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第2230日目 〈コロサイの信徒への手紙第2章2/2、第3章&第4章:〈日々新たにされて〉、〈結びの言葉〉他with「コロサイ書」読了の挨拶〉 [コロサイの信徒への手紙]

 コロサイの信徒への手紙第2章2/2と第3章、第4章です。

 コロ2:20-3:17〈日々新たにされて〉
 あなた方はキリストと共に死に、世を支配する諸霊と関わりある人々。なのになぜ、未だ世に属するような生活をしているのですか。どうして戒律に縛られているのですか。それは人間の定めた規則や教えに拠って立つもので、なんの価値もない、肉の欲望を満足させるだけのものです。
 あなた方はキリスト共に復活しました。ならば、この世のものではなく上にあるものを求めなさい。神の右側にキリストはいます。あなた方の命はキリストと共に神の内に隠されているのです。あなた方の命であるキリストが現れるときには、あなた方もキリストと共に栄光に包まれた姿で現れることでしょう。
 そのためにも地上に属する邪な事どもと縁を切りなさい。邪な事どもとは、淫らな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、貪欲を指し、最後の貪欲とは偶像礼拝に他ならぬ。これらのことをしでかす不従順な人々の上に神の怒りは降るのです。
 ああ、そうです、あなた方もかつてはこのような生き方をしていましたね。が、いまはそのすべてを、とりわけ怒り、憤り、悪意、訝り、誹り、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。嘘をつき合うのもやめましょう。さあ、──
 「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされ」(コロ3:9-10)なさい。
 「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。
 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。
 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」(コロ3:12-17)

 コロ3:18-4:1〈家族に対して〉
 妻たちよ、主を信じる者に相応しく振る舞い、夫へ仕えなさい。
 夫たちよ、妻をのみ愛しなさい。辛くあたったり、傷附けたり、悲しませたりするな。
 子供らよ、両親に従いなさい。それは主に喜ばれること。
 父たちよ、子供を苛立たせていじけさせるな。
 奴隷たち、主に仕える如く、真心持て肉なる主人に仕えなさい。
 主人たち、奴隷を正しく公平に扱いなさい。
 あなた方は神の御国を受け継ぐ幸いを知っています。主キリストに仕えているからです。
 「不義を行う者は、その不義の報いを受けるでしょう。」(コロ3:25)例外はない。

 コロ4:2-6〈勧めの言葉〉
 目を覚ましていなさい。感謝をこめて、心をこめて、祈りなさい。
 そのときには、われらのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開き、キリストの秘められた計画をわれらが語れるように。
 「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。」(コロ4:6)

 コロ4:7-18〈結びの言葉〉
 こちらでのわたしの様子はティキコが語ってくれるでしょう。かれを派遣するのはあなた方がわれらの活動を知り、かれによって心が励まされるよう願うからです。
 ティキコと一緒にあなた方もよく知るオネシモを遣わします。かれら2人がこちらの様子を余すところなくあなた方へ伝えるでしょう。
 それから、共に獄中の身となっているアリスタルコが、またバルナバのいとこマルコが、ユストと呼ばれるイエスが、あなた方へ宜しくというています。「割礼を受けた者では、この三人だけが神の国のために働く者であり、わたしにとって慰めとなった人々です。」(コロ4:11)
 あなた方のためにいつも熱心に祈っているエパフラスが、デマスとわたしの愛する医者ルカが、どうぞ宜しくといっています。
 どうかラオディキアの兄弟たちと、ニンファと彼女の家に集う教会の人々に、宜しくお伝えください。この手紙はラオディキア教会にも回してください。ラオディキアの人々がこれを読めるよう取り計らってください。またラオディキア教会から手紙が回ってきたら、あなた方は読むようにしてください。
 それから、アルキポに、務めをよく果たすように、と伝えてください。
 「わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください。恵みがあなたがたと共にあるように。」(コロ4:18)

 慈しみの精神に裏打ちされたパウロ筆「コロサイの信徒への手紙」はこうして擱筆されます。
 わたくしは未だパウロの神学についてはよくわからないところを多く持つのですが、それでもキリストに結ばれたのであれば古い自分を脱ぎ捨てて新しき日々を生きよ、というかれのメッセージには心至るものがあります。引用したコロ3:12-17についてもであります。
 中心をなす理念はわからずとも伝わるべきは伝わるのだ、ということを図らずも今日得心した次第──ちと大きく構えますが、わたくしの本音であります。

