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第2644日目 〈マカバイ記 一・第1章:〈アレキサンドロスとその後継者〉、〈アンティオコス・エピファネスの登場〉他with「YouTubeで懐かしの洋楽を聴こう!」の話。〉 [マカバイ記・一(再)]

 マカバイ記・一第1章です。

 一マカ1:1−9〈アレキサンドロスとその後継者〉
 ペルシア帝国の庇護下にあってユダヤは平穏の時を享受していた。たといそれが、はかなくもろい、見せかけだけの平和だったとしても。
 が、オリエント地域とそれを取り巻く世界は、何度目かの大きな転換期を迎えようとしていた。西のギリシアに強大な王が立ち、武力を以て瞬く間に周辺諸国を併合したのだ。王の名はアレキサンドロス、後世ではアレキサンダー大王の名で覚えられる人。
 向かうところ敵なしであった王は、軍を東に、さらに東へ進める。そのたび、版図は拡大していった。ペルシア帝国もギリシアの刃の下に倒れた。アレクサンドロス王の支配は統制の結果、現在のインドにまで及んだが、王はふたたびギリシアの土を踏むことなく異郷の地で没した。
 ギリシア王国は王の跡目争いによって、4つに分裂した。即ち、カッサンドロス朝マケドニアとリュシマコス朝トラキア、プトレマイオス朝エジプト、セレコウス朝シリア、である。うちトラキアは短命に終わり、マケドニアはマカバイ時代のユダヤと交渉と持たない。
 そうして、「地には悪がはびこる」(一マカ1:9)ようになった。

 一マカ1:10−15〈アンティオコス・エピファネスの登場〉
 この時代に最も悪逆な王が現れて、オリエントに暗い影を落とすようになった。民はその王ゆえに恐怖した。
 セレコウス朝シリアの王、アンティオコス4世エピファネス。
 父は先王、アンティオコス3世。元々ローマに人質となっていたのだが、いろいろな経緯があってシリアに帰還し、その後ギリシア人の王朝の第137年、というから前175年にセレコウス朝の新王として即位した。
 この王の御代──実際はそれ以前からであったが、ユダヤの民のなかから律法を離れて近隣の異邦人と積極的に交渉を持つ者たちが現れて、目立ち始めた。かれらは自分たちの考えを、同胞に説いてまわった。その結果、人々はこれを受け容れた。或る者は王の許へ出掛けて行き、異邦人の慣習を採用する許可をもらってきた。
 かれらユダヤの民は異邦人と軛を共にした。割礼の跡を消し、聖なる民から離れ、──悪に自分たちを引き渡したのである。愚かな……。

 一マカ1:16−28〈アンティオコスの遠征と神殿略奪〉
 自国シリアを完全に掌握したと判断するや、アンティオコス4世は次の目標をエジプトに定めた。戦車と象を擁する大部隊と大艦隊を以て陸と海から、エジプト攻略に乗り出したのである。
 エジプトは抵抗した。が、洪水のようにあとからあとから押し寄せて絶えることのないシリアの攻撃の前に、エジプトは無力だった。プトレマイオス朝の王は這々の体で逃げ出し、多くの戦闘員が傷附き、地に倒れた。セレコウス朝の軍隊はエジプト各地の要塞都市をつぎつぎ攻め落とし、欲しいままに略奪を繰り返した。
 エジプトは沈黙した……。
 アンティオコス4世と王の軍隊はイスラエルに転じて、エルサレム入りした。第二神殿にて王は、神殿内外を装飾する数々の品──入り口の金のプレートや垂れ幕、香炉や祭壇など──、数々の貴重な祭具類、隠されていた宝物類を、容赦なく奪った。このようなことの後、王はシリアの王都アンティオキアへ帰っていった。
 ──エルサレムは荒らされ、イスラエルの遠近で嘆きの歌が聞かれるようになった。「花婿は皆、哀歌を口にし/花嫁は婚姻の床で悲嘆に暮れた。/大地もその地に住む者を悼んで揺れ動き/ヤコブの全家は恥辱を身にまとった。」(一マカ1:27−28)

