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第2677日目 〈"天"ではなくて、"クラウド"に富を積む(=原稿を溜める)。〉 [日々の思い・独り言]

 「今日はエッセイを2本、書いたわ。明日は残りの1本を完成させる予定よ」と洒落のめして、わたくしはいう(「たんぽぽ娘」っぽくね)。
 不本意な、果て知らぬ休みを手にしてしまったんだもの、すくなくともこの程度のスタート・ダッシュはしておかねばなるまい。先々できっと、これが貯金になってわたくしを救うことにもなるだろうから……と、保険を掛ける意味でも、いまはがんばってエッセイを書き溜めておかなくては。掛け捨てなんて、通用しないからね。
 今日書いたうちの1本、太宰治『お伽草子』の感想は殆ど一筆書きに等しい第一稿である。「若干の字句を正して文章を整理して、事実関係のチェックを経れば、そのままお披露目しても差し支えないんじゃないのかな」と自惚れてしまう程には仕上がっているように見えるのだけれど、それはおそらく書き手の目が曇らされている証拠。件の感想を一気呵成に書きあげたときの余韻が、まだ自分のなかに残って冷静になりきれていない証拠だ。
 文章を書くという行為は書き手を興奮させ、判断力を鈍らせることがある。白濁した世界に迷いこませて、簡単にはそこから抜け出せなくさせてしまう副作用を併せ持つ。いまのわたくしが、まさしくその状況にある。いけない、もっと冷静にならねば。自惚れや自負を捨てて、全体を見渡し、細部を検分する曇りなき視界を取り戻さなくては。
 書いているときは熱に浮かされ、どんな非道くてまずい代物でも、一定以上の質に達しているような錯覚に陥ってしまうからね。推敲の筆を執るまでにあと数日、モレスキンの手帳のなかで眠らせておくことと致しましょう。
 冒頭で申しあげたように、第一稿と雖も今日書きあげたエッセイと明日完成させるエッセイは、後日のための貯金だ。本当に苦しくなったらお披露目させるが、能う限りそれに頼ることなく今月を乗り切りたい、と秘かに望んでいる。
 幸いなことに明日からは特にこれといった用事もなく(病院と金融機関不動産会社行きを除く)、近所のスーパーへの買い物ぐらいが外出の機会となろう。いい換えると、明日からは至福の読書の時間の到来である、ということだ。
 買ったまま積んである本を集中的に読み、かならず読了した本には一言二言の感想を添えておく。太宰治とその他の本で如何に読書時間の配分を行うか、頭を抱える問題で解決策は見えていないが、なし崩し的に最善の方法が眼前に提示されるのだろうな、と、この点だけは楽観的に構えているわたくし。
 さて、では明日のために連城三紀彦『変調二人羽織』(光文社文庫)を再読してきましょう。◆

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