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第2721日目 〈いわれてみれば、三島由紀夫を読んでいました。〉 [日々の思い・独り言]

 「君の青春文学は、キングとHPL、赤川次郎と三島由紀夫であったろう。どうして未だに三島を話題にしないんだい?」と、小中時代の先輩にいわれて、考えこんでしまった。と同時に、ない記憶力を振り絞って、過去に本ブログにてお披露目したエッセイ、廃れてしまったSNSに投稿した記事を思い出す努力を試みた。
 結果;或る日の話題の1つにしたかもしれないが、話題の主役に三島由起夫が躍り出たことはなかった……はず。
 ではさっそく今日の話題に……となりたいところだが、なんの準備もなく三島を語る愚挙は犯したくない。たしかに三島由紀夫は或るきっかけでわたくしのなかに入りこんできて、読書の嗜好を根本から変革するに功あった作家だ。
 オレンジ色の背表紙をした新潮文庫の三島作品は殆どすべて読み尽くし、行きつけの古本屋では当時品切れだった角川文庫の三島作品(エンターテインメント小説が多いことにびっくりした!)を漁りまくり、河出文庫の戦闘機搭乗経験を描いた高揚感あるエッセイ「F104」を収めた、そうしてそこには戯曲「朱雀家の滅亡」の他、「憂国」と「十日の菊」と共に<二・二六事件>三部作をなす「英霊の聲」が収録されていたと思うが、その一巻を読んで三島の皇国主義に共鳴し、中公文庫の収録作を片っ端から読み倒している最中に同社より、1990年発見・翌91年公刊された『芝居日記』が発売されて高価ながら買いこんで読み耽り、能楽以外の伝統芸能へ目を向けるきっかけとなり、数年後に歌舞伎好きの知人を得たことで歌舞伎座へ通うようになり、安い席で見にくいのを我慢しつつふしぎな異空間に自分が彷徨いこんでいることをはっきり実感したものである。三島読書の過程で、石原慎太郎や安部譲二、ドナルド・キーンの著作へもどんどん手を出していったことは、いうまでもない。
 が、いま書架に三島の作品は殆ど並んでいない。1990年代初頭、マーラーとワーグナー、ベートーヴェンのLPを購うための軍資金調達に狩り出され、散逸したのだ。手許にあるのは、買い直したものも含めて10冊程度。書題は挙げぬ。助平だ。わたくしにもかりそめの羞恥はあるのだ。
 太宰治の読書とドストエフスキーの読書──未読文庫の消化作業──が済んだら、すこし間を置いてまた三島由紀夫を読み直そう、と帰りの電車でつらつら考えた。三島作品から離れて、じつは既に四半世紀が経過する。青臭くて身の程知らずなガキは疾うに姿を消し、いまここにいるのは希望よりも後悔の方が多い、それこそ恥の多い人生を歩んできました、と自白するがふさわしい、やりきれぬ思いを玩ぶ中年である。
 そんな、間もなくウン十歳に手が届こうというわたくしが、いま三島を読んでどのように思うか、われながら関心があるのだ。当時でさえ拮抗して美辞麗句の綜合体に思えた三島の絢爛かつ人工的そうして空虚な文章に、いまのわたくしは反発するか、迎合するか、或いはむかしのように割り切るか、非常に興味がある。その作品群も、おそらく好き嫌いはむかし以上にはっきり分かれるだろう、と朧ろ気ながら思うている。が、そんなであっても、わたくしはいま一度、三島由紀夫の文学に触れてみたいのだ。青春の残滓を追うのでは勿論なく、この年代になればまた違った捉え方もできよう、かれの皇国主義をいまの政権に重ね合わせてなにを思うだろう、と、そう考えてみたいのである。
 ──ああ、先輩。あなたの言葉がきっかけで、また三島由紀夫を読む気になってしまいました。イコール、どんどん聖書の再読は遅れる、ということです。責任取ってもらうよ、いつもの市民酒場で開店から看板まで飲んだくれて、食べまくるので、最後まで面倒見てね。当然、支払いも宜しく。どうでしょう、そのあともう2軒程、付き合ってもらえまいか?
 いやぁ、それにしても太宰治の書簡集について書いた翌日に、三島由紀夫の話題になるとはね……作為ではないよ、君。ドウカ信ジテクレ給ヘ。◆

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第2720日目 〈太宰治からの手紙;小山清編『太宰治の手紙』と亀井勝一郎編『愛と苦悩の手紙』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 作品よりも作者を好む。作品についてあれこれ論じるよりも、作者の素顔や日々の暮らし、なにを食べてなにを考えていたか知りたい。つまりわたくしは、不健全な文学愛好家なのです。
 作者自身に、作品以上の興味と関心を抱いたのは、H.P.ラヴクラフトの全集を買いこんだ高校生の時分。そのなかで好んで読み耽ったのは小説ではなく書簡であり、また同時代に生きて関わり合った作家たちによる回想だった。読書を重ねるにつれて次第次第にラヴクラフトが時空を隔てた他人ではなく、まるで自分の分身に思えてきたりした(恥ずかし気もなくいえば、「ぼくがラヴクラフトだ」と……)。
 作家個人を知るにいちばん手っ取り早いアプローチは、「書簡集を読むこと、同世代の誰彼による回想記を読むこと、そうして複数種類の伝記を読むこと、この3つだ」と申しあげましょう。
 勿論、ここでいう<作家>が既に物故して相応の歳月が経っており、メモワールがあちこちから出てくるような名の通った”a grate man of letters”であり、かつ<紙の手紙>を相当の量、書き送り、唯1人の読み手のために<私的作品>を綴った”letter writer”のことだ。
 ──<毒を喰らわば皿まで>の言葉に従って、好きになった文学者、芸術家に書簡集あらば探して読み、ますます愛を深めていった。スタインベックやドストエフスキー、芥川龍之介、ベートーヴェン、マーラーとワルター、ラム、……etc,etc.

 とまれ、HPLに端を発した書簡集好みはいまに至るまで継続中で、河出文庫から出た小山清編『太宰治の手紙』は貪るように読み耽り、出先へ持ってゆくこと多く、購入して半年経った暮れには表紙が折れ、ページの端はよれたり丸くなったり、カバーを取り払うと凹みなど軽度のダメージが刻印されている。<愛するならば、毒であろうとなんであろうと、皿まで喰らって喰らい尽くす>がモットーなればこそ、この小さな書簡集も経年劣化は相応以上に爪痕を残したのだ。
 「ガラスのハート」の持ち主な太宰治がここにいる。有名になっても朴訥としたところが残る、照れ屋で気が小さな、面倒見の良い、等身大の太宰治がこの書簡集には息づいている。そうしてどうにもダメ人間で、「おたんこなす」な太宰治の姿も、われらはここに見る。
 河出文庫版小山清編『太宰治の手紙』は太宰没後70年を記念して、昨2018/平成30年6月に出版された。1952/昭和27年5月刊の木馬社版を基に再編された河出新書版(1954/昭和29年8月)の文庫化。全100通を収録。編者の「あとがき」に加え、正津勉の解説を付す。
 これ以前にも角川文庫から亀井勝一郎編『愛と苦悩の手紙』が出ている。令和元年のいまも書店の棚に並ぶロングセラーだ。こちらは212通を収め、編者解説と太宰の年譜がある。
 小山の編著が昭和8年から昭和15年と、太宰25歳から32歳までの書簡を収めるのに対し、亀井の方は昭和7年から没する昭和23年5月まで、24歳から38歳までの書簡が並ぶ。
 収録時期が長きにわたっているという点もあろうが、亀井が編んだ書簡集からは、小山編書簡集では姿を潜めていた暗い部分が、死を前にしての太宰の懊悩が、ひしひしと伝わってくるようで、読んでいてだんだんと苦しくなってきてしまう。歴史を知る者だからこその、穿った読みであろうことは承知している。
 が、むろんそれは行間からふと顔を出して気配を漂わせる程度のものであり、戦前戦中、そうして戦後も、無頼派のイメージからかけ離れて日々の営みを大切にし、家族に清らかな愛情を注ぎ、創作については機械的にこなす、ビーダーマイヤーというがぴったりな家庭人/職業人の姿が、本書からは立ちあがってくるのだ。
 両方の書簡集を通じて、わたくしは高田英之助に宛てた書簡が好きだ。高田は〈井伏門下の三羽烏〉と称された人物。残りの2人は伊馬鵜平(※)と、勿論、太宰治である。
 太宰の結婚に、高田英之助はキーマンとなった。「太宰くんの奥さんになる、良い女性はおらんものじゃろうか?」と井伏鱒二が高田の岳父に相談すると、その娘である高田夫人が、「友人の姉はどうだろう」と紹介した。それが石原美知子だった。2人のお見合いをスケッチして作品へ組みこんだのが、「富士には、月見草がよく似合う」の一節でよく知られる短編、「富嶽百景」である(「きめた。多少の困難があっても、このひとと結婚したいものだと思った」 『走れメロス』P59 新潮文庫)。
 高田が井伏の下に出入りしていなかったら、われらが知る太宰の生涯はなかったろうし、作品も書かれなかったろう。当然、かれらの娘で作家の津島佑子もいないわけだ。
 高田は太宰の良き友人であったようで、互いになにくれとなく相手を思い、世話を焼きあっていたらしい様子が、書簡から窺える。
 特にわたくしが好きな高田宛書簡は、『愛と苦悩の手紙』に載る高田の結婚を祝う手紙だ。曰く、「幸福は、そのまま素直に受けたほうが、正しい。幸福を、逃げる必要は、ない。君のいままでの、くるしさ、ぼくには、たいへんよくわかっています。……でも、もういい。君は、切り抜けた。『おめでとう。』『よかったね。』」と(書簡番号84 P140)。
 こんな手紙をやり取りできる程、かれらは肝胆相照らす仲であったのだ。羨ましい。こんな手紙をもらったら、心があたたかくなるばかりか、いつも以上に優しい気持ちになる。そうして、この生活を絶対に絶対に守ってゆこう、この女性を大切にしよう、不幸にはするまい、悲しませもするまい。裏切るまい、おれは男だ夫だ、と覚悟を固める。
 なお、亀井勝一郎編『愛と苦悩の手紙』は今年、河出文庫から二次文庫化された。但し、こちらは角川文庫版から戦前の初刊を省いたヴァージョンであるので、購入の際はくれぐれもその点を考慮し、いずれを購うか判断されたし。むろん、両方を持つのがいちばん良い。◆

※伊馬春部。折口信夫門下であり──「伊馬春部」は折口が命名。『万葉集』(※※)が出典であることを池田彌三郎に指摘されると、しばらく折口はへそを曲げた、という挿話がある(池田『まれびとの座』P51-52 中央公論社 昭和36年6月)、──太宰の親友であった伊馬には、中公文庫に太宰回想の著作『桜桃の記』がある。近日感想をお披露目する機会があるかもしれない。
※※「うちのぼる 佐保の川原の 青柳は 今は春べと なりにけるかも」(打上 佐保能河原之 青柳者 今者春部登 成尓鶏類鴨)大伴坂上郎女 巻八1433□

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第2719日目 〈ブログ記事のカテゴリーわけについて、管理者から一言。〉 [日々の思い・独り言]

 やっぱり他の人もそう思うのかぁ……。でもなぁ、と、日がな一日小首を傾げながら考えこんでいた。暇です。首がちょっと痛くなりました。
 Twitter経由で本ブログをお読みくださっている方の数、全体で見れば1/10に満つかどうか、微々たるものなのだけれど、そんな微々たるなかのお1人からDMでご質問いただいた。Twitterを始める前から読んでくれている、旧知の人なのだけれど、ただいま当方、プロバイダ移行中のためメールアドレスが使えなくなっているのでTwitter経由でご質問くださった由。ありがたし、ありがたし、古くよりの知己にして読者なる君。
 聖書読書ノートブログ以外の記事はすべて、どのようなものだろうと「日々の思い・独り言」か「ウォーキング・トーク、シッティング・トーク」、いずれかで一括りにしている。独立したものであれば、小説も、本や映画の感想も、日常随筆も、闇鍋のようにそこへ突っこんで、殆どカオスの状態だ。要するに、ごちゃごちゃで、一見して他のブログのようにカテゴリーが細別されていないから、特定のジャンルの記事をまとめて読もうとすることができない仕様になっているわけ。
 そこを今回、某氏は指摘されたのだ。今更な話だけれどさ……、と。
 やはりカテゴリーをもっと細かくした方が良いのかな。何度か考えて、1度はメンテナンスと称して幾つか大きなカテゴリーを作った後、該当記事をそこへ放りこんだのだけれど、今度はわたくしの側で収拾がつかなくなり、労多くして益極めて少ないため、元へ戻してしまい、現在へ至っている。
 サイト内の検索ボックスにカーソルあてて、検索ワードを打ちこんでエンター・キーを押す。これすら手間なのかな。本の感想をまとめてみたければ、「〜を読みました。」と有力すればいい。映画の感想ならば、「〜を観ました。」とすればいい。そんな検索の便を図るためもあって、記事のタイトルには統一性を持たせているつもりなのだけれど……。
 でも、それが面倒くさい人って、けっきょくカテゴリーを細分化しても揚げ足取るように「使いにくい」、「見にくい」、「わかりにくい」と不平を垂らしてくると思うんだよね。否、それ以前に自分のなかで見切ってくれるか。
 当方からの回答としては、即ちこうなる。曰く、──
 ①主文:他の方々のブログのように、カテゴリーを細分化させることは、今後けっしてない。
 ②理由:既に記事は1,000編を超える膨大な数となっており、それをいまから各カテゴリーへ篩い分けるには1ヶ月以上を要す。ブログの更新を一時休止或いは更新遅延等させてまで行う意味と価値は見出せず、またそれに費やす労力と時間の捻出が困難と判断する。
──以上。
 タイミングを逸してしまったことを、後悔している。
 このような回答になってしまい、申し訳ない。◆

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第2718日目 〈繰り返し読む小説、って、あまり無いかもしれない。〉 [日々の思い・独り言]

 『晩年』をゆっくり、読み直しています。「道化の華」のみのつもりが思い返して、最初の「葉」から蝸牛の歩みで約1週、ようやく「地球図」までページを進めたところ。
 昨日の黄昏刻、寝転がって「地球図」を読んでいたのですが、興奮で沸騰する頭を沈めようと手を伸ばして取ったのが、『ビブリア古書堂の事件手帖』第6巻でした。篠川栞子蔵の『晩年』初版本を巡る事件が新たな展開を見せるに併せて、人物相関が大きく揺れ動いてさざ波を立てたまま巻を閉じる、シリーズ後半最重要の1巻。
 いや、偶然なのですよ。故意にそれを選んだわけでは! なんらかの共鳴現象が起こった、としか言い様がありません。ベッドサイドの小さな棚にぎっしり前後2列、上下2段に仕舞いこんだ文庫の、いちばん手にしやすい場所に、それは位置する。まぁ、『晩年』の興奮鎮めに、と手を伸ばして触れた1冊が『ビブリア』であったのは、うむむ、こうなると偶然ではなくなるか……。
 『晩年』は今回が2度目の読書。『ビブリア古書堂の事件手帖』は巻不問でどれだけの回数、読み返してきたか知れぬ程、近年に刊行された小説のなかでは握玩の一作であります。顧みればわたくしはこれまで、何度となく読み返す小説、というものが殆どありませんでした。これまで読み漁ってきた総数に較べれば、おそらく1/10に満つかどうか、というところでしょう。
 安岡章太郎は何度でも繰り返して読める小説がすくなくなったことを、渡部昇一にぼやいたことがあるそうですが(『知的生活の方法』P53 講談社現代新書 1976,4)、さて、自分は果たしてどうだったかしらん、と考える。
 その数は──何度となく、しかも明確な意思の下に(自覚的に、と換言してよいか)読み返す小説は、すくない。近代から現代の日本人作家、19世紀以後の欧米作家、いずれに於いても「作家単位」で読み返すこともあれば、好きな作家の特定の作品ばかり読み返すこともある。直近の例は勿論、太宰治だがそれ以前、暇にあかせて数週かけて読み返し、読み耽ったのは、ドストエフスキーの『罪と罰』と『悪霊』、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ全作でした……。後者は完全に、渡部昇一いうところの「コウスティング」の読書といえますね。
 すくないながら繰り返し特定の小説を読むのは、初読時に脳天をハンマーで、ガツン! ガツン! ガツン! 、とやられた衝撃の後遺症未だ冷めやらず、当時の法悦を忘れられずにいるためでもありましょう。
 繰り返し同じ小説を読むのは、それが自分にはとても面白い作品だからであります。それが自分にとっての「古典」であり、「名作」に他ならないからであります。
 面白い、とはゲラゲラ笑う類のそれでは当然なく、物語そのものだけでなくその背景、人物造形や会話の妙、それを支える鍛えられた文章を存分に堪能し、それを読むことで得られる感情の揺れ動きや思考の働きを愉しみ、ときには摑まえて簡単な文章にすることを意味する。
 あなたに繰り返し読む小説はありますか。あるなら、繰り返し読むその理由は?◆

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第2717日目 〈そろそろ、<岩波文庫の100冊>を選ぼうと思います。〉 [日々の思い・独り言]

