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第0423日目 〈列王記下第17章3/3:〈イスラエルの王ホシェアとサマリアの陥落〉3/3〉 [列王記・下]

 列王記下第17章3/3です。
 ここでは、イスラエル人に代わってサマリアへ入植した人々の信仰について語られます。

 王下17:24-41〈イスラエルの王ホシェアとサマリアの陥落〉3/3
 いまやサマリアにイスラエル人の姿はない。代わりにバビロン、クト、アワ、ハマト、セファルワイムの人々がいた。彼らの町は当時アッシリアの勢力下にあり、サマリアへ強制移住させられたのである。
 これらの人々はイスラエルの神、主を畏れ敬う者ではなかった。主は新しいサマリア住民のなかに獅子を放ち、何人かを殺させた。新しい民はアッシリアの王に現状を訴えた。王はレビ人の祭司を一人呼び戻し、ベテルの地に於いて新しいサマリアの民に主への信仰と礼拝を教えさせた。
 新しい民は主を畏れ敬うようになった。が、一方で自分たちの神を崇めることもやめなかった。バビロン人はストコ・ベネトの神像を、クト人はネレガルの神像を、ハマト人はアシマの神像を、アワ人はニブハズとタルタクの神像をそれぞれ作って(イスラエルが残した)聖なる祭壇に安置して、いけにえをささげた。セファルワイム人は子供を火中に投じて自分たちの神アドラメレクとアナメレクへささげた。
 「このように、これらの民は主を畏れ敬うとともに、自分たちの偶像にも仕えていた。その子も孫も今日に至るまで先祖が行ったように行っている。」(王下17:41)

 ちょっと一言。
 王下17:34-40(後掲)は別の記者が加えたとされる箇所です。確かにこの箇所、それまでの記述の流れとしてはやたらに浮いております。
 後の時代になっても、新しいサマリア住民が同じように自分たちの神を崇めている現状を憂えた時の記者が、恐らくはやりきれぬ思いで挿入した箇所なのでありましょう。こんなところに聖書の記述がかつての我が国の史書同様、後代の筆が加えられて現在わたくしたちが知る形になった編纂過程が窺えるような気がして、実に面白く感じるところなのであります。
 読んでいて何度もつっかえ、中断させられる羽目になったのは、本来そこになかった文章がほぼ問答無用で挿入されているからでありましょう。どうしても加えたかったらば、王下17:41の後に続けるべきであったでしょう。

 では、王下17:34-40の全文です。節で区切ってみました。
 「34:彼らは今日に至るまで以前からの風習に従って行い、主を畏れ敬うことなく、主がイスラエルという名をお付けになったヤコブの子孫に授けられた掟、法、律法、戒めに従って行うこともない。
 35:主は彼らと契約を結び、こう戒められた。『他の神々を畏れ敬ってはならない。これにひれ伏すことも、仕えることも、いけにえをささげることもあってはならない。
 36:大いなる力と伸ばした腕をもってあなたたちをエジプトの地から導き上った主にのみ畏れを抱き、その前にひれ伏し、いけにえをささげよ。
 37:主があなたたちのために記された掟と法と律法と戒めを、常に実行するように努めよ。他の神々を畏れ敬ってはならない。
 38:わたしがあなたたちと結んだ契約を忘れてはならない。他の神々を畏れ敬ってはならない。
 39:あなたたちの神、主にのみ畏れを抱け。そうすれば、主はすべての敵の手からあなたたちを救い出してくださる。』
 40:しかし、彼らは聞き従わず、ただ以前からの風習に従って行うばかりであった。」



 先日『死の家の記録』を読了、現在は引き続き『白夜』を読んでいる。
 学生時代ロシア文学のゼミで読まされた一作、どうにも好きになれぬ作品でいまも変わらずだが、読むと決めたので暇を見つけてページを繰っている。
 砂を噛むような思い……位置や価値は評価できても、好きになれぬ小説は、この世に幾らでもある。『白夜』も例外では、ない。あと半分か。……嗚呼!◆

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