
 ヤッファの人々は近くのリダにいる使徒ペトロへ遣いを出して町へ来てもらい、タビタの遺体を安置した階上の部屋へ導いた。
 彼女の遺愛の品を見せては悲嘆に暮れるヤッファの人々を見たペトロは、皆を部屋から退出させたあと、タビタのために祈り、そうして話しかけた。タビタよ、起きなさい。するとタビタは息を吹き返して半身を起こし、ペトロの手を借りて立ち、人々の前に姿を現した。
 この一件はたちまちヤッファ中に知れ渡り、沢山の人々が主イエス・キリストを信じるようになったのである。
 ペトロはその後しばらくの間、革なめし職人シモンの家に泊まった。

 第9章<ペトロの癒やし>編である。
 ここで紹介される挿話2つはあまり面白いものではない。タビタの生き返りはラザロのよみがえりを想起させ、これがペトロが最初に行った死者の生き返らせである、という以外には、特に関心を引くようなものではない。
 が、これは次の第10章の露払い的役割を担う箇所である。心して読もう。小さな章節こそ肝心である。
 それにしても、生き返った死者は生前の記憶を保っているのだろうか。感情や思考は元のままなのだろうか。死者は歌うか。死者は愛すか。使徒たちへ質問できるならば、それを一等最初に訊きたい。



 倩今年上半期に読んだ本でいちばん思い出深いのは、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』(新潮文庫)である。
 思えば5月に奈良へ旅したことは、自分のなかにあって眠っていた歴史や古典への興味を再燃させる起爆剤的役割を担ったと思う。あと数日で出発という日にどうして『大和古寺風物誌』を買う気になったのか、まったく以て思い出せないのだが、すくなくとも和辻哲郎の『古寺巡礼』よりは取っ付き易そうな印象は、たしかにあった。
 が、旅の前から読み始めた箇所はどうしても記憶に残ることが殆どなく、正直なところ、あれから3ヶ月経ついまでも斑鳩宮について書かれた3つのエッセイは、聖徳太子の事績と、著者の上宮太子への敬慕が纏綿と綴られたものとしか受け止められないのだ。
 宿泊先のホテルですることもなくなったとき、何の気なしに荷物から出してページを開いたのがこの本へどっぷりと浸かる瞬間でもあった。項目は法隆寺。初日は奈良−桜井を経て初瀬へ詣ったから市内観光は2日目より始まるわけだが、その皮切りとなったのが法隆寺である。いうなれば、予習を兼ねての読書だった。
 顧みて本書から受けたいちばんの恩恵は、それに接したときの印象を大事にせよ、ということだ。どれだけ知識武装しても、接したときの印象に優るものはない。
 本書の優れたる所以は、それが観光ガイドでもなく学術書でもなく、廃れる古都、荒れた古寺に接したときの印象を大切にした著者の精神史であり、いまや誰の手にも届かなくなった歴史を追慕した告白録であることだろう。わたくしにはそうした本の方が取っ付き易い。また結果として、幾度となく読み返すことのできる本との出会いになった。『大和古寺風物誌』は春に旅した奈良の古寺、仏像、風景、そうしたものを追体験し、いまもなお鮮やかに思い出させてくれる。
 「初めて奈良へ旅し、多くの古寺を巡り、諸々の仏像にも触れた筈なのに、結局私の心に鮮やかに残ったのは百済観音だけであった」(P54)と著者はいう。その伝でいえば、初日に参詣した初瀬の観音様と3日目に小雨のなか訪ねた秋篠寺の伎芸天像を別にすると、わたくしの心に鮮やかに残っているのは法隆寺夢殿の救世観音と中宮寺の如意輪観音である。
 この2つの像についてはいまも思い出すたび、胸が圧し潰されそうな苦しさと嗟嘆を覚えるのだ。それらを超越したところにある言い様のない優しさと美しさと安楽を感じるのだ。再び奈良を訪れて初瀬参詣を済ませた後にはわたくしは法隆寺を訪うて夢殿を拝し(従ってここへ詣るのは春か秋のご開帳の時期が良い)、中宮寺に廻って如意輪観音の前に端座してその<アルカイック・スマイル>を見あげ、反省と覚悟を固めるであろう。
 本書は他に、唐招提寺や新薬師寺、東大寺などを取り挙げる。新薬師寺は事情あって殆ど通過状態だったのが残念だが、今回の旅行で訪れた唐招提寺のエッセイには感銘すること頻りで、けっして長い文章ではないけれど、実際にそこへ行った経験があるとないとでは、思うところはまったく違う。
 唐招提寺の金堂の柱について触れた一節など、訪れたことのない者にはなかなかうまく捉えられない感覚なのではないか。どうして参詣者の多くがこの柱にもたれて、ほっ、としたであろうという感慨が著者のなかへ生まれたのか、想像することはできてもそれは立脚点なき想像であり、やはりこれを十全に知るためにはかの地へ行くより他ないのである。歴史的建築物を扱った、或いは歴史そのものを扱った書物には、往々にして現地へ行かねばけっしてわからない感覚や印象というものがある。それは仕方のないことで、だからこそそれらを読んでその地を旅しようという計画が生まれ、実行され、旅人は何かしらの記録を残すのだ。
 ──倩思うに『大和古寺風物誌』がわたくしにもたらしたのは、意識の回帰であったかもしれない。ここ数年聖書の読書にどっぷり浸かり、ユダヤ教やキリスト教へ関心を抱いていたわたくしに、あなたの拠って立つべきところ、帰るべきところは日本古典時代の文芸や国学、歴史なのですよ、と改めて知らせに来てくれた一種の福音。それが亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』であったように思うのだ。

 帰ってきた数日後に読了した『大和古寺風物誌』を契機に、古本屋で亀井勝一郎の著書(文庫)を見附けると、余程のことがない限り購って、折りにつけ読むようになっている。実はそれ以前に買っていたが山積するなかに埋もれていた『青春論』と『恋愛論』、『愛の無情について』(いずれも角川文庫)を発掘、目に付くところに据え、加えて『人生論・幸福論』(新潮文庫)、『読書論』と『大和古寺風物誌』(いずれも旺文社文庫)が手に入った。著作集も欲しいけれど、ちょっとそれは我慢かな……。
 古寺、という点に則していえば、既述の和辻『古寺巡礼』だが、これは正直手に余る一冊と私は思うていた。が、これも一旦なにかの機会に対峙する機会あれば、『大和古寺風物誌』同様に耽溺する一冊となるのだろう。岩波文庫の改訂版とちくま学芸文庫の初版を読み比べるのも面白そうである。◆

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第2051日目 〈使徒言行録第9章1/2:〈サウロの回心〉、〈サウロ、ダマスコで福音を告げ知らせる〉他with神父/牧師のPodcastは、あまり聞きたいものではないなぁ。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第9章1/2です。

 使9:1-19a〈サウロの回心〉
 サウロははりきっていた。いまも主の弟子たちを捕らえて殺そうと企み、大祭司に頼んでダマスコの諸会堂宛の手紙を書いてもらっている。主の道に従う者は誰彼問わず捕縛してエルサレムへ連行する許可が、その手紙には認められていた。
 そうしてサウロは何人か同伴者を従えて、エルサレムからダマスコへ向かった。一行がダマスコの近くまで来たとき、突然、天に光が満ちてサウロを照らした。かれは光のなかから、どうしてわたしを迫害するのか、わたしはイエスである、このまま町へ入ってあなたの為すべきことを知れ、という声を聞いた。光が退いたとき、サウロは目が見えなくなっていた。その状態でかれは、飲まず食わずで3日を過ごした。
 ところでこのダマスコには、アナニアという信者がいた。そのかれに主イエスが語りかけた。サウロの許へ行き、アナニアという人が来て目が見えるようにしてくれる、というサウロが見た幻を実現させるよう指示した。サウロは信者の迫害者である。当然抗うアナニアに、イエスがいった、──
 「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」(使9:15-16)
 渋々アナニアは出掛けて、サウロを見附け、頭に手を置いた。あなたの目が再び見えるようになるように、あなたが聖霊で満たされるように、主イエスがわたしをここへ遣わしたのです。
 すると、おお、たちまち目から鱗が落ちたみたいにサウロの目は再び見えるようになった。そうしてかれは洗礼を受け、3日ぶりに食事を摂って元気を取り戻した。

 使9:19b-22〈サウロ、ダマスコで福音を告げ知らせる〉
 いまのサウロは最早昨日までのサウロではない。いまやかれは迫害者ではなく、イエス・キリストの福音を宣べ伝える者である。
 が、かれの回心を人々は容易に信じられなかった。当たり前である。
 「しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。」(使9:22)

 使9:23-25〈サウロ、命をねらう者たちの手から逃れる〉
 かなりの日数が経過した。ダマスコの地で主の福音を説き続けたサウロには、何人もの弟子ができた。一方でこれまでの反動か、何人かのユダヤ人がサウロ殺害を謀った。
 事前にそれを知ったサウロは弟子たちの手引きにより、或る夜、ダマスコの城壁を籠で降りて脱出。エルサレムへ向かった。