 夏も終わって読書の秋、到来──ゆえに、というわけではないが、<文庫の祖>である岩波文庫、そのなかから100冊を選ぶ、という無謀な企てを、そろそろ実施してみようと思うのです。が、──
 大変です。同じ「100冊」シリーズを企画している角川文庫と講談社学術文庫、中公文庫に較べて、対象になる書目の数が尋常ではない。数年で創刊100周年を迎えようとしている文庫の老舗は、やはり違います。歴史の重みに圧倒されそうだ、といえば聞こえは良いけれど、なんのことはない。その数の多さにゲンナリし、「やれやれ」と頭を振りながら溜め息しているだけなのです。
 岩波文庫の創刊は1927(昭和2)年7月10日。そうしていまは、2019(令和1)年9月である。今日までいったい、どれだけの文庫が新刊として刊行されたのか。その数は膨大である、としか申しあげようがありません──10年おきに出版されている『岩波文庫解説総目録』が書架の奥に、しかも場所もバラバラに埋まって取り出せない現状では。
 自分が読んで糧となった岩波文庫、繰り返し読み耽ってボロボロになった岩波文庫、火事の煤煙を丁寧に払っていまも架蔵する大切な岩波文庫。そんなのを、品切れなどはまるで気にせず、自由にリスト化すること、新潮文庫とのときと変わりはありません。
 岩波文庫は5色の帯で大まかなジャンル分けしていますが、目下わたくしを悩ませるのは、「どの色から何冊の本を選ぶか」でありまして。
 というのも、高校時代から親しんだ岩波文庫に、けっきょくは頼ること多く、寄せる信は篤く、国の内外・ジャンル不問で古典にアプローチしようとする場合、文庫という形で貧書生の渇きを癒やしてくれたのは、この文庫だけでしたから……。
 そんな過去あるがからでしょうか、ちょっと記憶をたぐってみただけでも、黄帯だけで30作は挙げられますし緑帯も同じか、もう少し多い数の作品が。赤帯は中国とイギリスとドイツ、この3国の文学を中心に40-50作ばかりは簡単に。白帯はずっとすくなくて5作ぐらい、青帯はたぶん35作程度、か。
 解説総目録が書架の奥にバラバラ殺人の死体の如くあちこちに埋まっていることは前述しましたが、却ってそうした目録に目を通すと選定は難しくなるんじゃないかな。けっきょく、記憶を頼りにリストアップするのが、唯一無二の正解なのかもしれない。
 情報の訂正や補足は、あとでゆっくり行えばよい。架蔵するものはそれを書架の奥から召喚し、処分してしまったものについては解説総目録を繙いて。すくなくともこの点に関して、岩波文庫のホームページはまるで役に立たないことを、声を大にして申し添えておきます。
 なにはさておき、近日中に「私的100冊の岩波文庫」のお披露目を致します。架蔵する岩波文庫の総点検も兼ねて、部屋の掃除と処分本の選別を並行して行うことを約束したい……です。◆

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第2716日目 〈ルナン『キリスト教の起源史』への要望。〉 [日々の思い・独り言]

 聖書読書ノートブログの更新中からそれがひとまず終了した今日に至るまで、ルナン著す広範な『キリスト教の起源史』全7巻のうち、第1巻「イエスの生涯」と第3巻「パウロ──伝道のオデッセー』、第4巻『反キリスト』は目的意識の有無にかかわらず手に取り愛読、教えられる点の多い本であります。訳者は忽那錦吾(第1巻のみ上村くにこと共訳)、出版社は人文書院。
 が、残念なことがあるとすれば、それは上述の巻しか日本語訳がないこと、他の巻が日本語で読める日が来るのかどうか、定かではありません。いちど版元である人文書院に質問したところ、現時点で予定はない、てふ返事をもらいました。「ヨハネの黙示録」を読んでいた時分だったと記憶します。
 この大著を読むためにフランス語を学ぶことも、一時は真剣に考えました、が、腰はなかなか上がらず、そのうち読破の情熱も学習の熱意も鎮まってゆき、そうして今日に至っています。まぁ、訳者あとがきによれば、英訳もあるようですが、それが果たして信頼に足る翻訳なのか、わかりません。
 さきほどまで第3巻を読んでいたのですが(パウロがエルサレム教会から異邦人への福音を認められる章まで)、巻を閉じて溜息が出てしまうのは常のこと。溜め息の理由の大きなところは、むろん、第2巻「使徒」が未訳であること。
 フランス語原典ばかりか英訳すら読んだこともないのですが、その第2巻は磔刑から3日目の復活と運命の五旬節から説き起こされて、ステファノ殉教やエルサレム教会の形骸化を語り、パウロ回心をクライマックスとし、第一次宣教旅行の直前で筆が擱かれるのではないか。
 ルナンの執筆態度については、専門家筋から種々の批判があると仄聞しますが、読者の側にしてみればそんなことはどうだってよい。価値を決めるのは学者センセー方や批評家という他人のフンドシで相撲を取るしか能のない連衆ではなく、その書物を手に取り読み耽るエンドユーザーの仕事だ。
 わたくしには、イエスの生涯や原初キリスト教会について書かれたさまざまな書物のなかでルナンの本は、内容はもちろん話の展開や論旨の明確なる点、或いは訳文についてもいちばんわかりやすく、座右に置き続けてその位置を外れることはあるまい一書である。それゆえにこそ、特に用事もないのに何度だって読み返してしまうのでありましょう。
 だからこそ……と残念でならないのです。殊第2巻の未訳なままであることが。
 労は多く、実入りはすくなかろうがここは是非、訳者にも版元にも頑張ってもらって、第2巻の翻訳・刊行を実現していただきたいのであります。第5巻「福音書」以後もお願いして全7巻のつつがなき完結を期待したいところではありますが、いまは第2巻のみ、希望を出しておきます。
 そうそう、岩波文庫にあってときどき復刊された際の売れ残りを書店の棚で見掛ける、ルナン『思い出』上下の新訳・単行本サイズでの刊行も、人文書院にはお願いしたいのですが──やはり難しいだろうか?◆

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第2715日目 〈読書のための場所〉 [日々の思い・独り言]

 ちょっと昨日のエッセイを補完するような文章を、書きます。
 ──マーフィー理論ではありませんが今後願い続けて実現させるために、祈るが如く、強き希望をこめて、どのような景色のなかに身を置いて、本を読み耽りたいのだろう、と考えてみます。今日は短いので、ご安心を。
 ここ20年でいちばん本を読んだ場所は、やはり通勤電車のなかですね。勤め人である以上、これは仕方ない。次に読書に励んだ場所は、おそらくカフェでなかろうか……南蛮屋Caféとスターバックス各店舗、これが両巨頭。
 南蛮屋Caféは、南蛮茶房に名を変えたあとも引き続きよく通った。2階の奥の、床が一段高くなった隔離室のような部屋の楕円形の大きなテーブルの片隅に座を占めて、書き物に励み、読書に耽り。
 余談;フランスとイギリスの好色小説を読んでいて、日本人形のような店員さんに「なんの本、読んでいるんですか?」と訊ねられて思わず赤面、シドモドしてしまったっけ。思い出の断片。
 ──軌道修正;どんな環境で読みたいの? 心に都度かすめるその光景は?
 まじめに考えよう。
 明窓浄机、独り静かに読書に向かうも宜しかろう。昔ながらの明窓浄机は、既に夢物語かもしれない。が、近い環境を実現させることは、心がけと居住環境次第で難しくないと思います。
 自分が読書する場所というのは、小さくて良い。むしろ、そちらの方が好ましい。
 ときどき、インターネットで読書スペースを紹介したページを見ていますが、こぢんまりとした空間(というか部屋の一角)で良いのです。寝転がりつつ坐りつつ、腰に負担のかからぬ楽な姿勢がとれるソファがあり、適度な明るさの照明と、コーヒーの入ったマグカップを置く丸テーブルがあれば、それでいいかな、と。
 そんなとき、決まって脳裏を過ぎるイラストがあります。
 有川浩『図書館革命』映画化に合わせて、『カドカワキャラクターズ ノベルアクト2』が刊行されました。その巻頭口絵がね……もう甘々なんてものじゃない光景なんだけれど、堂上と郁が2人仲良く並んでソファに坐り……窓際に配されたそのソファで本を読み、両脇には本のつまった書棚が2竿あって。
 ──ああ、これでいいのではないか。わたくしの求めていた読書スペースとは、とどのつまりこういうものではなかったか。
 子供の頃のように、家の縁側で寝転がってする読書も良い。海岸のテトラポッドに背中を預けて、波の音と風の音を聞きながらの読書だって、忘れ難い。が、それはおいそれと、容易く実行できることではない。
 一念発起して部屋の大片附けを行い、居住スペースに広がりが生まれたなら、このイラストを基にした小さな、なににも煩わされることのない読書スペースの実現を望む。目を疲れさせぬよう、照明にも気をつけて……。
 そこに腰を落ち着けて、時間の過ぎるのも忘れて、好きな本に没頭するのが、わたくしが当面実現させたい夢。
 さて、それでは3連休中日の明日、朝から蔵書の点検と処分を致すとしましょう。◆

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第2714日目 〈build up one’s own library.〉 [日々の思い・独り言]

 Twitterに流れてくるフォロワーさんたちの書棚の写真を見るたび、「綺麗に整頓されているなぁ」と羨望の溜め息を吐いてしまいます。と同時に、「もしこの人の全蔵書、或いは殆どがその写真に尽きているなら、綺麗に整頓できるのはいわずもがな。蔵書内容の把握に苦労することも、あまりないんだろうなぁ」とわが書架を顧みて嗟嘆してしまうのであります。
 この部屋は果たして、「衣」と「住」を兼ねた自分の部屋なのか、それとも体を横にする(≠就寝する)ためのベッドを設置した古本屋/紙屑屋なのか。と、斯く深き悩みに陥ってしまうこと度々なのでした。もうちょっと本の数がすくなくて、部屋の扉を開けたらケモノ道、なんて状況を改善することができたなら、人が住むにも本が住むにも快適な部屋となるのだろうが、残念ながら事態が好転する可能性は、著しく低いといわざるを得ない。それが不可能なまでに、蔵書数が収納スペースを圧しているからです。
 ダンボール箱にどんなジャンルの本を仕舞いこんだか、それは箱の外側にペン書きしているから問題ないが、では箱に入っている本がなんなのか、となると、もうお手上げ状態。いちいち開梱してみるより他にない。
 これを改善するにいちばん良い方法は、勿論古書店もしくは新古書店に売却することだが、買取値はともかく、処分する本を選定するための空間がここにはないのだ。まぁ、足の踏み場もないのが現状なのでね。さてさて、困ったことであります。
 本を処分することができぬとなると、次に思い浮かぶのが、書庫として近隣のアパートの空室を借りあげること。本を住まわせるための部屋を、居住目的にウソついて不動産屋さんと契約し、そこへプライオリティのけっして高くない本を移してしまう。読書用と仮眠用を兼ねたソファや書き物用の机と椅子、そうして小さな冷蔵庫と食器棚も、そこには置いて。ああ、パソコン使うことを考えたらネット回線も整えなくてはならぬのか。やることがたくさんあるなぁ。
 が、読書人はゆめ忘れてはならぬ、どんなに注意しても奴らは増殖するのだ、という普遍の真実を。
 アパートの一部屋を借りただけでは追いつかなくなる日が、遅かれ早かれやってくる。そのとき、どのように対処すればよいか。もっと広い部屋を借りる、買う? そこへ一括して移動させる、分散させる? ……嗚呼、もう答えの出ない悩ましき問題であります。
 ただ、ヒントになる対処法を、書痴とも蔵書家ともいえる先達に求めることはできる。たとえば、──
 シャルル・ノディエ「ビブリオマニア」には「一生を彼は本に埋もれて過ごし、本のことしか頭になかった」「善良なテオドール」(P63 生田耕作編訳『愛書狂』 白水社 1980,11)という人物が登場する。この人物にはモデルがあるそうで、生田耕作先生によれば「当時有名な法律家で、気ちがいじみた蒐書家ブラール」(P204)がその人物。かれは見境なしに買いこんだ書物を蔵するために自分が借りていた部屋のある建物を1軒買い取り、それだけではおさまらずその後家屋を何軒も買い足していった、という。当然ながら本人にもどの本がどこにあるか、わかろうはずもなく、借覧を願う人を引きずり廻した挙げ句、「どこかにあるはずなのだが……」と途方に暮れたとか。
 これはいささか(というか相当)行き過ぎな先例なので、もすこし現実的なところを探ってみると……渡部昇一が還暦過ぎに億の単位の額を金融機関から融資させることに成功して建築された(この金融機関の担当者、稟議を通すためにかなり頑張ったんだろうな)、都内某所の自宅かな。
 『渡部昇一 青春の読書』(ワック 2015,5)のカラー写真に全容というか一部というか、驚愕のプライヴェート・ライブラリーが紹介されていますが、これこそが読書家というより蔵書家の夢見る書斎/書庫の理想型、窮極なのではないのでしょうか。そこに収める程の蔵書がない、なんて台詞は反駁にもならぬ、ただのナンセンスだ。それだけのスペースを確保し、自分の蔵書のすべてが一箇所に集まり、すべての本の背表紙がこちら側を向き、必要な際に労せずアクセスできるようになることの有用性を、渡部昇一の書斎/書庫が教えてくれているのであります。
 かつて渡部氏は、図書館に住みこんだ経験から自分の図書館を持つことの必然性を、肌で感じ取った。私設図書館の所有を、若き頃に誓った。それを忘れることなく持ち続け、遂に還暦過ぎという、まだまだこれからだが先が見えてきた頃でもある年齢で実現した。ただ、始めに誓った頃と実現した頃とで、蔵書数が桁違いに多くなっていただけの違い。
 とはいえ、渡部氏のようなプライヴェート・ライブラリー(兼自宅)の所有は、人を選ぶお話であります。「自分にはそこまでの規模は必要ない」というのではなく、もっと現実的なところ──土地の所有と総工費、勤務年数と年収と頭金、そうして金融機関担当者との信頼関係に帰り着くお話。むろん、建設会社の選択も大事ですが。
 これとて非現実的な部類に属するケースではありますけれど、こうした先達もあるのだ、と心の片隅に留めて「いつかこんな風なライブラリーを持てたらいいなぁ」と願望し続けるのは、けっして悪いことではないと思うのです。マーフィー理論ではありませんが、おりふし心のなかで唱える祈りや願いは、それを失くしたり捨てたりしない限り、そのときの自分にふさわしい形で実現するのですから。そういえばマーフィー理論を日本に紹介したのは、この渡部昇一(大島淳一)でしたね。
 ブラールと渡部昇一は、たしかに非現実的な部類に属するケースかもしれません。が、イギリスにはグラッドストン式とでもいうべき蔵書収納法が存在する。グラッドストンは19世紀中期から後半、ヴィクトリア朝の時代に自由党党首を務め、4度に渡って首相を経験した人物。アンドレ・モロワにグラッドストン伝がある。政敵ディズレイリーとの論争や確執は、英文学のテキストでさんざん読まされた苦い記憶が、わたくしにはあるが、いまはさておき。
 さて、そのグラッドストンに『本とその収納』なるエッセイがあり、小冊子になっているという。アン・ファディマン『本の楽しみ、書棚の悩み』(草思社 2004,7)で初めて教えられたのだが、それによるとグラッドストンの提唱する書物収納法とは2つある。1つは滑車附き書棚の製作/採用、これは現在、形を変えて図書館や企業の資料庫等でおなじみのシステムですね。そうしてもう1つは、<棚一面に書棚を作り付け、然るべき間隔で書棚の一部を直角に、部屋の内側へ突き出すような形にする。突き出た部分の突端も書棚として使う。そうすれば、単に壁に書棚を作り付けただけよりも多くの書物を収納できる>という方法。
 前者は勿論だけれど、後者は最低12畳程度の広さがないと、より多くの書物を収納できるぐらいにはなるまい。それ以下の畳数だとおそらく部屋を、空間的にも精神的にも圧迫するだけでしょう。けっしてオススメはしない。が、逆にいえば或る程度の広さを確保できる自己所有物件であるならば、実現は十分に可能である、ということでもあります。
 ……と、3人の例を挙げてみましたが、自分の蔵書をすべて収めて背表紙が見えるようにできるのであれば、それがいちばん良いのですよね。ただ、行き着く先の理想をどこに持つか、で出発点は変わってきます。グラッドストンの方法も悪くはないが、やはり或る程度の蔵書を持つ身ならば渡部昇一のプライヴェート・ライブラリーに憧憬を抱くのは当然至極。
 理想は失うべきではない。とはいえ、──
 そこまでの資力も空間も持たない身には、8畳か10畳程度の部屋の四囲を書棚で埋め尽くし、かつ部屋の中央にちょっと低めの書架を背中合わせに置く(耐震処置をした上で)のが、いちばん現実的なのだ。最も使いやすい書庫を思い描くと、そんな光景に帰り着きます。そんなものだ。そこにパソコンが置けて書き物ができる抽斗附きの、或る程度のサイズの天板を持った机と、ゲーミング・チェアのように長時間坐っていても負担のない椅子が備わっていれば、なにもいうことはありません。そんな書斎/書庫を備えた一戸建てが持てるように、あと10年ちょっと会社勤めを致しましょう(勤続年数が長い程、金融機関からの信頼は篤く、担当者次第で実際以上の融資額を確保できる場合がありますからね)。
 さまざまお喋りしてきたが、それでも当然わが部屋の紙屑屋然とした様子に変わることはないゆえ、やはり蔵書の処分は実行しなくてはならず、まずはそのための空間をむりやりにでも作り出さなくてならぬのですが。
 最後に、10代の頃に読んで心に響き、時間の経過とともに輝きと重みを増してきた言葉を。曰く、──
 “to build up one’s own library.”(自分自身のライブラリーを作りあげる)◆

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第2713日目 〈【中間報告】旧約聖書各巻の〈前夜〉は、順調に進んでいます。〉 [日々の思い・独り言]

