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第2688日目 〈このたびようやく、新改訳聖書第3版を購入したのです。〉 [日々の思い・独り言]

 「これだけはどうしても、古本屋やましてやブックオフなどではなく、ちゃんと新刊書店で購入しなくっちゃな/したいな」と思うている本は、ありませんか? 懐具合の許すときにゆっくりと、多少高くても翫味して選んだ、その対象分野/作家が充実してゆくのを眺めるのが愉しみだ、というような本が?
 勿論、わたくしにはある。いまはその対象分野を、聖書としている。キリスト教ではなく? 然り、キリスト教ではなく。
 周辺資料はもう古本屋でなければ手に入らない本もあるから、仕方ない、これについては諦めましょう。むしろ積極的に取り扱う古本屋を覗き歩いて、後日の<狩り>の下見といきたい気分です。先日はウィリアム・バークレーの本を神保町で見附けた、それはずっと図書館から借りだしては愛読するを繰り返してきた1冊。そのときはチト懐が厳しかったものだから数日後に、病院の帰りに売れていないか、ハラハラしながら迎えに行ったものじゃった。
 いまの蒐集分野でなるたけ新刊書店で購入を心掛けているのは、既にお察しのことと思うが<聖書>それ自体に他ならないのです。とはいえ、コレクターというわけではありませんから、古い版本を求めて洋古書店や海外の古書店にまで探求の手を伸ばし──というわけでは、(すくなくとも現時点では)ない。いま手に入る、流通している各種日本語訳の聖書を手許に置いておきたいだけなのです。
 拙の聖書読書ノートブログが完全な意味で終わりの時を告げぬ限り、聖書は手を伸ばせば届く場所に置いておきたい本であります。或いは、椅子から離れて2歩か3歩ですぐに取り出せる場所にあってほしい本なのです。現にいま、書架の1段、その最前列を聖書が占めている。内訳はツマラヌし、至極当たり前のものばかりなので控えたい。そこにこれまで、じつは新改訳聖書だけがなかった。
 ほかの場所に置いてある、というのではなく、元々架蔵していなかったのです。買おうとしていたけれど、ずっと後回しにしていたツケが回ってきたのでしょうか。だってねぇ、聖書を備える書店に常置されてあるのは新共同訳と、この新改訳が両横綱なのですから、いつだって購入できるし、ほかの日本語訳の方が馴染みやすく、ブログを書くにあたり参照とすべき情報があまりなかった(フランシスコ会訳の脚注や本文中の地図・図版を欠き、新共同訳のような簡単な用語解説や単位の換算表などがなかった)、というのが、嗚呼、もしかすると秘めたる本音であったのかもしれません。
 加えて、過年、新改訳2017が発行されたことで新改訳の購入検討が後回しになったことは避けられず、やがて多くの書店の棚から姿を消してしまった。そうして「仕方ないかぁ」と刹那の嗟嘆のあと忘れ果て、今日に至る……。
 ここでようやく話が冒頭に戻るのだけれど、つまり昨日(一昨日ですか)、おお、よりによってブックオフでその新改訳──第3版;これが現在も版を重ねるヴァージョンである──、書きこみも折れも濡れも皺も破れもない、古書目録でいうところの状態:美本に遭遇。しばし中身を点検しながら小声で、うむむ、と逡巡した後、ほか何冊かと一緒にレジへ運んだ(お値段:税込み2,960円)。その晩は、初めて己が蔵書となった新改訳をあちらこちら読み散らして、明け方まで過ごして眠い目をこすりながら仕事へ行く朝の電車のなかで寝不足解消を図ったことである。
 これまでも何度か、ブックオフで聖書が売られている様子は、目にしてきた。そのたび、手にして中身を検めてみるのだが、さすがは聖書というべきか、どこかしらに前所有者の痕跡が残り、それはあまり見ていて好ましいものではありませんでしたねぇ。ここ6,7年というもの、ブックオフ店舗に於ける販売図書の状態基準は緩むどころか、杜撰かつ怠惰を極めている(※)。そう考えると、わたくしがこのたび購入した新改訳聖書(2003年12月:第3版再刷)は奇蹟の一品、と呼ぶほかない珍品だったかもしれない。呵々。
 今回の新改訳を以て、現在流通している日本語訳聖書の基本的なところは、だいたい揃うてしまったのではないか。文語訳も岩波文庫から全冊刊行されたし、かというて某氏や某氏の個人訳を迎え入れるつもりは毛頭ない。わたくしは記述の比較や、こちらではちょっと意味がよく通らない箇所がほかの日本語訳ではどうなっているのか、といった、内容理解のためにそれらを買い集めてきたのだ。
 いまだから告白するが、聖書読書ノートブログの最中も、新共同訳だけではどうも理解が及ばず、或いは文意不明と判断してほかの訳、フランシスコ会訳と文語訳、岩波訳の助けを借りていた。
 ──斯様な文章を認めているのは、ここ数日、かねて予告していた、そうして昨日図らずもお伝えすることになった、聖書各書物の〈前夜〉を書くため、聖書本文に目を通し、資料に目を通し、スターバックスに朝からこもって昼近くまで、モレスキンの手帳にブルーブラックの水性ペンでちまちま書きこんでいるからです。
 〈前夜〉を再び、しかも読書が終わって間もなく3年になろうとしているいま、2019年の夏に書くのは結構シンドイものがあります。でも、聖書絡みの文章書くのは、愉しい。一種の法悦を覚えながら執筆している、というたら、読者諸兄は引かれてしまうでしょうか?
 それは五月雨式に、不定期間隔でお披露目されてゆくことになりますが、その執筆に際してはきっと、新改訳をも参照として筆を進めてゆくことになるに相違ありません。◆

※煙草臭のする本、書きこみのある本、破れと濡れの非道い本、などは買取こそすれ、破棄するのが常で棚に出したりはしないものだったのに。もしかすると、処分費が高騰したからお金を惜しんで、嫁さえすればいい、とばかりに方針転換、新人教育も短縮化され、古株新顔の別なく負担が減ったことで喜び万歳三唱でもしているのだろうか。□

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