 使9:26-31〈サウロ、エルサレムで使徒たちと会う〉
 福音宣教者となってエルサレムへ戻ってきたサウロは、その足で教会に集う使徒たちへ会いに行った。これまでの行状が行状だけに、使徒たちもサウロの回心をすぐには信じようとしない。当たり前である。
 が、キプロス島出身のバルナバは、サウロがダマスコへ行く途中で主イエスに会い、その名によって人々へ福音を宣べ伝え、ダマスコの人々をイエス・キリストの教えに導いたことを、使徒たちに説明した。その結果、「サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。」(使9:28)
 サウロはギリシア語を話すユダヤ人とも議論した。が、相手の狙いはサウロ殺害にあった。それを知った兄弟たち(キリスト者)はサウロをカイサリア経由でキリキア州タルソスへ出発させた。タルソスはサウロの出身地である。
 「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」(使9:31)

 第9章前半<サウロの回心>編である。
 新約聖書を源とする慣用句は幾つもあるが、日常的に使う頻度としては結構高いであろう「目からウロコ」は本章を出典とする。サウロの回心なくしてこの言葉は存在しなかったかもしれないわけだが、そのかれの回心は後34年頃の出来事とされる。「使徒言行録」やパウロ書簡、その他の資料に基づくと、後34年頃の出来事であろう、と結論附けられるらしい。
 サウロの出身地は、小アジアはキリキア州のタルソスである。使18:3に拠ればかれの職業はテント職人であった。コリントでの伝道の際泊まった家の者が同業だった旨記述がある。本ブログの行程が順調ならば、10日後にわれらは改めてそれを知ることになるだろう。
 かれの最初の宣教地がダマスコであったことは象徴的だと思う。ダマスコはシリアの地方都市だけれども、ユダヤからすれば異邦の地である。そうしてサウロ/パウロの宣教はその数次にわたる伝道旅行の記録が示すように、専ら異邦人に対して行われるのだ。ローマ帝国領内に張り巡らされた交通網の恩恵を受けているのは勿論だが、異邦人である自分の回心を語り、その姿を見てもらうことで非ユダヤ人の改宗を促すことに自分の仕事を見出したのだろう。異邦人への宣教、異邦人の改宗を促す役を担う者として、かれ以上に適任の人物はいない。事実、サウロ/パウロは殉教のときまでその役割を、倦まず弛まずこなして果たした。
 第9章前半<サウロの回心>編は伝道の原点を記録した箇所でもあることを、忘れないようにしよう。



 Podcastで聴くのはドラマと朗読が中心であるのは、昨年あたりに本ブログでもお伝えしました。そこに昨年末から教会と仏教、殊に真言宗の番組が加わりました。
 高野山の住職による説法、法話はずいぶんと聞きやすくてわかりやすく、心の奥まですんなりと入ってくるけれど、教会の礼拝説教はそれに較べて聴くに堪えないものへ当たることが、とても多いのですよね。話すスピードが速い、滑舌悪い、言葉と言葉の間に「間」がない、大げさで耳障りな抑揚に頼り過ぎ、エトセトラエトセトラ。
 話し手は神父や牧師なのですが、この人たちがコールセンターに転職したら評価は最低ランクとなることは疑いない。喋ることを仕事にしていると、どうしてもその辺には点が厳しくなってしまう。
 清少納言だったかな、僧はイケメンであるのが良い、その上説法が上手ければ人気は赤丸急上昇間違いなし、というていたのは。彼女の観察は正しいね。
 Podcastで聴く教会の礼拝説教で、内容はともかく語り口調の良きがためにそのまま最期まで聴き入ってしまう番組は、残念ながら片手の指で数えても余るぐらいしかない。それがどの番組なのか、本ブログでは言明を避けるが、いやぁ、この手の番組は評価が難しいね。
 それではこのあとみくらさんさんか、「高野山の時間」を聴いて参ります。来年の春頃には真言宗総本山、和歌山県の高野山に詣でたいものですねぇ。◆

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第2049日目 〈使徒言行録第8章:〈エルサレムの教会に対する迫害〉、〈サマリアで福音が告げ知らされる〉他withモノクロ写真って好きだな。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第8章です。

 使8:1b-3〈エルサレムの教会に対する迫害〉
 ステファノ殉教の日、エルサレムの教会も大迫害を受け、使徒たちはユダヤとサマリアの各地に逃れた。ステファノの遺体は信仰深い人々の手によって丁重に埋葬された。
 一方でサウロは各地の教会へ押し入っては荒らし、キリスト者を見附けては牢獄送りにしていた。

 使8:4-25〈サマリアで福音が告げ知らされる〉
 使徒たちは散った先でイエス・キリストの福音を宣べ伝えた。また、使徒でなくても福音の宣教を行うキリスト者も多くいたので、かれらも使徒同様に人々へ教えを宣べ伝えた。
 たとえばフィリポ。かれは使徒ではなく福音宣教者であるが、サマリアへ下って民衆相手にキリストを宣べ伝えた。汚れた霊に取り憑かれた人を助け、体の不自由な人を癒やしたりもした。
 ところで件の町には昔から魔術師シモンが住んでいた。人々からその魔術ゆえに注目され、偉大な者と持て囃されていたが、フィリポが来て状況は一変した。老若男女いずれも皆、フィリポが語る神の国とイエス・キリストの名による福音を信じ、洗礼を受けたからである。そこでシモン自身も洗礼を受け、フィリポが行う数々の奇跡や徴を目の当たりにして、驚いた。
 さて。エルサレムに残っていた或いは戻ってきていた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れた、と聞くと、さっそくペトロとヨハネを差し向けた。2人は人々に聖霊が与えられるように祈った。授洗は済んでいたと雖もまだ誰の上にも聖霊は降っていなかったからである。
 魔術師シモンは、使徒たちが人々の頭の上に手を置いて祈り、すると“霊”が与えられるのを見て、使徒たちの前にお金を積んで、自分にもあなた方と同じような、人々の頭の上に手を置いただけで“霊”が授けられるようにしてください、と頼んだ。
 ペトロはいった。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。」(使8:20-21)シモンよ、自分の罪を悔い、祈れ。赦されるかもしれない。

 使8:26-40〈フィリポとエチオピアの高官〉
 フィリポへ話を戻そう。主の天使からガザへ下る道を行くよう命じられたフィリポはそれに従い、エルサレムからエチオピアへ下るかの地の高官の乗る馬車に追いついた。
 かの者は宦官で、エチオピアの女王の全財産を管理しており、折しもエルサレムへ礼拝に来ていたその帰途であった。
 フィリポが、追え、と命じられて合流したとき、宦官は預言者イザヤの書物を朗読していた。その箇所は、──
 「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。/毛を刈る者の前で黙している小羊のように、/口を開かない。/卑しめられて、その裁きも行われなかった。/だれが、その子孫について語れるだろう。/彼の命は地上から取り去られるからだ。」(使8:32-33/イザ53:7-8)
 フィリポに、その意味がわかりますか、と訊かれた宦官は、手引きしてくれる人なしではわかりません、あなたが教えてくださいますか、と頼んだ。フィリポがイザヤの言葉に即してイエスの受難と福音を説いたので、宦官にはその書物に書かれた内容がよくわかった。
 道中、水のある場所へ差しかかったので、フィリポは宦官に洗礼を施した。
 「彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。」(使8:39)
 その後フィリポは地中海沿岸の町アゾトを経て、各地を廻りながらカイサリアまで北上していった。

 サマリア人はユダヤ人を受け入れない。両者は過去の歴史の遺恨ゆえに仲が悪い。今日の東アジアのと或る国々を連想させられるが、サマリア人とユダヤ人の仲違い、排他性はルカ9:53とヨハ4:9にもある。原因というべきは旧約聖書の歴史書にもあるけれど、殊に王下17:34が参考となろう。
 そのサマリアの地でユダヤ人イエス・キリストの福音、神の言葉が受け入れられた。これを聞いてエルサレム教会はどのように思うたことであろう。先に立った感情は安堵か、疑いか。ただおそらく間違いないだろうと思われるのは、サマリアからもたらされたこの善き報せを承けて、エルサレム教会は、後にペトロが口にする述懐(「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」使10:34-35)と同質の感慨を抱いただろうことだ。──神の前に万人は平等。これを最初に体現したのは、もしかするとサマリアの人々だったかもしれない。
 本章で大活躍するフィリポ。パウロが表舞台に立つ以前の「使徒言行録」に於いてペトロに次いで活動の記録が残されているのは、たぶんこのフィリポである。が、間違えてはならぬ。ここに登場するフィリポはガリラヤ出身の12使徒の1人ではなく、使6:5にて選出されたギリシア語を話すユダヤ人の世話役フィリポなのだ。かれは混乱を避けるため、福音宣教師(者)と称され、使徒たちによってエルサレム教会の執事に任命されている程の人物である。