 まさしく表題の通りなので、特にそれ以上お話しすることもないのですが……それでもすこし、くだらぬお喋りを致しましょう。
 本ブログは自分の聖書読書に於けるメモのような意味合いで始まりました。ゆえ、当初の記事は甚だ簡素な内容だったのが、読書が進むにつれて1日1日の記事は長くなり、それに歩を合わせるように〈前夜〉も書物の性格や読み処など紹介し、加えて成立時期と場所、執筆者についても私見を述べるようになってゆきます。
 そうして旧約聖書、旧約聖書続編、新約聖書、と聖書全巻を読み終えたあと顧みると、どうにも最初期と最後期を較べてアンバランスなところが目に付くようになってしまいました。本文のノートを改訂することは難しくとも、〈前夜〉だけならなんとかなるかもしれない。が、真剣にそう考えるようになったのは、じつはまだ昨年10月のことなのでありました。
 そうしてさるきっかけあり、〈前夜〉の増補改訂作業に本腰を入れ始めたのが先月8月。爾来、間遠になりつつあるけれど、作業は順調に進んでいる。もっとも、当初の予定では補筆すればいいだろう、と思うていたけれど、けっきょく最初から新しく書いてしまった方が楽なのですよね。というわけで、「民数記」から始めて今日(昨日ですか)、「サムエル記 下」〈前夜〉の第一稿を書きあげました。
 なにぶん旧約聖書を読んでいたのは2008年09月から2013年10月のこと。直近でも6年前であります。書物の内容はよく覚えていても、成立に関わるあれこれや「申命記史家」/「申命記的史書(歴史書)」、或いは執筆の資料となった4つの資料──即ち、「ヤーヴェ資料」(J)、「エロヒム資料」(E)、「申命記資料」(D)、「祭司資料」(P)──に関する知識なんて(殆ど)持ち合わせていなかった時分です。当時書いていた〈前夜〉には情報不備や記述不足など多々あったはず。
 むろん、いまだって満足な知識は持ち合わせていないが、当時と比較して目を通した資料は増えたし、架蔵してときどき繙いては読んでメモする資料も増えた。定着した知識もあれば、うろ覚えな知識もあり、そのたび調べ回ることになる事柄もたまにある。なによりも、不明な点、確かめたい点があれば、どのような資料にあたれば自分の知りたいことが書かれているか、おおよその見当が付くようになったことは、いちばん大きい進歩かも(だいたい図書館の蔵書も把握したからなぁ)。
 そんな次第で、〈前夜〉の執筆はとりあえず順調に進んでいます。執筆の前には当該書物の通読と、そこに描かれる時代や成立事情の下調べがあいかわらず欠かせないけれど、小首を傾げることも偶さかあれど心より愉しみながら、自分の部屋やスタバで、モレスキンの方眼ノートにブルーブラックのジェルボールペンで第一稿を、一所懸命に書き書きしております。
 このままのペースであれば、新しく書き直す必要のある旧約聖書の〈前夜〉は、年度末にはそのすべての執筆が終わる予定。お披露目は、そのあとになりそうですね。◆

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第2712日目 〈朱鷺田祐介『ラヴクラフト1918-1919 アマチュア・ジャーナリズムの時代』Ver.0.5を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 スティーヴン・キングの短編集の訳者あとがきにラヴクラフトの名を見附けたのが、そもそもの始まりだった。キングに影響を与えたのか、いったいどんな作風の小説家なのだろう。いっぺん読んでみたいものだなぁ。
 そんな呑気なことを考えながら学校帰りの乗換駅、週4で立ち寄る新刊書店の平台を眺めていたら、その人の名前を冠した、表紙が黒い文庫に出喰わした。『ラヴクラフト全集』第4巻、訳者は大瀧啓裕、創元推理文庫。オレンジ色の帯が表紙の色と妙にミスマッチだが、却って禍々しさを覚えさせられたね。
 ラヴクラフトにいよよのめりこんだ決定打……それは、行きつけの古書店にて国書刊行会版全集全10巻11冊揃い・月報・オビ・刊行予告ポスター完備に出喰わしたことが大きい。というか、それを措いて他に、ない。それまで貯めていたお小遣いにお年玉の前借りを足して、勇んで大晦日の憂国、じゃない、夕刻に全集を迎えに行きましたねぇ。高校生が、ですよ。しかも来年は受験生になる、という17歳がですよ。これがわたくしの、ラヴクラフト菌に感染したそもそもの経緯であります。
 そうして進学、学問のなんたるかも朧ろ気ながらわかって来ると今度は手持ちの本に加えて、神保町をほっつき歩いて買い集めた微々たる数のラヴクラフトやアーカム・スクールの作家たちの原書や翻訳、英米文学史や幻想文学の研究書などを参考文献に、折しも生誕100年を迎えていたHPLへの信仰告白めいた、短いエッセイをコツコツ書き溜めた。1冊にまとめる夢を抱きながらね。
 とはいえ、如何せん学生の経済力は貧弱で、加えてあれは現代と較べて格段に情報不足の時代だった(良い時代であり、悪い時代であった!)。そのエッセイ集は立てた目次の2/3弱──「人間・ラヴクラフト」の項目を書き終え、「作家・ラヴクラフト」の項目を半分ばかり書きあげたあたり──を消化したあと、しばしの惰眠を貪り21世紀のいまに至っている(「しばし」じゃないでしょう、なんてツッコミは野暮だと気附いてほしい)。
 当時もいまもわたくしの興味は「作家」ラヴクラフトではなく、「人間」H.P.ラヴクラフトにあるから、件のエッセイ集も己の興味を満たしたことでだんだん意欲をなくしていったのだろう。あのまま情熱を持続させられたなら、いま頃同人誌であれ商業出版であれ、何冊かの著書は出せていたに相違ないのだが……。
 さて、先月の中葉頃か。電脳空間をサーフィンしていたら、ラヴクラフトの若かりし頃にスポットをあてた同人誌のあることを知った。途端、青春時代に罹患したウィルスが潜伏期間から目覚めたか、或いは単に懐古趣味が爆発したのか、矢も楯もたまらず注文手続きを済ませ、代金を支払い、入金確認メールと商品発送メールの受信を首を長くして待ち、そうして昨日(一昨日ですか)、病院へ行く日の午前中にそれは手許に届けられた。
 朱鷺田祐介『ラヴクラフト1918-1919 アマチュア・ジャーナリズムの時代』Ver.0.5である。
 本書は昨2018年発行の「ラヴクラフト1918 アマチュア・ジャーナリズムの時代」に1919年分を加筆したヴァージョンである由。加筆によってどの程度の情報が補われたのか、旧ヴァージョン未見のわたくしには報告することができない。
 アマチュア・ジャーナリズム時代こそラヴクラフトの創作活動の原点であり、要諦であることは、ラヴクラフティアンならば誰しも指摘できることであるが、ではその重要性となるとまとまった形ではっきり喧伝する者はこれまでなかった。稀に個人のブログや研究サイトと称するものにその時代のラヴクラフトを報告する記事は見掛けたが、どこまで信を置いてよいやらわからなかった。というのも、出典や典拠が非公開であったためだ。
 そこに来て巡りあった朱鷺田祐介のこの本である。ここにはわたくしの知りたかった、ラヴクラフトの「遅まきな青春時代」が簡潔に、要領よくまとめられている。たった1つの項目、たった1行の背後に、著者のこれまでの研究や思考がどれだけ積み重ねられていることか。時間(とそれなりの額となったはずの書籍購入費)をかけて博捜した資料は、きっと巻末の参考文献一覧に掲げられた本だけでは、けっしてあるまい。それらを読みこみ、分析し、まとめあげた手腕は見事としか言い様がない。こういう労著に接するとむかしわたくしが、かの小さなエッセイ集を出さなかったのはやはり正解だったかもしれないな、と嗟嘆してしまう。
 特にわたくしが唸らされたのは、ウィニフレッド・ヴァージニア・ジャクソン(筆名:エリザベス・バークリイ)との関係である。けっきょく恋愛関係にあったのか、2人の関係性がどのようにかれらの創作へ影響を及ぼしたのか等々。著者もこの点については更なる調査が必要、と仰っているが、ラヴクラフトが本当は女性に対して如何なる心情で接していたのか、など知りたくてならぬ身としては、是非にも決着を付けていただきたいと願う次第である。
 また、このご婦人絡みでいえば、いちばん注目すべき本書の言及は、彼女の夫にまつわる人種偏見の件りであるかもしれない。人間の思想は時代の風潮によって作りあげられる部分も多い。ラヴクラフトの人種偏見はまさしくこれであると思うのだが、それが身内や知己にまで及ぶとどうなるか──このあたりにきっと、ラヴクラフトがその後書きあげてゆくことになる神話作品の礎(の一つ)があるのだろう。
 また、S.T.ヨシ著『H・P・ラヴクラフト大事典』(森瀬繚/日本語版監修 エンターブレイン 2012年)で指摘されたラヴクラフトの州兵志願とその背景、UAPAとNAPAへのラヴクラフトの関わり方の詳述、老詩人ジョナサン・E・ホーグとの友情など、「成る程」と深く首肯させられるところ多く、ますます「人間・ラヴクラフト」への関心は強くなる一方である。
 気になるところといえば、一部文意が定かでない箇所があったり(他人のことはいえませんがね)、参考文献の出版社表記を欠いていたり、など他にもあるのだが、目くじら立てて指摘する類のものではない。
 著者には更なるヴァージョン・アップと1920年以後のラヴクラフト点描をお願いして、筆を擱く。◆

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第2711日目 〈Kazuou『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 「継続は力なり」を証明する同人誌に、立て続けで出会った。1冊はKazuou著『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』(2019,8発行)、もう1冊は朱鷺田祐介著『ラヴクラフト1918-1919 アマチュア・ジャーナリズムの時代』Ver.0.5(2019,8発行)である。今回は前者、『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』を読んだ感想を認める。手許に到着した順だ。意図はない。
 これまでも大雑把なアンソロジーガイドは存在した。もっとも、読書ガイドの一部として、名の知られた、このジャンルを俯瞰する上でけっして外せぬ数種類のアンソロジーが、紹介されるに留まるが精々だったけれど。が、マニアとはそこに書かれていない情報を求め、該当書入手のために手段を講じる人種である。
 書かれたほんのわずかの情報を頼りに細い糸をたぐってゆき、得られた別の情報と既知の情報を結び合わせ、猟奇的蒐集欲に突き動かされて雨にも負けず風にも負けず、自由時間を最大限有意義に使って古書店を東奔西走、足を棒にしていつの間にやら地理に強くなるという副産物を得ながら、探求書を1つ1つ買い集め、熟読玩味し、やがて芽生えた目標に向かって更なる蒐集と参考文献の渉猟にこれ努め、内奥の情熱に焼かれるが如く<私見>と<発見>を筆先に迸らせて、遂に他のマニアが驚喜すること請け合いの里程標的労作物を世に問うのである。
 Kazuou氏の本を封筒から取り出して一読したとき、わたくしはそんなマニアの、ここへ至るまでの地道な努力と読書に費やした膨大な時間、執筆のための根気と体力の持続に、兜を脱ぎたい気分にさせられた。収納するためのスペースの確保も大変だったであろう(むろん、すべて架蔵している場合の話だが)。著者はこれだけのアンソロジーを博捜し、データベース化し、私見を加えつつ1冊の労著を完成させたのだ。称賛するより他にない。
 ここに紹介されたアンソロジーが幾つあるのか、と数えてみたら、ちょうど200あった。但しこれは「海外怪奇幻想小説参考書ガイド」の項に載る29冊を含めた数である。純粋にアンソロジーとなると、『怪奇小説傑作集』に始まり『スペイン幻想小説傑作集』に終わるまで、171を数えられた。これは内容が紹介されているものに限っている。
 余談ながら、カウントする際シリーズと見做して構わぬと判断したものや原著の分冊などは1冊と、また元版からの再編も1冊として数えた場合がある。「あとがき」に言及されるクトゥルー神話アンソロジーは数えていない(なお、記念すべき200冊目が雑誌『幻想文学』誌であった)。
 200もしくは171という数字、これは言い換えれば、戦後しばらく経った頃から今日に至るまでの歴史の俯瞰である。怪奇幻想小説が迫害乃至は等閑視されていた日陰の身分から、善き理解者。巧みな紹介者、熱心な支持者に恵まれたことでだんだんと太陽の下を歩くようになっていった歴史を辿る旅である。
 著者の丁寧かつ愛情のこもった紹介によって、既読でありながら印象の薄い作品、むかし読んで心に残りながらいまはすっかりその題名さえ忘れていた作品、或いはアンソロジーについては改めて、書架を引っ繰り返して読み直してみようか、と思うている。たとえばアンソロジーについては菊地秀行監修『妖魔の宴』(73)とロッド・サーリング編『魔女・修道士・魔狼』(92)である。作品では、『ロシア神秘小説集 世界幻想文学大系34』に収録されているA.トルストイの「吸血鬼」他がそれだ。
 むろん、これだけの本であるから、も認められてしまう。「海外怪奇幻想小説参考書ガイド」にラヴクラフトの毀誉褒貶相半ばする、されど斯界のガイドとして未だ第一級というてよい『文学における超自然の恐怖』がないのはなぜか? 正直なところ、東雅夫『ホラー小説時評』を載せるスペースがあるなら、取り挙げるべきはラヴクラフトであったように思うのだが……。こちらこそ「参考書ガイド」の趣旨に相応しかったのではないか。
 そも、わたくしが怪奇幻想小説を読み始めた際、読書とその後の開拓についていちばん参考となったのは、国書刊行会版全集のこの評論だったのだ。思い入れ深いラヴクラフトの作物ということもあり、取り挙げられなかったのはちょっと残念であった。
 紀田順一郎の著書を取り挙げるにも、『幻想と怪奇の時代』のみでなく『幻想怪奇譚の世界』を欠いたのは、どうしてか。『幻想と怪奇の時代』同様、「このジャンルに関わる回想と批評を収録」(『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』P100)しているのだから、尚更と思う。
 また、本書を読んでいちばん残念であったのが、書誌の不備であった。出版社が明記されるのは当然として、初版の出版年月や各アンソロジーの詳細な目次を欠くのは、ガイドとして致命的といえる。出版年月については『怪奇幻想の文学』の場合、版毎に1巻1巻のそれが必要。
 とはいえ、このようなデータも1冊にまとめるのは無理だから、有料のPDFにまとめて配布するのが最善か。書誌や目録の作成は深みにはまると泥沼で、もはや戻ってこられぬ危険性を伴うけれど、必要最低限の情報で済ませるならば、注意力と忍耐力さえ備わっていれば、なんとかなるものである。経験を踏まえて、斯く忠言する。
 すこしく苦言めいた文言を綴ったが、本書が貴重なガイドである事実はまったく動かぬ。
 初めてこのジャンルへ分け入る人たちのために、アンソロジーは格好の水先案内人だ。が、『怪奇小説傑作集』のあとはどれを読めばいいか、と悩む向きは必ず出てくるはず。そんな途方に暮れた人のためにも、本書は貴重な1冊である、と申しあげたいのだ。迷われた方はここへ来るがよい、教えてあげよう学ばせてあげよう、というわけだ。
 情報伝達と部数と流通経路が限られてしまう「同人誌」という形態で埋もれてしまうのではなく、連城三紀彦のガイド本がそうであったように出版社にて増補版が出るようになるのが、いちばん良い。『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』は今後何度となく版を重ねて補訂を繰り返してゆき、記述もすこしずつ新たにしてヴァージョン・アップしてゆくべきだ、とは、いいたい放題身勝手な一読者の思いである。◆

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第2710日目 〈どうぞお待ちくだされ、わたくしは復活する。〉 [日々の思い・独り言]

 この数日、ふさぎこむことあり、なかなかパソコンへ向かえぬ日々であります。
 書きたいことは山程あるのに、意欲も筆力も追いつかない。否、追いつかぬどころか、満足に機能しない。わが身の上に覆い被さるこの憂いが去って、陽射しが覗けば力も戻って、またこれまでのようにお喋りも出来るのだろうけれど……。
 とはいえ、この状況がいつまで続くのかなんてことは、わからない。インプットがアウトプットに追いつかなくなっただけだ、加えて体力と気持ちが消耗したゆえの一時的な症例だ、と、そう思いたい。これまでも何度かあったものね。そも、今日まで10年近くブログを更新してきてこのような日のないことの方が、ちゃんちゃら可笑しい(そろそろ日本語が狂ってきているな)。
 為、読者諸兄よ。復活というか何度目かの本格的再起動の日が訪れるまで、のんびりまったり、暢気暮らしでお待ちいただければ、幸甚幸甚。
 それではしばらく皆様、ごきげんよう。◆

 追伸
 そういえば昨日、台風の片付けでアパートや自宅の掃除や庭木の手入れなどしたあと、『ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie;Over The Rainbow』を観たのですが、これの感想など認める日も、そう遠くないでしょう。渡辺月は思ったようなヒール役ではなかったし、沼津駅前のライヴ会場に恒例となったママライブが再現されたがそのなかに曜ちゃんのお母さんいたよね、っていう話を、そのときはしてみようかな、と思うております。
 ……あれ、いつもの調子に復活している? いや、まさかぁ……。□

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第2709日目 〈映画『フッテージ デス・スパイラル』を観ました。〉 [日々の思い・独り言]

