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第2589日目 〈中沢健『初恋芸人』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 BS未加入だと観たい番組を観られず、地上波で流れる予告CMや番組紹介の記事に接する度刹那の憤慨を催すことがある。まあ、その憤慨も一時期よりは鎮まるようになったけれどね。これについてはNHK-BSがクラシック番組を殆どまったく流さなくなったことが大きい。ベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートだって、ここ数年は生中継していないんじゃない?
 たいていの番組ならさっさと忘却できるようになったけれど、昨春にBSプレミアムで放送されたこのドラマだけは観たかった──それが松井玲奈主演の『初恋芸人』。……にもかかわらず、特にこちらからアクションを起こして万難尽くして観る手段を講じたわけではない。CSで放送されたら観ればいいや。そうさっさと諦めたことのだ。斯くして時は流れて昨秋へ至り、──
 昨秋? 然様。神保町の一角に店舗を構える老舗新刊書店の文庫売り場の平台に、かのドラマの原作本が平台に積まれていた。半年前の刊行物ゆえ特に新刊として扱われていたわけでも、企画コーナーの一冊だったわけでもない。どうしてあの時期に平積みされていたのか皆目不明だけれど、ドラマ放送時の帯が巻かれたその文庫を見掛けた途端迷わず摑んでレジへ運んだね。
 ……というわけで、中沢健『初恋芸人』(ガガガ文庫)を読みました。
 怪獣・特撮ネタがウリの芸人、佐藤賢治(勿論無名)はライヴ後の打ち上げの席で自分のコントを「面白い」といってくれた市川理沙に一目惚れした。そのあと市川嬢からのメールをきっかけとして友達付き合いが始まる。想う気持ちはどんどん大きくなり、交際を熱望するまでになったが、やがて初恋は思いもよらぬ形でピリオドが打たれる──。
 市川嬢の無自覚な台詞とスキンシップが主人公を惑わせたのだ。現実でも男女問わず存在するよね、他人との距離の取り方が下手で誤解を与えてしまう人。佐藤も悩んだが、市川嬢も悩んだのだ。それもあって彼女は、より大きな安心を与えてくれる年上の男性、主人公の先輩芸人と将来を共にするのを選んだのだった。
 読み始めた当初は、単に女性との交際経験がまるでない芸人の報われない初恋を描いただけのお話、と思うていた。事実、第一章を読んでいる最中はそのあまりの初々しさ、あまりの微笑ましさに口許が終始緩みっぱなしで、これを読んでいた頃の通勤電車の車中では緩む口許を隠すアイテムとしてマスクが必需品であった程である。
 その裏返しかしら。詭弁を弄して気持ちを伝えることを先延ばしにし続ける主人公の、その意気地なさと決断力の欠如にひたすら腹が立ち、これでは市川嬢と両想いになったとしてもすぐに別れるわ、と妙に納得させられたのは。一方で市川嬢は欺瞞だ計算だと罵られても仕方ない言動で主人公を翻弄して、挙げ句に最終章の語り手役をかっさらい、美辞麗句で自分の気持ちと選択を正当化する。最終的に二人は、それもエゴと欺瞞ゆえにもはや修正の効かない未来を自らの手で作り出したのだ。この二人、恋人になったり夫婦になったりしないで正解かもしれぬ。
 とはいえ、物語が進むにつれてページを繰る指が重くなってきたのも事実。読了後はずっしりと沈みこんでしまうた。咨、老いらくの恋の只中へある者にこの小説は重くて、苦い。傷口に塗りこまれる塩分濃度ときたら、婚約者の死後四半世紀の間に唯一度、初めて自分から告白して待たされ振られた時分に読んでいた有川浩『図書館戦争』シリーズよりもはるかに濃く……。
 初恋を描いたお話としてはよくある顛末で、筋運びもテンプレート通りなのにもかかわらず、読み終わってみればこちらの心を容赦なく抉ってくるビター・スウィートな小説だった。いやぁ、恋は苦いね!◆
2017年04月29日 23時40分



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