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第0878日目 〈箴言第8章:〈知恵の勧め(三)〉withドゥダメル垣間見記〉 [箴言]

 箴言第8章です。

 箴8:1-36〈知恵の勧め(三)〉
 知恵と英知は天地創造より前に主により作られ、爾来地上に留まり、人々の行き交うなかに立ち、辻のあちこちに在ってみなへ呼びかけている。わたしを探し求めよ、わたしは公平と誠を述べ、邪や不正を説きはしない、と。
 わたしの道を守る者は幸いである。諭しに聞き従って知恵を得よ。ゆめ等閑(なおざり)にするな。
 「わたしを見いだす者は命を見いだし/主に喜び迎えていただくことができる。/わたしを見失う者は魂をそこなう。/わたしを憎む者は死を愛する者。」(箴8:35-36)

 ○これまで知恵について既に多くのことが語られてきましたが、たぶん、この章がいちばんそれについて言葉を重ねて淡々と、が極めて明瞭かつ力強く訴えている章である、と感じられました。だからこそ、なのか、ノートもあっさり過ぎるぐらいに簡潔にまとまってしまったのかもしれません。
 この章については長めなこともあって、ともすると読み流してしまいがちになりかねませんけれど、時間を見つけてまたじっくり、腰を据えて一語一語噛みしめるようにして読み返したい、と思うております。
 なお、箴言第7章を飛ばしたことに他意はありません。さんさんかのミスです。明日、訂正します。



 ドゥダメルの映画を観た、と先に書きました。以前から書くつもりでいたドゥダメル関連の文章のあるのが、ずっと胸の隅っこでわだかまっていた。2009年初頭には書きあげてどこかで公開しよう、と考えていたが、時機を逸して今日に至ります。
 しかしながら今回こうしてドゥダメルの映画を新宿で観、数日後にクラシカ・ジャパンで2008年ザルツブルク音楽祭の映像を観たことで、ようやくその文章を認める最後のチャンスを得たようだ。よってここに「ドゥダメル垣間見記」と題して、記憶のフィルムを鮮明に洗い流してそれを綴り直そうと思います。

 わたくしは一度だけ、ドゥダメルを生で――およそ2メートル程離れた場所で見たことがある。2008年12月、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ヴェネズエラを率いて初来日を果たした東京国際フォーラム・ホールCに於ける公演の直後であった。わたくしはその日、公演後は楽屋通用口の前に立って一般者の侵入をやんわりとお断りする役目を、殆ど唐突に言いつかっていた。
 催事担当者がスタッフのわたくしへ指示して曰く、招聘事務所の人が同行していない限り、何人たりとも楽屋口へ通してはならぬ。が、それはあくまで原則であり、厳守しなければならぬことではない。それを件の催事担当者は理解していなかったらしい。ゆえにいらぬ諍いが後に発生した。
 というのも、さしたる混乱もなく時間が過ぎ、そろそろ勤務も終わろうというとき、扉を開けて薄暗闇の待機スペースへ姿を現したのは、紛うことなくヴェネズエラ大使館員2名に伴われた……嗚呼、前日(であった、と記憶する)にベートーヴェンのトリプル・コンチェルトで共演していたマルタ・アルゲリッチと、帰国していた小澤征爾氏であったのだっ!
 大使館員はわたくしに目配せして、頷いた。わたくしは、むろん承知しておりますどうぞお通りください、とジェスチャーした。要するに、右手を楽屋通用口の方へ差し伸ばしたのである。そのときであった、まるでタイミングを計ったかのように楽屋通用口が開き、――タオルを首から下げて顔を紅潮させたドゥダメルその人がひょっこり、顔を出したのだ!! かれらはそれぞれに抱擁を交わし、そうしてそのまま扉の向こうへ消えた。暗がりのなかで対面したせいか、ドゥダメルは映像から想像していた程には身長が高くないように感じた……小澤氏についても他についても。
 偶然とはいえ、わずか数十秒の奇跡をわたくしは体験したのだ……。この経験によってすっかり、わたくしのなかにドゥダメルの名前が寸分の誤りもなく刻印されたのであった。斯くしてビッグ3+2を見送り、業務終了。件の扉は施錠された。
 まあ、催事終了後のミーティング中に催事担当者から、<招聘事務所の人が同行していない>人たちを楽屋口へ通した事実について、凄まじい剣幕で罵られたよ。
 成る程。では大使館員もアルゲリッチも小澤氏も招聘事務所の誰かがそこにやってくるまで何分でも待たせておいてよかったというのですね、ではレシーバーであなたを呼べばすぐに招聘事務所の人へ話がつながり即効でそこの人が走ってきて待たせている間に不機嫌になっているであろう各氏に謝罪してわたくしにはお咎めなしで済んだと確約してくださるのですね、あなたは相手があなたとまったく格の違う人たちであることを理解しており誰であろうと自分の定めた原則は常に絶対でありすべて自分の決めたことが正しいと揺らぎなき自信をお持ちなのですね、と反駁した。その杓子定規な指示がいつでもどこでも罷り通るとお考えなのですか? とも。
 結局、問答は決裂し、わたくしは東京国際フォーラムに入るその会社でのスタッフ登録を抹消し、そこを去ることをその瞬間に決心した、既に担当が決まっていた数日後のバレエの催事を最後に。おぐゆーさんと会えなくなろうとも、もう二度と件の狐眼鏡女子(と事務所の責任者)の下で働くを潔しとせず、おぐゆーさんと永劫の別れになるのを覚悟して、2008年12月末日を以てわたくしはそこを去った。歌おう、感電する程の喜びをっ!!
 でも、ここで働いてよかったのは、数人の良き人らと出会え、シューベルトを好きになり、ドゥダメルを知ったことだ。結果的にそれが良かったのか、といえば、長い目で見ればきっと良かった、と思えるようになるだろう、としかいまは言い様がない。
 「ドゥダメル垣間見記」がちょっと変な方向へ行ってしまった。が、どうにも両方の事件がわたくしのなかでは断ちがたく並立しているのだ。済まない。

 結果的に去ったことは良かったのか? ああ、きっと良かったのだ。軽蔑が愛情を駆逐する前で。◆
2011年03月09日 01時13分
2013/05/16 17:43改訂

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