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第2368日目 〈ヨハネの黙示録第21章:〈新しいエルサレム〉1/2with宮部みゆき『あやし』を読んでいます。〉 [ヨハネの黙示録]

 ヨハネの黙示録第21章です。

 黙21:1-27〈新しいエルサレム〉1/2
 最後の7つの災い──神の怒りが盛られた7つの鉢を携えた7人の天使のうちの1人がわたしに近附いてきて、ここへ来よ、小羊の妻である花嫁を見せてあげよう、といった。
 「この天使が、“霊”に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。」(黙21:10-11)
 花嫁エルサレムの都を件の天使が測量してみせた、手にした金の物差しを用いて。都は正方形で、長さと幅は等しい。測ると都の外側は12,000スタディオン、つまり約2,220,000メートルあった。長さと幅と高さは等しい。次に城壁を測ると144ペキス、つまり6,480メートルあった。天使が用いた物差しの尺度は、人間が使う物差しのそれと一緒である。
 城壁には12の門があり、それぞれに12人の天使がいる。門には天使1人1人の名が刻まれていて、それはイスラエルの12部族と同じだった。なお、門は東西南北、各方角に3箇所ずつ設けられている。
 城壁それ自体は碧玉で作られている。そこには12の土台石が築かれており、それぞれに小羊の12使徒の名が刻まれてあった。土台石はそれぞれが異なる宝石で作られていた。第一の土台石から順番に、碧玉、サファイア、めのう、エメラルド、赤縞めのう、赤めのう、かんらん石、緑柱石、黄玉、ひすい、青玉、紫水晶、である。序にいうと、城壁の12の門のそれぞれは1個の真珠で作られていた。
 都と、都の大通りは透き通ったガラスのような純金で出来ていた……。
 わたしは視なかった、都のなかに神殿があるのを。それは当然のことで、いまや最初のものはなく、神なる主と小羊とが都の神殿だからである。都を照らす太陽も明かりもいまや必要ではない。小羊が都の明かりだからだ。諸国民はその都の光のなかを歩き、地上の王たちは自分たちの栄光を携えて、ここに来る。12ある門は外へ向かって開けられていて、閉ざされることがない。いまや夜さえ存在しないからだ。
 人々は来る、諸国民の栄光と誉れを携えて、この都へ。が、汚れた者、忌むべき行いに耽った者、偽りを行う者が都に入ることはできない、誰1人として。例外はない。
 新しいエルサレムには、「小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。」(黙21:27)

 「エゼキエル書」に基づく新しいエルサレムの描写には悩まされました。唸りながらどうにか形こそ為したものの、結果は自分としても可不可の判断を下し難いもので……読者諸兄の判定を待つとしましょう。
 新しく出現した世界はまさしく<神の国>というに相応しい態を成している様子。すべては、(神とキリストの現出によって)それ自体が神殿と化したエルサレムを中心とし、全世界を照らす小羊即ちキリストの光のなかで運営されてゆくのです。
 城壁の土台石の1つを作る「かんらん石」は、鉄とマグネシウムを含むケイ酸塩鉱物。鉄かんらん石やマンガンかんらん石(テフロ石)など幾つかの種類があるけれど、黄緑色で短柱状な苦どかんらん石のなかでも特に純度が高く美しいものは、「ペリペット」という宝石名で親しまれている。これは8月の誕生石であります。

 本日の旧約聖書は黙21:6とイザ55:1、黙21:19-20と出28:17-20及び同39:10-13、黙21:23とイザ60:1-2。



 過去に読んだ覚えがある宮部みゆきの作品は極めて少ない。なにかの偶然によって先日から再び読むようになったのだけれど、当時はどうしてこの面白さ、この軽みに囚われなかったのかな、ふしぎに思い、小首を傾げている。
 彼女の時代物を読むのは今回が初めてだと思うのだけれど、人の心の機微というのをとても上手に書く人だったんだなぁ、と今更ながらに感嘆してしまった。いまは『あやし』(角川文庫)を読んでいる途中だが、現時点では全9篇のなかでは「影牢」と「安達家の鬼」がベストだ。時代小説と怪奇小説の今日的ハイブリッドとして、自分が小説を書くにあたっての手本としたいぐらいである。
 本書については後日、必ず感想文を書こう。そうしていつになるかはわからぬが、必ず本ブログにてお披露目しよう。
 次に読む<三島屋>シリーズも『あやし』のように楽しめればいいな。◆

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