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第2654日目 〈マカバイ記・一第5章3/3:〈エフロンでの破壊〉、〈ヨセフとアザリアの敗北〉他with抵抗、祈り、そして……〉 [マカバイ記・一(再)]

 マカバイ記・一第5章3/3です。

 一マカ5:46-54〈エフロンでの破壊〉
 カルナイムをあとにしたユダ軍は南下して街道沿いの町、エフロンのそばまで来た。が、道はそのまま町中を突っ切ったものしかなく、ほかに迂回路はなかった。
 マカバイはエフロンの人々に町を通過する許可を求めた。が、住民は街道を封鎖することでこれに応えたのである。諦めて迂回する考えは、ユダ軍になかった。突破して前に進むことを選んだのだ。
 然るにマカバイは命じて郊外に陣を敷き、そのあと一昼夜にわたってエフロンの町を攻撃した。斯くしてエフロン、陥落。
 「」彼らは男子をことごとく剣にかけて殺し、町を跡形なく破壊し、戦利品を奪って、敵の屍を踏み越えて、町を通過した。」(一マカ5:51)
 ──ヨルダン川を渡って西岸地域に戻ったユダ軍は、ベト・シャン(ベト・シェアンか?)の町の手前に広がる平原を経て、更に南下する。険しい山道をかれらは、落伍しそうになる者を助け励ましながら、前に進んだ。
 そうしてユダ軍とギレアドの解放民は歓びを胸にシオンの山を登り、けっきょく1人の脱落者を出すことなくエルサレムへ帰還した。帰るとマカバイたちは感謝のため、聖所にて焼き尽くす献げ物をささげた。

 一マカ5:55-64〈ヨセフとアザリアの敗北〉
 まだエルサレムにシモンもマカバイも帰ってきていない時分のことである。
 エルサレムの留守を任されたヨセフとアザリアは、功名心と高慢さからマカバイの諫めを破り、異邦人の一部隊に無謀なる戦いを挑んでいった。
 戦場はヤムニア、敵将はかつてアマウス戦でマカバイに裏をかかれたゴルギアス。案の定、ヨセフとアザリアは敗北した。異邦人たちはユダヤの国境までかれらを追撃した。
 ヤムニアの戦い、それは敗北するべくして敗北した、ぶざまで思慮に欠いた戦闘だった。この、必要のなかった戦闘で2,000人のユダヤ人兵士が犠牲になった。
 「」(一マカ5:61-62)
 イスラエルを救う役目をその手にゆだねられていたのは、手段や行状に多少の問題ありと雖もやはり、ユダ・マカバイとその兄妹たちだったのである。此度の戦はその証しというてよい。

 一マカ5:65-68〈ユダ、南部と異国の地を撃つ〉
 ユダ・マカバイとその兄弟たちは、まだまだ戦い続けた。
 南に下ってエサウの子孫と戦い、ヘブロン他の町や村を襲い、その砦を破壊した。
 異国に侵攻してマリサという町を落としたその日、従軍していた祭司たちが、先のヨセフたちと同じように功名心と驕りから戦場に出てゆき、戦死した。分別をわきまえぬ愚行である。
 ユダ軍は異国の町アゾトを攻め、異教の祭壇を引き倒した。異郷の神の像を焼いた。略奪行為に勤しんだ。そうしてユダ軍は揚々と引き揚げていった。

 言いつけを守らない留守番とか職能を忘れて戦場に行ってしまう祭司とか、まるでユダ軍は統率の取れていない<ならず者集団>にしか思えてならぬ、本日の読書範囲。トップに問題あると、やはり下に従く人材も似るようだ。
 たとい最初はそうでなくても、その集団へ所属しているうちに段々と感化されてくる。さして殺し合いを好まぬ人でも、マカバイの下にいて日々戦闘に明け暮れる日々を送るようになると感覚は麻痺して、やがてそこに楽しみと歓びを見出すように、なってしまうのかもしれない。均質化、といえば言葉は良い(かもしれない)が……。
 マカバイは或る方面に於いては非常に有能だが、それ以外のことに関してはからっきし無能である。無能てふ言葉が過ぎたものなら、信頼を置くに値しない、と言い換えてもよい。21世紀の日本にユダ・マカバイがいたならば、ブラック企業のボスとして勇躍名を天下へ轟かせていたに相違ない。
 「マカバイ記 一」、殊マカバイについて触れた部分は組織論やリーダー論に通じるところがあって、ちかごろ面白く読んでいることを告白しておきます。もしわたくしがその種の本を書くとしたら、反面教師なリーダー、或いは組織運営の一例として、本書を引き合いに出すことになるでしょうね。



