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第2356日目 〈ヨハネの黙示録第9章:〈天使のラッパと災い〉2/2withいつもの悩み、終わらぬ悩み。〉 [ヨハネの黙示録]

 ヨハネの黙示録第9章です。

 黙9:1-21〈天使のラッパと災い〉2/2
 第5の天使がラッパを吹くと、一つの星が天から地上に落ちてきた。その星には底無しの淵へ至る穴を開く鍵が与えられた。開かれた穴からは煙が立ちのぼり、空や太陽を暗くした。
 煙のなかからイナゴの大群が出現して、額に神の刻印を押されていない者らを襲った。地上の草花や作物に害を加えてはならない代わりに、神の刻印のない者を襲うよう命じられていたのだった。
 とはいえ、イナゴは人を殺めることを許されていなかった。5ヶ月の間、襲った者らを苦しめることはできたと雖も。「この人々は、その期間、死にたいと思っても死ぬことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げて行く。」(黙9:6)
 イナゴの主人は底無しの淵の使者。その名はヘブライ語でアバドン(滅びイ)、ギリシア語でアポリオン(滅ぼす者イ)という。
 ──第一の災いが過ぎ去り、このあと更に2つの災いがやって来る。──
 第6の天使がラッパを吹くと、神の御前の金の祭壇の4本の角から1つの声が聞こえた。声は第6の天使にこういった、大河ユーフラテスの畔に縛られている4人の天使を解放せよ、と。
 斯くして4人の天使は解き放たれた。かれらはまさしくその年、その月、その日、その時間のために大河の畔で縛られていたのである。4人の天使が率いる騎兵の数は万の2万倍、即ち2億。
 わたしが視た馬の姿はこうである。頭部は獅子の頭の如し、口からは火と煙と硫黄を吐いていた。火と煙と硫黄、この3つの災いによって人間の1/3が命を奪われた。馬の力は口と尾にあった。尾は蛇に似て、先端に頭がある。この頭で害を加えるのだった。また、馬の乗り手は炎のような赤、ヒアシンスのような青紫、硫黄のような黄色で彩られた胸当てを付けていた。
 ……斯様な災いを免れてなお、救い難き悔い改めぬ者らがいた。かれらは悪霊を崇め、偶像を拝み、殺人や呪術、淫行に耽り、盗みを働き続けた。

 キリスト者にあらざる者はことごとく滅びる。では、どのようにして? 本章はその答えを提示する。キリスト者にあらざる者らは斯く滅びるべし。むろん、それはほんの一端。序の口に過ぎないのだけれど。「ヨハネの黙示録」という書物に相応しい超弩級の滅びの歌劇を堪能しましょう。
 それだけではなんなので、註釈めいたものを2つ。
 イナゴが人に害を加える期間として記される「5ヶ月」はイナゴの生育期間でもあります。生きている間は思う存分人を襲い、死を望んでも死ぬことのできない程の苦しみを与えよ、ということでしょうか。なかなか背筋を寒くさせられることであります。そうそう、イナゴによる災いということで、出エジプトの挿話を思い起こす読者もおられるかもしれませんね(出10:1-20)。
 黙9:14「ユーフラテスのほとりにつながれている四人の天使」。ユーフラテスは勿論古代文明を育んだ母なる川の1つですが、イスラエルにとってそれは神がアブラハムに与える約束の地の東境(創15:18)であり、同時に滅びを伴う(列強の)侵入の譬えでもあります。これはユーフラテスの向こう岸でアッシリアや新旧バビロニア、メディアやペルシアといった古代オリエントの支配国家が繰り返し勃興したからでしょう。そうなると、4人の天使はイスラエルを脅かして国家と民を揺るがした、上述の列強諸国の比喩であることはいうまでもありません。
 いやぁ、それにしても引用した黙9:6、死を望んでも死ぬことができない、とはなによりも恐ろしいことでありますね。



 毎度のことだが、ブログ原稿の清書部分は2、3時間あれば自然と書けるのだが、日々付属するエッセイについてはいつも頭を悩ませる。聖書部分をPCで入力する段になっても、なにを書くか、まだ決めあぐねている。一つ、二つのアウトラインでもあれば前に進むことができるのだけれど……。なにも思い浮かばない間はひたすら苦痛ですね。
 どうしてこのスタイルを採用したのか、と後悔することはないけれど、書くことが決まらない以上、最悪の場合、今日は安息日にしちゃおうかな、と逃げの一手を講じたくなることもある。幸いと実行したことがまだないのは、ささやかな自慢といえようか。◆

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