 台風15号が首都圏直撃中の午前1時から3時過ぎまで、映画『フッテージ デス・スパイラル』(2015 米=英)を観ていたのですが、いやぁ、やっぱりどう考えても自然災害の方がホラーだよな、と認識を新たにしております。
 NHKが台風情報の逐次更新に勤しむなかスカパー!は絶讃停波中。嵐の音はシャッターを揺るがして安眠を妨げ、雨粒が窓を叩く音はすさまじく、いったいここは首都圏なのか戦場なのか、よくわかりません。加えて故郷の街は一部が停電、隣接することには避難勧告が出、わたくしはまるで世の終わりのようなそれらの音と、それが連想させる終末の光景を想像してどんどん目が冴え、隣でくーすか寝ている御仁を半分恨めしく思いながら起き出して、前述の如く映画を観ていたのであります。しかし、いやぁ、どう考えても自然災害の方がホラーですよね(以下無限スパイラル、というのは冗談として)。
 さて、おふざけはここまでにして、本題。
 『フッテージ デス・スパイラル』は以前前作についてお話しした如く、期待半分、失望半分の覚悟で視聴したのですが……やはりその覚悟が小気味よく裏切られることはなかった。2作目のセオリーを『フッテージ デス・スパイラル』も踏んでしまったようで。
 良いところもあった。むしろ、高評価を付けたい場面や作劇の連続であった。が、ふとした拍子に底の浅さを見せつけられて、緊張感や徐々に大きくなっていった恐怖も途端にコメディに陥る場面に転じてしまい。
 前作で副保安官であった人が、私立探偵(次章)として、件の連続殺人の調査を(オズワルドの遺志を継いで)続行している。呪いの連鎖を断つため、曰くある家々に火を付けて回っているのだ。空き家と紹介された関係ある家を訪れたたところ、そこには訳ありの母親と双子の兄弟が住んでいた。暴力亭主から逃げている家族だったのだ。元副保安官は殺人現場となった家の裏の教会を調査中、ブグールの影を感じ取る。一方、双子の弟は夜な夜な失踪した子供たちの悪霊に導かれて、殺人事件の瞬間を捉えた映画を、地下室の8㎜映写機で観させられている。悪霊と化した子供たちは自分の家族の殺人事件の映画を観させながら、別の計画を密かに進行させていた……。
 粗筋紹介については前作の感想文でも反省しているので、この下手さをご寛恕願いたいところである。
 今作で「ほお、成る程」と感心したのは、過去の事件で失踪(=ブグールに魅入られた)した、いまは悪霊同然の子供たちが、ターゲットの家族の、自分たちの陣営に引きずりこめそうな子供を選んで地下室に導き、「映画」鑑賞を強要する件りだ。殆ど洗脳というてよいやり方で、そうして優遇する者と虐げる者を明確に区別して接するところ、後半の役割の逆転が一際あざやかに映るのであります。
 どういうことかというと、さいしょ悪霊たちのターゲットは双子の弟だった。弱っちくておとなしくて、見るからに与しやすいと判断したからだろう。が、悪霊たちは流石、奸計を巡らすに上手であった。
 優遇する者と虐げる者を明確に区別、とはこういうことだ。反抗的な双子の兄を一度は「君は仲間ではない」と突っぱねて、兄弟間に不和を芽生えさせてから、──それがまるで通過儀礼であったかのように──弟を役目は終わったとして切り棄てて、兄を仲間に招き入れる。悪霊と化してブグールの下僕となった子供たちは、兄と一緒に地下室にて8㎜映写機で「映画」を鑑賞するのだ。
 こんな風に悪霊たる子供たちが積極的に後いて、新たなターゲットを引きずりこんでゆく、というのは、わたくしの目には新しく映った。そうしてその背景にはきちんと(?)、古代バビロニアの邪神ブグールが暗躍して、子供たちの行動がブグールの意に沿ったものであることを教えている。
 正直なところ、発言したいことは幾らでもあり、手放しで絶讃できるところは前作に比べて少ないけれど、それでもこの映画にはどうしようもないぐらい愛おしくてならぬ箇所も、ある。と同時に発言したいことのうちには否定的な内容も含まれるので自重した方がいいな、とも思うている。
 ひとまず感想はこのあたりで擱筆とします。後日、これを読み返し、映画も観直したあとでもう一度本稿を点検し、改稿したく考えております。批判等はそれまで、どうぞご勘弁の程を。◆

監督:キアラン・フォイ
脚本:スコット・デリクソン/C・ロバート・カーギル
製作総指揮:ブライアン・カヴァナー=ジョーンズ/チャールズ・レイトン/クーパー・サミュエルソン
撮影:エイミー・ヴィンセント
音楽:トムアンドアンディ
ーーー
副保安官:ジェームズ・ランソン
コートニー・コリンズ:シャニン・ソサモン
ディラン・コリンズ:ロバート・スローン
ザック・コリンズ:ダルタニアン・スローン
クリント・コリンズ:リー・ココ
ストムバーグ博士:タテ・エリントン
マイロ:ルーカス・ジェイド・ズーマン
テッド:ジェイデン・クライン
エマ:テイラー・ヘイリー
ピーター:カーデン・マーシャル・フリッツ
キャサリン(カレン):オリヴィア・レイニー(※ マイロからキャサリンまで、本文では「悪霊と化した子供たち」とした亡霊たち)
ブグール:ニック・キング□

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第2708日目 〈いつか宮沢賢治に好かれる日は来るのだろうか?〉 [日々の思い・独り言]

 何度と読むのを試みても、どうしても先へ進めない作家、というのが、あるでしょうか。わたくしは、あります。宮沢賢治がそれです。
 小学3年か4年の、夏休みの課題図書に『風の又三郎』(ポプラ社文庫)があったが、その夏わたくしはそれを選ばなかった。小学5年国語の教科書に「注文の多い料理店」が載っていた。学芸会とかその類の催しで、同級生何人かとこれを劇に仕立てて上演したところ、まぁそれなりに好評だったのだが以来、賢治との縁は途絶えた……1990年代中葉まで。
 刊行が始まった『【新】校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房)が図書館に納品されるや、さっそく借り出して読み耽った男が、高校時代の後輩にいた。「やまなし」や賢治の詩について一時、熱く語ることのあったかれに感化され、さて宮沢賢治ってどんな風な作家だったかな、と興味本位で新潮文庫を開いたみたのだが。
 開いてみたのだが、読書中はどうにも不可思議なイメージしか与えられず、読後はどうにも煙に巻かれたような曖昧模糊とした印象しか残らなかった。いちおう、文庫1冊は読み通したのだが、「賢治さん、ごめんなさない。わたくしにはあなたの良さが伝わりませんでした」と申し訳なく思いながら書架のいちばん片隅に押しこんだことである。
 それから今日までの間、世紀が変わり元号が変わり、身辺にも変化が生じた。アニメ映画『グスコーブドリの伝記』を仕事が半休だった日の帰りにふらり、と映画館で鑑賞し、同作の朗読をポッドキャストで発見してダウンロード、そればかり寝しなに流して結末に至ることなく眠りに就くのが、それから今日までのわたくしの宮沢賢治とのお付き合いである。
 そうして今年平成31/令和1年、或ることがきっかけで再び宮沢賢治を読む気になったのだ。
 とはいえ、いまのわたくしの心は太宰治に傾き、ゆるゆるばっちり、これの読書を進めている。新潮文庫で残り6冊。今年中には読み終わる予定だが、そのあとは長く棚上げ中のドストエフスキーをそろそろ片附けてしまおう、と覚悟を決めたばかり。
 どうあがいても本格的に宮沢賢治へ取り組むのは、来年夏以後となるのだが、幸いと賢治の作物は──内容の抽象性とか形而上的とかそんな点は抜きにして、単に分量の話だけをするなら──みな、短編である。むろん、中編と呼ぶべき作品もあるが、それとて数は少ない。
 わたくしはこういいたいのである、太宰読書の合間々々に賢治も1つ、2つは読めるよね、と。
 太宰治と宮沢賢治、心のありようが真逆な人間2人。太宰はね、どうにも不純ですよ。それでいて薄汚れた世界のなかに美しいもの、純粋なものを見附け出す。賢治は純粋なのだけれど、その目は理想の世界、人々の心根が改革された未だ観ることのできぬ世界へ向けられている。わたくしは賢治のよき愛好家でなければ、太宰のよき理解者でもない。けれども、わたくしにはこの2人が、互いに共感を抱かせつつもじつはまったく理解し合えぬ、相反する作家性の持ち主であるように、映ってならぬのであります。
 わたくしはきっと賢治に愛されていない。こちらから歩み寄ろうとすると、途端に離れていってしまう人。そういえばかつてモーツァルトがそうだった。モーツァルトの音楽に憧れてその懐に入るのを焦がれていた。良き導き手が現れたことで、「わたくしはモーツァルトに愛されていない」という気持ちは徐々に薄らいでゆき、いまとなってはその音楽の敬虔な信徒である。
 いつか宮沢賢治の文学に親炙し、大切に想うて鍾愛するに至る日が、いったい来るだろうか。「来たらいいよね」ぐらいにしか感じていない時点で、若干の諦めが心中に漂っているのは否定できない。小気味よく裏切られればいいのだけれど……嗚呼!
 いけない、駄弁を垂れ流してしまった。ではまた明日。◆

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第2707日目 〈太宰治『地図 初期作品集』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 「内的必然に促されて筆をとり始め、自己の可能性を模索していた時代で、一面においては遊び半分の呑気さが、さまざまな試みを許しています」
 ──昼間、『現代日本文學全集 別巻1 現代日本文學史』の「明治・第三章 明治末期・第六節 夏目漱石」(中村光夫筆)を読んでいたら、こんな文章に行きあたりました(P139)。
 初期の漱石作品が職業の余技に書かれたことを指摘しての一文ですが、これは多くの文学者に対して同人誌等で自由に筆を揮っていた時代を指していえることであります。特にいまわたくしの場合、この文章に行きあたっていっとう先に思い浮かべたのは、紛れもなく太宰治『地図 初期作品集』(新潮文庫)であったのは致し方ないところでありましょう。
 『地図』は太宰が津軽時代に校友会誌や同人誌に、本名或いは変名で書き散らした小説・戯曲を中心に、近年太宰作と認められた、またはなんらかの事情により新潮文庫の作品集からもれた作品を、曾根博義がセレクトして編んだ1冊。これを昨日(一昨日ですか)、09月04日夜に読了しました。
 読み始めた当初はずらり、習作が並ぶので或る程度の覚悟を決めていたのですけれど、いざ読み始めてみたら予想を裏切って、面白い作品ばかりが並んでいたのです。これはうれしい誤算でした。読んで良かった、と心底より思える文庫だったのであります。
 巻を閉じてまず去来したのは、これらはほんとうに無名時代の作品なのか、ということ。『地図』に収められた22編の習作から『晩年』所収作の執筆まで、平均して5年程度の隔たりしかない。それだけあれば……と考えるのは正しい。
 が、そのためには相当の克己精錬が必要だったはず。しかもこの間、太宰は生活に喘いで実家へ無心を繰り返し、その一方で共産主義運動に身を投じてみたり、或いは女性と情交して自殺未遂事件を起こし、なかなか忙しい身の上であったのです。そのかたわらで文学修行とは、いまさらではありますが、太宰治という稀有なる文学者の大きさを実感せざるを得ないのであります。
 いつものことではあるが読み進めながら、特に気に入った作品には二重丸、良かったと思うたものには丸、と符牒を付けてゆきました。習作から二重丸の付いたのは2編、丸が付いたのも2編でした。ついでにいえば三角とバツ、これは1編ずつでした。近年の発見作等6編のうち、二重丸は1編、丸を付けたのは2編であります。
 どれも初読直後の感慨に基づくゆえ、読み返してみれば印象の変わる作など出て来ましょうが、まずは現時点に於けるわがフェイヴァリットということでそれらの題名を挙げてみます。符牒の区別は、( )内に示したとおりです。「地図」(◎)、「針医の圭樹」(○)、「股をくぐる(×)、「彼等とそのいとしき母」(◎)、「此の夫婦」(△)、「鈴打」(○)、「断崖の錯覚」(◎)、「律子と貞子」(○)、「貨幣」(○)、となりました。
 上に挙げた作品群すべてに、文庫の余白やEvernoteに書き留めたメモがあるので清書しておきたいのだが、それは流石に長くなる一方なので止すとします。とはいえ、二重丸を付けた「断崖の錯覚」、丸を付けた「針医の圭樹」と「律子と貞子」については、本作品集に於ける鍾愛の作となることから、ちょっとそのメモを基に書いてみます。
 「針医の圭樹」(○)──
 圭樹はすこぶる傲岸不遜な針医である。多右エ門の世話で一人前の針医となった。その恩人が病に伏し、回復して間もなく圭樹は一緒に湯治へ赴く。ある晩、宿が燃えて逃げ出そうとするが、多右エ門の床にあるを思い出して助けに戻り、自分が命を落とす。●
 恩ある多右エ門に一日でも長く生きてほしい、と願う圭樹は心持ちは純粋だが、その一方で生活が殆ど多右エ門の世話で成り立っているので、この恩人に死なれては困るわけです。火事の晩、多右エ門を助けに戻ったのも、金づるに死なれては困る、という思いが強かったがゆえですが、それが新聞では逆に忠義の行動と受け取られる。
 圭樹の行動は浅ましいものですが、同時に哀しみを帯び、またけっして笑えぬ話であります。善行と世人に見られた行いも皆これすべて自分のためなのにね。こうした出来事は、社会人ならば多かれ少なかれ経験しているのでは。わが身に覚えある側には抉られるようなお話でしたよ。
 「断崖の錯覚」(◎)──
 大作家になるには殺人も止むなし。そう考える男が熱海へ遊びに出かけた。宿には、と或る新進作家の名前で逗留し、宿の者たちもかれを「先生、先生」と呼ぶ。そこの喫茶店で働く少女に入れこんだ男は一晩を一緒に明かしたあと、伊豆半島に連なる断崖から殆ど衝動的に少女を突き落とす。幸い目撃者はなく、断崖の高低差ゆえ唯一男の姿を目撃した木こりも、男の偽りの話に疑うことはなかった。それから5年経っても、男は捕まらない。かつて思うた如く、大作家になるための殺人を果たした。そんな男は未だ傑作の1つも書けず、日々少女の追想に耽っている。●
 これを読んだときは正直、腰を抜かすかと思うた。太宰治がこんなユーモラスでスムース・スポークンな犯罪小説を書いていたなんて、まったく知りませんでしたからね。本作はじつは習作に非ず、昭和9年に発表された小説で、このとき既に太宰は『晩年』を世に問う準備を進めていた。逆にいえば、「断崖の錯覚」が処女作品集に仲間入りしていた可能性だって、十二分にあったわけです。
 小心者が犯した犯罪が露見しない、目撃者の木こりが人の話を鵜呑みにしすぎる、という難点こそ抱えてありますが、それがいったいどうしたというのでしょう。太宰は推理小説を書こうとしていたのでは、当然ない(もっとも当時、推理小説てふ言葉はなかったそうですが)。鎌倉腰越での心中未遂事件──相手の女性は死亡──に依拠した論考もあるようですが、たしかにその影は落ちていましょうけれど、わたくしはむしろその時分、太宰が読み散らした種々の小説に刺激されて行った「さまざまな試み」の一つと事件が有機的に結びついて生まれた一作である、と考えます。
 「律子と貞子」(○)──
 呆れた話である。友なる若者が結婚の相談をしてきたのだ。しかもその相手は姉妹で、どちらを選ぶべきか、相談に乗ってください、というのだ。呆れた話である。友なる三浦君の話;姉妹は山梨下吉田町の旅館の娘なんです。そこはぼくの郷里でもあるんですがね。徴兵検査に極度の近視眼ゆえ丙種で不合格となったので、教師になるつもりで帰省したんです。そこで会ったんですよ、その姉妹と。姉の律子はおとなしくて、妹の貞子はうるさい。妹はぼくが丙種になったのをバカにして、いろいろまとわりついて散々である。数日してぼくはおいとましたわけですが、はて、ぼくはどちらと結婚すれば良いでしょうか;と三浦君の話は終わる。呆れた話だ。私に人の将来の幸不幸を任せられても困る。さて、と思うた私は新約聖書の一節をなにもいわずに、かれに「読め」とだけいうて渡した。三浦君から手紙が来た。ぼく、お姉さんと結婚することにしました。●
 結論からいうと「私」は言外に、妹を嫁にするのが良いんじゃね? というていた様子。三浦君に渡した新約聖書の一節とは、「ルカによる福音書」第10章に出る姉マルタと妹マリヤの姉妹の話。「主はお答えになった。『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。』」(ルカ10:41-42)
 でも、三浦君はわかったのか、わからなかったのか、「私」の意図とは逆に姉を選んだ。ゆえに「私」はぼやくのだ、「三浦君は、結婚の問題に於いても、やっぱり極度の近視眼なのではあるまいか」(P329)と。面白いですね。この投げやり感。
 いや、なににしても羨ましい話であります。姉妹2人に懸想して、どちらを嫁にしたら良いでしょうか、と呑気に悩めるとは。語り手たる「私」の呆れる様子が目に浮かびます。三浦君は、そもそもの始めから姉律子を妻に、生涯の伴侶に、と最初から思い定めていたのではないか。自分の決心を行動へ移すため、答えは自分と違って構わぬから誰かに背中を押してもらいたかっただけではあるまいか。踏ん切りを付けるためにね。こうしたこと、ありません?
 さりながら律子と貞子、平成を生き令和の時代を迎えたわれらには、どこか引っ掛かる名前でもあります。律子とは某女子校にある軽音楽部の部長兼ドラマーの名前を連想させますし、貞子に至ってはわたくしがなにを、誰を思い描いているか、いわずもがなでありましょう。呵々。それにしても「貞子」は「さだこ」と読むか、「ていこ」と読むか、刹那悩んじゃいますね。
 ……だんだん粗筋と感想が長引いたことに、他意も意図もなし。況んや企み事をや。ふふ。
 <第二次太宰治読書マラソン>を開始してこれが3冊目となりますが、この『地図 初期作品集』がいちばん面白かった。ヴァラエティに富んだ内容、と紋切り型の紹介で済むかわかりませんが、事実その通りなのだから仕方がない。
 冒頭に引いた、「一面においては遊び半分の呑気さが、さまざまな試みを許しています」てふ言葉を具現したかのような奔放な筆運び、その結果たる小説と戯曲の数々が、そんな感想を抱かせたのでありましょう。コンビニ弁当と思うて蓋を開けたら実際は松花堂弁当だった、読み終えてみればそんなオチまで喰らわせてくれたのであります。
 引き続き、途中で読み止したままな『晩年』収録の「道化の華」を読んでしまうつもりだったのですが、今回初期作品に触れたことで、『晩年』全体、或いは1編1編の読後感など変わるかもしれない。というわけで、明日明後日からゆっくり、『晩年』を読みます。◆