 非常に遅まきながら人生再構築を始めた矢先、それをあざ笑い、ぶっ壊すような現実に直面して、打ちのめされる。
 あと15年、いや、10年で良い、いまの生活を営ませてほしい。その間にかならず結果を出し、しあわせな日々を送ってもらうようにするから。
 約束する。
 だから、まだ奪わないで。連れてゆかないで。早いよ……。◆

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第2653日目 〈マカバイ記・一第5章2/3:〈シモンとユダ、同胞を救出〉withブログ開設10年。これからのこと、あれやこれや。〉 [マカバイ記・一(再)]

 マカバイ記・一第5章2/3です。

 一マカ5:21-45〈シモンとユダ、同胞を救出〉
 ガリラヤのシモン、ギレアドのユダ・マカバイ。共に軍を率いてそれぞれ善く戦った。
 シモンはガリラヤにはびこる悪なる敵を一掃し、敗走する敵をプトレマイスの門まで追撃した。ガリラヤ地方とアルバタ地方の同胞たちを、家族の誰1人欠けることなく、またその財産も一緒に取り戻し、意気揚々と、ユダヤへ凱旋したのである。
 ユダ・マカバイと弟ヨナタンの軍はヨルダン川東岸に渡った。その古、出エジプトを果たしたイスラエルの民が“乳と蜜の流れる地”カナンを完全に平定して、12部族へ嗣業の地として分配されたとき、ガドゾクトルベン族、マナセの半部族に与えられたのが、いまマカバイたちが行こうとしているギレアドである。
 ユダ軍はヨルダン渡河の後、荒れ野を3日間進んだ。その途中でナバタイ人から、この地方に住まうユダヤ人の惨状を知る。どこの地でもユダヤ人は攻撃の対象、暴力の犠牲だった。
 マカバイらは転進してナバタイ人の話に出てきた町──同胞が虐げられている町──を目指す。即ちギレアド地方のボソラ、アレマのボツル、カスフォ、マケド、である。ユダ・マカバイと弟ヨナタンの軍勢はいずれの町でも敵に勝利して、同胞を救出した。
 ユダ軍のギレアド進攻を阻止できず連敗を喫したことから<敗戦の将>のレッテルを貼られてしまったシリアのティモテオスは、退いた地で軍を再編し、ヨルダン川へ注ぐ渓流沿いの町ラフォンへ陣を敷いた。ユダヤ人を快く思わない異邦人或いはアラビア人たちが傭兵に合流したことで、ティモテオスの軍はいつしか大所帯になっていた。
 渓流は折からの雪解けもあって水かさを増していた。そうして水勢も、強い。ティモテオスは、マカバイが自軍を率いて渓流へ近附くのを見て、部下の指揮官たちにいった。曰く、「敵の方が先に川を渡って来るなら、わが軍は太刀打ちできない。彼らの方が優位に立つことになるからだ。だがもし敵がちゅうちょして対岸に陣を敷くなら、そのときはこちらから川を渡り、敵を打ち負かそう」(一マカ5:40-41)と。
 一方、マカバイは渓流のほとりへ着くと、そこに民の律法学者を立たせて、こう命じた。一兵たりとも宿営に残してはならぬ、残ろうとする者あらば駆りたてよ、全員を戦闘に出すのだ。
 然る後、マカバイは先陣を切って渓流を渡った。それを見た兵士たちも鬨の声をあげながら渓流を渡り、マカバイに続く。敵陣へ斬りこんだユダ軍は異邦人たちをすくませ、怖じけさせ、背中を向けて逃げ去らせる程の勢いである。戦場から離脱したシリアの敗走兵たちは這々の体で、カルナイムの町の神域へ逃げこんだ
 カルナイムはギレアドの奥の方にある町。神域へ逃げこんだ異邦人たちは、どうかマカバイの兵に見附かったりしませんように、生きて寿命を全うできますように、と祈った──かどうかはわからぬが、それはけっきょく無駄に終わったのである。
 追ってきたユダ軍は町を占領すると、無情にも神域へ火を放ち、異邦人たちを皆殺しにした。斯くしてカルナイムは陥落し、ユダ・マカバイに抵抗する者もいなくなった。
 ギレアドのイスラエル人を迫害から解放したマカバイは、身分や職業、性別等にかかわらずかれらを連れてユダヤの地目指して出発した。