 本日の旧約聖書はコロ3:1と詩110:1。



 本日を以て「コロサイの信徒への手紙」読了、予定より1日早く擱筆したのはこちらの事情。明日は慰労会のため、第4章2/2となるはずだった原稿を書くには、おそらく体力も気力もなくなっていることだろう、という判断からです。
 本書簡の読書については常の午前2時に更新することができなくなって、結局最後まで立て直すことはできなかった。されど斯様に読了の報告ができたことに安堵しております。読者諸兄よ、一緒にいてくれてありがとう。サンキー・サイ。
 次は、予告通り順番を換えて〈獄中書簡〉の最後の手紙、「フィレモンへの手紙」であります。単一章のそれは今週末に読みましょう。◆

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第2229日目 〈コロサイの信徒への手紙第1章2/2&第2章1/2:〈パウロに与えられた務め〉&〈キリストに結ばれた生活〉with『図書館戦争』新エピソードが読める!〉 [コロサイの信徒への手紙]

 コロサイの信徒への手紙第1章2/2と第2章1/2です。

 コロ1:24-2:5〈パウロに与えられた務め〉
 わたしはあなた方のために苦しむことを喜びとし、(キリストのからである)教会のためキリストの苦しみが欠けたところをわが身で補い、満たしています。神は御言葉をわたしに与え、わたしはそれをあなた方へ宣べ伝えるのです。この務めのためにわたしは教会へ仕えるのです。
 神の秘めたる計画が──世々の初めから代々にわたって隠されていた、異邦人の喜びとなる計画が、聖なる者たちへ明らかにされた。計画とはあなた方の内にあるキリスト、栄光の希望であります。
 わたしの役目はそれを人々へ宣べ伝えること。そうしてすべての人がキリストに結ばれて完全な者となるよう知恵を尽くして教え諭すこと。わたしは自分に与えられたこの役目、務めのために労苦していますが、わが内のキリストの力によって闘っているのです。
 どうかわたしがあなた方コロサイの信徒やラオディキアの兄弟たちのため、まだ見たことも会ったこともない人々のために労苦していることを知ってください。すべてはかれらが心を励まされ、愛によって結び合わされ、豊かな理解力を与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るために。
 「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。わたしがこう言うのは、あなたがたが巧みな議論にだまされないようにするためです。」(コロ2:3-4)
 たしかにわたしは遠く離れた地におりますが、“霊”ゆえにあなた方と共にいて、あなたが正しい秩序の下に暮らし、キリストの固い信仰があるのを見て、喜んでおります。

 コロ2:6-19〈キリストに結ばれた生活〉
 主イエス・キリストに結ばれて歩んでください。キリストに根を下ろして自らを育て、エパフラスに教えられた通りの信仰を守ってください人間の言い伝えに過ぎない哲学に惑わされることなく、キリストに従って生きるのです。
 「あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。」(コロ2:11-13)
 神はわれらの一切の罪を赦して、われらに不利な訴えの著された証書を破棄、十字架へ釘打ちして取り除いていくれました。そうして諸々の支配と権威の武装を解いて、それをキリストの勝利の列に従え公然と曝し物にしたのです。
 あなた方は食べ物や飲み物のこと、祭りや新月や安息日のことなどで、何人からも批評されてはならない。「これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります。偽りの謙遜と天使礼拝にふける者から、不利な判断を下されてはなりません。こういう人々は、幻で見たことを頼りとし、肉の思いによって根拠もなく思い上がっているだけで、頭であるキリストにしっかりと付いていないのです。この頭の働きにより、体全体は、節と節、筋と筋とによって支えられ、結び合わされ、神に育てられて成長してゆくのです。」(コロ2:17-19)
 実はこの頭の働きによって体全体は、それぞれの部位が結びあわさされて有機的に機能し、神に育てられて成長してゆくのであります。

