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第2020日目 〈ヨハネによる福音書第12章:〈ベタニアで香油をそそがれる〉、〈ラザロに対する陰謀〉他〉 [ヨハネによる福音書]

 ヨハネによる福音書第12章です。

 ヨハ12:1-8〈ベタニアで香油をそそがれる〉
 過越祭の6日前。ベタニアの町ではイエスのための夕食が用意されていた。人々と共に死からよみがえったラザロもその席にいた。
 途中、ラザロの姉妹マリアが席を立ち、壺を抱えて戻ってきた。中身は非常に高価で純粋なナルドの油、約1リトラ(約326ℓ)だ。彼女はそれをイエスの足に塗り、自分の髪でそれを拭った。家中が香油の芳香に満たされた。
 これをイスカリオテのユダが見咎め、マリアに、どうしてそれを300デナリオンで売って貧しい人々へ施さないのか、いった。「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。」(ヨハ12:6)
 そんなユダをイエスは制した。この人はわたしの葬りの日のために油を取っておいたのだ。貧しい人はあなた方と共にいるが、わたしはいつまでも一緒にはいられない。

 ヨハ12:9-11〈ラザロに対する陰謀〉
 祭司長たちはラザロのことゆえにこれまで以上に多くのユダヤ人が離れてイエスを信じるようになったのを承け、イエスばかりかラザロをも殺そうと謀った。

 ヨハ12:12-19〈エルサレムに迎えられる〉
 イエス、来たる。──過越祭の5日前、エルサレムへ来ていたユダヤ人たちはそれを聞くと、ナツメヤシの枝を持ってかれを出迎えに行った。詩篇の一節を引いた讃美の言葉で、かれらはイエスを出迎えた。ホサナ。
 イエスはロバに乗って、エルサレムへ入った。12預言者の1人ゼカリヤがあらかじめ告げていたようにである。
 弟子たちははじめこれらのことがわからなかった。イエスが栄光を受けたあとでようやく、詩篇も預言者もイエスのことを語っていたのだ、と知ったのである。
 ラザロのよみがえりを目撃した人々はその証しをしていた。エルサレムのユダヤ人たちが歓喜してイエスを迎えたのも、ベタニアでのラザロの一件を伝え聞いて、知っていたからである。
 ──この様子を見てファリサイ派の人々は頭を振った。かれらは互いに、もうなにをしても無駄だ、世をあげてあの男に従いていったではないか、といった。

 ヨハ12:20-26〈ギリシア人、イエスに会いに来る〉
 過越祭のためにエルサレムへ上ってきたのはユダヤ人ばかりではない。イエスの許を訪ねてきたギリシア人数人はユダヤ教に改宗したため、この時期、エルサレムにいたのである。
 ギリシア人たちはまず12使徒の1人でガリラヤ出身のフィリポに、どうかイエスに会わせてください、と頼んだ。フィリポはアンデレに相談して、一緒にイエスのところへ行き、ギリシア人が面会を求めている旨伝えた。それを聞いてイエスはいった、人の子が栄光を受けるときが来た、と。続けて、──
 「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」(ヨハ12:24-25)
 われに仕えんと欲する者はわれに従え。それ即ちわが在る処に従う者ありきなり。われに仕え従う者を父は大切にする。

 ヨハ12:27-36a〈人の子は上げられる〉
 父よ、御名の栄光を現してください。イエスはいった。すると天から声が聞こえた。曰く、わたしは既に栄光を現した、再び栄光を現そう、と。これが聞こえたのは人々がそれを聞くことができるように、理解することができるように、である。
 イエスはいった、──
 「今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」(ヨハ12:31-32)
 人々は、律法に拠ればメシアは永遠にいるとのことですが、あなたが自分が「上げられる」といった、なぜですか、また人の子とは誰のことですか、と訊いた。
 イエスはいった、──
 「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。」(ヨハ12:35)
 光のあるうちに光を信じなさい。

 ヨハ12:36b-43〈イエスを信じない者たち〉
 そうしてイエスは去った。が、人々はイエスの起こした業、徴を目撃しながらもかれを信用しなかったのである。実はこれらのことは既に、預言者イザヤによって告げられていたことだったのだ。即ち、──
 「(人々がイエスを信じなかったのは、)預言者イザヤの言葉が実現するためであった。彼はこう言っている。『主よ、だれがわたしたちの知らせを信じましたか。主の御腕は、だれに示されましたか。』彼らが信じることができなかった理由を、イザヤはまた次のように言っている。『神は彼らの目を見えなくし、/その心をかたくなにされた。/こうして、彼らは目で見ることなく、/心で悟らず、立ち帰らない。/わたしは彼らをいやさない。』イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。」(ヨハ12:38-41)
 最高法院の議員たちのなかにもイエスを信じる者は多くいた。が、それを公に述べることはしなかった。会堂から追放されるのを恐れ、それ以上に神の誉れよりも人から受ける誉れを好んだからだった。

 ヨハ12:44-50〈イエスの言葉による裁き〉
 わたしを信じる者はわたしを遣わした方を信じるのである。わたしを信じるのではない。
 わたしを見る者はわたしを遣わした方を信じるのである。わたしを信じるのではない。
 わたしは光としてこの世に来た。わたしを信じる者が1人として暗闇のなかに取り残されることがないようにである。
 わたしの言葉を聞いても守らない者がいる。わたしはその者を裁かない。裁き手は他にいる。終わりの日にかれらを裁くのはわたしの言葉だ。
 わたしは自分勝手に語るのではない、わたしを遣わした父が語るよう命じた言葉を世の人へ伝えているのだ。即ちかれらを裁くのは父の言葉である。
 わたしは世を裁くために来たのではない。世を救うために来たのである。父の命令は永遠の命であると知れ。

 世の人々──ユダヤ人、異邦人、信じる者、疑う者、忌む者らにイエスが示した最後の言行である。このあとは弟子たちと、最高法院の議員や大祭司など敵対者に示すのみだ。表面をなぞるのは簡単だが、本章は立ち止まってじっくり読まねばならない。読む程に深みとあたたかさの伝わってくる箇所だ。わたくしも「ヨハネによる福音書」読書ノートが終わったら、改めて本章から以後を読み返してみるつもりである。
 イエスが神の子、この世に現れた神の代理人、中継役であることを雄弁に語った本章を経て、「ヨハネによる福音書」は明日から最後の晩餐の席上に於けるイエスの信仰告白(confession of faith)となる。読者諸兄よ、クライマックスはもうこの第12章から始まっているのだ。

 本日の旧約聖書はヨハ12:13と詩118:25-26、ヨハ12:15とゼカ9:9、ヨハ12:38とイザ53:1、ヨハ12:40とイザ6:10、ヨハ12:41とイザ6:1-3。◆

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