 高地であるヨルダン川東岸地域(トランス・ヨルダン)──ヨルダン川に注ぐ渓流(われらに馴染み深い言葉を使えば、それは“支流”の意味である)の1つに、ガリラヤ湖に近いヤルムク川がある。どこの国でも事情は同じでむかしは河川が土地の境界を示していた。ヤルムク川も然りで北のバシャンと南のギレアドの境界であった。ではギレアド地方の南端はどこかというと、そこから約60キロばかり南下したところでヨルダン川に注ぎこむヤボク川である。
 むろん、これは旧約聖書の時代の話で、ユダ・マカバイの時代になると、ヤルムク川の北もヤボク川の南も多くの場所がギレアド地方と呼ばれていた様子だ。そうしてヤルムク川とヤボク川の間にもたくさんの支流があって、ヨルダン川に流れこむ。
 ここで疑問に思うたのが、ティモテオス以下のシリア軍とマカバイ率いるユダ軍が相対することとなる「渓流の向こう側にあるラフォン」(一マカ5:37)とはどこか、という点だ。この地の戦闘で敗れたシリア軍は(全員ではないにしろ)カルナイムの町へ逃げこんだが、このカルナイムが位置するのは、ダマスコ(ダマスカス)からマオンを経由してアカバ湾沿岸の都市エイラト(エツヨン・ゲベル)をつなぐ<王の道>と呼ばれるトランス・ヨルダンの街道沿い。敗走兵が逃げこんだ以上、カルナイムが戦場から遠く離れた町とは考え難い。そうしてこのカルナイム、ヤルムク川北方にあって、西へ目を転じればそこにはガリラヤ湖がある。
 おそらくラフォンはヤルムク川沿いにあり、かつカルナイムからそれ程離れていない場所にある土地の呼称であったのだろう。そうわたくしは結論する。正か否か、識者の指摘を乞いたい。



 なんとまぁ、昨2018年10月06日で本ブログ開設から10年が経っていたことに気が付く。4ヶ月以上まるで気附かずにいたのはどうしてだろう、と考えたけれど、それだけブログ運営に執心することもなくなっていたのかな、とかなり反省しております。聖書を毎日読んでいた頃からは想像もつきませんな、この無頓着ぶりは。
 いろいろあってもう当時のような更新ペースを、なにがなんでも維持することはできなくなってしまったけれど、それでもここがわたくしにとって大切な場所、還るべき場所であるのに変わりはない。大事な意見発表のステージでもあります。
 この10年のわたくしはしあわせだった。これまでにお披露目してきた2600余の原稿はどれもこれも、その時期に能う限りの力を注ぎこんだ、と自負できます。クオリティにムラがあるのは、なんとも無念なことではありますけれど……。
 本ブログは第0001日目、出エジプト記第18章から始まった。「マカバイ記 一」と「エズラ記(ラテン語)」の再読を済ませたあともいろいろ思うところ、日常雑記、本や映画、音楽の感想など定期的に更新して、そうね、まず第3000日目の達成を目指そう。そのあとは第4000日目、第4500日目、第5000日目を視野に入れて、日々書いてゆく。
 その間、わたくしを取り巻く環境は大きく変わることだろう。哀しみと無念と後悔に圧し潰されるときもあれば、喜びに足が宙を浮き、天を舞い、<ラ・ヴィアン・ローズ>を謳歌するときもあるだろう。無聊をかこち、砂を噛み、地団駄踏み、また、小さな幸運に浮かれ舞い、出逢いや出会い、成長、来し方を顧みて感謝をささげるときもあるだろう。でも、それでいい。
 本ブログがなにかしらの事情で永遠に更新が途絶えたあとで顧みたとき、そこにはなにが残り、読む人たちになにを伝えるのだろう? never more.◆

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第2652日目 〈マカバイ記・一第5章1/3:〈ギレアドとガリラヤ在住のユダヤ人の危機〉他withシューベルトの交響曲第5番/思い出に別れを?〉 [マカバイ記・一(再)]

