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第2354日目 〈ヨハネの黙示録第7章:〈刻印を押されたイスラエルの子ら〉&〈白い衣を着た大群衆〉with新しいブログ開設を視野に入れる。〉 [ヨハネの黙示録]

 ヨハネの黙示録第7章です。

 黙7:1-8〈刻印を押されたイスラエルの子ら〉
 わたしは視た、大地の四隅に4人の天使が立っているのを。かれらは四隅からの風を押さえつけ、大地にも木にも海にも吹きつけないようにしていた。また、もう1人の天使が現れるのも視た。その天使は手に神の刻印を持っている。かれは太陽の昇る方角から現れた。
 最後の天使が先の4人の天使にいった。神の僕たちすべての額に刻印を押し終えるまで、大地にも木にも海にも害を加えてはならない、と。4人の天使たちは大地と木と海に害を加える力を与えられていたからである。
 そうしてわたしはヨハネは神の刻印を押される人々の数を聞いた。その数は144,000人。イスラエルの12部族から選ばれた12,000人ずつが額に刻印を押された。ユダ族から、ルベン族から、ガド族から、アシェル族から、ナフタリ族から、マナセ族から、シメオン族から、レビ族から、イサカル族から、ゼブルン族から、ヨセフ族から、ベニヤミン族から、選ばれた12,000人ずつが額に刻印を押されたのである。

 黙7:9-17〈白い衣を着た大群衆〉
 その後、更にわたしは視た。あらゆる国民、あらゆる民族、あらゆる種族、あらゆる言語の使用者が、全地の民のなかから集い来たったのを。かれらは皆白い衣を着、手にはナツメヤシの枝を持っていた。かれらは玉座の前と子羊の前に立ち、大きな声で、救いは玉座に坐る神と子羊のものである、といった。
 また、4人の天使は玉座と長老たちと4頭の生き物を囲むようにして立っていた。かれらは玉座の前にひれ伏して、そこに坐る神を礼拝した。讃美と感謝、栄光と力、知恵と誉れ、威力が世々限りなくわれらが神にありますように。アーメン。
 それを視、聞くわたしに長老の1人が話しかけた。この白い衣を着た者らがどこから来たか、知っているか。わたしは、それはあなたの方がご存知です、と答えた。すると、長老はこういった、「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」(黙7:14)と。
 続けて、──かれらは玉座の前にいて、夜となく昼となく神殿で神に仕えるものである。かれらはもはや飢えることも渇くこともない。なにものもかれらを襲わない。
 「玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」(黙7:17)

 イスラエルの12部族すべてを列記するのは何年振りでしょう。錆びついた記憶を鞭打ってみても思い出すことかなわず、それは無駄な努力と諦めました。そうして気附いたのは、嗣業の地を分割した当初は後の南王国の領内に自分たちの土地を得たものの事情あって北方へ移ったダン族(ヨシュ19:40-48)の名が見当たらぬことであります。部族を半分に分かたれていたマナセ族、嗣業の地をその職能ゆえに相続せぬレビ族は当然のようにこのリストへは載るにもかかわらず、ダン族はなぜ?
 思うに北方へ第2の嗣業の地を得たダン族はその規模、その場所からアラムを初めとする異民族の偶像崇拝に抵抗する力弱く、段々と染まってしまったのではあるまいか。神の道を正しく歩むことも神の目に正しいと映ることも継続できず、次第次第に本来の信仰をなくしていったのではあるまいか(わたくしにはそんな風に思えてなりません)。──となれば、「ヨハネの黙示録」に於いて神の刻印を額に押される部族のリストから外されている理由もわかる、というものです。
 ダン族を除く12部族の選ばれた者が144,000人というのは、部族を示す12に2乗して1,000を掛けた積であります。実際の人数というよりも、「無数」を示す象徴的数字と考えるのがよいでしょう。聖書を読んでいると象徴としての数字にしばしば出喰わします。聖書読書もあと数週間で終わることですし、そのあと落ち着いたら機を見て数字についてのエッセイを1編、認めてみましょうか。聖書読書が終わったあとにやりたいこと、書きたいことがたくさんありすぎて、どれだけ実現するかわからないけれど、数字のエッセイは400字詰め原稿用紙2枚程度の短いものになったとしても、書いてみたいなぁ、と思うております。
 黙7:14「大きな苦難」とはローマ帝国に於けるキリスト教弾圧、キリスト者迫害を指します。ローマ時代のそれについては既に本書〈前夜〉にて述べました。そちらをご参照いただければ幸いであります。

 本日の旧約聖書は黙7:3とエゼ9:4、黙7:16とイザ49:10、黙7:17aとエゼ34:23、黙7:17bと詩23:2、黙7:17cとイザ25:8。



 もう1つ、ブログを新たに立ちあげる(この表現は正しいか?)つもりでいます。
 来月からはこれまでのように雑駁な話が、相手と顔を合わせてできなくなるであろう環境へ飛びこむことになる。今後、かれらに紹介できるような、かれらが訪問してくれるようなブログを作っておきたいのです。
 今回の環境の変化はあらゆる意味で、<吉>と出るか<凶>と出るかわからないので、たとえいまの場所を離れても自分史上最強の仲間たちとつながり続けていたいのですよ。そのためのツールとの1つとして、新しいブログというわけです。
 さて、実際に立ちあげるとして、どんなブログにしようかな……。◆

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