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第1756日目 〈シラ書第37章:〈友人〉、〈助言者〉他withフリクション・ボールについてのわが見解。〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書第37章です。

 シラ37:1-6〈友人〉
 あなたの友人と称す者をあなたは警戒せよ。自分の益のためにあなたと調子を合わせ、何事かあればたちまちあなたから離れてゆく輩もいるのだから。
 偽りの友を警戒せよ。同時に、真なる友をあなたは心へ留めよ。富裕なときにもかれを忘れるな。
 「仲間や友人が敵に回ってしまうのは、/死ぬほどの悲しみではなかろうか。/ああ、邪悪なおもいよ、お前はどこから紛れ込み、/大地を裏切りで覆うことになったのか。」(シラ37:2-3)

 シラ37:7-15〈助言者〉
 当たり前のことかもしれないが、助言者となった者は皆、自分の助言こそが相手の益となると思いこんでいる。しかし注意しなくてはならない。自分の利益のために相手へ助言する者だっているのだから。
 それゆえあなたは自称・助言者を警戒せよ。相手が利益として求めるところがないか見極め、かれがあなたに損害を与えないか見定めよ。──あなたは相談相手をよくよく吟味して、打ち明け話をしなさい。
 では、どのような者に相談し、どのような者から助言を受けるべきか。──あなたはなによりも、掟を守っているとあなたが考える信仰深い人と付き合いなさい。かれはあなたと気持ちを一にし、あなたが失意にあるとき共にいてくれる。
 「何よりも心に浮かんだ考えを大切にせよ。/これ以上に頼りとなるものはないのだから。/高い所から見張る七人の監視役にまさって、/人の魂は、時として、その人自身に語りかける。」(シラ37:13-14)
 とはいえ、あなたがこれら以上に求めるべき存在がある。それは主、いと高き方である。あなたは真理に満ちた正しい道を歩めるよう、主に祈り求めなさい。

 シラ37:16-26〈知恵と悟り〉
 知恵ある人は自分自身の生活を豊かにする。
 悟りは、人の体に実を結ぶ。
 知恵ある人は自分の同胞を教え導く。
 悟りは、そうしてたしかな実を結ぶ。
 「人の命の日数は数えられるが、/イスラエルの日々は限りがない。/知恵ある人は同胞から誉れを受け、/その名はいつまでも残る。」(シラ37:25-26)

 シラ37:27-31〈食い意地〉
 心得よ、この世のすべての営み、この世のすべての道理が、すべての人にとって益となるわけではないことを。
 自分自身をよく知り、己に害なすものはなにか、とく見極めよ。
 食い意地を張るな。みっともない。それは、自分が愚か者であることを吹聴して回るようなものだ。

 聖書とて一個の書物である。全章全節、全文全語が価値ある言葉なわけではない。また、それを盲目的にありがたがる必要も謂われもない。わたくしは本章の後半とはまさしくそれであり、果たしてまじめに読む必要があるかな、と疑問に思う。むしろ、前半にこそ読書のウェイトを置くべきであろう。
 あなたの友と自らを偽証して周囲に侍る輩は、いつの時代にもいる。それが害なす者か否かは別として、だれの周囲にも1人か2人はいる/いたはずだ。そんな輩は本当に疎ましく思う。広義の裏切りも日常茶飯事となれば、いったいどうして友と称す人を信用かつ信頼できようか。が、知己ばかりと雖も真なる友はとなり得る人は、かならず周囲に存在する。そうした人を見附けて、大切にせよ、というのであった。
 助言者についても同じことがいえよう。ホント、どうして誰であれ、自分の助言が相手にとって有益だと思いこめるのでしょうね。自身を省みて、ちょっと反省、そうして改めよう、と思うてみる。
 ところで、時間不足もあって調べ切れていないのだが、引用したシラ37:14「高い所から見張る七人の監視役」とはなにか? 判明したら事後報告か、こっそりこの箇所を訂正するつもり。



 フリクション・ボールで今日の原稿を書いてみた。なんだか使いにくいですね。すくなくとも、モレスキンとの相性は良くないように自分は感じる。ペン先が紙に引っ掛かるといえばいいだろうか、わずかな抵抗を感じるのだ。
 また、馴れていないことも手伝ってか、ペン軸が持ちにくいんですよね。太さはこれまで使っていて手帳に挿してあるブルーブラックのペンと同じだから、単なる違和感でしかないのだろうけれど。すこぶる使いづらさを感じているのは、しかし事実である。
 それに、これがもしかするとわたくしがいちばんフリクション・ボールに抱く嫌悪なのかもしれないが、書いた文字、文章が消せることに困っているのだ。それが特徴じゃん、と呵々されるのは承知。が、短所としか映らぬのだ。
 推敲の跡がわたくしは欲しい。間違えたら二重線を引いて見せ消ちにしたり、塗り潰したり、斜線を引いたりして、文章が生成されてゆく過程をノートに残しておきたいのである。或いは、修正テープで訂正してその上に書いていったり。
 シャープペンであれば消しゴムをかけた跡というのは或る程度までわかるから、これもまぁ良しとする。
 が、フリクション・ボールは無理だ。いただけない。生理的に受け付けられぬ。時代に逆行しているのは承知している。でも、かりに受け入れられたとしても、これを用いて契約書類や履歴書、公的文書を記入して当然という風潮に「否」を唱えるだけの良識と常識は失いたくないな。阿呆じゃないのか、こいつら、と思い続けていたい。
 今後新しくペンを購入する際は積極的にフリクション・ボールへ切り替えてゆこう。そんな気持ちにはなれぬ。あくまでこれは、従来使うペンがインク切れ等で一時的に使えなくなっているときの予備でしかない。わたくしにとっては主役になることがない文房具の最右翼。それ以上に述べるべき言葉はない。◆

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