 マカバイ記・一第5章1/3です。

 一マカ5:1-8〈隣接諸民族との戦い〉
 ユダヤの民がエルサレム神殿を再建して聖所を清め、奉献した、という報は、周囲の異邦人を激怒させるにじゅうぶんだった。なかでも特にユダヤ人に対して怨恨や不快の念を抱く連衆は、自分たちのなかで暮らすユダヤ人を虐げ、殺め、根絶やしにこれ務めた。
 勿論、マカバイたちは黙っていない。かれらは異邦人との戦いに赴き、遠近の地にて相争うた。──ユダヤを包囲したイドマヤのエサウの子孫に対してはアクラバタにて戦い、「路上に待ち伏せて、民に対する罠とつまずきとなっていた」(一マカ5:4)バイアンの子孫を塔に閉じこめて呪いをかけ、塔へ火を放って焼き殺した。
 また、アンモンの子孫とも戦ったが、かれらは数も多く手強かった。アンモンの司令官はティモテオスであった。かれは後にギレアドのユダヤ人を苦しめ、またマカバイとの再戦も、ヨルダン川の渓流に面したフォンにて控えている。
などユダヤに隣接する諸民族との戦いに明け暮れた。
 時に苦戦し、圧されることもあったが、マカバイ以下のユダヤ軍は敵を蹴散らし、殺し、退け、最後には敗走させたのだった。

 一マカ5:9-20〈ギレアドとガリラヤ在住のユダヤ人の危機〉
 異邦人によるユダヤ人弾圧は北部のガリラヤとヨルダン川東岸のギレアドでも行われていた。
 ギレアド地方の異邦人はティモテオスを司令官にいただき、その下に結集、イスラエル/ユダヤ人を攻撃した。たくさんのユダヤ人が犠牲になった。
 が、どうにか死を免れた人々はダマテの砦へ逃げこんだ。かれらはエルサレムのマカバイに宛てて、自分たちを見舞った危機と救援を希う書状を認め、使者に託して送り出した。
 マカバイがその書状を読んでいるまさにそのとき、今度はガリラヤからの救援要請が届けられた。その使者の曰く、プトレマイス、ティルス、シドンの異邦人が連合して、わたしたちガリラヤ地方のユダヤ人を根絶やしにしようと行動しています、と。
 これを聞いたマカバイは民や兵を集めて、かつてない艱難のなかにある同胞たちのためになにを為すべきか、協議を重ねた。その結果、ガリラヤ地方にはユダの兄シモンが3,000の兵を率いて、ギレアド地方にはマカバイが8,000の兵を引き連れて、同胞救出のため遠征することになった。マカバイは弟ヨナタンを伴うことにした。
 マカバイやシモン不在のエルサレムならびにユダヤ防衛は、ザカリヤの子ヨセフと民の指導者アザリアにゆだねられた。マカバイはかれら二人にいった、民をよく統率せよ、われらが帰るまでけっして敵と戦うな、と。
 斯くしてシモンの軍勢とマカバイの軍勢はそれぞれ、かの地へ向けて出撃したのである。

 バイアンについては未詳でありますが、文脈から判断して街道沿いに幅を効かせた1部族で、街道を行くユダヤ人に対して悪行を働いていた様子であります。かれらを閉じこめた塔というのもおそらくは、街道沿いに作られた物見塔、守備塔の1つだったのでしょう。ゆめ
 ティモテオスはこのあと、本章2/3にてマカバイと相対する敵将ですが、どうにもやられ役としか言い様のない人物と、わたくしの目には映ります。裏返していえば、マカバイの強さを印象づける引き立て役でしかありません。
 エルサレムの留守を任された1人、民の指導者アザリアは「マカバイ記・二」で「エレアザル」(二マカ8:23)や「エスドリス」(二マカ12:36)と呼ばれる人物と同一である、という(ハンス・シュモルト『レクラム版聖書人名小辞典』P14 高島市子・訳 創元社 2014年9月)。
 が、ちょっと待て。
 「マカバイ記・二」でエレアザルが登場するのは、マカバイがニカノルとの戦いに備えて兵を奮い立たせ、兄弟たちに軍隊を分割して与えた、その文脈に於いてだ。マカバイはエレアザルに聖なる巻物を朗読させている。マカバイ家/ハスモン家は王朝樹立に前後してその資格を欠くにもかかわらず、祭司職に就いた。エレアザルの朗読はその前哨のような記述であり、甚だ不可解なところがあるが、それはともかく。
 同一人物であればアザリアはマカバイの兄弟の1人である。さりながら本書第2章にてマタティアの5人の息子のなかに、アザリアの名前はない。「アワランと呼ばれるエレアザル」ならいるけれど……(一マカ2:5)。
 アザリアもまたアワラン同様、エレアザルの別の呼び名であるのか。その典拠となる文言は、どこにあるのか。外部資料ならば、それはなにか。納得できる材料は1つもない。「民の指導者」の一語を以て斯く曰うなら、牽強付会の誹りも免れぬのではあるまいか……?
 アザリア絡みの話題を、もう1つ。どうしてマカバイはエルサレムに残すアザリアとヨセフに、敵と戦うな、とわざわざ言い置いていったのか。
 ユダヤ/エルサレムに残していった「残りの兵」(一マカ5:18)がどの程度のそれであったか不明だが、<主力部隊>と称すべきはやはりマカバイとシモンが引き連れていった軍隊であったろう。これまで数多の戦いを経験してきたマカバイには敵の力がどれだけのものか、じゅうぶんわかっていたことだろう。互角かそれ以上の戦力をギレアドとガリラヤに差し向けていることは想像に難くないところだ。裏返していえば、ユダヤ/エルサレムに残した兵力で敵と戦うことは困難である、と判断したに等しい。かりに戦闘が始まったとしてもシモンや自分がかの地から戻ってくるまで持ち堪えられればいい、ぐらいには思うていたかもしれない。おそらくそこに残された戦力は、あくまで防衛に徹するに必要最低限なライン数だったのだろう。
 もっともユダ・マカバイ、さらに腹の底ではヨセフとアザリアを、一軍を率いて戦い抜く胆力も能力も、洞察力も統率力もない、資質を欠いた、その方面にまるで向かない人物、てふ評価を下していたのかもしれぬ。
 もしそうならば、マカバイの評価は正しかったことが、本章の最後で判明する。ヨセフとアザリアは「自分たちだって戦えるんだ」という焦りやマカバイへの自己プレゼンに彩られた、浮き足だった功名心からシリア軍に戦いを挑んで、みじめな負け戦を演じることになるのだから。ちなみにこのときの敵将は、かつてアマウスの戦いでマカバイに敗北を喫したゴルギアスでありました(一マカ4:26-35)。