 本日の旧約聖書は使8:32-33とイザ53:7-8。



 ちかごろ写真をモノクロで撮ることが多い。専らiPhone5での撮影だけれど、撮った写真をiMacやMBAで見てみると、なんともいえない味わいを醸している。ノスタルジックなんて言葉で誤魔化す気はないが、自分の好みの<絵>に仕上がるのだな。
 気分の赴くままに、大して考えもせずにカシャカシャ撮っているだけだから、これを趣味というのもおこがましいけれど、やはり写真の腕は相応に確かなものにしておきたいな、と思う。西日本への旅行の予定が具体的になってきたいまは尚更、そう思うのである。
 モノクロで寺社や仏像を、海ある光景を撮影したら、どんな風に写るのだろう。カラー比較して、どれだけの印象の違い(落差?)があるのだろう。今度の旅行はそれを確認するための、格好の体験になりそうだ。◆

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第2048日目 〈使徒言行録第7章:〈ステファノの説教〉&〈ステファノの殉教〉with秋の虫の声すなる。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第7章です。

 使7:1-53〈ステファノの説教〉
 大祭司が偽証者たちの証言を承けて、事実か、と質したので、ステファノは答えた。曰く、──
 わが父アブラハムはメソポタミアにいたとき、神の言葉を聞きました。そこでかれはカルデア人の土地を出て、神が示す土地ハランへ行ったのです。その後アブラハムはハランから、いまわれらがいる土地、つまり“乳と蜜の流れる地”カナンへ移されました。アブラハムは無財で、妻はあっても子供はいなかったのに、神はこの土地をかれの子孫に継がせる、と約束しました。その折、神が語った言葉とはこうです、──
 アブラハムの子孫は外国へ移住して、そこで400年の間、奴隷となって虐げられる。かれらを使う国民はわたしが裁く。かれらはその国から脱出してカナンへ帰還し、いまあるこの神殿でわたしを礼拝するようになる。
 やがてアブラハムにはイサクが生まれ、イサクにはヤコブが生まれ、ヤコブには12部族の長(族長)となる子らが生まれました。
 この族長たちはヨセフにとって兄弟だったのですが、かれらに嫌われて命まで狙われたのを発端として、イシュマエル人の商人によってエジプトへ連れてゆかれ、その地で奴隷として売られたのです。が、ヨセフはエジプトの宰相の地位にまで上り詰め、やがてかの地で兄弟や年老いた父と再会して暮らしたのです。エジプトでイスラエル人の数は増えました。が、エジプトに於けるイスラエル人の幸福も長くは続きませんでした。やがて時代が変わり、ヨセフのことを知らないファラオが国を治めるようになったからです。イスラエル人は奴隷として酷使され、遂にはその数の多いことを恐れられるようになりました。乳飲み子はことごとく親の手から取りあげられ、殺されてゆきます。
 モーセが生まれたのは、そんな時代でした。命を守るために生後3ヶ月で父母に捨てられたモーセは、エジプトの王女に拾われて、彼女の息子として最高の教育と礼儀作法を教授され、ファラオの側近として動くようになりました。それから或ることがきっかけとなってかれはエジプトを離れ、遠くミディアンの地へ逃れなくてはならなくなったのですが、その頃のことでした、神の顕現に接してイスラエルを導いてカナン帰還を果たす役目を与えられたのは。
 かれは兄弟アロンと共にファラオに抗い、神はエジプトに10の災いをもたらしました。そうしてモーセは神なる主がエジプト人の家の前を過ぎ越した夜、同胞を導いてエジプトを出て、シナイ山で十戒を授かりました(そのためモーセが不在の間、人々は金の雄牛の像を造ってこれにいけにえをささげ、礼拝する、という愚かなことをしでかしたわけですが)。荒れ野で40年を過ごしたイスラエルはモーセの後継者ヨシュアに率いられて、神なる主が先祖に約束した嗣業の地カナンへ入りました。
 神の幕屋はヨシュアの号令の下カナンに運びこまれ、ダビデの時代を経て、ソロモン王が築いた神殿に安置されました。「けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものには、お住みになりません。」(使7:48)預言者イザヤもその旨述べております。
 さて、皆さん。心と耳に割礼を受けていないあなたたちは、いつだって聖霊に逆らっているのです。あなたたちの先祖がそうだったように、あなたたちも聖霊に逆らっているのです。あなたたちの先祖は正しい人の訪れを預言した人々を殺しました。そうして今度はあなたたちです。あなたたちは訪れた正しい人を裏切り、殺した。主の天使を通して律法を授けられていたはずなのに、あなたたちはそれを守ろうとしなかったのです。
──と、ステファノは語った。

 使7:54-8:1a〈ステファノの殉教〉
 これを聞いた人々はステファノ殺害の意思を固めた。
 そのとき、ステファノは聖霊に満たされ、天に神の栄光と神の右に立つイエスを見ていた。
 人々はかれに襲いかかり、盛んに石を投げつけた。
 主イエスよ、わが霊を受け取ってください。石つぶてを浴びながら、ステファノはそういった。主よ、この人たちに罪を負わせないでください。
 そうしてステファノは絶命して、永の眠りに就いた。
 ステファノ殉教の場面に立ち合い、かれの殺害に賛成するサウロは、この結果に満足だった。

 キリスト教最初の殉教者として記録されるステファノ。かれがどんな来歴を持つのか、その家系などを含めて詳らかにされる部分は、ほぼ皆無である。ステファノの殉教は後35乃至は36年という。サウロを筆頭とする反キリスト教(反ユダヤ教イエス派、という方がいいのか)の弾圧が組織化されたこの時代、どれだけの信者が迫害に苦しめられたことであろう。
 が、一つだけ確かなのはステファノの一件があるまで、イエスの教え、使徒たちの教えに殉じて死んでいったキリスト者はいなかったらしいことだ。
 使8:3ではサウロはまだ教会を荒らし、信者を捕まえては牢に送るが精々の所業しかしていない。しかし、時を経て様々な手段による迫害に馴れてしまった、或いは神経が麻痺してしまったのか、使9:1では「主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで」いる始末だ。このあと、「使徒言行録」はサウロの回心を報告するのだが、この一気呵成ぶりはいったいなんだろう。サウロをここまで突っ走らせたものは、いったいなんだったのだろう。なんだかやんちゃ坊主の行状記でも読まされている気分になってくるな。
 最初の殉教者ということでステファノは悼まれ、語られ、讃えられる。毎年8月3日と12月26日はステファノ氏の記憶日だという。<わが神>スティーヴン・キングや好きな指揮者の1人イシュトヴァーン・ケルテスのファースト・ネームは、氏に由来するのだそう。様々な形、様々な想いで受け取られるステファノの殉教だが、どうもわたくしには「最初の」というステータス以外に感じるところは特にない。むしろサウロの回心を促す前奏曲として、ステファノ殉教の意義を遥かに重く受け止める。これも信仰なき者の不埒な感慨であろう。
 ──ところで。
 ステファノによるイスラエル民族史・前半の祖述は中途半端な気がしてならぬだが、どうだろうか。民族史を通してメシアの降臨を期す目的があるのなら、ダビデ−ソロモン以後即ち王国分裂と滅亡、捕囚と帰還、神殿再建をも語るべきと思うのだ。説教という名の弁明に費やす時間が足りなかったのか、単に面倒臭くなってきたのか、定かでないが、唐突にイエス処刑の責任の所在を問い、尋問側の糾弾へ論点を切り替えるのは、少々話が飛躍してはいまいか。ステファノは説教は上手だったかもしれないけれど、論議については落第点というてよいのではあるまいか。そう思えてならぬのだが、如何なものであろう。
 個人的には最後の一段落だけで済ませても構わないように、原稿を書きながら思うたけれど、そうすると今度は紙幅の関係でさ。うん、いろいろあるんだよ。

 民族史について「創世記」から「歴代誌」までの各書を繙かれることに期待する(勿論、「ルツ記」もね)。従って本章にて引用された箇所についてのみ、恒例の註釈を付す。
 本日の旧約聖書は使7:42とアモ5:25-27、使7:49-50とイザ66:1-2。



 蝉の声を今年はあまり聞かなかったように思います。そんなことを倩思いながらの帰り道、早くも秋の虫の声が庭から、神社の茂みから、聞こえてきます。
 なんだか今年は季節の移り変わりが早い気がしませんか。かと思えば、それに馴染んだ頃に季節はまた逆行する。そんな行ったり来たりな今年の夏、そうして初秋。
 嗚呼、寂寥。◆

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第2047日目 〈使徒言行録第6章:〈ステファノたち七人の選出〉&〈ステファノの逮捕〉withみくらさんさんか、エッセイのネタを道端に落っことす。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第6章です。

 使6:1-7〈ステファノたち七人の選出〉
 信者の数は拡大の一途を辿った。その頃、ギリシア語を話すユダヤ人(ヘレニスト)からヘブライ語を話すユダヤ人(ヘブライスト)へ苦情が出た。ギリシア語を話すユダヤ人のやもめへの日々の分配が妥当ではない、というのである。
 これを聞いて使徒たちは一計を案じた。自分たちは日々の分配や食事の世話に煩わされたくない、ならばそれを仕事とする者たちを選べばよいではないか、と。
 ──そうして信者のなかから7名の者が選ばれた。即ち、信仰と聖霊に満たされたステファノ、フィリポ、ニカノル、アンティオキア出身の改宗者ニコラオ、他の面々である。使徒たちはかれらのために祈り、かれらの頭の上に手を置いた。
 神の言葉は広まり、信者の数は更に増えてゆく。祭司も大勢、この信仰に入った。

