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第2228日目 〈コロサイの信徒への手紙第1章1/2:〈神への感謝〉、〈御子キリストによる創造と和解〉他with飼いたい生物。〉 [コロサイの信徒への手紙]

 コロサイの信徒への手紙第1章1/2です。

 コロ1:1-2〈挨拶〉
 キリストの使徒パウロとテモテから、コロサイの町の聖なる者たち、キリストに結ばれた兄弟たちへ。あなた方へ神からの恵みと平和がありますように。

 コロ1:3-8〈神への感謝〉
 いつでもわれらはあなた方のため祈りをささげています。キリストへの信仰とすべての聖なる者たちへの愛を抱いている、と聞いたからです。信仰と愛、それは天に蓄えられた希望に基づくもので、あなた方はこの希望を福音という真理の言葉を通して聞いています。
 コロサイの地でも……そこに住まうあなた方にも、この福音は届けられています。あなた方のためキリストに仕えるエパフラスによって。かれはわたしの仲間で、“霊”によってあなたの愛を知らせてくれた人です。

 コロ1:9-23〈御子キリストによる創造と和解〉
 神の御心をよく悟り、すべての点で主に喜ばれるよう主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。
 神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どのようなことにも根気強く耐え忍ぶように。
 喜びを以て、光のなかにある聖なる者たちの相続分にあなた方が与れるようにしてくれた御父へ感謝するように。
 御父はわれらを闇の力から救い出し、御父が愛する御子の支配下に移してくれたからです。われらはこの御子により贖われて罪の赦しを得ているのです。
 御子は見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた。天地にあるあらゆるもの、見えるもの見えざるもの、王座や主権、支配や権威、そうしたものはすべて御子によって、御子自身のために造られたのです。
 御子はすべてのものよりも先にあり、すべてのものは御子の支えなくして存在し得ない。
 御子は自身の体である教会の頭。初めの者であり、死者のなかから最初に生まれた人。
 御子はすべてに於いて第一の者、最初の者なのです。
 よろしいでしょうか、皆さん、──
 「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。
 あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。」(コロ1:19-22)
 ──信仰に拠って立ち、福音の希望から離れるなかれ。福音は世界中に宣べ伝えられます。そうしてわたしパウロは福音に仕える者であります。

 殊〈御子キリストによる創造と和解〉はわたくしの処理能力を軽々と超えてくれていますので、ほぼそのままに引用してノートを作りました。とはいえ、弁解めきますが、ここは自分なりの解釈を基にしたダイジェストをしなくてよかった、と思います。当該箇所はパウロのキリスト讃歌のエッセンスであります。パウロ自身の言葉で語らせるのが、やはり正解であった、と己の判断を誇り、自慢したく。
 このなかに、御子即ちキリストはすべてのものが造られる前に生まれた、すべてのものが造られる以前から存在していた、との記述があります(コロ1:15、17)。どこかで極似した文言に触れたことはなかったでしょうか? ──「ヨハネによる福音書」を典拠としていると思しき文言がありましたよ。ヨハ1:1,同17:5及び24,就中ヨハ8:58に。アブラハムが生まれる前からイエスはいた、天地創造以前からイエスは生まれていた。
 パウロが本書簡の筆を執った頃、「ヨハネ伝」が如何なる形でも、書物として存在していた形跡はない。が、その資料となる諸々については──文字であれ口伝であれ、パウロのまわりにあっただろうから、おそらくかれはそうした原資料から吸収した知識を念頭に置いて、キリスト讃歌に含まれるこの文言を記したのではないか、と考えるのであります。
 最後に、続けての引用は憚られたため本文ではやむなく削った、本書簡でいちばん印象に残り、途轍もなく重くて、清らかで、心強く、あたたかみのある文言を引いておきます。曰く、──
 「揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはいけません。」(コロ1:23)



 子供じみたことを考えるのが好きである。
 断続的に書き続けていた、いまは本ブログゆえに遠ざかっているが時折帰還すると魂の回復を感じる、と或る家庭の日常を淡々と綴ったファンタジー的かつ黙示録的世界──折りにつけ、それが現実であったら自分はなんと幸せか、と嘆息かつ嗟嘆するのですが、そこでわたくしは本来あったはずの人生を生きている。不慮の事故によって奪い去られる命はあるが、それは世界の混乱のなかで起こったことであり、自分の周辺と斯様な無残な事故は無縁である……という絵空事。神をも愚弄する自己中心的世界の創造。
 そこには、まるでその世界に於ける生命体の秩序を司る守護神の如き<怪獣>がいる。モデルはむろん、わが国の誇るキング・オブ・モンスターだ。かれはわが家から見晴るかす海を棲み家とし、ときどき腹を満たすために遠洋に出て鯨や魚群を襲い、折節子らや居候たちと意思疎通していたり。そんな世界を希求する。わたくしはその怪獣を自分の愛玩動物としたい。
 敢えていおう、ゴジラ飼いたい。◆

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