 琥珀色の液体を喉の奥へ流しこんだあと、本稿の筆を執っております。シューベルトの交響曲でなにが好きか、と訊かれたら、《ザ・グレイト》は別格扱い、他の曲から、とお願いした上で、第5番ですね、と答える。
 バイロイト室内管弦楽団の演奏で聴いてから、すっかりこの曲のトリコだ。モーツァルトよりもさらに天真爛漫。あちらではふとした瞬間に覗く<闇>の顔が、ここにはない。どこまでも明るく、無邪気で、みずみずしさと快活さ、優雅さに彩られた、交響曲らしからぬ愛すべき佳品だ。
 とてもベートーヴェンが既に第8番まで交響曲を仕上げ、弦楽四重奏曲とピアノ・ソナタがいよいよ後期の孤峰へ踏みこんでゆこうとしている時代に同じ国の人によって書かれたとは思えぬような一曲、ともいえるか。
 前述のバイロイト室内管による、ひなびちゃいるがフレンドリーであたたかい空気に満ちたPLATZ盤がいちばん好きだが、じつはもっとも頻繁に耳を傾けているのはカール・ベーム=ベルリン・フィルのDG盤である。どうして? うぅん、どうしてなんでしょうね(くすっ)。
 ──シューベルトの作品は10年前の思い出と密接に結び付く。わたくしはそろそろその思い出と「さようなら」するべきなのかもしれない。しかしそれでも心は<悠久の希望>に搦め捕られたまま……。嗚呼!?◆

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第2651日目 〈マカバイ記・一第4章2/2〈聖所の清め〉&ハヌカについてwithやっぱり文章は毎日書かないと、ダメだなぁ。〉 [マカバイ記・一(再)]

