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第2015日目 〈ヨハネによる福音書第8章2/2:〈真理はあなたたちを自由にする〉、〈アブラハムが生まれる前から「わたしはある」〉他withちかごろの本の購入事情〉 [ヨハネによる福音書]

  ヨハネによる福音書第8章2/2です。

 ヨハ:31-38〈真理はあなたたちを自由にする〉
 イエスは自分を信じたユダヤ人たちを前に、こういった、──
 わたしの言葉に留まるならば、あなた方はわたしの本当の弟子である。「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハ8:32)(真理とは神の啓示であり、神の啓示を伝えるイエスをも指す)
 するとユダヤ人たちは、われらはアブラハムの子孫で誰の奴隷になったこともない、あなたはいったい誰からわれらを自由にするのか、と訊ねた。
 イエスはいった。あなた方は罪の奴隷である。罪を犯す者は誰しも罪の奴隷なのだ。あなた方がアブラハムの子孫であるのは知っているが、しかしあなた方はわたしを殺そうとしている。というのも、わたしの言葉を受け入れようとしないからだ。
 「わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」(ヨハ8:38)

 ヨハ8:39-47〈反対者たちの父〉
 これを聞いてユダヤ人たちが、われらの父はアブラハムです、といった。
 それを承けてイエスはいった。ならばどうしてアブラハムと同じ業を行わないのか。あなた方はわたしを殺そうとしているが、かれはそんなことを思うたことはなかった。聞け、あなた方は自分の父と同じことをしている。
 われらは姦淫によって生まれたのではない、われらの父は神ただ一人だ、とユダヤ人たちが抗弁した。
 それを聞いてイエスはいった、──
 あなた方の父が本当に神ならば、あなた方はわたしを愛すはずだ。が、あなた方はわたしを殺そうとしている。わたしは神の許から来て、いまこうしてここにいる。わたしは神から遣わされたのだ。あなた方よ、「わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。」(ヨハ8:43)
 あなた方は自分の父が神だという。否。あなた方の父は悪魔であり、その欲望を満たしたいと思うている。悪魔は本性から偽りをいい、わたしは真理を語る。「あなたたちのうち、いったい誰がわたしに罪があると責めることができるのか。」(ヨハ8:46)
 神に属する者は神の言葉を聴くが、神に属さぬあなた方はそれを聞かない。
──と。

 ヨハ8:48-59〈アブラハムが生まれる前から「わたしはある」〉
 ユダヤ人たちが口々に、あなたはサマリア人で悪霊に取り憑かれている、とわれらがいうのも当たり前ではないか、悪霊に取り憑かれているからあなたはそんな妄言を吐くのだ、とイエスにいった。
 イエスはそれを否定した上で、いった。「はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」(ヨハ8:51)
 これを聞いてユダヤ人たちがどよめいた。いまお前が悪霊に取り憑かれていることがはっきりした、と。アブラハムは死んだ、預言者たちも死んだ、お前はわれらが父アブラハムよりも偉大なのか、お前はいったい何様か、とかれらがいった。
 イエスはいった。わたしは自分自身のために栄光を求めるなどと空しいことはしない。わたしに栄光を与えるのはわが父のみであり、あなた方はわが父を(自分たちの)神と呼ぶ。あなた方は神を知らないが、わたしは知っている。わたしは自分の父を知らないといえば、わたしもあなた方同様偽りをいう者である。が、わたしはわが父、神を知っており、その言葉を守っている。「あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。」(ヨハ8:56)
 これを聞いたユダヤ人たちがますます憤って曰く、お前はまだ50歳にもなっていないのにアブラハムを見たというのか、と。
 イエスはいった。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から『わたしはある』。」(ヨハ8:58)
 ──人々は石を手にしてイエスに投げつけようとした。が、イエスは飄然と神殿の外へ去った。

 「わたしはある」については昨日に述べた。なおこの箇所、文語訳では「私は在りて有る者なり」となる。
 真理はあなた方を自由にする、とは話者と対象を変えて、昔から各方面で使い古された表現である。その源流はどうやら本福音書にあったようである。キリスト教社会でずっと伝えられてきたこの言葉は、おそらく如何様にも解釈できるが、ここでいう真理とは神の啓示であり、またそれを説くイエスをも指す、と、フランシスコ会訳聖書で教えられた。
 が、この言葉自体は状況などに応じて様々の言い換えが可能であろう。「真理」を「知恵」や「知識」に置き換えれば尚更だ。本来の意図はともかくとして、福音書の読書中に見掛けた言葉のなかでも好きな言葉の一つである。
 ──昨日今日と読んできた第8章は、イエスがユダヤ人社会(共同体)から拒絶され、孤立を余儀なくされたところとして記憶しておくのがよい。

 本日の旧約聖書はヨハ8:56と創17:19及び21-6-8、ヨハ8:59aとレビ24:11-16。



 アウグスティヌス『告白』(中公文庫)全3巻を買おうとしたのだけれど、第1巻しか棚になくて購入を見送りました。文庫の場合、数巻で完結するものについては1軒の書店で全巻が揃わない限り、買うのを先延ばしにして、挙げ句に買わないまま今日へ至るケースがとっても多い。
 否。ちかごろはシリーズ物でなくても、1軒の書店で買い物を概ねすべて済ませてしまいたい気持ちがとても強い。以前なら、今日はこの本屋で買い、ここで買えなかったら明日明後日、他の本屋を回って探してみよう、なんてことは当たり前だったのにね。んんん、出不精になったのかなぁ。それとも1箇所で済ませたいのは無意識に買い物欲をセーブしているからなのかなぁ……。
 嫌だな、って思います。でも、今月は下旬に村上春樹の新刊も出るから、あまり思い切った買い物は本に限らずできないのだ、という事情もあるのですね。だって本音をいえば、昨夜発表されたiPod touch第6世代、欲しいもん。◆

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