 一マカ1:29−35〈エルサレム再び汚される〉
 あれから2年。アンティオコス4世はふたたびユダヤに目を向け、かの地へ徴税官を派遣した。徴税官が語る、王の欺瞞に満ちた社交的な言葉をユダヤの民はなんの疑いも抱くことなく受け容れられた。ユダヤの民はアンティオコス4世を信頼したのである。
 と、途端に王は本性を剥き出し、エルサレムを襲撃した。多くの民がこのとき、シリア兵の剣の犠牲になり、命を奪われ、辛うじて生き残った者は家族を失くした。そうして家々から略奪が始まり、繰り返された。
 それらが一通り済むと王は、エルサレム全域に火を放ち、逃げ延びた者あらば捕虜とした。またネヘミヤの時代に完成した城壁を徹底的に破壊したあと、堅固な塔を幾つも備えた巨大で強固な城壁を巡らせたのだった。その塔には「罪深い異邦人と律法に背く者どもを配置し」(一マカ1:34)、そこにはたくさんの食糧や武器が備蓄された。かれらの存在はユダヤ人にとって「大いなる罠」(一マカ1:35)になった──「要塞は、聖所に対する罠となり、/イスラエルに対する邪悪な敵となった。」(一マカ1:38)

 一マカ1:36−40〈都を嘆く歌〉
 ……聖所は汚され、都の住人は殺され、或いは逃げ……「かつての栄光に代わって、不名誉が満ちあふれ、/エルサレムの尊厳は、悲しみに変わった。」(一マカ1:40)

 一マカ1:41−64〈アンティオコスのユダヤ教迫害〉
 シリア領内の諸民族は自分たちの慣習を捨てて、1つの共同体とならねばならない──アンティオコス4世の勅令に、ユダヤの民のうち多くの者が従った。そのためかれらは自ら律法を汚す者となった。
 続いて発布された王の、ユダヤ地方のユダヤ人に対する、無理強いとも取れる勅令の内容は、以下のようなものだった。曰く、──
 一、他国人の慣習に従い、聖所での焼き尽くす献げ物やいけにえ、ぶどう酒の献げ物はすべて廃止せよ。
 一、異教の祭壇を築き、神域や像を造り、律法が禁じる不浄な動物を献げ物としてささげよ。
 一、聖所と聖なる人々を犯し、安息日を汚せ。
 一、これまで男児に施していた割礼を今後行うことを、いっさい禁ずる。
 一、ありとあらゆる不浄で身も心も汚して、自らを忌むべき者とせよ。
──要するに、ユダヤの民が律法から離れることを奨励したのだ。否、律法から離れて二度とイスラエルの神の目に正しいと映ることのない罪を自ら犯して不浄の者となれ、というのである。そうしてそれに違反した者は、ことごとく処刑されることも決められており。
 いまやユダヤ人は王の勅令に背く者がいないか、互いに互いを監視し合うようになった。また、ユダヤ各地にシリアの監督官が送りこまれて、勅命の履行が徹底させられた。
 ギリシア人の王朝の第145年、というから前168年のキスレウの月の15日。アンティオコス4世は築かれた異教の祭壇の上に、<憎むべき破壊者>の像を立てた。エルサレム周辺の町でも異教の祭壇がその日は築かれ、家々の戸口や大路では香が焚かれた。また律法の巻物は破られ裂かれて、火にくべられた。
 同じ月の25日、主の祭壇の上に築かれた異教の祭壇では律法によって禁じられている献げ物が、ささげられたのであった。
 律法から離れたユダヤ人も多いなかで、しかし律法に定められた生活と慣習を守る人々もいた。が、かれらの暮らしは常に不安や怯えと背中合わせだった(異文:しかしかれらは常に不安と怯えを抱えて生きていた)。
 息子に割礼を施した母親は殺され、子供は母親の首から吊された。のみならず母親の親族郎党に至るまでこれことごとく殺されたのだった。
 また契約の書を隠し持っていること、律法に適った生活や慣習を守っていることがバレると、裁かれて殺された。
 ……敬虔なユダヤ人にとって、生きにくい時代になった。かれらは隠れ場を見附けるとそこへ身を隠し、先祖の神の目に正しいと映ることをして暮らした。
 悪なる同胞が正しい同胞を罪人として告発する時代だった。が、敬虔なユダヤ人は律法に背くことを良しとしなかった。そのために殺されるならば、潔く死を選んだのである。
 多くのユダヤ人が悪に染まり、道から外れる行為に耽った。「こうしてイスラエルは神の大いなる激しい怒りの下に置かれたのである。」(一マカ1:64)

