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第2004日目 〈「ヨハネによる福音書」前夜〉 [ヨハネによる福音書]

 新約聖書に含まれる4つの福音書のうち最後に配される「ヨハネによる福音書」は、これまで読んできた共観福音書はすこぶる性格を異にするものであります。
 その理由の1つに共観福音書と重複する、いわゆる並行箇所が多くない点を挙げられましょう。また、「ヨハネによる福音書」はその公生涯最後の1週間のうち、イエスの言行やかれを取り巻く環境ではなくイエスの霊性に着目しているところが著しく目立つものでもあります。
 これまで共観福音書を読んできた目で「ヨハネ」を読むと惑わされ、差異を痛感させられることであります。「マタイ」と「マルコ」、「ルカ」に見られた挿話のうち、「ヨハネ」に共通するものは前半第12章まででわずかに7つを数えるのみ。
 個人的恣意的選択で恐縮ですが、その最右翼というべきは第11章にあるラザロの死と復活でありましょう。かれはイエスが死から復活させた極めてわずかな人の1人で、ラザロのみが名前を持つ人物ではあった、と記憶します。
 一方で第13章以後は15もの共通する挿話を「ヨハネによる福音書」は持つ。福音書最大の話題であるイエスの公生涯最後の1週間、即ち最後の晩餐とユダによる裏切り、イエスの捕縛と裁判、ゴルゴタでの磔刑と復活を扱ったものであるため、それだけの共通する挿話を持つことに奇妙と感じる理由も根拠もありません。
 では、この「ヨハネによる福音書」とは如何なる書物なのか、その内容や特異なる点、著者と執筆年代、書かれた場所について、またイエスの描かれ方について、いつも通り素描程度のものではありますが、述べてみたく思います。
 まず著者ですが、古代から最有力視されてきたのは12使徒の1人、ヨハネであります。
 読者諸兄は覚えていらっしゃるでしょうか。「マルコによる福音書」でゴルゴタの丘へ引いてゆかれるイエスの後ろにくっついていて、挙げ句に役人から追い払われる男がいたことを。かれこそが「マルコによる福音書」の著者であると考えられている旨、当該箇所にて触れました。
 実は「ヨハネによる福音書」にも似た例があります。ヨハ13:23と25,21:20で「イエスが愛した(あの)弟子」と特に形容される人物が、イエスの弟子集団のなかにいました。名前を秘せられた/伏せられたこの人物が12使徒のヨハネである、と2世紀頃から伝えられてきたのです。かれは十字架上のイエスから聖母マリアを託されました。そうしてヨハ21:24にはこの弟子が本福音書を書いた、と記録されています。
 斯様にして古代から使徒ヨハネが「ヨハネによる福音書」の著者とされてきたのだけれど、このゼベダイの子にしてヤコブの兄弟「ヨハネによる福音書」が本福音書に登場する機会は、案外に少ない。それが異論を生む温床となっているのか、「ヨハネの手紙」を著したとされる長老ヨハネを第4福音書の著者にも擬えられる説などもある由。
 使徒ヨハネと長老ヨハネを同一人物とすることも、別人とすることもできませんが、いずれにせよこの2つが著者論争の過半を占めていて、他はちょっと考えられそうにない、というのが正直なところであるのでしょう。
 とはいえ、本福音書の執筆場所と執筆年代を考えるにあたっては、やはり使徒ヨハネを著者と想定しなくてはどうにも話がまとまらないのであります。具体的には「ヨハネによる福音書」は使徒ヨハネによって1世紀後半(90年頃)から2世紀初頭にかけて、小アジアの地中海に面した町、エフェソで執筆された、と伝えられてきました。このエフェソは海の向こうにギリシアを望む、交易の盛んな通商都市であり、同時に初期キリスト教会にとって主要な町でもありました。
 「ヨハネによる福音書」の執筆年代を上述のようにするのは、12使徒のうち唯一殉教を免れたヨハネが、パトモス島流刑から解放されてエフェソの教会の司教を務めるようになったのがこの頃であったことに由来します。ヨハネの単独執筆というよりはヨハネの語る事柄を誰彼が筆記した、或いはそれを基にして何次かに渡る編纂作業を歴て、ヨハネ没後であろう2世紀初頭には、われらが今日読むのとほぼ同じ形で「ヨハネによる福音書」は成立していたことでありましょう。
 それでは明日から1日1章の原則で、「ヨハネによる福音書」を読んでゆきましょう。◆

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