 使6:8-15〈ステファノの逮捕〉
 恵みと力に満ち、数々のふしぎな業と徴を行うステファノに或る日、議論を挑んだ者たちがいた。キレネとアレクサンドリア出身で<解放された奴隷の会堂>に属する人々、キリキア州とアジア州の人々のうちの或る者らである。
 が、知恵と“霊”によって語るステファノの前に、かれらの議論は無効であった。そこでかれらは偽りの証言を以て人々を唆し、モーセと神の言葉を冒瀆した者としてステファノを訴え、捕らえさせ、最高法院の尋問の場へ立たせるに至った。
 しかし、かれらが大祭司や最高法院の議員たちを前にステファノの罪を捏造し、偽証しても、ステファノ自身はまったく落ち着き払い、信念に満ち、「その顔はさながら天使の顔のように見えた。」(使6:15)

 ヘブライ語を話すユダヤ人については文字どおりの意味なので説明は要しまい。ギリシア語を話すユダヤ人だが、これは離散などによってギリシア語圏の各都市に住まってギリシア語を母語とするユダヤ人を指す。なかには異国生まれ、異国育ちのユダヤ人もいただろう。かれらにとってヘブライ語は外国語に等しいが、エルサレムにいて斯様に両者が会話することはできたのは、ギリシア語を話すユダヤ人がバイリンガルであり、またヘレニズム化によってエルサレム市中でも普通にギリシア語が公用語として通用していたせいもあろう。
 <解放された奴隷の会堂>は新改訳聖書では<リベルテンの会堂>と訳される。意味は同じだ。『新エッセンシャル聖書辞典』から当該項目の解説を引用する。──「前63年ローマのポンペイウス将軍がユダヤを征服した時に捕らえられ、ローマに連行されて奴隷として売られた人々で、彼らのうちのある者は解放されて自国に帰り、エルサレムで自分たちの会堂を造ったといわれている。この会堂には、クレネやアレキサンドリヤから来たユダヤ人が集まっていた」(P1103-4 いのちのことば社)
 クレネはキレネ。キレネとアレクサンドリアは地中海に接するエジプト・リビア沿岸の都市で、ユダヤ人がいちばん多く集まって共同体を形成していた町であった。殊アレクサンドリアは
 ヘブライ語を話すユダヤ人との間になんらかの感情的宗教的齟齬が生じていたために、ヘレニストは独自の会堂を持つに至ったのかもしれない。このあたりはもう少し勉強してみよう。
 ところで、その前63年とはどのような時代だったのだろうか。
 それは特別な後ろ盾を持たない家系に生まれた青年弁護士、キケロが偶然と根回しと策謀によって共和政ローマの執政官に選出された年である。キケロの弁舌の激しさ、理路整然たることは今日岩波文庫で読めるかれの著作によっても明らかだ。このキケロについてもパウロ同様、いずれ短いエッセイを書くことがあるだろう。
 同じ前63年、「平和で進歩的な民主主義再興の流れを逆転し、反動に息を吹き返させる事件」(モンタネッリ『ローマの歴史』P253 藤沢通郎・訳 中公文庫 1979初版/1996改版)、つまりルキウス・セルギウス・カティリーナが組織した陰謀団によるクーデターが発生した。11月7日夜、キケロも自宅を襲撃されたがこれを撃退。
 同年12月にトスカーナ地方へ逃れたカティリーナは反乱軍を組織するが、執政マルクス・アントニウス率いる討伐軍とピストイア近郊で剣を交え、カティリーナは戦死した。これを<カティリーナの陰謀(反乱)>という。
 ユダヤにとってもこの年は激動の一年であった。まず、ローマの将軍ポンペイウスによってシリア、フェニキア地方共々ユダヤの支配下に置かれ、ローマの属州となった。またマカバイ戦争の果てに樹立されたハスモン朝の王も、アリストブロス2世(前67−63年)から弟ヨハネス・ヒルカノス2世(前63−40年)へと交替した。この2人の支配権の争いがハスモン朝の滅亡を招くことになる。事実、ハスモン朝はヨハネス・ヒルカノス2世の跡を襲ったアリストブロス2世の息子アンティゴノス(前40−37年)を最後の王として、滅びた。
 ローマ自体も共和政は黄昏の時を迎え、帝政に移り変わる下地が徐々に見えてきた時代といえるかもしれない。
 キリキア州とアジア州は共にアナトリア半島にある。キリキア州は中南部、地中海に面しており、アジア州は半島西部、エーゲ海に面す。やはり離散ユダヤ人が拠点とした都市を擁し、キリキアにはタルソス(サウロ/パウロ生地)、アジアにはエフェソがある。今後パウロの宣教旅行やパウロ書簡を読む際、何度も出る地名だ。

 本日の旧約聖書は使6:6と民27:18−20及び申34:9。



 なんだかとってもすばらしいエッセイのネタを思い着いたのだけれど、帰り道にビール飲んでいたらすっかり忘れてしまった。あれはいったいなんだったかな。
 逃した魚は、の喩えではないけれど、思い返せば思い返す程、それが神々しいまでの輝きを放った、またとないエッセイになったかもしれないと思うと、かなり口惜しい。勿論、フィルターが掛かっているのは承知している。
 嗚呼、いったいどうして今日に限ってメモを執ろうとしなかったのだろう。自分で自分を恨みたくなるね!?◆

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第2046日目 〈使徒言行録第5章:〈アナニアとサフィラ〉、〈使徒たちに対する迫害〉他with「お湿りも、過ぎればわれは不快なり」てふ心を鎮めんとて物す文〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第5章です。

 使5:1-11〈アナニアとサフィラ〉
 が、信者全員が自分の持ち物を売った代金の全額を、使徒たちへ預けていたわけではない。アナニアという男が妻サフィラと相談して、所有していた土地を売って得た代金をごまかして申告、使徒たちへ渡したことがある。
 それを見抜いたペトロはアナニアを詰問して曰く、土地の代金をごまかすとは何事か、あなたはサタンに心を奪われたのか、と。「あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」(使徒5:4)
 これを聞いたアナニアはその場に倒れ、息絶えた。人々は皆、このことを聞いて非常に恐れ、若者たちはアナニアの死体を運んで葬った。
 ──その約3時間後、なにも知らないサフィラが帰ってきた。ペトロは土地の代金のことを彼女に訊ね、事実を確かめると、こう言った。「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。」(使5:9)
 続けてペトロがサフィラの死を予告すると、果たして彼女は倒れて息絶えたのである。青年たちはサフィラの死体を運んで夫のそばに埋めた。
 教会と、これを聞いた人々は皆、非常に恐れた。

 使5:12-16〈使徒たち、多くの奇跡を行う〉
 使徒たちの手により多くの奇跡が民衆に対して行われた。かれらは専らソロモンの回廊にてそれを行った。
 使徒たちの反感を持つ者は当然仲間になろうとしなかったが、たくさんの男女が主を信じ、為に信者の数はますます多くなっていった。民衆は使徒たちを称賛していた。
 使徒たちの通り道には、かれらの癒やしを期待する人々が集まるようになった。体の不自由な人々や汚れた霊に取り憑かれた人たちを運んでくる人もいた。そうした人は、体の不自由な人々や汚れた霊に取り憑かれた人たちの体が、せめて地に落ちる使徒たちの影へ触れるように、と腐心して、かれらを道端に置いたのである。

 使5:17-42〈使徒たちに対する迫害〉
 その後、妬みに駆られた祭司やサドカイ派の人々によって使徒たちは捕らえられたが、その日の夜になると主の天使の導きにより牢を脱出して、明け方の神殿の境内に立って民衆へ福音を宣べ伝えた。
 使徒たちの脱牢と神殿での説教を知った祭司たちは、神殿守衛長とその下役たちを派遣して使徒たちを再び捕らえ、連行させた。「しかし、民衆に石を投げられるをの恐れて、手荒なことはしなかった。」(使5:26)
 連行されてきた使徒たちを尋問したのは、大祭司カイアファである。かれは、<あの名>によって教えたりするな、とあれだけ厳しくいい渡したのに、お前たちは性懲りもなく同じことを繰り返している、どうしてなのか、と質した。続けて、エルサレム中にあの男の教えを広めることでお前たちは、「あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている」(使5:28)といった。
 それを承けてペトロと他の信徒たちはいった。人間に従うよりも神に従わなくてはなりません。あなたたちが殺したイエスを、わたしたちの先祖の神は死者のなかから復活させ、御自分の右に立たせました。わたしたちはその証人であり、わたしたちに与えられた聖霊もそのことを証ししています。
 ペトロたちの台詞を聞いた人々は怒り、殺そうとしたが、ファリサイ派に属する律法の教師ガマリエルがそれを制した(かれは民衆の尊敬を一身に集めてもいた)。慎重に使徒たちを扱うように、とガマリエルがいった。かれはテウダとガリラヤのユダを例に挙げ、使徒たちを殺せば、2人と同じ滅びの道があなた方の前に開けることだろう、と警告した。ガマリエルの曰く、──
 「あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」(使5:38-39)
 人々はガマリエルの意見を聞き入れた。が、なんらかの罰は与えねばならぬ。そこでかれらは使徒たちを鞭打ちし、<あの名>によって二度と宣教したりするな、と厳しく注意して、釈放した。
 「それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、」(使5:41)その後も変わることなくイエス・キリストの福音を民衆に向かって、神殿で、家で、教え続けたのである。