 コロサイとラオディキアとヒエラポリス。この3つの町はいずれも小アジアはフリキア州にあった町です。フリキア州は小アジア中西部にあって内陸部に位置、アナトリア半島にあるトルコ共和国のアジアに属する地域が小アジアと呼ばれたエリアであり、今日のデニズリ県にこの3つの町があったのであります。
 〈前夜〉では触れませんでしたが、本書簡の宛先であるコロサイはエフェソの東方約160キロ程度の位置にありました。紀元前には政治や商業の中心都市で、ギリシア人や土着のフリキア人の他ユダヤ人も多く入植して人口過密のようでしたが、パウロの時代にはすっかり衰退して一地方都市となっていた由。「使徒言行録」にパウロがコロサイへ立ち寄ったという記述が見当たらないことは既に述べましたが、コロサイ出身のエパフラスが故郷や周辺のラオディキア、ヒエラポリスに教会を建てて宣教に努めたのであります。エパフラスとパウロの接触がどのようにされたのかわかりませんが、宣教旅行の途次フリキア州を通過したことは「使徒言行録」に記載されているので、その際に面識が生まれて、かの地の宣教を託した、と考えるのが自然でありましょう。
 パウロの時代に教会が建てられて信徒も相応の数がいたと思しきコロサイやラオディキアですが、いまは往時の面影を伝える遺構があるのみの淋しい場所。衰退と廃墟のきっかけは異教徒による侵入とのことですが詳らかではありません。なお、ラオディキアは「ヨハネによる黙示録」に登場する7つの教会の1つであります。
 残るヒエラポリスはローマ帝国時代に温泉保養地として名を馳せ、街道の要地であったためか繁栄の時代を謳歌したものの、1354年の大地震によって町は滅んでそのまま廃墟と化しました。しかし、今日ではヒエラポリス遺構を擁すパムッカレという丘陵地が明媚な石灰華段丘であることから、1988年にユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されました。現代では世界遺産としての知名度の方が圧倒的であるのは致し方ないところでありましょう。



 有川浩のエッセイ集『倒れるときは前のめり』を読んでいて、どうしても読みたくなった小説がある。映画『図書館戦争 THE LAST MISSION』公開に合わせて書き下ろされた2編のショートショートがそれだ。日本能率協会マネジメントセンターが発行する手帳「NOLTY」とコラボレーションした手帳をテーマにした作品と、書店に張られた映画ポスターに印刷されたQRコードを読み込んだところで出題される『図書館戦争』クイズに全問正解した人だけが読めた、書店に因む作品と。
 それを探し求めて入手するだけの、かつてはあり余る程あった熱意もいまはすっかり枯れてしまった。おそらく読むことは叶わないのだろうなぁ、とエッセイ集でそれらの存在を知った直後に嘆息し、件のコンビニを利用していたのに、本屋さんでそのポスターを見てショートショートが読めることも知っていたのに、どうしてあのとき行動を起こさなかったのか、と自分を責めたりしてね。
 なのに、である。ちかごろ数日に1度の閲覧が再び習慣になってきたタワーレコードのHPを見ていたら、今月末に『図書館戦争 THE LAST MISSION』のDVD/Blu-rayが発売される旨予告されていた。へー、そうなんだ、とさして興味のない風でプレミアムBOXの内容に目を通していると──椅子から転げ落ちた。
 というのも特製ブックレットに問題のショートショート2編が収録されるとあったからだ。わお、と叫んだね。これは買わなくっちゃだな、とも思うたよ。これもいつか著者の短編集に収められたりするのだろうけれど(アニメ版『図書館戦争』のDVD BOXに収められた短編のように)、その日が訪れるまで我慢できそうもない。だってそれって何年後? 
 というわけで、わたくしは本稿の筆を執る直前にタワーレコード・オンラインにて『図書館戦争 THE LAST MISSION』プレミアムBOXの予約注文を済ませてきたところである。発売日前日までの注文ならポイント10倍に惹かれた部分もあるのは、勿論内緒だ。
 わずか10数ページの掌編かもしれないけれど、大好きな作品の登場人物たちがどのようなお久しぶりな姿を見せてくれるのか、いまから愉しみにしている。◆

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第2228日目 〈コロサイの信徒への手紙第1章1/2:〈神への感謝〉、〈御子キリストによる創造と和解〉他with飼いたい生物。〉 [コロサイの信徒への手紙]

 コロサイの信徒への手紙第1章1/2です。

 コロ1:1-2〈挨拶〉
 キリストの使徒パウロとテモテから、コロサイの町の聖なる者たち、キリストに結ばれた兄弟たちへ。あなた方へ神からの恵みと平和がありますように。