追記
どうして「だざい」を変換したら、「太宰」ではなく「堕罪」といちばん最初に変換される? 大丈夫かい、ATOK。残暑にやられちゃった?□

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第2706日目 〈映画『フッテージ』を観ました。〉 [日々の思い・独り言]

 久しぶりに直球勝負のホラー映画を観ました。『フッテージ』”Sinister”(2012 米)であります。
 スランプ気味の犯罪フィクション作家が以前殺人のあった家に家族で引っ越してくる。屋根裏で見附けた8㎜フィルムには、この家のみならずかつてアメリカ各地で起こった未解決の殺人事件の記録が収められている。どうやらそれは殺人の実行犯が撮影したものらしい。それを契機とするように徐々に作家の周囲で勃発する奇怪な現象。一連の殺人事件の裏には、古代バビロニアの邪神、ブグールことミスター・ブギーが関わっていることが判明する。プグールの邪気は子供がいちばん感染しやすいという。遂に被害は家族にまで及び、事ここに至ってようやく作家は曰く付きの家を離れて許の自宅へ戻るのだが……。
 というのが、映画の粗筋。あいかわらずこういう作業がへただな、わたくしは、気を取り直して、では、──
 本朝の怖い映画『リング』のヴィデオ・テープが放つ禍々しさに、かつてわれらは恐怖したのですが、『フッテージ』はそのさらに前の映写機械である8㎜フィルムが恐怖を運び、邪悪なものを主人公たちの身辺にはびこらせるツールとなった。ざらりとした質感の映像がもたらす緊迫感、フィルムに付いた傷が視聴者に与える不安感、映写中に機械から発せられる低いモーター音、いずれもヴィデオ・テープを凌駕しています。どうしてだろう、と考えると既に今日の、多くの人々にとって8㎜フィルムが博物館級の遺物で、<未知なる過去の機械>であるためではないでしょうか。
 主人公は自分の書斎で件の8㎜フィルムを観続ける。スクリーンに映る残虐な殺人の光景は、ほんのわずかな時間だけ映し出されるだけで、それ以上その描写を追いかけることがない。ここがキモで、一瞬のショッキング・シーンの方が殺人光景を延々と見せるよりもはるかに視聴者の脳裏に望もうと望むまいと永く刻みこまれて、或るときフイに、そのたった数秒しか映し出されたなかった恐怖を思い出して、体を震わせるわけです。『フッテージ』はこれをやってのけたのであります。
 そうして恐怖の本体である古代バビロニアの邪神、プグール。正直なところ、この説明が出たときは「ああ、昔ながらのオカルト映画であったか」としょんぼりしたのですが、豈図らんや。主人公と直接対峙するのではなく、あくまで間接的に、しかしとても効果的に殺人を繰り返し、主人公とその家族から安寧を奪い、容赦ない方法で最後の幕が閉じられる……。これはちかごろのホラー映画からはツブ程も感じられなかった演出の知性と抑制を、感じるのであります。
 映画のラストは当然、お伝えしません。ただ胸くその悪くなるラスト、しばらくトラウマになりそうなラスト、「そう来ましたか」と唸らされてしまうラスト、ホラー映画にはめずらしく納得のゆくラストであったことは、ここでちゃんとお伝えしておこうと思います。どこまでも追っ掛けてくる、って、最悪ですよ。わたくしには、全視聴者に悪夢を見させた『ミスト』と同等の結末でありましたね。
 キングつながりで名前を出してしまいますが、間もなく後編の上映が控えている『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』(2017 米)を「怖かった!」と叫んで絶讃している向きには、チトこの『フッテージ』の怖さは伝わらないかもしれない。あちらが場末の遊園地にある<こけおどし>のお化け屋敷だとすれば、こちらは逃げ道なし・あるのは絶望だけの人間屠殺場であります。
 力業で最後をうやむやにしてしまうホラー映画が跋扈する昨今(まぁ昔からですが)にはめずらしい、がっぷりと四つに組んで作られた、地味ながら2010年代最恐の映画と断言したい。オカルトを絡めたホラー映画は1960年代から名作とされる作品が幾つもありましたが、ここ十数年は観るべきものがまるでなかった。そんななか現れた『フッテージ』。それら過去の名作たちに肩を並べ得る作品、というて憚りません。
 さて、それでは録画しておいたものを、もう一度観てこようかな。それにしても続編『フッテージ デス・スパイラル』”Sinister2”(2015 米=英)を観るのはこわいな。でも唯一人、俳優陣では続投となる副保安官の活躍は要チェックやな(あ、プグール役も続投か)。◆

監督:スコット・デリクソン
脚本:スコット・デリクソン/C・ロバート・カーギル
製作総指揮:スコット・デリクソン/チャールズ・レイトン
撮影:クリストファー・ノア
音楽:クリストファー・ヤング
ーーー
エリソン・オズワルト:イーサン・ホーク(※1)
トレイシー・オズワルト:ジュリエット・ライランス
トレヴァー・オズワルト:マイケル・ホール・ダダリオ
アシュリー・オズワルト:クレア・フォーリー
保安官:フレッド・ダルトン・トンプソン
副保安官:ジェームズ・ランソン(※2)
ジョナス教授:ヴィンセント・ドノフリオ
ブグール/ミスター・ブギー:ニック・キング

※1:マイ・ベスト・シネマ『いまを生きる』”Dead Poets Society”(1989 米 主演はロビン・ウィリアムス!)で優秀すぎる兄を持ってしまった悩める気弱な転校生。トッド・アンダースンを演じた。いやぁ、なんだか隔世の感がありますよ。
※2:『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』(2019 米)で大人になったエディ・カプスプラグ役を演じる由。この人のエディは期待できるかも。□

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第2705日目 〈横浜市に避難勧告あり。豪雨降りやまず、雷も鳴りやむを知らない夜の一刻……。〉 [日々の思い・独り言]

 09月03日(火)、横浜市に避難勧告、出る──。
 病院と区役所のあと、馬車道にて聖書の原稿を書き、治太宰を読みして過ごすうち、夜になりけり。昼頃よりぽつりぽつり、時にゲリラ豪雨となりすぐ止み、を繰り返していたが、夜になり雨はいよよ本格的に、継続的に降り始め、雷を伴ひ、ジョイナスやモアーズ、ビブレの出入り口は様子見の人々でごった返す。
 雷は徐々に近附き、天空に雷光一閃、大気に恐鳴響き、そのたび傍らの女子高生怖し怖しと笑みつつ震へて、かつ都度人目憚ることなく装ひを翻し、ついでの如く雨滴をあたりへ飛ばしけり。余、これに「めっ」といひて諭す。
 豪雨降り止まず雷土鳴り止むも知らず、頭を振り振り屋内のスターバックスに待避して、太宰治を読んで雨雷の去るを待ちわび、するうち今朝早くからの行動が祟ったか、睡魔訪れてしばしうとうとして過ごす。やがて看板なりけり去れ去れの声、耳許にすなる。
 手取り導かれて呆と外階段降りてあれば突然、四囲より抑揚あるけたたましき音のす。かぼそき女声、あはれお菊さまの如くあたりへ広がり、いと恐ろし。女子高生と共に震へあがるも、すぐにその音、警報アラームとわかる。わが故郷に大雨警報・洪水警報の発令、横浜駅以南の危険地域にレベル4の避難勧告が出るゆゑその町名を一部なりとも教えるなり。
 西区:境之谷、西戸部町1丁目
 中区:石川町4丁目、打越、北方町2丁目、小港町1丁目、仲尾台、西竹之丸、根岸旭台、本郷町3丁目、本牧町1丁目、山手町、山元町3丁目、山元町5丁目
──その他、周辺各地域が非難勧告対象なり。
 共に横浜駅以北がため、慌てることなしと雖も、たとへば山手町はかつてのゲリラ豪雨で山肌崩れて被害ありき場所なり。またわれらそれぞれにかの地域に知る人多く、心細るばかりなり。
 幸いにして現時点にて大きな被害なし。港南台駅冠水、桜木町駅も周辺の土地はすり鉢状なりしゆえ一帯たちまち湖と化す云々。されど桜木町駅については恒例の現象なり。かつてみなとみらいに通ひし折、地下鉄使ふ同僚殊に水害に遭ひ、出勤時は多くが濡れそぼちて風邪引きさんの手前となれる。なほ他に様々被害報告、警戒促進の声、乱れ飛ぶ。
 二人して小降りのなかを歩けば横浜駅西口のロータリー、タクシー待ちの行列すさまぢく、高島屋入り口前まで列伸びる様子を見て、すなほに電車使ひてわれら帰りなむ。
 いま故郷の空おだやかなり。まさしく「雨霽れ月朦朧の夜」(『雨月物語』序)なり。空の星今宵は見ルを諦めるも、代はりに秋虫の涼やかなる声に慰みを求め、翌る朝まで床中にて過ごさむとす。
 いま知る、某アニメの聖地となり果てし第二の故郷に大雨警報の出づるを。続報に拠れば静岡県内に記録的短時間大雨となり、駿河湾荒れて浪高しとぞ。愛鷹連峰、沼津アルプス、伊豆山麓の地盤ゆるみ警戒せよとぞ。人ヨ、自分ノ所ハ大丈夫トユメ思フナカレ。
 ──いや、久々に擬古文めいた文章を書きました。文法の誤り等は改めて辞書を引き引き、典拠の古典を繙き、正してゆくと致します。今宵は、もう寝るのである。現在は2019年09月03日の22時45分。風邪を引かぬよう、褥に臥して睦事など想いましょう。◆

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第2704日目 〈「秘めたる文学、妖しい文学、危険な文学」を求めて……好色文学の場合。〉 [日々の思い・独り言]

 秘めたる文学、妖しい文学、危険な文学。それに惹かれて探書して、後ろめたさを覚えつつ読み耽った、そのそもそもの始まりはいつだったか、と考えてみる。友どちと年に1度のマクドナルドで話しこんでいたときの話題を引きずっている。
幻想文学をいうているのではない。いみじくも斯界の識者により好色文学と名附けられた、その分野の小説詩歌の類のことだ。
 男の子ですから当然、そちらへの興味は一丁前にありました。が、当時はむしろ婚約者を病気で亡くしたそのショックから立ち直るのに精一杯で、とてもではないけれど、好色文学へ手を出す気分にはなれなかった。逆にこれで手を出して愉しんでいられたら、わたくしの趣味嗜好はいまとはもっと別のところにあったよね。
 学生時代は殆ど講義に出ないで神保町の古本屋街をほっつき歩いて過ごした。幻想文学の絶版本や雑誌を漁っていた一方、当時既に心酔して私淑し、お手紙のやり取りまでしていた生田耕作先生の著書をガイド代わりに、超現実主義の作家たちの翻訳を探し、奢灞都館の本を探し、近世漢詩人の版本をわくわくしながら目繰り、そうして目を皿のようにして好色文学を探し求めた(思い出したこと:或る古書店にて生田先生の著書を買おうとレジへ持っていったら、すっごく不機嫌な顔をされて会計を済ませたことがあった[※])。
 バタイユやマンディアルグ、サドやマゾッホはきちんと流通していたから良いのだが、生田先生が著書で取り挙げるなかで、いちばん当時入手難だったのは(あくまで「自分の行動範囲内プラスαのエリアで、見掛けることがなかった」という意味で)、レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ『ムシュー・ニコラ』であった。
 余談:生田先生の著書に教えられた秘めたる文学、妖しい文学、危険な文学はいろいろある。なかでも、先生の翻訳でいちばん読みたかったのが、「いちばんむごたらしいさわり場面を克明に紹介した葉書」を「苦虫を嚙み潰したような不興面を想像してほくそ笑みながら」恩師生島遼一に送りつけた、と或る意味先生の面目躍如というエピソードを添えて紹介されたオクターヴ・ミルボー『処刑の庭』”Le Jardin des supplices”。国書刊行会から『責苦の庭』という題で翻訳が出ていたけれど、読んでいて生温い文章で、「どこが残酷描写なのですか?」と小首を傾げたくなる代物であった。期待値が高かったのか?
 話は戻って、──
 『ムシュー・ニコラ』は作者の履物フェチが炸裂した告白小説、という触れこみで自分のなかに刷りこまれたものだから、興味が先走って現物を入手する前に図書館にこもって読み耽りました。どういうわけか、それからしばらくその図書館、『ムシュー・ニコラ』を借覧禁止にしていましたが……。これを自分用に手に入れたのは、先生が故人となられた年の師走。その年末年始はレチフとマゾッホを読んで過ごしたこと、年賀状のファイルで確認が出来ます。
 まぁそういう年頃だったのでしょうね、20代初めの数年間にあれだけ熱心に好色文学に耽ったのは。隠れて読む後ろ暗い愉しみも、あの頃は持ち合わせていた。
 でも、それが徐々に後退していったのは認め難くも厳然たる事実だ。始まりが突然なら終わりも突然。或るときを境に憑きが落ちたようにさしたる関心を持たなくなったのは、たぶん、自分の興味がはっきり日本の古典文学に向いたから。大学院へ進学して研究者となり、その一方で教壇に立って学生を指導し……そんな未来図を、これまで抱いたどの夢よりも具体的に描くようになると、己の関心や興味の第一位から好色文学が転落し、幻想文学とミステリ小説が趣味の読書になるのは、そうね、当然の帰結だったかも。
 転落イコール処分に非ず。自宅建て替えの際、倉庫にとりあえず放りこんだダンボール箱のなかから連衆の表紙を見出したときは、往古に跋扈して調伏したと思うていた怨霊が現前に現れたような、そんな絶望と、と同時に禁じられた闇の愉悦があふれそうになりましたね。
 既に名前を挙げた作家の秘めたる文学、妖しい文学、危険な小説たちは勿論、ポーリーヌ・レアージュにバルベー・ドールヴィリー、ジュリアン・グラック、ルイ・アラゴン、ビアズリー、黒沢翁麿に平賀源内、伝荷風、伝龍之介、モダン・エロティック・ライブラリー、生田耕作コレクション、林美一の江戸艶本研究書と復刻本、岡田甫『川柳末摘花詳釈』『同 拾遺篇』、『秘籍江戸文学選』全巻、恥ずかしいので小声でいえばフランス書院の文庫もちょっぴり……と、よくもまぁ1箱に押しこんであったな、と感心するぐらいの本が、「お久しぶり!」とばかりに出てきたのだ。
 先日、アポリネール『一万一千本の鞭』(ロマン文庫版)を古本屋の棚の隅っこで見附けて買ったことも契機となって──、ずいぶん久しく失っていた好色文学への関心がよみがえりつつあるのを感じる。
 ただ、流石むかしのように血気盛んではないから、今度の関心とは好色文学史の構想となるわけだけれども……。でも、これだけで歴史が書けようはずは、ない。まだまだ資料を博捜する必要がある。でもそれだけの時間と体力、維持される情熱と根気が、いまのわたくしにあるだろうか。やはり愉しむにのみ越したことはない……?◆

※もとより覚悟のこと。その古書店は生田先生をどうしたわけか毛嫌いして、その著書は扱いません、扱ったとしても適正価格で処分します、と公言して憚ることがありませんでした。おかげで、ほかでは10,000円前後していた『るさんちまん』を1,200円という破格値で買えたのだから、文句なしですが。
 まぁ、なにがあったか存じませんが、特定著者の著作の取り扱い方には古書店の見識がうかがえることであります。□

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第2703日目 〈YouTubeで懐かしの洋楽を聴こう! Huey Lewis & The News "It Hit Me Like A Hammer" 〉 [日々の思い・独り言]

