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第0891日目 〈箴言第19章:〈貧乏でも、完全なる道を歩む人は〉withあなたに囁いてほしい、わたしはここにいる、と。〉 [箴言]

 箴言第19章です。

 箴19:1-29〈貧乏でも、完全なる道を歩む人は〉
 ━━マタ5:3に於いて、イエスは自分に従う弟子を前にして斯く説教する、所謂<山上の説教>であるが、そこに曰く、「心の貧しい人は幸いである、/天の国はその人たちのものである」と。非常に有名な言葉であるが、その源は箴19:1であろうか。箴19では貧しくとも正しい道を迷うことなく歩み、偽りとも無縁である人が讃えられている。まさしく、「心を得た人は自分の魂を愛する」(箴19:8)のだ。
 併せて、欲望が身を滅ぼしかつ恥の原因になる、と警告する。それゆえに貧しい人は欲望に忠実で欺く者よりはるかに幸せである、というのだ。「主を畏れれば命を得る。/満ち足りて眠りにつき/災難に襲われることはない。」(箴19:23)……真、真。

 「成功する人は忍耐する人。/背きを赦すことは人に輝きをそえる。」(箴19:11)

 「怠惰は人を深い眠りに落とす。/怠けていれば飢える。/戒めを守る人は魂を守る。/自分の道を侮る者は死ぬ。
 弱者を憐れむ人は主に貸す人。/その行いは必ず報いられる。」(箴19:15-17)

 「父に暴力を振るい、母を追い出す者は/辱めと嘲りをもたらす子。/(中略)/不遜な者に対しては罰が準備され/愚か者の背には鞭打ちが待っている。」(箴19:26,29)



 ○読んでいて、ビシビシ、と自分の胸に突き刺さる章でした。ああ、こういうことってあるよな、ここで語られることってわが身に覚えもあるし、こんなことをすればここに書かれているとおりに世間様から後ろ指を指されて陰で非道くいわれるんだろうな、と思いあたる節が、結構ある。
 「箴言」って、実は怖い。ふだん意識しないようにしていること、隠しておきたいことを、短な言葉で白日の下に曝された気分になる(ときどき)。が、それは即ち普遍の事柄であり、古来から洋の東西を問わずに人間が社会生活を営む上で経験してきた、避けようのない思いであり、経験であった、ということだ。
 ちょっと感受性の強い、或いは自意識過剰な人が読むと、「箴言」の言葉は自分に宛てられた言葉のように感じられるときがある。まるでダザイの小説のように? うーん、まぁ、そうかもしれないね。……でも、予想外に深く突き刺さって思わずわが身の振り、わが思考を顧みさせるだけの影響はあるかもしれない。人の振り見て我が振り直せ、っていう諺を想起させるのだが、これはわたくしさんさんかだけかな?
 「箴言」の言葉を読んで少しでも感じるところが持ち、あめ玉を転がすようにその言葉を口のなかで転がして、折に触れてその言葉について体験と自戒をこめて考え直してみたら、心根の正しい人に一歩でも近附けるのかな、と最近は考えておるのであります。難しいかもしれないけれど……。
 さて。ノートの最初で、正しい道を歩む人が讃えられる、と書きました。何度も語られてきたことです。次の箴20では、それについて少し違った角度から捉えた言葉が、わたくしたちの目を引きます。が、これについてはまた明日のお話と致しましょう。



 想いはまだ生きている、息を続けている。
 まだ、生きている。
 囁いてほしい、わたしはここにいる、と。◆

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