 中1日を挟んで2日をかけ手、ようやく第5章の原稿アップ。感電するような喜び! 安息日を無理矢理設けて、心の憂い事を除けて良かった、と思う(備忘:解決はしていない、相談はした)。その後の勢いで短い第6章のノートも済ませてしまった。気分はちょっと楽になった。
 ──前章の最後にて、所有物を共有する信者のお手本として、キプロス島出身のバルナバとも呼ばれるヨセフが紹介された。本章冒頭ではそれと好対照なアナニア、サフィロ夫妻が登場する。でも、この挿話を読んで、ほっ、とするのはどうしてだろう。再三記されている「心を一つにして」云々が必ずしも事実ではなかったことを知ったためか。信者全員がヨセフの如きであったと想像すると、知らず息苦しくなってしまう。このアナニア、サフィロ夫妻のような者も──虚偽の申告はほんの出来心であったかもしれない──集団のなかにはいたのだ、ということがわかって安堵するのは、それだけわれらが俗世にまみれて生きている証拠であろう。やましいことではない。
 全うに社会人をやっている者なら、己が勤務先を思うと良い。いったいどれだけの者が会社に揺るぎなき忠誠を誓い、その判断と決定に唯々諾々と、盲目的に、無自覚に従い、行動する者がいるのだろう。或る程度の人数を抱える組織には、若干の(実質無害な)アウトサイダーや幾許かの(危険性のない)反対者も必要だ。かれらのような者を指して組織は<ガス抜き役>と呼ぶ。むろん、そんな状態を健全というつもりはないけれど、組織や集団というのはそういう構造であってよい。使徒集団、信者集団についても然りだ。
 律法教師ガマリエルの忠告によって最高法院は使徒たちの殺害(という安直な排除)を諦めた。そのガマリエルの属性について、本文では対応できなかった補足を行う。かれの活動期間はだいたい後25-50年頃とされ、使22:3ではパウロに律法教育を授けたものとして、他ならぬパウロ自身の口からエルサレム神殿の民衆に説明されている。既にパウロが表舞台に登場するための歴史的下地は作られつつあったのだ。そうして次々章では遂にパウロ(サウロ)その人がチョイ役ながらも登場する。
 なお、使5:41に引用した文言は、ルカ21:17にて述べられる、わたしイエスの名のゆえにあなた方は迫害される、というイエスの言葉の実現である。



 昨晩から関東地方は大雨洪水警報が発令され、短時間ながらもたびたび強い雨が大地を打ってる。おまけに風も強かった。今朝も自宅から駅へ行くまでは凄まじい豪雨で電車のダイヤも乱れがちだったのが、会社の最寄り駅に着いたらもうすっかりやんでいた。その代わり、一旦降り始めたらその雨音はバルカン砲の如しで、雨粒も気のせいか銃弾のように感じられる。傘に当たる音を聞いていれば、まるで70年前に戻ったかのようで……。
 しばらく雨が降らないね、作物に影響が出なければいいね、日照り続きでちょっとでも雨が降ってくれれば涼しくなっていいのにな、と、誰彼相手に喋っていたにもかかわらず、降れば降ったで、どうして自分が外出するときにこんなに激しく降るんだよ、とか、傘を持って歩くの煩わしいな、とか、ずいぶん勝手なことをいい始める。まぁ、庭木に水やりしなくて済むのはありがたいけれど。
 お湿りも過ぎれば迷惑と感じる人がいる。そんな自分勝手を諫めようと口に誦す、鎌倉三代将軍源実朝の歌──
 時により過ぐれば民の嘆きなり 八代竜王雨やめたまへ◆

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第2045日目 〈使徒言行録第4章:〈ペトロとヨハネ、議会で取り調べを受ける〉、〈信者たちの祈り〉&〈持ち物を共有する〉with安息日のお知らせ〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第4章です。

 使4:1-22〈ペトロとヨハネ、議会で取り調べを受ける〉
 日暮れの頃、ペトロとヨハネは祭司や神殿守衛長、サドカイ派の人々に捕らえられ、翌日まで牢に入れられた。イエスの身に起きたこと、復活のことを、民衆相手に教えていたからである。
 次の日、かれらはカイアファとアンナス、アンナスの子ヨハネたち大祭司一族による尋問を受けた。お前たちはなんの権威によって、また誰の名によってあのようなことを語っているのか、と問われてペトロは答える。かれはそのとき、聖霊に満たされた。ペトロの曰く、──
 この取り調べが病人を癒やした善き行いと、その人が癒やされた名についてのものであるならば、あなたたちにもイスラエルの民にも知ってほしい。それらはいずれも、あなたたちが十字架に掛けて殺して、その3日後神により死者のなかから復活したナザレの人イエス・キリストの名によるものであることを。詩篇にいう「家を建てる者の退けた石が/隅の親石になった」(詩118:22)とは、イエスのことです。
 わたしたちが救われるべき名は天下にこの名を除いて他にありません。
──と。
 その場に居合わせた人々はペトロとヨハネの大胆な行動を見、かれらが無学な普通の人であることを知って、驚いた。人々は一旦2人を退場させて、かれらの処遇について相談した。
 「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」(使4:16-17)
 そうして人々はペトロとヨハネを呼び、2度と<あの名>によって民衆へ話したり、教えたりしないように厳重注意した。が、ペトロとヨハネはかれらの言葉を拒んだ。神に従わず、あなたたちに従うのが正しいことかどうか、よくお考えください。われらは見て聞いたことを話すのみなのです。
 議員たちは重ねて2人に注意したあと釈放した。「皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。」(使4:21)

 使4:23-31〈信者たちの祈り〉
 釈放されたペトロとヨハネは仲間たちのところへ戻り、これらのことをすべて話して聞かせた。このことがあって、かれらはこれまで以上に心を一つにし、神なる主へ祈りをささげた、──
 「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」(使4:29-30)
 ……この祈りが終わる頃、かれらの集まっていた場所が大きく揺れ動いた。そのとき、かれらは皆聖霊に満たされ、神の言葉を大胆に話し始めた。

 使4:32-37〈持ち物を共有する〉
 神を信じ、イエス・キリストを信じる人々は心も思いも一つにし、すべての持ち物を共有するようになった。
 かれらのなかには富める者も貧しき者もなく、土地や家、畑などを所有していた人々はそれを売り、得た代金を一銭たりともごまかすことなく使徒たちへ預けた。そうして必要なときにそれは各々へ分配されたのである。
 たとえば、レビ族の人でキプロス島出身のヨセフがそうであった。かれは「慰めの子」という意味のバルナバという名でも呼ばれていた。

 大祭司や最高法院の議員たちは、ペトロらの尋問にあたってイエスの名を口にしようとしない。どうしてだろう。
 おそらくかれらにとってその名は、口にするのも憚られるものだったからだ。あらゆる言葉のなかで古来最も言霊を帯びるのは<名前>であるらしい。名前には魔的な力が宿っている。名前には言霊が宿っている。
 忌まわしき死、非業の死を遂げた者の名をみだりに口にするなかれ。それは、その死に負い目を感じる人たちにとって、かの者の名を口にすることはわが身へ災いを招き寄せるのと同義だ。言霊を蔑ろにしてはならない。
 アンナスの子ヨハネは、やがてカイアファのあとを襲って大祭司職に就く。その職に在ったのは後36-37年。新共同訳聖書では底本に基づいて「ヨハネ」と訳されるが、他では「ヨナタン」とする。個々の底本の写本の傾倒に由来する表記の違いであろう。かれは後年、ユダヤに不穏な動きが活発化して反ローマの色が濃くなり始めた時分に活動した「シカリ派」によって殺害された、とヨセフスの『ユダヤ古代誌』と『ユダヤ戦記』は伝える。
 また、使徒の鏡として特に名が挙げられたキプロス島出身のバルナバことヨセフは、後にパウロの伝道旅行に随伴する1人として再登場する(使9:27,11:22-30,13-15章)。



 明日08月17日(月曜日)は安息日とさせていただきます。◆

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第2044日目 〈使徒言行録第3章:〈ペトロ、足の不自由な人をいやす〉、〈ペトロ、神殿で説教する〉with葉室麟『恋しぐれ』を読み始めました、大好きなあの人が登場するゆえに。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第3章です。