 コロ1:3-8〈神への感謝〉
 いつでもわれらはあなた方のため祈りをささげています。キリストへの信仰とすべての聖なる者たちへの愛を抱いている、と聞いたからです。信仰と愛、それは天に蓄えられた希望に基づくもので、あなた方はこの希望を福音という真理の言葉を通して聞いています。
 コロサイの地でも……そこに住まうあなた方にも、この福音は届けられています。あなた方のためキリストに仕えるエパフラスによって。かれはわたしの仲間で、“霊”によってあなたの愛を知らせてくれた人です。

 コロ1:9-23〈御子キリストによる創造と和解〉
 神の御心をよく悟り、すべての点で主に喜ばれるよう主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。
 神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どのようなことにも根気強く耐え忍ぶように。
 喜びを以て、光のなかにある聖なる者たちの相続分にあなた方が与れるようにしてくれた御父へ感謝するように。
 御父はわれらを闇の力から救い出し、御父が愛する御子の支配下に移してくれたからです。われらはこの御子により贖われて罪の赦しを得ているのです。
 御子は見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた。天地にあるあらゆるもの、見えるもの見えざるもの、王座や主権、支配や権威、そうしたものはすべて御子によって、御子自身のために造られたのです。
 御子はすべてのものよりも先にあり、すべてのものは御子の支えなくして存在し得ない。
 御子は自身の体である教会の頭。初めの者であり、死者のなかから最初に生まれた人。
 御子はすべてに於いて第一の者、最初の者なのです。
 よろしいでしょうか、皆さん、──
 「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。
 あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。」(コロ1:19-22)
 ──信仰に拠って立ち、福音の希望から離れるなかれ。福音は世界中に宣べ伝えられます。そうしてわたしパウロは福音に仕える者であります。

 殊〈御子キリストによる創造と和解〉はわたくしの処理能力を軽々と超えてくれていますので、ほぼそのままに引用してノートを作りました。とはいえ、弁解めきますが、ここは自分なりの解釈を基にしたダイジェストをしなくてよかった、と思います。当該箇所はパウロのキリスト讃歌のエッセンスであります。パウロ自身の言葉で語らせるのが、やはり正解であった、と己の判断を誇り、自慢したく。
 このなかに、御子即ちキリストはすべてのものが造られる前に生まれた、すべてのものが造られる以前から存在していた、との記述があります(コロ1:15、17)。どこかで極似した文言に触れたことはなかったでしょうか? ──「ヨハネによる福音書」を典拠としていると思しき文言がありましたよ。ヨハ1:1,同17:5及び24,就中ヨハ8:58に。アブラハムが生まれる前からイエスはいた、天地創造以前からイエスは生まれていた。
 パウロが本書簡の筆を執った頃、「ヨハネ伝」が如何なる形でも、書物として存在していた形跡はない。が、その資料となる諸々については──文字であれ口伝であれ、パウロのまわりにあっただろうから、おそらくかれはそうした原資料から吸収した知識を念頭に置いて、キリスト讃歌に含まれるこの文言を記したのではないか、と考えるのであります。
 最後に、続けての引用は憚られたため本文ではやむなく削った、本書簡でいちばん印象に残り、途轍もなく重くて、清らかで、心強く、あたたかみのある文言を引いておきます。曰く、──
 「揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはいけません。」(コロ1:23)



 子供じみたことを考えるのが好きである。
 断続的に書き続けていた、いまは本ブログゆえに遠ざかっているが時折帰還すると魂の回復を感じる、と或る家庭の日常を淡々と綴ったファンタジー的かつ黙示録的世界──折りにつけ、それが現実であったら自分はなんと幸せか、と嘆息かつ嗟嘆するのですが、そこでわたくしは本来あったはずの人生を生きている。不慮の事故によって奪い去られる命はあるが、それは世界の混乱のなかで起こったことであり、自分の周辺と斯様な無残な事故は無縁である……という絵空事。神をも愚弄する自己中心的世界の創造。
 そこには、まるでその世界に於ける生命体の秩序を司る守護神の如き<怪獣>がいる。モデルはむろん、わが国の誇るキング・オブ・モンスターだ。かれはわが家から見晴るかす海を棲み家とし、ときどき腹を満たすために遠洋に出て鯨や魚群を襲い、折節子らや居候たちと意思疎通していたり。そんな世界を希求する。わたくしはその怪獣を自分の愛玩動物としたい。
 敢えていおう、ゴジラ飼いたい。◆