 マカバイ戦争は独立戦争でした。セレコウス朝シリアの圧政、それは民族のアイデンティティを根こそぎ奪うものだったがゆえに却ってナショナリズムの高揚とユダヤ人の結束を生み、そのうねりがひとつの波となってシリアに「否」を叩きつけた。それが、マカバイ戦争であります。
 アレキサンドロス王の東征がシリア・パレスティナ、総じてオリエント社会の均衡を崩して静穏を崩した。中央集権国家であったギリシアが王を失ったあと分裂するのは自明の理。その結果、エジプトとシリアという2強が互いに覇をなお競いながら、一方で周辺国家を滅ぼして併合した。
 正直なところ、「マカバイ記 一」や諸資料を読んでみてもアンティオコス4世がユダヤに固執した本心が見えてこないのですけれど、おそらくは対エジプトを視野に入れた際の地理的軍事的要衝であり、かつユダヤの一神教と宗教生活を規定する律法の存在を理解できなかったから、まるで目の上のタンコブを取り除くにも似た行動に出たのかな、と考えております。人は自分の理解できないものを本能的に排除する傾向がありますからね、洋の東西、時間の古今を問わずに。
 そんなアンティオコスの締めつけがだんだんと厳しくなるに従って、敬虔なるユダヤ人の信仰は頑なになっていったのではないでしょうか──迫害が信仰と想いを強くするのは、隠れキリシタンの例でも明らかであります──。
 迫害がどれだけ強くなろうとも、父祖の信仰は捨てない。こうした想いが醸造されていって臨界を迎えたとき、時流に乗ってマカバイ家がいちばん大きく反シリアの狼煙をあげた。どこにも記録や報告の残らない反シリアの運動は、ユダヤの各地にあったのでは? そのなかでマカバイ家が特にクローズアップされたのは歴史の結果(ハスモン朝の樹立=ユダヤ独立)ゆえで巣が、きっと名も伝えられぬ小さな<マカバイ家>は多くあったはず。どの家が立ちあがったとしても、きっとこの時代には宗主国に対する独立戦争は起こっていたことでありましょうね。



 いまLos Del Río「Macarena (Bayside Boys Remix)」を聴いているんだけれど、ここしばらく「YouTubeで懐かしの洋楽を聴こう!」シリーズを更新していないことを思い出した。最後にお披露目したのは、Bryan Ferryだったかな、それともDavid Bowie? まぁ、いいや(え!?)。
 ネタはあるのに、腰をあげないのは常なれど、こうも間隔が開くとさすがに気懸かりになってくる。ブックマークしているページは多数あるから、その気に“さえ”なればさっさと書けるはずなんだけど……そうはいかないのが世の常、人の常、いわゆる身に染みついた怠惰って奴ダヨネッ!
 しかしながら中途で放り出した原稿も2つか3つはあるから、それだけはなんとか仕上げておかないとな。ちなみにGO-GO’SとTHE Beach Boysなんだけれどね。さて、これらのお披露目は実際の話、いつになるんでしょうね……と、他人事のように嘯いてみたところで本稿、お開き。◆