 使3:1-10〈ペトロ、足の不自由な人をいやす〉
 午後3時の祈りのため、神殿へ上ろうとしているペトロとヨハネの前に、生まれつき足が不自由な40歳過ぎの男が運ばれてきた。男がペトロとヨハネに施しを乞うた。ペトロはいった、わたしを見なさい、と。続けて、──
 「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ちあがり、歩きなさい。」(使3:6)
 すると男の足は丈夫になり、喜びのうちに立ちあがり、神を賛美して回った。そうしてペトロとヨハネと一緒に神殿の境内に上がった。
 この男の足が不自由であったのを知っている人々は、かれが自分たちと同じように立ち、歩いているのを見て、われを忘れる程に驚いた。

 使3:11-26〈ペトロ、神殿で説教する〉
 かれら3人は神殿の境内に上がった。居合わせた人々は、ペトロ、ヨハネと一緒にいる男を見て、わが目を疑う程に驚いた。そうして人々は、3人がいる<ソロモンの回廊>に集まってきた。
 ペトロは人々を前にして、いった、──
 なぜ驚くのです、なぜ見るのです。わたしたちがこの人を、自分の信心や力によって癒やしたなどと、なぜ思うのですか。否。否でありますよ、皆さん。
 「あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。」(使3:16)
 あなたたちは先祖の神によって栄光を与えられたイエスを、事もあろうに十字架へ掛けて殺しました。が、神はイエスを死のなかから復活させました。わたしたちはその証人です。
 あなたたちがイエスを殺したのは、指導者同様に無知であったためであるのを、わたしたちは知っています。これは、神が預言者たちを通して予告していたメシアの苦しみの実現なのです。
 あなたたちは、「だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち返りなさい。」(使3:19)
 モーセやサムエルを始めとする聖なる預言者たちは皆、今この時について告げていたのです。就中モーセは律法のなかで述べております。あなた方のために立てられた預言者の声に耳を傾けよ、かれの語ることに聞き従え、耳を傾けぬ者は民のなかから滅ぼされる、と。
 よろしいですか、あなたたちは預言者の子孫であり、神があなたたちの先祖と結んだ契約の子なのです。神はアブラハムに、地上のすべての民族はあなたから生まれる者によって祝福を与えられる、といいました。ゆえに、──
 「神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。」(使3:26)

 神殿がヘロデ大王の時代に修復、増築されたことは、以前に述べた。
 民衆がペトロの説教を聞いた<ソロモンの回廊>は、異邦人の庭、と呼ばれる外苑の東側にある柱廊である。ヘロデ時代に増築された部分の一つだ。
 午後3時の祈りとは、朝夕2回あるいけにえ奉献を指す。この箇所、ギリシア語では「第9の時刻」とある由。

 本日の旧約聖書は使3:13と出3:6及び15、使3:22と申18:5、使3:23aと申18:19、使3:23bとレビ23:29、使3:25と創22:18及び26:4。



 ちかごろ、再び時代小説、歴史小説を読むようになりました。きっかけとなったのは、葉室麟『恋しぐれ』(文春文庫)。与謝蕪村の老いらくの恋、というのがキャッチコピーだが、わたくしは蕪村も好きだがそれ以上に上田秋成が好きだ。本書にはその秋成が脇役で登場する。そこに惹かれて、つい購入してしまったのである。
 わたくしと時代小説のかかわりは後日の話のネタとするとして、たぶんこのジャンルに手を伸ばすのは約12年ぶりではないかな。ここまではっきりと申せるのは或る理由があってのことだが、ッここではその理由について述べるつもりはない。記憶がたしかなら、最後に読んだのは山本一力の短編集『創龍』(文春文庫)であったはずだ。『あかね雲』などからさかのぼって、デビュー作を収めたこの短編集に至ったのである。閑話休題。
 葉室麟を読むのはこれが初めてだ。時代小説、歴史小説を読むというてもまったくの絵空事には興味なく、実在の人物や出来事を素材にした作品を好む。特に、文芸に携わった人が登場する作品が、好きだ。平積みされていた『恋しぐれ』に出会ったのは、通勤で使うJRの駅の改札の外にある書店なのだけれど、短い立ち読みで、これは読んでみたい、と思うた。有り体にいえば、一目惚れしてしまったのである。理由は、偶さか開いたページに秋成が恰幅のよい体躯を揺らしてその狷介っぷりを発揮し、蕪村の供の者をすっかり小さくさせてしまう場面であったからだ。
 粛々と現在読み進めている最中で、到底感想などは認められないのだけれど、書店の棚の前で葉室麟の著作(専ら文庫)を手にしているうちに、この人が文芸に取材した小説を目立って手掛けていることに気が付いた──むろん、これは確率の話であり、わたくしがタイトルに魅せられて手にした文庫の5割強が、文芸に取材した小説であったに過ぎぬ──。『恋しぐれ』をまだ読み終えていないのに、『乾山晩愁』と『実朝の首』(共に角川文庫)、『霖雨』(PHP文芸文庫)、随筆集『柚子は九年で』(文春文庫)をTSUTAYAで買ってきた。面白い小説を書く人を見附けたら、1冊を読み終えずとも著作を買いこむのは自然なことではないだろうか。わたくしは斯く主張する、弁解のように。
 ドストエフスキー『二重人格』のあまりのつまらなさのあとだけに、尚更この小説の面白さが際立つ。通勤中のみでなく、原稿書きの合間に、就寝の少し前の時間に、2,3ページでも読む小説があるなんて、久しく体験していないことなのだ。さすがに「使徒言行録」を読み終える前に感想は書けるだろうけれど、過ぎたる熱愛ぶりに冷静な文章が書けるか、いまから不安ではある。えへ。◆

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第2043日目 〈使徒言行録第2章:〈聖霊が降る〉、〈ペトロの説教〉&〈信者の生活〉with今年も黄色いポケモンが大量繁殖中。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第2章です。

 使2:1-13〈聖霊が降る〉
 過越祭の翌日、つまりイエスが復活した日から50日が経った。その五旬節(ペンテコステ)の日、12人の使徒たちに聖霊が降った。
 「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使2:2-4)
 その頃のエルサレムには各地に離散していたユダヤ人たちが戻ってきていた。かれらは皆、信心深い人たちだった。使徒の集まる家から聞こえてきた言葉を聞いたかれらは、びっくりして、その家の前で足を停めた。というのも、自分たちの生まれ故郷の言葉つまりエルサレム市民にとっては外国語が、家のなかから聞こえてきたためである。かれらは銘々にいい合った、──
 たしかこの家の人たちはガリラヤ出身のはずだ。どうしてわれらの聞き馴染んだ言葉を、かれらが喋っているのだろう。ここにいるわれらの出身地は、西はメディア、パルティアから東はギリシア、パンフィリアに及び、南へ下ればエジプト、キレネに接するリビア地方にまで及ぶ。また、ユダヤ人のみならずローマから来た者もいれば、ユダヤ教へ改宗した異邦人もいる。クレタやアラビアから来た者だっているではないか。そんなわれらがどうして、ガリラヤ生まれの人たちが集まるこの家から、耳に馴染んだ言葉を聞くなどということがあり得るのだろう。
──と。
 一方で、なに、この家の連衆は酒を飲んで酔っ払っているだけさ、と片付けるものもいた。

 使2:14-42〈ペトロの説教〉
 わが言葉へ耳を傾けてください。家の前で足を停めて侃々諤々いい合う人たちに気附いたペトロは、外へ出てかれらに向かってそういった。イスラエルの人たちよ、これからわたしの話すことをよく聞いてください。
 ナザレ人イエスこそ神に遣わされた方でした。神はイエスに奇跡とふしぎな業と徴を行わせることで、それをあなたたちへ証明しました。
 「このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。」(使2:23-24)
 ダビデも詩篇のなかでイエスについて歌い、讃えています。その一節にもありますが、イエスは死のなかから復活しました。あなたたちの前にいるわたしたちが、そのことの証人です。ダビデは自分の子孫から王座に就く者が出ることを、神によってあらかじめ知らされていたのです。また、それとは別の詩篇でダビデが歌ったように、イエスはいまや神の右に上げられてそこに立ち、約束されていた聖霊をわたしたちへ注いでくれました。それによってわたしたちは、あなたたちの生まれ故郷の国の言葉を話すことができたのです。
 あなたたちはあろう事かイエスを十字架に掛けて、殺しました。が、神はそのイエスを主とし、メシアともしたのです。あなたたちはこのことをはっきりと知らなくてはなりません。なぜならそれがあなたたちの罪であり、犯した罪は悔い改めて立ち返る必要があるからです。
 ──そうペトロは説教した。
 すると聴衆はペトロに、ではわれらはどうしたらいいのでしょうか、と訊ねた。
 ペトロは答えて曰く、「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」(使2:38-39)
 ペトロは他にもいろいろ話した。力強く証しもした。そうして多くの人たちがペトロの説教に回心し、洗礼を受けたのである。

 使2:43-47〈信者の生活〉
 洗礼を受けて信者となった人々は一つとなり、一個の共同体を形成した。
 かれらはすべての所有物を共有とし、必要に応じて分配した。毎日心を一つにして神殿へ参詣して祈りをささげ、一つ家に集まってパンを分け合い、喜びと真心を以て食事を共にした。かれらは神を賛美した。
 為に民衆全体はかれらに好意を持った。
 主は日毎に救われる人々を仲間に加えて、一つにした。