 いったい何年振りなのでしょう、このタイトルのエッセイは? いったいどれぐらいぶりなのでしょう、音楽のエッセイを書くのは? それぐらいお久しぶりな今回は、聴覚を失う前にこのグループについては少しでも多く書き残しておきたい、と願う唯一の洋楽バンド、Huey Lewis & The Newsであります。
 「誰だ、それは?」としらけた顔をする世代も、もうあるでしょうね。1980年代には圧倒的人気を誇ったアメリカのバンドだった。映画『Back to the Future』の主題歌、「The Power of Love」を歌ったオジサンたち、という方がずっと通りは良いよね、うん。
 この「YouTubeで懐かしの洋楽を聴こう!」には「1980年代の洋楽にリリースされた洋楽に限る」という括りがあるのですが(あったんですよ?)、今回はイレギュラー・ケースとして1991年のかれらのアルバム『Hard At Play』からシングルB面としてカットされた曲、「It Hit Me Like A Hammer」を取り挙げます。爽快感極まりない、そうしてわたくしをバドワイザー・ユーザーにさせた「Couple Days Off」と迷ったのですが、いまはまったりしたい気分なので……。
 YouTubeに公開されている「It Hit Me Like A Hammer」はオフィシャルMVである(https://www.youtube.com/watch?v=AtxX1MFXkeg)。
 このMVを初めて観たのは、いつだったかしら。高校を卒業したあとは同じような嗜好を持つ洋楽好きと出会うこと叶わず、わたくしも音楽ではクラシック音楽とジャズへシフトしてゆくところだったから、記憶を補強する材料がまるでないのだ。ただ、YouTubeで視聴したときに覚えた新鮮な喜びから推察するに、当時は殆どテレヴィで観たことはなかったのではないか。あまり熱心に洋楽番組を追いかけることも少なくなっていたからなぁ。
 これまでたくさんのHLNのMVを観てきましたが、わたくしがいちばん好きなのは、この「It Hit Me Like A Hammer」です。これまでのMVと較べてさしたる目新しさはない、でも明らかに80年代の映像と較べて完成度は高い。「It Hit Me Like A Hammer」は勿論、「He don't Know」然り、「Couple Days Off」然り。『Hard At Play』の頃がHuey Lewis & The NewsのMVはいちばん見応えがある。何度でも繰り返し視聴したくなる、そんな映像作りがされているのだ。むろん、楽曲それ自体に高いクオリティが備わっていなければ、映像も素晴らしいものになるはずはないのだけれど。
 それにね、このMV、メンバーの見せ方がとにかく格好良いのだ。メンバーの演奏する様はみなダンディでアダルト、コーラス風景も含めてシルエットを多用して、うーん、とっても痺れてしまうのだ。タイトルに因んで登場する女性たちも、んんん、美人なんだ。特に敬礼ポーズを見せてくれるアメリカの帽子をかぶった女性は、或る意味でこのMVの内容を象徴する存在のようにさえ映ります。
 「It Hit Me Like A Hammer」は世紀の変わり目前後に相次いで脱退したオリジナル・メンバーの揃う、最後の時代の貴重なMVでもある。そうして現在、ヴォーカルのヒューイ・ルイスはメニエール病(と伝えられる)により活動停止の状態だ。いまの世界にこそ、かれらの健康でストレートなロックが聴きたい。テクノロジーに寄りかかるところのない、豪快無比なアメリカン・ロックが復活すべきは、世界が黒い影に包まれようとしているこの時代なのではないかな。新しい歌手も聴きたいけれど、やっぱりHuey Lewis & The Newsの音楽がいまはいちばん聴きたいよ。◆

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第2702日目 〈NHK-FM「ダミーヘッドによる恐怖の館」から『幽霊島 平井呈一怪談翻訳集成』へ。〉 [日々の思い・独り言]

 いまは当たり前のような録音機材の1つであるダミーヘッドですが、これで録音されたドラマを初めて聴いたときは、本当に身震いする程の臨場感に驚かされました。むろん、現在のダミーヘッドは当時よりずっと高性能で、拾える音域もずいぶん広くなっていると思うのですが、それだけに今度はシナリオの完成度や声優の力量というものが問われてくるわけですが、このあたりも時代と共にレヴェル・アップしているものと信じたいですね。そう、劣化ではなく。
 ちょっと先走りましたが、わたくしが初めてダミーヘッドを使って録音されたものを聴いたのは、1990年のことでした。NHK-FMが夏場に放送した、日本と海外のホラー短編を脚色して、実力ありきで選ばれた声優たちが熱演した、「ダミーヘッドによる恐怖の館」であります。
 たしかそれよりも前に日本の古典怪談、現代日本のホラー短編が放送されたと思うのですが、こちらはあまり記憶がない。『雨月物語』の「青頭巾」、これはよく覚えています。あとは幸田露伴の「幻談」。こちらは聴いたときの感想などでなく、放送を聴いた翌日や翌々日ぐらいに神保町の三省堂で岩波文庫を買って読んだことの方を、よりあざやかに覚えています。
 海外編の話をするつもりが、横道に逸れてしまいました。
 カセットテープに録音したものを引っ張り出して確認したところ、ポリドリの「吸血鬼」、リチャード・バーハムの「ライデンの一室」、F・G・ローリングの「サラの墓」、アンブローズ・ビアースの「死闘」、レ=ファニュの「カーミラ」の全5話が1990年08月13日(月)から17日(金)まで放送されていたようです(NHKに問い合わせたところ、カセットレーベルに記入したデーターと一致していたので、ちょっと安堵しつつ自信を持ってここに書くことができます)。まさかお盆時期に、海外ホラー短編のドラマを聴けるとは……! と驚喜したような純粋さは、いまのわたくしには残念ながらありません。
 これらのなかでいちばん印象に残ったのは、リチャード・バーハム(Richard Barham)の作品でした。この作品が総合的な観点から見ていちばん、ドラマとしての出来が良かった。
 そのためか、さきほどの露伴ではありませんが、聴き終えたあと、どうしても原作を読んでみたい、という衝動に駆られました。が、お盆が明けるのを待って神保町の古書店街をほっつき歩いたけれど、これを収めた『怪奇幻想の文学Ⅱ 暗黒の祭祀』(新人物往来社 1970)を見附けることは出来なかった。けっきょく同じ日、たまたま下車した川崎の古書店にて全巻揃いを安価で入手できたのですが、真っ先に読んだのはこの「ライデンの一室」だったのですね。この「ライデンの一室」については後に記す理由により、後日改めて感想を書いてみます。
 昨2018年12月末。藤原編集室のTwitterで、平井呈一の入手困難な翻訳を集めた1冊が創元推理文庫から出ることを知りました。その日の訪れを首を長くして、或いは一日専従の思いで待った。そうしてようやく一昨日(そう、飲んだくれた日ですね)になって『文豪たちの怪談ライブ』(東雅夫編 ちくま文庫)と一緒に『幽霊島 平井呈一怪談翻訳集成』を購入、昨日拾い読みしていたところであります。当然、ここには件の「ライデンの一室」も収録されています。
 ただ、『怪奇幻想の文学Ⅱ』では作者名が「バーハム」となっていたのが「バーラム」と、今日風に訂正されております。一昔前までイギリス中部の町、「レスター」(Leicester)──ロンドン市中にもスペルの同じ公園があります──が「ライセスター」とか表記されていたのが原音表記に近附いたのと同じでしょうか。とは申せ、プロ・ゴルファーのベン・バーハム(Benn Barham)は同じスペルなのに「バーラム」ではない。なにがどうなっているのやら。
 『幽霊島』には前述の「ダミーヘッドによる恐怖の館」で放送されたうち、ビアースを除く4編がすべて収録されている。これだけでわたくしにはうれしい内容なのですが、かつて『幻想文学』誌にて図版で閲覧し得た同人誌「THE HORROR」掲載のエッセイが読めるのがうれしい。雑誌に載ったのは冒頭の数行だけだから、続きが読みたくて仕方なかったんだ。それがようやく……! 『真夜中の檻』もそうだったけれど、創元推理文庫の平井呈一集のいちばんのウリは、付録として掲載されるエッセイの類である。すくなくとも、わたくしにとって価値あるのはこちらであります。
 まだ摘まみ読みの段階だけれど、秋のうちには太宰治をすべて読み終えて、夜長の虫の音をBGMに本書をゆっくり読み耽ろう。そうしてチト早いが恐怖に肌をチリチリさせながら、翻訳の奥の院級のみごとな日本語の文章を、海彼の作家が作りあげた恐怖の物語ともども、存分に堪能しよう。それまで待っててね。
 なお本書に生田耕作との「対談・恐怖小説夜話」を載せる。こちらは生田先生の『黒い文学館』(白水社/1981.9 中公文庫/2002.1)と『生田耕作評論集成』第3巻「異端の群像」(奢灞都館 1993.8)に収録されていたが、いずれも絶版。為、今日この名伯楽同士による丁々発止の名対談を復活させてくれたことに感謝したい。◆

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第2701日目 〈本は本屋さんで買おう。〉 [日々の思い・独り言]

 しばらく外出を控えていたので先日、病院帰りに本屋さんへ寄ったときは楽しかったですね。新刊情報は把握していながらも店頭で現物を手に取れないことは、わたくしにはひとえにストレス以外の何物でもない。ずいぶんとたくさん買ってしまいましたよ。滞在時間……そうね、3時間半ぐらい?
 やはりね、本は本屋さんで表紙/背表紙を眺め、厚さを視覚で確認し、ページをぱらぱらめくったとき指先に伝わる感覚を味わい、本文レイアウトを眺めてどれだけの情報量がつまっているかを把握し、冒頭や解説など立ち読みして自分のなかの期待値を高めた末にレジへ運ぶのが最良だと思うのですよ。
 Amazonやほかのネット書店で購入するよりも本屋へ実際に足を運んだ方が、どれだけの情報が自分のなかに蓄積されることか。加えてそこには「偶線の出会い」があり、「ふとした拍子に自分の視野を広げるきっかけになる本」との出会いがある。かならず。ああ、その恩恵といったら! これは新刊書店・古書店の別なくいえることだ。
 この前の木曜日、飲んだくれる前に立ち寄った本屋さんで、ずいぶんと散財してしまった。新刊書店4割、古書店6割、というのがだいたいの購入配分。新刊書店では購入予定リストに載る本を買うだけで我慢したのだが、古書店ではさすがにそうは問屋が卸さなかった。
 購入本の内訳を曝すことはさすがに控えたいが、どの古書店に行っても近代文学に関する本が自ずと目に付き、加えてそれらがみな、自分の関心や研究に関わりある記述を持つ、或いはテーマの本ばかりであったので、ちょこちょこ買っていたらずいぶんと荷物が重くなり、比例するように財布も軽くなっていた。金融機関のATMへ足を向けなかったが唯一の幸い事だろう。
 それらはけっしてネットで購入することもあるまい書目ばかりであった。先にその本について情報を仕入れ、どのような内容なのか、など具体的にわかっているところあれば万難を排しても購入していたろう。が、果たしてそのような幸運にどれだけ巡り会えるか。可能性は、あまり高くない。むろん、実店舗にてそのような本を発見することの可能性の方がもっと低いのだが、そこには一期一会が働く余地がある。
 かつてDE CAMPの”LOVECRAFT”や小川国夫の単行本を購入したと同じように、殊古本屋ではなにかに「呼ばれて」その前に立ち、自然と手を伸ばして開き、自分の探し求めていた本であることを確認、喜び勇んでレジへそれを持ってゆく、という、一期一会が働いたがゆえに生まれる儀式めいた過程がある。本の入手は或る程度まで受動的なところがあって良い。
 このたびわたくしが買い求めた本──新刊書店と古書店にて買い求めた本を開いていたところ、一種の化学反応が生じて幸福な出会いが演出された。漫然と、なんの目的もなく読み耽っていたら、ぴん、と来たんだね。
 それぞれは極めて断片的で、短い記述なのだけれど、それらが自分のなかで混ざり合い、輪郭は模糊としていながらも一つの形が見えたのである。これを文章という形にするにはもっと醸造させる必要があるけれど、そうしてほかの文献等で補強する必要があるけれど、これはつまり同じ日に、自分の価値基準で判断して購入した本だったからこその有機的結合であり、化学反応だったのだろう。
 やはりね、本は本屋さんで買うのがいちばんですよ。◆

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第2700日目 〈恩師みまかり給ふ──追悼、岩松研吉郎先生。〉 [日々の思い・独り言]

 いや、定刻の更新が出来ずで申し訳ありませんでした。ちょうどその時刻はタクシーで帰宅中、とてもではないがブログの更新など出来る状況ではなかった。これもすべて、わたくしの意志の弱さ、飲んだくれの所業と思うてご寛恕願いたく候……。
 そうして今朝のこと。寝ぼけ眼で朝刊を読んでいたら社会面の片隅に視線が向いた。ヤオハンの元会長の訃報に、子供の頃家から何キロか離れたヤオハンに買い物に行った記憶とかよみがえり、ふむふむ、と懐旧に浸りながら隣の死亡欄へ目を移し、息が止まるような思いを味わった。
 そうか、岩松研吉郎先生もお亡くなりになられたのか……。
 ここ数年、年賀状のやり取りが続いていたのだが、今年に限って先生からの返書がないのが気掛かりだった。例年、こちらから出して松があける前後にお返事がある、というパターンだったものだから、ちょっと嫌な予感はしていたのだ、正直なところ。そこへ来て、今朝の新聞掲載の訃報記事である。
 先生との直接の交流は殆ど1990年代に限られる。その謦咳に初めて接したのは中世文学の講義であった。どうしたわけかその日だけ大教室での講義だったのだが、たしか『義経記』の講義であったろう。それがただの講義ではなかった。いや、或る意味では普通の講義だったのだが、先生の記憶力の凄まじさに学生は開いた口が塞がらなかったのだ。即ち、テキストとした日本古典文学全集版(旧版である、勿論)でいえば、4ページ程をすらすらと、途中なにかを見ることもなく淀みなく、さも当たり前のように朗読せられたのだった。そこから逸脱して、人形浄瑠璃の『鬼一法眼三略巻』からも幾つかの場面を朗読された、と記憶する。
 いまなら差し詰め「あの先生、ヤバい」ですべてを言い尽くしたような気にさせられるところだが、その光景へ直に接した側からすれば、そんな正体不明の単語で片付けられるものではない。ほかの学生はいざ知らず、わたくしの目にはまるで何物かが憑依したかに映ったのだ。そうして、まだ開講ならぬこの先生のゼミでは、いったいどのような学問をすることになるのか、と戦々恐々しつつ胸が高まるのを禁じ得なかった(そのゼミ、蓋を開けてみれば女子12名、男子1名という構成で、わたくしのみならず先生も想定しなかった状況が待ち構えていたのだが)。
 先生との距離が幾らかでも縮まったのは、御茶ノ水の学校を卒業して、誘われて三田を新たな学び舎として以後のことだ。『平家物語』の輪読会に参加したり、数度ながら和歌史について個人的なレクチャーを受け、また三田の生協で働くようになってからは仕事で研究棟に出入りすることも多々あり、そうして数日前にお披露目した加藤守雄研究を志してからは資料提供や示唆、或いは思い出話をうかがったり、加藤氏と面識あって現在も存命中の方々、國學院大學の折口博士記念古代研究所をご紹介いただいたり、と受けた恩はこうして書いても書き尽くせぬ程だ。
 もっとも、ではどれだけ恩師へ自分の研究成果を発表することが出来たか、といえば、これまた非常に心苦しい結果になり果てているのだが……。
 考えてみればここ数ヶ月(実際は数週間くらいか)、途端に折口信夫や折口学について考え、池田彌三郎の著作を繙き(先生は池田の愛弟子であられた)、加藤守雄氏のことなど書くようになったのは、岩松先生にそれらを提出し、改めて在野の研究者として活動再開する旨宣言するための、一種のデモンストレーションであったかもしれない。
 なんだかいまは宙ぶらりんになった気分だ。思い出ばかりが押し寄せて、2年続けて恩師と呼ぶべき人を亡くした悲しみが押し寄せてくる。
 これまで御茶ノ水と三田、それぞれで教わった師と呼ぶべき方のうち、既に4人が鬼籍に入った。岩松先生も含めて故人となられた恩師について、その思い出話など改めて筆を執ろう。◆

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第2699日目 〈聖櫃(アーク)が歴史から消えるまで。〉 [日々の思い・独り言]

