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第2365日目 〈ヨハネの黙示録第18章&第19章1/2:〈バビロンの滅亡〉with未だここでお披露目されざるエッセイ群について。〉 [ヨハネの黙示録]

 ヨハネの黙示録第18章と第19章1/2です。

 黙18:1-19:4〈バビロンの滅亡〉
 わたしは視た、大きな権威を有する別な天使が天から降ってくるのを。その栄光によって地上は輝いたのだった。その天使が叫んで曰く、──
 倒れた、大バビロンが倒れた。そこはあらゆる汚れた獣の巣窟。すべての国の民は彼女の供するぶどう酒に甘え、すべての国の王は彼女と淫らな行いに耽り、すべての国の商人は彼女の供する贅沢によって富を築いた。
 わが民、わが民、聞け、わが民。その災いに巻きこまれたりしないように。彼女の罪は積もり積もって天にまで届いている。神がその不義を覚えているからだ。彼女があなたにしたのと同じ罰を以て彼女に報いよ、報いる際は倍返しで臨め。彼女が心のなかでどれだけ自分を正当化しようと無駄である。
 「それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、/死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。/また、彼女は火で焼かれる。/彼女を裁く神は、/力ある主だからである。」(黙18:8)
 彼女と淫らな行いに耽って楽しんだ王たちが、彼女の大盤振る舞いによって財を築いた商人たちが、彼女のために嘆き悲しんだ。また、遠くに立って彼女が焼かれる様を見た海の男たちが、頭に塵や灰をかぶりながら、彼女の不幸を泣き悲しんだ。
 「天よ、この都のゆえに喜べ。/聖なる者たち、使徒たち、預言者たちよ、喜べ。/神は、あなたがたのために/この都を裁かれたからである。」(黙18:20)
 わたしは聞いた、ある力強い天使が大きな挽き臼のような石を海に投げこんでこういったのを。曰く、──
 バビロンよ、お前が顧みられることはもはやない。いま海へ荒々しく投げ入れたあの石のように、ゆめ人の目に映ることはない。お前のなかでは二度と楽の音が響くことも、手に職ある者たちの掛け声が聞かれることも、ない。灯し火の輝きがお前を照らすことはない。花婿や花嫁のしあわせな声が、お前バビロンの街角を賑わせることもない。──けっして! 二度と!!
 「なぜなら、お前の商人たちが/地上の権力者となったからであり、/また、お前の魔術によって/すべての国の民が惑わされ、/預言者たちと聖なる者たちの血、/地上で殺されたすべての者の血が、/この都で流されたからである。」(黙18:23-24)
 その後にわたしは聞いた、天からの唱和を。曰く、──
 ハレルヤ、主を讃えよ。救いと栄光と力、それはわれらが神のもの。その裁きは常に真実で正しい。全地を堕落させたあの大淫婦を裁き、御自分の僕たちが流した血の復讐を彼女に対して果たしたからである。ハレルヤ、主を讃えよ。「大淫婦が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上る。」(黙19:3)
 ──24人の長老と4つの生き物がひれ伏して、玉座に坐す神を礼拝して、いった。アーメン、ハレルヤ。

 はた、と頭を抱えました。本書にはいったい何人の天使/御使いが登場するのか、と。ラッパを吹く。最後の災いを携える。神の怒りが盛られた鉢を持つ。7人の天使がそれを行う。この7人はすべて同一なのか、すべてまったく別なのか。まずここで考えこむ。また、別の天使が幻視者に働きかける場面も複数ある。これらもすべて同一なのか、否か、不明である。
 数えあげる余裕はないけれど、すべて別の天使だとしたら30人近くの天使/御使いが「ヨハネの黙示録」には跋扈することになる計算だ。もう跋扈としか表現しようのない、天使の大盤振る舞いだ。それだけの人数に一々口伝した神もご苦労さんなら、幻視してごまかすことなく対面してみせた使徒ヨハネもご苦労さんである。むろん、ヨハネにしてみれば、いつまで接待しなくてはならんのだろうか、と先の見えなさ加減にうんざりしていたかもしれないけれど。
 さて。バビロンは滅びた。それを嘆く者は多い。嘆く者は肉の生活に於いてローマの名の下でささやかな生活を営んでいた者たちでもある。キリスト者の神は裁きによってそれを奪った。視点を変えればローマの臣民にとってキリスト者の神こそ<サタン>と呼ぶに相応しかろう。

 本日の旧約聖書は黙18:6-7aと同罪刑法についてはレビ24:17-20及び詩137:8並びにエレ50:29、倍返しについては黙18:6-7aと出22:3及び同6並びに同8更にエレ16:18、黙19:3とイザ34:10。



 長くなってしまったエッセイ、まとまりの付かなくなってしまったエッセイ、予告しながら未だ手付かずのエッセイ。ノートにも心中にも、そんなのがたくさんある。
 基本的に本ブログに載るエッセイは数10分から精々が2時間弱で、すくなくとも第一稿は一気呵成に書いているから、どうしても上手くまとまってくれなかったり、或いは手に負えなくなってしまったものもあるのだ。そうしたものについては聖書読書が終わったあと、時間を作って推敲したりして、機を見てここに披露目したいね。
 いまはまだ予告だけのエッセイも聖書読書が終わったあとで過去記事を点検して、当時語らんとしていた話題を洗い出した上で、小説完結後にのんびりと、紫煙くゆらせながら、ひなたぼっこして書いてゆきたいものである。──そんな日は来るの? と訊かれたら、心のなかにZ旗掲げて鋭意努力します、と応じよう。対応の準備だけは万全である。◆

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