 罪を直視してこれを受け入れ、悔い改めて洗礼を受け、罪の赦しを得なさい。そうすればあなたたちは聖霊を受けられます。──これが本章に於ける使徒ペトロの説教の主旨である。
 イエスに較べると、ペトロの説教は論旨が明快である。
 イエスの説教はともすれば仄めかしやボカシを援用し、比喩と暗示の衣をまといがちなものだった。そう記憶する。それだけに顧みれば、あのときイエスはこのことを伝えようとしていたのか、と合点がゆくケースも多かった。
 それに対してペトロの説教はストレートだ。イエス同様に旧約聖書からの引用は多いが、語られる内容は豊かで、言葉も曖昧なところがなく、丁寧だ。時代も空間も隔てて生きているわたくしのような者──イエス・キリストの教えとは無縁で、キリスト教の信仰なぞ一欠片も持ち合わせていないわたくしのような者にさえ、ペトロの説教はわかりやすい。肺腑にストン、と落ちてくる。21世紀の人間が読んでもこうなのだから、1世紀中葉のエルサレムに在ってペトロの謦咳に触れた<信心深いユダヤ人>たちには、尚更だったのではないか。
 弟子による説教のわかりやすさ。それはペトロにのみ留まる話ではなく、後のパウロにも当てはまる事柄であるが、残念ながら読書はまだそこに至っていないので、現時点では、わたくしはそのように推測する、というレヴェルに留めようと思う。

 本日の旧約聖書は使2:17-21とヨエ3(全)、使2:25-28と詩16:8-11,使2:30と詩132:11,使2:31と詩16:10,使2:34-35と詩110:1。



 昨年に続いて今年もMM21地区に黄色いポケモン、ピカチュウが出現した。しかも、その数、その繁殖地、調査すれば前年比から約1.5倍となる(独自調査に基づく)。
 単体で見れば可愛らしく、年甲斐もなく鼻の下を伸ばしてしまうのだけれど、これが視線の向く先向く先すべてに存在していて、どこもかしこもあの黄色いポケモンだらけ、となれば、むくつけき思いも湧いてくるというものだ。最早「かわいい」という段階は疾うに通り越して、いまや腹立たしさに負けぬよう葛藤中なのである……。
 たぶん、ピカチュウへのアンビバレンツは真夏の太陽、真夏の暑っ苦しさが呼び起こしているのかもしれない。これが冬や秋なら、ここまでの感情を抱きはしなかったであろうか。愛憎というにこれ程相応しいシチュエーションもあるまい。
 この群れなすピカチュウたちに申しあげたいことがあるとすればただ1つ──それだけ頭数がいるなら発電してくれ。日本の電力事情も改善されるに相違ない。◆

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第2042日目 〈使徒言行録第1章:〈はしがき〉、〈約束の聖霊〉他withエデンへの哀歌〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第1章です。

 使1:12〈はしがき〉
 テオフィロ様、申しあげます。前に記したイエス伝のあとを承けて、聖霊を受けた使徒たちがイエスの教えを広め伝えてゆく様子を、第2巻としてここに著し、献呈いたします。

 使1:3-5〈約束の聖霊〉
 復活したイエスは40日間、使徒たちと共に在り、その間、神の国について語った。
 或る日、食事の席でイエスはいった、──
 あなた方はエルサレムを離れず、わたしが約束した聖霊の訪れを待ちなさい。間もなくあなた方は聖霊によって洗礼を受けるのです。

 使1:6-11〈イエス、天に上げられる〉
 使徒たちはイエスに訊いた。イスラエルのために国を建て直すのは、いまこの時ですか。かれらはイエスが信者すべての贖い主とは未だ悟らず、ダビデの如き君主のように思い、捉えていたのである。
 父が定めたその時の訪れがいつのなるのか、あなた方が知る必要はない、とイエスは答えた。続けて、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使1:8)といった。
 それからイエスは天に上げられてゆき、やがて雲に覆われて誰の目にも見えなくなった。──呆然とそれを見送る自分たちの傍らに、白い服を着た人が2人、立っているのにかれらは気附いた。イエスは天に行ったのと同じ有り様で再び来る、とその人たちはいった。

 使1:12-26〈マティアの選出〉
 さて。
 残された使徒たちにはまずやらなくてはならないことがあった。イスカリオテのユダが裏切り、自殺したことで生じた欠員の補充である。
 かれらはエルサレム市中で寝泊まりしている家に集まって、その件について協議した。ペトロはその場に集まっていた人々を前にして、こういった、──
 われらがかつての仲間、ユダがイエスを裏切り、逮捕の手引きをしたことは、聖霊によりダビデの口から既に告げられていたことを、忘れてはなりません。聖書に記されたダビデの言葉は実現されなくてはならなかったのです。
 諸君もご存知のように、もうイスカリオテのユダはいません。が、かれはわれらの仲間の1人であり、同じ任務を割り振られておりました。そこでわれらはかれの跡を決めなくてはなりません。「その務めは、ほかの人が引き受けるがよい」(使1:20/詩109:8)とあるようにです。
 新たにわれらの仲間となる人は、「ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」(使1:21-22)
 ──と。
 そこで人々はマティアと、バルサバとも呼ばれるヨセフの2人をユダの後任候補として推薦した。そうしてすべての人の心を知る主の心にかなった者が選ばれた。即ち、人々がくじを引いた結果、マティアが選出されたのである。かれは12人目の使徒として、ペトロたちと行動を共にした。

 所謂<ルカ文書>の後半、「使徒言行録」の開幕である。〈前夜〉でも述べたように本書は、初期教会の活動を知る上で、またキリスト教が西へ広がってゆく過程を確かめる上で、欠くべからざる第一級史料だ。一方で本書は、使徒たちの辛苦、覚悟の強さ、信心の篤さを描くドラマともいえよう。
 開幕の本章に於いて、ペトロやヨハネを初めとする使徒たちは、まだイエスを誤解しているようである。というのも、未だ聖霊による洗礼を受けざる者なりしゆえだ。使徒たちが聖霊による洗礼を受け、イエスの教えを理解し、伝道を自分たちの役目と自覚するのは、明日読む第2章以後のお話。
 イエスが昇天(召天ではなく)したのは、なにかと因縁のあるオリーブ山であるが、では使徒たちが寝泊まりに使っていたエルサレム市中の家とはいったいどこなのだろう。ヨハ20:19にて復活したイエスが使徒たちの前に現れたのと同じ家であったろうか。或いは、まだ読むのは先になるが、使12:12に出るマルコの母マリアの家か。最後の晩餐に使われた家という説もある(たしかここは、大祭司カイアファの邸の目と鼻の先ではなかったか)。
 かりにそこがどこであるにせよ、エルサレム市中であったことは疑いない。イエス処刑の記憶が人々のなかに残り、それにまつわる種々の話題が口の端に上っていたであろう時期、使徒集団、そうしてかれらに率いられている(と傍目には映る)信徒の集団が、反イエスの感情消し難き人々(ファリサイ派など)のなかで暮らしてゆくのは、どれ程危険で、不安で、窮屈なことであったろうか。
 が、早くもこの頃には11使徒を別としても100人強の信徒が、かれらと共にいた様子。また、ニコデモや心ある律法学者、アリマタヤのヨセフのように、集団に加わらずともユダヤ教イエス派に与する人たちも、エルサレムにはいたことだろう。却ってイエスの磔刑を目撃したり、復活の噂を聞き及んだりしたことで、イエスの教えを信じるようになった者が、エルサレムには増えていっていたのではないか。となれば、使徒たちにとっては生活しやすい環境に変わりつつある時期であったのかもしれない。
 たしかにイエスの教えはその死後も着実に広がり、人々の間に定着していっている。使徒たちが寝泊まりする家のことを考えても、そんな気配を仄かに感じるのだ。
 なお、新たな使徒を選ぶにあたってペトロがぶった演説のうち、ユダの自殺とかれが購入していた土地についての箇所は、本稿では特に触れなかった。流れを削ぐことをわたくしが厭うたのである。かというてまったく削除してしまうのも、なんだかなぁ、と思うので、ここに引用しておく、──
 「このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになりました。」(使1:18-19)

 いまやソドムも同然と化したかつてのエデンにて、そこに集う人々の顔を眺めわたし、その本心、その企みを思うて嗟嘆した後、プルータスお前もか、と呟いてみる。
 人知れぬ場所で塩の柱となりたい気分。
 が、迫害や誹謗、わが身を突然襲った不幸について、下を向いて嘆いてばかりもいられない。汝、ヨブやパウロの如くとなれ。◆

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第2041日目 〈「使徒言行録」前夜〉 [使徒言行録]