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第2227日目 〈「コロサイの信徒への手紙」前夜〉 [コロサイの信徒への手紙]

 パウロ書簡はパウロが設立に携わった教会に宛てて書かれていることが多いですけれど、異なる場合だってあります。「ロマ書」など最たるものですが、今回読む「コロサイの信徒への手紙」もその例外に属する手紙であります。パウロがその生涯を通して、本当にただの一度もコロサイを訪れなかったのか、書かれていない事実があることへ思いを馳せれば解答に窮す。絞り出せる解は精々が、すくなくとも「使徒言行録」にその記録はない、というぐらい。まぁ、フリキア州は通過した旨記述がありますから、そのときに訪問した可能性は十二分にありますけれどね。
 しかしコロサイ教会がパウロ以外の人物によって設立されたのは事実のよう。では誰によって? その者の名はエパフラス、コロサイ出身のキリスト者であります。かれの名は手紙に2度載る、コロ1:7と同4:11とに。第4章の記述から判断するに、手紙が書かれたときエパフラスはコロサイにはおらず、監禁中のパウロの傍にいた。もしかするとかれがパウロの許へ、コロサイ教会が直面している<誤った教え>のあることを伝えたのかもしれません。手紙を携えてコロサイへ戻ったかは不明ですが、かれが本書簡に関与していることを否定する必要はないでしょう。またエパフラスはコロサイ周辺の町、ラオディキアとヒエラポリスにも教会を建て、一帯のキリスト信仰の中枢を担った──つまり、牧者として活動していたようであります。
 これまでに読んだ2つの〈獄中書簡〉については執筆された場所と年代について、シリアのアンティオキアにて58-60年頃と推測していました。が、本書簡と次の「フィレモンへの手紙」については少々事情が違うようです。
 「コロサイの信徒への手紙」と「フィレモンへの手紙」の記述を検証すると、両書簡の執筆地はエフェソであり、時期はほぼ同じうして推定53-55年頃、即ちパウロがその地に3年間滞在していた時分という。また、両書簡に共通して名の挙げられる人物の多さが、2つの手紙が時期をほぼ同じうして書かれた根拠の一つとなる由。エパフラスは勿論、フィレモンの奴隷であったオネシモ、エフェソのアルテミス神殿の騒動に巻きこまれたアリスタルコ、「マルコによる福音書」の著者とされるマルコ(バルナバの従兄弟)、「ルカによる福音書」と「使徒言行録」の著者とされる医者ルカ、などであります。
 一方で「コロサイの信徒への手紙」はパウロの死後、「以前コロサイの町があったフリキア地方のキリスト者の間で広まりつつあった誤った教えを論破するために、パウロの名を使い、彼の神学を基礎とし、それを発展させた」(フランシスコ会訳新約聖書 P546)手紙である、とも考えられているそうであります。その人物はパウロ神学を深く、正しく理解しており、またそれを基にして<誤った教え>を論破できるだけの説得力を持った手紙を書くだけの文才と論理的思考を身に付けていた人物、ということにもなりましょう。とはいえ、本ブログではこの点については触れずに済ますつもりであります。なぜかといえば、それについて様々考えるのは本ブログの役目ではないからであります。
 では、その<誤った教え>とはなにか──当時、コロサイの信徒たちの間には幾分誤った教えが流布していた。これをヴァルター・クライバーは、この世を支配する天使の諸力の行為を得なくてはかれらの更に上位にあるキリストへ至る道を見出せないのだ、といい(『聖書ガイドブック』P248 教文館)、フランシスコ会訳の解説では、「コロサイの信徒への手紙」が触れる異端とはキリスト教的グノーシス主義の前身にあたる、紀元前からあって1世紀後半には広範な地域に浸透していた原グノーシス主義であろう、と述べる(P546)。このグノーシス主義はいつかエッセイで触れようと思い、文献に目を通したりしているのですが、未だ浅学なわたくしにはまだ歯が立たぬ代物ゆえ、機を得てきちんとお披露目しておきたく考えております。まだまだ勉強中……。
 それでは明日から1日1章の原則で、「コロサイの信徒への手紙」を読んでゆきましょう。◆

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