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第2601日目 〈横溝正史「鴉」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 磯川警部も人が悪い。どこぞへ金田一耕助を湯治に誘うときは、そこが未解決事件の現場であることが専らで、あわよくばかれの推理を頼りに落着を見たい、と企んでいるフシが見え隠れしている。──とは流石に言葉が過ぎるか。しかしねぇ、『悪魔の手毬唄』という動かしがたい前例があり、いままた短編「鴉」という事件に出喰わしてしまった以上、そう邪推してしまうのも無理からぬところではあるまいか。そうして、嗚呼、2度あることは3度あるという……。
 その「鴉」の粗筋はこうだ、──
 昭和21年11月、新婚間もない蓮池貞之助が家人の眼前から姿を消した。3年後に戻ってくる、という書き置きを残して。実際それから3年後にかれは戻ってきたが、再び家人の前から、今度は決して戻らぬと残して、行方をくらませてしまった。この失踪事件は果たして真実か、狂言か、金田一耕助は考える。その土地で神様の使いとされる鴉がなぜ、おこもり堂で死骸となり、床に血を滴らせていたのか、金田一耕助は考える。貞之助を取り囲む人々の証言と状況証拠から金田一耕助が明らかにして見せた2回にわたる失踪劇、その全容とは──?
 ちらり、とお話ししてしまえば、この人間消失は或る人物によるすり替わりなのだが、その動機はいとも単純にして邪である。
 他人が計画した謀り事を自分の企みの実現に利用し、願望成就ならずと知るや破綻をもたらした人物を殺めんと動くも自滅して果てる、真犯人なんて呼称も勿体ないぐらいの小悪党──期待を裏切らぬ末路を辿る件の輩にわずかの憐愍すらも抱かないけれど(自業自得とか因果応報というよりも、この人物の場合はただの「バカ」である)、翻って他の登場人物にはというと貞之助の妻、珠生に殊の外同情を覚えるのである。
 幕切れ近くで珠生の口から夫の失踪にまつわる話を聞くことができるのだが、そのきっかけはあまりに痛ましいことだった。愛が誠であったがゆえに妻は悲しみ、夫は苦しみ、そんな葛藤にお構いなく<家>の重圧がのしかかってきてかれらは更に追いこまれてゆく。
 近代文学は古来の旧習と舶来の新風のぶつかり合い、せめぎ合いをテーマの1つとした。島崎藤村を見よ、田山花袋を見よ、有島武郎を見よ、永井荷風を見よ。就中<家>を巡る作品については藤村の独断場の感があるけれど、もう少し時間を下ってジャンルも変えてみると横溝正史も地方物で繰り返しこのテーマを追求してきた一人だ。『犬神家の一族』、『八つ墓村』、『本陣殺人事件』など「犬も歩けば棒にあたる」式に該当する作品は長短編問わずに多くあるだろう。
 「鴉」もむろんその例に洩れず、貞之助・珠生夫婦は<家>がもたらす因習のやはり犠牲者というてよい。
 ただここに一言急いで添えておかねばならぬことは、そも失踪計画が立案された背景には珠生が生まれながらに「女であって、女ではない」ゆえに「夫婦のかたらいのできぬ体」(P171)だった、という事情のあったことだ。これが夫婦生活へ影を落とし、<家>の存続/継承問題に発展してゆくあたりがつながってゆくわけである。この「女であって」云々が今日でいう性同一性障害を指すのか、半陰陽の意味なのか、作者はそれ以上なにも触れていないので判然としない部分もあるのだが……。
 荒寂とした空気が重く垂れこめる下で生きる人々を描いた本作は、その読後感のもの侘しさも手伝って一際、心に深く刻みつけられた佳品であった。読後、巻を閉じて思わず天を仰いで「咨」と嘆息させられてしまう探偵小説なぞ、古今東西そう滅多にあるものではない……でしょう?
 ……さて、次は磯川警部、どんな未解決事件に金田一耕助を巧みに巻きこむつもりか。今後の読書がますます楽しみ。あのときちゃんと捜査していれば未解決事件になんかならなかったんですよ、なんて小気味よい皮肉が金田一耕助の口からまた聞けるのかな。くすくす。◆