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第2605日目 〈横溝正史「貸しボート十三号」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 以前はミステリ小説を読みながら「犯人当て」に挑んだものだった。それが最高潮に達していたのはちょうど1年前だが、ちかごろはそんな意欲もまるでなく、物語に心をゆだねるだけでじゅうぶんと思うている。
 探偵がトリックやアリバイ崩しに能弁垂らすのを傾聴し、犯人を指摘する件りに「ほう」と多少の驚きを表明し、大団円を迎えた物語に満足を覚えて本を閉じる……この間の気持ちをかんたんに述べるなら、「そのうち探偵が真相に気附いて犯人を名指しし、トリックやらなにやらについて解説してくれるンだろうな」と……或る意味、ミステリの読者としていちばん理想的かついちばんお呼びでない読者であるやもしれぬ。
 その代わり、というのでは勿論ないが、この頃ずっと読み耽っている横溝正史については「探偵小説の醍醐味を味わう」というより作中に描かれた時代風俗や地理に興味を惹かれることがたびたびで。たとえば此度の「貸しボート十三号」も然りで、隅田川にまつわる幾つかの関心に囚われて、作品の感想等とそれらを同居させるのに頭を悩ませていたのだが、もうこうなっては開き直って今回は、作品よりもそちらの話題に終始させていただこう。えっへん。
 ──というておきながらさっそく私事になるのだが、現在わたくしは本作と非常に縁ある土地へ仕事に来ている。そのビルからはちょうど首都高速都心環状線を見おろすことができる。関東大震災で甚大な被害を被った東京市の復興──そのシンボルとして立案されたプランの1つが「震災復興橋梁」である。大正期という時代性を反映してか、そのデザインや様式は今日でも新しさを感じさせるが、残念ながら今日では姿を消した橋梁が多く、往年を偲ぶのは難しい。戦災復興と高度経済成長を承けて河川が埋め立てられ、同時に空襲による被災を免れた橋梁も撤去・解体が行われたからである。
 が、幸いなことに21世紀のいまも往年の姿を留める橋梁は現存している。そのうちの1つがビルから見おろす都心環状線に掛かる采女橋や万年橋だ。かつて築地一帯には堀割が縦横に走ってそこに水の流れがあったこと、時が経て<再開発>の名の下に埋め立てられて道路に変貌したこと、それらを知る端緒が横溝正史の「貸しボート十三号」だったのだ。
 なお本作は、これもいまは姿を消した汐留川の貸しボート場からそこまで舵を漕いできたアベックが、浜離宮恩賜公園の沖合で漂うボートの上に生首が半分切られた男女の死体を発見する場面から始まる。このボートが所轄の築地書へ曳航されるルートを、すこしばかり省略されていると雖も既述されているので、ここにそれを書き写しておきたい。曰く件のボートは浜離宮恩賜公園沖から隅田川水域に入るとすぐに築地川東支川へ折れ、現在の築地市場内にあった海幸橋をくぐり、そのまま遡上して市場橋、北門橋、采女橋を頭上に見あげ、築地川奔流にぶつかると右手に舳先を向けて万年橋、祝橋の下を通って川縁の築地書に曳航された。
 今日、本作で描かれた東京の景観は殆ど失われてしまった。「貸しボート十三号」が執筆されたのは折しもモータリゼーションの黎明期、古き都の面影が駆逐されてゆくのは避けられぬ時代を迎えつつあったのだ。
 未来へ前進するには過去を埋葬する行為が、どうしても伴ってしまう。だがしかし……と、そんなディレムマを抱えながら、横溝正史がこの短編を発表した昔と同じ雄姿を構える2径アーチ石造り橋梁の采女橋や万年橋にたたずみ、眼下の都心環状線を見おろして途切れることなく行き交う車の列を、或いはふと視線をあげた先にあるビル群の向こうに見える東京スカイツリーを眺めていると、時代遅れのノスタルジーに苦笑しつつも豊かになるのと引き替えになくしてしまった<なにか>に心がチクリ、と痛むのである。
 そうしてそんな思いを心の隅で弄びながら、いまの自分が最も親しみと愛着を感じる東銀座・築地界隈の様子を横溝正史が書き留めてくれたことに感謝し、金田一耕助と等々力警部がこの地を振り出しにして捜査に東奔西走した事件のあったことを忘れられずにいるのだ。◆

 追記
 咨、紙幅が限られているとは話題を絞らざるを得ぬことを意味する。つまり書き足りないことがまだまだあるのだ、この「貸しボート十三号」には。ライスカレーが無性に食べたくなったことや珍しく青春小説の趣を兼ね備えた作品であること、或いは浜離宮恩賜公園と東京湾を隔てる2つの水門の話や事件現場から死体発見地点までのルートの疑問、エトセトラエトセトラ……あれやこれやと……。
 でも、これは別稿として後日、好き勝手お喋りさせていただくこう。では、ちゃお!□
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