 マカバイ記・一第4章2/2です。

 一マカ4:36-61〈聖所の清め〉
 シリア軍の撤退を見届けたマカバイは、シオンの山へ続く道を進み、エルサレムに入った。
 そこは荒れ果てていた。かつての面影は消え失せていた。聖所は廃れ、祭壇は汚されていた。祭司部屋は崩落し、門は焼け落ち、中庭はどこの山奥かと見紛うばかりに草生している。マカバイや兄妹たち、また民はその様子を見て大いに嘆き、悲しんだ。
 マカバイは兵たちに、聖所の清めが終わるまで要塞に巣喰う者らと戦うよう命じた。聖所を清める作業が連衆に妨害されないように、である。
 聖所を清める作業にあたって祭司の任命が行われた。選ばれた祭司たちは皆律法に忠実で、誰からも咎められたり疑われることのない人々である。かれらは清めの作業の先頭に立ち、人々に指示を下していった。
 まず、汚れの原因となった石を不浄の場所へ移した。続いてかれらは、汚されてしまった祭壇について話し合ったが、その結果、<憎むべき破壊者>の像は引き倒して粉砕するがよかろう、ということになった。異教徒が置いた像によって祭壇が汚されてしまったのだから、ユダヤ人である自分たちがそれを取り払うことになんの咎があろうか、との思いからである。また、取り除かなかったことで人々から非難を浴びるのをあらかじめ避ける目的も、あった。
 粉砕された<憎むべき破壊者>の石ころは神殿の隅に捨て置かれた。やがて現れる預言者が良いように処置してくれるだろう、と期待してのことだった。
 聖所を清める作業は、順調に進んだ。
 聖所と、神殿の内部の一部が修復された。朽ちていた中庭はいまやすっかり丹精されて、往時も斯くやとばかりに清められた。律法の指示に従って、新しい祭具類が造り直され、神殿へ次々搬入された。燭台には火が灯されて、神殿のなかを明るく照らした。祭壇には香が焚かれて、神殿はかぐわしい香りに満たされた。机には供えのパンが置かれた。神殿内にはかつてのように垂れ幕がさがり、修復作業はひとつの到達点に至った。
 「かくしてなすべきことはすべてなし終えた。」(一マカ4:51)
 ──ギリシア人の王朝の第148年、というから、前164年、その第9の月──キスレウの月の25日。
 遂にこの日が訪れた。朝から喜びにあふれた日だ。
 その日、民は朝早い時間に床を離れて、それぞれに行動を始めた。
 新しく造られた焼き尽くす献げ物のための祭壇に、いけにえがささげられた。この祭壇は律法に従って人手が加わっていない、自然なままの石で造られており、細々とした部分は以前の祭壇に倣って習って細工された。
 キスレウの月の25日、それは3年前に異教徒が祭壇へ忌むべき献げ物をささげて、ユダヤ人の宗教生活を根底から揺るがした、忘れるに忘れられぬ日であった。マカバイたちはその月、その日を選んで、新たに祭壇を奉献したのである。
 民は自分たちを正しく導いてくれた<方>を、天に向かって讃えた。
 奉献は8日間にわたって祝われた。焼き尽くす献げ物がささげられ、和解の献げ物と感謝の献げ物のためのいけにえを、それぞれ屠った。神殿の飾り付けを済ませ、祭司部屋を新しくし、門が新しく取り付けられた。民の心は喜びに満ち、顔には深い感動の色が浮かんでいた。こうして人々はひとつの信仰の下に結ばれ直したのである。
 「異邦人から受けた恥辱は取り除かれたのである。」(一マカ4:58)
 ──ユダ・マカバイを始めとするイスラエルの全会衆は、この奉献の日を代々にわたって祝い、その意味が記憶から消えぬようにしたい、と願った。ゆえにそれから毎年、キスレウの月の25日に始まる8日間を、「喜びと楽しみをもって」(一マカ4:59)祝うようになったのである。これが21世紀の今日まで続く、<ハヌカ>というユダヤ教の祭りの起源となった。
 ……民が奉献に浮かれている一方でマカバイはシオンの山の周囲に城壁を巡らし、塔を築いて守りを固めた。ゆめシオンが異邦人、異教徒に踏みにじられることがないように、である。また同じ目的で南の要衝、ベトツルも強化された。これはユダヤの南西に広がるイドマヤ地方への睨みとなった。

