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第2653日目 〈マカバイ記・一第5章2/3:〈シモンとユダ、同胞を救出〉withブログ開設10年。これからのこと、あれやこれや。〉 [マカバイ記・一(再)]

 マカバイ記・一第5章2/3です。

 一マカ5:21-45〈シモンとユダ、同胞を救出〉
 ガリラヤのシモン、ギレアドのユダ・マカバイ。共に軍を率いてそれぞれ善く戦った。
 シモンはガリラヤにはびこる悪なる敵を一掃し、敗走する敵をプトレマイスの門まで追撃した。ガリラヤ地方とアルバタ地方の同胞たちを、家族の誰1人欠けることなく、またその財産も一緒に取り戻し、意気揚々と、ユダヤへ凱旋したのである。
 ユダ・マカバイと弟ヨナタンの軍はヨルダン川東岸に渡った。その古、出エジプトを果たしたイスラエルの民が“乳と蜜の流れる地”カナンを完全に平定して、12部族へ嗣業の地として分配されたとき、ガドゾクトルベン族、マナセの半部族に与えられたのが、いまマカバイたちが行こうとしているギレアドである。
 ユダ軍はヨルダン渡河の後、荒れ野を3日間進んだ。その途中でナバタイ人から、この地方に住まうユダヤ人の惨状を知る。どこの地でもユダヤ人は攻撃の対象、暴力の犠牲だった。
 マカバイらは転進してナバタイ人の話に出てきた町──同胞が虐げられている町──を目指す。即ちギレアド地方のボソラ、アレマのボツル、カスフォ、マケド、である。ユダ・マカバイと弟ヨナタンの軍勢はいずれの町でも敵に勝利して、同胞を救出した。
 ユダ軍のギレアド進攻を阻止できず連敗を喫したことから<敗戦の将>のレッテルを貼られてしまったシリアのティモテオスは、退いた地で軍を再編し、ヨルダン川へ注ぐ渓流沿いの町ラフォンへ陣を敷いた。ユダヤ人を快く思わない異邦人或いはアラビア人たちが傭兵に合流したことで、ティモテオスの軍はいつしか大所帯になっていた。
 渓流は折からの雪解けもあって水かさを増していた。そうして水勢も、強い。ティモテオスは、マカバイが自軍を率いて渓流へ近附くのを見て、部下の指揮官たちにいった。曰く、「敵の方が先に川を渡って来るなら、わが軍は太刀打ちできない。彼らの方が優位に立つことになるからだ。だがもし敵がちゅうちょして対岸に陣を敷くなら、そのときはこちらから川を渡り、敵を打ち負かそう」(一マカ5:40-41)と。
 一方、マカバイは渓流のほとりへ着くと、そこに民の律法学者を立たせて、こう命じた。一兵たりとも宿営に残してはならぬ、残ろうとする者あらば駆りたてよ、全員を戦闘に出すのだ。
 然る後、マカバイは先陣を切って渓流を渡った。それを見た兵士たちも鬨の声をあげながら渓流を渡り、マカバイに続く。敵陣へ斬りこんだユダ軍は異邦人たちをすくませ、怖じけさせ、背中を向けて逃げ去らせる程の勢いである。戦場から離脱したシリアの敗走兵たちは這々の体で、カルナイムの町の神域へ逃げこんだ
 カルナイムはギレアドの奥の方にある町。神域へ逃げこんだ異邦人たちは、どうかマカバイの兵に見附かったりしませんように、生きて寿命を全うできますように、と祈った──かどうかはわからぬが、それはけっきょく無駄に終わったのである。
 追ってきたユダ軍は町を占領すると、無情にも神域へ火を放ち、異邦人たちを皆殺しにした。斯くしてカルナイムは陥落し、ユダ・マカバイに抵抗する者もいなくなった。
 ギレアドのイスラエル人を迫害から解放したマカバイは、身分や職業、性別等にかかわらずかれらを連れてユダヤの地目指して出発した。

 高地であるヨルダン川東岸地域(トランス・ヨルダン)──ヨルダン川に注ぐ渓流(われらに馴染み深い言葉を使えば、それは“支流”の意味である)の1つに、ガリラヤ湖に近いヤルムク川がある。どこの国でも事情は同じでむかしは河川が土地の境界を示していた。ヤルムク川も然りで北のバシャンと南のギレアドの境界であった。ではギレアド地方の南端はどこかというと、そこから約60キロばかり南下したところでヨルダン川に注ぎこむヤボク川である。
 むろん、これは旧約聖書の時代の話で、ユダ・マカバイの時代になると、ヤルムク川の北もヤボク川の南も多くの場所がギレアド地方と呼ばれていた様子だ。そうしてヤルムク川とヤボク川の間にもたくさんの支流があって、ヨルダン川に流れこむ。
 ここで疑問に思うたのが、ティモテオス以下のシリア軍とマカバイ率いるユダ軍が相対することとなる「渓流の向こう側にあるラフォン」(一マカ5:37)とはどこか、という点だ。この地の戦闘で敗れたシリア軍は(全員ではないにしろ)カルナイムの町へ逃げこんだが、このカルナイムが位置するのは、ダマスコ(ダマスカス)からマオンを経由してアカバ湾沿岸の都市エイラト(エツヨン・ゲベル)をつなぐ<王の道>と呼ばれるトランス・ヨルダンの街道沿い。敗走兵が逃げこんだ以上、カルナイムが戦場から遠く離れた町とは考え難い。そうしてこのカルナイム、ヤルムク川北方にあって、西へ目を転じればそこにはガリラヤ湖がある。
 おそらくラフォンはヤルムク川沿いにあり、かつカルナイムからそれ程離れていない場所にある土地の呼称であったのだろう。そうわたくしは結論する。正か否か、識者の指摘を乞いたい。



 なんとまぁ、昨2018年10月06日で本ブログ開設から10年が経っていたことに気が付く。4ヶ月以上まるで気附かずにいたのはどうしてだろう、と考えたけれど、それだけブログ運営に執心することもなくなっていたのかな、とかなり反省しております。聖書を毎日読んでいた頃からは想像もつきませんな、この無頓着ぶりは。
 いろいろあってもう当時のような更新ペースを、なにがなんでも維持することはできなくなってしまったけれど、それでもここがわたくしにとって大切な場所、還るべき場所であるのに変わりはない。大事な意見発表のステージでもあります。
 この10年のわたくしはしあわせだった。これまでにお披露目してきた2600余の原稿はどれもこれも、その時期に能う限りの力を注ぎこんだ、と自負できます。クオリティにムラがあるのは、なんとも無念なことではありますけれど……。
 本ブログは第0001日目、出エジプト記第18章から始まった。「マカバイ記 一」と「エズラ記(ラテン語)」の再読を済ませたあともいろいろ思うところ、日常雑記、本や映画、音楽の感想など定期的に更新して、そうね、まず第3000日目の達成を目指そう。そのあとは第4000日目、第4500日目、第5000日目を視野に入れて、日々書いてゆく。
 その間、わたくしを取り巻く環境は大きく変わることだろう。哀しみと無念と後悔に圧し潰されるときもあれば、喜びに足が宙を浮き、天を舞い、<ラ・ヴィアン・ローズ>を謳歌するときもあるだろう。無聊をかこち、砂を噛み、地団駄踏み、また、小さな幸運に浮かれ舞い、出逢いや出会い、成長、来し方を顧みて感謝をささげるときもあるだろう。でも、それでいい。
 本ブログがなにかしらの事情で永遠に更新が途絶えたあとで顧みたとき、そこにはなにが残り、読む人たちになにを伝えるのだろう? never more.◆

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