 アカシア材で作られた契約の箱(※1)には、モーセがシナイで受け取った十戒の石版のほか、アロンの杖とマナを収めた黄金の壺が納められていた(※2)。
 契約の箱はカトリックでは「聖櫃」とも呼ばれる。また、正教会もしくは東方正教会では「約櫃」と呼ばれる。聖書本文に於いても「掟の箱」など呼び方は様々だ。が、本稿では新共同訳聖書に倣い、「契約の箱」で統一する。但し一箇所だけ、文脈上「神の箱」と聖書表現に従った箇所があることをお断りしておく。
 契約の箱はカナンをめざすイスラエル就中レビ人によって担がれて、荒れ野を北上。エフライムの嗣業地のなかの町、シロに設けられた臨在の幕屋へ安置された。
 「サムエル記 上」第4章にて描かれる対ペリシテ戦で劣勢となったイスラエル軍は、シロに人を遣わして契約の箱を戦場へ持ってきてくれるよう言伝る。「そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう。」(サム上4:3)
 それは裏目に出た。ペリシテ軍はイスラエル軍を呑み、神の箱を奪った。その報せに祭司エリはショック死し、臨月の嫁は男児を産み落としてそのまま絶命した。彼女の今際の際の言葉、「栄光はイスラエルを去った。神の箱は奪われた。」(サム上4:22)
 が、イスラエルの神もおとなしくしていたわけではない。そんなことがあってたまるものか。神はペリシテ人に災いをもたらした。その挙げ句、ペリシテ人は契約の箱を、あまりの恐ろしさにとても手許には置いておけない、とばかりイスラエルへ返却したのである。その後はアビナタブの家に一時保管されていた。
 それから幾年。統一王国の3代目、ソロモン王の御代に(第一)神殿が落成した。そこの至聖所に契約の箱は安置される。臨在の幕屋という永き仮住まいから新築なった自宅へ移ったのだ。なおソロモン王の当時、契約の箱には十戒を刻んだ石版しか納められていなかった、という(※3)。
 斯くして契約の箱は在るべき場所に納められ、訪れた安らいはそれからしばらく破られることがなかった。そうしてさらに歳月は流れる──南王国ユダの王位にヨシヤ王が坐す時代まで、一気に。
 神の教えに従ってことごとく悪に染まった歴代の王のあと、ヨシヤ王は果敢に宗教改革を断行した。「申命記」の発見と民の前での朗読、神殿男娼の追放と異教崇拝の一層、過越祭の祝い、などが改革の成果だ。このことは「列王記 下」第22章から第23章第1節に記されるが、契約の箱は並行箇所となる「歴代誌 下」で触れられる。「(王曰く、)ソロモンが建てた神殿に、聖なる箱を納めよ。あなたたちはもはやそれを担う必要がない。」(代下35:3)
 ここを最後に聖書から、契約の箱の記述は途絶える(比喩表現は別だ)。ネブカドネツァル2世率いる新バビロニア帝国軍によって神殿が汚され、荒らされ、壊され、略奪された際、ほかの祭具と一緒に接収されてしまったのかもしれない。が、もしそうだったなら、なにかしらの記述がされているだろう。第二神殿の建設を報告する「エズラ記」についても然りだ。
 契約の箱は前586年から2019年の今日まで行方不明である。
 ──1981年アメリカ。記念すべき<インディ・ジョーンズ>シリーズ第1作、『レイダース 失われた聖櫃(アーク)』が公開された。
 映画の前半でインディとブロディがアメリカ陸軍諜報部に聖櫃講義を行う場面がある。曰く、「歴史では前980年、エジプト軍がエルサレムを攻めた際、聖櫃を奪って帰還した。タニスの町の<霊魂の井戸>に聖櫃を隠したがその1年後、町は砂嵐によって砂漠に埋もれて地上から消えた」云々。
 勿論、聖書にそんな記述はない。古代オリエント史やエジプト史を検めても、結果は同じ。映画のための創作というてよい。とはいえ、前980年とは絶妙な時代設定をしたものだと思う。
 映画の制作が進んでいた1980年から2000年を引いて出した年代であろうけれど、ちょうどこの時期はイスラエルはダビデ王制が折り返し点を過ぎた頃である。そうしてエジプトでは第21王朝が成立してペル・ラムセスからタニス(!)へ移った時代である。改めてローレンス・カスダンの脚本は上手いな、と思わせられるのであります。
 というわけで、契約の箱は2,400年以上も行方知れずのままである。考古学者や聖書学者にとっては聖杯と並んで、発掘を心待ちにしている聖書の遺産であろう。
 でも、聖櫃は本当にわれらの前に出現してよい遺物なのだろうか。聖書や伝承、物語が伝える<力>がもし本当だったら、……ぶるぶる。◆

※1 出25:10-22
※2 石版;出40:20、マナ;出16:33-34、杖;民17:25、全体報告;ヘブ9:4
※3 王上8:6,8:9□

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第2698日目 〈太宰治は、朗読するにいちばんぴったりな作家だ。〉 [日々の思い・独り言]

 カバンのなかに仕舞いっぱなしになっていた太宰の文庫、『地図』。電車にゆられて帰る途中、ふとあることを思い出して読んでいたら乗り過ごし、おかげで次の駅でなかなか来ない普通電車を待つ羽目になりました。おまけに雨がとんでもなく強い勢いで降ってくるし、もうイヤんなっちゃいます。これもすべて、太宰が面白すぎるのがいけないのです。
 それはさておき、今日は短く済ませる、と決めているのでこんな寄り道はしていられない。進め、進め、前進だ。go with it, go with it, don’t jam in.
 うっかり乗り過ごした原因は、太宰の文章が持つリズムだ。その文章を読んでいると自然、口のなかで誰彼の調子で朗読している。それはたいてい、海外ドラマを吹き替える名優の調子であったり、落語の名人たちの口調であったり、とまぁ下手に口内朗読しているわけですが、そんなことをしていて改めて気附かされるのは、ああやっぱり太宰の作品は朗読してみるに限る、てふいまさらながらの実感。
 県立図書館にいろいろな作家の作品を朗読したCDがあるのですが、そのなかでも太宰治は一際目立つ存在。何社かの朗読CDが蔵されているけれど、重複する作家の率は太宰がいちばん高く、書庫にあるカセットテープ(もしかするとLPも?)まで含めればその数はもっと膨れあがることだろう。そうして<朗読で聞く太宰治>という何枚組だかのセットも所蔵されている。
 こんなこともある。毎晩の睡眠導入剤代わりに、近代作家の朗読を聴く。iPodに入れた、ポッドキャストであれオーディオブックであれ、借りてきたCDを取りこんだものだったり、とソースは様々だが、うちヘビー・ローテーションするものが幾つかある。そのトップ・スリーに太宰治は名を連ねる。そうね、再生回数としては第3位ぐらいかな。
 が、作家としてカウントすればぶっちぎりのトップである。現時点でiPodに入る太宰作品は『走れメロス』と『駈け込み訴え』、『満願』と『桜桃』と『津軽』(抄)の5作。ときどき入れ替えをしているから、iTunesに取りこんである太宰作品は、必然的にもっと多い計算になりますね。さりながらこの5作は殆ど再生リストから外れたことがない、定番中の定番といえる朗読作品。
 前述の<朗読で聞く太宰治>と併せてこれらを聴き耽り、読書している際に口内朗読しているわが身をふと顧みて、こんな壮大な夢想を抱いてしまうのである……どこかの朗読教室に参加して、新潮文庫に収まる作品を全部──文学史に名を刻む有名な作品も、陽の当たらぬ傑作というべき作品も、あまり出来の良くないと思う作品まですべて朗読することを、まぁなんというかライフワークにできたらいいなぁ、なんて夢想を……。いいのだ、夢を、もとい、妄想を声高らかに語るのは自由である。
 太宰治の作品は、声に出して読むのが絶対に良い。そうすることでときどき、腹の底から笑えてくることもしばしばだ。
 ただ問題は(電車を乗り過ごす、という致命的なところはさておき)朗読することが目的になってしまい、上っ面を撫でるような読書になりがちなこと。今夜(昨夜ですか)、戻ってくる電車のなかで読んでいた「哀蚊」が、わたくしの場合はそうだった。
 そのあたりを戒めながら、最終的に物語それ自体と一体化して朗読できたら幸せなのかな、と、思うのであります。◆

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第2697日目 〈加藤守雄『わが師 折口信夫』書評。〉 [日々の思い・独り言]

 「もっとも尊敬していたもの、ただ一つ信頼していたものに、裏切られたのだ。一刻もこの場にいることは耐えられない」(P63)
 箱根にある折口信夫の別荘、叢隠居に泊まった晩。とつぜん自分の上に覆い被さってきた師を払いのけて、加藤守雄はそう思わざるを得なかった。怒りは折口からの離別を決意させた。翻意を迫る師の言葉を退け、その後は既に決められていた仕事を淡々とこなしてゆく加藤。不即不離、一触即発という表現がふさわしいか自信はないがそうした日々の果て、遂に加藤は折口の許から出奔した……。
 『わが師 折口信夫』は昭和18年9月に始まり、同28年9月3日に終わる加藤守雄が見た師、折口信夫の生活記録と学問の口伝、そうして偏執と愛の記録である。
 折口と起居を共にした弟子の記録といえば、岡野弘彦『折口信夫の晩年』がすぐに思い浮かび、断片的なところでは藤井春洋や波田郁太郎の挿話を、池田彌三郎やほかの門弟が記録に残している。また戦時中、弟子がみな徴兵されて話し相手に不足していた師の許を足繁く訪れてその談話を記録した戸板康二『折口信夫座談』などもある。
 折口の門弟は師の生活、談話、枝葉末節に至るまでの挿話を書き留めて後世へ残すことを義務と思うかのように、否、折口の亡霊に背中を圧されるようにして積極的に書き残した感さえある。加藤守雄の本書も同じ系譜に属する、とはいささかいいすぎの気もするが殊著者の場合、逆に師の呪縛を断ち切って自由の境地へ至る端緒を摑むための作業であったかもしれない。これはほかならぬ加藤本人に問い質すより術ない、あくまで憶測の域を出ぬものであるけれど……。
 が、じつはこれに対する回答のような発言を、後年になって加藤はしている。長くなるのを承知で引用すれば、──
 「(『わが師 折口信夫』は)できるだけ30歳の自分が感じた感じ方の中で書いたんです。50歳を過ぎた時点ではもう既にそういう問題について解決がついている部分もある。だが、30歳の時点では何か折口信夫の裏側を見たようで、非常なショックを受けた。先生に裏切られたと思い、もう学問なんか絶対にやらないと思ったという、そういう意識の中であの当時見えているものだけに限定して書いたつもりなんです。」(『慶應義塾国文学研究会報』第10号 3回分際されたインタビューの第1回 昭和51年6月 P5)
 また、──
 「(『わが師 折口信夫』を書くときは)自分を投げ出しちゃおうというつもりがあったわけですよ。どんなに人に悪口言われても、そのために交友関係が崩れても、それはそれでしょうがない。とにかく、ぼくの見た限りのものを書こうと思った。もうあの時点で先生が亡くなってから十何年たってますからね……。十二年たってますからね。実は、あの時点のぼくならば理解できることも、ぼくがああいう事件に遭ったときの気持ちにできるだけ戻って書いているわけです。だから、ぼくの見なかったことは一つも書かなかったし、見たことは何でも書こうと、そういうつもりが非常に強過ぎたかもしれないと思うんです。(中略)当時のぼくの覚悟としては、そういう世間の人が必ずしも賛成しない面を、敢えて書こうという気持ちが強かったんです。」(『短歌』昭和55年1月号 「新春対談2 人間、その異類の世界 加藤守雄・辺見じゅん」 P233 角川書店)
 けっしてそれは暴露小説の類ではなかった。けっしてそれは折口の性癖を天下に曝すが目的の書き物ではなかった。では、それはなんだったのか;自分の気持ちに折り合いをつけるため、あのときの折口先生はこうであった、という、いい方は乱暴だが、一種の報告書の性格を多分に含んだ師、折口信夫追慕の小説であったようにわたくしには読めるのだ。
 折口の許を出奔した加藤が、元気な姿の師と顔を合わせたのはわずかに1回きりだ。昭和19年のことか、残してきた荷物を引き取るため上京したときである(P223-4)。
 昭和21年9月、郷里で玩具卸商を経営していた時分、商用かなにかで上京したついでに復員していた池田彌三郎と会った(池田『まれびとの座』「私製・折口信夫年譜」9月6日条 P129 中央公論社)のを別にして、戦後の加藤の身辺が俄に慌ただしくなるのは昭和28年のことだ。
 その夏、加藤は玩具卸商の仕事を4月に止め、夏、上京の決意を固めた。本書に曰く、──
 「さまざまの理由はあったが、一つには、そうして先生に抵抗する必要を感じなくなったからだ。私は先生を、憎みも恐れもしなくなっていた。昔通りの敬意を感じ、先生の偉さを信じることが出来た。こだわりなしに先生に話しかけ、先生もまた狐つきの落ちたような顔で、答えなさるだろうと思えた」(P233)と。
 そのことは池田彌三郎も報告していて(『まれびとの座』8月5日条 P244)、折口にその話をしたところ、既に岡野弘彦も手伝いの矢野花子もいて生活が落ち着いているから……と同居こそ難色を示したようだが、仕事を世話しなくてはならない、という義務は感じていたようである。加藤が思うたように。折口の側も加藤との一件については或る程度の整理が出来ていたのか、と思われる。
 が、運命は残忍である。その年のその夏、箱根で体調を崩した折口は弟子に伴われて急遽下山し帰京、一時小康を得たが9月3日午後1時11分、胃癌により不帰の人となった。加藤は下山した折口を見舞って翌日いったん名古屋へ戻った(8月30日日曜日)が、その3日後の9月3日に訃報を聞いた──電報よりも電話よりも早く、午後3時のラジオ・ニュースで!
 当時、既に加藤のなかでは、前述のインタビュー記事で語っていたような心境の変化と一連の出来事への整理ができており、ゆえそのタイミングで再出発を期した上京を決めたのだろう。その矢先に師の訃報へ接したかれは、しかしその後、慶應義塾大学と國學院大學の折口門下の人々と共同して、国文学と民俗学の世界に大きな貢献を果たすことになる事業へ取り組むこととなった。いうまでもなく、第一次『折口信夫全集』(中央公論社)である。
 この第一次全集の発刊までは角川書店を相手にしたちょっとした紛糾劇があったのだが、これについては改めて短い原稿を書くつもりでいる。
 そうして大小さまざまな書き物を発表しつつ、教壇に立って後進の育成に務めながら加藤は、『わが師 折口信夫』を雑誌掲載するに至るのだが、師没後の加藤の足跡を極めて主だった点のみピックアップして擱筆としたい。
 ○昭和28年7月:角川書店入社。編集長として『短歌』創刊号を編集(特集「釈迢空追悼号」)、直後退社。余談だが、後年同誌の編集長にミステリ作家中井英夫が就いている(3代目?)。
 ○昭和29年2月:中央公論社(第一次)『折口信夫全集』編纂委員となる(旧折口博士記念会)。委員として引き続き『ノート編』、『ノート編・追補』編纂に携わる。
 ○昭和34年4月:池田彌三郎の後任として文化学院大学部講師となる。日本文学コース・コースリーダーの任に就き、日本文学演習・奈良朝および中世、日本近代文学、日文ゼミナール(旧国文ゼミナール)を担当。同63年3月まで在職。
 ○昭和41年6月:國學院大學折口博士記念古代研究所の客員となる。
 ○昭和51年4月:慶應義塾大学大学院の講師となる。同56年3月まで在職。
 ○昭和54年9月:『折口信夫伝──釈迢空の形成』出版(角川書店)。
 ○平成元年11月:論文「異郷の生」発表(『源流』源流の会:発行)
 ○平成元年12月26日:肺癌により永眠。享年76。
 ──斯くして折口信夫に愛された門人、加藤守雄は鬼籍に入った。
 加藤守雄の業績を顧みると、折口信夫の学問の発展と深化を中心テーマに、独自の方向へ進もうとしていた様子が窺える。生涯最後の書き物となった「異郷の生」以後、加藤がどのような学問業績を残してゆくことになったか、想像するとその逝去がたまらなく無念に思えてならない。
 『わが師 折口信夫』は加藤守雄の「とはずがたり」だったのかもしれない。心の闇のなかで片眼を開き、片眼を閉じて端座しつつ、物言わずこちらを見つめる折口信夫の亡霊に対峙して成った「とはわずがたり」が、本書だったのではあるまいか。別のいい方をしよう。それは加藤のなかに潜む怨霊の魂を慰撫する祝詞の如きであった、と。◆

註:『わが師 折口信夫』からの引用はいずれも、昭和42年6月初版発行の文藝春秋単行本に拠る。引用箇所について朝日文庫版との相違は認められない。□

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第2696日目 〈加藤守雄を追いかけ続けた約20年。〉 [日々の思い・独り言]

 それまで身辺の世話をしてきた弟子が出征で不在になったため、折口が新たに自宅へ同居させることになったのが、慶應義塾大学文学部国文科の教え子加藤守雄であった。昭和18(1943)年9月のことである。
 わたくしはひょんな繋がりから加藤守雄氏を知った。学び舎に日本古典文学を専攻していたこと、そこに折口信夫の学統に連なる恩師がおられたこと、その恩師を指導された教授の本を古書目録などでぽつぽつ集めて読み耽っていたこと、折良く朝日文庫から氏の主著『わが師折口信夫』が出版されて巻末の主要年譜にわが学び舎の名が一行記載さていたこと、エトセトラ・エトセトラ。これらの繋がりが結ばれたところに、加藤守雄氏は存在していた。すべてを束ねる役を担うかのようにしてそこにあり、自分でもわけ知らぬままわたくしはその業績の森へ分け入ってゆくことになる。
 ちかごろ折口信夫の著作、関連書が角川ソフィア文庫に入って。うれしい。元々角川源義は國學院大學で折口博士に学んだ民俗学者であった。博士の代表作『古代研究』が現在ソフィア文庫から復刊されているのも、早川孝太郎『花祭』や『猪・鹿・狸』が講談社学術文庫から編入されたのも、否、ソフィア文庫にあらねど柳田国男の著作が体系的に、岩波文庫よりも充実した内容を誇って収まるのも、源流を辿ればみな創業者の、師への敬慕と学問の情熱に端を発した仕事の系譜に連なることなのだ。むろん、そのなかには折口全集の刊行を巡るトラブルに窺い見られる商魂があったことも、否定はできない。
 この流れを途絶えさせることなく角川ソフィア文庫には、折口信夫と門人たちの著作、民俗学の古典的著作をどんどん収めて、さらに内容を充実させていただきたい。就中わたくしがここに収録されるのを望む本が、加藤守雄『わが師折口信夫』である。