 われらはかつて「エステル記」を読んだ際、<プリム>という祭りがユダヤ教にあり、またその起源について知りました。ユダヤ教の3大祭り(<過越祭>、<仮庵祭>、<五旬祭>)や<除酵祭>に続く、かれらの大切にする祭りとの出遭いでした。そうして旧約聖書続編にはもう1つ、ユダヤ教で祝われる祭りの起源を語る箇所がある。それが一マカ4:59で触れられる<ハヌカ>であります。
 ハヌカは「宮清めの祭り」とも「奉献の祭り」とも、また「光の祭り」とも呼ばれます。前2者は神殿を清めて奉献した意味ですが、「光の祭り」とはこれ如何に? ここはちょっと補足が必要らしい。
 〈聖所の清め〉で「光」にまつわる文言といえば、「燭台には火をともして神殿内部を照らした」(一マカ4:50)ぐらいしか見当たりません。これではとてもじゃありませんが、祭りに発展する要素は皆無に等しい。ハヌカを「光の祭り」と呼ぶ裏付けとなる根拠はユダヤ教の聖典の1つ、『タルムード』のなかに求められるのでした。
 ただ、最初に言い訳しておきますがこの『タルムード』、非常に広範かつ大部な書物で大きな図書館でも架蔵していないことがある。わたくしも白状すれば本稿を書いている時点で、『タルムード』をひもといてハヌカに触れた箇所を一読してきたわけではございません。よって<ユダヤ教入門>や<ユダヤ教のお祭り>の類の書物から拾い読みして、ここに書き綴っている者であることをあらかじめご承知いただきたい、と、そう思う次第です。
 『タルムード』にはこのような記述がある由。曰く、神殿奉献にあたって調べたところ、シリア軍がことごとく神殿内を荒らし、破壊していったため、奉献に使える油の入った壺はたった1つしかなく、そこに残った油もわずか1日、ロウソクを灯せれば良しという程度の量だった。しかし1日であっても「燭台のロウソクに火が灯り、神殿を輝かせられるのであれば」という想いから、件の油壺から火を点けてみると、1日どころからその後8日間燃え尽きることなくロウソクに火を灯し続けたのでした。これが、<光の祭り>てふ名称の由来。
 8日間燃え続けた、という故事に倣ってハヌカで用いられる燭台は合計9本の枝──中央に種火用のロウソクを立てる1本と左右に4本ずつの枝──を持つ、「ハヌキヤ」というハヌカのための特別な燭台となっております。なお、ユダヤ教の派によっては1日にロウソク1本ずつ火を灯してゆくところもあれば、初日にすべてのロウソクに火を灯すところもあると云々。注記すればイスラエル国の紋章にもなっている燭台「メノラー」は「ハヌキヤ」よりも枝が2本少ない燭台であります。
 さてこのハヌカ、ユダヤ教の祭りですから当然ユダヤ暦で祝われることになる。その時期はキリスト教のクリスマスに近い。キスレウの月はユダヤ教第9番目の月ですが、今日のグレゴリオ暦では11月から12月に相当。その「25日からの8日間」は年によってまちまちですが、概ね12月上旬から25日前後で毎年祝われているようであります。
 同じ時期に(ユダヤ教から派生した)キリスト教がクリスマスを祝うため、ハヌカも同様の祭りと勘違いしがちですが、その意味するところはまるで違うことを、われらは認識する必要がある。ハヌカは或る意味でユダヤ民族の精神的再統一を確認し、外圧を退け自立と信仰を回復させた喜びと誇りを記憶する祭りでありました。
 一方のクリスマスはキリスト教が他の宗教の祭り──ペルシア由来のミトラ教が太陽信仰の宗教であったことから、1年でいちばん日の短くなる冬至(12月25日)を「太陽神ミトラスが誕生した日」とし、ローマ帝国内で広く祝われていた由。帝国内でミトラ教はキリスト教にとって最大の障壁だった──を吸収してキリスト・イエスの降誕に結び付け、それを12月25日と定めた。見ようによっては<換骨奪胎>の祭りといえましょう。ハヌカとクリスマスの混同と誤解は、キリスト教が世界宗教となるに伴って発生した弊害というてよかろう、とわたくしは考えております。
 ……ハヌカについて述べて参りました。これについて調べていたがなかなか図書館に出掛けることのできない用事が週末ごとに出来したことが、或る意味で本ブログの定期更新を妨げる要因の1つであったのかもしれない……と、改めて言い訳してみる。
 創始者としてのユダ・マカバイはハヌカの続けられる限り、ユダヤ人のなかへ残り続けることでしょうね。



 ここでお披露目予定だったエッセイを先行公開してしまったものだから、頭をどう捻ってみても書くことが思い浮かばず困っています。一時的なネタ切れ、枯渇であると信じよう。
 ちかごろ夙に思うのは、やはり文章は絶えず書き続けないとフンドシがゆるかったり、支離滅裂曖昧模糊としたものができあがったり、或いは鋒が鈍ったりなまくらだったりして、読むに眉間に皺寄せる類のものばかりが濫造されて、駄目ですね。やはり短いものでも毎日、不特定多数の世人の目に触れる文章を書かなくては、と気持ちを新たにさせられているところであります。
 井戸を汲み続ければ最初は濁っていた水もやがては澄み、美味いと唸らせるお茶やコーヒーを供することができる。その水で研いだお米はさぞかし美味しかろう。そんな文章は一発芸のようにはゆめ生まれない。毎日の繰り返しの果てにクオリティの高い、奇跡の如き神品が生まれるのです。
 そんな文章を書けるように、怠けることなく忙しさに流されることなく、今日も明日も明後日も、1年後も5年後も10年後も、思い考え感じて、見て読んで記憶して、ノートを開きMacとDellを起動させ、筆を走らせ指を動かそう。そうすればいつかそのうち1編ぐらいは、読者諸兄のみならずそれまで一度もみくらさんさんかの作物を読んだことのない人にも「ああ、あの文章ね」と思い出してもらえるような、良い原稿を書きたいなぁ。◆