 われらはこれまでイエス──ナザレのイエスがその生前に経験した事柄や、かれが行ったふしぎな業/奇跡の数々を記した4つの書物、即ち福音書を半年ばかりかけて読んでまいりました。従って生前のかれがどのような人物であり、どのような生涯を送り、どのような人々と接してきたか、また、生前のかれがどのよう教えを宣べ伝え、なにを主張し、なにを厭い、如何なる業を顕して数多の奇跡を起こしたのか、そういったことをわれらは既に知っております。
 が、イエスの教えは数々の偶然と悠久の時間の流れにすべてを委ねて、自然と全世界へ広まっていったわけではありません。風に乗って土地から土地へ運ばれてゆくタンポポの種とは違うのです。ナザレ人イエスの教えがエルサレムからユダヤ、サマリアに広まり、小アジア、ギリシアを経て、当時の<世界の果て>ローマへ到達し、各地で定着して信仰と迫害の末、3世紀にローマ帝国の国教と定められるまでには、勿論数々の偶然と相応の時間の経過も必要でしたが、それらはすべて、義の人、信じる人々に支えられなくては無意味なものでしかありませんでした。
 イエス没後、復活して昇天するまで40日間を共に過ごし、五旬節(ペンテコステ)の際に聖霊降臨を体験した使徒たちが中心となって行ったイエスの教えの宣教/伝道が、今日のキリスト教を存在させたのであります。
 こうした使徒たち、信徒たちの集まりの場はいつしか<教会>と呼ばれるようになりました。ユダヤ教に於ける会堂と同じような役割を、キリスト教では教会が担ったのです。かれらの時代の教会を後世では初期教会、或いは原始教会と呼んでいます。本ブログでは前者に呼称を統一しますが、初期教会の伝道活動を(全貌でこそないものの)記録したのが、明日から本編の読書に入る「使徒言行録」(「使徒行伝」とも)なのです。
 本書の著者はパウロの伝道旅行の随伴者の1人で、「ルカによる福音書」を書いた医者のルカとされる。聖書の場合、著者とされる人物は概ね仮託されたものである旨、過去にも述べましたが、とはいえ「ルカによる福音書」と「使徒言行録」の著者が同一であることは周知の事実とされ、両者が別の著者によって書かれたことを示す資料も主張する説も、これといってない様子であります。一般に「ルカ伝」と「使徒行伝」はまとめて<ルカ文書>と称され、以てイエスの公生涯を描いた福音書を前半、使徒たちの活動を描いた「使徒言行録」を後半と見做すことが専らです。
 後80年代の「ルカによる福音書」のあとで「使徒言行録」は書かれました。成立年代は概ね後90年代と確認されています。その間に著者は可能な限り資料を渉猟し、博捜し、検討し、また関係者への取材を通して執筆の材料を集めてゆき、そうして或る段階に達した時点でようやく筆を執るに至ったのでしょう。ルカ1:3にある文言はそのまま「使徒言行録」にも適用できそうであります。執筆場所は「ルカ伝」同様にエフェソが最有力視されていますが、断定するための材料はありません。地中海沿岸の帝国領内にある交易都市のいずれか、としてお茶を濁すのが無難であり、最適なのかもしれません。
 「使徒言行録」は異邦人のための伝道を記録した書物ともいえます。その点、福音書がどちらかといえばユダヤ人のための伝道に重きを置いていたのと好対照でありましょう。それは言い換えれば、イエスの教えが特定の民族や地域から抜け出して広範囲に拡大してゆく歴史の証言とも申せます。
 むろん、イエス自身も異邦人への伝道を視野に入れていましたし、そうした主旨の発言もしております。が、それをイエス自身は果たすことができなかった。処刑された、というのがいちばんの外的要因でありますが、かりにあのまま存命であったとしても、かれ1人の力ではどうにもできなかったでありましょうし、そうして未だ聖霊による洗礼を受けていない使徒たちの尽力があっても今日のわれらが知るような豊かな成果は得られなかったのではないか、と思います。
 使徒たちはイエスの生前、けっして一枚岩ではありませんでした。かれらが堅固な目的を実行するための意思を共有するためには、やはりイエスには死んでもらわなくてはならなかったし、3日目に復活してもらわなくてはなりませんでした。この過程を経てこそ使徒たちは、五旬節の日に聖霊が降ったのを契機に、伝道の第一歩を踏み出すことになるのであります。
 使1:8「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」というイエスの言葉は敷衍すれば、いまはわたしの教えを知らぬ者、拒む者、それゆえに使徒たちを虐げる者をもあなた方は回心させ、信徒とせよ、ということになります。つまり、ここでの伝道の主たる対象は非ユダヤ人、即ち異邦人と申しあげてよいわけです。就中、使10:44-48〈異邦人も聖霊を受ける〉にその意図ははっきりしていると思います。
 「使徒言行録」は異邦人への伝道の過程で使徒たちが行った数々の説教、蒙った誹謗や迫害、起こした奇跡、そうして殉教について、書かれています。殉教とはイエス・キリストの教えに最後まで背くことなく死ぬことであります。後世は様々な意味合いで使われたこの「殉教」という言葉ですが、聖書に於いては、そうしてキリスト教社会では専らその死は、「殺害」という形で現れます。キリスト教は自殺を是としませんから、乃木大将や「先生」のような死は殉教とは呼ばないわけであります。
 「使徒言行録」にステファノというギリシア語を話すユダヤ人が登場します。「信仰と聖霊に満ちている人」(使6:5)と紹介されますが、まこと、イエス・キリストの信仰に篤く、遂には異邦人との議論の末讒言によって逮捕、石打ちによって殺害され、史上最初の殉教者となりました。
 その場に居合わせた人々のなかに、ファリサイ派で、キリスト者弾圧の先鋒であったサウロという人がいます。かれこそ後にイエスの奇跡を経験して回心し、キリスト教の熱心な伝道者となり、初期教会で一、二を争う程の貢献者となったパウロその人であります。「使徒言行録」の後半はこのパウロの伝道旅行が占めることになります。4回に及んだパウロの伝道旅行のうち、3回目でパウロは逮捕され、投獄されました。その後かれはローマへ護送され、皇帝に上訴することになります。これがだいたい後58年頃のこと。伝承では後60年代前半にかの地にて殉教したことになっています。「使徒言行録」はローマ護送の途中で筆が擱かれており、そのあとのパウロの動静についてなにも記していません。このパウロについては、いずれ独立した短いエッセイを書くこともあるでしょう。 
 フランシスコ会訳の解説に拠れば「使徒言行録」の背景となる時代は、そこに記された内容から推測して後46-60年の約4半世紀に及ぶ由。この頃のローマ帝国使を簡単ながら述べておきましょう。
 この約4半世紀の間、帝政ローマの皇帝であったのは第2代ティベリウス、第3代ガイウス(カリギュラ)、第4代クラウディウス、そうして第5代ネロでありました。共和制時代にあっては絶大な統治能力を発揮した元老院もこの頃には実権を失うたも同然となり、殊ガイウスとネロによる愚政・悪政が国体を危ぶませた。が、一方では市民生活に直結するライフ・ラインの整備や食糧の無償提供などが実施された時代でもありました。
 帝国版図は拡大され、ガリア(フランス・ベルギー)を北上してブリテン等に至り、属州ブリタニアが創設されてロンディニアム即ち今日のロンドンへの植民が開始されたのも、この時期であります。それはクラウディウス帝の御代、後43年頃のことでした。ローマ帝国が官僚制を導入して統治機構を確立、その基盤を揺るぎなくしたのもこのクラウディウス帝の御代でしたから、後41-54年まで帝位に在ったこの皇帝の時代にローマ帝国はおおまかな国体の完成を見、その後の発展の礎を築いたと申せそうであります。
 この時期、ローマ帝国はギリシア同様多神教であり、最高神祇官の主催によって個々の神への祭儀が執行されておりました。多神教であった理由はローマ帝国の占領地政策と密接なかかわりがあり、かの地の宗教を認めていたために自ずと多神教になった次第であります。
 が、やがて初代皇帝アウグストゥスが礼拝対象になり、ローマ市民にとっては一種のメシアとして扱われるようになります。そうして皇帝はいつしかギリシア語の「キューリオス」、訳せば「主」と呼ばれるようになりました。ユダヤ教の神も「主」、当時はまだユダヤ教イエス派というに過ぎない初期教会にとってイエスも「主」と呼びますが、厄介なことに、いずれも「キューリオス」というギリシア語があてられます。
 ──こうした混同とそれに伴う誤解、敵意、諸々の感情がキリスト教迫害へつながり、長じてはネロ帝の御代にあったローマの大火の首謀者としてキリスト者が、スケープゴート的に徹底的に弾圧される因子となったのでありました。
 「使徒言行録」とはそうした背景を持つ書物であります。
 ──本書が初期キリスト教会の活動を伝える書物であることは既に述べましたけれど、逆にいえば本書がなければ、キリスト教が如何にしてエルサレムから小アジア、ギリシアを経てローマへ伝わってゆき、多くの困難に遭いながらも人々の間に浸透していったか、そうしたことを知るのはとても困難な作業になったのではないでしょうか。また、ペトロやステファノ、パウロたちの<大きさ>を窺い知ることもままならず、一方でマルコやルカたちの素性も今日知られる程の情報はなかったことでしょう。「使徒言行録」はエルサレムからローマへ、という地理的なものを結び付けるのみならず、時間的には福音書と書簡を結ぶ点でも頗る重要な書物なのであります。
 それでは明日から1日1章の原則で、伝ルカ著「使徒言行録」を読んでゆきましょう。◆

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