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第1753日目 〈シラ書第34章:〈夢見ることのむなしさ〉、〈旅〉他with後ろ向きにしか生きられない:All you need is love!〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書第34章です。

 シラ34:1-8〈夢見ることのむなしさ〉
 良識を欠いた者らが抱く望みは、むなしく根拠がない。夢は愚か者を空想に駆り立てる。
 「多くの人々は夢に惑わされ、/これに望みをかけては滅ぼされた。」(シラ34:7)
 主の配慮により送りこまれたのでない限り、夢に望みをかけて心を奪われるな。
 汚れたものからどうして清らかなものが、偽りからどうして真実が、取り出し得ようか。

 シラ34:9-13〈旅〉
 旅は知見を広げる。旅をした人の経験は、旅をしない人のそれに優る。旅をした人の洞察は、旅をしない人のそれより深い。
 ──わたしイエススが旅をして悟ったことは語り尽くせぬ程。旅で得た経験のお陰で、わたしはこれまで何度となく危難を免れ得た。

 シラ34:14-20〈主を畏れる人の幸い〉
 主を畏れる人の霊は生き永らえる。主を信頼しているから。
 主を畏れる人はなににも怯えることがない。主を信頼しているから。
 主を畏れる人は臆病風を吹かさない。主を信頼しているから。
 主を畏れる人の魂は幸いである。
 「彼は、だれを頼みとし、だれを支えとするのか。/主の目は、主を愛する者の上に注がれている。」(シラ34:18-19)
 「主は彼らの魂を昂揚させ、目に輝きを与え、/健やかな命と祝福を授けられる。」(シラ34:20)

 シラ34:21-31〈受け入れられないいけにえ〉
 主が受け入れることを良しとしないいけにえとは、即ち、──
 ・不正に得た献げ物、
 ・不法を行う者の献げ物、
 ・不信仰な者の献げ物、
 ・貧しい人から盗んでささげられた献げ物、
──である。それらは、いずれも汚れている。どれだけいけにえをささげたとしても、その者の罪は贖われない。
 貧しい人のパンを奪う者は冷血漢だ。隣人の生活を奪う者、日雇い労働者の賃金を奪う者は人殺しも同然だ。
 1人が祈り、1人が呪うなら、主はどちらの声に耳を傾けるだろう。屍に触れて清めた後、再び屍に触れるとは、いったい洗い清めたことになんの意味があったのか。
 かれらの祈りに、果たして誰が耳を傾けるだろう。己を卑しめることにどんな意味があるだろう。

 一つの憂いが視界のすべてを曇らせ、心を濁らせる。夢はそういう性質を、たしかに持つ。多くの人が夢によって身を滅ぼした。本来なるべき存在となることをせず、いたすらに夢なんてものにしがみついていたからだ、という。
 が、果たして夢を見ることは空しいことであろうか。夢を見る者は愚かであろうか。──わたくしは「否」を唱えたい。読んでいると、自分の来し方を省みさせられ、心の内を見透かされるような気分になる。夢は人を呪縛するものではない。かといって人を高めるものでもない。それだけ述べておく。
 この章はあまり好きではありません。



  毎度のことだが、ブログ原稿の清書部分は2、3時間あれば自然と書けるのだが、日々付属するエッセイについてはいつも頭を悩ませる。時には聖書部分をPCで入力する段になっても、なにを書くか、まだ決めあぐねている。一つ、二つのアウトラインでもあれば前に進むことができるのだけれど……。なにも思い浮かばない間はひたすら苦痛ですね。
 どうしてこのスタイルを採用したのか、と後悔することはないけれど、書くことが決まらない以上、最悪の場合、今日は安息日にしちゃおうかな、と逃げの一手を講じたくなることもある。幸いと実行したことがまだないのは、ささやかな自慢といえようか。
 前に進む、といえば、──
 英文学者、平井呈一をモデルとした岡松和夫『断弦』は、妻あれど想う人がそばにおり、むしろその人と結ばれることを望むのになかなか果たせぬ文士のお話でもある。実際平井にはそういう女性がいた。後半生はかの女性と暮らし、それを実質的な伴侶としたのである。
 顧みるまでもなく、それは現在のわたくしの姿と同じだ。事実関係はむろん異なるけれど、そばにいるのに近附けない、否、むしろ近附くことの許されない立場の人。さっきまで一緒にいたのに。すごく離れた場所にいるように感じた。果たされるまでの間、平井翁はどのような気持ちで夜を過ごしたのだろう。
 なにも知られぬまま、悟られぬまま、愉しみやしあわせと縁を切って生きる。たぶん、これは呪いだ。
 斯様な原稿を書きながら聴く《トリスタンとイゾルデ》。なにかの参考になるか?◆

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