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第2650日目 〈みくらさんさんか、つまみ喰い読書を実践する。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 ゑいや、と思い立って部屋の片附けを始めてみたら、パソコン環境が壊滅的に非道くなった。しばらく机に向かうこともネットに繋ぐことも不可能な散らかりよう。
 え、MBA? いや、これを置くスペースすら机の上にはなかったんだ。スタバでドヤ顔Macしろ? 仕事帰りは自動的に自宅へまっすぐ帰宅しているようプログラミングされているんでね、それは無茶な相談だ。
 休日? すまん、先月と今月の週末祝日は新しいアパートの引渡や内見、入居者募集なんかで大わらわ、とてもじゃないが落ち着くことなんてできませんでしたよ。充実はしていたけれど、ね。
 さて、「ああ言えばこう言う」な問答はここまでとしていつも通りに真面目な話へ移ろう。真面目な話なんてしていたっけ。そう疑問に思うのは構わないが、くれぐれも過去記事を覗いて回ったりなさらぬが賢明だ。なんというても今宵は<オカルト・フライデー>なのだから。あ、もうフライデーじゃないか……まぁそんな細かいことは気にしない、気にしない。go ahead.
 横溝正史を1冊読み終えたとき、続けて他の作品へ手を伸ばすときもあれば、気分転換というかちょっとつまみ喰いのような感じで他の作家の長短編に浮気することもある。
 後者については昨夏の<海外ミステリの古典を読んでみよう>マラソンに発展したし、その〆括りに当時話題になっていまも売れまくっている様子のアンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』を読んで、大いに英国ミステリの最前線を堪能しもした。が、長編ではいつ横溝に戻ってこられるかわからない、という懸念というか不安が常に付きまとう。
 嗚呼、これは既に実証済みなのだよ、ヘンリック。わたくしはかつてアガサ・クリスティで、太宰治で、ドストエフスキーで、同じ轍を踏んでいる。そうして困ったことにわたくしは失敗からなにも学ばず、かりに教訓を得たとしてもそれを活かす能力を欠いていたらしく……。いやはや、困ったもんだね、オッペケペッポーペッポーポー。
 が、それはもはや過去の話だ。
 長編では本来の路線に戻るに時間は掛かろうが、短編ならば……殺人よりも容易だ! ちょうど読みたい短編も、あった。文芸誌に掲載された新人小説家の作品だが、すぐにでも読みたいのにそうするのがちょっと怖くて読むのを躊躇っていた作品が。
 いえ、『小説すばる』2018年11月号に掲載された松井玲奈の「拭っても、拭っても」なのですけれどね。結局今週の月曜日かな、帰りの車内で読み終わらず地元のドトールにて深い満足感を以て読了した。
 そのとき思いましたよ、いやぁたまには現代作家の、ジャンル小説以外の作品を読むのも良いものだ、とね。感想はメモしてあるので後日、本ブログにて感想文をお披露目する可能性は否定できない。
 横溝正史読書マラソンが終わるまで他の作家・他のジャンルに心を移さない。過去の失敗を今度こそ、わたくしは繰り返さない。そのためにも──ガス抜きと気分転換を目的に──つまみ喰いのようにして、他の作家・他のジャンルの1冊或いは1編に手を伸ばし、次の横溝作品を読む活力を得る。
 わたくしは過去の失敗を分析して、心を強くして、つまみ喰い読書を採用した。すべてはまだまだ続く横溝正史作品の山脈を踏破せんが為である。金田一耕助ものは1/3を残すばかりとなったとはいえ、由利先生やノンシリーズ、時代物はまったく手着かずだ。そのくせエッセイは存分に読み耽っているというね。
 わたくしは過去の失敗を分析して、心を強くして、つまみ喰い読書を採用した。自分を知る者は幸いである、なぜならば不断に自分を鍛え、律してゆくことができるからだ……と思うているんだけどなぁ。◆

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