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第2352日目 〈ヨハネの黙示録第5章:〈小羊こそ巻物を開くにふさわしい〉with映画『REC』シリーズを再鑑賞して気附いた悔しさ。〉 [ヨハネの黙示録]

 ヨハネの黙示録第5章です。

 黙5:1-11〈小羊こそ巻物を開くにふさわしい〉
 わたしは視た、玉座に坐る方の右の手に1つの巻物があるのを。それは表も裏も字で埋め尽くされており、7つの封印で閉じられていた。わたしは聞いた、1人の力強い天使が、この巻物の封を解いて開くことのできる者、見ることのできる者のありやなしや、と問うのを。その声に答える者は誰もなかった、天にも地にも地の下にも。
 わたしは号泣した。そんなわたしに1人の長老が話しかけた。曰く、泣くな、見よ、ユダ族の獅子にしてダビデのひこばえ、かれが勝利を得たのであの巻物を開いて読むことができる、と。
 わたしは視た、玉座と4頭の生き物と長老たちの間に屠られた小羊が立っているのを。小羊は7つの角と7つの目を持っていた。小羊は玉座の方へ進み出て、そこに坐る方の右の手からかの巻物を受け取った。
 そのとき、4頭の生き物と24人の長老は、竪琴と、香がたっぷり入った金の鉢とを手に持ち、小羊の前にひれ伏した。そうしてかれらは新しい歌をうたった。あなたは巻物を受け取って封印を解くのに相応しい方、と。続けて、──
 「あなたは、屠られて、/あらゆる種族と言葉の違う民、/あらゆる民族と国民の中から、/御自分の血で、神のために人々を贖われ、/彼らをわたしたちの神に仕える王、/また、祭司となさったからです。/彼らは地上を統治します。」(黙5:9-10)
 わたしは視て、聞いた。万の数万倍、千の数千倍になんなんとする数の天使たち、天と地と地の下と海にいるすべての被造物とそこにいるあらゆるものが、口を揃えて異口同音に、それぞれ屠られた小羊を讃えるのを。

 屠られた小羊とは「イザヤ書」にてメシア即ちキリストを表現した語であります。神が持つ巻物──神の秘められた計画が書き綴られた巻物を開封する資格、読む資格、ここでは書かれておりませんが実行する資格を持つのは、屠られた小羊のみなのだ、というのが本章の主旨。後半は専らキリストを讃える場面なので、そう脂汗垂れ流して読解に懸命となる必要はないでしょう。
 この屠られた小羊が持つ7本の角は王権を、7つの目は全知を、それぞれ意味します。これはわれらがいままでの新約聖書読書に於いて培ってきたキリストのイメージ或いは権能と、ぴたり、と重なり合いますね。
 なお、黙5:5「ダビデのひこばえ」の「ひこばえ」。これは木の切り株から生える若芽のこと。ヤコブによって獅子と称されたユダ族の者ダビデの家系からイエスが誕生して、人類の罪を己が血によって贖い、神の右に坐ることを許されたメシアとして信徒の前に立つことを、たった一語で説明し得た表現であります。

 本日の旧約聖書は黙5:5と創49:9、黙5:6とイザ53:7。



 CSにて『REC』シリーズ全4作の一挙放送があったので、迷わず録画した……といいたいのだが、「3」と「4」についてはさる事情あり後日別々に録画することとなり、いまは帰宅してから寝るまでの間になんとか時間を捻出して鑑賞中である。
 まだ「2」も公開されていない頃に「1」を観て、あんまり……など残念な発言を本ブログにて、した。数年を経て再び鑑賞してみて、以前よりは面白く観たのだけれど、感想やら採点やらが180度変化する事態とはならず、本シリーズに対する自分の包容力の限界を痛感させられただけであった。
 おそらく、わたくしが『REC』シリーズを評価できないのは悔しさゆえだ。映画監督を夢見た10代の時分、に作りたい、と望んだホラー映画のスタイルを実現させられてしまったから。シリーズを通して徐々に謎が解明されてゆくパニック劇を小説として書いてみたい、と企んでいたのが、あっさりと実現されてしまったから(『LOST』では悔しさとか嫉妬とか感じなかったね……。こういうものを作るは自分の手に余る、と自覚させられたから!)。
 愛憎相半ばする? うん、そうかもね。しかし、プロであれアマであれ、フィクションを作り出す者は誰でもこんなジレンマを抱えるのではないか。あ、ちくしょう、俺がやりたかったことをこいつ、やりやがった! こんなことなら俺が、出来は未熟でもさっさと手掛けておくんだった! そんな悔しさと嫉妬を、フィクションの作り手ならば生涯に何度となく抱えて身悶えるのではないか。
 それにしても「2」のラスト、最上階での継承シーンはなんだかえげつないですね。で、これが実は「4」への伏線となっており……あはぁ……。◆

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