 加藤守雄『わが師折口信夫』は雑誌『文藝春秋』に2回にわたって掲載後、昭和42(1967)年6月に同社より単行本が、単行本への著者書き入れ本を底本に朝日文庫から平成3(1991)年11月に刊行された。いずれも絶版品切れ、古本屋を丹念に回れば文庫版はさほど労せずして手に入るだろう。
 本書は、著者と折口との、異常な愛と執念の回想記の一面を持つ。これまで本書に寄せられる評価も専らそちらの方面からが多かった。かつてわたくしも、折口の同性愛嗜好がもたらしたこの、不幸な師と弟子の訣別のドラマを書評した。
 が、約半世紀ぶりに本書を紐解いて、また当時大学のメディアセンターにこもり、都立中央図書館に日参して書籍・雑誌に掲載されて埋もれたままの氏の著作を複写し、学校に保管される講義目録や新聞各種、折口博士記念古代研究所からご提供いただいた氏の講演が書き起こされた紀要を検めているうち、『わが師折口信夫』発表がもたらした色眼鏡的見方はいつしか薄れ、むしろ、在野の国文学者・民俗学者として生きた氏の学問業績の大きさと深さに開眼し、そうして教え子たちが口を揃えて語る人間的魅力に惚れこんでしまった。
 教え子のひとりがゆくりなくも語ってくださった、もしかすると加藤氏こそが折口信夫の学問の継承者にふさわしく、また世間に対して発信塔の役割を担うべきでなかったか、という言葉がいまでも印象深い。
 自分が加藤守雄氏の著作に触れて、のめりこむようにして氏の書かれた文章を博捜して、共著書や寄稿した論文の載る単行本、雑誌を見附けては買いこみ、それらに未収録の文章(とっても多い!)を求めて上述の如く複写という形で多くを蔵すようになったのは、どうしてなのだろう?
 氏が関わった2つの学校に偶然ながら在籍して、そこで氏を知る人たちの謦咳に接することができたのは、非常に大きな幸運であった。とはいえ、この人を追いかけよう、と発憤してその熱を持続させられたその原動力は、果たしてどこから生まれたのか──正直なところいま以てわたくしにはわかっていない。情けない話だが、本当のことである。
 ただ漠然とではあるが、折口信夫という人とその学問に深く潜ってゆくならば、加藤守雄氏を無視することは絶対できない、と本能で察していたためかもしれないね。実際その通りだと思うけれど。

 本稿を擱筆するにあたり、わたくしは角川ソフィア文庫編集部へ提言したい。
 折口信夫本人は勿論、柳田国男を初めとして早川孝太郎、角川源義、と折口信夫に関わりある人の著作を刊行し、また芳賀日出男の民俗写真集を刊行してきた。いずれも本屋で見附けると同時に買い求め、偏愛するかの如く読み耽ってきた。
 それらがどれだけ売れたのか、初版部数をどれだけ売り切ったのか、今後も流通してゆくのか、部外者たる現在のわたくしに知る術はない。
 が、この際である。加藤守雄氏の著作を文庫化しようではないか。
 前述のように書籍化されたなかで氏の名前が載る単行本は9割を架蔵する。また、書籍未収録の文章も対談や書評に始まり、講義目録や芸術祭の審査員報告まで、おそらく氏が書き残したうちの2/3強は手許に複写という形ながら、手許にある。
 『わが師折口信夫』の復刊を核にして、それらをテーマ毎に編集してそれぞれ1冊を割り当てると、そうね、だいたい3冊から4冊ぐらいかしらん。それでも埋もれた折口信夫の弟子の業績を公とし、所縁ある出版社から刊行された著作を氏の墓前にささげるのはけっして無益な行為とは思われないが、如何だろう。
 収録する文章のセレクトは応相談として、それらの編集・校訂に携わり、著作解題だって依頼されれば応えよう。折口信夫から直接教えを受けたなかで、これまでスポットライトの当たる部分に偏りがあり、それが為に本来の業績が隠れて見えなくなってしまっていた、最重要の門弟子の著作をまとめる機会は来ている。
 慶應義塾大学出版局や中央公論新社が動くのも筋だろうけれど、ここは敢えて角川ソフィア文庫編集部に是非、ご一考を。現在も毎月発売される雑誌『短歌』創刊号の編集長を務めた方でもあるのだから。◆

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第2695日目 〈岡野弘彦の新著を読んで、加藤守雄を想起すること。〉 [日々の思い・独り言]

 先日、岡野弘彦さんの著書『最後の弟子が語る折口信夫』(平凡社)を買ってきました。久しぶりに新刊で読む、折口博士の関連書です。
 表題や帯にあるように、岡野さんは折口最後の内弟子、晩年の氏と起居を共にし、家庭で身辺の諸事をこなし死を看取ったうちの一人。現代歌人のなかで古代の息吹と闇、おおらかさを感じさせる短歌の詠み人。宮中歌会始の選者を務め、皇后陛下お妃教育の際短歌のご進講を担当された方。
 『最後の弟子が語る折口信夫』を読了後、ただちに氏の著作の幾冊か──随筆集『花幾年』と『歌を恋うる歌』を、歌集『飛天』と『天の鶴群』を、そうして就中『折口信夫伝──その思想と学問』と『折口信夫の記』、『折口信夫の晩年』を──雑然とする部屋の書架を引っ掻き回して、読み返したことであります。
 じつはその過程で思い出した人物がありました。折口信夫の後半生にその自宅で起居して日常雑事を代わって担当し、学校で講義し、そうして本人曰く「裏切られたような思い」を抱いて師の許から出奔した弟子のことであります。
 その人の名前は、加藤守雄。
 師の没後、折口学の発展と継承に於いて参謀役を務めたというてよい人物であります。
 折口亡きあと、かれの学問は門下生、殊に池田彌三郎を中心にして発展と継承、世間への紹介が進められました。加藤守雄は池田の無二の親友として、そうして折口信夫に愛された弟子として、師の業績を世に知らしめていったのであります。
 主著は『わが師 折口信夫』と『折口信夫伝──釈迢空の形成』。また雑誌『芸能』を中心として「折口信夫の肖像」など多くの対談を残し、慶應義塾大学と文化学院で古典文学と民俗学を講義して、学生からの人気は圧倒的であったと仄聞する。
 明日は、加藤守雄についていま現在、わたくしの思うところを縷々綴ってみます。◆

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第2694日目 〈思い出の岩波文庫──『若山牧水歌集』〉 [日々の思い・独り言]

 「次は岩波文庫の100冊を書く気だろう?」と、先日の記事を読んでくれた知人が、LINEしてきました。どうやら見抜かれているようです。
 さすが、20年来の付き合いだね。そう返信すると、かれは何冊かの書名を挙げてきました。うなだれるよりありませんでしたね。だってまさしくそのうちの8割が、「私家版《岩波文庫の100冊》」に取り挙げるつもりの本だったのですから。
 そんなにわたくしの趣味嗜好はわかりやすいでしょうか。
 ──わたくしが初めて岩波文庫を買ったのは、高校生のとき。大人の階段を登るような緊張と気恥ずかしさ、そうして高揚感は、ふしぎといまでも覚えています。どうしてなのだろう、この初体験を鮮明に覚えていられるのは? それはさておき。
 当時は幻想文学にどっぷりハマっていたので、初めての岩波文庫もその系統の本だろう、というと豈図らんや、然に非ず。生涯初の岩波文庫は若山牧水の歌集だった。2冊目になった泉鏡花『高野聖・眉かくしの霊』を購入したのは、それから何ヶ月も経ってのことです。
 書店の棚に数ある緑帯から牧水歌集を手にしたのは、早くも抱いていた沼津市への郷愁がそうさせたのでしょう。いまは『ラブライブ! サンシャイン!!』の聖地として全国に名を馳せることになってしまった伊豆への玄関口、沼津市。若山牧水は明媚なるこの街に暮らして最期を迎え、その墓も市内のお寺にあります。
 住んでいたマンションからすぐ近所の公園は、防波堤をあがれば目の前は駿河湾、というロケーションなのですが、この公園に若山牧水の歌碑があった。
 「幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく」てふ有名な短歌が刻まれていますが、あろうことかわたくしはこの歌碑によじ登って隣の派出所のお巡りさんに叱られ、また口裂け女が流行った頃にはここを秘密基地の前哨に見立てて<口裂け女捕獲作戦>を友どちと練ったこともある。──ああ、なんと阿呆な思い出のつまった場所であることよ。
 ま、まぁそれだけ、わたくしには子供時代から、千本松原を作った増誉上人と共に馴染みある存在だったわけであります、若山牧水は。
 書店で牧水歌集を手にしたのは、さきほど郷愁ゆえと書きましたが、その前段階で国語の授業にて牧水の短歌に触れる機会があったのかもしれない。そのあたりの事情は、もう覚えていません。
 いまでは岩波文庫の牧水歌集も、喜志子夫人の編集した旧版から伊藤一彦が編集した新版に切り替わっているようですが、どちらも牧水の短歌への限りない愛情と理解に根ざした、丁寧な仕事です。どちらかを持って満足するのではなく、できましたら両方の版を所有して、選者の編集方針の違いが、どの短歌を重複して選ばせ、どの短歌を一方が選ばなかったか、などそうした微妙なセレクトの差違を楽しまれてみると良いと思います。
 沼津市、若山牧水ときたら、次に登場する岩波文庫の日本人作家は当然、大岡信になるのですが、思い出云々以前にまだ岩波文庫入りしてそれ程経っていない人でもありますので、この人の作物については別の機会にお話しすることとします。
 耳の方がちょっと落ち着いたら、久しぶりに牧水歌集を持って沼津に行ってみようかな。でも、そんな日がいったい来るのかしら? いや、いけない。希望を持ち続けなくては。◆

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第2693日目 〈一生懸命、〈前夜〉を書いています。〉 [日々の思い・独り言]

 旧約聖書の書物のうち、「民数記」から「士師記」までの〈前夜〉第1稿を書きあげました。既存のものがある場合、今回の原稿は第2稿というべきかもしれませんが、敢えてここでは「第1稿」とする。
 既に福音書を読んでいた頃から過去の〈前夜〉を書き直す、と考えていたのですが、ずっと先延ばししてばかりでした。今回、知人が同人誌の話を持ってきてくれたことでようやく腰をあげた次第ですが、なんというか、前回よりも早く、さほど労せずして原稿が仕上げられるのはどうしてだろう。
 つらつら考えてみたのですが、やはり聖書全巻を通読している経験は大きいようです。先の見通しができているといないとでは、書ける内容もその幅も自ずと違ってきます。そうして、全体が見えている分、書くべき内容が抽出できて結果的に早く仕上げられる。決定稿に持ってゆくまで、まだ紆余曲折はあるかもしれぬが、それでもその場合の叩き台ができあがっていることは時間の短縮につながる。
 加えて、当該書物を読み進める際に使った資料がリストになっていますから(本によっては架蔵、或いはコピーがありますから)、原稿を書く際、どの本のどこを見ればいいか、どのような本にあたれば自分の知りたいことへ辿り着けるか、おおよその見当は付いてしまいます。渡部昇一が著書のなかでいうておりますが、これこそが「本があることの自信」なのでしょう。
 たしかに、たとえば今日書いた「士師記」は冒頭部分に悩み、書きあぐね、その後も迷走しかけた箇所ありと雖も、いったん書き進むべき方向が定まったら、あとは簡単でした。全体のパースペクティヴが浮かべば、本書を新約聖書につながる歴史物語の本格的開幕と捉えるのは至極妥当と思いますし、併せて、これが編集されてゆく過程もおおよそ推察できるのです。
 このあとも「ルツ記」、「サムエル記」上下……と続いてゆきますが、正直なところ、いつまで現在のようなペースが保てるか、わかりません。療養中のいまだからこそ、というペースであるのはじゅうぶん承知していますからね。が、たとい途中で失速したとしても、「書ける」という自信がありますから、復調するのもそう時間はかからないんじゃぁないのかな、と楽観しているのです。
 最初は既存の〈前夜〉に増補すればいいか、と考えていた書物もあるのですが(まさに「士師記」がそうでした!)、上記のような理由もあって新しく原稿を書いてしまった方がクオリティも、また精神衛生的にも良さそうなのです。平たくいってしまえば、増補する方が手間がかかるし、面倒臭い。それに新稿を仕上げる方が、わたくしは好きなのです。
 ──〈前夜〉をいつお披露目するか、どのようにお披露目するか、まだなにも考えていません。書き直しを予定していた「民数記」から12小預言書の「ヨエル記」までの〈前夜〉を書き終えたあと、1日1書物毎に毎日お披露目するか、或いは<モーセ五書>、<歴史書>、<文学>、<預言書>とカテゴリー別に順次お披露目してゆくのか(連続するか否かは別として)。……さて、この件、いったいどのように解決しますことやら。
 読者諸兄に於かれましては、ゆっくりお待ちいただけれるとうれしいです。◆

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第2692日目 〈遂にやります、私家版《新潮文庫の100冊》!〉2/2 [日々の思い・独り言]

赤川次郎 : さすらい
芥川龍之介 : 羅生門・鼻
有川浩 : レインツリーの国
有島武郎 : 或る女
池上彰 : 記者になりたい!
石上三登志 : SF映画の冒険
石坂洋次郎 : 青い山脈
石原慎太郎 : 太陽の季節
伊藤信吉 : 現代名詞選(全3巻)
犬養道子 : 新約聖書物語(上下)
井上靖 : あすなろ物語
井伏鱒二 : 山椒魚
上田敏 : 海潮音
江戸川乱歩 : 江戸川乱歩傑作選
円地文子 : なまみこ物語
小川国夫 : 或る聖書
荻原井泉水 : 奥の細道ノート
小野不由美 : 残穢
恩田陸 : 六番目の小夜子
梶井基次郎 : 檸檬
亀井勝一郎 : 大和古寺風物誌
川端康成 : 眠れる美女
北村薫 : 月の砂漠をさばさばと
国木田独歩 : 武蔵野
倉橋由美子 : 聖少女
源氏鶏太 : 三等重役
児玉数夫 : ホラー映画の怪物たち
三光長治 : ワーグナー(カラー版作曲家の生涯)
塩野七生 : わが友マキアヴェッリ(全3巻)
島崎藤村 : 千曲川のスケッチ
庄司薫 : 赤ずきんちゃん気をつけて(シリーズ全4巻)
須賀敦子 : トリエステの坂道
太宰治 : 惜別
立原正秋 : 春の鐘
田辺秀樹 : モーツァルト(カラー版作曲家の生涯)
谷崎潤一郎 : 細雪(全3巻)
田山花袋 : 田舎教師
土田英三郎 : ブルックナー(カラー版作曲家の生涯)
遠山一行 : ショパン(カラー版作曲家の生涯)
永井一郎 : 朗読のススメ
梨木香歩 : エストニア紀行
夏目漱石 : 硝子戸の中
樋口隆一 : バッハ(カラー版作曲家の生涯)
ひのまどか : モーツァルト 作曲家の物語
平野昭 : ベートーヴェン(カラー版作曲家の生涯)
船山隆 : マーラー(カラー版作曲家の生涯)
堀辰雄 : 大和路・信濃路
前田昭 : シューベルト(カラー版作曲家の生涯)
丸谷才一 : 新々百人一首(上下)
三浦綾子 : この土の器をも──道ありき第二部 結婚編
三浦哲朗 : モーツァルト荘
三島由紀夫 : 花ざかりの森・憂国
水上勉 : 櫻守
三宅幸夫 : ブラームス(カラー版作曲家の生涯)
宮沢賢治 : 新編 風の又三郎
武者小路実篤 : 愛と死
村上春樹 : ねじまき鳥クロニクル(全3巻)
森田稔 : チャイコフスキイ(カラー版作曲家の生涯)
森見登美彦 : きつねのはなし
諸井三郎 : ベートーベン──不滅の芸術と楽聖の生涯
安岡章太郎 : 質屋の女房
山口瞳 : 礼儀作法入門
淀川長治 : 私の映画教室
米澤穂信 : 儚い羊たちの饗宴
N・H・クラインバウム : いまを生きる
O・ヘンリー : O・ヘンリー短編集(全3巻 大久保康雄・訳)
アーネスト・ヘミングウェイ : ヘミングウェイ全短編(全3巻 高見浩・訳)
アレクサンドル・ソルジェニーツィン : イワン・デニーソヴィチの一日
アントン・チェーホフ : 桜の園
ウィーダ(ルイズ・ド・ラ・ラメー) : フランダースの犬
ヴィクトル・ユゴー : レ・ミゼラブル(全5巻)
ウィリアム・シェイクスピア : リア王
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー : 音と言葉
エーリヒ・パウル・レマルク : 西部戦線異状なし
エドウィン・フィッシャー : 音楽を愛する友へ
ギョーム・アポリネール : アポリネール詩集
コナン・ドイル : バスカヴィル家の犬
サイモン・シン : フェルマーの最終定理
ジェイ・マキナニー : ブライト・ライツ、ビッグ・シティ
シャルル・ボードレール : 悪の華
シャルル=ルイ・フィリップ : 若き日の手紙
ジュール・ヴェルヌ : 海底二万里(上下 松村潔・訳)
ジョン・スタインベック : ハツカネズミと人間
ジルベール・セブロン : 死んでいったひとりの若い女性への公開状
スティーヴン・キング : アトランティスのこころ
ダフネ・デュ・モーリア : レベッカ(上下)
チャールズ & メアリー・ラム : シェイクスピア物語
テオドール・シュトルム : みずうみ
トーマス・マン : 魔の山(上下)
トマス・ハーディ : 呪われた腕
トルーマン・カポーティ : 草の竪琴
ハーマン・メルヴィル : 白鯨
フィリップ・K・ディック : 悪夢機械
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー : 死の家の記録
フランソワーズ・サガン : ブラームスはお好き?
ヘルマン・ヘッセ : 郷愁──ペーター・カーメンチント
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ : ファウスト(上下)
ルーシー・モード・モンゴメリ : 赤毛のアン ※《アン・ブックス》を代表して。
レフ・トルストイ : クロイツェル・ソナタ
ロマン・ロラン : ジャン・クリストフ(全4巻)

以上全100冊、もとい全100作。
 こうして見直してみると、定番・王道がずいぶんと並んでしまいましたね。あまり自分の色が出せず、ちょっぴり残念です。◆

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